宴章狩魔編 闇、再来
薬品の匂い。
白を基調とした壁、床、天井。
ここは魔導会社マジック・コーポレーションが管理する医療施設。
入院棟を担当するナースの一人が、その廊下を早足で歩いていた。
ここ最近、大量の入院患者が入ったおかげで彼女は目の回る忙しさに追われている。
「ええと501号室でリハビリの補助、それから車椅子を運んでシーツを換えて……はわわわ、あとなんだっけ」
手の甲に書いたメモを見ては溜息を吐く。
彼女はまだまだ忙しそうだ。
夕日が差し込み廊下を燈色に染めているが、彼女にはそれを意識する余裕すらなかった。
「はぁもう……一気に病室がいっぱいになっちゃって。しかも重傷者多数。そりゃそうよね……」
彼女は溢れんばかりのカルテを抱え、零れ落ちないようバランスをとりながら歩を進める。
「あの地獄アジア支部の負傷者かぁ」
ひどい事件だった。
建物崩壊による怪我人は少数だったものの、運ばれてくる患者は皆、切傷や刺傷が多かった。
運ばれてきた当初はどの者も失意に打ちのめされた表情をしていた。
「ま、今では回復したみたいだけど――」
言いながら、目的にはなかった病室へ足を向ける。
そこからはなにやら大きな笑い声や騒音が鳴り響いていた。
ナースの眉間には皺が寄る。
気をつけなければ歳をとった時にムッツリとした皺が刻まれてしまいそうだ。
苛立ちを抑えられぬまま、彼女は勢いよく病室の扉を開けた。
彼女は目まいと共に気絶してしまうのかと思った。
◇ ◇ ◇
パン。
白いベッドの上に積み重ねられたカード。
その上にもう一枚カードが重ねられた。
「せいやっ、イレバよイレバ!」
ベッドの上で上体を起こした女性。
須藤彩花は扇状に重ねた手札を煽ぎ、ニコニコと笑いながら言った。
「イ、イレバ?」
「イレバとは何ですか須藤様」
ベッドの周囲に並べた椅子に座る男達は困った声を出した。
彼等は頭部に包帯を巻いているが、正直頭部に怪我を負っているのかそうでないのかわからない。
何故なら彼等は普段から包帯で頭部を覆っているような連中――エリート餓鬼と呼ばれる者達なのだから。
「イレブンバックよ? ほら、11つまりジャックのカードで強さが逆になるの」
「ほうほう面白いですな。さあ、次は刃狼隊の方ですよ」
「グルル。パ……パスで」
中には狼男まで混じっていた。
彼は同じ病棟に入った患者で、パラダイスロストという傭兵部隊のメンバーだったりする。
ちなみにこの病室、一人部屋なのだが、今は入院仲間で一杯になっていた。
トランプで大富豪大会など……非常識もいいとこだが……。
「あらあら。じゃあ攻めていくわよー?」
得意げにパンパンと札を出して行く須藤彩花。
「ジョーカー、8切り、8切り、3。っと。上がりー!」
「ぬわー!」
「そんなー!」
「8の札を一枚づつ出すところに厭らしさを感じるー!」
もちろん、須藤彩花は賭けていた。
馬券のように病室に飛び散るカード。
金を巻き上げられたエリート餓鬼や狼男の悲鳴がこだました。
と同時に、それを上回るボリュームのナースの怒声が響いた。
「なにやってんですかあああああああ!」
凄まじい音量に思わず耳を塞ぐ。
声の主は、もはや幾度となく叱られているナースだった。
「貴方達は重傷患者でしょう! 安静にしてもらわないと困りますよ! ホラ自分の病室に戻った戻った!」
剣幕に押され、エリート餓鬼や狼男は渋々部屋を出てゆく。
いつもはスーツや迷彩服を着ている彼等も今はパジャマ姿で、なんとも不思議な光景だった。
鋭い目つきで患者達を見送ったナースは、残った須藤彩花を睨む。
彩花はトランプを片付けながら苦笑いし、布団に潜り込んだ。
秘儀、布団籠りである。
「須藤さん……貴女も安静にしていなくては」
「はーい」
「お腹の傷、痛まない?」
「ええ。大丈夫」
ナースは彩花のベッド脇に座る。疲労を紛らわすように息を吐いた。
そんな彼女の様子を布団の隙間から覗く彩花。
「私の傷は綺麗に塞がったんでしょう?」
「そうね……執刀医も驚いていたわ。刺したのが聖剣エクスカリバーで良かったわね、あの剣は殺傷力を抑える能力に秀でているから」
「ヴァルちゃんは私を争いから避けるためにああいう行動をとったのよ」
