宴章狩魔編 忍客
【異界政府】
それは異界の管理者。
世界を統治し、管理する。
地獄や天国といった魂管理業者や破壊業者。幾多数多の業者や民も、この政府の世界規模たる頭脳あってこそ成り立つもの。
そこへ斬り込む無数の影があった。
影は恐ろしい手際の良さで異界政府を飲み込む。
彼らはプロフェッショナルの集団だった。
さあ――今こそ、
さあ――今宵こそ、
復讐という名の夜桜を咲かせ、
一夜にして派手に散ろうではないか!
◆ ◆ ◆
【忍客――修羅】
銀光。
爆炎。
煙。
斬音。
血飛沫。
異界政府と呼ばれる巨大な施設は既に機能を停止にまで追いやられていた。
狩魔衆の襲撃。
影の浸食。
流水よりも早く、猛火よりも残酷。
無論、政府も応戦はした。
現・政府守護として配備されている機甲師団。その数の多さはあらゆる勢力も敵わない。
その全てが盾や硬い装甲で身を固め、人海戦術を用いてくる。
圧倒的な兵の数と硬さ。侵入を阻むべく複雑迷路のような構造をした施設。
異界政府の守りは鉄壁と呼ばれていた。
ところがどうだ。
この現状を見よ。
圧倒的な数の差をものともせず、狩魔衆という忍一派は政府という城を落とす目前まで迫っているではないか。
狩魔衆。
元異界政府御庭番。
そう。
この城は元々彼らの庭であった。
少数精鋭・特異能者を誇る彼らの前では、政府の機甲師団など烏合の衆同然。
それらの頂点――狩魔衆の頭首たる男は、今や異界政府の最深部までその双刀を食い込ませていたのであった……。
狩魔衆御頭・修羅。
彼は血に染まった刀を今も振り続け、異界政府のトップこと《最賢》に着々と近づいていた。
『ぬん……』
修羅は師兵の喉に刀を突き刺し――
『りゃああああああああああ!』
一気に首を切り落とした。
最終目的地に近付くにつれ、敵の密度が濃くなっている。
現に修羅は師兵の集団に囲まれて足止めを食らっており、ひたすら刀を振り続けている。
目の前に、ここまで行動を共にしてきた部下の一人が映る。
三本の槍に貫かれ、息絶えていた。
修羅は素早く敵集団の中心へ入り込む。
その疾さ風の如し。
知覚できない影のスピードを前にしてはいくら身を固めようが無力!
忘れるな。
この男は狩魔のナンバー1実力者。
刃を向けること。それ即ち死と思え。
『双旋……回螺ァアアアアア!』
忍を串刺しにしていた三人の上半身が下半身から離れ、宙を飛んだ。
竜巻の如き剣戟に巻き込まれた他の師兵も一瞬にして命灯の蝋燭を切り裂かれた。
それでも槍の海はまだまだ打ち寄せる。
『狩魔・鬼双剣。斬々連えええええええ!』
剣圧による猛連撃。
槍は分断。
身体も分断。
何もかも分断。
修羅の攻撃範囲に存在した師兵集団は屍となって地に伏した。
背後から剣を振りかざす師兵。
修羅は片手の刀を逆手に持ちかえ、そいつの喉へ差し入れた。
「ごぼ……」という敵が血を喉に詰まらせた音を聞き流し、もう片方の刀で正面の師兵の首を刎ねる。
彼が刀を引き抜いて血払いをした時には屍の山が築かれていた。
狩魔にとっては烏合の衆とはいえ……。
政府の機甲師団といえばたった一人で機動歩兵連隊を相手できる程の猛者の集まりとして名の知れた集団である。
