†裏章 13
【裏章 13】呪縛からの解放
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ベルゼブブによると、準の身体は即死には及ばない程度に汚染されたらしい。即死には及ばないとはいえ魔導光は極めて有害な光だ。現に準は気を失っている。魔導光汚染は前例が無いに等しく、どのような症状が現れるのか未知数だそうだ。
ただ、彼が知っていることが一つあった。
魔導の光は確実に着実に身体を蝕む。
魔力の無い準の身体の何を蝕むのか。それは生命力。生きる為の力だ。
侵蝕がどのくらいの速さで起きているかわからない。とてもとてもゆっくりと蝕んでいくかもしれないし、このまま根こそぎ奪ってしまうのかもしれない。
確実に死に至る。が、死に至るまでは準の、生きる力次第なのだと、彼は言った……。
あれから――準を抱えた俺と双百合とベルゼブブは、一刻も早く地獄塔から脱出しようと道なき道を破壊して進んでいた。
チェシャ猫のおかげで魔導高炉の暴走は収束しつつある。が、それでも地獄塔の壊滅は免れそうにない。既に激戦を繰り広げた最下層は消失していた。
暗黒の地下でただ一つ輝く魔導核。
地盤を失った地獄塔全体は今やずぶずぶと埋もれてゆき、魔導核が落ちてくるモノをひたすら飲み込んでいる状態。正直、塔の陥没速度に比べて俺達の昇る速度は絶望的に遅い。これでは塔と一緒に飲み込まれるのも時間の問題だ。
ベルゼブブは傍受した通信から外の状況を把握しようとした。
「……チィ、雑音がやかましいわ。天国が援護によこした艦、クロスキーパーは……そうか。避難民を収容して離脱したそうや。ギャハハ、どうやらこの塔、中に居る俺らが思っとるより絶望的らしいわ」
「どういうことだ」
「塔の直下で魔導核によって地盤が消失したのは俺らも知っとる。せやけどその規模が存外デカいみたいや。周囲5kmの地面も沈下しとるとよ」
塔から出られたとしても助かる見込みなしか。
走っても無駄。全員がその結論に達した時、全員が足掻くのをやめた。
その場に立ち止まった。それはつまり死を覚悟した――ということだ。
黒百合と白百合が俺の軍服を握って震えていた。
ベルゼブブは大砲を瓦礫に立て掛け『やれやれ』と息を吐く。
俺は……抱えた準をじっと見つめていた。未来を勝ち取った矢先にこれだ。チェシャ猫に笑われる。こういう運命も、あるということか。十三年を全うする惨劇の運命もあれば、一瞬で終わる惨劇の運命もある。同じように長く生きる準の運命もあれば、こうして幼いまま終わる運命だってある。そういうことか。
確率変動能力を持っていたあの猫はこの事をよく解っていたのだろう。運命の枝別れと、その絶望的に甚大な差異を。それを利用する能力者だったのだから。チェシャ猫がもしもほんの少しインキュバスを早く殺し、俺がほんの少し早く確率変動能力の穴に気付き、ほんの少し早く魔導高炉の異常に気付いていたら。こうはならなかったかもしれない。ifを実現させるシュレーディンガーは、勝ち取られた未来がこうなることも一応は覚悟していたのだろう。
だから……あいつも、その理不尽を正そうと世界に牙を剥いていたのかもしれねえな。
なんでもかんでも、運命様の、世界様の、御気分次第お戯れ。か……。
「クハハハハハハハ」
いきなり俺が笑いだしたので、驚いた双百合が見上げてきた。ベルゼブブは気でも狂ったのかと言いたげな視線をヘルメットの奥から向けてくる。
気でも狂ったのか。そりゃあ最狂の専売特許だろうが。
俺や、チェシャ猫や、ゼブラや、鬼叉は、そういうのじゃねーんだ。
俺達みたいなのは“最初から壊れている”のさ。
そうでなけりゃ世界を同等には見ない。
否、見下さない。
そうさ、俺もシュレーディンガーも、どうして世界が嫌いだったのか。そんなのぁ簡単だ。
「世界ごときが俺達を差し置いて、偉そうにしてんのがムカつくんだよ! クハハハハハハハハハハハハハハハ!!」
――“違い無いね。ウナハハハハハハハハハ!!”
