真章 WITH & WISH 4
【強さと信頼】
「さあ、もっと食べなさい! 食べるのよバンプ!」
「モゴゥ、モホホゥホォウ(も、もう入らない)……!」
病室の中、少年吸血鬼ヴァンパイア・マーカスの口に詰め込まれる大量の食べ物。
完全に容量オーバーで、少年は目を回していた。
押し込んでいるのは須藤彩花という名の女だった。にこにこと太陽のような笑顔とは裏腹に、その手に込められたパワーは凄まじかった。
『あ、あの。主が苦しんで――』
「アナタも食べなさい!」
『ほごぅ!』
バンプの背中から現れ、主人を庇おうとした使い魔。
その口ともとれる赤い亀裂に、彩花はパンを握った手を思いっきり突っ込んだ。
もはやパンチである。
ちなみにこの使い魔は伝説と謳われた吸血鬼の使い魔。数々の強き魔物を蹴散らしてきた歴戦の魔物である。
そんな使い魔が、彩花のパンチを食らってベッドから転げ落ちる様は、なんとも可哀想なものであった。
「こんなに傷だらけで帰ってきて! まったく! 早く栄養を摂りなさい!」
自身も回復したとはいえ安静の身。であるにも関わらず彩花は少年に馬乗り状態で、用意された食べ物をこれでもかと突っ込んでいた。
「さあ、合言葉を言いなさい!」
「ぼ、ぼふほひぶふお」
「聞こえないわよ!」
「僕の胃袋ブラックホール!」
「オッケーイ!」
『何を言わせているんだ!』
すかさず使い魔がツッコミを入れるも、それが仇となった。
彩花はじとりと黒の魔物を見やる。
『え……』
「アナタ……私とバンプのビューティフルライフには邪魔ね」
『えええ!?』
がしいっ――と、彩花の伸びた手が無形の使い魔を掴んだ。
そのままギチギチとバンプの身体から引き剥がす。
『馬鹿なあああああ! 使い魔である私が……こんな女に剥離干渉を受けているだとおおおお!?』
「アナタの主人はバンプよね?」
『ごががががが……そ、その通り……!』
――ベリベリベリベリ!
彩花は使い魔の顔に自分の顔を近づけ――ニタリと笑った。
「バンプの主人は……わたしなの」
『うわああああああ悪夢だあああああああ!』
――ベリベリベリベリベリベリ!
「とりゃあああ!」
『ぎゃああああああああ』
そう。理論上は、可能なのだった。
使い魔の主人はバンプ。バンプの主人は彩花。
彩花が剥がれろと命令すれば、歴戦の使い魔は『はいわかりました』と剥がれるしかないのだ……。
まあ、使い魔の言う通り悪夢である。
『ま、待てよ? この女……見覚えがあるような……』
バンプの身体から引き剥がされつつ、使い魔は己の記憶を辿った。
あれは――確か、まだ伝説の吸血鬼アークス・マーカスに従っていた頃だ。
年に一度、息子のバンプが会いに来るという日がある。
大体1、2年前くらいだろうか。その時に、珍しく各支部長ではなくバンプの付き添いとして共にやって来た見慣れない女が居た……。
そうだ……あの時の女だ。マーカス一家と共に、城でやたら図々しくくつろいでいた、あの時の女……!
『お、お前っ、アークス様を下僕にしようとしていた女だなあああああ!』
「アークス? ああ、バンプのお父様ね」
『やっぱり!』
「あと一歩だったけど。まあいいわ、またそのうち窺うでしょうから。その時にでもね」
――ベリベリベリベリベリベリベリベリベリ!
『須藤……彩花……そうか貴様が……ア、アークス様の言っていた……』
「フフフフフ~♪」
『〈最恐〉の称号保――』
――ブチン!
