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新章 【違ってしまった唯一の彼女】


――崩壊した理由は……たった一つの大切な欠片が見つからなかったから。

――なにもかもが元通りになって欲しいって。

――私は願ったよ。

――でもね、何かが欠けていたの。

――それは私にはきっと、どうにもできないモノで。

――それでも“他の私達”はその欠片をちゃんと持っていて。

――“私”だけが、与えられなかった。

――それって、すごく理不尽だと思った。私だって最愛なのに。


――どうして?


――どうして私だけが。


【新章 違ってしまった唯一の彼女】



 ◆ ◆ ◆




「里原とロシュとケットシーは、まだ見つからないみたいだな。破壊業者」


 病室のベッドで半身を起こした閻魔は、同じ病室に集まった面々に向かって言った。


「うん。一応、僕も直接機動歩兵を使ってクロスキーパーが沈没した海域を調べてはいたけれど……。生命反応は感知できなかった」

 そう答えるのは、韋駄天という名の少女。

 韋駄天の隣には、もう一人少女が立っていたが、その子は暗い表情で俯いており閻魔も状況報告を問い掛ける気にはなれなかった。


「里原の妹……神楽といったな」

「………」

「今回の件、ロシュ達の護衛を務めてくれたようで感謝している」

「わ、わたしは……ほとんど、何もできなかった。一番よく働いてくれたのは……ベルだから……」


 ベル。

 ベルゼルガ・B・バースト。

 クロスキーパー脱出の際に、拠点制圧用大型兵器“龍怒”の妨害を受け、たった一人でそれを食い止めるべく残った男。そして、クロスキーパーと共に海へ沈んだ男。

 その名前を聞いた閻魔は、ふうむ、と息を吐いた。

 韋駄天。タイタン。ベルゼルガ。そして神楽。

 過去に起きた魔導社襲撃事件の際、ジャッカル・ジョーカーに雇われて敵に在った者達。閻魔もその名前は知っていたし、各々の実力も十分把握している。

 そして今回起きた惨劇の宴では、ジャッカル共々、心強い味方として大いに役立ってくれた。

 ジャッカルとベルゼルガと神楽が居なければ、少年吸血鬼と死神少女は命を落としていただろう。

 タイタンが居なければ、負傷者を多く抱えた病院は燃やし尽くされていただろう。

 韋駄天が居なければ、ラビットとジャッカルは海中に沈み、クロスキーパー脱出もままならなかっただろう。

 まともに動けなかった閻魔にとって、彼らの功績は心底感謝すべきものであった。


「惨劇達No.13と共に亜空間へ消えた里原達の捜索は、今後とも宜しく頼む。あの海域で消えたのなら、同じ場所に戻ってくる確率は高いだろう。あそこは天国の領域だから、あちらにも一応、連絡は入れてある。まあ……今回の件は特殊だから、天国側も地獄への謝罪を後回しにして捜索を優先するように言ってある」

「君達は――地獄は、天国を許すのかい?」

「……それしかあるまい。実際、現在の地獄は三支部が機能停止状態。アメリカ支部だけでフル稼働しているヤバい状態だ。同じ魂管理業である天国の助け無しじゃあ復興は厳しい。そりゃあ俺様自身、あのグングニルで多くの者を消し去られて、憤怒極まりない。だから、天国には自分達で自分達のしでかした業の重さをその目と身体で直接見て触れながら、後悔してもらいたいと思っている。真の平和を望むが故に兵器無き世を創ろうとしたフライヤ達なら、その心に受ける痛みはきっと甚大だろうよ。自分達が正義と銘打って切り捨てた物の尊さを心に刻み込ませるさ。俺様達の事は俺様達でなんとかするとして――、お前達破壊業者はどうなるんだよ?」


 破壊業者は全て天国に雇われ、クロスキーパーに散った筈。


「僕達破壊業者は案外タフでね。大半はクロスキーパーで果てたけれど、それでも……生き残りは居たんだ。なにもイーグルやベルだけが破壊業者のエースじゃない。あの二人と肩を並べるようなエース連中だって居るに決まってるじゃん」

「フハハハハ、なるほどね。無人兵器の波と大型兵器の壁をもぶち壊して脱出していた破壊業者は居たってことか。まだまだ破壊業者は潰れそうにねえな……厄介な話だ」


 韋駄天と閻魔は互いに笑い合い、少女の方は神楽の手を握って部屋から出ようとした。

 が、それを呼びとめる。


「捜索と、もう一つ頼みたい事がある」

「僕に?」

「いいや。お前じゃなくてそっちの――神楽の方にだ」


 立ち止まった神楽が、暗い表情のままちらりと閻魔を見る。


「私……?」

「おう。そっちの韋駄天にゃ機動歩兵で捜索にあたってもらわないといけねえからな。で、頼み事なんだが……。実は海域調査をしていた天国からふとした情報を耳にしてな」

「何?」

「なんでもクロスキーパー沈没地点から北へ80キロメートルの海岸で、漁師から通報があったらしいんだ。“馬鹿デカい機械の海蛇を相手に丸三日くらい一人で戦争やってる馬鹿野郎が居る”ってな」

「……馬鹿デカい機械の海蛇……馬鹿野郎……?」


 神楽の目が、だんだんと見開いてゆく。


「それって……!」

「さあな。俺様もよくわからん。だからお前に調査を頼みたいんだ。行ってくれるか?」

「行く!」

「フハハハハ! じゃあ頼むわ。漁師の話じゃ近づくもんには区別なしに攻撃してくるイカレ野郎らしいから、一応二人くらいの護衛はつけとく。お前の仲間のタイタンは火傷負ってるから潮水や潮風はちとキツいだろうしな」

