宴章 グングニル
惨劇。それはすべからく悲惨で残酷なもの。光の柱に射ぬかれた都市型施設の状況はまさに惨劇と化していた。
中の者達は混乱した。どこへ逃げたらよいのかもわからず、ただ宛てもなく逃げ惑う。逃げ道も混雑し、流れもへったくれもなくごちゃごちゃとしていた。
光の攻撃が地獄旅館に与えたダメージは甚大だった。最上階から地上、さらには地下深くまで貫き、光に包まれたモノは何もかもが消え去った。まるでその円柱に囲まれた部分だけどこかへ転送されたかのように、消し炭に散ったのである。
大混乱の覆う中、さらなる悲劇が襲い掛かる。
はじまりは、一人のエリート餓鬼。
彼は仲間を光に奪われつつも助かり、逃げ惑う異界の者達を助けて回った。鍛えぬかれた肉体と精神力でこの苦況を乗り越えようと、孤軍奮闘していたのだ。
客も彼を頼もしく思い、彼に従って続いた。
彼はエリート餓鬼として地獄へ配属されてから、数多くの任務をこなしてきた。魔獣狩りのような危険な任務もあれば、閻魔を追いかける遊びのような任務まで。
彼の中で最近一番印象的だったのは、人間界で行われた夏祭りの際に屋台を着ぐるみ姿でやらされた事だったりする。次に続くのはハロウィンパーティーでの手伝い。
だが楽しい仕事ばかりではなく、時に遠征などに出たりもした。
エリート餓鬼という者達は一見まったく同じ者の集まりに見えるが、一人を抜き出してみるとやはり多種多様な生き方をしている事がわかる。
そして今。この一人のエリート餓鬼は、地獄の惨事に巻き込まれた客や住人達を命がけで守ろうと必死だった。
連絡も取り合えない中で仲間を探し歩く。他の仲間達も客を引き連れて歩いている筈だと確固たる自信をもって。
彼の後ろを歩く住人達は皆、混乱して彷徨っていた時にエリート餓鬼を見つけてとても喜んだ。安心した。それだけの信頼を日頃からエリート餓鬼に寄せていたのだ。
いつもはぱしっと皺ひとつなく綺麗なスーツも、今は汚れ破れている。そんな事を気にもせず必死に倒れた柱や板をどかす彼の姿が、皆の心を温かくさせた。
ようやく、とある廊下で一人の仲間を見つけた彼は声を出しながら駆け寄った。
誰も引き連れていないようだが、頼もしい味方が増えたと皆喜んだ。
ところが――
見つけた仲間に駆け寄ってなにやら話をしていたエリート餓鬼は突然、皆の目の前で倒れた。
何が起こったのかわからない住人達の目に、倒れたエリート餓鬼の胸元の有り様が飛び込んできた。
それはクナイ。鋭利な刃物の柄が立っていた。
彼は仲間である筈のエリート餓鬼に刺されていた。
◇ ◇ ◇
握った赤の剣がキラリと光り、包帯を切り裂いた。裂けた布から現れたのは鋼鉄の仮面。
吸血鬼ヴァンパイアは、鋭い目つきで舌を打った。
「やっぱりコイツ、エリート餓鬼じゃないよ!」
少し離れた場所で旅館客を誘導している須藤彩花に言う。
しかしバンプは返事を待たずして投げられたクナイを弾いた。敵は背を折り曲げ、地に伏せるような体勢になる。これがこの者の構えなのだろう。
エリート餓鬼よりも柔軟且つ素早く動き回る厄介な敵だった。
バンプは赤魔法による武器精製で血の針、ブラッドニードルをばらばらと周囲に浮かべた。
「お前、誰だ!」
手を勢い良く振ると、無数の針が猫背の男へと降り注ぐ。
男はバネのような脚力でひらりと跳ね上がり、壁に張り付いた。尚も血の針は床や壁に突き刺さりながら標的を追っていく。
男はさらに三角跳びで天井にぶら下がり――
「シャァ!」
バンプの背後へ飛び降りた。
(し――)
「しまった……!」
反応して振り向こうにも、血の針が自分の方へ飛んできている。男はバンプを盾にしたのだ。
後ろを振り向けばブラッドニードルが突き刺さり、針を消せばその隙に男は攻撃するだろう。
戦闘に於いて先を読むことができていない。ヴァンパイアがまだ未熟である証拠だった。
