夢章【phantasm dreamer】5
紅眼のインキュバスと、蒼眼のサキュバス。
二人の娘ナイトメア。
魔力が失われた今、夢であるナイトメアは消えかかっている。
細く流れた髪も。
よく手伝いで包丁を握ってくれていた白い手も。
いろんな場所や、せっせと買い物への道を歩いた脚も。
パッチリと開き、いつもオレや冬音さんや興味のあるモノを覗き込んでいた瞳も。
消えちゃうんだ。
薄れていくんだ。
二度と見れなくなる。
哀しい。
ナイトメアだって哀しいと思う。
でも、哀しい気持ちで最期を迎えたくないんだよな。だから隠していたんだよな。
一人だけで自分と闘い、一人だけで運命を受け入れた。
誰かに頼ることもせず、誰かに弱音を吐くこともせず。
一人で、誰にも見守られることなく、消えていく道を選んだ。
最期までいつも通りで居たいから、それが一番の望みだから。
もういいんだよ、隠さなくても。
オレはナイトメアの願い、叶えてやるから。
みんなだって、隠さなくてもわかってくれるよ。
「ただいま」
地獄を後にしたオレは部屋に戻り、玄関で立ち止まっていた。
昔の気持ちに似てる。
帰って来て憂鬱な気持ちで玄関に立つのは。
オレも親とかは居ない。だから帰ってくるといつも暗くて、静かで、憂鬱だった。
ここで立ち止まっていろんな事を考えてきた。
晩飯の支度しなきゃとか、今日だけはコンビニ弁当で済ませようとか。
親戚からの仕送りの管理も頭の中にあった。帰ってすぐに確認するのは靴箱裏に隠された封筒だったっけ。
非常時に備えた金が入っていた。
「おかえりー!」
……あぁ。
……そうだ。そうだった。
今のオレには、この足音があった。明るい部屋が待っていたんだった。
オレにおかえりと言う奴が、居たんだったな。
「ただいま、死神」
「大丈夫? なんだか浮かない顔」
「うん? そうだな……少し休むか。メアちゃんは?」
「買い物行くって言って出てったよー」
「大丈夫なのか?」
「大丈夫って言ってた」
そうか。と呟き、死神の頭に手を乗せながら居間へと進む。
いろいろ考えすぎて疲れてるかも。
死神に心配されたら終わりだもんな。
「ナイトメアが帰ってくるまで、部屋で寝てるから」
「うん」
「イタズラすんなよー」
「ばれたかー!」
「はは」
自分の部屋に入り、オレはそのままベッドの上に倒れた。
暗い部屋の天井を見つめて、ため息を吐く。
(閻魔さん、可哀相だ)
ナイトメアが心配な筈なのに、地獄から出る事が出来ない。
白狐さんも夜叉さんもカブキさんも。
事実を唯一知っていた四人が、城が破壊された事件のせいで身動きが取れなくなっている。
魔導高炉の安全を確保しないと、とても危ないから。
事実を知り、身動きがとれる人間はオレだけだ。
ホントはこんな風に寝ている場合じゃない。
早いとこ冬音さんを探して連れ戻さないと。
なんだろうこの倦怠感。
オレの身体も少しおかしい。
抑えているのに惨劇が出てくるなんて今までなかったことだ。中の惨劇の意識が混入してオレはたまに眩暈がする。眩暈の理由は最近になって気付いた。
この体調はおそらく惨劇が関係している。
が、そんなことに構っている余裕はない。
今は身体に鞭打つべき時だ。
その後になにがどうなろうと。
オレは今すべきことを、オレにしかできないことをやるのみ。
「……準くん?」
部屋の扉が開き、少しだけ死神の顔が中を覗いた。
「どうした」
「起きてたんだ」
「まーな」
死神は中に入り、扉の前に立ってオレを黙って見ていた。
な、なんだ。
ヘンなもんでもくっついてんのか? オレに。
「………」
なにか言いたげで、言おうとしては思いとどまっている。
ふーむ。
オレは少し身体を横にずらし、ベッドにできた余裕をポンポンと叩いた。
「ほれ、こっち来い」
「ふぇ?」
「いいから来いって」
「うん!」
死神は早足でこちらまで来ると、隣に寝そべった。
肩を枕がわりにされる。つーか腕枕……!
