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†裏章 10

裏章10


【鴉と怪人と鬼と死神】



 さて。ついに俺の記憶も、最も憎たらしく嫌悪する記憶に至ってしまったか。

 あまり思い出したくない記憶だ。

 この頃の俺は何も知らなくて、ただひたすらクローを全能視して、クローを信頼して、クローには隙がないと信じ込んでいた。

 そんな俺の親父はとても大きな存在だ。その証明をこの目で見てきたし、クローとの旅で確信だってしていた。

 それは記憶を振りかえる今も変わらない。

 俺の中でのクローは、間違いなど微塵もありはしなかった。

 力いっぱい、戦争からみんなを守ろうとしていた。

 それだけの器を持っているのだから、それは義務のようなものだったのかもしれない。

 考えや思想を全てクローに委ねていたあの時の俺は、クローの判断になんの意見も持たず、ただ彼の武器となり、準の盾となっていた。

 最凶は、それだけの存在だったんだ……。

 そしてクローのあまりの強さと大きさに半ば忘れかけていた。

 彼もまた、生命の儚い灯を宿し、血の流れる一人の人間だったということを。


 魂管理機関、『地獄』。


 俺はこの名前を忘れない。

 俺はこの組織を忘れない。

 俺はこの墓標を忘れない。


 鴉天狗のクロー。

 本名、御標九朗。


 彼の死んだ、この忌まわしい場所を……。




 ◆ ◆ ◆




 敵軍の進攻は一時中断している。

 おそらく俺の攻撃に対抗した進撃方法を準備する為だろう。

 アキュムレーターの四段階解放については、あの後クローにめっちゃ怒られた。

 強大なエネルギーは空間崩壊を誘発してしまう。あれ以上の解放をしていたらどれだけの規模が異空間に飲み込まれたかわからないそうだ。この世界ではお前の力はほんの少ししか引き出せない。そう言われた。




