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†裏章 8

裏章8 【惨劇と準とチェシャ猫】




『おい惨劇。僕は歩きたいんだ』

「お前……今外に出たら一瞬で殺されるぞ」


 俺は目の前で剣を構える敵軍の兵隊に目を向けながら準に返事をする。


『うるさいったらうるさい。父さんの所へ行くんだよ』

「クローに会いたいのか。あいつは今忙しいから後にしろ」


 デコピンの要領で指を弾くと、俺の間合いに入らないよう警戒していた兵隊達の頭が弾けた。

 まるで風船。

 その返り血すら俺の身体に付着することは許されなかった。

 まだ幼い準にこの光景は見せられないだろう。さすがに。


『父さん、忙しいの?』

「ああ。なんてったって、砲撃を続ける地獄へ入らないといけねえからな……。この混戦状況じゃあ、援助に来た俺達の部隊まで砲撃にやられちまう」


 ◇


 我々が到着した時、地獄は敵軍に包囲されていた。

 全方位に展開する地獄の術式砲陣は敵軍を近づけまいと総攻撃を開始しており、援軍にやってきた俺達まで近寄れない。

 仕方なくNo.0とNo.13は外側から敵軍を叩き、地獄の砲撃管制が道を開いてくれるのを待つばかりだ。

 そこでクローはまず、全部隊を敵軍とは戦闘にならない位置まで後退させ、待機させた。

 味方が味方の砲撃に巻き込まれたらこれほど滑稽なもんはないからな。


 で、打開案として……俺を第一線に出したというわけだ。

 無敵の身体。圧力砲の威力。それを踏まえた上であの鴉天狗は『クハハ、頼んだぜ惨劇ちゃん』とか調子のいい事を言って俺を敵軍の中へ放り込んだ。

 かといってクローは何もしないわけではなく、ディーラー・ダイヤとスペードを使って地獄と連絡を取ろうとしている。


 たしかに圧力砲は広範囲攻撃に秀でている。無敵の身体も味方の砲撃すら弾くだろう。

 だが問題は敵の数だ。


 多すぎる。


 おそらくは様々な勢力が集結しているのだろう。地獄という塔を囲むように陣を張り、完全に包囲していた。

 遠くの丘から見下ろした時、蟻のような細かな影で埋め尽くされた光景にはさすがの俺も引いた。

 地獄の砲撃も大軍を相手に砲塔が足りなさすぎる。弾幕が弾幕としての役割を果たせていない。進撃する敵軍を全く食い止められておらず、既に塔の真下まで全方位から進攻されている状態だ。

 四つの部隊で四方を守るというクローの作戦が早くも崩壊しかけている。四つのうち二つの部隊がまだ地獄の外に居るのだ。なんてこった。

 どうやら地獄と異界政府の部隊が我々の分まで頑張ってはいるようだ。

 一刻も早く地獄に近づかなくてはならないというのに。皮肉にも地獄からの砲撃の所為で動けない。

 ここまで塔に接近されても尚砲撃を続ける地獄へ、クローも砲撃を止めるように通信しているのだが……この戦況下、外部からの通信なんぞに構っている暇なぞあるまい。

 ぶっちゃけた話、既に地獄は絶体絶命の状態まで追い詰められていた。


 圧力能力でも敵の数を一気に減らす事は出来無い。なぜなら……混戦だからだ。

 敵軍の一部は既に異界政府部隊や地獄部隊と白兵戦に突入している。そんな中へ俺が巨大なプレス・キャノンでもぶっ放してみろ……。味方殺しどころの話じゃねえ。

 まったく、来るのが遅かった。ショートワープで敵軍や魔獣と交戦しながらだったから仕方ないか。


 つまり、俺がクローに命じた仕事とは……

〈第一に敵軍の中を突っ切り、地獄の塔まで辿り着く。第二に味方(地獄・異界政府)へNo.0とNo.13が到着したことを知らせ、砲撃を一時的に止めさせる。第三にプレス・キャノンでクロー達の道を開く〉

