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夢章【the end of PHANTASMA】

 一つ、オレのスタイルを説明しておこうか。

 大抵の人間は素手ゴロつまり徒手空拳で闘う際、その武器となるのは主に拳だ。

 固くて素早く動かせて重心や捻りの力を精密に伝えられるからな。

 無論、オレだって拳を武器にする。

 ただ、主な武器として使わないのが違いだろう。


 オレの主な武器とは――肘や膝だ。


 間合いが狭く振り幅も小さい武器だ。拳のように上腕三等筋をいくら鍛えたところで、意味のない箇所だ。

 こうして見てみるとデメリットだらけで、わざわざそんなスタイルをとるオレ、里原準をアホだと思うかもしれない。


 じゃあメリットを並べるとしよう。


 一つ。デメリットともなったリーチの短さ。これは逆手にとればメリットにもなる。拳が届く範囲より半分ほども短いのにだ。

 大抵の人間は拳を武器にすると言った。ならば拳での間合いスレスレの闘いの中で、相手が肘を武器にしたらどうなるか。

 自分は相手の間合いに入らず、攻撃ができる。

 こう考えてしまったのならオレの思う壺なんだ。

 ここでもう一つのメリット。

 回転力。

 これを以てすれば、軽快な動作で間合いに切り込めるのだ。

 すぐにガードを固められ、すぐに攻撃に移れ、間合いの読み合いをする拳同士の闘いに慣れた奴ならまず動揺する。対処の術を考える間もなく、目の前まで入り込まれる。


 拳を打ち込んだところで大した威力にもならない距離だ。


 間合いの中に居るのに、形勢は逆転する。

 相手に攻撃させず、攻撃できる。


 更に高回転力による連続打撃。リーチが半分なら、連撃速度は二倍だ。


 極め付けに最後のメリット。

 拳を圧倒的に上回る硬さ。

 威力低下を抑える上に、迎撃にもってこいな代物だ。

 防御・ガードじゃない。迎撃なんだ。

 攻撃を無効化しつつダメージを与える。



 ただコレを使いこなすには、フットワークと反射神経が要求されるんだがな。


 このスタイルこそ、速射砲とも言われる突攻型。

 ショートショートレンジスタイルだ。




 ◇




 最初の一撃を打ち込んだのは、オレだった。


 硬い肘が冬音さんの脇腹に食い込み、その感触が伝わってくる。

 やはり、この人は一人の女性なのだと再度認識した……。

 男の肌よりも柔らかく、か細い。

 苦痛に歪んだ顔は、妙に艶々しかった。



「ん……くっ!」



 そんな彼女の力だけは、常人を凌駕していた。

 筋力ではない。チカラだ。


 冬音さんは身体の使い方が群を抜いて巧い。

 体重の移動、身体のバネ、タイミング……。

 それらの調和に長けており、卓越した攻撃を仕掛けてくるのだ。



「準の対策を……三笠に頼んでおいて良かったよ」


「は――!」



 急激に接近して打撃を入れたオレ。

 すぐさま第二撃を繰り出すべく身体を捻ろうとしたのだが。

 身体が動かなかった。

 打ち込んだ右肘と、左の肩を掴まれていたからだ。合い気とも柔ともわからない巧みな力使いでオレの回転を止めていた。


 動きを止めるのが――一番危険だ!



「せぇい!」



 冬音さんの頭が後ろへ下がり――次の瞬間。


 オレの目の前にあった。


 顔面に激しい衝撃。


 オレの眉間と鼻の間あたりに、冬音さんの額が激突したのだ。



 ――メキィ!

 という、オレの顔から放たれる鈍い音。

 渾身の頭突きを、モロに食らっちまった。



「ぐぶ……ふぁ……!」



 とんでもない痛さだった。

 顔が歪んだかと思った。

 鼻を抑えたまま、冬音さんの腕を振りほどいて間合いから出る。とにかく離れようとした。


 だがそれを相手が許すはずもない。

 やはり追撃が来る。


 冬音さんは肩の力を抜いたまま、拳を顔面に放ってきた。



「くらえ準。剛拳、爆属――」



 これは……マズい――!