 ◇ ◇ ◇




「鴉天狗のクロー、歓迎しよう。予想以上に戦闘が激化し、君達の部隊を受け入れる準備が整っていなかった。すまなかった」


 髑髏の仮面を被り、真黒なローブに身を包んだ男が言う。風も吹いていないのに首に掛かった紫色の長い呪文布が揺れていた。

 地獄塔最上階。

 管制機関最上指揮部署。

 つまり、地獄のトップが椅子を据える場所に俺とクローは居た。


 男の名は《ギルスカルヴァライザー・ヘルツェモナイーグルスペカタマラス6世》。

 地獄の頂点である三頭の一人であり、その三人の中でもリーダー的役割を担う人物。つまるところ、地獄で一番偉い人ってことだ。

 髑髏仮面の眼窩の奥で不気味に輝く赤い光源。

 最強種の一つである《死神》という一族の末裔なのだという。


「クハハハ、まあ気にするなギル。仕方ないこった。な、惨劇?」

「……ああ」


 ……俺は無言でクローの背後に立っていた。

 円卓の席に座るのは――地獄の長、ギルスカルヴァライザー。我らが鴉天狗のクロー。そしてもう一人……。

 灰色の般若面を顔に付けた、鬼一族の末裔が行儀悪く両脚を卓上に乗せていた。


「オヤオヤそちらに見えるは最凶の称号保有者じゃないか。我が知識通り、なんとも化け物じみた出で立ちよ」


 けらけらと俺を顎で指してせせら笑ってきた。

 俺の異形なる身体を足の先から頭の頂まで目線で舐め上げ、もう一度笑う。

 異界政府最高権力者にして《最賢》の称号保有者。《鬼叉》という名の鬼は外見及び性格と、噂が真逆であった。


「もういっぺん言ってみろカス。面ァ叩き割るぞ」


 俺が一歩前に踏み出すと、クローが手をかざして止めた。

 殺してもいいか? という問いに、彼は否、と答えた。

 鬼叉は臆す様子など微々とも見せず、頭の後ろに手を回し、椅子にもたれかかった姿勢でまたも笑った。


「化け物なのか飼い犬なのか」

「テメェ……」


 ここでギルスカルヴァライザーがコホン、と喉を鳴らし、俺と鬼叉の間に割って入った。


「やめないか鬼叉。咲狐を呼んでこようか?」


 それだけは勘弁。というように鬼叉は両手を挙げ、頭を振った。


「最凶と最賢が顔を合わせていきなり喧嘩腰になるんじゃない。鬼叉、自粛せよ」

「ふっ、承知。いきなり吹っかけて悪かったな惨劇のカタストロフ。知識の確認をさせて頂いたまでだ」


 知識の確認。ねぇ。

 クローは終始表情を変えずに居る。鴉面の内側に潜む眼光は、このどうでもよいやりとりなどに少しも向けられてはいなかった。

 異界政府、地獄、鴉天狗。

 今回の地獄塔防衛作戦の立案者三人が、こうして顔を合わせたのだ。最賢の興に付き合っている暇も惜しいといったところか。

 それを読み取ったであろうギルスカルヴァライザーが、ばさりとローブをはためかせて手を叩いた。


「さて。まずは新しく入った情報を確認しておこう。といってもこの戦況下、必要十分な情報は集まっていると自負していたのだが……。我々も確認している第三の勢力に関して、惨劇のカタストロフがその指揮者と思われる者と遭遇した。チェシャ猫のシュレーディンガー、と、そう名乗ったそうだ。

 確率を操る《最害》の称号保有者。この者についてだが、最賢でもわからないという。そうだな鬼叉?」


 般若面が頷く。


「我が知識に含まれぬ存在。是即ち存在に非ず。されど称号保有者である。つまり存在という認識も含まれた非存在。まさに本人が自分をそう例えたように、曖昧、という言葉が適切であろう。その者曰く、惨劇のカタストロフが弱点。なにゆえ己が身を滅ぼす発言をしたのかも不明だが、その者の聞く性格からすれば稚拙な遊び心から為る、敵に塩を送ったつもりなのであろう」


 可思議不可思議。と、最賢は笑いながら言った。

 クローは腕を組んだままだ。

 死神の男は自分の仮面を人差し指で叩き、それから俺を指した。


「敵の言う事を信じるのもどうかとは思うが……。存在と非存在が不明瞭な敵が相手では通常軍では相手にならないだろう。だから第三勢力は、惨劇のカタストロフ率いるNo.13部隊を中心に働いてもらう」

「構わねぇが……布陣はどうなる? 四部隊で四方を固めるってのが当初の作戦だった筈だ。俺達が抜けると三部隊で守るって事になるが」

「その通りだ。守備範囲を広げ、三部隊で防衛網を築く。No.13は最終防衛網として固めてもらう。チェシャ猫の軍がいつ、どこから現れるかわからんからな」


 確かに奴らは移動しながらなにもかもを蝕み続けている。

 そしてギルスカルヴァライザーは第三の勢力に対して〈進撃〉という概念を捨てていた。シュレーディンガーが確率変動能力者だとわかった以上、軍隊戦術の常識が通用する相手ではないだろうと悟ったからだ。

 つまり、今この瞬間にひょっこりと俺達の囲む円卓からシュレーディンガーの笑い声と共に、謎の軍勢が飛び出してくるのも在り得ない話ではない。何処にでも居て、何処にも居ないのだから。

 だから俺達は臨機応変な行動をとれるように地獄塔の最も近い位置に配置されるっつーわけだな。


「異界政府の直下部隊も、地獄の特殊部隊も、面白いのが揃ってると見たが。期待していいんだろうな?」


 俺の問いに死神と鬼は自信たっぷりな声で答えた。


「問題無い」

「問題無い」


「そもそも地獄は総力を挙げてこの戦いに挑んでいるのだ。三頭の一人、吸血鬼アークス・マーカス卿が前線指揮を執る。もう一人の三頭、夢魔インキュバス・バッドドリームが地獄塔全体に渡って防御結界を張り巡らす。そしてこの私、死神ギルスカルヴァライザーが全体指揮を担当する。後に地獄を支部化するにあたって各支部の長となる支部長候補達は私も認める猛者揃い。死角は無い」

「そういうことよな。異界政府とて、ここだけでなく異界の多岐に渡って軍を動かしているが、ここへ配置した狩魔衆は政府の御庭番。つまり政府の寝床を守る連中よ。己が息子達に期待せぬ親はおるまいて」


