宴章狩魔編 刺客
【刺客――鈴女蜂】
鋭く闇に光る刃は長い柄の先に取り付けられていた。
部類は槍なのだろうが、刃と柄の長さが等しい珍しいものだ。槍の刃の部分を長刀に付け替えたような。
金色の柄には赤い装飾が施され、端には鈴がぶら下がっていた。
そんな武器を握る刺客。鈴女蜂と名乗ったその女は廊下の蛍光灯、その真下に立ったことでその全貌を明らかにした。
若い。
見た目には死神ロシュや、ナイトメア、ヴァンパイアと同じくらい……いや、一回り年上といったところか。
だがその容姿から放たれる気迫は相当のもの。
閻魔はこの女が実年齢より若く見えるだけで、熟練度・経験値からして成人するかしないかだろうと悟った。
「狩魔の刺客か。目的はなんだ」
閻魔が問い掛けると、鈴女蜂はくすりと笑った。身体の揺れに合わせて鈴も揺れる。
『わかりきってるくせに』
「夜叉か」
『ほらちゃんとわかってる。愚問に時間を割くのはやめるでありんす』
鈴女蜂は妙な語尾を付けて言った。
同時に閻魔の前へ白狐が進み出る。
その手にはクナイ。彼女の愛用する武器だ。
「閻魔。この女はプロの殺人者よ。油断しないで」
油断はしない。閻魔にだってわかっている。
ただ二人とも、本物に会うのは久しく、感覚が少なからず鈍っていたのは間違いない。
それ故に鈴女蜂の動きに出遅れてしまった。
――チリン。
と鳴る鈴の音は、なんと閻魔と白狐の真上。
この狭い廊下で二人の視界から外れながら移動したのだ。
『死しても見えぬ鈴の針……』
天井を蹴った鈴女蜂はそのまま槍を突き出して落ちてきた。
間一髪、白狐が防御結界を張る。半球状に広がる透き通った壁が二人を包んだ。
ただし非常事態の為、懐に持っていた呪文符を媒体とする簡易結界だ。
鈴女蜂の槍はあっさりと結界を貫通した。
槍は貫通しても身体は結界を越えられない。が、身体を上回るリーチを誇るその槍は、たとえ身体が結界に阻まれようと確実に閻魔と白狐を刺し貫くことができた。
「嘗めるなよ小娘」
閻魔は白狐の張った結界を思い切り蹴とばした。
蹴られた壁はそのまま鈴女蜂の身体に直撃。
槍は誰を貫くこともなく離れた。
弾かれた身体をクルクルと回転させ、鈴女蜂は距離を置いて着地。
一撃で二人を同時に貫いて終わらせるつもりだったが、そうもいかないらしい。
思わぬ実力者と遭遇し、鈴女蜂はペロリと唇を舐めた。
片や閻魔と白狐も敵の実力に冷や汗を浮かべていた。
「危なかったな」
「この気迫、スピード……あの〈修羅〉に近いものを感じる。おそらく狩魔の中でも上位クラス」
「お前達をやった修羅をオールラウンダーとするなら、こいつはスピードを活かすタイプか。生憎ここは狭い。地の利はこちらにある。おまけに2対1だ」
『うちの御頭を甘く見すぎでありんす』
片手で槍を回しながら鈴女蜂が笑う。
『スピードもパワーもテクニックも、御頭が狩魔一でありんすよ。あちきの速さとテクニックは御頭と……。ぬ。御頭に授けて貰ったものでありんす。まあ御頭を除けばあちきが狩魔一でありんすけど。ね!』
床を蹴り、鈴女蜂が疾走を開始する。
右の壁へ移り、天井へ移り、腕を引いて槍を構える。
今度は閻魔も白狐も視界から逃さない。
「脚を止めろ白狐」
「任せて」
白狐はクナイを九本、鈴女蜂へ放った。
迫る刺客はスピードを緩めることなく首を反らせて顔へ飛んできたクナイをかわし、槍を回して他のクナイも絡め落とした。
ただしクナイが当たらないのは白狐にもわかっていたこと。狐面の額を親指でなぞり、その奥の目が鋭くなった。
――〈縛〉。
鈴女蜂の後ろで九つのクナイがぼんやりと光った。
その刃に浮かんだのは縛の字。
鉄でできたクナイはどろどろとその形状を変化させ、九つの腕になった。
それら全てがグッと拳を握った瞬間。
鈴女蜂の身体が見えない力で束縛された。
『金縛り!?』
すかさず閻魔が手の中に魔力の波動弾を作り、鈴女蜂へと放った。
石のように身体が硬直し床に落ちた鈴女蜂。
ただし彼女はプロの殺人者。
動きを封じられた危険性は熟知している。
