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宴章 Valkyrie

『ようヴァルキュリア、今日までご苦労さん。次はアジア支部が引き取るから参上したぜ』


『………』


 まだ成人にも満たなかった頃のヴァルキュリアの前に、地獄アジア支部の使いとして歌舞伎という男が現れた。

 彼女は天国から地獄ヨーロッパ支部へ派遣されて間もなかったので、歌舞伎と会ったのはこれが初めてだった。

 明朗快活なこの男は初対面にも関わらず、彼女が身に纏った鎧を叩きながら労った。

 ヴァルキュリアは無言のままだった。

 今日この日、この男に会う事がどれほど嫌だったか。別に歌舞伎が嫌いなのではない。初対面なのだから。

 ただこの日この時が嫌だった。


『で、〈奴ら〉はどこだー?』


 歌舞伎が〈彼ら三人〉の名を呼ぶ。

 すると――。

 ヴァルキュリアの腰から垂れた大きなスカートが、ごそっと動いた。

 次に小さな頭がひょっこりと三つ出てくる。

 二人の女の子と、一人の男の子だった。


『アッハハハ、居たなーチビ共ー』


 歌舞伎はゆっくりと三人の子供に近付き、しゃがんだ。

 ヴァルキュリアは俯いたまま動かなかった。


『こりゃあ元気そうなのが三人。閻魔が嬉しがるぜ。おい、名前、ちゃんと言えるかー?』


 にっこりと笑顔で三人に話し掛ける。

 ヴァルキュリアのスカートを握って少し緊張していた子供達も、その大らかな雰囲気に包まれて気持ちをほぐしていった。


『ろしゅけんぷらいめーだ』

『ないとめあ』

『ばんぱいあ』


 それぞれ名乗る。

 ロシュケンプライメーダと、ナイトメアと、ヴァンパイア。

 事情で両親の傍に居られなくなり、地獄の各支部で預かる事になった子供達だ。


『……ロシュ、メア、バンプ。愛称』


 ヴァルキュリアが呟いた。


『ほー。ロシュと』

――ぷに。『ふえ』


『メアとー』

――ぷに。『ふあ』


『バンプなっ』

――ぷに。『わあ』


 歌舞伎はそれぞれの頬を指でつつき、笑った。

 すっかりこの男に慣れてしまった三人の子供は、ヴァルキュリアのスカートから手を離していた。


『歌舞伎……』

『ん?』

『私はまだ預かっていても……構わない』


 歌舞伎はしゃがんで子供達の相手をしながらヴァルキュリアを見上げる。

 彼女は兜を脇に抱え、三人をじっと見つめていた。

 普通の者が見れば至って無表情。

 しかし歌舞伎の目には表情の変化が見て取れた。


『まぁ……気持ちはわかる。けど支部長会議で決まった事だろう。ヴァルキュリアも同意した筈だ』

『しかし』

『これを破っちまったら、閻魔もアヌビスもデーモンも支部長としての威厳と信用を失う。無論、お前もな』

『……私は、悲しい』


 普段小さい声も、さらに小さくなっていた。

 そんな彼女の肩を小突く。


『こいつらはさ、今はまだ小さいけれど。すげえ速さで大きくなるんだぜ。俺もお前もビックリするくらいの速さでさ。だからいろんなモノ、いろんな世の中を見せてやるのも、こいつらの為なんじゃないか』