 だそうだ。

 それから緊急時の行動をクロー達の間で打ち合わせ、会議は終了したのだった。


 部屋を出た俺とクローは、外で待っていた双百合を連れて部隊へと戻る。

 隣を歩く彼の表情は、なにか物憂げなものを感じた。

 考える事が多すぎて、負担が多すぎて、精神的に参っているのだろうか。

 鴉の仮面の下で視線を斜め下に落としながら、クローは双百合の頭に手を置き、撫でた。

 歩く速さは変わらず、ゆっくりと口を開く。


「チェシャ猫――シュレーディンガーは確率を操る能力者だそうだな」

「あ、ああ」

「生きる者を抹消することが可能ならば……死んだ者を蘇らせることも、可能なのだろうか」

「……?」


 突然何を言い出すかと思えば。


「奴には時間すら無関係だからな。死んだ者が、死んだ原因となった現象の確率を弄れば、容易なんじゃねえのか」

「そうか。そうだろうな」


 一体どうしたってんだよ。

 クローは旅から帰り、どこかへ行って戻って来てから様子が変だ。

 準を連れて来てからの彼は、なんだか以前の彼とは違うように見えたのは気のせいじゃなかった。暗い。彼の威勢と気迫がただひたすらに瞑い。

 実の息子である準と目線すら合わせようとしない父親。準はクローが大好きだし、クローも準を大切に思っている。なのに、妙な違和感が二人――親子の間にあった。

 俺の腹の中でクローに会いたいと嘆いていた準。しかし言葉とは裏腹に、今はディーラーズの四人に囲まれて遊んでいる。クローには会っていない。

 俺も双百合もそれに関して何も言わないが、気になっているのは確かだ。


「俺の死んだ嫁さんも……生き返るかな」


 死んだ嫁さん。

 クローは哀しげにそう言った。

 クローの奥さんということはつまり、準の母親だ。


「死んだ?」

「ああ。つい最近な」


 ………。


「俺が旅から戻ってしばらく留守にしたのはその所為。準を連れて来たのも、な」


 さらっと言うなよそんな事。

 クローの言葉は重い。俺も双百合も、いきなりの告白に言葉を失っていた。


「事故。交通事故だとさ。いつものように買い物へ行く途中。いつものように歩いていた道で。ほんのちょっといつもと違う事態に巻き込まれた。たったそれだけで俺の大事な人は、二度と戻らない人になっちまったんだ。その時俺は異界で旅をしていた。何も知らずにさ。アイツは痛がっていたのかもしれない、俺の名を呼んでいたのかもしれない。なのに俺はアイツと遠く離れた場所で、何も知らずに居た」

「俺と旅をしていた時……か」

「最低な男だよ。最低だ。妻も息子も放って、最も守るべき者を放って、別の世界を守ろうと意気込んでいた愚かな奴さ。母親が死んだ時、準はどうしたと思う? たった一人で救急車を呼んで、母親に付き添い……母親の最期をたった一人で看取ったそうだ。

 鴉天狗のクローなんかよりも、齢たった十の御標準の方がよっぽど立派な人間だ。夫としての義務も果たせず父親としての義務も果たせない。そんな俺を準はまだ父親と慕ってくれている。俺はあいつにどう顔を向けるべきだ……。

 こんな俺が、部隊を率いて多くの命を守って良いのか……」




 次の瞬間、クローは頬を叩かれていた。

 俺にではない。


 双百合にだ。




「失礼。ですが……!」

「肉親を大切にできない人は最低です!」


 双子の姉妹の目は怒りに満ちていた。

 当たり前だ。彼女達も肉親に捨てられた身なんだからな。怒るに決まっている。


「頼る者の居なくなった子供がどんなに不安で苦しいのか貴方様は知っていますか! いえ、貴方様は知っていた筈です!」

「知っていながら行動した貴方様の罪はとても重い!」


「こうなることも予想くらいしていたのでしょう!」

「今更、迷ったところで何の意味がありますか! 貴方様はもっと早くに後悔し苦悩すべきだった!」


「でももう遅い、遅いのです!」

「大切な方が亡くなって初めて後悔した貴方様は遅すぎた!」


 双百合の叩く拳を、クローは無言で腹に受けていた。

 親から忌み嫌われ捨てられた身であるからこそ、こいつらの方が俺よりも準の気持ちがわかるんだと思う。華一紋は双子を不吉とする家系。生まれた瞬間から親に義務を放棄されたこいつらにとって、クローのしたことは許し難いこと。


