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宴章 the banquet of atrocity

【the banquet of atrocity】



 怪人・惨劇のカタストロフの巨体は、両腕を大きく開いて倒れていた。

 どれくらいそうしていただろうか。

 空間から乖離した場所、旧魔導社の中では時間の感覚まで鈍ってしまう。

 強大な力と力が衝突した。

 そして里原準の膝蹴りは――この、最強に最も近き怪人を、彼を溺愛していた巨大で強大で驚大な女を……射抜いた。

 あれからさほど時間は経って居ない筈。筈なのに。

 とてもとても長い時間が経っていた、惨劇にはそんな感覚があった。


「清々しい……な。不思議な気持ちだ。こんな気持ちは……初めて」


 くすくすと。

 割れた貌の奥で醜悪な肉が動き、それが口であるならば――笑みというものの形を描いた。

 どうして嗤っているのか。彼女自身にはわからない。

 ただただ、心地の良い夢を見ていた、そんな余韻。

 思い出すだけでも、胸が痛む思い出だというのに。

 深く深く。心に刻みつけられた疵なのに。

 その傍ら――惨劇を見下ろす形で、死神ロシュに肩を支えられた里原準が立っていた。


「気が付けば……俺達No.13も、No.0も、狩魔衆も……戦犯という扱いになっていた。地獄塔を脱出できた狩魔衆は、その場で、最賢の名の下に拘束。魔監獄ジュデッカプリズンへ幽閉された」

「………」


 そう。

 彼女は、里原準に隠し続けていた過去を、全て話していた。


「最終戦争ラグナロクは、各勢力の全総力をぶつけあったブラッディ作戦で終結した。文字通りの血抜きさ。誰も戦えなくなるまで消耗しきって、やっと戦争は終わったんだ。そしてその大決戦の傍らで……俺達のラグナロクも、幕を閉じた。最終戦争なんて、誰が言い出したのか知らないが。“ほら”を吹くのも大概にしろと言いたかった。いくら血を流したところで――生物の持つ戦闘本能が尽きることはない。朽ち果てることはない」

 なのに……。と、惨劇は呆れたように息を吐いた。

「異界は英雄を求めた。ラグナロクが最後の戦争であるという象徴と、悲惨な黒き歴史を繰り返さぬという強い願いを求めた。クク、その結果が……真実の隠匿と、偽物の歴史肯定」


――“地獄塔に於いて、魔導高炉を暴走させて避難民を危険に晒した惨劇・鴉天狗・修羅の三人を筆頭とした混成テロ集団。その悪しき輩共から見事に避難民を守り抜いた英雄……伝説の死神業者達。その為に惜しむことなく超然たる知略を披露した統治機関……最賢の異界政府”


 異界は偽りの歴史を記した。

 どの書物や文献も、真実を語ることは無かった。

 反吐の出そうな改竄は、惨劇にとって、口にしただけで怒りの炎が内側で猛火と化す程。


「俺は悔しかった……。――誰よりも慕われ、異界にそのカリスマ性を轟かせた偉大な男が……その死後、都合よく世紀の大悪党に仕立て上げられた事。――主命を全うすべく命を賭して戦った忍者達が……いとも容易く裏切られ、更には傷に塩を擦り込まれ、それでも黙したまま深き地の底に追いやられた事。――誰にも認知されず、誰からも嫌われ続け、生きたいと叫び、もがき、誰よりも世界と未来に期待をした猫が……永遠に人々の記憶からも消し去るかのように、まるでそんな奴は存在しないと言わんばかりに、一切を無にされた事。そして何より――何よりも――俺はァ!」