掛矢軍壊カケヤグンカイ!」



 肘での弾きは間に合わなかった。

 迎撃の為に振った両腕の肘は見事に空を切り、拳は針の穴を通す正確な軌道でオレの頬に突っ込んできた。



「うぶ――」



 頭部が衝撃によって後ろへ弾かれる。

 掛矢軍壊の恐さはここからだ。


 この打撃の枢要は、多重打撃。

 仕組みは振り子を例にするとわかりやすい。

 振り子が一番振り切った状態で、さらなる衝撃を加えると、向きと力の方向が味方して更なる振り幅を生み出す。


 掛矢軍壊は、振り子を人体に伝わる振動に置き換えたとんでもない衝撃特化技なんだ。



 オレの頭部に伝わる振動が最も振り切った状態になった時、殴った冬音さんの拳はそのまま加速して再びオレの頬に激突した。



「――がはぁ!」



 身体が……頭に引きずられる感覚。

 オレは砂利の上を激しく転がった。

 いってぇ……。

 涙腺をやられて否が応にも涙がにじんだ。



「お前、実は私に余裕で勝てるとか思ってただろ」



 コキリと手首を鳴らした冬音さん。

 にたりと口の端を持ち上げてオレを見下ろしていた。

 意外だった。オレは肘を打ち込んだ時点でこのまま連撃を加え、一気に勝負を決めるつもりだったからだ。

 三笠に対策を頼んでいたのか……。


 回転を止め、その静止したタイミングで頭突きか。

 肘や膝以外にショートショートレンジで攻撃できる部分だ。

 涙腺にダメージを与え、怯んで後退する相手に追撃。しかも掛矢軍壊で。


 やられた。

 冬音さん程の怪力――卓越したパワーコントロールの使い手なら、オレの回転を止めることができたんだ。



「ファンタズマの新リーダーは日々進化し続ける。立ち止まって離脱したお前は、もうとっくに追い越されているんだよ」


「く……」


「このまま私が勝って、望みを叶えるのも悪くないけど。まだだね。準、本気で来るんだろ?」


「………」


「出せよ、〈裏の惨劇〉をさ。準と一心同体のコンビネーションを見せてくれよ」



 裏を望んできたか。

 奴は気分屋だから、オレにも奴が出てくるタイミングが予測できない。

 これが正々堂々とした喧嘩ではないのは、最初からわかっている。

 タイマンであるが、オレの目的は冬音さんを引きずってでも連れ帰ることなんだ。

 それは――全力で冬音さんに挑むという事だから、これこそ冬音さんが望む喧嘩なのかもしれない。


『準……』

「惨劇、出てきたか」


『俺は出られるぞ』

「そうか」


『どうする』

「お前に託されたアキュム、オレには使いこなせそうにない」


『なら、やるか』

「ああ、やろう」


『人格転換戦法』

「人格転換戦法」


『これが』

「これこそが」


『俺達、里原準の本気だ』

「オレ達、里原準の本気だ」



 鼻血をピッと拭い、オレは素早く立ち上がった。

 砂利を踏み締めて深く腰を落とす。

 その姿を見た冬音さんは顔を引き締め、身構えた。目を爛々と、楽しそうに輝かせて。



「そうこなくっちゃ、準!」


『俺の相棒の名を気安く呼ぶんじゃねえよ。クズ』


「惨劇だ。ははっ、裏の惨劇だ! 待ってたよ!」


『……《アキュムレーター1号抑止制限型》……束縛解除。 接続先を魔力による仮想右腕部に設定。 反動制限条件設定開始。魔力反応を第一条件αに設定。非魔力反応を第二条件βに設定。仮想右腕部による魔力反応を第一条件αー1に設定。αー1を含む全体第一条件αの場合のみ反動制限を解除。βの場合反動制限を実行。ただしβ且つαー1実行中の場合、仮想右腕部を防御に回した後、設定を実行。以上、反動制限条件の設定を終了。 適用。 アキュムレーター1号抑止制限型を……発動する』



 クフハハハハ!

 覚悟しろよクソ女ぁ!