「早速出るわ! 魔列車の手配を!」

「お、おう」


 急に生気を取り戻した神楽に、閻魔の方が驚いていた。

 意気揚揚と病室を出て行く神楽と、慌ててその後を追う韋駄天。

 二人を見送った閻魔はというと、やれやれと息を吐き、傍らにある台から小さな箱を手に取った。

 ――煙草である。


「煙草は身体に良くないですよ、閻魔殿」


 箱から一本取り出したところで、部屋の壁から男の声がした。

 次にゆらりと壁が揺れ、黒い般若面を顔に付けた男が閻魔の前に現れる。

 閻魔はがっくりと肩を落とした。


「夜叉、お前なぁ。覗き趣味はほどほどにしろよ」

「アジア支部復興の指揮に就いている白狐殿に代わって、某が閻魔殿の監視……もとい監視をしなければ」

「それ言い換えてねえから」


 夜叉は背中に長い刀を背負い、腰には二振りの刀を差していた。

 白と銀の着物に黒い般若面。物々しい姿になったものだと、閻魔はぼんやりと眺めて思った。


「まあいいや。おい夜叉」

「なんでしょう」

「お前、新しい部下が二人できたろ。そいつらちょっと貸してくれないか」

「あの二人は……復興中のアジア支部護衛にあてるようにと閻魔殿が指示を出したではありませんか」

「ん、そうだったか。じゃあ変更で」

「いやいやいやいやいや。侵入する魔物から崩壊した地獄旅館を守る者が居ないと危険です」

「それはお前に任せる」

「へ?」

「頑張ってくれ。鬼客さん」

「一人で!?」

「お前の兄貴なら、きっと澄ました顔で“フン、容易い……”と言って引き受けるだろうけどなぁ」

「……承知しました。では、飛沫と鈴女蜂については閻魔殿にお任せします」


 渋々と返事をして、夜叉は再び壁に溶けた。

 やっと病室に一人になった閻魔は満足げにもういちど煙草の箱から一本取り出し、口にくわえた。

 彼が禁煙を始めたのはいつからだったか。本人も覚えていないくらい昔だったような気もする。

 なんとなく始めたものだったので、解禁もまた、なんとなくだ。


「ま、手並みを拝見してから。ってな」


 紫煙を吐き、天井を眺める。

 そしてにたりと笑みを浮かべる。

 まるでそこに――聞き耳を立てていた鼠が居たのを確認したように。満足げに。野心的に。地獄の大将は笑っていた。

 この煙草一本を心から愉しむために、こうまでしなければならない自分の立場に自嘲しつつも、そうで在る自分を悪くないと思う自分が居る。


「早く帰ってこい。里原、ロシュ、ケットシー。楽しい楽しい、笑いある宴を開こう」



 ◇ ◇ ◇



「ひっひひー。聞いたでありんすか?」

「聞いたよぉ。落ち着きを取り戻しつつある異界で、まぁだ戦争やってる奴が居るってさぁ」


 小柄な女と、背の高い女。

 二人はニタニタと口元を緩めながら、病院の廊下を猛スピードで駆けていた。

 そんな彼女達を叱り飛ばす看護師は居ない。というより、看護師には彼女達を感知することができないだろう。廊下の、それも天井を走るこの女二人は……忍なのだから。


「夜叉兄ぃから命令が下るまで待ってらんないでありんすよ」

「護衛だなんてつまらないからねぇ。あたし達が先行して、そいつを抑えりゃ済む話さねぇ」

「飛沫、実は刃を交えたいと思ってるでありんしょ」

「察しが良いねぇ鈴女蜂ぃ。大丈夫さね殺しゃしないよぉ。夜叉兄ぃとの約束だからねぇ」

「場所は把握したし、このまま直行でありんす!」

「あっはははははぁ。ええと、どこだっけ?」

「……」

「……」

「お前置いて行くでありんす」


 鈴女蜂はスピードを上げた。


「ええええええぇ! ちょぉ、速いよ鈴女蜂ぃ」


 瞬足の二人は、入り組んだ病院の廊下を風のように駆ける。

 看護師の頭上を駆け抜けた際にその風圧でナース帽が飛ばされ、何が起こったのかと驚く姿を尻目に、《刺客》鈴女蜂と、《血客》飛沫はそのまま解放された窓から外へ飛び出したのだった。


 この二人は元狩魔衆上忍。

 しかし狩魔はもはや無い。多くの上忍は消え、彼女達は夜叉の部下として地獄に所属することとなった。

 殺人者プレイヤーとして闇に生きていた彼女達を召し抱える事に、閻魔は別に嫌な顔をしなかった。既に彼の部下となっている夜叉も、元はといえば狩魔衆だからだ。そして彼女達の手腕も知っている。そしてなにより――修羅という狩魔衆御頭から、宜しく頼むと言われ、水に流したのだから。

 飛沫と鈴女蜂は、10年も離れていた夜叉とようやく共に過ごす事の出来る新たな場所を手に入れたのだった。

 とはいえ二人の御転婆おてんばぶりはなかなかのもの。

 今のように夜叉の監視下から飛び出してしまうことも。

 強き者を求める狩魔忍者の精神と、彼女達自身の旺盛な好奇心。それは今後も夜叉の頭を悩ませることになるだろう。



 ◇ ◇ ◇



 それからしばらくして――

 飛沫と鈴女蜂は、クロスキーパー沈没海域からかなり北に位置する海岸にやってきていた。


 魔列車に潜入するのもお手の物。どういうわけか都合の良い事に、魔列車のとある車両は天井が抜けていた。

 二人は変な車両だと思った。横の壁は簡単な修復が施されていたし、天井には大穴。そこから素早く車両の屋根に移ると、鋭利な刃物で切られたかのような亀裂や、銃弾の痕が残っていた。誰かが争ったのだろうか。彼女達にはわからないが、ともかく屋根の上に居座り、のんびり加速空間を抜けてきたというわけだ。