まさに修羅は――否、狩魔は一騎当千。
「御頭!」
一人のくのいちが修羅の後ろから走ってきた。
『伝令役の《羽紗祁》か』
「別働隊状況を報告します」
羽紗祁という名の女は手足に巻いた包帯を血で滲ませ、修羅の前で報告した。
「剣客《軌斬巳》様……討死。その背中に突き立てた矢、まさに針山の如し」
『……軌斬巳。正面よりの突破先陣、御苦労だった……』
「呪客《符抜斎》様、討死。 舞客《姫垢乃》様、討死。」
『………符抜斎、姫垢乃。お前達術者には無理を強いてしまったな……』
「風客《魅蒼》雷客《臥竜》姉弟、討死」
『風雷姉弟の最期は……二人共にあったか?』
「はい」
『そうか……良かった』
「その他中忍多数、下忍多数が死亡。皆最後まで敵に喰らいつき、中には喉を食い破った状態で息絶える者もおりました」
『見事……』
「それから……」
『なんだ』
「……薬客《珠看》が瀕死の重傷を」
『馬鹿な。どうして施設の中へ入った。狩魔の者が拾っただけの女にそこまでする理由はない筈。まして生きては帰らぬと誓った我々に救護は不要。だから夜叉の方へ行けと言ったのだ馬鹿めが』
既に多くの仲間が死んでいた。
共に夜を生き、共に闇を駆けた仲間。
それでも修羅は止まりはしない。
黒き般若面の奥に光る眼は前を捉えて逸らす事がない。
行く先は死。
最後に影の恐ろしさを思い知らせてやろうではないか。
黒の忍は両手に握った双刀、闇鎬を振って血を払う。
御頭の殺気に士気が上がったのだろうか、羽紗祁も深呼吸して目を見開いた。
まだまだ敵は施設の中で大量に蔓延っている。
――ぴょん
と羽紗祁は跳躍し、天井に張り付く。
敬礼のようなポーズで片目を閉じ、修羅に最後の挨拶をした。
「御頭、私はあちらへ」
『うむ』
「御頭、お然らばです」
『ああ、また闇で会おうぞ』
「……はい」
『然らばだ、羽紗祁』
「お然らば! 御頭……大好きです!」
ぐしっ、と顔を拭った兎の忍は一跳ね二跳ね。
黒鬼を残し、別の区画へと天井を駆けて行った。
あの娘も死にゆく。
皆、死にゆく。
それを覚悟して今、この場所に居るのだから。
それは皆が望んだこと。
別れは辛い。
だがこのまま狩魔が忘れられ、コケにされたまま消えゆく方がもっと辛い。
『様を見ろ……』
照り輝く漆黒の仮面は、屍の上でくつくつと笑った。
我らを嘗めるからこうなる。
我らを軽視したからこうなった。
後悔先に立たず。
『この様を見ろ主よ。我等を捨てるという愚行。貴様の伽藍と御立派な頭脳が招いた結果よ。甚だ遺憾か? こちらは甚だ偉観であるぞ』
戦術は御立派。
狩魔衆総出でかかってもこの被害率。
自害せずとも果てる者の多さ。
それは評価しよう。
だがそれだけ。
狩魔を相手にここまで耐えた事だけは評価する。
だが結果は貴様らの負け戦よ。
最賢の老いた脳髄では簡単な事もわからぬか?
それはもはや最賢ではないな。
修羅は刀を前に突き出した。
『くく……出て来い』
彼の正面には扉。
最後の扉だ。
その先にもう扉はない。
だから中に居るのは、
異界政府代表《最賢》のみ。
扉はゆっくりと開く。
修羅の足元――積み重ねられた屍が一斉に、一瞬で、断ち切られた。
扉の中から攻撃を繰り出してきたのか?