ついに使い魔の黒き影はバンプの身体から引き剥がされ、実体を持たぬ闇の体現は彩花の手の中で揺れていた。
バンプ本人はというと、食べ過ぎでダウンしている。
主人から引き離された魔物。とりあえずバンプと二人きりの生活に邪魔だと思って除外してみたはいいものの……さてこいつをどうしたものかと彩花は困った顔で首を傾げた。
いずれアークスへ返すにしても、それまで使い魔を留めておく新しい主人が要る。
悩めるゲヘナ・マスターは、自分の手元に〈ちょうどいい器〉があるのを思い出した。
「そうそう、さっき拾ったあの子が使えるんじゃないかしら」
病室に設置されたデスクの、大きめな引き出しを開ける。
中から彼女が取り出したのは――小さな人形だった。
とても精密にできたロボットなのだが、とてもボロボロに壊されていた。
「こらっ、起きなさい」
『ギ、ギギギ……』
小さなロボットの肩を揺する。
『ミ……ミニ……ミニニニ、ミニ鋼……さい、さいきょ、最強……』
「……ありゃ。どこか壊れたのかしら?」
彩花はミニ鋼という小型ロボットの背中をポンと叩いてみる。すると首元から白い煙を噴き出し、赤い眼光を取り戻した。
こいつはつい先ほど捕まえたロボット。なにやら『最強! 永遠! ミニ鋼!』というタイトルの自作曲を大声で歌っていた。騒音と共に廊下をほっつき歩いていたところを、ボコ殴りにして捕獲したというわけである。
『ヒィッ、悪魔!』
「誰が悪魔じゃい!」
――ベシッ。
『ぷしゅー』
またもシステムを停止させてしまう。
埒が開かないと思った彩花は、問答無用で握った使い魔をミニ鋼に押し付けた。
鋼鉄のボディは黒き影を吸い込む。
「これでよし」
何がこれでよしなのかはわからないが、とりあえず厄介な使い魔を小さなロボットに突っ込んだことで問題は解決。ということなのだろう。
そのまま病室の扉を開け、外へポイ、と放り出してしまったのだった。
◇
病室の外へ顔を出していた彩花は、そこで固まる。
廊下の先に立つ姿が目に入ったからだ。
「………」
白銀の鎧を纏った彼女は無言。
「………」
視線を交差させる彩花もまた、無言。
ヴァルキュリアは深々と頭を下げた。
◇
膨れたお腹を抱えて気を失うバンプの横で、彼のベッドに腰かけた彩花。
その隣の、彩花のベッドに腰かけたヴァルキュリア。兜と聖剣は彼女の隣に置かれている。
互いが近い位置で向かい合い、そして無言だった。
白銀の女はじっと彩花とバンプを見つめ続け、彩花はその視線をぼんやりと受け止めている。
互いに視線だけを絡ませた静寂。
そのまま長い長い時間が流れた後、彩花の溜息がそれを破った。
「……さて私は貴女になんと言えば良いのかしら?」
問いだった。
優しい口調なのだが、その言葉の意味は先程閻魔の放った言葉と同じ。
貴女は、何と言って貰えば楽になるのかしら? 何と言って欲しいのかしら?