 というまさに無敵の俺じゃなけりゃ不可能な無茶苦茶な仕事だった。


 敵中突破ってやつだな。


 そこで俺へ追従すると名乗りを上げた馬鹿が五人。

 ディーラー・ハート、ディーラー・クラブ。

 白百合、黒百合。

 そして……御標準。


 ディーラーズの二人は良いとしよう。一応ディーラーズ四人の中で俺専属の二人だ。

 双百合は……ただのアホだ。

 御標準は……もっとアホだ。


 準は戦争という状況をあまり理解していないらしく、それでも何故俺に付いてくると言ったのかというと、

『惨劇の中はよく眠れるから』

 というだけの話。


 俺の中、というのは文字通り俺の体内。

 バラバラに分離する俺の身体の中は中身が有るのか無いのか定かではなく、でも準がスッポリと中――腹部あたり――納まってしまったのだからきっと空っぽなのだろう。

 つまり準は、激戦を繰り広げて敵中突破を試みる俺の腹の中で寝たいと言う、なんともアホな子なのだ。

 そんな準が大好きな俺は、きっとアホな子大好きなのだ。うん、間違いねえ。クハハ。



 ◇ 


 戦闘中にわあわあと身体の中から喚く準の声が響く。

 お前、寝るって言ったじゃん……。


『父さーん。父さーん』


 そんなにクローが好きか。まあ父親だしな。

 準の声は別にうるさくは感じない。最高のBGMだ。


「惨劇様。我らが道を開きます」

「双百合を連れてお早く」


 俺の前に出たディーラーズ。

 敵軍も、たった五人(準は俺の中に居るから見た目は四人)の乱入者に気付いたようだ。

 まあ目の前で味方の頭が破裂すれば驚くわな。まして進撃方向とは逆からの敵だ。気付くのがちょっと遅いぜ。

 敵が俺達の存在を視界に捉えた時にはディーラーズの二人が脚を振っていた。

 こいつらにはクローの格闘術がインプットされている。

 

「鴉闘技!」

「インフィニティ・エア!」


 十字に描かれた真空刃を蹴り抜き、二つの巨大な竜巻が発生。

 敵の兵隊は軽々と、まるで人形のように竜巻に巻き上げられてしまう。ディーラーズを相手に剣じゃあ太刀打ちできないよな。クハハハハハ!


「敵を散らしました!」

「できるだけ引き付けますので惨劇様は先へ!」


 蹴り抜いたまま片足を上げた体勢で二人の配りディーラーが叫ぶ。

 御苦労、と呟いた俺は双百合を両脇に抱える。

 そして足元の空間を圧縮した。


 圧縮された空間にはエネルギーが凝縮されている。それを一気に解き放つ事で、俺の巨体を瞬間的に移動させることができるのだ。

 圧力能力を活かした瞬間移動術。

 誰の目にも留まらず一気に敵を突破する!

 時間がない。地獄の防衛ラインを突破される前に……。

 


「空間解放、スペースシフト!」



――ギュル!