 惨劇のカタストロフの声は震え、憤怒や悲哀の情が目一杯圧縮された己の精神を解放するように……。

 とてつもなく大きな、大きな声で嘆いた。

 嘆いた……。


「無敵の身体と無限のエネルギーを持ちながら!! みんなを救えなかった俺自身が……どうしようもなく情けなかったんだああああああああ!!!!」


 鼓膜を劈く叫びに、死神ロシュは思わず肩を痙攣させた。


「クローを救えなかった……! 部下達を、狩魔を、インキュバスを、サキュバスを、ナイトメアを、ベルゼブブを、地獄特殊部隊を、八ツ目を、シュレーディンガーを、魔導高炉に喰われた者達を、そして御標準を!! 救ってやれなかった! 犠牲者にしてしまった! 俺は強い力を与えられたのにも関わらずだ! 一体、俺の強さは何の為の強さだったんだ!! 結局、準一人を守るのが精一杯だという結論に行き着いた俺は悔しくて悔しくて仕方なかった……! 敵を大量に殺戮し、シュレーディンガーを殺し、部下に手助けできず、クローをも殺した……! 誰が……誰が心の底から笑うものかよ! 仕方ないで済ますしか道はなかった! そしてそんな道しか与えようとしない運命が憎く、こんなふうに心の辛さから逃げる自分が情けなかった! 俺が異界から縁を切ろうとしたのは、準を助けようとするのと同時に……自分も……まっさらな状態に戻りたかったのかもしれない……」


 高ぶった感情は、惨劇ほどの女から無我夢中に本音を吐かせた。

 里原準に負け、彼と別れなければならない状況だからなのだろう。これらの言葉は意図せずして溢れてしまった言葉だった。


「……裏章……13、了。これが……準。お前に起きた過去の真実だ。俺がお前の記憶を弄って隠してきた……事実だ」


 唖然としているのか狼狽しているのか驚愕しているのか。

 もしかしたら全部かもしれない。

 準は言葉を出せなかった。

 何故なら、当然ながら、彼は惨劇の語った《裏章》という話を《知らなかった》からだ。

 どちらにせよ彼の頭が混乱したのは事実であろう。同時に彼は一つの至極当然を忘れていたことを知った。


“父親も母親もどうして居なかったのか。何時から居なかったのか。自分と惨劇はどうして一緒だったのか。何時から一緒だったのか”


 自然――里原準の目からは涙が零れていた。

 その涙は何を意味するのか。惨劇は嗤った口元をひくつかせながら感じた。準の流す涙は悲しみを帯びた涙であると。大事な自分の父と母が居なくて当たり前という感覚を偽造されて生きていた悲しみ。それが最も近くに居た惨劇によって隠されていたという悲しみ。

 惨劇は、できることならずっと、これからもずっと隠し続けて居たかった。己の身が朽ち果てても準には隠し続けていたかった。

 でも、もはやそうはいかない。

 惨劇は準に――準と死神に負けたのだ。

 準が惨劇の手を離れる時が……来てしまったのだ。

 惨劇は思う。嗚呼、やはり亡き弟の言った通り未来は残酷なものとなってしまった。チェシャ猫から勝ち取った未来は、準の心へ傷を刻んで終えようとしている。


「聞け、準」


 むくりと惨劇はその巨体を持ち上げ、上体を起こす。

 準を支えていた死神は恐怖に膝を震わせた。惨劇はただ倒れていただけであり、実際のダメージはさほどでもなかったのだ。

 そう。惨劇が負けたのは力ではない。想いに負けたのだ。

 だからもう惨劇には準と死神を殺そうという意思は無かった。


「お前は悲しむな。憎むな」


 準は肩を震わせて俯いていた。

 はちきれそうな、どこへぶつけてよいのかもわからない感情を、彼は必死で押し殺していた。

 死神でさえどう声を掛けて良いのかわからない。彼女自身、死神ギルスカルヴァライザーの業を、惨劇の口から初めて聞いたのだから。『お前の父親は親父の仇だ』と、いつ準に突き放されてもおかしくはないと覚悟していた。

 けれども準はそんな事はしなかった。ぎゅう、と彼女のローブを握って顔を伏せたままだ。


「惨劇のカタストロフはな、里原準の裏なんだ」

「………」

「憎んで、悲しんで、暴れるのは、俺の役目なんだ」

「………っ」

「お前は偉大な父の死を悲しむな。ギルスカルヴァライザーを憎むな」

「――そんなこと言ったって」


 そんなこと言ったって、悲しむなと言われたって、憎むなと言われたって。


「惨劇はこんなに辛かったってのに……!」

 理性を失うまいと、必死に気持ちを落ち着かせようとする準。

 そんな彼の手を惨劇は握る。

 その握力の強さに準は顔をしかめた。

「――いっ」

「痛いだろ。これが復讐と破壊と悲哀の権化が持つ力だ。非情の道を歩み、世界を敵に回した者の力だ。もう、お前と俺の手が、優しく交わることはできない。準には強すぎてしまうから。わかるだろう、見えるだろう、準。この手から溢れる憎悪の湖が」