口調と言葉の意味が真逆。優しい口調で冷たい言葉。
しかしヴァルキュリアはそんなもの求めていない。
許しを請うつもりもない。先程の閻魔と同様、それは変わらなかった。
故に、彩花へ求める言葉は無い。罵声でもかまわない。
問いかけても動かない聖騎士に、彩花は一層微笑んだ。
人差し指を口元に添えて「むう」と唸る。
「……そうね。今のは意地悪。ヴァルちゃん、聞きなさい」
「……」
ヴァルキュリアはこくりと頷いた。
「この須藤彩花から笑顔を奪おうなど、百年早い」
腕を組み、力強く言い放った。
「この須藤彩花をあの程度で突き放そうなど、百年早い!」
ビシリと、力強く指を差した。
「貴女が地獄を裏切った意志の中。聖剣は私を助けた。バンプは私の為に戦った。聖剣は貴女を疑った。バンプは貴女と戦った。私は貴女に裏切られた。貴女は私と異界の縁を切らせようとした」
「………」
「表向きはね」
「………」
「あの時、貴女は私を助けようとして刺したことくらいわかるわ。あまり須藤彩花を嘗めないで頂戴」
「………」
「争いから遠ざける為に私を行動不能にしたことくらいわかっていると言っているの」
背中から突き刺した刃は、聖剣エクスカリバー。
人を救う剣。
断罪に於いて最も切れ味に優れ、最も殺傷能力に〈優れない〉剣。
それで彩花を刺したところで、彼女を異界から蹴落とす事などできるわけもない。
なによりその時にヴァルキュリアは口から零してしまった。
――“我慢して”
この場は我慢せよという旨の言葉を。
「貴女の正義は最初から不安定だった。バンプの指摘した妄信に操られながら、貴女を囲むもの達が貴女の思い通りに動かなかったのはその所為。それすら気付かない程、貴女は焦っていたのよ」
「焦っていた……私が……」
彩花は笑顔を崩さず、バンプと自分の乗るベッドをポンポンと叩いた。
「いらっしゃい、ヴァルちゃん」
言われるまま、聖騎士は彩花の隣に座る。
横から見る彩花の顔は――やはりニコニコと笑っていて。恨みや怒りの感情が見えなくて。
金色の髪を撫でられても、ヴァルキュリアは呆けた顔のままだった。
「大切な上司。大切な吸血鬼。大切な友人。大切な場所。たくさんの大切なものに囲まれ、上手にバランスを保っていた。それが一つでも崩れた時、貴女は混乱してしまったのね。あれも大切。これも大切。あれも守らなきゃ。これも守らなきゃ。あれもこれも、あれもこれも。自分がぜーんぶ守らなきゃ。考える事がとってもいっぱい。立場もあるからもっと大変」
ころころとリズムよく話す彩花の声を聞きながら、あったかい手で頭を撫でられる。
「もうどうしようもないよ。どうしようどうしよう。自分がしっかりしないと。自分は頼られる存在だから、自分だけで考えないと。時間もないよ、助けもないよ。あまり器用ではない娘は、ついにパンクしてしまいました」
――ぱあん。
と、彩花は囁きながら拳を開く。
それから先は、知っての通り。
混乱した事にさえ気付かない娘は焦ったあまり、絶対の正義という言葉にすがりついた。妄信して突き進んでしまった。
「貴女は未熟でした。無知でした。自意識過剰でした」
「………」
「相談する相手はいっぱい居ました。頼れる者もいっぱい居ました。頼られていると思っていた者達は、とっても強かでした。そして……友人との絆は思っていたよりずーっと固く結ばれていました」
「……え」
「須藤彩花は、背中から刺された程度でヴァルキュリアを恨みませんでした。貴女は混乱してしまったから、とっても心配しました。私は最初から貴女を許していました」
「須藤さん」
ヴァルキュリアは、彩花の横腹にそっと触れていた。
布を隔てた、柔らかい肌の感触。当たり前なのに、聖騎士は少し驚いた。柔らかな身体を刺した時、彼女はこの身体をとても硬いものだとイメージしていたからだろう。そのイメージもまたヴァルキュリアへ働いた気付かざる抑止力の一部。
目を固く閉じて声なき溜息を吐き、後悔の念に襲われた。