 確かに自分の傍で見守りたい気持ちもわかるが。

 そう付け加えた歌舞伎の言葉を、ゆっくりとヴァルキュリアは頭の中で繰り返した。

 了承。

 ヴァルキュリアは頷いた。

 まだこんなに若いのに。無口で無表情な戦神は、深い愛情を持っていた。


『まー、閻魔の事だからちょくちょく他の支部に生かせる事もあるだろうよ』

『本当?』

『ああ、だからお別れみたいな気持ちは持たなくていい』


 ヴァルキュリアの顔がほころんだ。

 誰でも見て取れる変化だ。


『ロシュ、メア、バンプ。いつでも遊びにきて良いから……』

〈アタシのおやつ勝手に食べたこと、忘れないんたからねー!〉


 ヴァルキュリアの腰に下がった剣がなにやら怒っていた。


『うん、また遊びにくるのぜー!』

『ありがとですー』


 ロシュとメアはヴァルキュリアと握手を交わした。

 同様にバンプも、手甲を外した彼女の白い手を握る。


『僕、いつかヴァルさんとお仕事する!』

『バンプ……』

『どこへでも、ついてくからねー』




 ◆ ◆ ◆



「貴方……そう言ったじゃない」


 グングニルを放ったオーディンへ向かって走っていたヴァルキュリアは、立ち止まって言った。

 彼女の背後には甲板を突き破って飛び出してきた少年が立っていた。

 黒い翼を背中から生やしたヴァンパイアだった。


「やっと会えたね。ヴァルさん」


 彼は口からぎちぎちと奇妙な音を奏で、背を向ける聖騎士を直視している。

 こちらへ向き直ったヴァルキュリアは理路整然たる出で立ち。

 互いに交わす言葉は要らず、赤の剣と聖の剣を手に握った。


「赤魔法……」


 バンプは唱え、血のように赤い針を目の前に並べる。両手に持った剣を交差させ、振った。

 針は風を切り、聖騎士を襲う。

 赤の錬成魔法は想像と創造の力。

 イマジネーションとインスピレーションに比例してその能力を変化させる。

 ベルゼルガに教えてもらったコツと戦い方はたとえ相手がヴァルキュリアであれ有効な筈。

 バンプのこれまでの戦績は芳しくない。が、この一戦の糧となったのなら、価値ある戦績だ。


 ヴァルキュリアは聖剣エクスカリバーを地面に突き刺し、波動を放った。

 針を容易く蹴散らす。

 それが陽動である事も彼女はわかっていた。


 大量の針に紛れて、バンプが接近していた。


 彼は双剣を振るい、ヴァルキュリアは地面から剣を引き抜いて鍔迫り合いに持ち込む。

 突進の勢いが抜けていない少年へ足を振りぬき、蹴りを見舞った。


 バンプが溶けた。


 どろりと黒いゲル状になった彼はその姿を変え、鮫の歯を持ったゴーレムになる。

 剣はその黒い歯に噛まれ、引き抜けない。

 ゴーレムが噛み付きながらにたりと笑った。


『甘い甘い……これで聖騎士とは笑わせる……』


 バンプの本体はヴァルキュリアの真上に居た。

 両手で握っているのは赤い長剣だ。その柄を胸に当て、切っ先を下へ向け、落下してくる。


「エクスカリバー」

〈はいよっ〉


 噛み付かれた聖剣が発光し、ゴーレムを真っ二つに断ち斬る。斬られたバンプの使い魔は再びゲルと化し、地面へ消えた。

 ヴァルキュリアは横へステップし、バンプの攻撃は床を突き刺した。

 その隙を突いてヴァルキュリアの剣が横薙ぎに振られるも、床から現れた黒いゲルに剣先を包み込まれ、クッションがバンプに当たった。


「鬱陶しい」


 ヴァルキュリアは掌から光の波動を放ち、使い魔を吹き飛ばす。やはりゲル状となって床に垂れた。

 黒い水溜まりは這うようにバンプの影へ入り、彼の背中から翼の形となって現れた。


『そうだ主人。それでいい。使い魔は主人が死なぬ限り滅びない。陽動、身代わり、盾、補助、なんなりと利用するが良い』


 翼は腕の形に変化。

 更に半分に割れ、四本の腕となる。

 バンプと合わせて六本。それぞれ赤魔法で精製された剣や斧、槍を持っていた。


〈バンプの奴、使い魔を従えてる!〉

「アークスの用いていた使い魔。これは厄介」


 死神や夢魔と並んで吸血鬼が最強種とされている由縁の一つが、この使い魔。

 不滅にして変幻自在。赤魔法との組み合わせは強力だ。

