宴章狩魔編 幻客
【第一病棟】
「この爆発……」
「敵とみて間違いないでしょう!」
廊下を駆ける二人のエリート餓鬼。
鈴女蜂と閻魔、火羅繰とタイタンの戦闘によって起こった爆音にいち早く反応したのはこの者達を含むエリート餓鬼達だった。
彼らも元は狩魔衆。
抜け忍を放っては置かないという掟を知っているし、こうなることも頭のどこかでは予想していたのかもしれない。
いや。していただろう。
だからこそ爆音が響いた直後に行動に移ったのだ。
彼らは今の仕事が好きだった。
エリート餓鬼として在る自分が好きだった。
地獄旅館が好きだった。
だから、そこに在り続けたかった。
そこが居場所であると思いたかった。
だが。狩魔はそれを許してはくれず、抜け忍狩りをしに地獄旅館を襲った。
狩魔は徹底的な集団だ。
夜叉は勿論、自分達を見逃すこともおそらくはないだろう。いくら夜叉が責を一人で担うと言っても、通用しないだろう。
エリート餓鬼達自身が、それをよく知っている。
狩魔は残酷な集団だ。
無関係な他人を巻き込んででも忍務を遂行する。
地獄旅館での件がその証拠。
そして狩魔は再び抜け忍を追ってやって来た。無論、病院であろうと容赦しないだろう。
「それを知っていながら我々は此処に居続けてしまった……」
「もう狩魔ではない。エリート餓鬼として、掟からも逃れられると、そう思っていた」
「甘かった」
「甘えていた」
「閻魔様は優しい方だから何も言わなかった」
「我々が……自ら此処を離れるべきだったのだ……!」
スーツ姿に着替えているエリート餓鬼の二人は、曲がり角で壁際に背中を付けて安全を確認した。
互いに顔を見合わせ、自分達の後ろへ声を掛けた。
「大丈夫です! さあこちらへ!」
「足もとが暗くなっております。身体の自由が利かない患者様が近くにおりましたら助けてあげてください!」
彼らの声に反応して入院患者達がぞろぞろと歩いてきた。
「今我々の出来る事は」
「安全に患者を逃がす事」
そう呟き、先へ進む。
――次の曲がり角で、音がした。
エリート餓鬼の二人は警戒し、患者達を自分達から離れさせて身をかがめる。
(敵……でしょうか)
違った。
別のエリート餓鬼が一人、他病棟から患者を連れて歩いて来たのだ。
彼は既に頭に巻いた包帯を若干破られ、肩口から血を流していた。
「大丈夫ですか」
「手当てを」
「……いや、手当は後に」
相手のエリート餓鬼はどこか神妙な様子。
しきりに後方を警戒し、必要以上に患者達を自分に近づけた状態で居たのだ。
「……お気をつけください。近くに敵がいます」
「なんですって」
「狩魔……ですか」
負傷したエリートの言葉を聞いて二人も患者達をなるべく近くに来るよう指示した。
不安と恐怖でいっぱいなのだろう。患者達はすがるようにエリート達の近くまでやってきた。
中には小さな子供も居る。
息をひそめ、なるべく静かに移動しようと先頭のエリートが一歩踏み出した時だった。
暗闇の中が一気に殺気で包まれた。
『おやおや。皆さんお揃いで。どちらへお出掛けでしょうか?』
――!?