ここで終わる? 終わるわけねえだろバーカ。
運命は惨劇をここで終わらせると決めた? お前に俺がどうにかできると思ってんのかバーカ。
不等号で表せば、《惨劇のカタストロフ>世界》だ。大なりの不等号をあと数万個加えたっていいぜ。
「俺は最凶だ」
――ズゥン! と、壁が壊れた。
土煙の舞い方が独特で、それが特殊な攻撃でぶち壊されたのだとすぐに解った。
『よ、ようやく合流できました惨劇様!』
『クロー様の生体反応が消えた時はよもやと思いましたが』
ディーラーズ。ダイヤとスペードがその姿を見せる。
ハハハハハハハハハ!! このゲームは俺の勝ちだ。配り手(ディーラー)を抱え込んだ俺にゲームで負けはねぇってこった。
「ナイスだ切り札共。クフフ……さあ亜空間を開きな!」
言われるがままディーラーズの二人はその能力で亜空間を開く。しかし地下深くで輝く魔導核のエネルギーは、開いた亜空間にまで干渉してきた。
どうやら亜空間跳躍の座標が定められないらしい。
『くっ。これでは……』
『どこに出られるかも……』
「構わねえ、運命は俺より格下だ! 俺に不利となる場所には出ねえよ!!」
『ふふ。クロー様という守るべき主を失った我ら二人』
『そしてハートもクラブも亡き今……もはや残った役目はこのくらい』
「クハハハハハハハ! ああそうだ、お前らはクローを守れなかった! 生体兵器ディーラーズ、この役目を最期に、亡霊として彷徨うんだなァ!」
ブゥン、と空間に裂け目が生まれる。
そして運命は、俺に悪足掻きの一枚札を繰り出して来たのだった。
――『貴様らを逃がすわけにはいかぬわナンバー・サーティィィィィィン!!』
真っ黒な体色をした巨人が上層から天井を突き破って落ちてきた。このタイミングでまだ争おうなんて考える馬鹿が居た事に驚いた。だが俺の侮蔑を込めた驚愕とは違い、その巨人を見て純粋に驚く男が居た。
ベルゼブブ・B・ランチャーだ。
彼は「馬鹿な」と呟くと同時に、自分のヘルメットに手を当てて怒鳴った。
「ギルの旦那ァ! 聞こえてんのやろ! これはどういうことやコラァ!!」
――………。
「なんで《八ツ目》がまだ地獄塔ん中におるんや!」
――………。
「裏を知る者は誰であろうと抹殺すんのか!? 度が過ぎとるわこんなん! ちっちゃい坊主もおるんやぞ!? 答えろやあああああああああ!!」
八ツ目。
死神ギルスカルヴァライザーの使い魔。
俺達を生きては逃がすまいと送り込まれた、汚れ役。始末魔。
避難民が全員脱出した以上、ギルの所業を知る俺達は消しておくべきだと判断した結果の刺客。
同じ汚れ仕事を請け負っていた地獄特殊部隊のベルゼブブでさえ、この判断は過剰だと怒りの声を上げた。放っておいても魔導核に呑まれる状況下で、さらに八ツ目を送り込んで確実に息の根を止めようという考え。
次世代の平和を願うが故、過剰なまでに汚れを排除しようとする。
たかが死神がなんたる傲慢さだ。クソが……。
八つの目を持つ黒い巨人は、それでもただの木偶の坊ではなく、腐ってもギルスカルヴァライザーの使い魔。前線指揮を執っていた吸血鬼アークスと共に激戦の地を切りぬけ、そして未だ健在の魔物。
その眼で一体どれほどの蟲を、敵を、そして味方を焼いてきたのか。忠実な下僕は主の命令にただ従い、この地獄塔の中で殺戮機械となり、死にゆく運命の者達へ不要な引導を押し付けてきたのだろう。
ぎりぎりと黒いヘルメットの中から歯を食い縛る音が響いた。
ベルゼブブ・B・ランチャーは、此処に、己の死に場所を見出していた。
「これは俺が付けなあかんケジメや」と言って、八ツ目の前に仁王立ち。
巨人はその巨体を大きく動かし、ベルゼブブの上に拳を振り落とした。片腕で大砲を抱えたベルゼブブはもう片方の腕だけでそれを受け止め、その衝撃で足首が地面に埋まった。
辺りの揺れ具合が一層激化しており、この地面を一枚隔てた下の層は、魔導核に飲み込まれて消失しているであろう事がわかる。