 というか無賃乗車である。

 そんなことは露ほども気にせず、魔列車から降りた二人は漁師から通報のあった海岸へ足を運んでいた。


「……これは」

 周囲の景色を見回した鈴女蜂は息を呑んだ。

 “破壊され尽くしている”。

 一面の砂浜は、一見そういう地形なのだと思えてしまうが、そうではない。

 ここは――確かに崖だった筈なのだ。

「一体、ここでどんな抗争があったんでありんすか。これじゃあまるで――」

「――まるで大空襲を受けた跡、だねぇ。それにしてもどれだけの爆薬を使えば崖が砂浜になっちまうんだぁい」


 ゆらゆらと揺れ、そしてへらへらと寝ぼけたような表情で立っていた飛沫は、着物の裾をたくし上げてその場にしゃがむ。

 粉微塵になった砂を手に取り、そのニオイを嗅いだ。


「ふぇっくしょい!」

「何がしたいでありんすかお前は!」


 鼻をむずむずとさせながら、飛沫はしかし、急にその表情を変化させた。

 いや、傍目には解り辛いが、眠たそうな目が若干鋭くなっている。


「……硝煙の混じった砂と、混じっていない砂。盗み聞きした話の通り、馬鹿デカい海蛇ってやつは居るみたいだねぇ。崖だったこの場所は火器だけで破壊されたわけじゃあないようだぁ」

「んなアホな、でありんす。爆弾で粉微塵になったのならまだ納得できるのに。それじゃあまるで体当たりや素手で破壊したような言い方でありんす」

「そういうこと。さねぇ」

「……んなっ」


 すくりと立ち上がった飛沫は目を左右に動かす。

 こいつぁ、とんでもない化け物を狙いに来ちまったよぉ。と、軽く二回ほど舌を打ってぼやいた。


「鈴女蜂。槍を出しておいた方が良いよぉ」

 言いながら、彼女も自分の指をカリ、と噛んで少量の血を流す。

 その指先でなにやら文字を描くと、その手に大きな刀の柄が現れた。

 ずるり引き抜かれたのは――巨大なノコギリ。

 飛沫の愛刀、《血刀・鋸戯璃のこぎり》だ。

 それを見た鈴女蜂も背中に背負っていた長い袋を取り出し、分解していた長槍を素早く組み立てた。愛槍、《刺刀・金剛貫こんごうかん》。


 異様な静けさ。

 潮風すら、この一帯を恐れているかのように吹かない。

 波も荒れていない。

 なのに、飛沫と鈴女蜂は既に強烈な殺気の中に入り込んでしまっていた。

「ふぅん……来るよぉ」


 ――砂浜が生き物のように盛り上がった。


 ――雷鳴の如き機関砲の射撃音が鼓膜を激しく叩く。


 その音に紛れて、血客と刺客は確かに聞き取った。

 狂ったような笑い声を。

 決して狂っていない、笑い声を。


『ギャハハハハハハハハ!! デストロイデストロイ! デストロォォォォォイ!!!』


 巨大な――機械の龍に乗っかり、戦っている赤い髪の男。

 その男こそ、破壊業者の局地・銃撃戦闘教官。

 《最狂》の称号保有者。

 ベルゼルガ・B・バーストだった。



 ◇ ◇ ◇



【機械龍 vs 狂人 vs 血客・刺客】



『オラァァァアアアアアア!!』


 所どころが破れ、砂まみれの黒いレザージャケット。

 それを着た男は暴れまわる機械の龍にしがみつき、その堅固な装甲を何度も何度も拳で殴りつけた。

 機械の龍は、いくつものコンテナを連結させた長い身体をうねらせて砂浜を縦横無尽に暴れまわっている。コンテナ一つ一つには無数の砲台や機関砲が備わっており、この上ない重武装で固められていた。