「……ああ。ああ、見えるよ惨劇。ずっしりとした重さが。どんよりとした暗さが。そして……しっとりとした、慈愛も」

「慈愛か。確かに、それがなけりゃ、きっとお前を育てることなんてできなかっただろうさ。準は、この手に、慈愛を見たのか?」

「見たよ惨劇。一番奥底に。だから惨劇は、慈愛を基に、憎悪を生みだしていたこともわかった。オレを想ってくれる気持ちが大きければ大きいほど、憎悪も大きくなっていた。父さんを想う気持ちが大きいほど。真にこの世界を想う気持ちが大きいほど」

 ぽろぽろと涙をこぼした里原準は、目を細めて笑顔を作っていた。とても無理矢理で、唇や頬がふるえているけれど、彼は笑っていた。

 そして惨劇のカタストロフへ、何度も、何度も、有難うと言った。

 そんな彼の、昔と比べて随分大きくなった手を、惨劇は黒き両手で握った。

「こんなに大きくなってたんだな。どれだけたくさんのものに触れたのだろうか」

 惨劇の中性的で機械音的だった声は、どこか女性寄りの色を帯びていた。

 どれだけ醜くなっても、化け物と言われても。惨劇という一人の怪人は、確固たる母性を伴い、慈愛を起源とする女性。里原準という男を愛した異性。いくら口調を男に似せ、荒くしようともそれだけは変わらない。

 そして今。

 立派に成長した準に対して、父や母の代わりを務める必要はなくなった。

 彼女は十三年をかけて存在意義を、存在義務を、全うした。

 それを確かめるようにうっとりと目の前の男を見つめた。


「準、貴方はとても強く強く育った。私はそれをなにより嬉しく思う。力なんて強くなくていい。大切なものを守る勇気と決意。それが最も重要。だからこそ、貴方は力で圧倒的に上回る私に向かってきた。貴方の行動が泡沫うたかたの意思に依るものだと思った私は、少し失礼だったのかもしれない」

「失礼なもんか。オレは小さい頃からずっと、惨劇に頼りっぱなしだったんだから。そう、里原準はあまりにも惨劇に頼りすぎていた。甘えすぎていた。自分で自分の強さの源が惨劇だと信じ込んでいた。こうまでしないと認めさせられなかったのは当然だ……」

「……これからは惨劇の居ない人生を歩むことになる。私が居なくても、もう平気だろう。準は本当の強さとは何かを知っている。心配はしていない。ただ……想いの力が全てだと思っちゃいけない。異界との縁を残すのならば、世界と付き合っていくのならば、貴方を阻む障害は多い」

「わかってる。惨劇のように想いに重きを置く者ばかりとは限らないだろう。想いだけではどうにもならないことだってあるだろう。けれどオレはきちんとそれに向き合うよ」

「ああ。それでも辛い時は――頼ってもいいんだ。支えてもらってもいいんだ」


 惨劇は「そうだろう?」と、死神ロシュケンプライメーダへ視線を向けて言った。

 カタストロフに勝ったのは準一人だけの力ではない。この娘が居たから惨劇のカタストロフは本気で彼らと向き合い、負けを認めた。憎悪に染まり優しく準と手を交えることができない惨劇とは違い、この死神の娘は、準の隣で自然と繋ぎ合う事が出来る。