 この惨劇のカタストロフが出てきた時点でテメエの負けは確実だ。油断したな余裕を見せたな過信をしたな!

 俺とオレが揃った怖さは十分に十二分にわかっている筈だと思っていたが。



「私に勝てない相手じゃあない。来いよ里原準!」



 上等だぁ。



『――カアァァァアア!』



 俺は大地を蹴る。

 大地を蹴り落とす。

 するとどうだい、相手が星ごとこちらの間合いに入ってきてくれるんだぜ。



「さすがに速い!」



 俺の放つ拳を受け止める佐久間。

 相変わらず反応は常人を凌駕している。これが準の身体じゃなかったら受け止めた手ごと破砕していたがな。



「ぐあぁ……っ。いいよ、いいよ。威力が段違いだ……!」



 クハ。

 バトンタッチだ。



「口を動かす暇はないですよ。冬音さん」


「――っ!」



 顔の前で惨劇の放った拳を受け止めるので精一杯の冬音さん。

 彼女の腹部はノーガードだ。

 オレは彼女の鳩尾に、前蹴りを突き出した。

 靴の爪先が痛々しいほど食い込む。



「うぁ……ぐ……」



 吐きそうな声を漏らし、身体をくの字に折り曲げた。

 バトンタッチだ。



『オラ休むにゃまだ早ぇぞコラァ!』



 脆い人体を破壊し尽くしたいが、準に怒られちまうからダメだ。ほどほどに抑えとくか。


 準の放った脚を引かず、そのまま踏み込む。鳩尾に食い込んだそれは、更に奥へ突き刺さった。



「ああ゛……っ!」



 見ろよ。この手も足も出せない様を。意気がった結果がコレだ。

 佐久間の顔を鷲掴みしたところで、バトンターッチ。



「……冬音さん」



 オレはもう片方の手で冬音さんの後頭部を押さえる。両手で頭部を掴む形になった。

 本能のまま、彼女のふらついた両足を、払った。

 勢い良く地面に倒れるが、頭部はぶつけないように押さえてある。



「あ…ん……っ!」



 まずい。

 地面に倒れた冬音さんと、彼女の目の前に膝をつくオレ。

 この体勢は――まずい!


 ここでバトンタッチは――まずい!



「さ、惨劇! やめろ、いったん後退を――」


『アキュムレータァアアアアアア! 死にやがれぇ!!』



 ヒャハハハ! クハハハハハハ!

 俺は這いつくばった女の胸元に、手のひらを当てる。

 これで終わりだジ・エンドだぁあ!



 だがオレはもう片方の手で、オレの右手首を掴んだ。

 惨劇は波に乗って自制が効かなくなっている……!



 馬鹿野郎! テメエ準! 一番面白ぇところじゃねぇかよ! 邪魔はダメだぜ!



 オレの言う事が聞けないのかよ惨劇! やめろと言ってるんだからやめろ!



 無理な命令だぜそりゃあ! アキュムは発動した。止められねえよ!



 な、んだと!?

 オレは右手首を掴んでいた左手を離し、代わりに冬音さんの腕を掴んだ。



 わかったよ、わかったよ準。

 俺はそのまま佐久間を遠くに放り投げた。

 チィ。そろそろ限界だぜ。人格転換ができねえ。

 じゃあな、準。




 ◇ ◇ ◇




 ――地面が揺れた。


 一瞬前まで冬音さんが倒れていた場所は、まるでクレーターのように大きく窪んでいた。

 アキュムの力。しかも抑止制限型で、石や砂利が粉のように砕かれ、地の形を変えてしまった。

 冗談じゃない。

 もしこれが冬音さんにむけて放たれていたら――確実にひどい有様になる。


 おもわず、惨劇の力に愕然としてしまった。



「……耐えた、私は耐えたあ!」



 ……………っ!