「ふー」
見てくれ。いきなり満足げなこの顔を。
もう、なんというか。
疲れ吹っ飛ぶぞ、この顔。
「準くんは、最近なにかに一生懸命だね」
不意に響いた言葉。
顔を横に向けた死神が、オレと目を合わせた。
「私だけ取り残されてる気分ー」
眉をハの字にして笑う。
しまった、と思った。
ここ最近はナイトメアばかりを気にしていたから。死神のことを気にしてやれなかった。
コイツもオレにとっては大事な存在なのに。
「すまん」
「いーよ、私は準くん好きだもん」
「よくもまぁ恥ずかしげもなく……」
「それに、メアが心配なんだよね?」
「………」
「私にはわかるもん。メアの心、すっごく痛そう。だから準くんも気を遣ってあげてるんだよね」
よく見ている。いや、当然か。
オレなんかよりずっと長くナイトメアを見てきたんだもんな。様子の変化にすぐ気付くのは時間の問題だったのかもしれない。
「メアは……どうなっちゃうの?」
ぎゅ、と腕を掴まれた。
ここでオレは嘘を吐くべきなのだろうか。
ナイトメアの望みをより実現に近付けるために。
(これじゃあ、最初のメアちゃんや閻魔さんと同じになっちまう)
何も知らされないまま変化を見守る方が辛いとオレは知っている。
事実を知った後の辛さはよくわかっている。
もし全てが終わってから知らされたら、その辛さがどれだけ大きなものになるだろうか。
それになによりもオレが苦しい。
だからオレは――
死神に話してやった。
ナイトメアの事を。両親の事を。
城の事を。魔力の事を。
あの子がこの先、どうなってしまうのかを。
淡々と、それはもう機械的に。
感情を抑えて冷静に努めて。
全部、話してやった。
オレが口を動かす度にだんだんと死神の目が見開かれていき、服を握る手の力が強くなっていった。
真夏の蝉時雨を背景に、混乱の言葉を吐き出し続けた。
カーテンから漏れる光の筋も時間と共に暗い部屋を撫でて行った。
死神の肩から、首へ。
光の筋が顔を照らしだしたとき、死神の表情は凍りついていた。
虚空を、虚無を見つめていた。
「……う…そだよ」
初めは認めようとしなかった。
一生懸命、不自然な笑顔を作りながら、首を振った。
「そんなこと……ないもん……」
そんなことないでしょ? と、オレに視線を絡ませて事実の否定を求めてきた。
オレはどんな表情をしていたんだろう。
きっと、死神の求める表情ではなかっただろう。
その表情で、首を横に振っていた。
「や……だぁ……っ」
――死神は泣き出した。
声を上げて泣いた。
オレの胸に顔を埋めて泣いた。
心が痛む。酷いことをしてしまっているという罪悪感がオレを責め立てる。
悲痛な泣き声がオレに呼吸のリズムを整えさせてくれない。
死神の震えが身体に伝わってくる。
死神はオレに――『教えてくれて有難う』と言いながら、泣いていた。
真に後悔の念に襲われていたのはオレではなく。
共に育ってきた死神の方だった。
「っく……メア、死……んじゃう」
「まだ諦めんな。閻魔さん達が必死に止める方法を探してる」
「いっつも見てたのに……気付いて……あげられなかった……っ」
「メアちゃんもわざと隠していたんだ。仕方ない」
「私、お父さんとお母さんに会いに行った後……いつもメアに話してた。こんなことがあって楽しかったとか、あんな料理を食べたとか……。メアには……お父さんとお母さん……居なかったのに……!」