なにもできずに立ちすくんでいる吸血鬼に、男は握ったクナイを向ける。
が、この者が動けたのはここまでだった。
「がっ」
血飛沫が舞い、男は崩れ落ちる。
針もバンプの目の前に現れた鎧によって弾かれた。
「……バンプ。まだ未熟」
白銀の鎧からぼそりと聞こえてきたのは、小鳥のさえずるような小声であった。
倒れた男の後ろにはふわりと鎧の小手が浮いている。スラリと細長い剣を握っていた。
「ヴァルさん!」
歓喜の眼差しで吸血鬼が見た相手。
地獄ヨーロッパ支部の支部長、戦女神ヴァルキュリアと聖剣エクスカリバーは静かにたたずんでいた。
誘導を中断した彩花も駆け寄ってくる。
「ヴァルちゃん!? これは何事なの?」
彩花の質問を聞きながらヴァルキュリアは浮遊していた小手を腕にはめた。
静かに息を吐くと、倒れた男の方へ歩きだす。
「……アジア支部、攻撃を受けた」
男の仮面を掴み、ヴァルキュリアは乱暴に立たせる。口調や仕草とはまったく対をなす行動だった。
男には息があった。
「貴様、何者?」
「……」
ヴァルキュリアは仮面ごと男の頭を壁にぶつけた。めきめきと仮面が軋み、板がひび割れた。
「名刺代わりの強襲の筈」
戦女神に顔を押さえ付けられた男は、低く苦しそうに唸った。
「我ら……狩魔衆……。復讐と誅殺に執する者…」
「了解」
言って仮面から手を離す。壁を背中でこするように崩れ落ちた狩魔忍者は動かなくなった。
狩魔という言葉を聞いたバンプが反応し、震えた。それは夜叉が地獄へ属する以前、所属していた一派だったからだ。
「でも……狩魔衆って戦犯として捕まった筈だよ。なんで今更、しかも地獄に現れたの?」
ヴァルキュリアは答えない。黙ったまま剣を構え、廊下の先を見据えた。
須藤彩花も反対側の廊下を見据えながらヴァルキュリアに背中を合わせる。
どうやら細かい説明をやりとりする暇はないようだ。双方の廊下の先からは幾人もの狩魔忍者がやって来ていた。
気付いたバンプも彩花の前に立つ。
「彩花さんは僕の後ろに居てね」
「ええ」
「ヴァルさん、そっちは任せるよ」
「……承知」
壁や天井を伝って迫り来る敵を前に、三人は呼吸を揃えた。
「……合図で一斉攻撃」
ヴァルキュリアの指示に二人は頷く。
バンプも今度こそしくじるわけにはいかなかった。背後には彩花が居るからである。それはプレッシャーとなって彼に重くのしかかったが、むしろ冷静になれるから恩恵は大きい。
三人の呼吸は一つとなった。
「いち、に……」
じり、と足を踏み入れた。
「さん!」
◇ ◇ ◇
〈え、閻魔。お前ヤバいって。休めって〉
「ぐぶ……。う、うるせえ。休んでいられるわけがねえだろ」
大剣を肩に乗せた閻魔は、ふらふらと壁に寄り掛かりながら移動していた。本人は走っているつもりなのだろうが、彼のそれは歩いている時の速さと変わらなかった。
胸を片手で押さえて脂汗を流しながら、柱や壁が崩壊した廊下を進む。
既に数多くを斬った魔剣の刃からは血が滴っていた。
〈お前の魔力は地獄と繋がっている。そんな密接な関係を持つ状態で地獄にでっけえ風穴空けられたんだぞ! 下手すると命に関わる! いいから休めって〉
ドミニオンの忠告を閻魔は聞き入れようとはしない。ただ前だけを向いて足を動かしていた。
閻魔に外傷は見られない。しかし彼の内部はひどい状態だった。例えるならば魔力を扱う回路が完全にショートしてしまったようなものだ。
〈閻魔!〉
「ぎゃあぎゃあ喚くな。余計辛くなる」
それから閻魔はこの事態の状況整理を魔剣と始めた。
「狩魔衆は脱獄をしていたにも関わらず、地獄への連絡はなかった……」
〈ああ。奴らの目的はなんだろう〉
「わからん。地獄への報復と……夜叉……かもしれん」
〈………〉
まあそれは後で考えても良い話だ、と閻魔は思考を切り替えた。