 宿主に傷をつけるのは困難を極める。


 だがヴァルキュリアとてSt.4knightsの一画を担う聖騎士。相手は完全な吸血鬼ではなく少年だ。切り抜けられないという事はない。


「ケルビム……」


 カッ――とヴァルキュリアの鎧が振動する。


『主人。伏せろ』

「うん」


 ヴァルキュリアは聖剣を大きく横へ振った。


「エクスキューショナー」


 横に剣圧が走る。その長さはクロスキーパーの甲板を飛び出すほど。飛空挺ルシファーを落とした縦一閃の、横バージョンだ。

 この大きさであれば空母も両断できるだろう。ディーラーズの真空刃とは規模が段違いだった。

 更にヴァルキュリアはもう二本。縦と斜めにも放つ。

 バンプは使い魔の指示の下、右へ左へ転がって避けた。

 ヴァルキュリアの剣圧は甲板を切り裂き、さらに海をも切り裂いて飛沫をあげた。

 慌てて転がり回っていたバンプはすぐに立ち上がり、疾走を開始する。


「艶鶴甲冑」


 ヴァルキュリアの片手甲が腕から離れ、拳を握ってバンプへ突っ込んでくる。


「艶鶴甲冑、コピー!」


 バンプの腕に赤色の手甲ができあがり、飛んだ。

 白銀と赤の手甲は宙でぶつかり合い、地面に転がる。

 ヴァルキュリアは唖然とした。艶鶴甲冑は扱いの難しい魔導防具なのだ。たとえコピーといえど、術者に求められる技術も同じ。自分以外に扱える者を見たのは初めてだった。


「僕は誰よりも近くでヴァルさんを見ていたからね」


 双剣を擦り合わせ、少年は転がった赤い手甲をつま先で蹴った。

 変幻自在の使い魔への対抗手段としてヴァルキュリアも変幻自在の艶鶴甲冑を使ったのだ。それを全く同じ――コピーで対処された今、手数はバンプの方が上となった。

 戦の神と銘打たれたヴァルキュリア。これを屈辱と言わずなんと言おう。


「ケルビム・エクスキューショナー!」


 ヴァルキュリアは剣圧を連発した。聖剣を縦に横に斜めに、下から上、上から下、右から左、左から右、彼女の剣捌きは見惚れてしまうかと思うくらい鮮やかなものだった。

 剣に重さを与えない剣士。変幻は無用と言わんばかりの剛。使い魔を用いる隙間もない斬撃の網。間合い要らずの連続攻撃。


 本当に強かった。


『主人……』

「うん。僕達に打つ手は無い」

『だが避けるばかりではやられるぞ。あの女、スタミナは無尽蔵だ』

「悔しいけど……」


 バンプはまたも転がって避けつつ、ヴァルキュリアへ血針――ブラッド・ニードルを放った。

 聖剣の放つ剣圧の網に弾かれ、弾かれ、弾かれ。彼女まで到達した針は少数。それも難なく剣の柄で叩き落とされ、甲冑に弾かれた。

 ヴァルキュリアという聖騎士はエクスカリバーと鎧のみで十分なのだ。小細工など不要。

 だから強い。いくらバンプが使い魔まで用いてあの手この手で仕掛けようと、真正面からねじ伏せられてしまうのだから。

 まさに今のように。


「貴方では私に勝てない」

「……」

「正義の前に散れ」

「なに言ってんの?」


 バンプは予想だにしない行動に出た。

 立ち上がったのだ。

 前からは縦の一閃。直撃を食らう軌道だ。


『何を考えているんだ馬鹿者!』


 使い魔が前へ飛び出し、盾の形に変化した。

 ちなみに……この時ヴァルキュリアも、兜の下で使い魔と同じ事を叫んでいた。

 剣圧が盾になった使い魔に当たり、当然の如く黒を切り裂いてゆく。


「なんで僕が正義に負けるのさ」

「……バンプ?」

「強かったら正義? 勝てば正義? 正しいものは必ず勝つの?」

「私は正義の下に力を振るっている」

「フライヤが正義? 彩花さんが痛い思いをするのも正義の為だって言ってたね」

「フライヤは絶対の正義」

「盲信だよ」

「違う。貴方にはわからない」

「正しい義の下に力を振るう? 地獄の人達も、彩花さんも、無関係じゃないか」

「必要な犠牲。力を示し、別世界からの介入に制限を示したまで」

「何様だよ」

「いずれ起こり得た事を最小限に抑えた結果」

「理不尽だよ! なにがいずれ起こり得た事だ! 惨劇に加担して、アイツが何をしようとしているのかもわからなかった癖に! そんで破壊業者まで壊滅、No.13にここまで攻め込まれた癖に! まだ言うの!」