 地面が捻じれ、俺の身体を押し出す。

 時が止まったかのように。

 周囲の景色が硬直し。

 直後には別の場所に立っていることだろう。




 だが――この止まった時は、俺の感覚の鋭さに依るものではなかった。


 きっと、《奴》からすれば、俺の時間も止まっていたのだろう。


 俺が瞬間移動を行うのと同じタイミングで、《奴》は俺と準を《奴》の空間へ招いたのだ。


 運命の確率すらあざけ笑う奇妙な物の怪。


 あの《チェシャ猫》との出会いは唐突だった……。



『ウナー。ウナーハハハハ!! クルッと回って一回転! 身体が無いのに一回転! 着地は華麗に一等賞! 地面が無いのに一等賞ーーー!』




 ◆ ◆ ◆




 世界は時を止めていた。


 舞う砂も、流れる雲も、吹き抜ける風も。

 砲弾は地に炸裂する直前で静止し、兵隊は剣を振り上げたまま静止している。

 時の止まった世界は色を失っていた。

 動きを失っていた。

 戦争が止まっていた……。


「こ、これは……!?」


 そんな静止した世界の中で俺は動くことができた。

 しかし両脇に抱えた双百合は、堅く目を閉ざしたまま固まっている。

 何もかもが止まってしまった光景は、一言で表せば――壮絶。


 この現象は一体何なのか。

 俺はただスペースシフトを使って敵軍を突破しようとしただけだ。

 そしてスペースシフトは確かに成功しており、俺達が進む道を切り開いてくれたディーラーズが遠くに居る。

 その二人も時の止まった世界で、脚を振って敵を薙ぎ払ったという場面で停止している。


 ……準は!?


 慌てて腹の中に気を向ける。

 すると寝息らしきものを感じた。

 どうやら俺と準は時を止められていないらしい。というかよく寝る少年だ。


 準の無事を確認したところで俺は抱えた双百合から手を放してみた。

 驚いた事に……姉妹の身体は、抱えられた体勢のまま空中静止している。


 わ、わけがわからん……。

 しかし、もしこれが敵の仕業だったとしたら。

 俺だけを狙って使った能力だったとしたら。


 そう予想し、すぐさま周囲を警戒した。

 硬直する無数の敵兵士達は先程まで果敢に地獄へ攻めていた者達だ。まるで精巧な蝋人形であるかのように今はオブジェと化しているが。

 どいつもこいつもピクリとも動かねえ。



『アクビが出るとか出ないとか』

「――!!」



 声だ!

 どこからだ!?



『コイツも駄ぁ目、ソイツも駄ぁ目。ぼろぼろぽろぽろ。居なかった事にしたら万事解決。変動、変動、自由自在。かくしてこの世はおいらの遊び場となるのであったー』



 すったん、

 すたたん、

 すたったたん。


 軽快な足音が聞こえた。



「そこかぁ!」



 片腕を分離し、声の発生源を狙って拳を飛ばした。

 オブジェと化した敵兵を縫うように避け、腕は何かを殴った。

 ゴキン、という音がしたから間違いない。



『いやいや、君が殴ったのコレだから』

「う――!?」



 そいつは俺の足元で……寝ていた。

 片手に敵兵の首をぶら下げ、脚を組んで寝そべっている。

 ウナー、という妙な声で欠伸をしてぺろりと舌舐めずりなんかをしていた。

 猫?