〈客はどこへ避難させる?〉
「アメリカ支部のデーモンに頼んで、ホーンテッドシティに引き取ってもらう。あそこが地獄の中で一番でかい」
〈それから?〉
「アフリカ支部のアヌビスもそっちへ客を移す。で、奴は支部エルドラドを贄として……死軍を召喚する筈だ」
〈なるほどな。一つの支部に客を全部移して、死軍で防衛するのか。ん、あれ?〉
ここでドミニオンは疑問符を浮かべた。
確かに閻魔の素早い対処案には感心したが、一つ抜けているものがあったのだ。
〈おい、ヨーロッパ支部は?〉
閻魔は黙っている。
ギリギリと歯を食い縛り、怒りを露にしていた。
「ヨーロッパ支部は多分……墜ちた」
なに、と魔剣は大声をあげ、閻魔に詳細を問うた。
彼の口から紡がれた事実は、この惨事がどれだけ大規模なものなのかを魔剣に知らしめ、さらに抱いていた予想よりもう一回り大きかったということに気付く。
「地獄旅館を貫いた光の柱。あれは……〈グングニル〉だ」
百発百中の神槍、グングニル。これこそが地獄旅館を射抜いた光柱の正体だった。
回避不能であり、気付いたときにはもう遅いと伝えられる攻撃だ。
異界の中にグングニル街道という土地がある。この攻撃によって大地を抉られてできた街道なのでそう名付けられた。その街道が存在するという事で、大地の形をも変える脅威だと異界にしらしめているのだ。
そして魔剣自身、それを見るのは初めてだった。
「グングニルはオーディンが放つ攻撃だ」
〈ああ……! オーディンの攻撃だ。だがよ、オーディンは天国が所有する戦略塊儡兵じゃねえか!〉
肩の上で喚くドミニオン。
ゼブラ・ジョーカーの遺した七つの戦略塊儡兵。その一つがオーディンという名の兵器だった。唯一使役されている戦略塊儡兵として異界の誰もが知る騎士である。
所有しているのは――天国ことアースガルズ。
「天国は――」
〈地獄を裏切りやがったのか!〉
◇ ◇ ◇
ヴァンパイアは呆けた表情をしていた。つい一瞬前までの覇気はどこかえ消え去ってしまったように、彼はただ茫然としていた。
決して迫りくる狩魔忍者が去ったわけではない。奴等は今もこちらに迫ってきている。
なのに――ヴァンパイアは呆けた顔でつっ立っていた。
だらしなく半開きになった口から、漏れた声。
「は……?」
唖然とする彼の視線の先には、須藤彩花が居た。
彼女は口から血を吐き出し、虚空を見上げている。
横腹からは鋭い剣の先が突き出ていた。銀色の刃先を包むように、噴き出す血が赤に染める。
須藤彩花は――後ろからヴァルキュリアに刺されていた。
「あ……」
何が起こったのかわからない彩花はただ自分の腹部から溢れるものを眺め、ヴァンパイアの方を見る。
今まで焦点の定まっていなかった吸血鬼の目は、彼女と視線を絡ませた瞬間にすうっと戻った。
「彩花さん!!」
少年の悲鳴ともとれる叫び声。
同時に聖剣エクスカリバーは彩花の身体から引き抜かれ、その反動によって刺されていた身体は前のめりに倒れた。
駆け寄ったバンプは彩花を抱きかかえる。
「彩花さん! 彩花さん!」
叫ぶバンプの首元にひたりと冷たいものが当たった。
彼の前に立ったヴァルキュリアが、まるで処刑人のように少年の首筋に剣を当てていた。
甲冑に覆われた顔は見えない。
吸血鬼の少年はただ一つ、どうしてヴァルキュリアが彩花を刺したのか。それだけに頭を支配されていた。
「吸血鬼ヴァンパイア・マーカス……」
呟くが彼には聞こえていない。
「しっかり……! 彩花さん!」
苦悶の表情でバンプの腕に抱えられる彩花は、かなりの出血量だった。
その姿を見てだんだんと怒りがこみ上げてくる。
理由はどうでもいい。事実を目の前にし、吸血鬼は憎悪の念に駆られた。
「なにを……なにをやってるんだよ……お前ええええええええ!!」