「一番守らなくてはいけないものを放っておいて、何故他の事に気を回すことができたのですか!」

「〈俺はあいつにどう顔を向けるべきだ〉!? 〈こんな俺が、部隊を率いて多くの命を守って良いのか〉!? 向けて良いわけがないでしょう! 守っていいわけがないでしょう! でも! それでも準は貴方様をまだ頼りにしようとしている! この戦況まで至ってしまったら貴方様が率いる他に無い!」

「卑怯です! 実に卑怯な男ですよ貴方は!」

「そうせざるを得ない状況まで持ち込んだ上で告白する姑息な――」


「もうやめろ。もういいからさ」


 俺は我を忘れる程に激怒した双百合をクローから引き離した。

 まぁ言い方はドギツイが俺も同じ意見だ。

 クローに苦悩は許されねえ。彼はもう、突き進むしか選択肢は残されていない。


「な、クロー。この作戦が終わったら……お前、異界から縁を切れよ」


 仮面の下で目を細めるクロー。


「お前は今後、準を一番に思って生きていかなきゃいけねえよ。死んだ母親の分も。だって準はお前を頼りにしてるんだからさ。それが準の幸せなんだから、俺はぶん殴ってでも鴉天狗のクローを異界から追い出すぜ」


 双百合が珍しく大激怒したおかげで、俺は逆に冷静だった。というか、こいつらがこんなに怒った事に驚いた。

 はっきり言ってムカッ腹が立つのだろう。

 双百合がこうして衣服と食事と、俺の傍という居場所を手に入れたのは、クローの手引きがあったからだ。

 魔監獄で魔獣の芸をして生きていた彼女達に差し伸べられた救いの手が、実は彼女達を奈落に突き落とした手と同類だったのだから。

 まさにエゴ。

 クローの異界における思想と言動は、居るべき世界を放ってきた男の自己満足の塊だった。

 そして、それを自ら明かした時には……準の母親は亡くなり、部隊を築いた後だったのだ。

 弁明、弁解、助言、擁護の余地もない。双百合の言う通り、卑怯だった。

 だからせめてこの戦争が終わったら、残されたほんの少しの義務――父親として準を幸せにするという義務を果たして欲しいと思ったんだ。


「ああ……約束しよう。この戦争が終わったら、俺は御標九朗として、御標準の父親として生きる。死んだあいつの分まで幸せにする」


 クローは約束し、俺は頷いた。

 準もクローも、この戦争が終わればあっちの世界に戻って暮らす。それで良い。クローができるのはそのくらいしかない。だから全力で生きろよ……。


「オラァてめーらも怒り過ぎて泣いてんじゃねーよ!」


 ぼろぼろと涙を零す双百合の頭を、それぞれスパンと叩いた。

 まぁこいつらは、クローを許したくないだろうけど。でも準が許している以上、双百合にはどうすることもできねぇんだよな。


 異界と縁を切って、あっちの世界で幸せに暮らす……か。



 ……。


 ……………。


 ……………あれ?



 俺は?



 あ、ちょっと待って。

 大事なこと忘れてた。

 クローが異界と縁を切ると俺はどうなる?

 準とクローがあっちの世界に行っちまうだろ?

 準も異界と縁を切っちゃうじゃん。


 異界と縁を切ったら俺と準は離ればなれじゃん。


 駄目じゃん。


 すべからく駄目じゃん。

 あ、待てよ?

