宴章 〈聖盾騎士〉ガーディアvs〈最狂〉ベルゼルガ
死神とベルゼルガは水を滴らせながら梯子を昇っていた。
海に投げ出された二人は泳いでクロスキーパーまで到達し、作業用のハッチを見つけたのだ。で、現在そのハッチから入るべく梯子を昇っている。
「うひー! 怖いぜー」
「馬鹿は高い場所が好きってのは迷信かよ」
先に上を行く死神の下でベルゼルガは笑った。
棺を担ぐ彼のヘルメットからは入り込んだ海水が流れ、なんとも間抜けな姿である。自分で〈水も滴るイイ男〉と言ってみたが、見事に死神にスルーされていた。
「ハッチ開かねー!」
辿り着いた死神がハッチをぐいぐい押すも、ビクともしない。
「ハッチ開かねー!」
今度は思いっきり殴ってみる。
手を押さえて痛がっていた。
「ハッチ開かねー!」
「引けよ」
「ハッチ開いたー!」
叫びながら死神は勢いよく中へ飛び込む。続いてベルゼルガも溜息を吐きながら中へと入った。
とりあえず乗艦はできた。
次は仲間と合流……といきたいところだが、艦内は自律兵器だらけ。乗艦した死神とベルゼルガもすぐに感知された。
「ったく、ゾンビゲームじゃねえんだから」
「なーにそれ?」
「神楽ん家でやったテレビゲームだよ。うじゃうじゃ出てくるゾンビを撃つアクションゲーム」
「ひいいいいい!」
「死神業者がそのリアクションするのはデストロイ間違ってるだろ」
そんな会話を交わしながらベルゼルガは拳銃で自律兵器の頭部を撃ち抜き、棺桶で弾き跳ばす。
自律兵器達はただ群がってくるだけで、光の矢を放ってこない。それはもう零鋼がサイバージャックを解いたからであり、指揮官を失った自律兵器は敵を感知して接近攻撃を仕掛けることくらいしかできなくなっているのだ。まさにロボットのゾンビといったところか。
だがベルゼルガ達がその理由を知るわけがない。重装兵ハイドラという男の一撃のおかげで零鋼のジャックが解けた事など。
「とにかくオーディンの所まで行かないとな」
「うん。ヴァルさんは甲板の上に居たからきっとそこだよ」
「ジャッカル達も同じ事を考えてるだろうな」
と、ここでクロスキーパーが大きく揺れた。
尋常ではない大きさだ。
次の瞬間、死神とベルゼルガの正面に光の柱が突き抜けた。
グングニルだ。
二人はあと少し前に居たならば、上から放たれた神槍に巻き込まれていた。
「危ねえええええ!」
「危ねえええええ!」
グングニルの開けた大穴の淵に立ち、下を見下ろす。やはり海水が流れ込んできていた。
次に上を見上げる。
空が見えた。
「この真上にオーディンが居るな。わかりやすい攻撃かましやがって」
「じゃあディーラーズも!?」
「オーディンが攻撃したって事はNo.13が来たって事だ」
「上に行かなきゃ!」
死神が上に繋がる階段を探して駆け出そうとした。
ベルゼルガの腕が彼女のローブに付いたフードを掴み、引き止める。
死神は一瞬だけ不思議そうな顔をしたが、その後ベルゼルガの行動を理解した。
グングニルと一緒に落ちてきた二人が立ちはだかったのだ。
「やーやーやー。これはこれは」
「邪魔くさいのに会っちゃったなー」
盾を持つ二人組。ガーディアだった。 白銀の鎧に身を固め、全身を覆うかのごとき大きさの盾。一目見ただけでタフネスな装備だと解り、すぐには切り抜けられそうになかった。
そもそも、このクロスキーパーの中で自律兵器以外の敵は存在しない筈で、ただ一つ例外があるとするならばそれは、No.13もしくは――
「St.4knights」
ベルゼルガが呟き、敵は兜を盾に動かして頷いた。
まさに惨劇の思い通りの展開だ。
ヴァンパイアはヴァルキュリアを狙い、そしてこのガーディア二人は自分達の前に立ちはだかっている。