怒気というものだろうか。とてつもない威圧をヴァルキュリアは感じた。黒く邪悪な吸血鬼の本能。甲冑を隔ててもひしひしと伝わる。
瞳は深紅へと変色し、宝石のような金色が中心でゆらりと揺れた。
襲いかかって来られることを警戒したヴァルキュリアは一歩下がった。
しかし銀髪の少年吸血鬼が取った行動は彼女の予想とは違った。彩花を抱えあげ、ヴァルキュリアに背を向けて走り出したのだ。
憎悪に身を任せることなく、彩花を助けようと思ったのだ。
「ヴァンパイア!」
ヴァルキュリアの飛ばした鎧の腕が逃げる少年の肩を掴む。
戦女神の魔力に敵わないバンプは振り切ることができず、もがいた。
「離……せえ! 彩花さんが……!」
「私の元へ来なさい」
「――っ!?」
誘いだった。
ヴァルキュリアは彼を押さえつけ、自分の元へ来るように言った。女を置き、自分と共に天国側につけと。
突然仲間割れを始めた三人を前に、狩魔忍者達は攻撃の隙を窺っていた。好都合この上ない。ヴァルキュリアが敵の女を一人刺してくれたのだから。
しかし楽観して戦闘の中に居たそいつらは、鮮やかに舞いながら飛んでくる剣と籠手に反応が間に合わなかった。ヴァルキュリアは狩魔忍者も容赦なく瞬時に切り裂いた。
術者本人はバンプの返答を待ち続けていた。
「バン――」
「うるさい」
「……」
誘いを突っぱねた。
当然だ。背中を合わせていた須藤彩花を、合図と同時に貫いたヴァルキュリアなどに従う理由などない。
「お前はもう僕達の知っているヴァルさんじゃない」
「私は…私」
「彩花さんは、あっちの人間だ! 異界のいざこざに巻き込まれていい人じゃない! なのに……なのになんで!」
「その子は関わりすぎた。これはフライヤの意思。フライヤは絶対の正義」
「なら彩花さんは悪だって言うのか!」
「正義に背くものは悪。正義が処断するのは悪」
「間違ってる!」
「地獄は終わり。貴方だけでもこちらへ来なさい。助けてあげ――」
ばしんと籠手が肩から弾かれた。
魔力を送り込んでいたヴァルキュリアの艶鶴甲冑の籠手はそのまま壁へぶつかり、主の元へ返ってくる。
ヴァンパイアの肩にはギョロリと一つの目が開いていた。どうやらレザージャケットが変化したものであるらしく、吸血鬼として彼は初めて使い魔を召還した。それは彼が知らないうちに父から譲り受けていた使い魔だった。
「……アークス・マーカスの使い魔。その魔力も納得」
「僕は地獄の吸血鬼だ。裏切り者なんかに付いて行かない」
「それが貴方の選択」
「そう。そして僕は必ずもう一度ヴァルキュリアという女の前に現れる! 必ず……倒す!」
背を向けたままの彼の背中には無数の瞳が開いていた。まるで百目鬼を宿しているかのような目の数で、ヴァンパイアの中に潜伏していた使い魔の数が尋常でないことを示していた。
それら全てに睨まれた聖騎士は特に何も言わず、重々しい鎧の音と共に反対側へ歩いてゆく。
「……無謀」
最後にそう残して消えていった。
彩花を抱きかかえたヴァンパイアの肩から、更に二本、黒い腕が飛び出した。使い魔の腕が彩花を支える。
実は自分の中に使い魔が宿っていたなどとは知らなかった少年吸血鬼は、内心驚いていた。
「あ、あの。あなたは?」
彼の声に呼応し、ずるりと滑るような滑らかさで黒い液状の使い魔がバンプの背中から上半身を現わにした。
『アークスの息子がこれほど未熟とは。心底失望した』
バンプは押し黙ってしまう。
『話は後だ。この娘を運ぶ』
「ど、どこへ? 旅館内の医療機関は手いっぱいだし、ここからじゃ遠いし……」
使い魔はため息を吐いた。冷気のような青白い息が口ともとれる形の部分から漏れた。
『あの聖騎士はどうやってアジア支部へ来た』
「……あ、魔列車!?」
『そう。魔列車なら医療機器も積んでいるだろう。アジア支部の状況を見て停止している筈だ』
「わかった! 魔列車まで彩花さんを運ぶ!」
