宴章【運命繋索~最凶と最悪の再会~】
宴章
準、死神、ケット・シーの去った後。
空間ごと崩壊を始めた旧魔導社に残った惨劇のカタストロフを筆頭とするNo.13は、起源への扉を開こうとしていた。
起源への扉。
それはゼブラ・ジョーカーの創った入り口。運命と時を同時に逆走する空間――通称、運命繋索への入り口だ。
ゼブラという女は10年前、最終戦争ラグナロク終結直前にこの中へ入ったと惨劇は確信していた。この門を開く為に必要なのは莫大なエネルギー。
ゼブラは連れて行った四機の戦略傀儡兵のエネルギーで開いたのだろう。
惨劇はそれを知っていた。
その為に、地獄アジア支部及びヨーロッパ支部、そして天国の魔導高炉から魔導核を奪ったのだ。
鍵となるのは、異界に残された戦略傀儡兵――零鋼。
この兵器は三つの魔導高炉を取り込んだ上に、二機の戦略傀儡兵オーディンとステルストーピードも喰った。
十分なエネルギーを確保したと言えよう。
準が生きられる世界に創り変える。それがこの計画の、惨劇の目的だった……。
だが、準は今の世界を愛し、残った。
ならばここからは、準を救う道を探すのが目的だ。
「始めろ。ゼロ」
惨劇は零鋼に合図した。
双子の姉妹、双百合に支えられた兵器は合図に頷き、自身に搭載されたプログラムを起動。
そのプログラムこそ、ゼブラが全七機の戦略傀儡兵に搭載させた『鍵』であった。
零鋼の胸部分のハッチが開き、露出したレンズから赤外線のようなレーザーが照射される。同じく扉に設置されたレンズにレーザーが飛び込み、零鋼と扉は繋がった。
「……認証ヲ開始。魔導社製戦略傀儡兵一号、零鋼。識別コード送信。第一認証通過。起源ヘノ扉、周囲ニ隔離障壁ヲ展開」
異界と運命繋索とを空間的に遮断すべく、扉の周囲にバリアが生まれた。
「隔離完了。第二認証ヲ開始。零鋼機体内、及ビ隔離空間内生命反応ノ適性ヲ確認。第二認証通過。第三認証――ン?」
「どうしたゼロ」
認証作業中の零鋼が何かを感知したのか、固まった。
「……警告メッセージヲ受信? 内側ノ安全確保ニ保障ナシ? ド、どういウ事ダ」
「扉の中は……」
「危険な状態……」
「って事か」
双百合が二人同時に片眉を上げ、惨劇は腕を組む。
「どうすル、惨劇。運命繋索ノ中で何ガ起こっていルノカ不明ダ」
「クハハハ。愚問だな、俺は世界最凶の称号保有者。そんでこの双百合はどこまでも俺に従う従者。で、お前は世界最強兵器。だろ?」
「何であろウと強行突破か。ヤレヤレ……。最凶ノ配下とイウのは、なかなか面倒ダナ」
呆れるように首を振った零鋼。
「認証ヲ続行スル。開門必要エネルギー量、零鋼保持エネルギー量ヲ比較。認証――通過。第一、第二、第三認証、オールクリア。起源への扉……開門」
扉が振動し、固く閉ざされていた巨大な二枚の板が動き始めた。
――ごうん、ごうん、
と、中の駆動音が響き、双百合は惨劇の軍服の裾を握る。
そんな二人と零鋼の盾となるように最凶の女は一番前で立ち、門の開放を待つ。
『ギュアァァア……ギュアァアアアアア……』
中から聞こえる何かが呻くような音。
「――? ゼロ、双百合、下がってろ」
惨劇は未知の敵に備えて圧力制御孔を弐号まで解放した。
彼女に言われた通り双百合は四肢を失った零鋼を引きずり、後ろへ下がる。
扉が全て開け放たれると同時に――
中から真っ黒な人型の機械が倒れ込むように飛び出てきた。
「!?」
『――グギ……ギ……』
「戦略傀儡兵……〈黒冑〉……カ」
呟いた零鋼の言葉に、惨劇は驚いた。
「何だと!」
黒冑。
ゼブラが消息を絶った際に連れて行った戦略傀儡兵四機のうちの一機である。