オーディンを狙うNo.13に障害はなくなったのだ。
死神もベルゼルガも周章狼狽した様子を見せた。
「お願いだから道を譲って!」
「オーディンがやられる前にNo.13を止めないといけねぇだろ!」
時間がない。惨劇が出てくれば、いくら戦略傀儡兵のオーディンといえど勝ち目はないだろう。
その考えはガーディアも同じだ。
「まーね。フライヤ一人じゃあちとしんどいかもねー」
「だからお前らをさっさと消して、甲板に戻るんだよ」
――ずるり。
と、RガーディアとLガーディアは盾の裏に収納されていた剣を引き抜いた。
その形状がまた珍しい。
四本の刀の峯をくっつけたような、四方に四つの刄を持つ剣なのだ。形だけを見ればランスに近い。
「おい、死神のチビ……」
ベルゼルガが囁く。
「お前、里原を取り戻す自信あるんだろうな?」
「もちろん!」
「そっか。なら……」
ベルゼルガは死神のローブを掴んだ。
ぐいと引き寄せ、持ち上げる。
「何? 何!?」
「重力魔法で自分の体重軽くしろ!」
「乙女になんてこと言うんじゃー!」
「いいから!」
彼らの怪しい行動に、ガーディアが動いた。盾を構え、四刄の槍を突き出して突進してくる。
死神は渋々自分の身体に重力魔法をかけ、軽くなった。
「無理はすんな。俺かジャッカルか神楽がすぐに助けに行く」
「も、もしかして……」
「惨劇が来る前に、ディーラーズから素体を取り返せ。形勢が逆転する」
「ままままだ心の準備が」
ベルゼルガは腕に力を込め、死神の少女を穴の上部へ向けてぶん投げた。
「デェェェストロォォォイ!!」
「うひょーーー!」
大記録だ。
死神の身体は猛スピードで飛んでゆき、穴の外へ消えた。
とんでもない荒技で甲板へショートカットさせたのだ。
ベルゼルガが死神の行方を見届けた時。
既にガーディアの刄は回避不能な距離まで近づいていた。
「……くそ……っ!」
「十字の穴を!」
「その身に穿つ!」
◆ ◆ ◆
私と里原準。
兵器と人間。
兵器と人間の関係は、使われる物と使う者。
なのに。
里原準は、私を使わなかった。
私と話をしてくれたのだ。
私の話を、聞いてくれたのだ。
『だってお前、話せるじゃん』
彼は言った。
そうだ。私は話すことができる。そう造られたのだから。
『でもさ。死んだんだろ?』
その通りだ。
私は十年前に死んだ。私は生まれた意味と存在理由を与えられながら、それを全うすることができなかった。
ディーラー・ダイヤは、あの時に死んだのだよ。
しかし惨劇のカタストロフは私と、同じく死したスペードを目覚めさせた。
私達は死にきれていなかったのだ。
そして惨劇が、いや、里原準が、私に身体を貸してくれた。
『まるで怨霊みてえだもんよ。ワハハハ』
彼は優しかった。
あの死神の娘が躍起になるのも無理はない。
故に私の頭痛は増すばかりだった。
私は惨劇様に従い、里原準の身体を守る命を受けて此処に居る。だから惨劇様の計画が終わるまで、私は生き続けるのだ。
『嘘つけ』
彼は私を笑った。
どうして嘘と言われたのか。自分でもわからない。
彼自身も全てを見通しているわけではなく、それでも私が嘘をついているように思えたのだという。
何が嘘なものか。
私は全力を賭して里原準を守っているのだ。これが嘘であるわけがないではないか。
そう自分に言い聞かせてみても、里原準の一言は私の頭から離れなかった。
彼は一体、何者なのか。死神の娘といい、彼に夢中になる連中がその優しさに触れ、ここまで大きな存在として認識している事が不思議でならず、あまりに不快だった。
『いいんじゃないか? お前はさ、優秀だよ。だからきっとすぐにわかる。自分で気付くよ。それが何なのかはオレにもわかんないけど』