咄嗟に手を離し、上に放り投げた槍が鈴女蜂の上に落ちてくる。
金縛りを食らった彼女の片手の平に、落ちてきた槍が刺さった。
刃は掌を貫通して地面に突き刺さる。
『く……! うあぁ……』
白狐の術に侵された身体に痛みを与え、無理矢理正常に戻したのだ。
すぐさま彼女は手から槍を引き抜いて閻魔の魔力弾を回避した。
魔力弾の炸裂によって廊下の一部が爆発する。この音と揺れで深夜の病棟内は騒ぎになるだろうが、今はそんな事を考えている余裕はない。
『クナイが変化したでありんすか。おまけに縛法。面白いことをしてくるでありんすね』
痛みに耐えているのか、鈴女蜂はぽたぽたと血を滴らせる片手を抑えながら唇の端を持ち上げた。
クナイを変化させたのは錬金術の一種。そして仕込ませておいた縛法の発動となる鍵もあらかじめ錬金術の中に仕込ませておいた。とても複雑で難しい金縛りのかけ方だが、それ故見破られにくい。
白狐は真面目な女だ。勤勉で責任感が人一倍強い。そんな彼女の性格だからこそ、この複雑で高難易度な戦法を我が物とし、可能にしていた。
「そりゃうちの幹部だからな。フハハ」
『幹部ね。御頭にズタズタに斬られた程度の幹部でありんしょ』
「……ああ?」
『死んでおけば楽だったのに。馬鹿な部下を自慢する上司もまた、馬鹿でありんす。』
「……クソガキが。減らず口もここまでだ」
閻魔が脚を一歩前に力強く踏み込むと、床から猛烈に霊圧が噴き出した。
白髪をたなびかせ、その眼はぎらぎらと照り、地獄の総大将の威圧を解放させた。
『あはははは! そんなものでこのあちきが臆するとでも思っているでありんすか? 魔を狩る我々に怖いものなんて無いでありんす』
「怖いもの無しの猪突猛進。見事にてめえも馬鹿じゃねえか」
す。と鈴女蜂の表情も冷たく変わった。
『言ったでありんすね……。穴だらけにされて後悔するでありんす』
「閻魔! 魔剣ドミニオンを失った閻魔は力が衰えている筈よ! 無茶は避けて!」
『もう遅いでありんす!』
――チリン。
――チリリン。
槍を回して鈴が鳴り、鈴女蜂は刃と柄の境目に手を添えた。
その柔らかく脱力した構え。それは速さを求める者が辿り着く構えだ。
『縮地!』
鈴女蜂は一陣の風となった。今までとは段違いの速さだ。
そのまま身体のバネを最大限に活かし、高速の間合い詰めから攻撃態勢に入る。
『烈突!』
槍が複数に見えた。
穴だらけというのは過言ではない。この速さの連突ならば一瞬で対象を穴だらけにできるだろう。
閻魔は防御も回避もしようとしなかった。彼は脚を肩幅より広く開き、両腕を広げて待ち構えていた。
「〈等活〉」
――ゴゥン!
閻魔の身体全体が一瞬振動し、正面から衝撃波が生まれた。
それは槍を猛烈な勢いで付きだす鈴女蜂を襲う。
鈴女蜂は目を丸くした。
槍が堅い。
先の丸い棒で鉄壁を突いているのかと勘違いしてしまう。
だが実際は結界すら容易に貫く槍と実態を持たぬ衝撃波だ。
槍による突は点の攻撃。面の力は皆無と言っていいほど効果を発揮しない筈。
だがこの衝撃波という面は、槍の突――しかも鈴女蜂の突を止めてしまっていた。
(なんて化け物じみた魔力でありんすか)
鈴女蜂は烈突から、得意の体術で体勢を変え、衝撃波をくぐり抜けた。
突だけではなく烈突からのコンビネーションを織り交ぜる戦法に出たのだ。
『螺盤!』
今度は槍の柄を横に振り、閻魔の脚を払おうとする。
鈴女蜂が速いとはいえやはり閻魔は一歩も動こうとしない。
「〈黒縄〉」
今度は脚と床の接地面から放射状に衝撃波が生まれる。
ようやく鈴女蜂は理解した。
この閻魔という男の力、魔力による衝撃波を操るパワートリッカーであると。
強烈な衝撃波による面の攻撃。それは同時に防御を完成させている。
『散牙!』
しゃがんだままの体勢から前宙。
空中で足元の衝撃波を避け、くるりと槍を半回転させ、刃を前に向ける。
このまま地を蹴って跳ねるように喉へ向け、下から槍を突き立てるつもりなのだ。
槍は確実に閻魔の喉を狙っている。
(殺った!)