俺は双百合の二人を先に亜空間の中へ放り込んだ。
ディーラーズの二人は彼女らの後に続く。
最後に準を抱えた俺が、亜空間の中へ足を踏み入れたところで……地獄の狂砲の方を振り向いた。
「ベルゼブブ、お別れだ」
「おう。じゃあまたどっかで会おうや」
「クハハ、何処で会うってんだよ」
「ギャハハ、それもそうやな」
「……感謝する。戦友」
「お前にそんな科白吐かれると、デストロイ照れくさいわ」
大砲で巨人の腕を消し飛ばした狂砲は、ぐっと拳を横へ突き出した。
――《System TATARIGAMI. Energy charge...》
「良い人生を……ギャハハ」
親指を立てたその拳を目に焼きつけ、
最期まで戦地に足を付けた最狂ベルゼブブを目に焼きつけ、
俺は亜空間の中へと入っていった。
彼の犠牲を以て、俺、そして準と異界の縁はここで途絶える。
彼の犠牲を以て、惨劇のカタストロフ率いるNo.13は、地獄塔での戦いを終了とした……。
◆ ◆ ◆
御標準という者の記憶は此処で途絶えている。
そして彼が里原準と名乗った後も、この記憶は封じ続けることにした。
チェシャ猫の言ったように、偽物の記憶が幸となるのかは、俺が見定める。
だから準には忘れてもらう事にした。
異界の事も。
父が鴉天狗と呼ばれていた事も。
助けてくれた者達も。
最終戦争も。
◆ ◆ ◆
この後起こったことを話せば、それはとても長くなる。
地獄塔から亜空間で脱出した俺達が行き着いたのは……。
笑っちまうよな。
御標九朗と御標準の生きた世界だった。
つい先程まで戦争の中に居た俺達にとっては、とても静かな世界に思えた。
空気は汚かった。汚れた粒子がそこかしらに漂い、クローと準がこんなものを肺に入れていたのかと思うと、ひどく不快だった。
魔力が一切感じられない、奇妙な世界。
しん、と静まり返り、薄暗く古ぼけた一軒家。その中の、タタミと呼ばれる固い草の床が敷き詰められた部屋に俺達は落ちた。
化け物と、着物姿の女二人と、寄生兵器二人と、少年。
今思うと落ちたのが家の中で良かったと思う。
いきなりこんな連中が外に現れたら大騒ぎだろうし、当時の俺はこの世界がよくわからなかったから、迷いもなく、騒ぐ人を何人か殺してしまっていたかもしれない。
とりあえず脱出には成功したが、準は目を覚まさない。
暗い部屋の真ん中に彼を寝かせ、俺と、双百合と、ディーラーズは、それを囲むように座っていた。
途方に暮れていた。
「ここは……どこでしょう」とダイヤが呟く。
家の中を分析していたスペードが、なるほどと声を漏らした。
写真の立てられた四角くて黒い棚。そこだけ豪華な装飾が施されていて、それが何か知らずとも心に重くのしかかる物だと皆が悟った。
後から知ったが、それは仏壇というものだそうだ。そこに置かれた写真の女性は見た事がない。
「御標家……。クロー様と、御標準の家です。此処は……」
別に驚かなかった。
ディーラーズにはクローのデータがインプットされていたわけだから、そのデータを基にこの場所に亜空間が開いたとしてもおかしくはない。
あんなに大きく偉大な男は、こんなに小さな場所で、生活をしていたのだな。と。
そしてクローが不在の間……準は母親と二人で、此処に居たのだな。と。
母親が死んでからは……一人で……。
クローを待ち続けたんだ。
「辛かったでしょう」
「怖かったでしょう」
黒百合と白百合が少年の頬を撫でていた。
と、ここでダイヤが素早く立ちあがり、家の入口の方を向く。
「惨劇様……! こちらへ近づいてくる生体反応が一つ……!」
「チィ。わけのわかんねえこの状況で面倒な……」
俺とディーラーズは《玄関》という場所の両脇に隠れ、近づいてくる者を警戒した。
此処に住んでいたのはクローと準と母親の三人だけ。それ以外が近づくなんてのは穏やかじゃねえ。