くつくつと、裏返ったような笑い声が響いた。
三人のエリート餓鬼は患者達を挟むように前方と後方に立って身構える。
『恐怖と苦痛のShow Time。ゆっくりと堪能していけやコラ……っと。堪能して行って下さいまし』
「狩魔だな!」
『いかにもいかにも。わかりきった事だろボケ……っと。えー、その通りでございまし』
ゆらりと宙に浮かんだ男が姿を現した。
すらりと手足が細長い。針金のような男だ。
真っ白な顔は不気味なことこの上なく、さらに紫の口紅などを塗っている。
衣装も左半身が紫色、右半身が桃色のタイツ。
白い髪を触る指と手の色も真っ白。
気味の悪い男だった。
そいつはか細い身体を折り曲げ、同じくか細い指を胸に当て、一礼した。
『狩魔衆。幻客、《四夢香》と申します。』
◆ ◆ ◆
【第二病棟】
「うっぜえええええ!」
閻魔は拳を握り、吠えながら壁を殴った。
粉々に砕け散ったのを確認すると、今度は別の壁を殴る。
「こういうタイプが一番嫌いなんだよ俺様は!」
ヤケになったのか、閻魔は魔力の衝撃波を放った。
閻魔の周囲にある壁や天井が瞬時に粉砕される。
一体、彼は何をやっているのか。
閻魔以外に誰の姿も無い。
だが閻魔は休むことなく攻撃を繰り返していた。
「逃げんじゃねえよモヤシ野郎! フハハハハハハハ! さっさと出て来いコラァ!」
『やだねぇ。やだやだ。吠えて暴れる野蛮人』
なんと床から声が聞こえた。しかも閻魔の足元だ。
すかさず閻魔がその部分を踏み潰すが、声は止まなかった。
『ほらどこ見てんの。野良犬に格下げかな?』
「てめええええええ!」
魔力波を放つ。
それは何者にも当たることなく、廊下の奥で炸裂した。
怒りで眉間に皺を寄せる閻魔。
そんな彼を小馬鹿にするように、くつくつと裏返った笑い声が廊下に響いた。
その直後、ゆらりと宙に浮かんだ男が姿を現した。
すらりと手足が細長い。針金のような男だ。
真っ白な顔は不気味なことこの上なく、さらに紫の口紅などを塗っている。
衣装も左半身が紫色、右半身が桃色のタイツ。
白い髪を触る指と手の色も真っ白。
気味の悪い男だった。
そいつはか細い身体を折り曲げ、同じくか細い指を胸に当て、一礼した。
『狩魔衆。幻客、《四夢香》と申します。』
◆ ◆ ◆
【夜叉の病室前】
鈴女蜂戦の際に閻魔の衝撃波でボロボロに壊された廊下では、第二の戦いが起きていた。
雲に隠れた月が廊下を照らす事はない。
蛍光灯も破壊されているので完全な暗闇だ。
その暗闇の中で鋭利な刃物が銀光を輝かせた。
「四夢香! あちきが相手でありんす!」
『はーん? 鈴女蜂。裏切ったのかい?』
鈴女蜂はその長い槍をか細い男に向かって突き出す。
彼女の愛槍は閻魔によって叩き折られたが、予備の槍もちゃんと用意してあった。
「裏切る? あちきは最初から狩魔じゃなくて夜叉兄ぃの味方なんでありんすよーだ!」
ゆらゆらと宙で流れるように浮かぶ奇妙な男。四夢香。
その揺れ方は決して自然ではない。現に鈴女蜂の繰り出す槍の連撃をいとも容易く避けているのだ。
だが四夢香の相手は鈴女蜂だけではない。
「私も居るわよ」
四夢香の背後から、白狐がクナイを投げた。
鈴女蜂の高速を誇る連突を避けながら白狐のクナイを避けるのは不可能と言ってもいい。
狙い通り、白狐のクナイは四夢香の背中に突き刺さった。
――と思われた。
「すり抜けた!?」
「狐の姉さん、これは四夢香の能力でありんす! 気を付けるでありんすよ!」
『面倒だねまったく。これだから裏切り者は嫌いなんだよ僕。はよ死ねやクソ女』
四夢香が片腕を振ると天井に罅が入った。
鈴女蜂はそれが自分の真上である事に気付いていない。
気付いたのは白狐の方だったが、彼女がそれを鈴女蜂に忠告する前にはもう天井は落下していた。
槍を突き出した姿勢の鈴女蜂に重い衝撃がのしかかる。
「しまっ……」
大きな瓦礫は鈴女蜂の身体を覆うように押しつぶし、床に激突。
「鈴女蜂!」
「だい……じょうぶ」
そんなわけがなかった。
鈴女蜂は閻魔との戦いで消耗し、負傷している。動くだけでも辛かった筈だ。
天井の瓦礫に埋もれた彼女は、片腕を出して潰されている。
「気を付けるでありんす……。四夢香は、常に四人で一組……」
『チィ』
舌を打った四夢香は再度腕を振り上げ、今度は壁に亀裂を入れた。
「こいつと戦う時……息は止めるでありんす……。四夢香の能力は――」
『黙れよ』
鈴女蜂の上に、更に壁の瓦礫が崩れ落ちた。
刺客だった少女の身体は完全に埋もれ、その声も聞こえなくなる。
まるで墓石のようなその有様に四夢香は大爆笑した。
『無様じゃないか! 実に無様だ! 裏切り者の末路はこうでなければな! 気分がいい、実に愉快だ。屑が瓦礫に埋まって掃除完了!』
この四夢香が愉快だったのはこの瞬間までだろう。
背後の壮絶な威圧感にも気付かず、馬鹿笑いを続ける。
そんな男が狩魔衆の実力者とは正直思いがたいところではある。
「小物め……」
白狐のくぐもった声が四夢香の耳に届いた。
『ああ?』
「小物め。そう言ったのよ」
口元をだらしなく緩めた四夢香の顔に強烈な痛みが走った。
――殴られた?