鬼の眼が鋭く睨む。
〈来たか古き忍者よ〉
声がした。
開け放たれた扉。
その中の光景に、修羅は大きく笑い声をあげた。
『くくくくく、ははははははははは! 最賢! 見苦しい姿だな、醜い姿だな最賢! それが知識を求め、極めた者の末路か!』
部屋の大半を陣取っているのは巨大な水槽。
最賢とは……生き物の形を捨てた存在。
一つの、
脳髄だった。
◇ ◇ ◇
『それで、この大きいのが貴様の手足か』
大剣を構え、最賢の水槽の前で仁王立ちしている。
先ほどの一閃はこいつが繰り出したのだろう。
しかし大きい。
狩魔にも火羅繰という巨漢が居たが、その倍は大きい。
身に纏った装甲には赤黒い染みのような模様が貼り付き、錆び付いている。
汚れた騎士だ。
〈こやつに最賢の意思は介入していない。ただこの部屋で侵入者を駆逐するだけの者。元は機甲師団の団長だった男だがな〉
『確かにまるで亡者よ……。太刀に意思が感じられん』
〈意思は不要。適材を適所に置く。そこに余計な思考は必要ない〉
『……貴様の負けだ最賢。否、異界政府』
〈勝敗の有無は関係無い。それはお前が最もよくわかっていることだろう〉
『………』
〈未来に何を残すか。それが重要だ〉
……巨漢の最賢守護者が一撃で両断され、左右に倒れた。
〈如何なる強敵を用意しても、忍客《修羅》を止めること能はず……か〉
身体を失いし知識の最高峰は水槽の中で黒鬼の姿を描いていた。
因果応報。
別に狩魔衆を捨てたことを後悔しているわけではない。
自分がこのまま散る事もわかっている。
それが道理であるからこそ、そうでなければならない。
異界政府は滅びる運命。
そう導いたのは何を隠そう最賢自身。
だが、異界政府が一勢力に滅ぼされたという歴史だけは刻んではならない。
それは今後、異界のバランスに支障をきたし、革命の多発する世となってしまう原因になる。
故に――
故に最賢は、修羅の目の前で自害した。
鳴り響く警報。
水槽の上に並ぶ管理パネルの画面が《WARNING》で埋め尽くされる。
透明の水で満たされていた水槽が赤く濁り始めた。
毒薬。
最賢は自分で自分を滅する手段を用意していた。
『……最賢貴様あああああ!』
鬼は怒った。
これでは復讐する狩魔が、この醜悪な塊の手の上で踊らされているようではないか。
〈復讐の望みは叶った筈だ修羅〉
『阿呆をぬかせ。貴様を斬らねば果たされぬわ』
〈否。御庭番を追われた狩魔としての復讐。ならばそれを向ける相手は最賢ではない。異界政府よ。政府は狩魔の猛攻を受け、壊滅。それで復讐は果たされるはずよ〉
『ぬう……』
〈だが私はお前に斬られるべきではない〉
『逃げるな! 狩魔の怨恨、その身に受けて果てよ!』
〈政府として長き年月、異界の統治機関をまとめていた者が狩魔に斬られるということはあってはならん。私は《魔》ではないからだ。魔に統治されていたと知れば異界の秩序は崩壊する。狩魔衆の本質を忘れるな〉
『我々を忘れていたのは貴様ではないか。答えよ最賢。10年前、貴様の知で描いた未来はこんなものだったのか。答えよ最賢!』
されど最賢は答えず。
異界で最も賢き者として在った脳髄はその生命を終えた。
答える必要がなかった。そういう事だろう。
仮面の下、怒声を吐き続けていた筈の修羅は不敵に笑っていた。
お互い――最期まで苦労するよな。
まるで長年の友を見送るかのような。
まるで全て二人の予定通りとでも言うかのような。
最賢の死した時、修羅はそんな顔をしていた。
無論これは最賢と修羅の仕組んだものであるわけがない。
異界政府と狩魔衆。
腐っても長きに渡り共に主従の関係にあった者同士。
復讐する側される側へ変化しながらも、それが必然であると理解した上でその理不尽を互いの崩壊を以て完結させた。
かくして世は夜の冥さを思い出し、
表裏の重きを悟るだろう。
相反しながらも否応なしに繋がっているという事実。
これは政府とその御庭番という、一つの表裏の物語。
世界に掻き回された表と裏の描いた、一つの結末。
表裏一体。
運命共同。
表果てる時、裏もまた果てる。