たった一機で戦争を終わらせる人型兵器が、まるでガラクタのような有り様で惨劇達の目の前に転がり出てきたのだ。
中で何者かと交戦したのだろうか。
「……黒冑ハ、零鋼の後継機」
這うように零鋼は黒冑に近づき、問う。
「何があっタ?」
『――アガ……ガガガ……ヤヤ』
「黒冑。ソノ姿ハ、最終形態ダナ。他の三機を〈蝕食〉で喰ったのカ」
AIが完全に壊れているのだろう。黒冑は全身を痙攣させるばかりで零鋼の質問に答えられなかった。
そんな弟機の無残な姿に、溜息のようにも思える空気を吐き出す。
おそらくゼブラ達は運命繋索の中で未知の敵と遭遇したのだ。戦略傀儡兵四機でも苦戦し、破壊され、零鋼の兄弟機である黒冑は他の三機を喰って最終形態となった。
それでもここまで壊された。
「ソノチカラ、貰うゾ」
零鋼の背中に搭載された蝕食が、黒冑の背中に搭載された蝕食と共鳴した。
磁石が引き合うかのように零鋼の蝕食は黒冑へ飛んで行き、その身体に突き刺す。
そのまま、零鋼は黒冑を喰った。
凄まじい速度で黒冑の機体が零鋼に取り込まれ、破損した箇所が再生する。
しかも黒冑は他の三機を取り込んだ身体だ。
これで零鋼は全七機分の力を手に入れ、唯一無二の戦略傀儡兵となった。
「ふう……。もう双百合の肩を借りなくてもよくなったな。惨劇、この中は想像以上に過酷だ。気を抜くなよ」
まるで生き物と変わらない零鋼の口調と出で立ちに動揺しつつも、惨劇は頷く。
「クフ、ゼブラ・ジョーカー。10年振りの再会だ。クハハハハハ!」
◇ ◇
戦艦は漂う。
運命を繋ぐ空間でただ、そこにあるだけの物として、動かず。静かに。
戦艦の名は〈ARIS〉。
与えられた脚はもう歩くことはなく。
朽ちることすら許されず永遠の回遊を続けていた。
――ARISは自分を生んだ母、ゼブラ・ジョーカーと共にこの運命繋索へやって来た。
母についてきたのは自分だけではなかった。
四機の、絶大な力を秘めた子供達も母親と一緒にARISの中に居た。
戦艦ARISと戦略傀儡兵達。
創り出されたこの子供達は、争う事を目的として創られた。
生まれた場所では戦争が起きていたが、そこで戦うわけではなかったようだ。
母は、戦艦ARISを始め、戦略傀儡兵の黒冑達にこう言って聞かせた。
“アナタ達をあんな争いに持ち出すだなんて勿体ない。アナタ達には、その力に相応しい相手と勝利と世界を与えてあげましょう”
母はあの世界に未練がなかったのだろう。
母はあの世界はとても弱いと言っていた。
ARIS達には相応しくない、弱い世界だと。
そしてARISは、母と兄弟を乗せて門をくぐった。
世界を超えようとした。
けれどゼブラは、母親は間違っていた。読み誤っていた。
いや……運が……悪かった。
元の世界を離れ、この運命繋索へ入った途端にARISは危機を感知していた。
無論、母にもそれを伝えた。
母は命じる。
“戦え我が子達”と。
ARISも、戦略傀儡兵達も、歓喜した。
早速、敵が来たのだ。
己が力を存分に発揮できる敵が!
母が見ている。良いところを見せなければ。
ARIS達は全力でその敵に――たった一人の敵に立ち向かった。
強力な四機の兄弟を援護し、世界を壊すからと制限されていた圧倒的火力を思う存分解き放った。
ARISも、兄弟達も、それぞれがたったの一機で戦争に勝てると元の世界では謳われていた。
それはデータ的にも、理論的にも、証明されていた事。
しかし一機目の兄弟が爆発し、機能を停止したところでARISは自分のデータを疑った。
敵は、自慢の兄弟を“雑魚”と言い捨てたのだ。
雑魚?
雑魚とは何か。
取るに足らない存在であると、敵はそう言いたいのか?