 薙ぐように、オレの脇腹に足が食い込んでいた。

 冬音さんの足だ。

 すぐ立ち上がって反撃に出たのか。


 しかし足の力は格段に落ちており、吹き飛ばされはしない。

 惨劇との人格転換戦法でだいぶ体力を奪われた。


 互いに、いつぶっ倒れてもおかしくない程のダメージと疲労を溜め込んでいた。



「はぁ、っはぁ」

「はぁ、っはぁ」


「お前の、お前達の人格転換戦法。誰にも防ぐことなんてできない」

「……ええ」


「二つの意識が一つの身体を共有し、交互に攻撃を仕掛ける。二つの思考は、片方が攻撃する間に、もう片方が敵の隙をさぐる。つまり、常人の倍近い反射速度で常に確実に隙を突く攻撃をしてくる」

「時間が平等に流れている以上、オレ達の攻撃を防ぎきるのは不可能です。オレと惨劇の反射神経を四倍は上回っていないと」


「でも――それを耐え切った時、勝機は見えてくる。人格転換戦法は典型的な短期決着用の戦法だから。疲労は絶大の筈だ」

「その通りです」


「私は耐え切ってみせたよ」

「お見事です」


「私は……ファンタズマの……リーダーなんだ」

「その象徴ですか」


「私が倒れなければ、ファンタズマはお前と惨劇に負けない」

「でも……ファンタズマはもう冬音さんだけだ……」


「……はぁ……はぁ。うん、私だけに……なっちゃったね」



 冬音さんは寂しいとか悲しいとかというよりもむしろ、嬉しそうだった。

 それが何故なのか、オレにはわかる。

 この、ファンタズマの一連の騒動は――暴走といえば暴走だ。

 でもただの暴走じゃあない。

 冬音さんの計画の中に含まれた、暴走なんだ。



「どうでしたか冬音さん。みんなは……ちゃんと……〈ファンタズマを卒業できましたか?〉」



 オレの問い掛けに対し彼女は――ニッ、と悪戯っぽく笑ってみせた。



「おうよ。チョット危ない奴も居たけど、みんな大人になってた。社会に目を向けようともがくようになった」


「変われたんですね」


「変わっていたよ。まだまだ変わる。幻想から現実へ歩みだすんだ。ファンタズムから、リアルへと」


「……最後に残った一人は、オレが連れ出します」


「………」


「みんなの背中を押し続け、最後の一人になった貴女の背中を押してくれる人は、誰もいない」


「………」


「なら、オレが引っ張ってあげます」


「馬鹿が。私はお前なんかに引っ張られたくないね」


「そこにナイトメアが居るからですか?」


「嫌いな場所へ、別に行かなくても良い場所へ歩みだすほど愚かな事はない」


「……はは」


「?」


「あはははははは!」


「なにが可笑しいんだ準」



 おもわず腹を抱えて笑ってしまった。

 可愛い。

 なんて可愛い人なんだこの女性は。

 だからオレはこの人が好きなんだ。



「冬音さん、それじゃあ振り出しに戻っちゃいますよ」


「なんだって?」


「だって今の冬音さん、ファンタズマに入ってきた頃の連中にそっくりですもん。〈嫌いな場所へ、別に行かなくても良い場所へ歩みだすほど愚かな事はない〉だなんて。あいつらが不貞腐れて放っていたセリフのまんまじゃないですか」


「………」


「オレだって、冬音さんと初めて会った時、ちょうどこの場所で、同じような事を言いました」




 ◇




――なんだよアンタ。


――私か? 私は佐久間冬音だ。


――んなこと聞いてねえよ。オレに何か用でもあんのかって事だよ。


――わはは、この腑抜けた不良もどきのガキが、私に生意気言ってるよ。わはは、こいつは傑作だ。


――知った事か。オレはアンタが誰だか知らねえからな。


――社会に出ても、見知らぬ人にそんな口を利くのかお前は? それじゃあやっていけないよ。


――出なきゃいいじゃん。そんな場所、居心地悪そうだし。なんでわざわざそんな所に行かなきゃいけないんだ。




 ◇




「オレは貴女にそう言い捨てた。まさに今、貴女が言ったのと同じような内容だ。その後、冬音さんがオレになんて言ったか覚えてますか?」


「……忘れたね。覚えてるのはお前と喧嘩したことくらいだ」



 オレは、ちゃんと覚えている。

 あの時は腹が立って惨劇と一緒に襲い掛かったけど、今思うと声をかけてくれた冬音さんに感謝するばかりだ。



「冬音さんは言いました。《そうやって嫌だ嫌だと自分を抑え、殻に閉じこもっている方が窮屈だぞ。せっかく手を伸ばしてやってるんだ。おとなしくそれを掴んで、触れてみろよ。それすらできないなら、ただの弱虫だね》……と」