 別に俺が異界に執着する理由なんて無いよな。異界と俺が強く結ばれているとか気持ちの悪い冗談はよせって感じだもんな。

 むしろ強く結ばれているのは俺と準だもんな。


 なんだ、簡単じゃん。


「クロー! 三人で幸せになろうな!」

「お前付いてくるつもりだろ」

「当たり前だろ」


 胸を張って答える。

 と、両隣から軍服の袖を引っ張られた。

 双百合だ。自分達を指差している。


「クロー! 五人で幸せになろうな!」

「お前双百合も数に入れただろ」

「しょうがねぇだろ」


 クローはやれやれと首を振り、鴉面の額部分に手を当てて深い溜息を吐いたのだった。

 おい何の溜息だコラ。



 ◇




 敵軍が一時撤退してから――かれこれ三日が経っていた。


 あれから――クローは確かに俺や双百合に約束はしたけれども、なかなか準には近づかなかった。遠巻きにディーラーズや隊員と戯れる準の姿を眺め、楽しそうに笑う少年に微笑むだけだった。

 今までが今までだっただけに、急に近くへ寄るということに抵抗があるのだろうか。

 ゆっくりと時間を掛けて心と心を近付け合えばいいさ。

 俺と双百合は、そんなクローを横目に見ながら準と戯れる連中の輪の中に居たのだった。


『おい惨劇、ディーラーズってスゲーんだよ!』


 準は嬉々として俺の服を引っ張る。

 基本的には無愛想な準だが、隊員達とすっかり打ち解けた今はもう部隊のアイドルみたいな存在で、戦闘の無い待機期間である今は笑顔が絶えない。

 部隊の連中は元囚人というだけはあり一見近寄りがたい雰囲気を出しているが、準はこの惨劇に死ねと言っちゃう程の器量の持ち主だからあまり気にしないようだ。なにより彼本人が他人に好かれる性質の持ち主であるらしく、誰彼構わず気さくに話をしていた。

 別に妬いてなんかいねーぞ。

 クローと俺は部隊長会議で頻繁に部隊を離れるが寂しくねーぞ。



 

 ◆ ◆ ◆




「敵軍の反応が消えただと……?」


 部隊長会議での報告にクローは訊き返した。


「消えた。観測部の情報では駐屯地ごと消えたそうだ」


 ギルスカルヴァライザーもにわかには信じられないといった声色で言う。

 だがまぁ……信じられないことはねぇだろう。

 土地ごと、大軍を抹消できるような奴なんて《アイツ》以外に居はしまい。

 最賢の鬼叉も黙りこくったまま腕を組んでいた。


「惨劇のカタストロフ。嬉しそうだな」


 クハハ。

 早いとここの争いにケリをつけたかったんだ。嬉しいのは当たり前だ。

 敵軍も魔獣も〈アイツにとってただ邪魔だったから〉消されただけさ。

 何の躊躇もなく禁忌を犯すあのチェシャ猫になぁ!