二機目が断末魔の機械音と共に爆散した時もARISは思考していた。
戦略傀儡兵の運動性能と戦闘モード時の能力を一から見直していた。
何も間違ってはいない。
やはり戦略傀儡兵は強すぎる兵器だ。
そして戦艦である自分も。
データが確かなものだと判断し、三機目の機体信号が消失した時……。
その時になって初めて、ARISのAIは気付いた。
“この敵が、自分たちをも超える強さなのだ”と。
そして最後に残った四機目の兄弟――黒冑は、破壊された他の三機を吸収して力を増した。
さらなる強化を遂げた黒冑でも、自身が敵わないとわかっていた。
故に黒冑はARISと母を助けるため、一機だけで敵の前に立ち塞がった。援護は不要。退却せよと。
ARISは母を守るために走った。
強烈な波動と波動が後方でぶつかり合い、弾け、逃げるARISの装甲板を焼いた。それでも走り続けた。
……黒冑の機体信号が途絶え、間髪入れずにARISは攻撃を受けていた。
スラスターエンジンが全てピンポイントで破壊されている。狙ったのか。
動けなくなった巨体。
敵はそれを少しの間だけ観察すると、小さく笑ってどこかへ行ってしまった。
“視界に入って目障りだった”
そう言葉を残して……。
◇ ◇
「ふうん。こいつは……」
惨劇のカタストロフはその黒焦げた装甲板に触れて呟く。
見渡せど見渡せど果てしない液状の景色が続くだけの空間で見つけた戦艦。惨劇達No.13は、そんな無の中にある巨大な塊をすぐに見つけた。
「おいゼロ」
「アア。ゼブラ・ジョーカーの作品だな。ARISって名前の戦艦ダヨ」
零鋼の返事に反応したのは双百合。
「ゼブラ……!」
「10年前に消えたという科学者ですね!」
「黒冑がやられた上に、ARISマデも。このARISは戦艦としては最強の筈ダガ」
それが黒焦げ。
煙すら上がり終え、ただの廃墟であるかのように佇むだけ。
そんな有様を見た惨劇は鼻で笑う。
「……ケッ。なにが〈クロスキーパー級を十隻並べても敵いませんよ〉だ。確かにすごい戦艦だな。焦げ具合が。クハハハハハ!」
毒づく最凶の女に、零鋼は苦い声を漏らした。
一応ARISは零鋼を含めた戦略傀儡兵の護衛艦。姉妹分だからであろう。
とはいえ戦略傀儡兵たる零鋼に悲しいという感情がある筈もなく。ただただ、同じ傀儡兵として不覚をとったARISや黒冑へ侮蔑含む憤りを向けているだけだった。
この恥晒しが、と。
「さて。俺はこの中に居るゼブラに会いに行くが、お前らはどうする?」
「……零鋼は顔も見たくナイ。惨劇一人で行け」
「え! 私達は……」
「私達も――」
「フン、双百合。お前達は此処デ零鋼と周囲警戒。イイナ?」
ギン、と零鋼のカメラアイが赤く瞬き、双百合を睨む。
此処は一人で行かせてやれという、言葉無き零鋼の意思を二人の少女は読み取った。
「……では、白百合は此処でお待ちしております」
「黒百合もお待ちしております。惨劇様」
渋々と言う双百合の頭に手を置く惨劇。
「すぐ戻る。ゼロと仲良くしてろよ。クハハハハ!」
惨劇は圧力拳をARISの装甲に叩きつけた。
絶対的強固を誇っていた装甲がいとも容易く砕け散り、大穴が開く。
ひらひらと手を振りながら惨劇のカタストロフはその中へと入って行った。
残された少女二人は、ちらりと横に目を向ける。
そこには腕を組んで佇む機械の兵士。
第一形態の頃は喋る事が出来ず、最終形態になった途端饒舌になり、そして黒冑を取り込んだ究極形態とも言える今。今度はなんとなく無愛想になった気がする。
おそるおそる白百合と黒百合は声をかけてみた。
「零鋼……」
「ン?」
「貴方は、私達が嫌いですか?」
「機械に好き嫌いを問うノカ」
愛想のない返答。
「意思を持った零鋼は、双百合に好感を持ってイルよ」
「え……」
「零鋼を起こしてくれたのは双百合ダ。最初にケット・シーと戦わせてくれたのも双百合。直接戦闘命令を下してくれたのは双百合。助けてくれたのも双百合。存在を肯定してくれたのも双百合。それが全て惨劇の為であろうと、零鋼に誇りと感情と強さを与えてくれたのは双百合ダ。だから零鋼は、ゼブラ・ジョーカーを母とは思って居ナイ。零鋼の母は二人。黒百合と、白百合ダ」
ぽかん、と。
双百合は口を半開きにして、想像もしなかった零鋼の言葉に驚いていた。
思えばこの子は――零鋼は、とても生き物らしい育ち方をした。