「死神……」
「最低だ私……。最低……だ」
やめてくれ。
やめてくれよ。
お前が、そんな悲しい顔しちゃダメだ。
自分を責めないでくれ。
わかっていても、耐えられそうにないんだ。
「死神……っ」
「メア消えちゃやだぁ……メアぁ……」
メア、メア、と。
大声で泣く死神の姿にオレは耐えきれず、金髪の頭を抱え込んだ。
全身で包んでやった。
「ふ……ぅ……っ」
震えが伝わってくる。
その震えは身体だけでなくオレの心をも揺さ振った。
涙腺を弛ませてくる。
唇を震わせてくる。
「く……」
涙が滲んだ。
こらえきれなかった。
「く……そぉ……」
途方もなく悔しかった。
自分がまるで何もできていない事。何も結果を出せていない事。空回りな今のオレは、まさしく夢に踊らされる道化のようだった。
「準くん……泣いてるの?」
腕の中で震えていた頭が、オレの顔を覗こうとする。
が、オレは死神の頭に顎を乗せて押さえた。
あんまり見られたくない。男なら。
「オレは泣いてない」
認めるわけにはいかねえ。
「………」
「泣いてない」
まだだ。空回りと判断するには早い。
道化で結構。
夢を救おうと四苦八苦。
滑稽に転び、はたから見れば恥ずかしいまでに一生懸命。
それで結構。
オレはまだ前向きだ。
「……うん。準くんは強いもんね」
「ああ。オレは強いんだ。死神も、ナイトメアも、守ってやる」
「……うん」
「冬音さんだって助けてやる」
「心強い味方だよ、準くんは」
頼ってくれているのか。
ただの人間であるオレを。
心強いと、言ってくれるのかお前は。
「私も一緒。メアの為に頑張ろうね」
「ああ」
「冬音姉さんを呼び戻すんでしょ?」
「ああ」
「私も、行っていいかな。役に立てるかわかんないけど――準くんを一人にさせたくない」
なんだよそれ……。
お前の方が、心強い味方じゃんか。
道化を支える子もまた道化なんだぞ。
「私達は、ピエロになるの」
「………」
「笑顔を取り戻すんだよ」
「ああ、そうだ。その通りだ」
頭を撫でる。
金色の髪が指の隙間で流れた。
「少し――このままでいていいか?」
腕に力を込め、一層強く死神を抱いた。
オレに託されたモノの尊さと脆弱さを、もう一度確認するために。
「うん……いいよ」
そのまま泣き疲れた死神は眠り、オレも深い眠りへと入り込んでいった。
眠っても起きても夢。
夢が夢を見る夢。
こんな哀しいことが、夢ならいいのに。
そう思いながら――
◇ ◇ ◇
どれだけ眠っていたのか。
暑さのあまり目を覚ましたオレは、ゆっくりと身を起こした。
死神はまだ寝ている。枕がベッドの下に落ちていたので拾い上げ、死神の頭の下に入れた。
小さな寝息をたてる顔をさらりと手でなぞり、それからカーテンを開く。
強い光ではなくて赤く柔らかい光が部屋の中に入ってきた。
眩しくもなくただ静かで、外は真夏の夜を迎えようとしていた。
(こんな時間か。夕飯の支度を……)
夕飯の献立を考えようと、冷蔵庫の中身を思い出そうとした。
中はほとんど空だということを思い出した。
買い物という言葉が出てきた。
買い物にはナイトメアが行ってくれた事を思い出した。
(ナイトメアは……?)