 クロー、ギル、鬼叉、そして惨劇は円卓を囲み顔を見合わせた。


「動いたか……!」


「第三の勢力……」


「存在と非存在の狭間の住人め……」


「さぁて忙しくなるぜクハハハハ」


 幾万の兵は意味を成さず。

 最初から存在しなかったことにされた。

 あの化け猫にとっちゃ軍力なんざ眼中にないんだ。

 チェシャ猫のシュレーディンガー。

 確率世界の住人。存在非存在曖昧な者。運命操作の禁忌を呼吸するかのように犯す災害。顔無き笑いノーフェイス・ファニー・キャット。唯一俺を殺せる奴。最害の称号保有者。


 クローと俺は同時に円卓を強く叩き、

 同時に叫んでいた。


「ディィラァァァズ!!」

「ディィラァァァズ!!」


 次の瞬間、我々の背後に四つの影が現れた。


「ダイヤここに」

「スペードここに」

「クラブここに」

「ハートここに」


 四つの寄生兵器は腕を組むクローの前で膝をつく。

 鴉天狗は素早く四人へ命令を出した。


「ダイヤはNo.0へクラブはNo.13へ伝達! 〈戦闘準備〉!」

「御意!」

「御意!」


「スペードとハートは地獄管制塔との通信回線を確保! 情報交信を絶やすなよ!」

「御意!」

「御意!」


 クローがディーラーズへ指示を出す間、死神ギルスカルヴァライザーは卓上に巨大な地図を広げていた。それを見ながら魔導石で管制塔へ連絡している。

 先手を打たれないように砲撃管制を素早く整えようとしているのだ。



 ◇



「全砲門を開いて待機せよ」

『了解ですギル様』

「吸血鬼アークス・マーカス卿へ出撃命令を。最前線に配置して指揮を執らせる」

『了解』

「夢魔インキュバス・バッドドリームへ結界の展開命令。交信を絶やすなと伝えよ」

『了解』

「ベルゼブブ・B・ランチャーを始めとする特殊部隊長へ出撃命令。小隊を率いてアークスの獲物を奪ってしまえ」

『了解。ギル様……』

「なんだ」

『出撃許可要請を三名ほど出しております』

「……誰だ?」

『閻魔、デーモン、アヌビスの三名です』

「支部長候補生か……」

『如何致しましょう?』

「駄目だ許可できん。避難民の護衛を最優先させろ。彼らが要とならねば内部で混乱を招く」

『了解』

「アークスには私の使い魔《八つ目》を同行させてある。アークスの援護をする者は彼に近付き過ぎるな。踏み潰されるぞ」

『了解』



 ◇



 地獄の部隊も本格的に動き出した。

 うちの部隊も動き出す。

 さて、異界政府は……

 と同じ円卓を囲んでいたそいつを見やる。

 鬼叉は変わらず足と腕を組み、ふんぞり返っていた。

 おいおい。


 そんな俺の視線に気づいたのか、彼は片目を開けてこっちを見てきた。


「節穴だのう。お前の眼は」


 くつくつと肩を震わせる。

 灰色の鈍く光る仮面は怒りの表情を象っているにもかかわらず、俺を嘲笑っているようにも見えた。かなり不快だ。

 そう。俺は最初からこいつが不快だった。

 同じ称号保有者でありながら最凶を虚仮にした態度。俺という女を見下す視線。いや、俺だけじゃねえ。自分以外のものを見下しているような物越し。ひどく、須らく気に入らなかった。

 何もかもを見通した態度、思考。そりゃあ最賢と呼ばれるくらいだから世界で一番物知りなのだろうさ。だがな、お前に俺を見下す権利なんかねえよ。お前に俺の何がわかる? アンノウンの塊たる惨劇のカタストロフの、何を識っている? わからないだろう知らないだろう。自分でもわからないんだ。

 だから最賢だろうが俺を嘲笑う権利なんかねえ。称号を盾にしたところで無意味なんだよ。

 本格的な戦闘に入る前に……ここをキッチリさせとかねえとなぁ!


「アキュムレ――」

「アキュムレーター解放か? クク、私が気に入らないから力で抑え込もうとする。まっこと子供じみた奴よ。思慮に欠ける」

「クハハ。だがそれ故に怖いんだろ? 思慮の欠けた奴に思慮で勝負するという土俵は通用しねえからなぁ」

「阿呆め。だからお前は阿呆なのだ。己を思慮欠いた者と公言するとは。自嘲にしても笑えぬわ。どうした? 言葉が返って来ぬなぁ。阿呆は阿呆らしく踊ってみたらどうだ。中途半端だぞ砂利娘」


 ――砂利娘。

 その言葉は俺の神経を逆撫でた。

 完全なる上から目線。クソガキが吠えるなと。吠えずに踊れと。

 誰に向かって?

 俺に向かって?

 俺をクソガキと称しただと?


「クふ……」

「おーおー。怒り過ぎてまともに言葉も出ぬか」


「鬼叉やめないか!」


 横からギルスカルヴァライザーの怒声。

 ビリビリとした殺気が室内を包みこみ、鬼叉の護衛と思われる狩魔衆の一人が天井から飛び降りてきた。

 そいつはどろりと口から黒い液体を吐き出したように見えた。が、それは見間違いで、実際は長い長い舌だった。トカゲのようにひたひたと地面に貼り付き、こちらを警戒している。なんとも――気持ちの悪い爬虫類みたいな忍者だ。一応、全身を忍装束で包んではいるが中身は大トカゲなんじゃねえかと思った。