行き先を決めたヴァンパイアは方向を地獄門方面へ変えて走りだした。
天国は敵に回った。狩魔衆と天国。それに加え、もう一つの勢力が戦に飛びこまんと地獄旅館上空に迫っていた。
魔列車へ乗り込む客の話では、その連中は真っ赤な人型機械を先頭にしていたという。
◇ ◇ ◇
瓦が五枚同時に砕け、屋根から飛び上がり、宙を舞う。
また別の場所でも瓦が砕け、その度に暗い闇夜の中で火花が散った。
疾る剣撃。屋根を砕く踏み込み。線香花火のように、火花は目にもとまらぬ速さで散っている。
その傍らでは戦いを見守る二つの影が、瓦屋根の残骸に埋まっていた。
「大丈夫か……白狐……」
「ええ…でも痛い……。歌舞伎こそ怪我はない?」
「右足の感覚が麻痺した。骨をやられたかもしれん」
歌舞伎と白狐の二人は屋根に埋まったまま呻いた。武器を破壊され、散々痛めつけられ、あげく戦闘不能と判断されてあっさりと捨てられた。
目の前で尚も剣を振る修羅という男は、ただ二人を相手に遊んでいた。
今、あの黒い鬼と一人で剣を交えているのは――白い般若面の男だった。
色が違うだけで、ほぼ瓜二つである。他に違う点があるとすれば、修羅の方は刀の数が多かった。
「夜叉……貴様こんな場所で何をしている」
夜叉と呼ばれた白い鬼は二つの刀から繰り出される剣撃を弾きながら後方へ跳んだ。
黒い方は平然とし、白い方は息が上がっていた。
「兄者! 訊きたいのは某の方です! どうして狩魔を……」
修羅と夜叉。
この二人は兄弟だった。
兄は闇の中に溶ける般若面を怪しく輝かせ、勢い良く踏み込む。
踏み込んだ屋根の瓦はまたも粉々に砕けた。
「我の質問が先だ。答えよ」
耳元で聞こえたと思った時、夜叉は既に背中を蹴り飛ばされていた。
そう。この兄、修羅とでは実力に差がありすぎるのだ。あっさりと背後をとられてしまう程に。
前のめりに倒れこんだ夜叉はそのまま前転。瓦を削りながら勢いを殺した。
顔を上げた先には黒い衣をなびかせて立つ修羅の姿。両手に握った刀の片方の峯を肩に乗せていた。
「某は……ここで死神業者をやっています」
答えた夜叉に修羅は鼻で笑って反応した。
「まことか?」
「……はい」
「……ようもぬけぬけと生きていられたものよ。狩魔の恥曝しめが。忍の掟、忘れたわけではなかろう」
言われ、夜叉の殺気が鈍る。
修羅は続けた。
「抜け忍は誅殺。狩魔の抜け忍で生き残っているのはエリート餓鬼として隠れている者だけだと思っていたが……。貴様までとは。ほとほと呆れる」
「狩魔はもう存在する意味を為さなかった! 父、鬼叉もそう判断し、行き場を失った時のために死神業者との繋がりを作ろうとした!」
「父の意志を受け継いでいるとでも言いたいのか」
白い仮面が大きくかぶりを振った。
「違う! だが事実、政府御庭番を追われた狩魔に行く先はなかった。だから某はエリート餓鬼を拾ってほしいと閻魔殿にお願いしたのです」
「行く先だと? 所詮貴様も父も忍にあるまじき思想の持ち主だ。忍はいついかなる時も不要となれば闇に消えるもの。主を失ったならば最後まで戦って果てるのが忍であろう」
「しかし兄者も御存じの通り異界政府は我々を理不尽に捨てた! なぜ我々が果てねばなりませぬか!」
修羅の仮面は闇と同化している。その奥から放たれる二つの眼光だけは鋭く輝いていた。
「ならば逆に問おう。なぜ報復の選択をしなかった。なぜ生きる道しか見出だせなかった」
「狩魔衆の多くの命を無駄にしたくなかったからです! 無論報復の選択も見出だしていました。だが某はそんなものを選ぶことなどできなかった!」
なるほど、と黒い仮面から呟きが漏れた。了解し、失望したことを示すような低い呟きだった。
実際、修羅はもうこれ以上夜叉に問い掛けることはなく、ただ両手の刀を磨ぐようにすり合わせた。