 人型だが尻尾と耳がある。

 なのに顔が無い。

 表情がぼやけている奇妙な奴が、そこに居た。


『ヤッホー化け物』

「ヤッホー化け物。じゃねえよテメーが言うな化け物」


 片手を上げていきなりの挨拶だ。

 返事をするのと同時に俺はそいつを踏み潰していた。

 トマトのように弾けた頭を足ですり潰しながら俺は問い掛ける。


「これはお前の仕業だな?」

『うん。っていうかさ、おいら頭踏み潰されてんだけど』

「うるせえよ。口も無いのに喋りやがって」

『君だって口は無いじゃん。君の方が見た目化け物じゃん。なんか腕とか飛ばしてたし』

「どうでもいい。とにかくてめえが敵かどうかはっきりさせろ」

『いやはや……』


 トン、と俺の肩で音がした。

 見れば踏みつけた筈の奴が肩の上に乗って立っているではないか。


『敵とか味方とか……ちっちゃいねえ。実にちっちゃい』

「降りろてめえ!」


 手を握り締め、肩の上で器用に身をくねらせるそいつを圧力で潰した。

 それでも死なずに今度は俺の目の前に立っている。


『おいらの名前は《シュレーディンガー》。チェシャ猫って呼ぶ人も存在するとか存在しないとか半分だけ存在するとかしないとか』

「……何者だ」

『何者かもしれないし何者でもないかもしれない』

「ハッキリしない奴だな」

『なぁにハッキリしないからおいらなのさ』


 シュレーディンガー。別名チェシャ猫。

 存在自体がぼやけているような不思議な奴だった。殺しても死なない。

 そんな奴が一体俺に何の用があるのか。よりによってこんな時に。


『おいらと君は一度巡り合っておくと面白いとか面白くないとか。そう思ったのさ惨劇』

「どうして俺を知っている」

『そんなことはどうでもいいとかどうでもよくないとか』

「クハハ、ああそうかい。気が済んだのなら元に戻せ」

『それは可能』


 ピッ、と指を立てたチェシャ猫はそのまま尻尾を振りながら俺の周りを歩く。


『可能も不可能もある。白も黒もある。真も偽もある。だけど矛盾もある。パラドックスもある。それを認められないからおいらのほうから認めさせてあげるのさ。矛盾したおいらが君の前に現れた理由。それ自体が矛盾という永遠の矛盾。おいらはどこへも現れないしどこへでも現れる。おいらにかかれば確率は自由自在さ』

「……何を言ってんのかサッパリだが。確率が自由自在だと?」

『うん。だから運命も自由自在』


 運命も自由自在!?

 馬鹿を抜かせ、そんな事は不可能だ。

 運命を操ることのできる存在は世界に嫌われる。起源を求めようとすれば世界に嫌われるんだぞ!

 そして最も運命に、世界に嫌われた〈最凶〉は……ここに居る!


『じゃあおいらも〈最凶〉なんじゃなーい? ウナハハハハ!』

「称号保有者は唯一無二だ!」

『じゃあ違うんじゃなーい? おいらは存在するし存在しないから世界に認識されていないのかーもね』

「ならばてめえは世界の敵か」

『だぁから敵とか味方とか……そんなちっちゃな分別に拘ることすら馬鹿げている。けどまぁ――』


 ステップを踏み右足左足で交互に地面を叩いたチェシャ猫は、俺の目の前で片足を上げた。

 両拳を顔の横につけている。

 なんだ、猫の真似か?

 おそらくは決めポーズと思われる姿勢で、こちらをビシッと指差した。


『〈おいらが存在するケース〉の前ではおいらは君の敵なのだろうね!』

「……そうか」


 それだけ確認できればOKだ。

 俺は腕を上げ、掌を相手に向けて構える。


『ウナ、ナハハハ! まだおいらの軍勢は到着してないけど、前哨戦といくかい? 惨劇のカタストロフ! この時止まりし世界でさ!』

(まだ……到着していない?)


 異界に於ける地獄の敵対勢力は既に集っている。この数だからな。

 見れば魔獣も混戦に加わっている様子。

 敵という敵は既に地獄と交戦している筈だ。


――第三勢力。


 クローの話を思い出した。

 無差別に破壊を繰り返しながら目的もなく移動するという謎の勢力。

 まさかその勢力とは……。


『おいらの率いる軍勢に相違なし! とはいえ無差別に破壊だとか……表現が野蛮で困る。目的云々も実に阿呆らしい。これだから白黒つけたがる類のモンとは相容れないのさ』


 なるほどなるほど。

 その軍勢とやらが到着する前に、このチェシャ猫が一人だけでここまで出張ってきちまったわけか。で、しかもチェシャ猫はその指揮官であるらしい。

 これはラッキーだ。

 今ここでこのチェシャ猫を始末してしまえば、危惧する第三勢力がトップを欠いて崩壊する。さらにコイツ、自分で世界の時を止めやがった。攻められている地獄を気にせず戦えるぜ。

 本当の阿呆はテメーだ。クハハハハ!