胸騒ぎがした。
部屋を出て居間へ。
居間も、キッチンも暗かった。明かりがどこにも灯っていないのだ。
明かりを点けても、人の影はどこにもなかった。
今度は時計を探す。
慣れた位置だから、時計を見るのは癖のようになっている。
(17時)
今日、閻魔さんに会いに行き、帰ってきたのが昼頃だ。
その時にはもう、ナイトメアは買い物に出かけていた。
サア――と、全身が青ざめるような悪寒がした。
遅い。遅すぎる。
迂闊だ。身体が弱い子にこんな暑さの中、一人で買い物に行かせてしまった。
大丈夫という言葉を信用していた。
「し、死神!」
部屋へと駆け戻り、いまだ眠る死神の肩をゆすった。
普段なら滅多に起きないが、夏の暑さと死神自身の生活習慣がオレに味方してくれた。
うっすらと瞼を持ち上げてオレの顔を見る。
「……う。どうしたの?」
「ナイトメアが、まだ帰ってきてないんだ!」
「……え!?」
オレと死神は、急いでマンションから出た。
外はもう暗くなりかけている。
あの子は大抵の人には見えない。閻魔さん曰く、意識した対象以外には見えないのだという。
もし途中で気絶して倒れたとしたら。
倒れた場所が……悪かったら。
車道とかだったら。
「チィ!」
◇ ◇ ◇
「いいか、オレは遠方を探してくる。死神はマンション付近を頼む!」
「うん!」
「買い物で使う道は覚えてるよな?」
「うん!」
「よし。日が落ちたら一旦部屋に戻ってオレが帰るのを待っててくれ」
「わかった」
マンションの近くは死神に任せて、オレは走りだした。
ナイトメアは商店街へ向かった筈だ。
そこまでの道をとりあえず、ざっと巡ってみよう。
並木道を抜ける。
立ち並ぶ木々の間、そして車道にくまなく目線を送りながら駆ける。
住宅地も、電柱と垣根の間や、別れ道の先まで確認した。
人通りが多くなってきた。
街に近い。
ここの広い車道を、一度横断しなければならない。
嫌な想像だが、道路にナイトメアの姿がなくてホッとした。
無論、途中の歩道橋も上まで確認した。
そして商店街に到着。
それまでの道に、ナイトメアの姿はなかった。
魚屋、八百屋、果物屋、雑貨屋。
商店街で利用する、ありとあらゆる店を訪ねて回った。
夕飯時なので通行が多く、何度も人にぶつかっては謝った。
「おお、あの派手な服装をした女の子か。今日は見てないぞ?」
「あら、あの子どうしてるの? 今日は見てないわねー」
「お、里原くんじゃないか。ニット帽の娘さんは一緒じゃないのかい? そういえば佐久間ちゃんも見かけないねぇ」
誰に聞いても、ナイトメアの姿を見た人は居なかった。
もはやこの商店街の常連さんとなったナイトメアを知らない人間は少ない。
今日は商店街に来ていないのか?
ならどこへ行ったんだ。想像もつかないぞ。
手掛かりが皆無に等しい。
とりあえず商店街を出よう。
マンションの近くで死神が見つけているかも。
別の道を使って、オレはマンションへと駆け戻ることにした。
◇ ◇ ◇
着く頃にはもう日は落ち、帰りの道では街頭が灯っていた。
マンションの前では、黒いローブ姿が肩を落として立っている。
見つからなかったか。
「あ……。準くん!」
「駄目だ。居なかった。商店街には行ってないみたいだ」
「そっか……。私が一緒に付いていけばよかったのに…」
「ナイトメアが一人で行きたがったんだろ? そのくらいわかるよ」
「どうしよう」
「とりあえず、まだ探していない場所をあたってみる。来るか?」
「うん!」
それから探し回ること二時間。
マンションを中心に、くまなくナイトメアの姿を探した。
真っ暗闇の中では効率が格段に落ちた。
ナイトメアは自力で地獄には戻れない。
鬼門を開く力すら失われているからだ。
徹夜してでも見つける。
そう自分に言い聞かせた時、オレはナイトメアの行きそうな場所を一つだけ思い出した。
無理矢理だが。
あの子と初めて行動を共にしたのは、夢の中だ。
そこには遊園地があった。
だから、この辺で遊園地のような場所。
本当に無理矢理だ。
本当に……無理に結びつけた考えだったのに……。