ただの兵器じゃないよ。そう彼は言った。
自分で気付くよ。か。
私は間違っているのだろうか。里原準は教えてくれない。だが何も言わず、見守っている気がする。
もしかして。
もしかして私は、既に気付いているのではなかろうか。
私は何を求めているのか。私は何がしたいのか。
それは兵器には過ぎた思考であり、反逆を意味する。
なのに。
もしかしたら私は反逆しているのかもしれないと、そう思った。
悩んで悩んで悩みぬく事。思考できる者だからこそ味わう苦しみ。私のような兵器でも、そんな苦しむ権利を与えられている。
それはとても嬉しい事なのだと思った。
あの死神娘と接触した時、私は悩み続けていた事を自覚したのかもしれない。
私はディーラーズのダイヤ。
死符を配る者。
からっぽの兵器。
◆ ◆ ◆
「うぉあ!」
「馬鹿力め!」
ガーディアは宙を舞いながら体勢を整えた。
着地し、盾を構え直す。
彼らをぶん投げたベルゼルガは、派手に首を鳴らした。
「俺って戦い続きだよな。そりゃあんだけ報酬貰ったからなぁ」
棺桶を床へ降ろし、ホルスターから拳銃を二丁引き抜く。クルクルと回し、二人の聖騎士を見やった。
相当な重さであろう鎧に加えてあの大きな盾。そんな装備でありながら空中で体勢を整えるとは、彼らも十分馬鹿力の持ち主だった。
一対二。
天国の最高戦力を二人相手にするのは、ベルゼルガにとっても過酷だ。おそらく彼の人生の中でも五本の指に入る強敵。
最初からベルゼルガは本気を出した。
「ドゥーエ・シリンダー」
弾丸をガーディアの周囲に放つ。
彼の十八番、跳弾術だ。
たとえ盾で正面を守っていても、四方八方から予測不能な軌道で襲い来る銃弾を防ぎきることはできない。
「俺達の盾はなぁ!」
「こうやって扱うんだよ!」
目を疑った。
あの大きな盾を、目にも止まらぬ速さで振り回し始めたのだ。
更にこの二人、跳弾の軌道を見切っている。確実に残さず弾き飛ばしてしまうのだ。
こんな連中を見たのはベルゼルガも初めてだった。
「デストロイ!」
拳銃を納め、今度は背中から引き抜いた二丁のマシンガンをまっすぐ連射した。
二人は正面に構えて銃弾の嵐を防ぐ。
そして一歩一歩、ベルゼルガに近づいてくる。
対鉄鋼弾でもビクともしない。
連中の防御力に対し、ベルゼルガの攻撃力が劣っているのだ。銃撃・局地戦に於いて最強とうたわれる男の攻撃力を上回る防御力。
ガーディアは段違いの実力者だった。
「いくら攻撃を加えようと」
「俺達に傷は付かない」
「だんだんと近付き」
「確実に仕留める」
それがガーディアの戦法。
一見地味だが、実際に相手をするとその壮絶さと恐怖を味わうことになる。
たった二人で天国の守備を司ってきた。偉大で、尊大で、なにより強い聖騎士。それがSt.4kights。
破壊業者風情に遅れはとらない。
「か、堅すぎるぞコイツら」
マシンガンからショットガン、対物ライフル、いくら銃器を変えてもガーディアは弾いてしまった。
ついに二人が正面まで近づく。
ベルゼルガは壁ぎわまで追い詰められており、跳躍で空中へ逃げても長い四刄の槍が襲う。
「銃の使い手でありながら」
「接近されたのはこれで二度目」
「腹の傷は」
「大丈夫かなー?」
ベルゼルガの横腹――レザージャケットの下からは血が滴っていた。
先程、死神を離脱させた際に受けた傷だ。
「突!」
「突!」
盾で逃げ道を塞いだガーディアは隙間から特異な武器でベルゼルガを突き刺した。
ベルゼルガは身体をよじり、なんとか致命傷を免れるも、肩と太股を切り裂かれた。
ガーディアは四つ刄の槍を引き抜き、追撃の構え。
今度こそトドメを刺すつもりだった。
――引き抜けない?