驚愕の表情に変わった四夢香の目は、自分を殴った刀の柄を捉えていた。
着物を纏った白き鬼が居た。
『夜叉。みつけたよ夜叉』
にたりと再び笑みを浮かべる四夢香に、夜叉は蹴りを入れた。
「気付かないか?」
「気付かないみたいね」
夜叉と白狐は嘲笑した。
「貴様、殴られたという事は己の能力を見破られているという事だぞ?」
小物も小物。
自分が窮地に立たされていることにすら、この四夢香は気付いていなかったのだ。
白い顔がさらに真っ青になった。
◆ ◆ ◆
【病院正面前広場】
『ほっほ。四夢香や、どうやらお主には不向きな忍務のようじゃな』
腰をくの字に曲げ、杖をついた老人が笑った。
その隣で、四人目の四夢香は無言のまま病院を見つめていた。
この四夢香だけは他の三人と違う。
体格も顔も同じなのだが、肌が褐色であった。
衣装もタイツではなくジーパンとベストだけで、健康的な色をした胸筋を惜しげもなく出している。
『言ってくれるよ《翁》。僕は戦闘要員じゃないっていうのにさ』
その通り。
四夢香に戦闘能力は無い。彼は偵察を主任務とする忍なのだ。
『ほっほ。如何せん人手が足りぬのでな。夜叉の病室を探り出してもらう他にも、仕事を頼んでしもうた』
相変わらず人が悪いや。
そう呟いた四夢香は困った顔で腕を後頭部に回し、その白い歯を見せた。
『で、これから翁は夜叉に会いに行くんだろう?』
ちらりと目線を送ると、老人は口の周りにたくわえた髭を撫で、笑った。
『ちと早めに向かうかのう。火羅繰のおかげで道がなくなってしもうたわい』
『たはは……』
ぽりぽりと頭を掻き、四夢香は苦笑いする。
『中の四夢香達は上手に誘導しているよ。翁は僕の言った通りのルートで進めば、誰にも遭遇せずに夜叉に会える』
『いつも面倒な役を与えてすまんのう。幻客、四夢香には御頭も感謝しておられるよ』
『いいってことよ。今夜はまだ楽な方だ。これで他の濃い連中も一緒だったら骨が折れるけどさ。刺客も爆客も好きに動いてるみたいでなにより』
『お主にも世話になった。最後の忍務、御頭ではなくこんな老いぼれに付き合ってくれて有難うよ』
若者は爽やかな笑顔で手を振った。
翁はゆっくりとした足取りで、杖をつきながら歩みを進める。
爆客、火羅繰の破壊した正面玄関は瓦礫が散らばっており、危なっかしく進む老人を四夢香は心配そうに見送ったのだった。
その直後、ほぼ同時と言ってよいタイミングで四夢香の頬に切り傷が生まれた。
(第一病棟の四夢香がやられた。ん……第二病棟と夜叉の方もか)
『三人共やられちゃったかー。まさか四夢香の能力をこんなに早く見破るとはね』
まあ目的はほぼ達成だし構わない、と四夢香は余裕の笑みで片手を上げた。
親指と人差し指を擦り合わせる。
すると彼の指からなにやら怪しい紫色の粉煙が発生。
そう、これこそ四夢香の能力。
吸った者に幻覚を見せる、四夢香特製の粉である。
やたらと香り高い粉なので、戦った者達は四夢香を妙に香水臭い男だと思ったかもしれない。
それ故、早く見破られたのだろう。
四夢香は偵察要員。普段は自分の姿さえ隠せられればよいのだが、今回は戦闘という事でいつもより多量の粉を放出していたのが仇となった。