「御託はいいからとっとと死ねコラ。クハハハハハハハ!!」

『血の気が多いね。おいらは死なないよーだ』


 ぱ、ぱん。ぱぱぱん。

 リズミカルに手を叩くチェシャ猫。

 またも猫の決めポーズをとり、一歩足を踏み出してくる。そこから身を屈め、『シャァァ』と喉から威嚇の声を上げてきた。

 相手は確率を操るとかいうチート能力の持ち主だ。さっきこいつが登場した時に、その歌声に合わせて兵士が何人か消えた。おそらくはその歌詞通り、居なかった事にされてしまったのだろう。

 確率を少し弄るだけで存在すらも抹消してしまう。恐ろしい能力だ。加えてその能力故に世界にも認知されず存在有無の狭間を漂う厄介な奴。だから攻撃が効かない。


「てめえもまた……無敵たる者。か」

『いいや。無敵たる者は総じて識が足りていないだけの話だよ。どこかしらに弱点を持っているものさ。だから無敵なんてありはしない。そして君も無敵じゃあない。君の弱点は……おいらだ。君の過去、君が生まれる前の確率をちょっと変動させてやるだけであら不思議。君は最初から存在しなくなるのさ』


 誇らしげに鼻を鳴らし、ぼやけた顔で俺に微笑んでくる。

 猫耳を動かし、尻尾を振り、余裕の体を主張しているシュレーディンガー。


 クク。

 クハハハハハハ。


「クハハハハハハ!」

『何がおかしいんだい?』


 この期に及んで何がおかしいんだい? だとよ。

 これが笑わずに居られるか。

 チェシャ猫は所詮チェシャ猫。

 飄々として物語の根幹に関わらないと見せかけてそうではない。

 関われない。関わる事が出来無いんだ。

 だから強がって、余裕振りまいて、それを必死に隠す哀れな存在。


「クク、有言不実行……」

『………っ』


 見えない顔から歯を食いしばる音が聞こえた。

 痛いところを突かれた気分か?


「別にてめえはお喋りが大好きなわけじゃあねえだろ。できるもんならとっくに俺の存在を消去している筈だ」

『………』

「で・き・な・い。だから俺を探って俺の存在に関与し得る確率を見つけ出そうと頑張っているんだよなぁ?」

『………その通りさ。ウナハハハ』

「俺の過去なんざ、俺自身が知りてえよ」

『そうさ、そうなのさ。君には存在を左右する記憶が無い。だからおいらも確率変動ができない。今も君の奥へ奥へと探りを入れているけれど……君の存在は変えられない! 不可能が確定してしまっている。まさにおいらの敵だ。そしておいらは記憶からその者の起源と原因を探るわけじゃあない。その者自身、姿形性格他者関係すべてから辿ってゆく。なのに探れないということは君は突然此処へ現れた、もしくはなんらかの複雑な経緯を経たうえで因果が逆転してしまっているかだ。矛盾ではなく逆転だ』

「俺を狙って此処まで来たのか」

『いんや、自惚れちゃいけないね。これはただの巡り合わせさ。おいらがたまたまこの戦場で君を見つけた。それだけのこと。でも、見逃すわけにはいかない』

「クハハハハ! てめえが俺の弱点であるように、俺がてめえの弱点でもあるからか!」


 俺は脚を分離させ、勢いよく振り飛ばした。

 回転しながら飛んだ蹴りはチェシャ猫の首から上を刈り取り、そのぼやけた顔ごと頭部が破裂。ばしゃりと弾けた血飛沫はインパクトの強さで霧のように霧散。

 それでも首の無くなった猫は……何事も無かったかのようにそのまま顔のない笑みを浮かべ、声の無い笑い声をあげていた。


『おいらの弱点が君? 大当たりだよ惨劇のカタストロフ。君は意外と賢いんだね』 


 映像の逆再生よろしく破裂した頭部が再生した。

 間髪入れずにもう一度、ラリアットをぶちかます。

 再生の暇も与えず頭を粉砕しまくった。


「あー駄目だこりゃ」

『何回おいらを殺す気だよ』


 全然効いちゃいねえ……。


 無駄な労力にテンションが下がると、それに呼応して腹から〈グゥー〉と音が鳴った。

 いや、いやいや俺が腹減ったわけじゃねえぞ。

 腹が減ったのは、準だ。

 中で『おなかすいたー』だの『父さん』だの呟いてる。


――『惨劇ー、おなかすいたよー』


 なんてこった準が空腹感をもよおしている……!