この世界の情勢が掴めない以上、行動は慎重に……。もしかしたらこの世界も戦争の真っ只中ってことも有り得ると、その時の俺は考えていた。
木の骨組みに硝子を嵌め込んだだけの扉、不用心な入口。これじゃ30秒もあれば略奪者に家ん中を空っぽにされちまうぞ。
おまけに近づいてくる奴は足音も気配も隠す気はないときた。ラグナロクじゃ10秒経たずに蜂の巣だ。
しん、と鎮まる御標家の玄関。しかしその中には惨劇のカタストロフとディーラーズの三人が、未知なる獲物を捕らえようと待ち受けているんだ。
案の定、そいつは用心もせず大きな音をたてて玄関の扉を横へスライドさせた。
「こんにち――」
女の声が御標家全体に響き切る前に。
刹那。
ディーラーズの二人は両側から女に襲いかかった。首を絞め、両脚を絡め取って家の中へ押し倒し、腕を極め、喉の声帯を締める。
驚愕の表情と、悲鳴を上げられずぱくぱくと動かすだけの口。
俺は静かに開かれた玄関を閉めると、仰向けに倒されて身動きの取れない女の顔の前に掌をかざした。
「圧力制御孔壱号、解放……」
触れずともその威圧感が顔の近くにあるだけで、女を恐怖させるには十分だった。
見開いた眼は突如として襲い掛かって来た化け物達を畏れているのが解る。
「―――っ!」
「……心拍上昇。発汗量、体温測定。筋弛緩、微弱な痙攣、過呼吸。魔力反応無し。筋質量は戦闘員の30分の1以下。失神までおよそ……2.755秒」
スペードがそう分析したところで、俺達は女を解放した。
「あ、あああ……はっ、あ」
ただの人間。それがスペードの測定結果だった。
部屋の奥から音を立てて双百合が走ってくると、女の方へ寄った。
「大丈夫。大丈夫です」
「貴女のお名前は? 私は白百合といいます」
「わ、わたし……私は……」
だんだんと目に焦点が戻って来た女は、見た目が人間の少女に酷似した双百合の姿に安心したのか、その着物を握り締めて息を整えた。
「私の名前は、さゆり……高坂早百合」
◇ ◇ ◇
高坂早百合。
この近所で高坂診療所を営んでいる女だそうだ。よくわからんが、ようは医者みたいなもんか。御標一家が此処へ越して来たのは割と最近で、九朗と奥さんが居なくなってからは少しの間だが彼女が準の世話をしていたらしい。
「それで、しばらくは大きな病院のフォローで留守にしていたと」
「は、はい」
畳部屋で眠る準の隣に座った高坂早百合は、双百合の言葉に返事をしつつも部屋の隅へチラチラと視線を送っている。そこには俺とディーラーズが座っているわけだが。
ともかく医療関係者なら好都合だ。準の容態について詳しくわかるかもしれん。が、その話題を口にするにはもう少し落ち着いてもらう必要がある。まだ彼女は先程の件で動揺しているからな。
「わ、私が留守の間は、それでも、近所の三笠さんや七崎さん、渡瀬さんが交替で御標準くんの様子を見に来て下さっていました。それで病院のフォローから戻ってくると、その、九朗さんが準くんを連れて出掛けたという話を伺ったものですから。一応お宅の様子を見に行こうと思って伺った次第です」
で、鍵もかかっていない玄関を開けたところで、化け物達に襲われた。ということか。
ええい。ならこの女は異界の事とかも全く知らねえわけだ。いちいち説明してたらどんだけ時間が掛かるか。
萎縮しきった女に向って俺は声を掛ける。
「俺達はてめぇに危害を加えるつもりはねぇ。クロー……あー、御標九朗の知り合いだ」
「は、はい! そ、そうなんですか」
「九朗は……しばらく帰ってこない。だから俺達が準を預かった。だが……」
「はい。昏睡状態にあるということですね。熱も無いですし、脈拍も安定しています。その……貴方達の世界で……魔導光? というものを浴びてこうなったのであれば……私達の世界では手の打ちようがありません」
残念ですが。と、付け加えて早百合は頭を垂れた。
駄目か……! やはりこの世界でも処置はできないのか……!
