夢章【nightmare's nap】
第16部分と第17部分、二話同時更新となっております。
【三日後 地獄旅館】
カチャリ、とコーヒーの入ったカップを置き、オレは一度ゆっくりとため息を吐いた。
目の前にはこの部屋の主である閻魔さん。
ずっと大事にしていた豆をオレが持参し、二人で飲んでいる。
強めの香ばしさ。濃厚だが好きな人は好きな味で、閻魔さんをも唸らせた。
「どうです?」
「フハハ。これはいいな」
「以前、喫茶カノープスの方から頂いたんですよ」
「ふむ。あそこは俺様も知ってる。ジャックの行きつけの店らしいからな」
そして互いにもう一口。
湯気の香りだけで満足できてしまう。精神的に落ち着くにはこれが一番だ。
またカップを置く。
今度は手を引っ込めず、オレは皿の横に置いてある紙をつまんで引きあげた。
本題はコレだ。
「では……話を伺いましょうか」
「そうだな。っと、その前に」
閻魔さんは思い出すように横を向く。
その先には大きなソファが設置してある。
その上に寝転がる人物が一人……。
「佐久間、こっちに来い」
「私は……いい」
ソファに顔を埋めたまま彼女は呟くように返事した。
三日で立ち直れるはずもない。
オレだって、落ち着こうとするので精いっぱいだし、死神だって相当参っている。彩花さんにはバンプが付いてくれているが。
とにかく皆のショックは甚大。
中でも冬音さんが一番ひどかった。ここに連れてくるだけでも相当な苦労だったのだ。
他の三人は夜叉さんを始めとする幹部三人に任せてあり、男であるオレだけでも閻魔さんの呼び出しに応じたのだ。
冬音さんは絶対来るよう言われていた。
目の前に座る閻魔さん自身もかなり精神的にやられている様子。
疲れた顔をし、気力で保っているとしか思えない。
「まあいい。じゃあ佐久間、お前はそこで聞いていろ。里原、その紙を見ながら聞くんだ」
「……はい」
紙。報告書だ。
ナイトメア・バッドドリームの消滅に関する調査報告。
辛い紙だ……。
だって、この紙……。
ほとんど白紙じゃないか。
「見ての通り。資料は……見つからなかった。アヌビスの見解は正しく、夢魔は記録を残さない種族だという結論に至った」
「………」
「故にこれから話す事はすべて予測。憶測。推論であることを先に言っておく」
「……はい」
チラリと冬音さんの方を見る。
彼女はじっとしたまま動かなかった。放っておくと泣き出してしまうような不安定な精神状態。そんな彼女に話を聞かせるのは酷だが、聞いておくべきでもある。
閻魔さんは咳ばらいをして語り始めた。
「最賢と支部長。五人で今回の件について話をした。城の件がひと段落した後になってしまったが……」
◇ ◇ ◇
【ナイトメア・バッドドリーム消滅に関するまとめ(予測)】
夢魔の娘、ナイトメア・バッドドリームは十年前に両親と共に死亡。原因は事情により明かせず。(機密事項である為、里原準に漏らす事は許可できない)
その際、インキュバス夫妻は能力を行使。
夢という形で自らの魔力を居城に転移させる。その中に魔力形成したナイトメアも含まれた。これは両親の意思によるものと推測。
魔力が城に宿っている事は確認済みであり、ナイトメア消滅の原因が城の倒壊である事も確実。
城破壊事件は唯一の目撃者であるケット・シーが昏睡状態の為、犯人は未だ不明。しかし倒壊時期は佐久間冬音失踪時の二日〜三日程前と推測。確率高し。
以後、ナイトメアの異常について。
倒壊五日目程で異常が発生。咳こむ事が多くなり、身体に痛みを覚えるようになる。(里原準による報告)
これは退行化の予兆と考えられる。
倒壊十二日目程で退行開始。言葉が話せなくなり、精神も退行。身体に若干の退行あり。
以後数日、大きな変化はなくも徐々に退行は進行。
佐久間帰還が倒壊約十六日前後。ナイトメアの願いを叶えるも退行止まらず。
以後、陽光による衰弱、食欲不振を確認。
倒壊約十九日前後。消滅確認日。
曇天の下、佐久間冬音が徒歩での帰宅を提案。責任者里原の許可及び本人の了承有り。
歩行中、衰弱。佐久間がおぶって移動。
帰宅後、ナイトメア消滅。
◇ ◇ ◇
………。
………。
なんだ……これは……。
まるでオレ達が退行と消滅を促進させたかのような……。
「怒るな里原」
「だってこれ……!」
「こういう報告内容は淡々としているもんだ。それに俺様達はお前達を責めたりなんてしていない。むしろ感謝している」
