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宴章狩魔編 老客

 がらくたのように動かなくなった四夢香を廊下に置き去りにして、夜叉は鈴女蜂と白狐の三人で病室に居た。

 幻客の力は見せ掛けのもので、瓦礫の下敷きになった鈴女蜂も一切ダメージを負ってはいなかった。

 戦闘に於いては無力な四夢香がどうして現れたのか。三人にはそれが疑問だった。

 鈴女蜂でさえ彼の行動を謎に思っている。


「話した通り、四夢香は偵察専門の忍でありんす。夜叉兄ぃの部屋を突き止めたのも奴でありんす。でもまさか戦いに出てくるとは」

「鈴は何も聞かされていなかったのかい?」


 夜叉の問いに鈴女蜂はこくりと頷いた。


「あちきは先発でありんしたから、正直あと何人の狩魔が来るのか知らないのでありんす。次発の火羅繰くらいしか」

「ふむ。そして爆発が治まったということは、誰かが火羅繰とやらを倒したってことだね」

「信じられない話でありんすけど」

「しかし戦闘要員は鈴と火羅繰の二人。そして本来非戦闘要員である四夢香が三番手としてやってきた。ということは……」


 夜叉は顎に手を当てて考え込み、白狐の方をちらりと見た。

 彼女も夜叉と同じ事を考えていたのだろう。頷く。


「狩魔は今、人手が不足していると考えられるわね」


 その考察に目を丸くしたのは鈴女蜂だ。


「そんなまさか! あちきは何も聞いてないでありんすよ! まだまだたくさんの狩魔が来るはずでありんす!」


『ほっほ。残念じゃが鈴女蜂よ。二人の考えは正しい』


 三人だけの部屋に老人の声が響いた。

 鈴女蜂は勿論のこと、夜叉もこの皺がれた声を知っている。


「じぃ、来たのでありんすか!?」


 姿の見えない老人は、ほっほ。と笑った。


『……鈴女蜂や。そして狐面のお嬢さん。ワシと夜叉、二人で話をさせてはくれんかのう?』

「なっ!」


 白狐はクナイを握る。


『なぁに、別に取って食やあせん。ワシが戦えるような身体でないことくらい、夜叉も承知のはずじゃて』


 心配そうに白狐は夜叉の顔を伺う。

 彼は静かな眼差しで、大丈夫です白狐殿。と呟いた。


「この方は某の恩師であり、一番の理解者であった御人です。狩魔における武器の専門家にして最高の魔刀鍛冶。四夢香と同じく非戦闘要員ですよ」


「わかったわ。私と鈴女蜂は部屋の外に居るから」


 気を付けてね。

 そう言い残し、白狐は鈴女蜂と共に部屋を出ていった。


 夜叉はベッドから起き上がろうとする。


『そのままで構わんよ』


 いつの間にそこに居たのだろうか。

 杖をついた老人が、ベッドの脇にある椅子に腰掛けていた。


『狩魔衆。老客、《翁》参上。といったところかのう』

「お久しぶりです。翁」


 夜叉はどこか嬉しそうな、軟らかな笑顔でそう言った。



 ◆ ◆ ◆



【夜叉と修羅と】



「おーい、おそいぞ夜叉ー!」

「待ってよ兄者ー!」


 竹林の中、二人の少年が走っている。

 どうやら山の中から街へ向かっている最中のようで、兄は自分より足の遅い弟を待ちながら走るのを繰り返していた。


「まずいよ兄者、叱られちゃうよ」

「なにを恐れることがあるか。今日は折角の祭なのだぞ? それなのに街へ行くのを許してくれぬ翁が悪いのだ」


 兄はふふん、と得意げに笑って自分の黒い仮面を指で弾いてみせた。


「この修羅が本気を出せば、翁など簡単に騙せるわ」


 そう言って弟の白い仮面を指で弾いた。

 弟の仮面はまだ大きすぎるのか、簡単に顔からずれてしまう。あたふたとそれを直す夜叉に、兄の修羅は手を差し伸べた。


「さあ行くぞ夜叉」

「うん!」


 兄の背中はとても頼もしかった。

 夜叉の中にあった修業を抜け出してきた後ろめたさは、兄と行く祭への期待に塗り替えられていた。


 夕暮れ刻。

 橙色が沈み行く中、街は祭りばやしに包まれ、普段では見られない活気があった。