「ポジティブシンキングね。天国は今や異界全土から敵視されているわ。ニュース見てないの? あの要塞空母クロスキーパーまで駆り出して反抗勢力の駆逐をしているそうよ」
「それでも、あの人は……」
彩花は思い出す。
地獄旅館でのあの出来事を……。
◇
高エネルギー攻撃グングニル。
そして狩魔衆の襲撃。
混乱する地獄旅館の中、バンプと彩花はヴァルキュリアと共闘していた。
敵に囲まれ、背中合わせに彩花とヴァルキュリアは構えていた。
一、二、三の合図で駆けださんとした瞬間。
彩花は後ろから、ヴァルキュリアに刺されたのだ。
それからの記憶は途絶えている。
ただ。
〈……我慢して〉
真っ白になる頭に響いた聖騎士の一言が、彼女の頭には残っていた。
あとはもう意識が薄れて――
バンプに抱えられ――
◇
「……バンプ」
「あら、あの可愛い彼氏?」
ナースはにやりとして彩花の呟いた名前に食いついた。
どうやらその手の話が好物なようだ。
「バンプはきっとヴァルちゃんに会いに行ったのね」
そう。彩花も知らぬうちに彼は死神達と共に姿を消してしまったのだ。
それは同じ入院患者の間でも騒がれている事だ。
「その子達が姿を消した所為で、私達ナースも大変なのよ。いつの間にか噂が広がっちゃって。やれ《助けに行く》だの《寝ていられるか》だの。自分の怪我なんてお構いなしで抜け出そうとするんだもの。参っちゃうわ。結局二人ほど本当に抜け出して消えちゃうし……」
「ああ。歌舞伎ちゃん達ね?」
「医院長に怒られるのはこっちなのよ。地獄旅館の職員達だけでなく、パラダイスロストの戦闘員まで相手にして抑えられる方がおかしいわ」
ナースは仕事の愚痴を彩花にこぼしまくっていた。
彩花は口を挟むとまずいと思い、相槌を打ったり同意の言葉を述べたりしていた。
そんな時だった。
「お邪魔するわよー?」
病室に、また一人の女性が入ってきた。
先程のエリート餓鬼も異様な出で立ちだったが、この女もなかなかに異様だ。
頭部に硬そうなメットアーマーを被っているのだ。
そんな頭にパジャマ姿。ミスマッチもいいところだ。
パジャマ姿という事は、この女も入院患者ということである。
「あらタイたん、いらっしゃい」
「いい加減その呼び方変えない……?」
女の名はタイタン。
破壊業者という組織の戦闘員だ。
地獄旅館、パラダイスロスト、破壊業者。
この入院棟は他業種が混じっており、さしずめ同窓会とも言える状況も見られるのだった。
タイタンと彩花も顔見知りで、以前戦った事がある。
同じ病院に入院していることを知った時は互いに驚いたものだ。
そんなタイタンを招き入れ、病室は彩花とナースとで女三人になる。
「うちのイダが御免なさいナースさん。おてんばな子でちょっと目を離した隙に……」
「もういいのよ。ちょっと仕事のストレスを発散させたくて須藤さんに付き合ってもらったの。それにしても、あの韋駄天って子は本当に元気な女の子ね。まさか機動歩兵に乗って行っちゃうなんて」
「歌舞伎という男性が一緒らしいから大丈夫とは思う。ベルと神楽に会いたがってたから、もし会えたなら一緒に居るわ」
「ふふ、なんだかんだで子供なのね」
三人は笑う。
ナースはまだ仕事が残っているにも関わらず、居心地が良いのか彩花とタイタンとの談話に花を咲かせていた。
――チリン、チリーーーーン
『あわわわわー! 鈴落としちゃったでありんす! 転がるなでありんすー!』
病室の外から女の子の声が響いてきた。
誰かの見舞いだろうか。
『ぬわー、複雑怪奇な城でありんすねー、もー! はわわわわマズイでありんす、ピンチでありんすー!』
何か困っている様子。
『トイレトイレ、トイレもとい厠はどこでありんすかー!? もももも漏れちゃうでありんす……ぐすん』
どうやらトイレを探しているらしい。
ナースは立ち上がると、病室から出て行った。
タイタンと彩花は顔を見合わせる。
ナースは外の女の子にトイレの場所を教えてあげている。
『――を右に――で突き当たりを――』
『ふむ、ふむふむ! わかったでありんす!』
『一人で大丈夫?』
『当たり前でありんしょー! ありがとでありんすー!』
――バタバタバタ
『こらー、危ないから走っちゃダメー!』
『承知!』
『……え。 あ、あら……?』
ナースはなにやら不思議そうな顔をし、首を傾げて病室に戻ってきた。