 その針山のような砲塔にしがみつき、拳打を見舞いまくる男。

 拳はなんと装甲を貫通した。凄まじい怪力だ。

 さらにコンテナの内側から太いパイプやコードを引き摺りだし、千切った。


「飛沫、どっちに加勢するでありんすか!?」

「どっちもないさねぇ! 両方狩るのさぁぁあああ!」


 その鬼気迫る戦いを目撃した飛沫は居ても立ってもいられなくなった。

 ノコギリを肩に乗せ、猛烈な気迫を纏って機械龍とベルゼルガに突進して行く。

「正気の沙汰とは思えないでありんすなぁもう!」

 仕方なく鈴女蜂も、鈴の付いた槍をクルクルと回し、飛沫に続いた。


『ギャハハ! ギャハハハハハ! くたばりやがれこのクソったれがああああああ』


 男――ベルゼルガは、彼を狙って銃弾を連射する機関砲の下にもぐり込み、その砲身を力いっぱい両手で握り、肩に担いだ。

 メキメキと腕と脚の筋肉が隆起。彼特有の骨格が浮き出る程。

『おおおおおお……!』

 怪力も怪力。

 連射を続ける機関砲は火花を上げながらコンテナから引き剥がされたのだ。

 そのままベルゼルガは、先ほど開けた装甲の穴に砲身を突っ込む。

 瞬く間にコンテナは内部から大爆発を起こした。

 だがまだ終わりではない。

 幾つも連なるコンテナを、一つ破壊しただけなのだ。

 次のコンテナ破壊に掛かろうとするベルゼルガだったが、そこで彼の視界に異様なモノが入って来た。

 ここで初めて彼は、二人の存在に気付いたのだ。

 機械龍――龍怒の弾幕を軽やかに掻い潜り、いとも容易く、そのコンテナに張り付いた飛沫と鈴女蜂に。

 第三の敵。

 ベルゼルガはそう判断した。


「あっちも気付いたねぇ」

「一番槍はあちきが貰うでありんすよ!」


 とんとんと砲塔を足場にして飛び移り、しかしスピードを落とさない。

 ベルゼルガは突っ込んでいた機関砲を引き抜くと、今度は向かって来る鈴女蜂へその砲塔を向けた。

 弾幕は鈴女蜂に当たらない。

 一本の槍が如き軌道で、一点突破の鈴女蜂。彼女の速さは狩魔衆随一。

 そして――ベルゼルガは鈴女蜂を見失った。


『くっそ! 速ぇ!』

「あちきの縮地の前では銃弾は遅すぎるでありんす!」


 槍を握った右腕ごと、右肩を引いた状態で間合いを縮めた鈴女蜂。

 機関砲の狙いは全く彼女を定められていない。

 高速移動術・縮地からの二段加速。

 右肩を、前に。

 右腕を、前に。

 槍を、前に!


 ――シュパァン!

 あまりの速さに槍の切先が音の壁すらも突き破った。

 槍は確実にベルゼルガの喉を貫く軌道だった。


『シィィィィィ……』

「馬鹿な……」


 ベルゼルガは、その軌道を逸らした。

 己の手刀で槍の切先を滑らかに流したのだ。


『少し……しくじった』


 ベルゼルガの指先から肩へ一本の浅い切り傷が生まれ、血が噴き出した。

 素手で、鈴女蜂の刺突を流した。

 標的を外した鈴女蜂は動揺こそしたものの、反撃を避けるべく突きの勢いを利用してベルゼルガの隣を抜けた。


「休む間もなくあたしの番だよぉおおおおお!」

『――っ!』


 怪力なら飛沫も負けない。

 大きく横薙ぎに振るったノコギリはコンテナから伸びた機関砲や大砲の砲身を圧し折りながらベルゼルガを襲った。

 ジャンプしてなんとかノコギリの横一閃を回避したものの、空中に逃げたのは失敗だ。

 飛沫はノコギリを砲塔の一つに引っ掛け、その遠心力を味方に身体ごとベルゼルガの横腹へ飛び蹴りを打ち込む。

 男の身体はコンテナの装甲をぶち破り、反対側の装甲もぶち破った。

 つまり、蹴りを喰らった威力でコンテナを突き抜けてしまったのだ。


 白目を剥きかけたところでベルゼルガは意識を取り戻し、砂浜に着地。

 口元の血を拭った。


『なんつー身のこなしをしやがる……。出鱈目に見えるが、そうじゃねえ。柔軟性、反射神経、共にホンモノだなデストロイ畜生め』


 ベルゼルガに休む暇は与えられない。

 撒き上がる砂埃が猛スピードでこちらへ向かって来る。

 遠距離から縮地で接近してくる鈴女蜂だろう。 


『あっちはあっちで《最速》並か。くそう、デストロイ厄介な連中に絡まれた。ベソをかきそうだぜ』


 おまけに暴れる龍怒も相手をしなければならない。

 まさに三つ巴の大混戦といったところだろうか。


――チリン、チリーン……。


 鈴の鳴る音が……ベルゼルガの背後で聞こえた。


「烈突!」


 チィィ! と大きく舌打ちをしながら男はバック転。両袖から隠していた拳銃を取り出し、握った。

 巨大で堅固な龍怒には通用せずとも、この女達になら。

 ベルゼルガの拳銃の弾は実弾。

 彼は呪詛で無限に弾丸を生みだす事の出来る“タタリガミ”というシステムを持っていたのだが……。今はもう使えない。

 波打った彼のレザージャケットの裏に、装飾のようにずらりと並んだマガジンが見えた。

 使う機会は無いと思っていた。

 だが、今、彼の前に突如現れた二人の女は――使うに値する。

 素手では勝ち目はなく、彼本来の戦闘スタイルである銃撃戦闘術を行使する他に道は無いと判断した。


『跳弾させられるオブジェクトは……無いか』


 周囲は一面の砂。

 得意の跳弾術も披露できそうにない。その間にも、鈴女蜂の槍は彼を襲う。

 

 一方の鈴女蜂は、己の連突を回避できるような男を相手に余裕を見せたりしない。

 先程、縮地の間合い詰めから繰り出した神速の突きをも紙一重で凌ぐような奴だ。今は押しているが、油断すれば一気に形勢が逆転するだろうことも重々承知している。

 だからこそ、彼女は縮地による高速移動を絶やさず、且つ長槍の間合いを保っている。

 鈴女蜂一人で仕留めるには少々どころかかなり骨の折れる獲物。

 よってここは――相方と連携をとらねば。


「飛沫!」

「あいよぉ!」


 龍怒のコンテナが……三つ同時に爆発し、その巨大で長大な体躯は地面に叩きつけられた。

 砂煙の中からユラリと着物姿の女が現れる。肩に乗せた大きなノコギリには、断ち切られた龍怒の細いゴム管や導線が絡みついていた。

 拳銃を指先でヒュンヒュン廻すベルゼルガの視線がそちらに集中する。

 そう。

 鈴女蜂も厄介だが、真に問題なのは……このノコギリ女だった。


 右手の拳銃を槍女へ。

 左手の拳銃を鋸女へ。

 挟まれる形で位置しているベルゼルガは、まず左手の引き金を引いた。

 鈴女蜂へ撃ってしまうと、彼女は縮地で避けるだろう。それもただ避けるだけではなく、前方加速でだ。回避直後、そのまま槍で連突を繰り出してくるのは容易に想像できる。

 だからベルゼルガは、まず飛沫を狙った。

 速さは鈴女蜂ほどではない女を。その眠そうな顔を狙い撃った。


「……」


――キュイン!