「道は二つに分かれたということだな。生きる道と果てる道。貴様と貴様に続いた者達は生きる道を選んだ。もはや救いがたい。忍が選ぶことを許された選択肢は後者のみ」
「……兄者!」
「許されざる選択をした抜け忍はやはり誅殺せねばならん。血祀にあげねばならん」
「目的は政府でしょう! どうして地獄を!」
「……貴様に語る気など失せたわ」
修羅は屋根を蹴り、疾走を開始した。双刀は月明かりに怪しく光り、まるで夜叉の首を刎ねんという意志を持った獣のようだった。
夜叉は両手で握った長刀を横薙ぎに振るい、修羅へ向けて強烈な剣圧を放つ。
「狩魔・鬼斬剣!」
ただ夜叉の放った渾身の剣圧は修羅の二振りであっさりと消滅してしまう。
修羅もまた二つの剣圧を放ち、それは鬼斬剣を打ち消すどころか貫通して夜叉への攻撃と化した。
「狩魔……鬼双剣」
夜叉の着物の両肩部分に亀裂が入り、その後赤い血が吹き出した。
続いて修羅は倒れて動けない歌舞伎と白狐の方へも鬼双剣を放つ。
ザクザクと小気味のよい音と共に修羅の剣圧は二人の肩を切り裂いた。
「歌舞伎殿! 白狐殿!」
「かはっ!」
「あう!」
両肩を斬られて刀を落とした夜叉の背後に、ぬらりと修羅が現われる。闇の中で眼光と剣光だけがギラリと光った。
「死ね。夜叉」
慌てて刀を拾い上げるも、遅かった。
「双旋……」
ひゅう――と風が夜叉の耳を掠める。
「回螺ぁあ!」
修羅は竜巻のごとき勢いで一回転。
双つの刀は六つの残像を出し、夜叉の胸や腹をズタズタに抉り裂いた。
「があああああああ!!」
双旋回螺を無防備な状態で食らった夜叉の仮面の下から、吐いた血が零れた。
夜叉に背を向けた修羅は刀をひゅん、ひゅん、と二回振って血を払う。
それからさらにもう一回転。
鋭い最後の一閃は、夜叉の仮面を真っ二つに割った。
修羅が夜叉を切り刻むその姿は、さながら舞を踊りながら木阿弥を削る曲芸師のようだった。
鮮やかの一言に尽きる。
「狩魔の般若面。貴様に付ける資格は無い」
シャリシャリン、と刀を鞘に擦り音を出す。
そしてそのまま鞘に納めた。
カキンと鍔の当たる音が聞こえたのと同時に――夜叉は胸から血煙を吹き出して倒れた。
夜叉、白狐、歌舞伎。
アジア三強とまで呼ばれたこの三人は、たった一人の男に手も足も出せなかった。ただ弄ばれただけで、敵として見られていたのかも怪しい。
「誅殺……」
倒れた三人の方を見向きもせず一言そう呟き、空を見上げる。
修羅の目線の先にはあの魔法陣が再び現れていた。
一度消えた筈だがまた少しずつ回転を始め、エメラルドグリーンの輝きを放っていた。
「第二撃。来るか」
その時、魔法陣の更に上から巨大な人型機械が高音と共に降下してきた。機動歩兵だ。
修羅の目の前に着地したそれは、巨大なマニピュレーターつまり手を広げて鬼の足元に差し出す。
〈こちらヘヴィゾン二番機。狩魔衆・頭目、修羅を発見。回収に入る〉
「なかなか早い迎えだな破壊業者」
〈オーディンがグングニル第二撃の発射態勢に入りました。他の狩魔衆も回収・撤収を始めています。お早く〉
修羅は巨大な手の平に乗り、あぐらをかきながら機動歩兵隊の隊員に訊ねた。
「回収は構わんが、別の任務は大丈夫なのか」
〈惨劇の方ですね。あちらはウチの隊長が直々に向かったので回収作業は問題ありません〉
「ふ。まったく寒気がする程しっかりした仕事をする……」
〈自分達は…訓練生ですが〉
「関係あるまい。高度な素質を有した訓練生もいるだろう」
〈は……はい!〉
しかし、と仮面に手を添えた修羅は妙な不安感を抱いた。
確かにこの訓練生は優秀だ。その上官も期待していいだろう。
なのに彼は安心しきれなかった。予期せぬ不安要素があるような気がしたのだ。
「まあ、双百合に失敗はあるまいて。それにあの面妖な絡繰も一緒だと聞いた。惨劇殿は必ずこちらに来よう……」