赤ん坊のように一人では何もできなかった頃は双百合に付いて歩き、ケット・シーという戦友に出会い、双百合に連れられてみるみる成長し、戦友に夢中となるあまり周りが見えなくなり、双百合に反抗して勝手に戦い、やっぱり最後は双百合に助けられた。
無愛想ではなく実は照れ隠し。
ちゃんと零鋼は知っていた。
理解していた。
嬉しくて双百合は目に涙を浮かべた。
◇ ◇ ◇
【最凶と最悪の再会】
「……内部発火か?」
黒焦げた廊下を歩む惨劇の視線は上下左右に向けられ、この惨状を分析していた。
ARIS外部装甲よりも、内部の焦げ具合の方が酷い。
外からの攻撃ではなく、内側で火災があったのだろうか。
「……火炎魔法の類? いや、熱量を弄るパターンだな。にしてもボイルとは趣味が悪すぎる」
溶解したパペットがところどころで壁に融合してしまっていた。
人工の建造物とは思えない変異の仕方だ。機器類はただの鉄塊となり、廊下は天井も床も壁も熱で曲がり、捻じれていた。当然ながら蛍光灯は爆ぜてしまっている。
迷路のように入り組んだ廊下を、彼女は迷いなく進んでいた。
彼女はARISを知っている。その内部図も頭に入っている。
まだ美しかった頃のこの戦艦も、十年以上前に見ている。
故に、ゼブラの部屋へ辿りつくのも時間が掛からなかった。
◇ ◇
「フフ、クフフ、クハハハハハハ。アーッハハハハハハハ!」
最悪の称号保有者。
ゼブラ・ジョーカーは、部屋の中で息絶えていた。
十年振りの再会。
しかし相手の女は既に死んでいた。
「クフ! フフフッ、カハハハハハハハハ! 何だそのザマは……クフハハハハ。あははははは! あはははははははははっ!!」
黒焦げた彼女の、懐かしいシマウマ頭。
テーブルの前で、椅子に座ったままの亡骸。
惨劇のカタストロフは腹を抱えて笑っていた。
人の命を弄び、機械に意思と感情を与える残酷な実験を行い、強大で危険な数々の兵器を異界に遺し、災いを振りまいて消えた女。
そんな女が、
こんな所で、
焦げて死んでやがる。
笑いが止まらなかった。
「さ、〈最悪〉の、クフッ、最期はアハハハ、なんとも情けなくて惨めだなオイ」
最悪の最期。
称号の最期。
それは、
――『最悪はみっともなく』
まさしくその通りの有様。
悪人はそれ相応の罰を与えられるわけでもなく。そして放免されるわけでもなく。ただ永劫、みっともなくて情けなくて惨たらしくて滑稽で恥ずかしい姿を晒し続けるのだ。そんな姿は、更に笑えることに誰にも見られない。
一人で勝手にみっともない姿で、ずーっとそこにあり続けるだけ。罰と言えば罰かもしれないが、本人は罰を受けるわけでもなくそこに魂の抜けた器を遺すのみ。
食事の後、食器を片づけない。食い散らかして食べ残しもそのまま。汚いままで食器をそのまま残す。そんなものだ。
目的は果たせず。死体は真っ黒焦げ。死んだ事を誰にも知られず。
やっと現れた惨劇には、死体を見られて笑われる。
ゼブラ・ジョーカーの死に様はとてもみっともなかった。誇り高き天才科学者であっただけに尚更だ。
笑いを堪えながら惨劇は椅子を引き、彼女と向き合う形で座った。
それから、じっと彼女の、魂の抜けた屍を眺めた。
「……ゼブラ。異界を使い捨てにしようとしたお前は、その異界によって最悪の称号を課されてしまった。称号ってのは、一種の呪いみたいなもんだな。だが、お前のような女をここで食い止めたのは正解だったと思う。お前のした事は罪深い。不要な混沌を招き、災厄を招き……一体何をしようとしたんだ」
惨劇は、机の上にある本に気付いた。
ゼブラは最期の瞬間まで、この本に何かを記していたのだろうか。
高温で焼け爛れた艦内に於いてこの本だけは何故か焼かれてはいない。
「この本……。俺が姉から受け継ぎ、クローに渡り、お前の手に渡ったあの白紙の本か……?」
手に取り、開く。
10年前に見たその本は、全てのページが真っ白でつまらないものだった。
しかしどうだろう。
今、惨劇の手で再び開かれた本には、無数の文字が綴られているではないか。
そしてその文字は一人だけのものではない。何人もの手に渡り、何人もの手が加えられたものだ。
そんな馬鹿な、と惨劇は思わず声を漏らした。
素早くページをめくり、凄まじい速さで目を通し、ぶつぶつと読み呟く。