「………」


「今、手を差し伸べてやってるのはオレだ。そしてオレは冬音さんに同じ事を言いたい。どうする? 貴女は……弱虫か?」



 嫌だ嫌だ、嫌いだ嫌いだと。ナイトメアを拒否し続ける彼女。

 自分を抑え、本音を隠している今の彼女は、なんて弱い存在だろうか。

 昔の冬音さんは、オレを見て同じようにそう思ったに違いない。


 そして今目の前に居る冬音さんは、キッ――とオレを睨み付けていた。



「私は弱虫じゃない。一度触れて後悔したからもう触れるつもりはないんだ」


「後悔? うるせえよ弱虫」


「準……お前、口には気を付けろよ。私は弱虫じゃない」


「どう見たって弱虫だろ。意地っ張りでみっともねえ」


「私は弱くない!」



 冬音さんは怒髪天を突く勢いと形相で、オレに殴りかかってきた。


 迷いだらけの拳。

 今までで一番、愚かでみっともない拳。


 オレはそれをしっかりと片手で受け止め、握り締めた。

 ぐいっと引き寄せ、バランスを崩した冬音さんがふらふらと目の前まで近づく。



 そんな彼女を前に――オレはもう片方の手を開き。



 思いっきり、頬をひっぱたいた。



 ――パァン!