 剣圧はついに使い魔を両断した。


「こんな正義なんて誉められた者じゃあない! 誰も望んでない! 僕は、ヴァルさんの、我儘が持ち過ぎた力に負けるんだ! 僕はヴァルさんも彩花さんも大好きだったのに!」


 直撃だった。

 使い魔のおかげで勢いが落ちていたとはいえ、剣圧は少年の服を裂き、胸を裂き、鮮血をほとばしらせ、簡単に吹き飛ばした。

 ヴァルキュリアは手を止め、茫然とした。

 ただボロ布のように甲板上に横たわったその男の子は、ぴくりとも動かない。

 彼のまわりには血だまりができていた。


「バン…プ……」

〈こんなの……おかしい……。おかしいよ……!〉


 エクスカリバーが押し殺していた声をひねり出した。


〈ヴァルが望んだ結果は……こんなに……悲しいものなの……?〉


 浮いた足取りでヴァルキュリアは歩み寄る。

 ひたりと血だまりに足を踏み入れると、彼女のスカートに少年の血が染み込んだ。

 息はある。

 血だまりができたとはいえ、死に至る出血量ではない。おそらくはショック症状を起こしているのだろう。


「アースガルズの医療機関へ」

〈うん! 急ぎましょう!〉


 手を差し伸べ、少年の身体に触れた瞬間。


「は―――!」


 ヴァルキュリアの背筋に悪寒が走った。

 凄まじい戦慄だ。

 威圧に押し潰されてしまう。そんな強烈なプレッシャーを放ったのは、もちろんバンプではなかった。


「ほっときゃいいじゃねえか。クハハハハハ!」


 高らかな笑いは背後から。軍靴を鳴らして、怪人は甲板の上を闊歩していた。

 惨劇のカタストロフ。

No.13の首魁であり、最凶の称号保有者でもある者。


「んなガキ、放っておけよ女騎士。てめえの前には危機が迫ってるんだぜ? 同時に、惨劇を討ち取る絶好の機会でもある。さあ。さあさあ。ガキは死なせておいて、てめえはてめえの仕事をしないと」


 げらげらと笑い、手をかざす。

 軽い素振りとは逆に、ヴァルキュリアの身体は勢い良く吹っ飛ばされた。何度も転がり、やっと止まった時には彼女の呼吸が荒々しくなっていた。

 大きくへこんだ胸当てが惨劇の強大な力を物語っている。


「か……はっ」

〈ヴァル!〉


 苦しそうに呼吸をする聖騎士を尻目に、惨劇という乱入者は横たわる少年を見やる。

 邪魔に思ったのか、近づいて蹴り飛ばした。


「敗者はさっさとステージから下りろ小僧。いつまでも血ぃ垂れ流して汚すんじゃねえ」


 掌をバンプに向けた。

 なんの躊躇もなく惨劇は力を使う。圧力の塊――プレスキャノンを発射した。


「やめろおおおおお!」


 悲鳴にも似た叫び声がヴァルキュリアの喉から溢れた。

 母心……というものに嘘は吐けなかった。


「ほう?」


 惨劇は顎に手を添えて微笑した。それはいざとなってボロを出したヴァルキュリアの滑稽さに向けてなのか、はたまた――

 少年を抱えてプレスキャノンから逃げた新たな乱入者へ向けてなのか。


「アッハハハハハ、俺カッコよすぎだろコレ!」


 派手な衣装をひるがえし、歌舞伎が大口を開けて爆笑していた。

 くたりと腕の中でうなだれるバンプを下ろし、ヴァルキュリアと惨劇の二人を交互に見る。

 白銀の鎧を纏った女の方はいつもの毅然とした姿をどこかへやってしまったらしく、四つんばいで歌舞伎の姿を見つめていた。片やもう一人、軍靴や軍服に身を包んだ黒き異形は腕を組み、恐怖を抱かせる仮面のような顔の下で小さく笑っている。