『十分十分。僕の幻客としての忍務はここまでだな』
「まだよ」
踵を返した四夢香の後ろで声がした。
立っているのはタイタンだ。その腕には火羅繰の仕掛け籠手が装着されている。
四夢香はやれやれと首を振り、女と向き合った。
「まだ四人目の貴方が残っている」
『聞いていたのかい』
「タダで帰すとは思わないで」
『あのねえ。幻客としての僕の仕事は終わったの』
「関係無いわそんなこと。患者達に被害が出たのよ」
『うん? 僕の能力は幻覚を見せるだけ。ダメージを与える事はできないんだよ』
「どちらにせよ貴方が狩魔衆なら、逃がす事はできない!」
タイタンは拳から炎を出した。あの火羅繰が操る炎だ。その高温はお墨付きである。
ところが四夢香は全く臆した様子を見せない。
『頭の悪い子もタイプだよ』
それどころかニコリと笑ってタイタンを口説いている始末。
怒ったタイタンは両拳をぶつけ合わせた。
「火遁、猛火炸裂!」
火羅繰の技であった熱波が発生した。
燃えたぎる高温の衝撃波が四夢香を襲う。
幻客の能力と爆客の能力では差がありすぎる。
ただし。
それは四夢香が〈まだ幻客だった〉としたらの話なのだが。
熱波は炸裂。
四夢香の姿は無い。
幻覚で消えたのだろうか。
否。タイタンの炎は四夢香の粉をも焼き尽くす。
四夢香が消えたのは幻覚ではない。
『本部。ヴェズノブレードの転送を要求』
〈本部了解〉
四夢香はタイタンの真上に現れた。異常な跳躍力だ。病院の屋上すら軽く超える高さ。
タイタンが上を見上げた時、四夢香の手には歪な剣が握られていた。
「剣……?」
空中で四夢香は謎の言葉を呟く。
常人には発音しがたい言語だ。
一体この男は何者なのか。狩魔の人間とは違う。タイタンにはそう感じられた。
そしてそれは間違いではない。
『ゾルド・ガ・クォワーレ。喜べ可愛い子ちゃん。これを見られるのは君が……〈この世界初〉だよ』
四夢香はタイタンへウインクすると、急降下。
彼が唱えたゾルド・ガ・クォワーレという言葉と同時に、落下する四夢香とタイタンの間には見た事もない怪物達の絵画が等間隔で並んだ。
四夢香はその一枚一枚を剣で貫きながら落ちてゆき、彼の握る剣ヴェズノブレードは絵画から怪物の絵を吸いこんでいるかのように巨大化していく。
「なっ。魔力でもない……科学の力でもない……こんな攻撃、見たことがない」
だが、火羅繰の強大な炎の力なら。
「散炎、赤柱三十二束! 火遁、熱波!」
落ちてくる四夢香へ向けて三十二本の炎柱と熱波を集中砲火。
『火力が違うよ火力が』
巨大化する剣の前ではタイタンの放った炎は小さな火の粉程度。
紫のエネルギーに包まれた巨大な剣は広場という小さな的をタイタンごと巻き込もうとしている。
『君は可愛いから殺さないでおいてあげる。運が良ければ助かるよ』
「貴方は一体……」
おそらく紫のエネルギーはそれ自体が既存のエネルギーとは異なったもの。
巻き込んだ物質は時を止められ、タイタンも驚愕の表情のまま硬直してしまった。
『封忌二十柱限定解放。レメゲトン・スマッシャー』