 山から下りてきた二人の兄弟は人込みの中を楽しげに進む。

 右へ左へ見渡すかぎり、延々どこまでも並び続く提灯。空は星が輝いているのに昼間と変わらぬ喧騒。もしかしたら昼間よりも賑やかかもしれない。

 人々は笑い、唄い、この夜を堪能している。

 夜叉と修羅も同じだった。


「兄者、兄者」

「どうした」

「あっちで、武芸者が見られるらしいよ」

「よし、見に行こう」


 二人が武芸者の居るという広場へ行くと、そこは人で埋め尽くされていた。

 彼らの背では大人達に阻まれて武芸者の姿を見ることができない。

 そこで修羅が高い場所から見ようと提案し、二人は近くの建物の屋根に跳び登った。このくらいはお手のもの。修業の成果だ。


 その武芸者は広場の中心で軽やかに舞っていた。どうやら一人旅の武芸者のようだ。


 彼はひらりと宙に跳ぶと、観客の投げた木材を蹴った。しかし木材は飛んでいかずになんと武芸者の足に貼りついたのだ。

 歓声が巻き起こる。

 芸はこれだけでは終わらない。

 鴉面で顔を隠した武芸者は貼りついていた木材を下へ落とすのと同時に、脚を右左一回づつ振った。

 するとどうだろう。四角い木材がスパスパと切れてゆき、地面に落ちる時には四つに別れた木片が綺麗に積み上げられていた。

 今夜一番の歓声が巻き起こり、一礼する武芸者の前に置かれた箱の中が小銭で満たされていく。


 夜叉と修羅の兄弟も息を呑んだ。


「すごいね兄者」

「ああ」


 しばらく経っても歓声が止むことはなかった。

 〈いいぞ鴉天狗!〉という声がいくつも聞こえた。


「天狗だってさ」

「ああ、天狗のように軽やかで人を魅入らせる技だな」

『クハハ、それはどうもありがとう』


 夜叉と修羅は驚いた。

 つい今しがた広場の中心で歓声を浴びていた男が、自分達の座る屋根の上に現れたのだ。

 広場では武芸者が突然消えたことでまた一段と盛り上がり、拍手喝采である。

 鴉面をつけた男は脇に抱えた箱を、よっこらせと降ろして座った。


『いやー、儲かった儲かった。これでしばらくは旅費に悩まされなくて済む』


 若々しいその男は上機嫌で箱を叩いた。

 般若面をつけた二人の少年と、鴉面をつけた一人の若者。祭りでなければ奇妙な光景だったであろう。


「すごかったよ!」

「うん、見事だった」

『クハハハハハ! そうかそうか。いやーここで稼いでおかないとヤバかったからな』

「旅してるの?」


 夜叉の問いに、男はにやりと笑ってみせた。


『おうよ。世界中を見てやろうと思ってな』


 なにやら壮大な旅だ。


『無一文で来たから最初はしんどかったぜ。準備ってのは怠っちゃあいけねえよなー。生まれてくるガキの名前は準だな。クハハハハハ! 超安易! でも男女問わない名前でいい感じじゃねえか?』


 夜叉は大きく頷いた。


「うん、いい名前だよ。お兄さんの旅の思い出が詰まったいい名前!」


 武芸者はそうか、と言ってまた笑った。


『坊主達、名前は?』

「ん、俺は修羅。そんでコイツが弟の」

「夜叉!」


 修羅と夜叉。その二つの名を聞いた男は、何かを思い出したのか片眉をぴくりと動かした。


『修羅に、夜叉。鬼の家系かぁ珍しいな。そういえばこの辺には、忍の里があるとかいう噂を聞いたっけ』

「そうだよ! 修業を抜け出してきたんだ!」

「馬鹿者、夜叉。嬉々として言う事じゃないだろう」


 修羅は弟にげんこつをぶつける。


『クハハ、そうか坊主達は忍か。祭りに誘惑されるとは、まだまだだな』


 修羅はそっぽを向いた。


「修業なんてつまらん。俺はとっくに上忍を越える実力を持っているというのに」

「翁はいっつも口喧しいんだよー」


 ふてくされる二人を見て、武芸者は腕を組んだ。


『忍ってのは誇り高い集団だ。一生を主人に捧げ、全身全霊を以てこれを守る。そう、大切なものを守る集団だ。主人も、仲間も、守る為にはやっぱり修業が大事なんだなこれが』