ガーディアは目を見張った。
確かに武器は引き寄せた。
なのに。
ベルゼルガは自ら前に進み、四つ刄の槍を両肩に突き刺したのだ。
「こ、こいつ!」
「正気かよ!」
ベルゼルガは更に前へ進む。ずぶずぶと四つ刄の槍を食い込ませ、貫通させながら。
ガーディアは知らなかったのだ。
自分達が相手しているこの男が称号保有者であることに。
しかもその称号が〈最狂〉であることに。
「狂気! 狂気狂喜凶器驚喜狂気狂喜凶器驚喜狂気狂喜凶器驚喜ィィィィィィィィ!」
ベルゼルガの骨格は普通ではない。タタリガミに適応させるべく強固な合金でできており、そのフレームはおよそ生物が内包できるものではない形状をしている。
四つ刄の槍はそのフレームに挟まれて抜けなくなっていた。
盾もあまりに近付きすぎたことで腕を握られ、こじ開けられた。
身動きがとれなくなったのは、ガーディアの方なのだ。
ベルゼルガは四つ刄の槍を持っている二人の腕を掴み、握った。
「ぐ……ぁあ!」
「があああ!」
RガーディアとLガーディアの堅固な手甲に亀裂が入り、砕けた。
このままでは腕をもぎ取られる。
「離れやがれ!」
「この怪物め!」
ガーディアは四つ刄の槍を手放し、二人でベルゼルガを蹴った。
狂人の身体は後ろへ飛び、武器を両肩に貫通させたまま倒れた。
その隙にガーディアは距離をとる。
二人の腕は感覚を失っていた。
「な、なんだよコイツ」
「痛覚がないのか?」
狂気。
アイツには狂気しか感じられない。
何事もなく武器を刺したまま立ち上がるベルゼルガを見て二人は思った。
こちらを見ながら全身を震わせてゲラゲラと笑っている。
「その子は危ないからしまって鍵を掛けておきましょう。今日はパーティだ。あの絵はいつも喧しい。じゃあパーティに誘ってあげよう。でも嫌なんだってさ。なら危ないからしまって鍵を掛けておきましょう。あの料理はいつも毒が入っている。じゃあパーティで出させましょう。でも皿が無いんだってさ。なら危ないからしまって鍵を掛けておきましょう。危ない。危ない。危ない。怖い。怖い。怖い。忌わしい。悪しきもの全て、しまって鍵を掛けておきましょう。そして世はなべて事も無し」
「何を言っているんだこいつは」
「俺が……知るかよ」
ベルゼルガはふらりと壁に寄り掛かったりと、足取りがおぼつかない。挙句、壁に自ら頭を打ち付けたりした。一人で呟いては笑い、怒り、声震わせる。
彼は発狂していた。
完全に呪詛に支配されてしまっていた。
身体的ダメージと苦痛によって自我を保てなくなったのだ。
彼の放つ言葉は取り憑いた呪詛の言葉。彷徨う者の言葉を発しているに過ぎない。
その様子を見て、やっとガーディアがベルゼルガの正体に気付いた。
「こ、この男は〈最狂〉だ!」
「なんでそんな奴が!」
世界で最も強い狂気を身に纏う者。
守護の聖騎士達はその存在を初めて目にした。
「しまった。最狂だと気づいていればそれなりの戦い方をしたというのに」
「だが既に遅い。発狂が始まっている」
突然ベルゼルガの身体が硬直した。
何かを探すようにキョロキョロと周囲を見回している。
ガーディアは彼の探し物が何なのかわかった。
彼は……箱を探している。
ハコ。ハコだ。
棺桶の形をしたそれは、戦場となっている通路の端に横たわっていた。
ベルゼルガとガーディアは同時に気付く。
「あああああくそぉ! じゃああの棺桶は……!」
「〈パンドラの箱〉だったのかよ、くそったれぇ!」
ガーディアに焦燥の色が見えた。
彼らも最狂に関しての知識は持っている。
最狂はパンドラの箱を管理する者である事も知っていたのだ。
二人は駆け出す。
焦れば焦る程、鎧が重く感じられた。
「渡すなRガーディア! 渡したら本格的にやべえ!」
「あったり前だLガーディア! 俺達が……死んじまう!」
棺桶に近いのはガーディアの方。
二人は手を伸ばしてそれを確保しようとした。
狂人はそれを許さなかった。
「詰まり詰まった災厄を手にし、何をノゾム?」
「……う!」
「……っ!?」
たった一度の跳躍でベルゼルガはガーディアの真上に居た。
そのまま彼らの頭を踏みつけ、床に叩きつける。
箱を渡すわけにはいかない二人はベルゼルガの脚を一本ずつ掴んで引き止めようとした。