「馬鹿な。馬鹿な馬鹿な……こ、れ、は……! 運命繋索、起源、扉、並行世界、分岐世界、統界機構、なんだこれは……。全部……全部が記されている!?」
さすがの彼女も驚愕し、狼狽した。
手が震えるのは初めてだった。
「な、なに! これは……こいつはアカシックレコードか!? 現在過去未来が……無限にある世界のそれが全部だと……!?」
パラパラパラパラと、震える指でページをめくっていた惨劇がその手を止めた。
「レター・ダイアリー……? ページが破られている。二枚、いや三枚? どういう事だ、ゼブラはこの本の、この紙を使って、どこかへ手紙を出したのか……? 待てよ、三枚目だけ破り損なった跡が……」
――『依頼主 ゼブラ・ジョーカー』
破り損なった紙の一部にはそう書かれていた。一体何の事か。報酬額とやらも書かれている。
推察するに1、2枚目の紙は手紙で、3枚目はどこかへ依頼を出した。そういうことなのだろうか。
「依頼……依頼と言えば……。破壊業者?」
惨劇に表情があれば、それは茫然とした表情だっただろう。
その顔を上げ、ゼブラを見た。
「そうだ。居たぞ。天国の傘下に入った破壊業者の中で、敵対し、俺達No.13を追っていた少数の破壊業者が! 死神の娘に味方していた破壊業者が! あの連中はゼブラ、お前が……。お前はこの空間から、宴の全てを視ていたのか? 視た後で依頼を出したのか? 時をも行き来できるこの空間から。このアカシックレコードを使って――」
摂理を――運命を――弄ったのか?
「愚かなァ!!」
惨劇は憤怒し、貼り付かれた手から本を引き剥がした。
この本はトラップだ。
この本は意思がある。
「この中に詰まった莫大な知識はお前の脳どころか人格や自我をもパンクさせる量だ! 無敵の俺でさえ今のは危なかった! こいつはお前を使って何かをしでかそうとしていたんだ! そして――それは果たされなかった……。どうやらお前達を襲った奴は、アカシックレコードの力を超え、世界を超える力の持ち主らしいな」
惨劇は頭を振る。
危うくこの本に取り込まれるところだった。運命を弄るという、惨劇にとって絶対の、甘くとろけるようなキーワードで誘ってきた。
踏み止まり回避できたのは……里原準のおかげか。
今ある摂理と運命、世界を愛すると言った準。そして存在理由が準そのものである惨劇。
だから回避できた。
「こんなもん、どうして姉貴は持っていたんだ。どうせ異界で処分できずに困っていたのを、十三年で異界から居なくなる俺に押し付けたってところだろうが……。チィ!」
力強く本の表紙を両手で握り、一気に引き裂いた。
アカシックレコードがゼブラを使って何をしようとしていたのか。
それは惨劇も、何人も解りはしない。
これが元凶というわけではなく、ただ介入し、何かを企てていた。そう、この本は元凶ではない。運命には目に見える起源があってはならない。故にこの本はイレギュラー。
ばらばらに散らばった紙片を踏み躙った惨劇は白い息を吐く。
最悪の女と再び話す事は出来なかった。
「一応お前も、俺の親みたいなもんだったからな……。助けてくれた事実に変わりは無い。それは感謝している。でも俺はお前が大嫌いだ。もう一度会ったら、どんな罵詈雑言をぶつけてやろうかとずっと考えていたってのに。本当に最悪だ」
さようならゼブラ。
さようなら最悪。
惨劇は焦げたシマウマの頭を一瞥してその場を離れた。
運命繋索は何もない空間だが、確かに運命と時を逆走できる。それはゼブラの業が証明した。
しかし。これだけの武力を整えたゼブラでさえも扉から少し遡っただけで、足止めを受けてしまった。故にこんなところでARISが佇み、満身創痍の黒冑が扉から逃げ帰って来たのだ。
生半可な力ではこの空間に存在することは許されないという事だろう。
「クフ、ゼブラの戦艦や戦略傀儡兵を襲ったことに理由なぞないだろう。〈最強〉め」
何もないこの空間だからこそ、異物が入り込めば即座に捕捉されるという事だ。
最強よりも弱い力は存在を許されないのだとしたら、この運命繋索に何もないのは当然か。
最強しか存在してはならない場所。小さな異物も見逃さない。運命を変えるには最強を倒さねばならない。運命繋索は斯くあるもの。アカシックレコードにはそう記述されていた。
ならば、既に惨劇達も捕捉されていると考えるべきだ。
奴が戻ってくる。
最強が新たな異物を排除すべく、此処に戻ってくる……!