「ったくこれじゃあ地獄の面子が丸潰れ」


 歌舞伎は手を広げ、肩をすくめた。


「聞けばガキ共暴走中。だから俺が来てみりゃどうだい」


 歌うように言い、それに合わせた身体の動きもリズミカル。


「馬鹿の集会、大宴会。と、きたもんだ」


 やんややんやと楽しげに手拍子する惨劇。

 歌舞伎は口上を述べながらヴァルキュリアの近くまで行くと、その兜をペシンと叩いて指を差した。


「あ、お前の負けぇ〜」

「私の……負け」

「クハハハハハ! ハハハ、ハァッハハハハハハ! 上出来、上出来だそこの歌舞伎者!」


 惨劇の手拍子は拍手に変わっていた。大爆笑で歌舞伎を称賛している。

 ぽかんと呆気にとられるヴァルキュリアの方が場違いに見えた。


「正義、正義正義正義。ホント馬鹿じゃねえのか天国の連中は。フライヤなんて雑魚は俺の捨て駒に過ぎないってのに。やれフライヤは絶対だ。やれフライヤこそ正義だ。ばっかみてえ」


 惨劇は鼻で笑いながらヴァルキュリアを貶した。


「結局ここぞって時に〈やめろおおおおお!〉だってよ。自分で血塗れにした癖に。何だてめえ? わけわかんね」


 興が冷めたのか、惨劇はつまらんと言ってもはや笑いもせず背を向けた。


「そもそも〈最悪〉の造ったオーディンに頼るフライヤはゼブラに〈正義役〉をやらされて踊ってるだけなんだけどな」


 そのまま靴を鳴らしながらヴァルキュリア達の方から離れていってしまった。

 本命のオーディンの所へ向かったのだろう。


「あー」


 それを黙って見送った歌舞伎が大きく息を吐く。

 冷や汗ものだった。


「初めて見たぞ惨劇のカタストロフ。感じたろ、あの威圧感と凶気。ギルスカルヴァライザーが一方的にボコられるわけだ」


 一撃でヴァルキュリアへ大ダメージを与えた惨劇が攻撃したのはその一回だけで、まるでただ観戦しに来ただけのようだった。

 オーディンとフライヤのもとへ向かうその足取りも軽く、ヴァルキュリアも歌舞伎も奴が一体何をするつもりなのか予想ができなかった。手を出せば鎧袖一触されるという事も悟っていた。

 身を呈してオーディンとの接触を妨害しようにも、ヴァルキュリアは今の攻撃で惨劇を止めるだけの力を失っている。

 それに、どうやら戦いはまだ続いているらしい。

 つい先程まで倒れていた筈のバンプの姿が、目を離した隙に無くなっていたのだ。


「やっちまえ。バンプ」


 歌舞伎の目線の先――ヴァルキュリアの影が水面のように波打った。

 彼は影に溶け込んでいたのだ。


「バンプ――動けたの――!?」


 慌てて剣を握ったヴァルキュリアだったがさすがに間に合わない。

 口の端から血を垂らしたバンプは勢い良く彼女の懐に入った。覆しようのない速さと間合い。


「く――!」


 腕で顔を覆い、刺される事を覚悟したヴァルキュリア。

 しかし。


 バンプは彼女を刺さず、膝を着いて両腕をヴァルキュリアの胴へと回した。

 彼女に抱き付いた。


「バ、バンプ」

「僕は……あの時。どこへでもついてくと言った」

「……」

「それはヴァルさんと仕事がしたかったからという理由だけじゃない……」

「……」


 傷だらけの顔。

 必死に戦った少年の顔だ。

 そんな彼の擦り傷を負った頬には、ぼろぼろと涙が零れていた。


「もしヴァルさんが道を誤ったら……僕がヴァルさんの所までついていって教えてあげなきゃいけないんだ」


 身体を凍らせていたヴァルキュリアは、ゆっくりと少年の銀髪に手を乗せた。

 白銀の兜の下で、彼女の声は震えていた。


「男の子は、泣いては駄目」

「僕は馬鹿だから……何が正義かなんてわかんない。だけど、彩花さんやみんなを犠牲にすることが正しくない事くらいわかるんだ……」

「……私は正しいと判断した」

「そんな――」

「でも。私も悩んだ。そして最も大切な、最後の決断をフライヤという存在に委ねてしまった。私自身ですべきところを、逃げた。貴方の言う通り。私はフライヤを信じ過ぎていたのかもしれない。彼女は常に正しかったから」