異界政府および最賢の果てた今。
狩魔衆と修羅も……。
大きな水槽のある部屋の中、黒鬼は一人天井を仰いだ。
『光在るところ影在り……』
その部屋に機甲師団の残党がぞろぞろと押し寄せ、一気に修羅は囲まれてしまった。
『光輝けば影もまた広がり……』
忍の申し子と呼ばれた男。
その名の通り修羅道を歩んだ男。
滑らかな黒漆の般若面は怒りの形相で素顔を隠し、
頭首の感情を一切晒させない。
『光失せれば影もまた失せよう……』
一騎当千の狩魔衆。
少数精鋭の忍集団も、もはや彼一人だけとなってしまった。
光と影は等しくなければならん。
狩魔という影は全滅。ならば政府も全滅でなくては。
修羅は双刀を握り締め、自分を囲む幾多の敵へ最後の眼光を向けた。
少々骨の折れる数だがこれも仕方のないこと。
『さあ政府の皆々衆。我と共に果てようぞ。全力でかかって来るが良い』
一人の忍は千の敵を相手に身構え、
千の敵は一人の忍へ向けて一斉に突撃した。
――夜明けとは光影混沌とする刻。
『最後にして最強の忍。狩魔衆、忍客《修羅》。〈双刀の闇〉が御相手致そう! いざ……参る!!』
――無数の雄叫びと一つの名乗りが、
――物語の最後を彩る。
◆ ◆ ◆
朝の病院はひどく慌ただしかった。
テントを張っただけの応急施設はまるで野戦病院。
魔導社の管理する医療施設。その入院棟が機能停止状態に陥る程壊されてしまったのだから無理もない。
ただ、〈狩魔の五客〉による夜襲を受けて患者の中に死者が一人も出なかったのは不幸中の幸いと言えよう。
発見された死体は二つ。
狩魔衆、爆客《火羅繰》と思われる女。
狩魔衆、幻客《四夢香》の本体と思われる男。
この二人だけだった。
テントから離れた場所で支給された朝食を食べていた須藤彩花とタイタンは、朝の静けさの中でぼんやりとしていた。
「たったの五人であんなに大きな建物を壊しちゃうだなんて」
「………」
「どうしたのタイたん?」
「えっ、ううん。なんでもない。ホント、生きてるのが不思議なくらい恐ろしい夜だったわ」
「火傷が酷くなくて良かったわね」
「うん、なんだかんだで私は軽傷だったけど。酷い人は酷いらしい」
「あー。閻魔ちゃんあたりは相当酷いみたいね。ちょっとお見舞いに行きましょうか」
「そうね」
二人が頷き合って立ち上がった時だった。
急に周囲が騒がしくなり、テントの中から大勢の看護師や医師が走って出てきた。
患者までもが慌ててテントから出てきている。
何事かと彩花は近くにいた患者を捕まえ、問いかける。
そいつは肩に包帯を巻いたエリート餓鬼だった。
「この騒ぎは?」
「みんな今から搬送されてくる人物を一目見ようとしてるんですよ! 須藤様は聞いてないのですか?」
「ええ。一体誰が搬送されてくるのかしら」
「大物も大物。超大物です。なんと、あの死神ギルスカルヴァライザーと死神ルイシェルメサイアです!」
彩花は驚いた。
「それって死神ちゃんの両親じゃないの!」
「そうです! 元地獄本部長で今は姿を隠していた人物ですよ! 惨劇のカタストロフにやられて重傷だそうです」
「なんてこと……」
彩花は口元に手を当てて嘆いた。
このエリート餓鬼は野次馬というわけではなく、野次馬で押し寄せる者達を抑える為に騒ぎの中心へ向かうようだった。
バンプやロシュ達の身を案じ、無事に帰ってくることを願う彩花の肩にタイタンは手を置いた。
「待ちましょう。それしかないわ」
「ええ……そうね」
伝説の死神を圧倒した惨劇。
バンプ達はそんな化け物やヴァルキュリアを追い、ここを離れて行った。
心配で仕方ない。
タイタンの同僚やジャッカルが付いているとはいえ、相手は最凶。
安全を保障するものなんてないのだから……。
憂鬱な気分で閻魔の寝ているテントの前に立った彩花とタイタンの耳に、中から声が聞こえてきた。
「忙しいんですから!」
直後、何かを強く叩く音。
まったく、と呟きながらテントから出てきたのは一人のナースだ。
中を覗いてみると白狐が呆れた顔でベッドの脇に立っている。
「怪我人の癖にナースをナンパだなんて、いい度胸してるじゃない」