 これは弾丸が弾かれた音だろうか? 

 いや違う。


 “弾丸が一瞬で噛み砕かれた音”だ。


『ヒュゥ。やるねぇ着物女』

「……冗談じゃないよぉ」


 銃弾を歯で噛み取る芸当を見せた飛沫は、口の中で転がした鉛の塊をペッと吐きだす。

 そんな彼女の口調は曇っていた。


「三日三晩この大きな機械のヘビと戦い続けてさぁ。こんなに精密な射撃ができるなんて目を疑うよぉ。あんたの体力は無尽蔵かぁい。と、聞いても本当の事は喋らないだろうねぇ。気力が体力を凌駕しているとか、そんなとこだろぅ」

『……』

「あははははぁ、あんた程の男がそんなに生きる事に執着する理由が知りたいねぇ」

『……帰るって、約束したからな』

「はぇ?」


 ぼそりと呟いた男。勿論飛沫の聴覚はその言葉を聞き取ってはいた。彼女が呆気に取られたのは、この男が何かの約束の為に戦っているという事が意外だったからだ。

 最初から飛沫は感じ取っていた。

 この男は狂気の中を生きてきた男であると。

 その強さも、信念も、存在意義でさえ狂気に由来していると感じていた。

 それが――約束だと?

 見誤ったか?

 この狂人を定め損なっていたのか?

 いいや違うね。


「どこかで狂道から外れたねぇあんた。阿修羅道からあんたは既に引き摺りだされている。一筋縄じゃいかないわけだぁ。兄ぃ達と同じ匂いがする……。鈴女蜂、この男はただの狂人じゃないよぉ」

「まさしく……。武人でありんす」

「ならば、この戦い……」

「負けたくない……でありんす!」

「あたし達は、兄ぃを超えたいからねぇぇぇ!」


 砂に埋もれていた龍怒が飛沫の背後から飛び出し、その巨体でできた影が彼女を覆う。


 ……ベルゼルガは目を疑った。

 天高く長い身体を伸ばしたコンテナの連鎖が……。

 てっぺんから一刀両断。

 悲鳴のような鋼の擦れる音と、断面から迸る火花を巻き散らし、巨大な機械龍は砂浜の一部と化した。


『デストロイこの野郎。俺の獲物を……!』

「あんたの三日三晩は、あたしの一太刀と同等かそれ以下ってことさぁ!」


 ぶるぶると男の腕が震える。

 言ってくれるじゃねえかと。


「縮――」

『らぁあああ!』


 男が動揺した隙を寸分なく突いて接近した鈴女蜂が、拳銃を握った裏拳をモロに顔面に貰って吹き飛んだ。

 縮地の速さに付いてきた。

 それどころかタイミングを完璧に合わせて打撃を打ち込んできた。

 砂の上を転がった鈴女蜂は素早く体勢を立て直し、口に溜まった血を吐き捨てる。

 そこへ間髪入れずにベルゼルガは銃弾を撃ってきた。

 狙いが鈴女蜂へ移った瞬間、飛沫も駆け出す。

 勿論ベルゼルガはそちらも警戒していたわけで、片腕を接近する着物姿へ向けて連射。


「鈴女蜂やっちまいなぁ!」

「承知!」


 鈴を鳴らし、男の脚へ槍を突き出す。

 武器破壊の要領で男は上から槍を踏みつけたが、それこそが鈴女蜂の狙い。

 槍は囮。本命は――己が身体そのもの。


「あちきの縮地を〈あの程度と思うな〉でありんす」


 なんと砂埃すら上がらず女の身体が消えた。

 これが《刺客》鈴女蜂の速さ。

 そして速さの妨げとなる槍を手放した彼女の遺された唯一の武器は自分の身体。

 威力を一点に集中させた肘突きで仕留める。


(肝臓部分を貫いて終わりでありん―――)


『ギャハハ。生憎、俺の骨格は特別製でね』


 鈴女蜂の肘は内臓を貫くことができなかった。

 人体ではありえない、堅いプレートがベルゼルガの体内にはあった。

 必殺の一撃をしくじった鈴女蜂の背中に重い衝撃。

 ベルゼルガが両拳を振り下ろしていた。


「が、ぅ、なんでありんすか……その……骨格は……」


 足から力が抜け、砂の上に倒れた。


『危ない危ない。今のは全く見えなかった。完全に運だな』

「運も実力のうち。でもあたしにゃ通用しないよぉ」

『――っ!』


 ノコギリが上からベルゼルガを襲う。

 両手の拳銃で刃を挟むように抑えたものの衝撃は伝わる。

 衝撃に耐えられなかったのは砂の地面。爆発音と共に男の足元が弾けた。


「これ、あたしの大事な鈴女蜂を傷付けた分だからねぇ」

――ズドゥ!