「どうかしたの?」
「え? ええ、それが今の子、廊下を走って行ったから注意したの。そしたらその直後に消えちゃって……」
「消えた?」
「うーん、疲れてるのかしら」
三人は同時に首を傾げ、笑った。
ナースはふと窓の外を見る。
その顔が一気に青ざめた。
――もう、夜だ。
◆ ◆ ◆
こちらは別の病室。
こちらはこちらで何やら騒がしかった。
部屋の中に居るのは二人の男と一人の女。
「いいじゃねえか白狐! 酒の一杯や二杯!」
「馬鹿言ってんじゃないの! 自分が飲むならまだしも夜叉に飲ませようとしてんじゃないわよ!」
「ま、まあまあ」
「ほら聞いたか? 夜叉も飲みたいってよ! フハハハハハ!」
「耳おかし過ぎでしょそれ!」
「ま、まあまあ」
「だって歌舞伎が居ねーんだから夜叉しか飲み相手ないじゃねえか!」
「あんたが歌舞伎を天国へ向かわせたんでしょうが!」
「ま、まあまあ」
「ほら聞いたか!? 夜叉の奴、まあまあ飲めるってよ!」
「まあまあ飲ませて傷が開いたらどうすんのよ馬鹿!」
「ま――」
「オラ飲め夜叉! フハハハハ、カンパーイ!」
「何にカンパイか言ってみなさいコラァ!」
「ま――」
「よくわからんがカンパイなんだよコラァ!」
「うっそ逆ギレ!? 魔力回路もう一度ぶったぎってやろうかしら!?」
「お二人とも静かにして貰えませんかねえ!!」
「へい……」
「はい……」
一応……説明をしておこう。
酒の瓶を握って笑っている男は、地獄旅館こと地獄アジア支部の支部長。閻魔。
その閻魔と言い争っていた狐面の女性は同支部の幹部。白狐。
そんな二人を両脇に、ベッドで身体を休めている男も同支部の幹部。夜叉。
である。
やかましい二人を静かにさせた夜叉は、包帯で巻かれた腹部をさすり、溜息をついた。
彼は数日前まで意識が戻らなかった程の重傷を負っていたのだ。
正直な話、生きているのは奇跡だった。
彼は腹部を幾度も切り裂かれていたのだから。
「……もう、夜……ですか」
それからというもの彼は夜が来るたび、少し物憂げな気持ちになる。
枕もとに置かれた般若面。真っ二つに割られ、無残な形だ。
おそらく閻魔も白狐もそんな彼を気遣って毎晩騒ぎに来るのだろう。
夜叉にはとても有難かった。
が、やはり夜は彼を放してはくれない。
夜叉は夜の闇に縛られてしまったのだ。
底知れぬ闇。
影消え、溶ける世界。
今夜も、あの戦慄が彼を襲う。
闇に溶けた黒き般若面。
ぎらりと光る紅き眼光。
それに目を奪われていると、一瞬のうちにあの恐ろしき双刃が目の前に来る。
――『死ね。夜叉』
襲い来る刃は夜叉の刃をいとも容易く弾き飛ばし……。
「……ぐぅ…!」
夜叉は窓から目を背けた。
「夜叉!」
白狐が夜叉の肩に手を置く。
そんな部下の様子を、閻魔は酒を飲みながら眺めていた。
閻魔は目を細め、夜叉の見ていた窓の外へ視線を送る。
広がる闇。
光無き無限の世界。
朝が来るまでの間の支配。
(フン。こいつぁ……)
己の白髪をひるがえし、病室から出ようとする閻魔。
「行くぞ白狐」
「え? でも……」
チラリと夜叉を見る。
彼も普段とは違う、鋭い目つきになっていた。
「わかっているよな、夜叉」
「わかっていますよ、閻魔殿」
「てめえは動ける身体じゃねえ。俺達に任せておけ」
「……お願いします」
そんなやりとりをし、閻魔と白狐は夜叉の病室を出た。
まだ状況を掴めていない白狐は閻魔に問うた。
すると酔っている筈の男は冷めた表情で廊下に立ち止まった。
「来るぞ」
「来る……? まさか」
「まったく質の悪い。死体を見るまで退かないようだ」
――チリン。
蛍光灯の柔らかい光に包まれる廊下。
その静かな空間に鈴の音がした。
――チリーン。
にたりと笑うのは閻魔だ。
隣の白狐は懐からクナイを抜く。
彼女は、ここ数日自分の戦闘服である着物を着ておいて良かったと思った。
――チリン。
「嫌な夜ね。気味が悪いわ」
「フハハハ。って、俺様と組むのがそんなに嫌なのか……」
「違うわよ……」
何故か閻魔はネガティブだった。
やはりおかしな夜ではある。
――チリーン。
鈴の音は確実に近づいてくる。
「ようてめえ、何者だコラ」
――チリン……。
奥から歩いてきたその者は長い槍を手に握っていた。
『狩魔衆。刺客《鈴女蜂》』