――キィ……キィ……。
暗闇の中、オレと死神はナイトメアを見つけた。
――キィ……キィ……。
闇に溶け、弧を描く鎖。
静寂と静止が覆う夜の公園。
春は花見で盛り上がる場所。
広い公園の奥。
ぽつりと設置されたブランコだけが、動いていた。
オレは手さげ袋を抱えていた。
公園の入口で拾ったものだ。
中にはメモと、財布。
ナイトメアに預けた手さげ袋だった。
「メア……?」
死神は茫然と立ちつくすオレの横をすり抜け、揺れるブランコに近づいて行った。
ナイトメアはオレ達には見向きもせず。
ただ、空を見つめてブランコをこいでいる。
――キィ……キィ……。
オレもブランコに近づき、鎖を掴んだ。
ゆっくりとした動きで、だんだんとブランコの振り幅は狭まり――
――キ……ィ……。
止まった。
オレは後ろから、死神は前から、ナイトメアに抱きついた。
「メア! どうして帰ってこなかったの!?」
「心配してたんだぞ……!」
見つかってよかった。
そんな気持ちでいっぱいのオレ達に対し、ナイトメアは無言だった。
ぽー、と前の死神を見つめて固まっている。
様子が変だということに、だんだんオレ達は気づいてきた。
「どうしたの、メア」
「さあ、帰ろう。な?」
ナイトメアは――
ニッコリと――
満面の笑みを浮かべ――
死神にしがみつくと――
元気よく――
言った。
「あー、んうー」
凍りついた。
オレも、死神も。
「メ、メア?」
抱きつかれた死神が、目を丸くしてナイトメアの顔に触れる。
その顔は、とても無邪気で。
まるで――幼い子のような。
「あうー! んーっ」
「ど、どうしちゃったのメア!?」
「んー!」
「準くん! これ……」
馬鹿な……。
喋れなくなっている……。
いや、これは喋れなくなったとか、それだけの状態に留まっていない。
死神の顔を、今もぺたぺたと両手で触る姿。
これは……。
「退行……しているのか?」
「それって……幼いころに戻っちゃってるってこと!?」
外見はいつものナイトメアだ。
しかしその行動、表情は、幼児のそれと似ている。
話すことすらできない状態まで、知能が退行しているのか。
「んあーぅ」
「あ痛たたたた」
髪を引っ張られる死神。
まるで赤ん坊のよう。だが歩行はできるみたいだ。
閻魔さんに報告する必要がある。精神の退行なんて聞いてないぞ。
「とりあえず家に戻ろう死神」
「う、うん」
ナイトメアの手を髪から引き離した死神は、ナイトメアを立たせようとする。
だが相手は首をブンブンと横に振って、ブランコから立ち上がろうとしない。
「メア、帰るよ」
「やー!」
「え? なんで?」
「んやー!」
頑張って死神が手を引っ張ろうとしても、鎖にしがみついて離れようとしない。
なにかが気に入らないのか?
死神もオレの方に助けを求める視線を向けてきたので前に出る。
「メアちゃん、家に帰ればごはんができてるぞ?」
「うー」
「帰りたく……ないのか?」
「んーん」
ごはんは食べたい。帰りたくないわけでもないのか。
うーん。
「じゃ、帰ろうか」
「や!」
嫌なんですか。
わけわかんねー!
どうしろと言うんだー!
「じゅー! あうー!」
両手を上に伸ばしてオレの方を見てくる。
なんだ、なんのジェスチャーだ。
………。
あー。
わかった。
わかったぞ。
「抱っこかおんぶしろってことかよ……」
「なるほどー」
というわけで、大はしゃぎのナイトメアを背中に担いでなんとか帰ることになった。
しかしもうメチャメチャ暴れるので、死神が後ろでナイトメアの身体を支えなければならず、歩いて公園から帰るだけでも一苦労だった。
◇ ◇ ◇
部屋に戻っても大変だった。
赤ん坊一人を預かっているようなもんだから、なにかと気を遣うのだ。
「じゅー! じゅー!」
「うお、なんだ。どうした」
皿を洗っている最中に服を引っ張られ、下を見下ろす。
するとナイトメアが立っていた。
「じゅー、ちーち」
「?」
「ちーち……」
もじもじと、内股になって服を引っ張ってくる。
こ、このジェスチャーは?