 こんなに長く語るヴァルキュリアを見るのはバンプにとって珍しかった。

 歌舞伎に至っては初めてかもしれない。


「盲信。狂信。それは危険な事。だから……見届けてみようと思う」

「ヴァルさん……」

「こんなに頑張って私の所までやってきた少年は、とても成長していた。あの時の歌舞伎の言葉通り、驚いた。そこまでの訴えに耳を傾けない理由はない」


 ヴァルキュリアは盲信を認めた。確かに彼女はフライヤ・プロヴィデンスを信頼しきっていた。

 だがフライヤが正しくないとはその時点では言い切れない。皆を犠牲にした非道の数々を正当化させるだけの理由を、彼女が抱いていないという証拠が無いからだ。

 バンプは如何なる理由があろうとも正しくないと主張した。

 ヴァルキュリアはもっと広い視野で、先を見越して考えていた。フライヤはそれだけの深謀を可能とする者であると知っているからだ。

 正義の真意はフライヤに問うしかない。

 故にヴァルキュリアは見届けることにした。

 バンプの行動はヴァルキュリアに対する叱咤だったのだ。


 ――正義の真意も知らされぬまま、フライヤに加担するのは間違っている。


 最初から見届ける立場であるべきだったのだ。フライヤは明確な説明をしなかったから。正義と何かをイコールにしてはいけない。正義とフライヤをイコールにした――つまりフライヤに対する盲信が、ヴァルキュリアを争いに参加させていたということだ。

 大切な存在が身体を張らなければ引き摺りだせない程、ヴァルキュリアは深く深く信じ込んでいた。


 バンプとヴァルキュリアの二人を横目に、歌舞伎は聖剣エクスカリバーを拾い上げた。


「おい」

〈なによ!〉

「ありがとな」

〈な、なにがよ!〉


 聖剣は声を張りながらも、歌舞伎に敵意を向けてはいなかった。


「須藤彩花の傷。綺麗に塞がっていたぞ」

〈あっそ!〉

「今のバンプの傷もだ。出血は異常な速度で止まり、傷は既に塞がっている」

〈だからなんなのよ〉

「さすが聖剣。敬意をはらう」

〈……〉


 エクスカリバーは押し黙り〈ふ、ふん〉と小さく呟いた。


〈ねえ……〉

「ドミニオンか?」

〈うん〉

「塵になったよ」


 歌舞伎の言葉を最後に、もう誰も喋らなかった。

 失うばかりの争いの中で、あらためてその辛さを噛み締める。

 戦場でそんな感情を抱いてしまったヴァルキュリアとエクスカリバーに、もはや戦う意志はなかった。



 ◆ ◆ ◆



 クロスキーパーの戦い

 経過



 《St.4knights》


・ヴァルキュリア――ヴァンパイアと戦闘及び惨劇と接触→戦意喪失


・Rガーディア、Lガーディア――ベルゼルガと戦闘→戦闘不能


・オーディン(フライヤ)――健在。現在地クロスキーパー後部甲板



 《No.13》


・ディーラーズ――現在地不明


・双百合――未確認


・零鋼――健在。現在地不明


・惨劇のカタストロフ――健在。現在地クロスキーパー甲板



 《地獄》


・ヴァンパイア――ヴァルキュリアと戦闘→戦闘不能


・歌舞伎――参戦。現在地クロスキーパー前部甲板


・ベルゼルガ――ガーディアと戦闘→戦闘不能


・里原神楽――健在。ベルゼルガと合流。現在地クロスキーパー内部


・ジャッカル――健在。現在地不明


・死神――健在? 現在地……たぶん空中

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