 裏を背負う役は担ってやったのだ。隣で支えるのはお前の役目だ、と惨劇は視線でロシュに告げ、唇を固く結んだ娘は強く頷いて見せた。


「準、貴方は私の反面。私が裏なら――」

「オレは表。だろ?」

「そう。私は誰の助けも受けず、支えを受けず、己の力のみを頼りに、我が身一つで突き進んできた……」


 この女は、宴の間、誰も信じようとはしなかった。誰も信頼してはいなかった。自分にとって最も大切な計画に、誰かの助けを借りるなど愚策と考えていた。

 だから彼女は常に最前線に居た。No.13の首魁であるにも関わらず、計画の主要となる戦闘には彼女自らが赴いていた。対ギルスカルヴァライザー戦も。対オーディン戦も。

 それは一度後悔しているからだった。

 10年前の戦争で。

 部下を使い、鴉天狗と共に最奥に居たあの頃。

 結果、全てを失った。

 部下は優秀だった。決して無能なのではない。ただ“相手が悪かった”だけだ。

 しかしそれこそが重要。最初から自分だけが戦っていれば失う事などなかった。強き者は斯くあるべきだと、その時に知ったのだった。

 そんな惨劇が、準を失うか否かという大きな節目に於いて同じ過ちを繰り返す筈もなく。


「そして最後には……負けた」


 儚い呟き。

 孤軍無双の強者は、はるかに劣る弱者達に敗北した。

 素敵だ。

 素晴らしい。

 なんと煌びやかな敗北か。


「私、惨劇のカタストロフは強かったか?」

 問いに、準は首肯する。

「この上なく強かった。惨劇は最凶の称号保有者だ。挑むのはとても怖かった。地上最強はお前だ。そりゃあ怖かった」

「しかし準は私を倒した。純粋な力では確かに私の上をゆく者は居ない。その私が、敗北を喫する。それが何を意味するのか」

「惨劇も心を持ち、オレ達となんら変わらない女の子ってことだな!」

「ふふ、くはは――。どうしてこう、御標の血族というのは私の事を“か弱いふう”に言うかな」


 しかし悪い気はしていなさそうであった。

 強きことを自覚してはいるが、準にそう言われると不思議と拒否感は無かった。


「か弱くていい。惨劇が、強さゆえに辛い過去の中であれだけの悲しみを背負ったなら……惨劇は弱くて良かったんだ……」

「そうだな。私も、クローも、そして私達の弟……シュレーディンガーも。望まない過ぎた力を持った為に、過酷な宿命を負った。しかし、この強さが無かったらきっと私とクローはラグナロクに巻き込まれなかっただろう。準と出会う事も無かっただろう。そうしたら九朗と準と母親の三人で今も家庭を築き続けていたかもしれない。それでも……私は準に出会えて嬉しかったから。だから私自身は、この力に感謝しているよ」