鈴女蜂は確信し、槍を握った腕を伸ばした。
長い刃は空を切り裂き、究極の点攻撃は完璧な軌道を描いていた。
そう。完璧だった。
どんな衝撃波が来ようと、完璧な突を阻むことはできない。
ただ……。
それは正面からの衝撃波に対してというだけで……。
鈴女蜂はそれに気付けていなかった。
不完全な完璧だったことに。
「〈衆合〉」
横からの衝撃波で鈴女蜂の槍は軌道を外れた。
『……!?』
槍は軌道を外れると同時に刃を折られた。
さらに鈴女蜂の手からも弾かれ、壁へ叩きつけられた。
この時点で鈴女蜂は体勢を崩してしまっており、攻撃はおろか回避も防御もできなくなってしまった。
空中におけるその一瞬の出来事では後悔する時間すらなく――
「〈叫喚〉」
『うぐっ!』
腹に衝撃波の直撃を食らい、鈴女蜂は血を吐いた。
閻魔の手が鈴女蜂の顔を鷲掴みにすると、さらに追撃を加えてゆく。
「〈大叫喚〉、〈焦熱〉、〈大焦熱〉」
ぼきぼきと、鈴女蜂の身体からは聞くに堪えない音が鳴り、その旅に閻魔の手の中から苦悶の声が漏れた。
だらりと腕を垂らした刺客の女は既に戦闘不能状態。
閻魔は冷やかな顔だった。
「言い忘れたが、俺様は殺人者に対して容赦しねえ。それが地獄に於いて裁きを下す者だ」
『ふう……ふう……』
「あまり地獄を嘗めるなよ? 小娘」
『ふう……ふう……や……やしゃあにぃ……』
地獄の審判者。閻魔である彼が閻魔足り得る為にはこれが絶対なのだ。
冷徹かつ冷酷にならねばならない時も、ある。
「――〈無間〉」
最後の衝撃波が鈴女蜂の顔面に炸裂した。
弾けるような音で病室の窓に罅が入り、その凄まじさを物語る。
『………』
血煙を上げながら鈴女蜂は崩れ落ちる。
「これにて八大地獄、了」
◇
「閻魔殿。終わりましたか」
「おう。こっちはな」
病室の扉がゆっくりと開き、中から夜叉が出てくる。
彼は床に倒れた刺客を確認し、近づいた。
閻魔も白狐も黙って道を開ける。
夜叉も元は狩魔衆の人間。この刺客とも面識があるだろう。
「鈴……」
血まみれで倒れる鈴女蜂をそっと抱きあげ、優しい眼差しで声をかけた。
『や……しゃ……夜叉兄ぃ?』
「久しぶりだね鈴」
『うん』
「相変わらず丈夫な身体でなにより」
『あちき、夜叉兄ぃを殺さなくちゃいけなくて……』
「ええ。殺しなさい」
白狐が思わず踏み出したが閻魔が引きとめた。
「狩魔の掟を破ったのは某。エリート餓鬼となった者達を引き連れ、先頭に立って抜けたのは某。あの時、兄者に殺される筈だった。いつか来ると覚悟していた。たとえ生き長らえても、決して逃げられないという事は某自信がよく理解している。だから……鈴。お前に殺されるなら、某は本望だよ」
『……夜叉兄ぃは、何も、わかってないでありんす』
「鈴?」
『あちきは嫌……嫌なのに。どうして……』
「………」
『どうして狩魔を抜ける時、あちきを連れて行ってくれなかったでありんすかぁ……』
ぽろりと一粒、鈴女蜂の目から頬へ伝う。
そのまま彼女は眠ってしまった。
「おい夜叉。こいつは……」
「連れては行けなかったのですよ閻魔殿」
鈴女蜂を持ち上げた夜叉は自分の病室へと戻ってゆく。
「この子は幼い時既に狩魔でも上位に居た。そんな鈴を連れて行けば、間違い無く兄者の殺害対象にされる。某一人が掟破りの責を担う為には、この子はあまりにも大きな存在だったのですよ。こんなに小さな子だというのに」
そのまま刺客を抱いて部屋に入ってしまった夜叉を追うように中へ入る白狐。
閻魔は舌を打つと、部屋へは行かずに廊下を歩いて行った。
「まったく。こういうのは好きじゃねえんだ。こういうどうしようもなく哀しいもんは、好きじゃねえんだよ」
夜はまだ始まったばかり。
闇はますますその力を広大にしてゆく。
「あの小娘だけじゃねえだろうなぁ畜生。他にも来る筈だ。ここは病院だぞ、城じゃねえんだ。狩魔の白城落としなんて洒落にならねえ……」