(外にはゼロと双百合……まずいな)
――ズドン!
惨劇の危惧とほぼ同じタイミングで、戦艦ARISが大きく揺れた。
外部からの攻撃だろう。この巨体を揺らす攻撃。
相手は間違いなく――最強だ。
「いよいよ最強の称号を圧し潰す時が来たってわけだ」
最凶の称号を返還し、最強の称号を奪う。
そしてアカシックレコードなどという物を使わずとも、己の力のみで運命を変える。
惨劇のカタストロフは嬉々としてARISの中から飛び出していった。
ついに、
最強はその姿を現す。
◇ ◇ ◇
【最強――THE ONE】
無限を知った。
終末を見た。
永遠を歩んだ。
総てを超えた。
故に最強。
世界で最も強き者。
最強が要らぬと云えば其れは消える。
最強が快くないと云えば其れは消える。
最強は理。
最強は絶対。
無双絶対。
◇ ◇ ◇
「電磁結界も形無しダナ……」
攻撃を防ごうと行動した零鋼は、その一手で既に片腕を失っていた。
あんな攻撃、どう防げばよいのか。
最強の兵器と呼ばれ、今や究極の形態になりながらも、零鋼には対処のしようがなかった。
もう片方の腕には二人の少女を抱え、戦艦ARISから距離を置く。
片腕と共に失った愛刀の蝕食は無残に砕け散っていた。
「零鋼……!」
「あれが黒冑達を襲ったという……?」
「……だろうナ」
機械の兵士は首から白い煙を吹き、吐き捨てるように言った。
電磁結界を展開した上、敵の攻撃を蝕食で吸収しようと試みた零鋼。
しかし蝕食では圧倒的に食いきれないモノだった。
ラビット・ジョーカーに化け物と呼ばれた兵器は、視界に入っている小さな個体に同じ言葉を放っていた。
白いローブ。真っ白だ。
フードに隠れて顔は見えない。
背は零鋼や惨劇と比べれば低い、人型。
最強の姿はそれしか分析できない。
だがそんな個体が、零鋼の電磁結界を貫通し、蝕食を砕き、戦艦ARISを弾く程の攻撃を、片手で繰り出していたのは紛れもない事実。一時は最速の称号を手に入れ、真の最速であるケット・シーの速さを目撃していたというのに零鋼はソイツの接近に気付けなかった。
そして奴は、零鋼を歯牙にもかけていないとみえた。
幸なのか不幸なのか。
幸なわけがない。嘗められているのだ。双百合さえ抱えていなければ今すぐにでも再突撃をかましているところだ。
戦艦の装甲が爆発。
中から圧力砲が飛び出した。
惨劇のカタストロフだ。
「惨劇様!」
「御無事で!」
反射的に惨劇のもとへ走り出そうとする双百合を、零鋼が引きとめた。
惨劇の目は最強に向けられている。
そして最強もまた、惨劇を捕捉していた。
「フン。まずは手並みを拝見スルカ」
「あら、それはどちらの手並み?」
「そりゃあ白ローブの方よ。ね、零鋼?」
牙の並んだ顔面装甲の口部分。
それをがぱりと大きく開いた零鋼は、きっと笑っているのだろう。
気付けば零鋼の片腕は再生し、蝕食も背中に備わっていた。以前よりも遥かに高性能なナノマシン自己再生能力だ。
「ギュハ……どちらも。だな」
◇ ◇
「そこの白いローブ。てめえが最強か」
圧力制御孔参号解放。
まずは相手の力を見定めようと、惨劇は拳に圧力を纏い突撃した。
「圧殺鴉闘技……Crush to Death!」
惨劇が間合いの中に入っても動かなかった最強は、ひらりと身を翻して拳をかわした。
波打つ白いローブ。そのフードの下に少しだけ見えた口は、なんとなく、笑っているようだった。
惨劇の圧力拳打はまだ終わっていない。彼女のもう一つの能力、分離能力で肘から切り離し、最強を追撃した。