 お腹が空いたと嘆いている……!

 大好きな惨劇といっしょに食事がしたいと切望している……!


 これはいかん。


 俺はチェシャ猫の首を引っ掴むと、猛スピードで往復ビンタをくらわせる。


「てめえ早く死ねよクソ猫。ぶっちゃけ邪魔」

『え。えぇえ!?』

「邪魔は邪魔で邪魔な邪魔くさい邪魔だから邪魔というか邪魔。要するに邪魔で、つまるところ邪魔なわけだ」

『九回も……!』

「テメーの確率がどうのとか本当にどうでもいいのな。な? 全っ然興味ねえの。でもってその猫耳と尻尾はなんだよコラ。見てるとイラつくんだよ。つーかよこせ。準に付ける」

『なんかいきなり感情的になったんだけどこの怪人!』

「時間を止めた所為で食事を用意する双百合まで動けねえじゃねえか。いや戦場のド真ん中で時間なんか止めるんじゃねえよ。これからまだやることがあるんだからよ。それを終えないと準が食事できねえじゃん? 止めるんなら準の時間も止めとけって話だよ。あ? 聞いてんのか」


『………? 聞いているよ』


 チェシャ猫の声色が急変した。

 それまで往復ビンタを無抵抗で受けていたが、突然片手で俺の腕を掴んでくる。

 変化したのは声色だけじゃない。

 ぼやけて見えなかった表情が、うっすらとだが鮮明に見え始めた気がする。

 曖昧さが売りのシュレーディンガーが、バランスを崩しかけている。


『……おいらが止めたのは君以外の時間だ』


 静かで平坦な口調。


『他に動く者など居ない筈だ。だが今の君の話だと、君以外に時を止めていない者が居るということだ。誰だそれは』

「俺の婚約者フィアンセ


 そう答えた途端、チェシャ猫の世界が歪んだ。

 空間が大きく波打ったのだ。


「――!?」


 周囲の景色にも変化が現れた。

 完全に止まっていた時間。それがゆっくりと戻り始めている。

 浮かんでいた双百合の身体が徐々に落下を始め、敵兵達の振りかけの剣が再度加速を始め、風が動き始めた。


『バグが発生した。静止世界は解除される』

「バグ?」

『おいらは入り込んだ異物に気付かなかった』

「クハハハハハ! よくわからねえが、確率操作をミスったってことか」

『いいや確率に狂いはない。ハナから100%じゃなかった。100%などでは……』

「……!」


 一瞬だが、俺はこの時シュレーディンガーの顔を見た。

 猫ではなかった。

 生き物と思いたくもなかった。

 トラウマになりそう……。


 直後、元のぼやけた顔に戻っていた謎のチェシャ猫はひょうきんな動きで手を振った。


『ウナハハハ! ファーストコンタクトはこのくらいにしておこう! 君とおいらはもう一度会うことになる。またその時まで……惨劇のカタストロフ』


 陽炎。蜃気楼。最初から景色の一部であったかのように、チェシャ猫の身体は透明になってゆく。

 どうやら撤退するという事らしい。

 今ここでぶち殺してやりたい気持ちは大きいが、仕方あるまい。


『さあ、戦争が再開するよ。今度は静止していない、ありのままの世界で、戦おう。次は完全なる闘争だ。お遊び抜きのね』

「チェシャ猫の第三勢力。目的はなんだ」

『ウナハハハハハハハ! アハーッハハハハハハ! だからさっきから無いと言っているじゃん、そんなの』


 ゴロゴロと喉を鳴らし、前宙した猫は姿を消す。


『改めて自己紹介をしておこうか。おいらの名前はシュレーディンガー。通称チェシャ猫』

「………」

『《最害》の称号保有者』

「ククッ」

『世界で最も不必要な、益と成り得ない者』

「クククク……ッ」

『ウナハハ……ッ』


「俺を」

『おいらを』


「唯一殺す事ができる者」