直後――二人の脳内に呪詛が流れ込んでくる。
イメージの混入だ。
無数の呪詛。それらが死に至った瞬間のイメージ。幻像が、彼らの目に映った。
「呪詛ごときが介入するな!」
「出て行け! 俺達は聖なる騎士だぞ!」
脚を放してじたばたと暴れ、呪詛を身体から追いだしたガーディア。
Rガーディアは立ち上がり、ベルゼルガを止めようと顔を上げた。
そこにベルゼルガも、棺桶も無かった。
Rガーディアの真後ろで黒い影がゆらめく。
振り向いて存在を確認した時にはもう、狂気に捕らわれたベルゼルガの拳が鎧の胸当てを叩き割っていた。
「ヒヒヒヒヒハハハハ!」
拳はRガーディアの鎧を貫き、身体に食い込む。
一瞬、ほんの一瞬だけ、ベルゼルガとRガーディアは視線を交差させた。
直後、拳はRの胸に手首まで突き込まれた。
捻じり込まれた拳の奥でボキリと音がした。
聖騎士の骨が砕けたのだ。
「うぶ……」
Rガーディアの兜から、吐いた血が噴き出した。
「Rーーーー!!」
Lガーディアは盾を振ってベルゼルガの身体を吹き飛ばす。
崩れ落ちるRガーディア。支えるLの手は震えていた。
血に塗れた白銀の兜。
無残に叩き割られた堅固な鎧。
奪われた四つ刃の槍。
(俺達はSt.4Knightsだぞ)
意識を失ったRガーディアの手から、盾を拾い上げる。
二つの盾を合わせ、聖盾を作り上げた。
絶対防御の盾。能力は分散。これまで幾度となく天国を守ってきたものだ。
ベルゼルガはパンドラの箱を立て、カタカタと揺れていた。
手を顔の前にかざし、優雅に振ってみせる。
彼は彼でなくなっていた。
「今日はパーティ。みんなも出たいと言っている……」
――バキリ。
棺桶の蓋が壊れた。
内側にもう一つ、外装とは異なったかなり古い箱が現れる。
――バキン。
そこに掛けられていた鍵が砕け散った。
パンドラの箱とは、この世のありとあらゆる災厄が詰まっている箱の事である。
最狂はこれを管理する者であり、発狂すればこれを開く鍵となる。
最後の蓋がギィと開いた。
中を見てはいけない。
見れば災厄がその者へ一挙に押し寄せるからだ。
だがLガーディアは臆することなくイージスを前に構えた。
「やめなさい! ベル!」
少女の声。
対峙するベルゼルガとLガーディアの横から、少女――里原神楽が飛び込んできた。
「正気に戻って! お願いだから! 箱は持ってくるだけだって言ったじゃない!」
彼女が何を言おうが、ベルゼルガは生気の抜けたように棺桶を支えるだけだった。
もう遅い。パンドラの箱は解き放たれたのだ。
黒くどろどろとした災厄が我先にと溢れ出し、Lガーディアへ向けて飛び出した。
イージスを以てそれを受け止める。
分散の力は災厄の闇を弾いた。
「ねえ、聞いてよ! 聞きなさいよ! 私がわかるでしょ! アンタ、箱が空っぽになったら消えちゃうのよ? そんなの……そんなの嫌よ!」
神楽はベルゼルガにしがみつき、必死で呼びかける。彼の胸を叩き、そして押し飛ばされた。
それでもすぐにまたしがみついて呼びかけ、箱を支える手を握る。
災厄の闇に対抗するイージスは光り輝き、その効力の甚大さを見せつけた。
「無力、無駄、無謀! イージスの前にパンドラの箱はその災厄を枯渇させる! 俺の……俺とRの……勝……がぢ…ぐぶ」
Lガーディアは吐血する。
いくら聖騎士といえど、宝具の域に達するイージスを一人で扱うことは身体に負担をかける。
RとLの二人で扱うイージスをL一人で扱うには力を消耗しすぎるということだ。
「閉じなさいよ蓋、ねえベル。お願いだから閉じてよ。アンタが居なくなったら……あたしは……」
黒のヘルメットがビクリと痙攣した。
「あたしだって馬鹿じゃないわ。イダとタイタンの身に何かがあった事なんて気付いてるわよ。アンタ不器用だから。隠そうったって無理な話よ。そんで、あたしだけ置いていこうとするわけ? イダもタイタンも、そこまでヤワじゃない。死ぬのはアンタだけなのよ? あの二人だって生きてるに決まってる。あたしと、アンタと、韋駄天と、タイタン。四人で一つのチームじゃない」
溢れ出る災厄の闇がその量を減らし始めた。
イージスは未だ健在。
だがLは膝をついていた。