 という音が、橋の下に大きく響いた。



「貴女がそんな事ではファンタズマに居た連中が可哀相だ」


「………っ」



 真っ赤に腫れた頬を抑えた冬音さんは、力なく地に膝を付いた。



「心と身体を失いかけてもまだ冬音さんを想うナイトメアが可哀相だ。今、差し出されたオレの手を取らなかったら貴女はきっと、一生自分を嫌い続けることになる」



 オレが口を開き声を発する度に、俯いた彼女の肩はビクンと震えた。

 それをただ冷たい目で見下ろし、ただ冷たい言葉を吐き続けた。

 冬音さんを軽蔑し、批判し、侮辱する言葉ばかりを。



「で、どうしますか。手を引っ込めますか。オレはこのまま帰りますけど」



 黙り込み、オレの言葉を浴び続けた冬音さんは、ようやく動いた。

 震える手を伸ばして袖を掴んでくる。

 暴れたいだけ暴れ、言いたいだけ言い放ち、甘えたいだけ甘えた。気が済むまで彼女は、抑えていたものを吐き出しまくった。

 そして最後に残ったモノを、やっと吐き出してくれた。



「駄目……行かないで……欲しい」



 わがままを貫き続けた彼女は、やっと気付いてくれた。

 ここまでやりたい放題できたのは、周囲の人間のおかげだったということに。

 警察組織に属する間、見守ってくれたオッサン。退職しても尚、警察を留めようと努めてくれた。

 まるで八つ当りのように急に起きた騒動。それに付き合ってくれたファンタズマ。

 卒業という真実を知りながらも最後の最後まで冬音さんに付き添い、励まし、従い、守ろうとしたケルベロス。


 だんだんとそれらは冬音さんの前から散ってゆき、手が届かなくなり、彼女は一人になった。


 唯一、最後に彼女を甘えさせてやれる存在が――オレだった。


 気が済むまで付き合ってやった。喧嘩の相手にもなった。惨劇まで呼び出した。


 だから――冬音さんの中でみっともなく抑えているモノは、ただ一つになったのだ。


 それは本音。本心だ。


 頬をひっぱたかれ、最後の頼りどころであるオレが彼女から手を引こうとしているのを知った時。

 冬音さんはやっと冷静になった。無我夢中で奥に押し込んでいた本音と向き合った。


 焦ったと思う。

 やっと本心を読み解こうとした矢先にオレが手を引こうとしたから。

 焦って焦って、オレが罵声を飛ばす度に怯えて、それでも冬音さんは一生懸命に自分の答えを導こうとしていた。必死になってまとわりついた鎖をほどいていた。



「私を……見捨てないで……」



 無論だよ。


 見捨てるつもりも、手を引っ込めるつもりも、全くないよ。

 貴女が答えを出すまで、オレは手を出し続けるつもりだったよ。



「怖かったんだ……。私にはわかっていた。あの子が消えちゃう事。両親に会わせてくれないのも、理由があるってわかってた……」



 冬音さんは口の端から垂れた血を拭い、オレを見上げた。袖を強く握っていた。

 瞳にはオレが映っている。

 ナイトメアもオレを瞳に映して約束した。〈ふぅ〉を連れて帰ると。

 あの瞳と、この冬音さんの瞳に何の違いがあるだろうか。色や形や大きさなんて関係ない。

 相手を想う気持ちに迷いがないんだよ。



「だから私は嫌いだと言った。怖かったから。メアが怖かったんじゃない……。メアが……あの子が消えた時が怖かったんだ……! 私はすごく辛い気持ちになるから……辛くて辛くて……とても痛い思いをしなくちゃいけなくなるから……!」



 何故嫌ったのか。それはオレや閻魔さんにも、誰にも到底予想できるわけがなかったんだ。

 二人の絆は、誰の想像をも上回っていた。


 好きで好きで仕方ないから。消えた辛さはそれ相応。

 どれだけ好きかを自覚しているからこそ、ナイトメアを嫌う道を選んだ。

 嫌って距離を置き、すべてを突き放せばいいと考えたんだ。だからいちいちナイトメアの報告をしながら連れ戻そうとするオレに、敵意を抱くのも当然なのだ。



「でも気付いた。誰も居なくなった後、尚も私に甘えさせてくれた準が、私を見離そうとした時。とてつもなく怖くなったんだ。嫌って離れたところで、辛いのは変わらない。むしろもっと辛くなるって……。一人になった後、メアは生きているのか消えてしまったのかわからないまま、私は生きていくんだって思ったら……前よりもっと怖くなった」



 な? この人はやっぱり強い人なんだ。

 茶目っ気に溢れ、イタズラ好きで、勝ち気で強気で、何より優しい。今回みたいに溜まりに溜まって自分が見えなくなってしまう時もあるけど。そんな時にはオレや、この人に世話して貰った連中が徹底的に付き合ってやる。