『唯一殺す事ができる者』



 シュレーディンガーの姿はもう無かった。

 世界は時の色を取り戻し、再び怒号に包まれる。戦争が再開したのだ。

 入り乱れる敵軍の中、俺は高らかに笑っていた。

 なんて素敵な自己紹介。

 世界で最も害となる者。あまりにも役に立たず、100%不益な者。

 あまりにも害にしかならず、誰にとっても害にしかならず、世界に存在すら認めてもらえない哀れな浮浪者。


 だから俺をも殺せる。


 無敵を論理的に無意味にし、有敵足り得ずとも無敵を殺す事が可能。

 俺にとっても害であるからだ。


 クハハハハ!

 クハハハハハハハハハ!!


 クロー、お前の表現は間違いじゃなかった!

 第三勢力をまるで災害のような連中だと、お前はそう言った。

 まさにその通りだ的を射た表現だ。

 最害の災害が如き軍勢、まさに目的なんかありゃしねえ!

 無価値も無益も奴らにとっちゃ当然至極。

 〈ため〉になる事なんて一切しない。〈ため〉にならない事しかしない。

 無害でもない。

 全てが有害。

 まったくもって……厄介な奴が出てきた。


「なぁ、準……」

『双百合が』

「へ?」


 準に言われて思い出した。

 振り返ると、いつの間にか身体を離されていた姉妹が、地面に倒れていた。 

 目を見開いて地面に突っ伏した自分達の状況に驚いている。そりゃ俺に抱えられていた筈が気付けば地面の上だからな……。


「なんだか――」

「すごく切ない……」


 俺は嘆く姉妹を再び両脇に抱えて周囲を見回す。


「アホなこと言ってないで、先へ進むぞ。準ー、空腹は我慢できるかー?」

『だいじょうぶー』


 よし。

 後方では敵兵が大量に空高く吹き飛ばされている。ディーラーズが奮闘しているのだろう。

 再度、敵中突破を開始しようとした――


 その時だった。


「――!?」


 前からキラリと光る何かが見えた。

 直後、俺は前に掛けていた体重を後ろへ移動させる。



「双百合!」


「お任せ下さい惨劇様!」

「お任せ下さい惨劇様!」



 二人の姉妹は日傘を俺の正面に開いた。

 その刹那、高熱の赤い一本線がこちらへ伸びてきて俺達に直撃。

 だが双百合の日傘はその攻撃を空へ曲げた。

 光を屈折させる能力だ。

 光学系の攻撃ならこの双百合には効かない。光を反射、屈折、吸収が可能な日傘にはこういった使い方もできたのだった。


「レーザー攻撃……」


「今の軌道は危なかったです」

「無敵の惨劇様を通過したら完全に後方のディーラーズへ直撃していました」


 それに……双百合も無事では済まなかっただろう。

 俺と双百合、ディーラーズをまとめて消し去るつもりだったのか。位置取りといい、なかなかの奴が居るな。


「正面からの攻撃だったな」


 チェシャ猫の次はこれかよ……。敵が絶えねえな。

 あ、敵中突破だから当然か。


 予想以上に地獄塔が遠い。

 スペースシフトで大体、あと三回くらい跳躍が必要か。

 その前に今の物騒な奴を始末しとかないとな。後発部隊の為にも。


「ふふ、惨劇様。相手はきっと仕留められずに狼狽していますでしょう」

「自分の居場所を晒してしまう光学狙撃は諸刃の剣」


「クハハハ、瞬殺してやろうか。いくぞ!」


 足元の空間を圧縮。

 解放。

 双百合を両脇に抱え、準を身体に内包した俺は、二度目のスペースシフトで再跳躍した。




 ◆ ◆ ◆



裏章9 【オールレンジvsオールレンジ】 へ続く

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