「う……ぐふ」
閻魔は頭から煙を出して気を失っているようだ。
彩花とタイタンは顔を見合わせ、苦笑した。
どうやら元気は十分あるみたいで安心した。
テントから引き返そうとする二人。
そんな彼女達の方へ、医師が駆け寄ってきた。
「須藤彩花さんですね!?」
名を呼ばれ、彩花は返事すると共に首を傾げた。
医師はとても慌てているようで、息が荒かった。
「砂塵の転送呪文を感知しました!」
「砂塵? 転送?」
「負傷した少年が転送されてきたんですよ!」
「………!」
「貴女の名を呼んでいます!」
◆ ◆ ◆
【魂は夜桜の下で笑う】
そこは草原。
月の光に照らされた幻想的な暗さに、少々冷たい風。
乱れた白い髪の毛をたなびかせながら男が一人歩いていた。
道は無いので草の中をだ。
行く先はわからず、けれど途方に暮れる事も無く。
その幻想を愉しんでいるようだ。
延々と続く草の絨毯。
男は周囲を見回して笑った。
「フハハハ。俺様が明晰夢を見るなんて久しぶりだな」
そう。これは閻魔の夢の中。
きっと本当の彼は今頃、病室のベッドでぐっすりと眠っていることだろう。
まったくもってひどい夜だった……。
傷を負った身体に更に傷を負い、散々な目に遭った。
とても長い夜で、こうして眠ったのは確か明け方だったと思う。
バタバタと駆けまわる看護師達を眺めているうちに眠りについたのだろうか。
目の回る忙しさで苛立っている看護師をナンパしようとして殴られ、気絶したという情けない事実を伏せればそういうことになる。
そういえば起きている時に「伝説の死神夫妻が搬送されてくる」とかいう会話も小耳に挟んだ。惨劇にやられたという噂は本当だったようだ。
目が覚めたら挨拶でもしに顔を出すか。
そんなことを考えながら道なき道をただただ歩く。
目が覚めるまでずっと変わらないのかよこの景色は……。
と、早くも自分の夢に飽きを感じだした頃。
桜の木が一本、ぽつりと見えた。
興味を持って近づくと、その木にもたれかかって腕を組む者が居た。
そいつは見たことのあるようなないような出で立ちで、そんな奴がどうして夢の中に現れるのか閻魔は不思議に思った。
桜で月光が遮られているから余計に姿が見辛い。
『初めまして……かね?』
ぽつりとそいつは声を掛けてきた。
聞いたことのない声だ。
腕組みを解き、月明かりの下に出てきたそいつの姿を見た閻魔は納得した。
ああ、見たことがあるようでないとはこういう事か。と。
「お前さんか? 夜叉の兄貴ってのは」
『如何にも。修羅という』
「なるほどなるほど。で、俺様の夢枕に立つとは一体どういう了見だ?」
仮面の男は不敵に笑う。
『さあな』
やはり夜叉の兄。姿は似ていれども漂う雰囲気と威圧感が彼のそれとは比べ物にならない。
それでもこの修羅という男は閻魔に敵意を抱いているわけではなさそうだ。
それもそうだろう。
彼はすべての役目を果たし、今や安らかなる心でそこに居るのだから。
『我にもよくわからぬ。ただ、其方の夢が我と同調した。それだけのことだろう』
桜の木を眺め、そんな事を言う。
閻魔の夢枕に立つということがどういうことかは閻魔自身、当然解っている。
故に閻魔もまた不敵に笑い、男の隣に立った。
閻魔と修羅。
まったく接点のなかった二人。
だが共通の話題がない訳ではなかった。
「あんたが此処に居るってことは、終わったんだな。狩魔は」
『ああ。怨恨も失せ、狩魔衆は終わった。我らの名も消えるが、歴史に名を連ねるか否かは後の者達に託そうと思う』
「フハハ。実は期待してたりすんだろ? 自慢の弟によ」
『クク。どうかな。あの愚弟はまだまだ未熟であるゆえ、この修羅が期待するに値するだろうか』
「ったく手厳しい兄貴だことで」
『当然だ。我の居なくなった後、我の背負ってきた物を継ぐのがあやつである以上、甘やかすことはできん』
「とかなんとか言って。夜叉への負担になるモンをほとんど自分で始末をつけちまうあたり、ブラコンっぽさが垣間見られるな」
『やかましい』
平坦な口調で修羅は言った。