「辛い出来事にたくさん見舞われても?」

「ああ。準は私にとってそれだけの価値ある子なのさ」

「なら……オレも。オレもそれで良かったと思う。もしもを考えたらキリがないから。惨劇は強い女の子だ!」

「ふふ。忘れてはいけないぞ。貴方の力はたくさんの味方のおかげで生み出されていること。貴方の生命はたくさんの心に守られたおかげで今も在るということ」

「忘れるもんか」

「それでいい……。惨劇は憎悪し、里原準は感謝する。もう、悲しくはないよな」

「悲しくない……悲しく……ない」


 やれやれと、惨劇は肩をすくめた。言葉とは裏腹に、また準の目に涙が浮かんでいる。

 準には最も感謝する相手が居たからだ。

 表裏――別つ刻。

 世界を愛する男と、世界を憎んだ女の、長き物語が――終わる。


 死神ロシュは、そっと準の身体を惨劇の身体へ預ける。

 まるで飛び込むように、準は惨劇の大きな、母のように大きな胸へ身体を預けた。

 ふっ、と小さな笑いが、惨劇の口から漏れた。


「……これで最後だからな、準」


 その言葉を惨劇が言い終えるか否か――

 誰からも頼りにされ、強く強く育った彼は、最初で最後の脆弱さを見せた。

 里原準は、とてもとても大きな声で泣いた。

 とてもとても大きな声で。

 まるで小さな少年のように。

 あの頃のように。


「オレは惨劇が居てくれたから……ここまで大きく育ちました……」


――私の夢は、 


「オレは惨劇が居てくれたから……こんなに強く生きることができました……」


――私の願いは、


「オレは惨劇が居てくれたから……寂しくなんてなかった……」


――私の希望は、


「オレは惨劇が居てくれたから……父親と母親、二人分以上の愛情を注いでもらえました……」


――私の愛は、


「……オレは幸せでした」


――届いていた……。


 準の口から紡がれる言葉の数々。

 それは惨劇という存在が、その意義を全うしたという証であった。

 そこには感謝が。憎しみや悲しみを背負った裏の自分への感謝があった。

 惨劇の……彼女の眼には何が映ったろうか。

 己の十三年だろうか。鴉天狗と過ごした日々だろうか。

 はたまた――


「裏章14……語る必要は無いか?」

 準は頷く。

「それはオレと惨劇の過ごした日々。心を痛めて過去を隠してまで与えてくれた、勿体ないほど幸せな……日々」

「そして……」裏が云い、

「そして……」表が云う。


 惨劇は準を身体から放し、

 準はロシュと手を繋いで見せた。


「これからはオレと死神が新しい章を紡いでいく」

「……貴方が、貴方達が勝ち取った未来だ。好きにするがいいさ。次への道は繋がった。旧き清算は済んだ。かくして世界は繋がっていく……か」


 繋がりゆく様を見ていたいもんだ、と惨劇は思った。

 だがそれは許されない。

 彼女は最凶だ。この世界に生きられるのは十三年。

 いよいよこの世界との別れの時が近づいていた……。


「行け準。この場所は限界だ。無限回廊とこの部屋が融合しつつある。今ならまだ逃げられる」

「逃げるって、どこから……!」

「有を無にする無限回廊という無限の空間。それが、この有たる場所まで飛び出てきた。有は無に。無は有に。そして時は逆流し――」


 惨劇の指さす先――準とロシュの背後には大きな亜空間が開いていた。惨劇達がやって来た時に開けた亜空間だ。

 歪曲する大きな入口は今にも閉じようとしている。無理もない。時間逆流という不安定故に起きた偶然の現象なのだ。惨劇の裏である準が運を味方につけたのであろうか。

 ともかく急がねば間に合わなくなる。

 しかしロシュに支えられた準は、どうしても一歩を踏み出す事が出来ずに居た。

 立ちあがった惨劇の方を向いて、動こうとしないのだ。


「惨劇、お前はこれからどうするんだ」

「どうって……“最強”をぶっ飛ばしに行くだけだ」

「な――っ」

「心配するな、世界を壊しゃしないよ。私は準を助ける方法を模索しに行くだけだ。準がずっと幸せに生きて居られるようにね。おっと、これは私の存在意義だからな。私が勝手にやることだ。準がどうこう思わなくていいんだぞ」