当然といえば当然だ。魔導光汚染は異界でも特殊な症状。別の世界で処置の方法を知る者が居るわけがないってことくらい……わかっていたさ……!
――魔導の光は確実に着実に身体を蝕む。
――魔力の無い準の身体の何を蝕むのか。それは生命力。生きる為の力だ。
――侵蝕がどのくらいの速さで起きているかわからない。
――とてもとてもゆっくりと蝕んでいくかもしれないし、このまま根こそぎ奪ってしまうのかもしれない。
「もういい。高坂早百合、ありがとう」
「え?」
「悪い事をしたな。もういいから、お前は此処で起きたことを全て忘れてくれ。御標一家の事も」
「そ、そんな……!」
目の前に、いつ死んでもおかしくない少年が寝ているのに忘れろと言われれば、そりゃあ抵抗したくもなるだろう。
だが、俺はもう決めたことがあるんだ。
高坂早百合には、此処で見たこと、聞いたことを、すべて無かった事にしてもらわないと困る。本来ならここで高坂早百合を殺すべきだが。準が世話になったこと。この世界では殺人を行ってはいけない気がしたこと。それを踏まえて、俺は彼女に忘れろという命令に近い選択肢を与えた。拒否すれば殺す。
しかしこの高坂早百合という女。
強い。
実に強い意思を持っていた。
「お断りします。御標準は私も面倒をみます」
と。首を横に振って。
異界でも抗える者が居なかった惨劇のカタストロフを前にして、無力な女が抵抗した。
俺は圧力砲を放つ姿勢で高坂早百合に戦慄を与えた。にもかかわらず、したたかな眼差しで俺を見据えてくる。
「貴方が……いえ、その視線を見る限り、貴女と言った方がいいのでしょう。惨劇のカタストロフさん。貴女が準君を想う気持ちは本物であると解ります。よく解ります。私とて、今の彼を見て放っておくことなど、できないのです」
「……だがお前は、お前では、何もできない。これは、俺と、準で切り抜ける問題だ。そして俺には考えがある」
「考え……」
「そう。そして、それにはお前に、御標や俺達から縁を切ってもらう必要がある」
「………」
しばらく彼女は考えた。
準の顔を見て、
双百合の顔を見て、
ディーラーズの顔を見て、
もう一度準の顔を見て、
俺の顔を見た。
「わかりました。ですが、縁を切るというのは不可能です」
「不可能?」
「一度結ばれた縁、それを本当の意味で断ち切るのは不可能です。ですから、貴女はそれをも乗り越えて見せて下さい。私には何もできない。ならばここは貴女にお任せするしかないのでしょう。なので、一つだけ、約束をして下さい」
「約束……」
「立派に、彼が成長した姿を、私に見せに来て下さい。それがいつなのかは、貴女次第です。貴女が、この子が立派に育ったと思った時。もう一度、この子に会わせて下さい。惨劇のカタストロフ」
無言で視線を交差させる。
「……わかった。守ろう。出来る限り、な」
そして高坂早百合は、御標の家を去った。
御標を忘れて。
◇ ◇ ◇
「クフ……クハハハハハハハ。クハハハハハハハハハハハハハハハ!」
高坂早百合の去った部屋の中で、俺は大声で笑った。
約束は出来る限り守るさ。出来る限りな。
だがいつか準は死んでしまうんだ。準の生命力は尽きるまで蝕まれるのだからな。
立派に成長したらだと。
そんなものは至極当然だ。俺が全力で準を育てる。
――生命力を、準に与えてやる。
「世界にお別れの宴をしなきゃな」
「惨劇様?」
「それは一体?」
「俺が存在できるのは十三年間。そして今や三年が経過した。残りの十年。その十年間、生命力を準に与える。そうすりゃあ俺の無限の生命力を受けた準は確実に十年生きて居られる」