さらにもう片方の拳にも圧力を纏い、追撃の圧力拳打〈Squeeze to Death〉を放つ。
惨劇の圧力能力は変幻自在。大砲として打ち出す事もできれば格闘補助にもなる。加えて分離能力が組み合わされば、それは凄まじい威力と連撃性能を備えた攻撃。
――最強の左右両側から挟み込むように拳が飛ぶ。
避けたとしてもプレスキャノンの連射で仕留めるだけだ。
自分の圧力で壊せなかったモノが無かっただけに、惨劇はそう戦略を立てていた。
故に、彼女の戦略は崩される。
『ふふ』
小さな笑い声を零した最強は左右の手を上げ、惨劇の拳を受け止めた。
「――!?」
止められた事にも驚いたが、惨劇はそんなことすらも吹き飛ぶ衝撃を受けた。
拳が砕けそうな痛み。
無敵の身体が軋んでいる。
最強に掴まれた両拳が痛む。
無敵である惨劇に、痛みを与えてくる。
つまりこいつにも無敵の身体は通用しないということ。
何故だ? と惨劇は混乱した。
言葉を失う惨劇の前に二つの拳を投げ返した最強は、くすくすとまた愉しげに笑った。
そして初めて口を開く。
『やっぱり貴女は、ここに来ていたのね』
滑らかな女の声。
最強という称号を持ちながら簡単に掻き消されそうな繊細な声色。
『私にとっては、とてもとてもお久しぶり。貴女にとっては、それほど久しくもないでしょう』
「……何?」
青い瞳の放つ視線がフードの下から惨劇に向けられる。
惨劇という女の視線は、その視線に絡み取られ、吸い込まれた。
――こいつは最強に相違ない。
一回の視線交差で惨劇には解ってしまった。
闘気殺気覇気それら総てを含めてこいつは常軌を逸している。
誰より強いとか、そういう次元ではない。比べるものが無い程の高みに居る。
己の視線を吸い込まれた最凶は、自分でも気付かぬうちに後方へ下がっていた。
(今、久しぶりと言ったのか? 一体こいつは――)
『一体私は誰なのか。なんて思っているの?』
「――っ!」
最強の目の前でギュルギュルと空間が捻じれる。
二本の、深紅深緑の棒が現れる。
その二本は螺旋を描くように、まるで蛇のように巻き付き合い――
それは巨大な鎌になった。
『ふふ、あはははは』
鎌を握りしめた最強は大人びた声で笑う。
そして――その白いローブを一気に脱ぎ去った。
輝き、流れ、溢れる長い金色の髪。
引き締まった細身の身体。
豊満な胸。
「………っ!?」
その顔立ちに、惨劇は見覚えがあった。
だが肉体年齢が違う。容姿が違う。
あの娘は齢十五に満たなかった筈。
そして目の前の女は――確実に成人を迎えた姿だ。
それでも……間違いなく、この女は……。
「お前は……あの死神。ロシュケンプライメーダ……なのか?」
青の瞳。金の髪。見覚えのある顔。
そしてなにより、忌み嫌った死神一族の匂い。
惨劇にそう呼ばれた最強の女は大鎌を肩に乗せ、優雅にくるりと回った。
スカートの端を指先でつまみ、その整った身体つきを見せつけながら会釈。
『そんな名前で呼ばれていた事もあったわね』
殺気と色気の混じり合った魅惑的な声で、
女は滑らかな自己紹介をした。
『改めてお久しぶり惨劇のカタストロフ』
「どうしてお前が……」
『私が最強の称号保有者〈ロシュケンプライメーダ・ザ・サクリファイス〉。犠牲となった唯一の女』
最凶。惨劇のカタストロフ。
その前に立ちはだかった最後の敵。
最強。ロシュケンプライメーダ。
『始めましょう最凶』
――最後の戦いを。
――最後の塵始末を。
――最後の大舞踏会を。
『あははははは! あっははははははははははははははは!!』