「でも俺も夜叉も十分――」


 チッチッチッ。男は指を振った。

 それから、修羅と夜叉の胸に手を置いた。


『心が未熟』


 そう言ってにこりと笑う。


『忍には掟があるだろう』

「何百回も読まされた……」

『うむ。読むだけなら簡単。心を鍛えずして読んでいたら、あと何千回読んだって同じだ。お前ら、仲間は大事か?』


 修羅と夜叉は大きく頷く。


『掟ってのはさ、仲間を守る為にあるんだ。だから厳しい。主人も仲間も両方守るってのは、それくらい難しいんだぞ』


 祭りの喧騒が響く中、武芸者の言葉だけに耳を寄せる二人の少年。


『自分が一番だと思うな。世界には気が遠くなるくらい強い連中が山ほど居る。もしそんな奴らが襲ってきたら、忍は主人も仲間も掟も意識しながら戦わないといけねえ。自分の力を過信していた為に相手にかなわないなんて状況になってみろ。主人を優先して守った時に犠牲としなきゃいけないのは……仲間だ』


 そう。修羅と夜叉は慢心に取り憑かれていた。

 世界は広い。


「俺は……井の中の蛙……か」


 修羅は気付かされた。

 自分が成長しようとしなければそこまでであり、修行は意味を成さない。

 何の為の修行か。何の為の掟か。それを理解しなければ永遠に慢心家であり続けるだけだと。

 まさに井の中の蛙。大海を知らぬが故に怠慢が生まれている。


『クハハ。井の中の蛙か。確かに井の中の蛙は大海を知らない。けど井の中が悪いわけじゃあない』

「なぜ」


『その蛙は、上を見上げる事を知っている。つまり、もっともっと広大な……空の深さを知っているんだ』

「空の深さ……」


 二人の少年は顔を見合わせる。

 空の深さかぁ。

 そう呟く兄弟の姿に、鴉面の男は優しく微笑んだ。


『さてと。そろそろ行くかな』


 箱を抱えて立ち上がる男の袖を、夜叉が引っ張った。


「お兄さんはあとどれくらい旅を続けるの?」

『そうだなぁ。きっと世界中を一度回って、もう一度回りたくなると思う。だから何年か後も旅をしているんじゃないか? ただ、今度は誰かを連れて歩きてえな。クハハハ!』

「じゃあさ、世界を回ったらまた僕達に会いに来てよ! そしたら僕達がどれだけ力を持つようになったかわかるでしょ!」

『おう。そうだな。二週目の時にでも寄れたら寄ってやるよ』

「きっとだよ!」

『ああ』


 おそらく次に会った時、この少年達は異界屈指の実力者となっているであろう。

 男はそう思った。


「あんた、名前は?」

『ん? 俺か。俺はこっちの世界じゃクローって呼ばれてる。鴉天狗のクロー』

「そっか。クロー、次に会った時は覚悟しろよ。力試しに使ってやる。仲間も主人も守れる圧倒的力を身に付けてやる」

『おお怖い怖い』


 けらけらと笑い、鴉天狗のクローは跳んだ。


 一陣の風が吹く。


 その風に乗ったのか、クローの姿は消えた。

 この後、鴉天狗のクローはその実力とカリスマ性により世界中に名を広めることとなり、同時に世界を全て歩ききる。

 だが……夜叉と修羅とクロー。この三人が揃うことは二度となかった。


 鴉天狗のクローが惨劇のカタストロフと出会う五年前。そして『惨劇の宴』が起こる十八年前の話であった。



「ほっほ。ワシを欺くとは、少しはやるようになったのう。修羅、夜叉」

「あわわ」

「チッ、翁か」


 祭りの喧騒は全く鎮まる気配を見せない。

 屋根の上に座る兄弟と同じく、翁も屋根の上に正座した。

 そして二つの木箱を差し出す。


「本当はワシも御二方に祭りを楽しんで頂きたかった。けれども今宵は大切な日ゆえ。お許し頂きたい」

「大切な日?」


 二人は顔を見合わせ、翁の差し出した木箱を自分の前まで寄せる。

 箱を開いた二人は感嘆の溜息を漏らした。


 木箱の中にはずしりと重い刀が入っていたのだ。


「この魔刀鍛冶、翁。人生最高の腕を振るいました。それらは今日より、御二方の愛刀となります」

「では父上が……」

「僕達を後継に認めたってこと!?」


 翁は深く皺の刻まれた顔を緩め、肯定した。


