第6話 お仕事へ in 魔導社
【preparation of banquet】
【in グングニル街道】
――くるりくるり
――くるりくるり
「ここがインキュバス・バッドドリームの居城がある土地ね」
「ここがインキュバス・バッドドリームの居城がある土地よ」
――くるりくるり
――くるりくるり
鮮やかに廻る二つの傘。
黒色と、白色の傘。
「宴の下ごしらえをしなくちゃ。ね、白百合」
「宴の下ごしらえをしなくちゃ。ね、黒百合」
黒い傘の下には赤い髪。
白い傘の下には青い髪。
二人の女は瓜二つの顔を持っていた。
色がなければ見分けがつかないであろう双子。
――くるりくるり
――くるりくるり
傘を廻し、街道を進む。
街道は道が一本続くだけで、道の両端には草むらがただ続くばかり。
こんなに良い天気の日、二人の女が日傘をさして歩いていたところで、仲良く散歩しているとしか見えないだろう。
誰も。
そう、誰もこの二人の凶った意思など、知る筈がない。
しかしながら。
「あら?」
「あら?」
彼女達の前に、立ちはだかる者が居たのだから、少なくとも一人は気づいたということだ。
誰よりも早く。
何者よりも早く。
速く。
この事態に感づいた者。
「ニャー。お前達、黒百合と白百合だな」
一人というよりは、一匹と表した方が正しいか。
その猫は草むらからゆっくりと道の真ん中まで歩き、二人の女と向き合う。
ただの猫ではない。
その脚には、小さな長靴などというものを履いていた。
「うふふ、見てよ白百合。可愛い猫さんだわ」
「うふふ、見たわ黒百合。可愛い猫さんよね」
「でも最速」
「でも最速」
「最速の称号保有者、ケット・シー」
「最速の称号保有者、ケット・シー」
ケット・シー。
最速の猫。
世界最速。
最も速き者。
彼はその称号の通り、誰よりも速く、動き出したのだ。
ケット・シーとは別名、長靴を履いた猫。
「戦犯、双百合! この数年、一体どこに隠れていた!」
「長靴。本気なのね猫さん」
「長靴。私達を止めるのね」
「答える気は無し。か」
そう呟いた猫。
彼は次の瞬間、長靴から放たれたオーラに包みこまれた。
小さかったその体躯は、見る見るうちに大きくなる。
「ふふ、変身。最速の姿になるつもりなのね」
「変身。最速の称号を引き出すつもりなのね」
猫。
猫?
否、もはやその姿、怪物。
すべてを速さの為に捧げた身体。
四足歩行に見えるが、腕は地面に添えているだけだ。脚部の筋肉は異常に発達。
身体のラインは頭部から尾の先まで、風の抵抗を最小限に抑えた形状をしている。
手足の長めな、猫背の獣人。というのが、一番妥当な表現だろう。
「グルル、最後にもう一度訊いてやる。お前達がインキュバスの城へ何をしに行くのか、話す気はないと言うのだな?」
最速による最後通告。
だが双子の若い女は、まったく物怖じする気配がなかった。
「あら、話したら宴が楽しくなくなりますもの。ね、白百合?」
「ええ。それにこの猫さんは宴には招待できないわ」
「承知した。ならば最速の力を以てお前達に吐かせるまで!」
風の流れはなんと遅いものか。
時すらも、彼には遅く感じられる。
二人の女は、まだ目の前に猫が居ると認識しているというのに。
ケット・シーはもう、そのナイフのような爪を光らせ、彼女達のすぐ後ろに立っていたのだ。
「覚悟……」
『ギュオォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!』
「は――!?」
超反射神経を持つ、最速が――吹き飛んだ。
吹き飛ばされたのだ。
鋼鉄の拳に、殴り飛ばされたのだ。
「ガフッ」
グングニル街道の一本道の中から、遠い草むらまで転がるケット・シー。
速度に特化した肉体であるから、当然防御力は低い。
受けたダメージは絶大だった。
彼は気付けなかったのだ。
彼女達は二人ではなかったということに。
「あらー。猫さん、いつのまにかあんなに遠くに居るわ?」
「あらー。可哀相に。《零鋼》に気付かなかったのかしら」
一瞬で起こった出来事の為、双百合の反応は遅く感じるかもしれないが、これが普通なのである。
気付けば目の前に居た獣人が、遠い草むらに転がっている。常人で確認するのはこれが精一杯なのだ。
「ガル……迷彩か……!」
ふらふらと、ケット・シーが立ち上がり、脚部に力を溜める。
姿の見えない敵なれど、速さで翻弄すれば決して相手できなくはないと、そう考えたのだ。
そんな獣人の姿を見た黒百合と白百合はケラケラと笑う。
「まだやる気みたいよ? あの猫さん」
「ねえ零鋼ちゃん。アナタ、最速の称号欲しくない?」
『………』
「そう、いい子ね」
「相手しておやりなさい」
『……mission assent (任務受諾)。 action (実行)』
機械音声が響いた後、二人の後ろでギィ、と軋む音が聞こえた。
そして――
――ドン!