『……地獄旅館の襲撃に関して謝罪するつもりはない』
「へーへー、夜叉やエリート餓鬼を引き取ったのは俺様の判断だからな」
『謝罪はしないが。礼は言っておく……』
「………」
『不出来な弟だが、根はしっかりしている。他の抜け忍共々……宜しくお頼み申し上げる』
そう言って黒の鬼は頭を下げた。
『我がこうなってしまった以上、礼と願いを申すことしかできぬのが名残だが』
「だったら……」
閻魔は腰に下げた酒瓶を取り出した。
懐から盃を取り出し、修羅に渡す。
「ほれ一杯付き合え。これで手を打ってやる」
仮面の下、鬼は目を丸くした。
そして大きな声で笑った。
実に愉快。
こんな気持ちで笑うのは彼も久々だろう。
『クク、アハハハハハ! 地獄の審判、閻魔。面白い男よ。一杯の酒で全て流そうというのか、まこと信じられぬ男よ』
男は後頭部に手を回し、留め金を外した。
ぼとりと黒い仮面が足元に落ち、腰に下げた二振りの刀も仮面の隣に置く。
――夜叉よりも鋭い目。頬に傷。
狩魔の〈元〉頭首はその素顔を晒し、盃を口へと運んだのだった。
夜桜の下で閻魔と修羅が酌み交わした一杯の酒。
舌に絡まり、鼻を抜ける香りにしばし浸る。
そして二人、また笑う。
草原の奥で誰かの声がした。
閻魔と修羅が見やると、たくさんの人影が見えた。
腕を組んで笑みを浮かべる者。
とび跳ねながら手を振っている者。
腰に手を当てている者。
扇を顔の前で開いて目を閉じる者。
皆、修羅の仲間。
「行くのか?」
『ああ。皆が待っているのでな』
修羅は着物をはためかせ、閻魔に背を向けた。
「お、おい。忘れ物――」
『クク……』
肩が揺れ、閻魔の手をすり抜けるかのように姿が遠くなってゆく。
地獄旅館の大将たる閻魔ほどのカリスマを有する男でも、その忍者のカリスマ性に言葉を失った。
彼の下に居られた狩魔の忍達を、一瞬だが羨ましくも思えた。
それくらい修羅という男は大きな存在だと知った。
「双刀の闇。忍の申し子。黒き鬼……か」
たくさんの忍に囲まれ、修羅は去ってゆく。
たくさんの仲間は御頭を中心に、わいのわいのと騒ぎながら遠くへ。
剣客は下忍・中忍達と肩を組み、
呪客は七色に色移り変わる呪符を散らし、
舞客は艶やかに歌い、
風客は歌に合わせて笛を奏で、
雷客は歌に合わせて三味線を轟かせ、
忍客は……一人のくのいちの頭を撫でていた。
やっと狩魔に笑顔という終焉が訪れた……。
「魂の夜明け。ったく、不愉快で愉快な連中だった」
にたりと口元を緩めた閻魔。
その場に立ったまま、魂の審判者として連中を見送った。
◆ ◆ ◆
「あら、起きたの閻魔」
「ん……白狐か」
「ほら。あんたが寝ている時に届いたわ」
「なんだ? 速報……?」
「ええ……読んでみて」
「ふむ」
「………」
「なるほど。おい白狐」
「………」
「これ、夜叉は――?」
「……読んじゃった」
「そうか。あいつは何処に居る?」
「今は一人になりたいって」
「だろうな」
「……ねえ閻魔。私は……」
「少ししたら行ってやれ」
「……うん」
◆ ◆ ◆
――『速報』
『異界政府陥落』
『本日明朝、異界政府が事実上消滅した。襲撃者は狩魔衆と名乗る忍一派』
『狩魔衆とは10年前の最終戦争まで政府の御庭番を務めていた一派である。魔監獄ジュデッカプリズンに全員収監されている筈だが、何故その集団が突然現れたのか未だ以て不明。今後調査がなされるだろう。また崩壊した政府から回収した資料により様々な隠蔽が発覚。この件も魔監獄の情報を政府が圧力を掛けて抑えたという見解が妥当だろう』
『政府の隠蔽していた情報は数多く存在していたことがわかった。しかし、今後これらが公表されることによって異界の混乱を招く。と情報開示を危惧する声もある』
『政府代表にして最賢の称号保有者、本名《鬼叉》は自害』
『元味方部隊であると同時に実の息子であった者に襲撃されるとは皮肉を通り越して悲劇であろう』
『ほぼ同刻、狩魔衆も全滅』
『なお、狩魔衆頭首こと最賢の息子《修羅》は、政府機甲師団千人以上を斬殺』
『その後――切腹』
『死亡』
◆ ◆ ◆
【宴章 狩魔編 了】