「わかってるって」

 惨劇と準は笑った。

 そして彼女は最後の最後で、その隣に立つ死神へ、敵意のない視線を送る。同等の立場。同じ男を愛した女として。


「準のこと、頼んだ」

「うん。任せて」

「私は奇跡とかそういうものを信じたりしない。だが、お前が、準と永久に愛し合っていたいと心から願えば、きっとその願いは叶う」

「約束するよ」

「私のこれからの戦いは、その後押しだ。お前達は“最愛”、そして“最幸”であれ」

「うん!」

「お前達が最幸なら、私も最幸となる」



 そして――準と死神を呼ぶ声がどこからか聞こえてきた。

『ニャー。私はお前達を連れ帰ると約束しているんだ。急げ!』

 見るも無残な大怪我を負った――《最速》ケット・シーであった。


「行こう死神!」

 里原準はロシュの手を握った。

「行こうぜー!」

 ロシュもそれを握り返した。


 亜空間の中へ駆けてゆく者達。

 未来を勝ち取った者達。

 彼らを見送った惨劇は拳を上げて、親指を立ててみた。

 あの時、そうしてくれた亡き戦友と同じように。

 次の世代へ送るエールは、これに限るとでも言うかのように。


「良い人生を……クハハハハハ!!」



 ◇ ◇ ◇



【黒と白と零】


「しっかりなさい零鋼!」

「それでも最強の兵器ですか!」


 あちらこちら、遠くで近くで、無限回廊の柱が残骸となって飛び回っていた。

 もはやぐちゃぐちゃ。

 上なのか下なのかもわからない空間の中で、嵐の如く飛び交う残骸にいつ当たってもおかしくないような状況下、二人の女は一機の兵器を担いで彷徨っていた。

 戦略傀儡兵、零鋼である。

 最強の兵器、と呼ばれたものの、今のそいつを見れば誰もがそれを疑うかもしれない。

 腕も足もほとんど使い物にならない。その断面からはちぎれた配線やパイプが覗き、バチバチと絶え間なく青白い火花を上げていた。


『ギュガァアアアア!』


 雄叫びを上げても振り回す四肢は無い。

 黒と白の双子――双百合にかつがれて喚いてるだけのみっともない有様だった。


「私達が光線を弾かなければ終わっていたのですよ!」

「このまま無限回廊を歩いていてもいずれ終わってしまう!」


 一時は最速の称号まで手に入れたというのになんという様だろうか。

 この喧しい機械を置いていきたいのは山々だが……それでも主人から連れて帰るように命を受けている以上はそうもいかなかった。


『終わらなイ! 零鋼は終わらナい!』


 双百合の能力で光学兵器は無力化できる。しかし物理的な防御はできない。

 目の前を猛烈な勢いで柱の欠片が吹き飛んで行った。

 今のは危なかった。


「く……。これは……詰んだかもしれない」

「どこかに、どこかに惨劇様のもとへ繋がる道がある筈……」

『………』

「零鋼、お願い。私達も零鋼も、まだ果てるわけにはいかない。そうでしょう?」

「無限回廊が崩壊するほどの力が衝突したのよ。心配はしていないけれど、それでも惨劇様の安否が気になる。もしもが起きる事も考えなければならない。あの方を起源への扉へ導くのは零鋼の役目です。その為に起こされた事、よもや忘れてはいませんよね」

『………チ…ィィ……』

「惨劇様はお前のやりたいようにさせ、戦略傀儡兵の意向にも重きを置いて下さった。ここまで好きにさせて頂いて、最後までそうして終わるというのですか」

「もしその気なら、私は許さない。私達双百合は許さない。零鋼」

『……了解。任務ヲ……更新スル。零鋼は……双百合と共ニ、惨劇の元へ帰還スル』

「零鋼……」

「有難う……」


 二人と一機へ向かい、次々と飛んでくる瓦礫が――弾かれた。

 電磁障壁E.W.B(Electromagnetic Wave Barrier)を展開したのだ。

 続いて零鋼の背中に装着されていた“鞘”が、バシュンと縦に開いた。しかしそこに納められた刀――蝕食を引き抜く腕は失われている。


『双百合。蝕食を抜いて欲しイ。混沌状態の此処から脱出するには、斬空間を行う必要ガある』

「そんな事が」

「可能なのですか」

『可能。ソモソモこの蝕食は、ゼブラが起源への扉を創造する前に研究過程で生まれたモノ。ツマリ次元斬や空間斬こそ、蝕食の生まれた本来の目的ダ。コノ案が棄却された後は、零鋼と一心同体とナルように装備されたトイウわけだ』


 言われた通り、黒百合が零鋼の背中から長い刀を引き抜いた。

『おット、刃には触れるなヨ。食われてシまうぞ』

 刀というものは重い。ましてこの蝕食は零鋼専用であり、この大柄な機械兵に合わせた長さをしている。黒百合の小柄な体躯では文字通り刀に振り回されてしまい、ふらふらとバランスをとるのでやっとだった。

 斬空間。つまり空間を斬るということ。しかし斬るという事は当然、刀を振らなければならない。さすがに双百合には厳しい。

 しかし地面に置かれた蝕食は、単体で脈打ち出した。


『蝕食。空間ヲ喰エ』

 白百合の肩に支えられた零鋼の言葉。

 刹那、蝕食に触れていた空気が弾けた。

 メリメリと奇怪な音をたてて刃が見えなくなる。


「――!」

「――!」


――ぐぱぁ。

 音は無かったが、そんな擬音が聞こえてきそうな穴の開き方だった。

 穴は、双百合と零鋼の真下。

 当然、二人と一機はその中に落ちて行った。



 ◇ ◇ ◇



【往く者達】


 準と死神、そしてケット・シーは亜空間の中へ。

 “起源への扉”は固く閉じたまま、戦闘の影響で真横に倒れていた。

 旧魔導社の崩壊は止まらない。

 惨劇は扉の上に座っていた。


(……ふむ。最賢の鬼叉はこの戦いで死んだ。俺の予想が正しければ最悪のゼブラはおそらく異界には居ない。10年前、この起源への扉を開いた筈。そして最凶の惨劇は異界から消える。最害のシュレーディンガーは時を超える者ゆえに終始保有者だったわけだが実際は既に居ない者だ。