甲冑にも守られていない肌。だって、守るのはヴァルキュリアであった筈なのだから。背中を預けられた、彼女が守る筈の肌だった。それを、誰もが信じた。
「うん、結構痛かったかな」
「ごめんなさい……」
謝罪の言葉に、彩花はヴァルキュリアの頭をポンと叩いて応えた。
「よろしいっ」
ついでにバンプの膨れたお腹もポンと叩いた。
「うぎゃあっ」
苦悶の寝言を漏らす少年。
笑いながら彩花はヴァルキュリアを押し倒し、バンプと三人、川の字に寝そべった。
戦いの女神は目を丸くして顔を左に向ける。隣にバンプの寝顔があった。右に向けると、彩花の笑顔。
「私の言いたい事とかは、きっと既に、多くの人の口から聞かされていると思う。ならもう貴女を咎める言葉は要らない。ここで一息つきなさい」
「でも私は――」
「駄ー目、貴女には休息が必要なの。これからすべきことがたくさんあるのでしょう? なら、今は休みなさいな。起きたらバンプにもごめんなさいを言う事」
「……了承」
「よろしいっ」
目を丸くしたままのヴァルキュリアの頬に人差し指を当てて、彩花は目を閉じる。
病室の中、自分だけ目を開けている女はぼうっと天井を眺めた。バンプの寝息。彩花の寝息。いつの間に眠っていたのか聖剣の寝息も。
浴びる敵意と絶えぬ罪悪感に押し潰されそうだった彼女は、ベッドに倒れて一気に心の疲れが出て行ったように思えた。
横になったのは何日振りだろう。
もぞもぞと自分の手甲や具足や胸当て等の装身具を外すと、すうっと束縛感から解放された。
身に纏うのは白いドレスだけ。
彩花は、この室内では休んでいいと言ってくれた。疲れを癒す為にひとときの安息を与えてくれた。その言葉がどれだけ嬉しかったか。きっと、許すという言葉だけではここまで解放されることは無かっただろう。
この友人は、また自分を友人として見てくれる。いや、またではない。ずっと友人として見続けてくれていた。身動きできない状態となっても、この場から混乱した自分を心配してくれていた。
(……?)
腕に感触。
見れば、バンプがヴァルキュリアの腕を抱いていた。ぬいぐるみを抱くような感覚で寝ているのだろう。
(……)
バンプ。ロシュ。メア。幼かった三人と一緒に寝た昔。必然ヴァルキュリアの隣になれない子が一人出てしまう。誰がヴァルキュリアの隣で寝るか、毎晩三人は争っていた。
両隣から腕を抱かれて眠った頃を思い出し、無表情な聖騎士の顔に少し笑みがこぼれた。
昔の癖は直っていないらしい。
でも――
バンプは、この子は、男として強くなっていた。
ヴァルキュリアの手を離れた彼は、彼女の知らない場所でぐんぐん大きくなっていたのだ。里原準、閻魔、夜叉、歌舞伎、デーモン、アヌビス、ベルゼルガ。とてもたくさんの、強い男達の背中を見てきたのだから。
これからまだまだ強く大きくなるだろう。
(私も、信じよう……)
もっともっと。みんなを信じよう。
こんなに、信じてもらえていたのだから。
ヴァルキュリアはゆっくりと目を閉じる。
外では飛行機械が飛んでいるのか、スラスターの音が耳に入って来た。
機械。魔導。自然。生命。
世界はそれぞれの意思で調律を保つ。文明を扱う者、自然を愛する者。皆が信じ合い、助け合うから強く保ち続けられる。力の強き者だけの意思では、到底保てはしない。
世界を知って愛に震えて、絆に気付く。自分に目覚める。
強き力達。
――惨劇、修羅、お前達も目覚めていたのか?
――最初から支配など眼中になかったお前達は。己の意思で世界と向き合ったお前達は、ずっと先に立っていたのか?
――世界を知って愛に震えた強者達よ。
(私は、あの者達ほど強くなくて良い……)
信じあい、頼りあえる者がいっぱい居る。いっぱい囲まれているから。
あの者達のように、宿命に縛られていないから。
こんなにも世界に受け入れてもらえるから。
(世界は、斯くも――)
斯くも……素晴らしい。
――すう。すう。
須藤彩花。聖騎士。吸血鬼。聖剣。
四つの寝息。繋がり。絆。
信じてくれて有難う。
お疲れ様。
そして、おやすみなさい。