という音と共に、地面から砂埃が舞う。
見えない敵が疾走を開始したのだ。
砂埃は、一つの合図だ。
それを皮切りに、ケット・シーも脚部に装着した長靴から魔力を溜め始めた。
彼にしては珍しく――全力の魔力量だった。
彼も気づいていたのだろうか。
相手の脅威に。
自分が散る運命にあることに。
「この平穏たる世に、再び乱を呼び込もうというのか双百合……」
戦犯、双百合。
何を犯したかは全く不明であるが、最終戦争ラグナロク終結後の危険因子として、手配されている。
その二人が行動を起こすという事は、何が起きるか。ケットシーには容易に想像がつく。
そして自分を殴り飛ばし、今こちらに駆けてきている謎の敵。
打撃の感触から機械であるのは間違いない。
それもただの戦闘機械とは全くの別物。
最速のケット・シーをさらに上回る速さで動いてきた。
危険度はAクラスを超える。
(こんなモノを、こんな連中を、世に放ってはいかん)
ベータ・ヴィヴァーチェという猫の長靴が光る。
ケット・シー専用の魔力供給装置。
これは彼の本来の持ち物ではないが、短期決戦で用いるのであれば問題ない。
十分に脚部に魔力を溜め込む。
目標は、草むらをかき分けて突進してくる見えざる敵。
「マスター・グッド・スピード。《時縮》!」
草むらに衝撃波が生まれ、ケット・シーは消えた。
それに合わせて敵も戦闘行動を開始。
『conbat command (戦闘命令)。 rapid act Lv1 (急速行動壱型)』
また別の場所でも衝撃波が生まれる。
そして――二つの衝撃波がぶつかり合った。
「グ……!」
『……contact』
聞こえてくるのは衝撃波の中の音と声。
しかしそれも、既に終わった音に過ぎない。
音さえも追いつけない領域の中に存在するのだから。
「ガァ! グッ! ガアァアアアア!」
『……attack.hit.attack.hit.attack.attack.attack.hit.miss.hit……』
神速の決闘が、この人通り皆無な場所で行われているのだ。
遠くで見えない闘いを傍観する双子の女は、ぶるりと肩を震わせた。
「はぁ、素敵」
「欲情が芽生えてしまう……」
「早く準備をしないと」
「でも、まだ。主役も、招待客も、準備が整っていないわ」
「私達の行動が……」
「《最凶》様の宴を開く糧となる」
「たかが夢魔の城」
「たかが夢幻の城」
「あの猫さんもすぐに片付く」
「あの猫さんもすぐに終わり」
「蒼に舞うは朱」
「緑に散るも朱」
「待ち遠しい」
「待ち遠しい」
ゾクゾクと二人は再び肩を震わせ、自分の指で顔をなでる。
唇を撫でる。
恍惚の表情。
だが二人の視線の先では、いくつもの衝撃波のぶつかり合いが続いていたのだった。
――開宴は、まだ先か。
◆ ◆ ◆
【in 魔導会社】
バンプ、そして彩花さんが帰って来た日から一夜明けた朝。
温泉で疲れもとれて、なかなか清々しく朝を迎えられた。
今日の仕事は、なんと派遣。
魔導社に呼ばれたのだ。
なんでも倉庫や書類の整理を手伝って欲しいのだそうな。
パペットを使えよ、と言いたいところだが今回は整理の規模が違う。
なにせ魔導社は半年以上前にパラダイス・ロストという傭兵部隊に襲撃を受けたのだ。
その際に内部はひどく荒らされ、ようやく通常に営業できる状態へ回復した。で、後回しになっていた営業に差し障りの無い倉庫や書類の整理を、オレ達に依頼してきたっつーことだ。
オレ達……。
そう、今日はなんと!
オレと死神に加えて、エリート餓鬼二人が居るのだ!
一緒に仕事をするのは初めてだからワクワクしている。
ああ、それから。冬音さん達は……逃げた。
『この蒸し暑い中、倉庫に籠もっていられるか!』とか言って逃げた。
まあ夏が近いから気持ちはわかるが、その分の蒸し暑さがオレに来るという事を考慮しやがれバカヤロー。
仕事へ向かうにあたって、魔導社についていろいろ教えてもらった。
知っていることもあったが、勿論知らなかったこともあった。
魔導社とは、異界でもかなりのシェアを誇る大会社だ。
正式名称は魔導会社マジック・コーポレーション。
科学と魔導の融合だかなんだかを一番早く成功させ、急速に発展途上した会社らしい。
社長は、オレもよく知っている人物。ラビット・ジョーカー。
ウサギの頭を模した着ぐるみを被り、白を基調としたスーツに身を包んだよくわからない人だ。いい人なのは間違いないが。
魔導社は主に魔導を取り入れた製品を扱っている。
最近だと、魔列車という巨大な乗り物を作ったことで話題になったな。
「おーい準くーん! 早く来ないとー!」
魔導社の正面玄関の前から、死神がこちらに手を振る。
一度だけここには来た事があるが、何分大急ぎだったためにゆっくりと魔導社の全貌を眺める暇なんてなかった。
エリート餓鬼二人と、死神を追うように、オレも正面玄関へ向かう。
『お二人とも、これを付けて下さい』
『IDカードです』
「ほえー」
「IDカードね」
エリートから白色のIDカードを受け取ったオレは、胸のポケットにそれをしまい入れる。
ここで働くパペット達は、IDの反応を感知できるようで、反応が無い者は侵入者として扱われてしまうのだそうな。
「おい死神。ちゃんとカードを持っておけ――」
「IDぃぃぃぃブウゥゥゥメラン!」
――シュパァー!