 みんな冬音さんのことが大好きだから。

 ケルベロスも言ってた。彼女が初恋だと。

 そしてやっぱり、彼女自身は強いから導いてあげれば自分で判断し決断する。


 棒立ちで冬音さんを見下ろしていたオレは、掴まれた袖にもう片方の手を添えた。

 両手で彼女の手を握り、座り込んだ強き統率者と目の高さを等しくする為にしゃがんだ。



「よく頑張りました」


「準……。私を……」


「見捨てたりなんてしません。オレは貴女が大好きだ、人として尊敬してる。どれだけ時間がかかっても貴女が手を差し出すまで諦めるつもりはなかったです」


「……ありがとう……準」


「オレの方こそ、酷い言葉を浴びせました。信頼している筈なのに軽蔑してしまった。冬音さんは、こんなに……こんなに……」


「それだけ私を評価してくれていたんだよ」



 普段は前髪に隠れている片方の目が、さらりと垣間見えた。

 それは冬音さんが首を傾けたからだ。

 肩をすくめて、頬を染めて、ニッコリとオレに笑って見せてくれた。

 それはとても女性らしい仕草で。

 おもわず心臓が大きく鼓動した。



「楽しかったよ準。お前は強いよ。女の私を殴らせちゃって、ごめん」


「冬音さんの身体は凄く細くて、軽くて、驚きました。壊れちゃいそうな肌は、もっと大事にして下さい」


「ははっ。私はやめないよ。でも本当にやめさせたいのなら……」



 冬音さんは立ちあがった。

 手はオレに握られたままだ。だからオレも立ちあがる。

 そんな彼女はさらに一歩前に出ると、顔を赤くしてオレを見つめた。



「私は、佐久間冬音は――里原準に守ってもらいたい」


「………」


「好きだ準」



 ………。


 ………あー。


 えー。


 こ、この展開は……その。予想していなかったというか。いや、今回オレは大した予想をしなかったけども。

 身体を大事にしてほしいなら、自分と付き合え。そして守ってくれ。

 それが冬音さんの条件だった。

 つまり、アレだ。


 告白だ。



「……お前と死神の関係は知ってる。でも、私の気持ちも知っておいて貰いたかったんだ」



 これは、はっきりとさせておくことだ。

 曖昧にはできない。



「オレには死――」


「ストーーーーップ!」


「ええ!?」


「返事はいらない。今なんだか嫌な予感がした。佐久間冬音の第六感だ」


「……えぇ〜」


「あのね、私は自分より強い男に弱いんだよ」



 知らねーよ。



「とんでもねぇ人だ……」



 二人でケラケラと笑う。

 なんだよ第六感って。

 こんなに二人で笑ったのは久しぶりかもしれない。

 ひとしきり笑った後、冬音さんはぎゅっと唇を結んだ。不安そうな表情で、目を泳がせる。



「メアは……私を許してくれるかな」


「お互いに悪いと思い合っているんですから。お互いに謝ったらいいんですよ」


「あの子は……強い子だろ?」


「二人とも強いです。強くて意地っ張り」


「うん」


「メアちゃんが待ってます。みんなも。貴女の帰りを待っているんですよ、〈ふぅ〉さん」


「……うん」


「帰りましょう。日常へ」


「そうだね」



 ボロボロになった服。付いた砂を払い落し、擦り傷だらけの身体に苦笑い。

 冬音さんなんて、上着を脱いでかなり大胆な格好になっていた。



「冬音さん、顔に血が付いてますよ」


「準が拭いてくれ」


「………っ!?」



 気がつけば雨は止んでいた。

 それでも空は灰色。

 橋の周囲に薄くたちこめた霧は、幻想の終焉には相応しい。




 ◇




 ――嵐のように街を駆け抜けた集団があった。

 ――その噂もまた、同じように人々の耳に行き渡った。


 ――有象無象の隔たりなしに、人道反する行為の数々。

 ――誰も見ていないと思うな。

 ――まるでphantom(幽霊)のように見ているぞ。

 ――まるでphantasm(幻影)を見ているようだろう?


 ――名はPHANTASMA(ファンタズマ)

 ――幻想のように突如として現れ、幻想のように消えてゆく。


 ――大人になった時、君達は思い出すだろう。

 ――夢を見た。と。

 ――たくさんのことを教えて貰った夢だったと。


 ――PHANTASMAは君達にとって、成長の糧となったろうか?

 ――私は君達の中で、これからも幻想として生き続ける。

 ――時々で良い。思い出してみてくれ。

 ――仲間を、経験を。きっと、君達の役に立てると思う。


 ――最後に……私も、私も楽しかったぞ。


 ――幻想は終焉……。


 ――夢は醒めるモノ……。


 ――然らばだ少年少女達……。


 ――So good awake...




 たくさんの出会いを与えてくれた。


 たくさんの経験を与えてくれた。


 強く、温かく。


 皆の成長を見守り続けた。


 嵐のように街を駆け抜けた。馬鹿みたいに笑えた。

 オレの生きた中で、とても楽しい空間だった。


 ……ありがとう。

 