 と、ベルゼルガの鳩尾に強烈な膝が入った。

『う゛ごぉ……』

 強固な骨格が折れる音。

 異常なタフネスを誇るベルゼルガであっても、さすがに今のは効いた。

 強靭な筋肉と堅牢な骨格を搭載した彼の身体がくの字に曲がり、宙に浮かされたのだ。それは飛沫の脚力の強さが異常を通り越していることを示していた。

 更に浮かせた身体を蹴り上げ、飛沫の空中連撃が炸裂。


「《血塗阿弥陀ちまみれあみだ》」


――ざくざくざくざく。

――ザクザクザクザクザクザクザク。

――斬紅斬紅斬紅斬紅斬紅斬紅斬紅斬紅斬紅。


『………が、あああ!』


 大きなのこぎりは軽々と振り回され、ベルゼルガの宙に浮いた身体を絶え間なく斬り裂いた。

 下から斬り上げる飛沫の顔に、ベルゼルガの血滴がボタボタと降り注ぐ。

 常人より皮膚まで固いのだろうか。斬り辛いように思える。

 彼女は斬る速度を上げることにした。


――ざしゅしゅしゅしゅしゅ!


 華麗な刀捌き。

 まるで刀芸のよう。

 血を全身に浴びる飛沫は恍惚の表情で笑っている。


 そしてベルゼルガも笑っていた。


『てめえ、殺人剣を封印したのか』

「……!?」


 ごん。

 飛沫の顔に拳がめり込んだ。

 そのまま仰け反って地面に倒れる。


「痛いねぇ」

『今の技。殺人剣としてなら確実に俺を殺せていたかもな。だがてめえは、どこかで俺を殺さないようにしようとしていた。自分でも技のキレが悪いと感じただろ』

「あららぁわかったぁ?」

『てめえも俺と同類……だな。狂人だろう。しかも質の悪い、斬殺魔とか、そんな感じの』

「ふふ」

『でも今はちょっと違うな。斬殺魔らしく身体を必要以上に痛めつけ、細切れにするのが目的の技。斬殺した死体はミンチバラバラ。そんな悪趣味な技。それを殺さないように抑えようとする様が見て取れた。さっき俺に言ってたように……てめえも阿修羅道から外れた奴だな』

「……好きじゃないねぇ。そういう詮索」

『てめえに俺を殺す気はない。そして俺とて、てめえらを殺す理由もない。だがなぁ……いきなり戦闘に割り込んできた挙句、人の獲物を横取りしたんだ。殺す気で掛かってこねぇと、デストロイされるぜ』


 腕力だけで飛沫は倒れた状態から逆立ちになり、脚を振った。

 男と女は互いに一定の間合いを位置取り、しばし睨み合う。


「あんたは魔じゃない。だからあたしは不殺を貫くよぉ。あんたの為じゃない。あたしの為にだ。あたしはこれからも自分と闘うんだ。そして、その上で兄ぃを超えるんだよぉ」

『まあ。なんだっていい。俺は俺の役目を果たすだけだ。理由なんざ無くとも、強いやつと強いやつが鉢合ったんだ。とことんやって、勝って……破天荒んトコに帰る。それが今すべき、俺の戦いだ』


 飛沫は片手で握った大きなノコギリを縦へ横へ、勢い良くぶん回す。ブォンブォンと風を斬る音と血客の闘気を放つ。

 対するベルゼルガも二丁拳銃をクルクル回す。それが彼の精神統一。

 陽の昇る砂浜。

 血客の溶ける闇は無い。修羅直伝の忍術、闇遁は使えない。

 破壊愛好家も満身創痍。タタリガミは使えず、体力も底をついていた。


 故にこの勝負、互いの持つ本来の身体能力と精神力が物を言う短期決戦。


 先に仕掛けたのは飛沫。

 ノコギリを砂の地面に這わせながらの突進。そこから砂を巻き上げながら大きく刀を振り上げた。

 得物の大きさ故に、当然身体の動作も大きい。

 その隙を見逃すベルゼルガではない。素早く双銃を構えて連射しつつ、彼も飛沫へ突進した。


『ハァァァァ!!』

 銃捌きが光る。

 トリガーを引いてニ発撃つと、飛沫はノコギリを盾に。

 その動作をバネに跳ねあがり回転踵落としを振り降ろしてくる飛沫。

 その柔軟性を一度見ているベルゼルガは腕を十字に交叉。空中の標的を狙い撃つ。思いの外女の身のこなしが速い。踵落としを側宙して避けながら連射を続ける。

 踵落としを外した脚を地面に着けると砂埃が巻き上がった。飛沫とて連撃を絶やさない。踵落としの動作で生まれたバネを活かして身体を目一杯用いた横薙ぎの斬撃を繰り出した。

 ――数寸届かない。

 バック宙したベルゼルガの鼻に当たるか当たらないかの位置。そこを勢いよくノコギリの切先が通り過ぎた。しかもそれは彼がマガジンを交換し、弾を装填する一瞬の隙だった。

 ベルゼルガは普段ならそんなヘマをしない。飛沫の、速さに緩慢さや変化を付けた攻撃が読み辛く、リロードのタイミングが完璧に取れていなかったのだ。

 しかし彼は予想していた。飛沫の動きは支点さえ見定めればその後の動きが読めそうだと。今見たとおり、基本的に飛沫の連撃はノコギリを振った勢いで身体全体を、身体全体で攻撃した勢いでノコギリを、という具合にノコギリと身体を交互に使っている。

 それは一手一手に生ずる力の反動とバネを最大限に活かしたからであり、そんな連撃を可能にするのは、勿論彼女の尋常ならざる身体能力と支点を正確に定める感性があってこそ。