投げてるー!
慌てて取りに走るエリート餓鬼達。ごめん。
死神の頭に拳を乗せながら、スーパージャンプを披露する二人を目で追っていた。
「あれは飛ばすものじゃないからさ」
「そうなの!? どうりで戻ってこないと思ったー」
あの形でどうやったら戻ってくるんだよ。
『ホホホホ、いらっしゃいませ。里原様、死神様』
「あっ!」
「おっ」
社長、ラビット・ジョーカーさんが、オレ達の後ろに立っていた。
建物に背を向けていたから気付かなかった。
『エリート様方も、御足労ありがとうございます』
『いえいえ、こちらこそわざわざ出迎えて頂きありがとうございます』
『地獄アジア支部より、四名。到着いたしました』
オレ達は互いに会釈して軽い挨拶を済ませる。
その時、死神がラビットさんの首元に集中していることに気付いた。
紫のネクタイか?
いや違う。
こいつが気になっているのは首に下げられたラビットさんのIDカードだ。
「ねえラビットさん」
『ホホホ、どうしましたか死神様?』
「それIDかーど?」
『ええ。そうですよ』
「金色だー」
『?』
そう。
ラビットさんのIDカードは金色だった。
まあ社長なのだから色が違うのは当然だろう。
『IDが気になりますか? はい、どうぞ』
ウサギ頭の社長は、自分のIDカードを死神に渡す。
………。
駄目だラビットさん。
おそらく死神の目的は……。
「ブウゥゥゥゥゥメラン!」
――シュパァー!
やっぱり投げたー!
金色のIDカードは鮮やかに宙を舞う。
もちろん戻ってくるわけがない。
オレも、エリートも、そしてラビットさんもそれを茫然と目で追っていた。
『おやおや。私のIDは良く飛びますねー。ホホホホホ……えぇえー!?』
リアクション遅ぇ!
またも二人のエリートがカードを追って走り出そうとしたが、その必要はなかった。
高速で移動した何かが、IDカードをキャッチしてこちらに向かって投げたのだ。
なんだ?
『ホホホ、ありがとうございます』
パシ、とカードを受け取ったラビットさん。
その視線の先には、なにやら見たことのないパペットが立っていた。
白い忍者みたいな格好をしているが、その覆面の下は明らかにロボットだ。
オレは死神のほっぺたを引っ張りつつ、エリートに訊いてみた。
「あのパペットは?」
「むいー。ほっぺがー」
『ああ、あれはですね。魔導社の私設部隊ですよ』
『式神十二式という、戦闘に長けたパペットですな』
ほー。式神十二式。
つーことは他に十一体、あの白いのと同じパペットが居るってことか。
んー。どことなしか……。
「夜叉さんに似た体つきをしているような……」
「伸びてますよー。準くん私のほっぺ伸びてますけどー。無視ですかーこれはイジメですかー本当に聞いてませんよこの人ー」
『良く気がつきましたね里原様』
『式神十二式は、夜叉様をモデルの一つに取り入れているのです』
おー、マジか。
そういえばさっきのジャンプも、夜叉さんだったらあんな感じに跳んでいたかもしれん。
いいもんが見れたな。
『では警備の仕事に戻ってください』
ラビットさんに言われ、式神十二式の戦闘パペットはこの場を去って行った。
IDカードを取り戻した社長はクルリとこちらに振り向き、ピンと指を立てた。
『ではお仕事をお願いします。内容は簡単、倉庫と書類の整理です』
「了解です」
「うにょぉ……ぉぉ……」
『了解です』
『了解です』
こうして歩きだしたラビットさんの後ろを、オレ達も付いて行く。
――パチン
ん?
なんの音だ?
音のした方では、死神が涙目で頬をさすっていた。
「ほらいくぞ死神。何やってんだよ」
「………ぇえ!?」
「置いてくぞ」
「〜〜〜〜っ!」
痛でっ!
痛ででででで!
死神は怒りながらオレをポカポカと殴ってきた。
「痛い痛い! わかった! オレが悪かった! 冗談だから許せ!」
「ぬーっ! ほっぺ撫でて!」
「はいはい」
「手、繋いで!」
「はいはい」
死神の手をとり、同時に頬を撫でながら歩く。
め、めんどくせぇ。