力を宝具に奪われ、彼もまた死に近づこうとしているのだ。
パンドラに詰め込まれた災厄の渦を見てしまったLは執拗に闇に狙われる。並の怨念ならば聖騎士に近づくことすらできないが、パンドラの闇は別格。聖騎士であろうと……神であろうと牙をむく。この闇は禁忌を犯した戒めの闇。聖騎士ですら闇に誘う。
それを弾くことができるイージスもまた、常軌を逸した盾。
箱と盾。これは言わば禁具と宝具の戦い。
ベルゼルガとLガーディアはこれらの戦いのエネルギー源――糧とされてしまっているのだ。
ベルゼルガは発狂し、そしてLも自分の力を過信している。二人は気付いていないのだ。絶え間なく災厄を吐きだし続ける禁具と何物をも寄せ付けない絶対の宝具に決着はないという、まったく初歩的な事に。
それに気付いているのは神楽だけ……。
「ベルはよく頑張ったよ。いっぱい戦って、いっぱい守った。でもここで終わるのは違う。あたしが許さない」
邪魔をするなと怨念が神楽にも纏わりつく。
それは煙のように掴みどころがなく、眉間に皺の寄る嫌な香りを脳裏に擦りつけてくる。
それでも神楽が手で追い払うと生き物のように逃げる。臆病なのか、はたまた神楽の挙動を愉しんでいるだけなのか。
生気を吸い取られていくベルゼルガの手が痙攣していた。
「でもまだ頑張りなさいよ! タタリガミに抗って生きてきたのに、それに呑まれて死んだら馬鹿みたいじゃないの! 今朽ち果てたらアンタ最高に格好悪いんだから。タタリガミに屈して、任務も果たせず。そんで……あたしを一人だけ残す。最低よ」
「………」
「アンタわかってんの?」
「………」
「あたしの言いたい事が、わかってんのかって訊いてんの!」
「………」
煙は汚泥のようにぬめりを帯び、神楽の身体に付着してゆく。
どろどろと少女の服を伝い、首から頬へどす黒い泥が昇る。
ついに神楽の口の中まで入り込み、満たし、喉に溜まる。
「ベル……ごほっ――あたしと……一緒に居て……」
喉に災厄の汚泥が詰まり、溺れながらも神楽はベルゼルガの手を掴み続けた。
その手に……ふいに力が戻った。
気を失いかけた神楽の手を、今度は逆に握り返す。
好き放題に飛び回り、空間を我がものとしていた災厄だったが、そんな自由にも終りが来た。
「……パンドラの災厄共……禁忌を犯した罰を忘れたかコラ」
ベルゼルガはまるで看守のような口調で言った。
彼が看守ならば、災厄の闇――汚泥や煙は受刑者。
ぴたりとオブジェのように凍りついた。
「永遠の戒めを受け続けろ。てめえらに自由は許されてねえ。俺を嘗めるなよ」
災厄の闇はその勢いを衰えさせ、逆にパンドラの箱へと吸い込まれてゆく。
闇と共に解き放たれた呪詛は悲愴の表情を露わにしながら、足掻き、もがき、箱へ引き戻されていった。
神楽に纏わりついた泥も消え、身体を解放する。
ふらりと倒れかけたのを、ベルゼルガが支えた。
「無理して怒鳴るんじゃねえよ破天荒……。デストロイうっせえ」
そう言って不敵に微笑む。相変わらずヘルメットで表情を窺うことはできないが。
彼はパンドラの箱を閉じ、鎖でぐるぐると巻きつけると床に置いて蹴った。
目の前では宝具に力を絞り取られたLガーディアがついに両膝をつき、前のめりに倒れた。イージスも主が気絶したことで効力を失い、呆気なく床に伏した。
一方ベルゼルガの方もダメージは大きく、ふらふらと壁に背を付け、そのまま神楽の身体ごと床に座り込んでしまった。
「ああ、いってえ……」
両肩に刺さったガーディアの武器はタタリガミフレームに引っ掛かり抜けそうにない。
疲れ切った様子のベルゼルガの隣に神楽も座った。
すこぶるバツが悪そうだ。
「あ、あのねベル……?」
「俺もお前が居ないと困る」
ぽんと頭に手を乗せた。
「それは、最狂として?」
「それもあるな。けどそれ以上に、俺個人として」
それを聞いた神楽はとても嬉しそうに笑った。
大穴が開き、銃弾やランスによって穴だらけになったクロスキーパーの通路。
差し込む丸型の光が、スポットライトのように照らしていた。
二人は気絶するガーディアを見やり、激戦後の疲労を感じた。
しばらくは動けそうにない。
もう少し、二人で座っていよう。
溜息なんかを吐きながら。
「デストロ〜イ」
「デストロ〜イ」