「え……」
「メアの望みを叶えるべく奔走し、頭を悩ませ、最善たる行動をとってくれたことに全員が感服していた。アヌビスと最賢までもが、見事と言っていたぞ」
「………その話、続きがあるんですよね」
「無論だ。今の結果を並べただけに過ぎない。ここから俺様達の頭脳がフル回転した」
話を聞きつつ、オレはもう一度冬音さんの方に視線を向けた。
淡々と語られた現実に、彼女も動揺しているのか。
少し肩が震えていた。
閻魔さんもこの話をしている時は苦々しい表情で、度々冬音さんの方を見ていた。
彼女が泣きださないよう、注意はしているようだ。
◇ ◇ ◇
「ここからが本番。俺様達が目を付けたのは〈メアの行動〉だ。ひとつだけこの問題に綻びを見つけた。だからそこから徹底的に考えた」
「一つの綻び?」
「ああ。まあきっかけってやつだな」
まあ。聞いたとしても現象の説明が明確になるだけだろう。
ハッキリ言えば、この呼び出しでオレ達が得をすることなんてなにもない。
ただ詳しい話を聞いておけというだけで集められたのだ。
「メアは佐久間を両親に会わせなかった。それは無論、ハナから両親が居ないが故の行動だ。それはお前も知っているだろう?」
「ええ」
「なぜ、丸一日佐久間を駅で待たせたんだ?」
「……それは……両親が居ないことをオレ達にも知られたくなかったからじゃ」
「その理由なら先に帰って俺様に頼めば簡単だろ。佐久間は理由を聞かなかったし、あとは俺様が適当にお前達に嘘でも吐いたらいい」
「そっか……」
「だからその行動に疑問を抱いた俺様は、メアを叱ると同時に訊いてみたんだ。〈何故、地獄に帰って来ずに丸一日、佐久間と駅で過ごしたのか〉と」
「で、メアちゃんはなんて?」
「〈わからないです〉と、あの子は答えた」
「……ええ?」
その時、冬音さんもむくりと起き上がり、体勢を変えた。
ソファに座り、閻魔さんの話を聞こうとしているのだろう。
「あの子自身にもわからなかった。何故かあの場を動きたくなかったんだそうだ。この事をちょいと頭に留めておいてくれ」
言われてオレはこくりと頷いた。
冬音さんも無意識にコクコクと頷いている。
確認した閻魔さんは人差し指を立てた。そして立てた指をそのまま冬音さんの方へ。
指さされた彼女は首を傾げた。
「……わ、私がなんだ」
「佐久間。佐久間冬音。そう、お前がカギだった。まさか俺様のふとした感覚が大きく繋がるとは思ってもいなかったぜ」
そう言われてもサッパリ意味がわからん。
はあ? と二人で眉間に皺を寄せるばかりだった。
対して閻魔さんもオレ達が解らなくて当然だとでも言うかのように立てた指を振って見せた。
「そう、あれは結構最近かな。佐久間お前、里原と一緒にウチの治安課で働いてたろ? いつの間にか居なくなっちまったけど」
首肯する冬音さん。
そう。オレと彼女は地獄旅館の治安課で働いていた。ナイトメアの件で辞めたも同然な状態だけどさ。
でもそれがどうかしたのか。
「そん時、魔導高炉を見学させてやったのを覚えているか? 里原も」
「覚えてるよ」
「覚えてます」
結構。と、地獄の大将は腕を組んだ。
白い髪をパサリと揺らし、掌を開いて上に向けた。
するとそこから青白い光が溢れる。これは魔力を視認できる形にしたものだ。
で、見せたのは一瞬。
次の瞬間にはパッと消してしまった。
「うん、まあ。これが俗に言う魔力だな。今のはお前達にも見えるように可視化したモノ」
まだ掌をそのままにして閻魔さんは語る。
でも、なんかおかしいぞ。
魔力はとっくに消えたというのに、閻魔さんも冬音さんも、まだ掌を見つめている。
オレだけ意味がわからず、二人を交互に眺めていた。
「フハハハハ、佐久間。〈見える〉みたいだな?」
……なにがだよ。わかんねえぞ。
冬音さんもオレと同じ感想を口に出すものだと思っていた。
ところが。
「む。ああ、見えるけど?」
冬音さんまでわけのわからん事を口走ったのだ。
「里原は、見えないと思うが、どうだ」
「ええ、特に変わった様子はないんですけど。どうしたんです?」
「実はな、俺様の掌にはまださっきの魔力を出したまんまにしてあるんだ」
「へ?」
「可視化を解除しただけだ。だから里原には見えない」
なるほど。
………。
………。
待て。
ちょっと待て。
冬音さんは見えるとか言ってたぞ。
「そう、佐久間には見えてる」
「あ、ああ。私は見える」