 ゴム質の身体をねじったそいつは首を鬼叉の方へ。


『主……自重して頂きたい。無駄な犬死を招くだけです』

「くく。水客、《解流げる》といえども最凶は怖いか」


 鬼叉の護衛――水客とやらは、どうやら戦っても自分が殺されるだけだと分かっているらしい。

 それでも主命とあらば、俺に襲いかからなければならない。可哀相な忍だ。

 覆面で隠れた顔の、額部分が開いて大きな目玉が一つ覗いた。

 それから背中を突き破って液状の腕が何本も飛び出す。腕はそれぞれ刀や槍を握っていた。


「狩魔衆当主から話は聞いておるぞ解流。そなた……忍でありながら、稀有な平和主義者だと。無血主義者だとな」

『それを知りながら……。僕への嫌がらせですか』


 ひゅうんひゅうんと武器を振る水客に、鬼は肩を震わせて笑った。


「いやいや。そなたが魔導の武器や道具の収集家という話も聞いておってな。一度見てみたかったのよ」


 最賢の目的はそれだけのことだったのだ。

 俺に喧嘩を吹っかけてきたのもその為。

 水客、解流という男は言葉を失っていた。


『僕の武器が見たかったから……ですって?』


 ぶっちゃけ、この場に居る鬼叉以外の全員が怒っていた。

 自分の護衛が収集する武器を一目見たかったから、惨劇のカタストロフへ喧嘩を売り、護衛を出させた。周りを巻き込んで。

 そもそもこっちは水客の武器なんざ興味ないから……。


 当然のようにギルもクローも頭を抱えていた。怒りを通り越して呆れ果てている。

 最賢は知識の為なら他の事など気にしない。

 まさにその迷惑を被った形だ。

 水客も武器をおさめ、『いい加減にして貰いたいです』と愚痴をこぼしながらどろりと床に溶けてしまった。


 全員が冷めた面持ちで居るというのに……騒ぎの中心は愉しそうに笑っている。


「いやあ、良いものが見られた! なあクロー、ギル、見ただろう? あやつの武器! どれも見る者が見れば感嘆の声を漏らす価値のあるモノばかりだったぞ!」

「鬼叉……お前という男は……」


 ギルは溜息を吐いて首を振る。


「どうした! 死神一族も欲しがる武器まで持っていたぞ。いずれ店でも出しそうだな、ははははは!」

「そうだな……その時は地獄が面倒をみてやろう……。もういいか? 異界政府も作戦を開始してくれ……」

「よしきた! ははは、気分がいい。張り切ってやらせて頂こう!」


 こっちは気分悪いぞ。

 もはや怒る気も失せた。売られた喧嘩を買っても無駄な気がしてきた……。





 ◇ ◇ ◇




 既に戦闘準備を整えていた部隊に俺とクローは合流した。


 準は再び俺の腹の中へ。


 クローはNO.0を率いて前線へ出て行った。


 俺達No.13は地獄塔の周囲で待機だ。



 そして―――



 部隊を配置して間もなく、クローは敵の攻撃で行方不明となった……。





 ◆ ◆ ◆





【HELL WARS 記録】



・地獄防衛軍(『地獄軍』、『地獄特殊部隊』、『狩魔衆』、『No,0』、『No,13』)、地獄塔周囲に配置完了。


・直後、南方を防衛していた地獄特殊部隊が遠方で戦闘を開始。が、管制室に敵反応は無し。


・北方を防衛していたNo.0、広範囲空間刺殺攻撃により壊滅。地獄管制部、この攻撃(敵)を『アイアンメイデン』と命名。


・西方防衛隊の狩魔衆、二隊に分かれNo.0の救援に出向。『アイアンメイデン』と戦闘開始。


・東方防衛隊の地獄軍指揮官アークスマーカスより戦闘開始報告。たった一人の敵を相手に苦戦。管制部、この敵を『ベルフェゴール』と命名。


・確認できた標的が『アイアンメイデン』と『ベルフェゴール』の二つだけという状況。これにより、総指揮官ギルスカルヴァライザー及び参謀鬼叉は敵が『シュレーディンガー』を含めた三人のみの軍だと予測。




・『チェシャ猫のシュレーディンガー』、地獄塔作戦部に突如出現。強襲。


・作戦部壊滅。参謀《最賢》の鬼叉、心肺停止。


・『シュレーディンガー』、地獄塔最深部《魔導高炉》へ向け進撃開始。






・『惨劇のカタストロフ』、No.13を率い出撃。





 戦闘開始後15分で、鉄壁を誇った地獄の指揮系統は崩壊した……。

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