 “最賢”“最悪”“最凶”“最害”。実のところ、これらの空席が気掛かりではある。

 旧世代の遺物じみた俺を恐れ、表に出てこられなかったセカンドの連中が、きっとこれから現れるだろう。称号の座を狙って。もしくは狙わずとも必然に。

 どうもきな臭ぇ。

 この四つを同時に空席とするのは危険だ。これらはマイナスの称号であり保有者も称号の特性ゆえに危険な思想を持つ者ばかりだが、実質世界の守り手として重要な役を担っている。

 鬼叉の知識を欠き、ゼブラの悪意を欠き、惨劇の凶を欠き、チェシャ猫の害を欠いた世界は……はっきり言えば弱い世界となる。他世界からの干渉を最も受けやすく、他世界からの攻撃に最も屈しやすくなるということだ。

 準がこの世界に残る以上、どうにか危機を回避しなければ。だから俺は最強に問う。何故この状況になるまで放っておいたのか。他世界の者が空席を占領する危険性に気付いていない筈がない。

 世界の様子がおかしい。俺やチェシャ猫が、堂々と世界を滅すと宣言した時ですら最強は動かなかった。起源への扉の奥で……一体何が起きている?)


 黒き腕を組み、剥き出しの歯を二回ほど噛み鳴らす。

 準の事を最優先にしてきた彼女ではあったが、他にもたくさん考えることはあった。

 十三年をかけて考え、見てきたつもりでも結局わからないことは幾つか残っていた。

 心配したところで、彼女はこの世界から居なくなってしまうわけで、どうすることもできないが。


 “双刀之闇”修羅も居ない。

 “最賢”鬼叉も居ない。

 “鴉天狗”クローも居ない。

 “最害”チェシャ猫のシュレーディンガーも居ない。

 “極害”残酷のエピオンも居ない。

 “最凶”惨劇のカタストロフも居ない。

 “無限戦兵”零鋼も居ない。

 “術式砲兵”オーディンも居ない。

 “隠密戒兵”ステルストーピードも居ない。

 “最悪”ゼブラ・ジョーカーも居ない。


 多くの強者を失ったこの世界は、あまりにも脆弱。

 しかし彼らに打ち勝った者も何人か居る。

 その者達に託すしかないのだろう。

 信じるしかないのだろう。


 嗤ったのか溜息を吐いたのか――惨劇の口から小さな吐息が漏れた。

「遅ぇぞ」


 肘を立てて顎を支えた姿勢の惨劇は、目の前に現れた二人と一機に向かって呟いた。

 双百合と零鋼である。


「ただいま戻りました」

「零鋼は……一応健在です」

『ギュハハ……惨劇。負ケたのカ?』


 四肢無き戦略傀儡兵に冷やかされ、「うるせえよ」と流す。


「里原準はこの世界に留まるのですね……」

「あの死神は惨劇様から……」

 目を細める白百合と黒百合。

 黒百合は思い出していた。クロスキーパーでの死神ロシュとのやりとりを。

 あの娘は、あんなに小さな娘は、強大な我が主人へ本当に立ち向かったのだ。あの子の強い眼差しは目に焼き付いている。準の為ならディーラーズでさえ捨て駒に扱う惨劇から準を勝ち取った。愛の強さはこの結果が証明しているという事か。


「さてと、No.13はこれだけになっちまったが。宴の後始末をしなきゃいけねえな! クハハハハハハハ!!」

 首を鳴らし、高らかに笑う大将――惨劇のカタストロフ。

「最後まで御供します」

 彼女に付き従う一輪――白百合。

「貴方様の従者として」

 彼女に付き従う一輪――黒百合。

『サァテ……この扉の中には、何があるのかお楽しみッテネ。ギュハハハハハ!!』

 そして零と全てを等しくする兵器――零鋼。


 狙うは最強。

 彼らの宴は――物語は――

 宴章は――

 終焉を迎えることができるのだろうか。


 それは、里原準達とは別の物語となる。

 ひとまずは。了、といったところか。


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