いや、苦しげな表情でわかった。
「トイレか!」
「うー」
「行って来ないのか?」
「うー」
ぎゅう、と服を握られる。
OK、成程。怖くて一人じゃ行けないんだな。
「死神ー!?」
「わ、私…動けないー」
居間を見ると……死神は何枚もの布団に潰されていた。
ナイトメアの遊びに付き合った結果か。
身動きが取れないほど、死神の上には布団が積み上げられていた。
「じゅー!」
「わかった、わかった」
ナイトメアの手を引いてトイレへ向かう。
中まで付いて来いと引っ張られたが、さすがに勘弁してくれ。
というわけでトイレの扉の前に立ち、ナイトメアが出てくるのを待った。
中からは度々、オレを呼ぶ声がする。
「じゅー」
「いるぞー」
夜はこの後もずっとこんな感じが続いた。
ナイトメアもとい、ちびメアに振り回されるオレと死神。
もう、今までの記憶まで薄れている。
日常を望んだ子が、日常を忘れかけている。
なんて残酷な運命だ。
愛くるしく無邪気に笑う、ナイトメアの顔を見る度にオレは胸を締め付けられた。
もう、時間がない。
今日一日での変化が大きすぎる。
本当に、タイムリミットが近いということが明確にわかる。
明日こそ。
明日こそは、冬音さんを見つけ出す。
そんで連れ帰る。
力づくでも、どんな手を使ってでも。
あの、何も知らない人を連れ帰るんだ。
『……準』
「惨劇か」
『俺の力、使ってもいいんだぞ』
「………」
『どんな手を使ってでも佐久間冬音を連れ戻したいのなら、俺の〈アキュム〉を使わせてやる。一号だけだが』
「ああ、頼む」
『ただし、コレを使うってことは更に俺の制御からお前が引き離されることになる。つまり……お前のリミットは短く――』
「なんでもいいさ。今は何よりも優先すべき事があるんだからさ」
『クハハ……相変わらず最後まで俺の話を聞かない奴だな』
アキュム一号……。
惨劇の力か。
使うのは初めてだが、なるべくなら使わずに冬音さんを連れ帰りたい。
「じゅー!」
「んお、よしよし。死神んトコ行こうな」
「やー!」
今度は何だよ……。
◆ ◆ ◆
クフ。
クハハハハ。
愛している。
準。
俺はお前を愛している。
お前も俺を愛している。
不変であり不動の事実。
お前は今。
他人の運命に振り回されている。
本当は俺にとっちゃどうでもいいことだ。
俺は準さえ居ればいいからだ。
準が大好きだから。準の為に力を貸す。
俺の起源は準、お前だ。
お前が居るから俺は俺で居られる。
運命に振り回されることなく、俺はお前の望むままに世界を変えてやる。
お前の為ならば、永劫遠きいや果てまで行こう。
総てを踏み台にし、総てを犠牲にしよう。
迷いなく滅しよう。
最も運命に囚われず。
最も運命に制限された存在。
最も運命に嫌われ。
最も運命を憎む存在。
最も凶った存在。
俺、僕、私、某。
我、《最凶》の称号を有する者。
クハ。
クハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ。
さあ、もうすぐ宴が始まる。
下準備は整えてあるか?
招待状は送ったか?
裏方は集まったか?
失敗は許さないぞ?
OK。
OKだ。
ならば主役を待つのみか。
この俺。
《惨劇のカタストロフ》を。
クフ、主役は遅れて登場だ。
もう少し待っていろ。