 その連撃中は一度も動きを止めないばかりか、変速的な軌道を描く為に初見で捉えるのはまず不可能。

 文字通り、彼女は誰もが認める天才である証拠だ。

 しかしベルゼルガは歴戦の猛者。

 天才であろうと積み重ねた経験はそれを看破出来る。


 飛沫が夜叉に敗北したように。


「そぉらぁ!」

 ベルゼルガの読み通り、横薙ぎにノコギリを振った勢いを利用して飛沫の身体が急接近してきた。

 支点は――ノコギリ刀を握った柄の部分。

 そこを支点にした遠心力を利用しているというわけだ。

 ならば繰り出してくるのはノコギリ刀と同じ横薙ぎの……蹴り。


『ギャハハハハ! さあどう回避して見せる!?』


 ベルゼルガは完全に攻撃の軌道を、飛沫の身体が描く軌道を、先読みした。

 そこへ大量の銃弾を撃ち込む。

「――くぅっ!」

 今や飛沫は刀ごと地面から離れ、刀と身体で円を描く軌道で宙に浮いている状態。つまり地面と平行状態。

 遠心力の流れに身を任せている飛沫は弾幕に突っ込んでしまう寸前で、奥歯を全力で噛んだ。

 身体を捻り、彼女はなんと身体と平行になっている目の前の地面へ前蹴りをぶつけた。

 ボン。と、飛沫の身体は跳ね上がり弾幕を回避。

 さすがにこれにはベルゼルガも愕然とした。

 刀は地面と平行。

 身体は逆さに垂直。

 この一瞬で、しかも空中でそこまで体勢を変えやがった。


『天才って言葉は好きじゃねえが……。間違い無くてめえは天才だ。デストロイ鼻血が出らぁ』


 しかしここまでだ。

 変則な動きを、更に無理矢理な力で変則させた。飛沫にとっても緊急回避だったのだろう。

 バック宙、前宙、そして着地したベルゼルガは腕をクロス。

 肩越しに銃弾を放った。

 狙いはノコギリ刀。

 血客が盾にも用いたその大太刀を、彼はオブジェクトとして利用した。


「ぐぅ!」


 飛沫は顔をしかめ、その右脚から血を迸らせた。


――跳弾。


 変則には変則で返したというわけだ。

 ノコギリ刀に当たった弾丸はその軌道を変えて飛沫の脚に。


 更にベルゼルガは精密な射撃で、彼女がノコギリを握っている一の腕を射抜く。

 その反動で飛沫は愛刀を放してしまった。


「しま……ったぁ!」


 空中で逆さ状態の女はそのまま落下。

 柔らかい砂の上に落ちた。

 ノコギリは回転しながら遠くに刺さる。


『ちぃ、まったくツイてねぇ……おっと……』


 ぐらりとふらついたベルゼルガの脚は軽く痙攣していた。

 全力で飛び跳ねていたのだから無理もない。

 更には吐血。

 レザージャケットの下は赤黒く染まっていた。

 鋭い目の片方からは意図せず血の涙まで。


「あんた、そんな身体で戦っていたのかぃ」

『……! ……おいおい、マジかよ』


 へらへらと眠そうに笑う顔が目の前にあった。

 もし今襲われていたら地に伏していたのはベルゼルガだった。


『頑丈だな。最硬も形無しなんじゃねえの』

「何言ってるんだぃ、この程度じゃ息も上がらないよぉ。ホラいつまで寝てるんだい鈴女蜂ぃ!」


 飛沫の視線の先。砂の上に横たわり動かなかった身体がぴくりと動いた。


「……ばれたでありんす」


 そう呟いて近づいてくる。

 と、突然その足をピタリと止めた。


「飛沫、そろそろ退散したほうが……」

「おや、もう来たのかぃ。敵性戦力を排除完了ってぇことで。面倒な事になる前にあたしらも消えようかねぇ」

『お、おい』


 ニタァ、と飛沫は口を三日月形に歪めた。


「心配しなさんなってぇ。そんな身体の男に勝ったって面白くないからねぇ。次は万全の状態でやり合おうじゃないかぁ。ふふ、名も無き破壊者さんよぉ」

『ベルゼルガだ』

「ほぇ?」

『俺の名前はベルゼルガ・B・バーストだ。覚えとけ』


 飛沫と鈴女蜂は軽く驚いたように眉を上げた。

 それから顔を見合わせ――。

 ベルゼルガに向き直る。


「あたし達は元狩魔衆。今は地獄旅館所属の死神業者。血客、飛沫シブキっていうんだ」

「あちきも元狩魔衆。地獄旅館所属の死神業者。刺客、鈴女蜂スズメバチって名前でありんす」

『地獄旅館……死神業者……おい、ちょっと待――』


 呼び止めようとしたが、彼女達はひらひらと手を振って消えてしまった。

 残された男は呆然と一面の砂浜の真ん中で立ち、それから腰を下ろす。


『狩魔だと? あの連中、狩魔衆かよ。しかも客称持ちの上忍だ。そいつらが地獄旅館所属ぅ?』


 バリバリ頭を掻いてあぐらをかくベルゼルガ。

 確かにそれならあの強さも納得できるわけだが……。それでも彼の知る狩魔衆は地獄旅館を襲い、惨劇と手を組んだ集団だった筈。

 それがどうして地獄旅館所属に。


『あー。ますますもって意味がわからんなぁ。クロスキーパー戦で離脱しちまったから全然わからん――』



 ふと。

 彼は砂浜の隅に。

 人影を見つけた。


 ぽつんと一人で。

 そこに立ち。


 じっとこちらを眺めている一人の少女。


 その子はいきなり。

 こちらへ向かって走り出した。


 ベルゼルガも、その子に目を奪われたまま。

 無意識に。

 その名を呟いていた。



『神楽……?』




 ◇ ◇ ◇