 ファンタズマは今、この瞬間をもって――解散した。





 ◇ ◇ ◇





悪夢(ナイトメア)という名の幸せ】




 玄関の上がり端で、冬音さんは立ちつくしていた。

 なんと言って入っていけば良いのかを帰り道でずっと悩んでいた彼女。そんな悩みはとても些細で、きっと今は頭の中が真っ白になっているんじゃないかと思う。



「おかえり冬音姉さーん!」

「おかえりなさい佐久間さん」

「おかえり冬音さん!」



 扉を開けると、そこには当たり前のように笑顔が並んでいたのだから。

 死神も、彩花さんも、バンプも。まるで冬音さんが帰ってきて当然という態度で、出迎えてくれたのだ。

 こいつらは、オレも含めて、こんな感じなんだよ。

 身体中ボロボロになっているオレと冬音さんは、つい先ほどまで居た冷たい世界とのギャップに驚いた。

 冬音さんなんて、まだ目を丸くして唖然としている。


 とても自然に受け入れてもらえた事に彼女が一番驚いているからだ。



「あ……の……えっと」



 言葉を詰まらせる彼女の背中を、オレはポンと押した。



「た、ただいま……」



 そう言った直後だった。


 彼女の声を聞いて、奥の居間から猛スピードで駆けてくる影があった。毛玉の付いたニット帽をぽんぽんと揺らして。


 この時を、どれだけ待っただろうか。こうなることを、どれだけ望んだだろうか。


 その小さな影は死神の横をすり抜け、彩花さんとバンプを掻き分けてくる。

 だってその紅と蒼の瞳には、ただ一人。佐久間冬音という女性しか映っていないのだから。



「ふぅーーーー!」



 ナイトメアは頬を高揚させ、勢いよく床を蹴ってジャンプ。

 しかしバランスが崩れてそれはジャンプにはならなかった。

 ただコケただけ。


 このチビ、思いっきり突っ込むのだけは得意なのだ。


 慌てて周りが支えようと身を屈めるも、その必要はないことに気付いた。


 だって、誰よりも。


 そう、誰よりも。


 誰よりも早く。


 ――冬音さんが、ナイトメアを受け止めていたから。


 ――彼女自身、無意識の行動だった。



「あはっ」

「あら」

「へへ」


「ははっ」



 オレも思わず笑っていた。

 冬音さんが、一番驚いた表情をしているのが、なんだかとても可笑しかった。



「あ……」

「ふぅ! ふぅー!」



 身体全体で冬音さんに飛び込んだナイトメアは、本当に嬉しそうだった。

 ほっぺたを冬音さんの胸に当ててはしゃいでいる。



 冬音さんは――



 驚いた顔をしていたが――



 ぎゅ、と唇を結んで――



 ぎゅ、と腕をナイトメアの背中に回して――



 じわ、と目を潤ませ――



「ただいま……メア……」



 ぽろぽろ、と涙を零した。



 溢れる涙はとめどなく流れた。



 どんな事があっても決して涙を見せなかった冬音さん。

 ただ一人、ナイトメアという子を抱いた今。



「……う……あぁ……」



 その涙を頬に伝わらせた。

 声をあげて、ナイトメアの頭に頬を当てて泣いた。


 ナイトメアはといえば、どうして冬音さんが泣いているのかわからず、首を傾げていた。



「ふぅ?」


「あぁ……うあぁあああ」



 困惑しちゃうよな。

 大好きな人が帰ってきた途端に自分を抱いたまま泣きだしたんだから。

 どうしていいのかわからない。

 困惑と動揺が混ざり、一番近くで冬音さんの泣き声を聞いていたその子は、きょとんとした顔を崩し始めた。

 だんだん唇が震えだす。

 ついにはナイトメアまで泣き出してしまったのだった。



「ふ……うええぇん」



 良かった。間違ってなかったんだ。

 泣きじゃくる二人の姿に、オレは安堵した。


 死神と目を合わせて、互いに頷く。


 彩花さんはバンプの肩に後ろから腕を回していた。


 死神の笑顔が、オレの笑顔を誘った。



(ご苦労さま、準くん)


(ああ)


(顔色……よくないかも)


(そうか? そんなことないぞ)


(なら良いけど)


(おう、大丈夫)




 ほら、どうだ。


 元に戻ったよメアちゃん。


 全部元通りだ。


 日常が帰ってきたよ。


 望みが叶うよ。


 最期の時まで、オレ達は一緒に居てやるからな。


 皮肉にも、周囲が元に戻った時、唯一ナイトメア本人だけが違ってしまっていたけど。


 それでも、この子の望んだものだから。



 楽しく生きよう。


 笑顔で生きよう。


 最高の――夢みたいな時間を過ごそうな。

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