「修羅には双刀《闇鎬ヤミシノギ》を。夜叉には長刀《鬼衣オニゴロモ》を」




 ◆ ◆ ◆





「よく覚えていますね翁。某はほとんど覚えていない」

『ほっほ。無理もなかろう。夜叉は当時、齢七つ。御頭……修羅は十であったからのう』


 翁は夜叉のベッドの枕元に目をやり、そして目を伏せた。

 そこには修羅によって真っ二つにされた夜叉の般若面があった。


――どこで兄弟の道は別れてしまったのだろうか。


 共に武を磨き、共に学び、共に生きた二人は。

 こんなにも哀しい運命を辿ってしまった。


『夜叉よ……。御頭も、お主も、間違ったことはしておらぬ』

「え……」


 翁は、夜叉の予想だにしていなかった事を言った。


『御頭は此処へは来ぬ』


 ……夜叉は無言のまま目を落とした。

 修羅は来ない。

 修羅は夜叉にとどめを刺しに来ない。

 刺しに来てくれない。


「兄者は……もしかして」

『うむ。異界政府へ斬り込みに行った。狩魔衆すべてを引き連れて』

「どうりで。刺客、爆客、幻客、老客。あまりにも数が少ないと思っていました。本命はやはり政府でしたか」

『だがお主が掟を破ったのは事実。御頭は五人の狩魔を送った。よいか、お主と御頭は最終戦争ラグナロクで決裂した。抜け忍が掟から逃げ切る方法は無い。狩魔を滅ぼす以外にはな』

「……まさか」


 夜叉は翁の顔を一心に見つめた。

 何を言わんとしているのか、互いに理解したのだろう。


『御頭はお主を軽視してはおらぬ。これだけは忘れるでない。だからこそ……だからこそ……』


 翁は辛そうに顔を伏せた。


『お主の命を狙う最後の狩魔に〈奴〉を選んだのじゃ。実力も、残虐さと非情さと冷酷さも、そして思想も、御頭に最も近いあやつを』


 もう良い。

 夜叉は翁にこれ以上を求めなかった。

 黙って身体を起こし、床に足を付ける。

 首を回し、肩を回し、着物を羽織った。

 立て掛けてあった彼の太刀がかたかたと小刻みに震える。

 愛刀鬼衣は夜叉の殺気に呼応したのか、それとも魔斬刀として血を求めているのか。

 無意識に自分の般若面へ手を伸ばしたが、それは真っ二つに割られている事に気付き手を止める。

 椅子に座って目を堅く閉じる翁に、夜叉はぼそりと礼を言って病室を出て行った。


 病室の外で壁にもたれかかっていた鈴女蜂と白狐は、部屋から出てきた夜叉に目を丸くする。

 彼の目つき、纏った殺気。それは地獄旅館で一度たりとも見せたことのないものだった。

 元狩魔衆の、殺人者プレイヤーであった頃の夜叉の姿そのもの。

 二人は壁に押し付けられたように身動きが取れなかった。

 何も言葉をかけてやれないまま、夜叉は暗闇の中へと溶けてしまう。


「〈狩魔の闇討〉……」


 やっと口を動かした鈴女蜂が発したのはその一言だった。

 なんだそれはと隣の女が問う。


「夜叉兄ぃの異名でありんすよ。狩魔の二番手、御頭の補佐役だった頃の兄ぃはそう呼ばれていたでありんす」

「あんなの夜叉じゃない……」

「あちきだってあれが本当の兄ぃだとは思わない。思いたくないでありんす。でも兄ぃが本気になった時は、御頭をも怯ませる覇気を垂れ流す惨鬼と化す。でもそれは狩魔を幾度となく救った鬼でもあり、あちきだけでなく御頭や他の上忍も頼りにした鬼の姿なのでありんす」

「そんな鬼になって、一体どうするつもりなのよあいつ」

「〈狩魔の闇討、一見の価値あり〉。そんな言葉が狩魔衆の中で生まれたくらい珍しいもの。狐の姉さんも一度見ておくといいでありんすよ。魔斬刀鬼衣を解き放った夜叉兄ぃは……死神や吸血鬼のような種族をも凌駕するでありんすから」


 白狐は無言のまま仮面の下で唇を噛み締めた。

 わかっていた。

 鬼という種族は、死神や吸血鬼と同様に最強種として挙げられる種族。

 地獄の一支部の幹部程度に収まる器ではないことくらいわかっていた。


「私は見たくない。強くなくたっていい。私はいつもの夜叉が好きなのに」

「おい! 兄ぃはあちきの兄ぃでありんすよおい!」

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