「あんたは……あんたは……っ!」

 ずんずんと重く、怒りを含んだ足取りで少女――神楽はベルゼルガへと近づいてくる。

 この戦慄は彼も知っている。

 普段なら笑いながら逃げる。

 というか、逃げないと、ちょっとヤバいからだ。


「こんなところで……まだ……っ!」

『ちょちょちょ、おい、ちょっと』


 全身が軋み、いつものように逃げることができない。

 だからベルゼルガは声で神楽を牽制し、手を前に出して振るばかり。


「私の気も……知らないで……っ!」

 ずん、ずん、と砂浜を踏みしめていた足取りが――、

 そのテンポを早めていた。

「私の気も知らないで!」

 もはや駆け足で、動けない男へ近づいてくる。

 彼女の手に握られた黒いヘルメットが、持ち主の目に入った。

 あれは……ベルゼルガが神楽に預けていたヘルメット。


「こんなところで……相も変わらず……」


 足がもつれ、ベルゼルガの前で神楽はすっ転んだ。


『おい、大丈夫か』

 男が問い掛けるも、少女は砂の地面に転んだまま突っ伏していた。

 砂を握り締めた手が、震えている。


「まだ……生きていてくれた……」

『………』

「死んじゃったのかと思った……」


 乱れた長い黒髪で顔が隠れ、その下に神楽の震える唇が覗く。

――う……っ。う……っ、と。唇から漏れる感情の吐息。

 男は言う事をきかない身体を這わせ、砂まみれの少女のすぐ近くまで寄った。


『心配、かけたみたいだな』

「当たり前じゃ……ないの……っ」

 男が肩に乗せた手を、神楽は握った。


「良かった……。ベルが生きていてくれた……。良かった……。本当に……」


 顔を上げた彼女は。

 ぶわっ、と涙を溜めた目で。

 ベルゼルガの背中へ腕を回し、抱きついた。


「嗚呼、ありがとうベル……帰ってきてくれてありがとう……っ。私の大事な人……もう離れないでいて……」


 ベルゼルガは――呆然としていた。

 心がぎゅ、と締まるような。初めての気持ちだ。

 生きていて良かった。帰ってきてくれてありがとう。

 そんな事を言われたのは初めてだ。

 自分を、心の底から待っていた人。約束という言霊にしがみつくように生き延びた彼は、本当にしがみついていたものは何だったのかを知った。

 戦ってばかりの人生。帰る場所など考えもしなかった。戦場で死する宿命を負った身である自分は宿命のままに乱を駆けるしかないと思っていた。


『そうか……俺の……帰る場所……。俺は帰りたかったんだ。約束を守る事はその過程にすぎなかったってことか。俺は……俺の気持ちに従って生き延びた。神楽のところへ……帰りたいって気持ちに従って。迎えて貰えて。俺は……嬉しい』

「おかえり。ベル」


 呆然と目を見開くベルゼルガの口元は、嬉しさで自然と笑みを浮かべていた。


『ただいま。デストロイただいまだ神楽! ギャハハハハハハ! 離すもんかよ! お前は俺の、大事な人だからな!』


 彼もまた少女の背中に腕を回し、目一杯、抱き寄せた。

 二人で笑い声を上げながら砂浜を転がった。

 まるで子供のように。

 互いの顔を最も近くで、見つめ合いながら。



――これが、《惨劇の宴》事件開宴直後から、最後の最後まで戦い続けた男の、安息を手に入れた瞬間であった。


 砂浜に転がった黒いヘルメットは光を反射し、丸みを帯びたフェイスガードの中に抱き合う二人を映す。

 彼らの物語は――幸せを手に入れたのだと。



「ねえベル? ヘルメットから聞こえていた心拍音は何だったの?」

『ん、あれか。あれは俺の心臓と連結した音だな』

「え……でも」

『これを言うのはきっと神楽が初めてだが。俺には心臓がもう一つあったんだ。魔心臓ってのがな』

「魔心臓って、タタリガミシステムのあれでしょ? 本当の心臓とは別の物だったの!?」

『そう。ヘルメットと連動していたのはそっちの心拍なんだ。そういえば吸血鬼の坊主にも心音を感じさせてやったことがあったな。さすがにあれが心臓二つ分の鼓動だとは気付かなかったようだが』

「ええと、たしか……呪詛を溜め込む魔心臓と、呪詛を放出する魔眼。その二つでタタリガミなんでしょ?」

『おう。でも魔心臓はデカブツとの戦いで射抜かれちまってよ』


「じゃあもうタタリガミは……」

『使えねえ』

「じゃあ、じゃあ……もう呪詛の声は……!」

『聞こえねえ』


「最狂の称号は……」

『失われた……と、思う。パンドラの箱も、今じゃ海の底だしな』


「そっか」

『まぁ、魔眼は健在だから見えるには見えるんだがな――っと。ん? お? おお?』


「どうしたの」

『いや。今、遠くの海上に……何かが』

「んんー?」

『んー』


「……」

『……』


「――!?」

『――!!』


「ベル! あの黒いローブってまさか!」

『うおおおおおデストロイ間違いねえ! “あいつら”だ!!』




 ◆ ◆ ◆



 死神ロシュケンプライメーダ及び、

 里原準、

 ケット・シー、


 北方の海上にて発見。保護。


 彼らが惨劇のカタストロフ達と共に姿を消してから――三日後の事だった。

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