「俺様も魔導高炉による干渉がなければ気付かなかった。この女、ちょっと魔力を身体に持ってやがる」
「え……ええ!?」
「なんだそりゃ」
「しかも今ではかなりの魔力量だ」
待てよ。待て待て。
サッパリにも程がある。
なんで冬音さんが身体に魔力なんか持ってんだよ。
「冬音さん、もしかして異界人!?」
「んなわけないよ」
その説明は、地獄の大将さんがしてくれるようだ。
「さっきの話を思い出せ」
「さっきの」
「話?」
「ほら、メアが佐久間を駅で待たせたっていう話だ」
「あー」
「あー」
ったく。と、閻魔さんは苦笑いでオレ達を見た。
んな顔されたって繋がりがわかんないから仕方ないよ。
「あれはおそらく〈なじませていた〉んだろうな」
もはや頭にクエスチョンマークしか浮かばない。
「丸一日、城の近くで居座った。それも二回だ。その間に主なき居城は付近のナイトメアを感知した。もともとは同じ魔力だからな。で、その最も近くに居た存在も同時に感知した」
「それが冬音さん?」
「そう。そういうことだ」
オレも、冬音さんも。
閻魔さんが何を言いたいのか、ようやく理解した。
もはや三人はテーブル上で顔が当たりそうなくらい寄り集まっていた。
「佐久間冬音に宿っている魔力は、どこから来た? 誰の魔力だ? その魔力は何を意味する?」
つまり――
つまり――冬音さんに宿っている魔力とは。
ここで閻魔さんが片眉を上げて、懐中時計を取り出した。
おもむろにその秒針を目で追う。
オレも冬音さんも、頭の中が真っ白。
「フハハハハハハハハハ!! 時間だ。ナイトメア・バッドドリームの消滅と同じ時間だ!」
◇ ◇ ◇
夢みたいだろ?
オレも夢だと疑ったよ。
だって信じられないんだ。
突然なんだぜ?
「ふやあ!」
〈あの子〉が、テーブルの上に落っこちてきたんだ。
――ほっぺたには可愛らしいペイント。
――ニット帽は被ってないか。
――瞳はどっちも紫色。
「痛いですー」
お尻を撫でながら、テーブルに座りこんだその少女。
その姿は、二度と見られないと思っていた姿。
本当に目を擦るなんて行動をしたのは初めてかもしれない。
見ろよ冬音さんの顔を。
「………っ!」
もう頬に涙を伝わらせて、真っ赤になって、唇を震わせてる。
信じられないというように、片手で自分の顔を覆っていた。
「メ……メア……」
やっとのことで口にしたのは、その少女の呼称。
そう。
オレの目の前に居る。冬音さんの目の前に居る。閻魔さんの目の前に居る。
あの子が存在している。
ナイトメア・バッドドリームが。
「あ……」
テーブルの上に座り込んでいたその子は顔を上げ、冬音さんに気付いた。
次にゆっくりと手を伸ばし、もう泣いている彼女の頬に触れた。
「冬音さん……です」
ナイトメア・バッドドリームが先か。
佐久間冬音が先か。
いや、まったくの同時だろう。
二人はその場で互いに飛びついた。
もう、オレも言葉が出ない。
喜び合う二人をどう表現したらいいのかわからない。
「メア、おかえり……。おかえりナイトメア……!」
「冬音さん……!」
二人も互いの名を呼びあうばかり。
冬音さんが肌身離さず持っていたニット帽をナイトメアに被せ、抱きあっていた。
おかえり。ただいま。
この掛け合いが、こんなに心沁みるなんて。
まるで――夢のような現実。
オレと閻魔さんは互いに頷き、握手した。
これから騒がしくなる。それが幸せな事だと気付いた。
ナイトメアは夢。冬音さんの夢。
みんなが、肩をゆすって起こしてあげたんだ。
夢が見ていた夢は辛く悲しいものだったけれど、それが現実だと思い知らされた。
出迎えてくれる人たちはたくさん。
冬音さんとナイトメアの絆は、もう二度と――
分かたれる事はない。
◇ ◇ ◇
――色褪せぬ魔法
――永劫を望み
――永劫を感じない
まるで夢のような
まるで現のような
まるで色のような
まるで空のような
色即是空の言葉の通り
溶けてしまうよ極彩夢幻
掴みたいと願うよ幻想
紅き眼で夢を見る
蒼き眼で夢を見る
無垢な瞳で夢を見る
瞼を閉じれば開かれる
閉じて開くは夢の門
総てが自由
永劫なき自由
だけど……
瞼を開けば閉ざされる
夢から醒めると切ないよ
不安を抱いて身を起こす
それが怖いから
起きたくないんだ
そんな彼女はphantasm dreamer
そんな彼女もbeautiful dreamer
ほら、肩を揺すって
起こしてあげようね
――夢章【phantasm dreamer】了