「まさか……!」
「チェシャ猫がクロー様に用いた能力を!?」
「そうだその通りだ。奴がクローの中に入り込んだ能力。最期にチェシャ猫が俺に遺した能力だ。そいつを準に使う。だが……俺が十年後、準の中から消えた時。準がもし幸せで無かったら最悪だ。だから俺は見極める。この十年で!」
ディーラーダイヤは無言でクローのデータを探り、双百合は唖然としていた。
「十年後。世界が俺の期待に応えない屑だったと判断した場合。俺は……この世界を壊す。《惨劇の宴》を起こす。壊して、準が幸せになれる世界に作り変える。スペード、いよいよあの情報が役立つぞ」
「は、はい。ゼブラ・ジョーカーの機密情報にアクセスしろという御命令に従い、我々は彼女の秘密に踏み込んでおりました。《起源への扉》。戦略傀儡兵四機分のエネルギーを使って開くその門は……運命と時間の同時逆走を行う事が可能な空間への入り口である。と」
「チェシャ猫の仮定は正しかったな」
世界を壊す計画。
それは、その全ての源は、この御標の家で行われた。
「――それで……御標九朗の身辺状況ですが」
「わかったか?」
「はい。里原という家系が親戚にあります。御標準を預けるには最適かと」
「クハハハハハ、よし決まりだ」
里原準。
それが準の新しい人生。
幸せを歩む、新しい生活。
「さようなら御標九朗」
◆ ◆ ◆
それから――
1年後も、2年後も、
3年後も、4年後も、
5年後6年後7年後8年後も9年後も、
俺と里原準は、常に共にあった。
あいつが学校でクラスメイトと喧嘩した日は相談に乗った。
あいつが眠れない夜も一緒に話をした。
テストで良い点取った時は褒めちぎった。
女の子に手をあげた時は叱った。
一生懸命、準を立派に育てようと。
幸せになって欲しいと。
俺の持てる全ての愛情を、注いでいった――
◆ ◆ ◆
全てをクリアにして、俺と準の二人で、一番初めからやり直す事にしたんだ。
異界なんてものは存在しないし、惨劇は化け物ではなく準のもう一つの人格。裏の顔となる。クローはあっちの世界で死んだ。母親と共に。彼から異界というものを引き離す事で、クローと同じ道を辿る事を避けたかった。そうすれば準は異界で受けた呪縛から解放されると信じた。オールクリア。オールクリアだ。なにもかもまっさらな状態から始める。一から十三まで俺が守り抜く。一つの世界で、小さくもたくましく、人並みに生きて、そして幸せになって欲しい。俺の願いはただそれだけだった……。
俺が父で、俺が母で、俺が妹で、俺が裏で、俺が準の望む全てになればいい。
そう望んだからこそ……。
俺は、許せなかった。
準に非日常を与えた小娘が。
全身全霊で隔離していた異界を――運命を――至極あっさりと準の目の前に持ってきた……あの死神。ロシュケンプライメーダが。
奴が現れた時……災厄を持ち込んだ時。既に決めていた。何故なら解っていたからだ。再び準と異界を結びつけた瞬間、眠っていた呪縛が目を覚ますと。
幸か不幸か十三年目。惨劇のカタストロフ最後の年に起きた非日常的日常。俺は焦った。焦ったさ。これはもう、世界を潰すしかねえと決めた。そうしなければ準は解放されないならば、最後の最後で人生最高に憎悪させたこの世界を消し去ってやると。
準自身、己の身体にはタイムリミットが科せられ、それが近づいていると知っていた。気付いていた。それなのに……。
それなのに準は、“このまま”を希望した。
準にとって、災厄と共にもたらされた非日常的日常は、とても大切なものになってしまっていたのだ。
◆ ◆ ◆
宴の始まりだ。