夢章【phantasm dreamer】4
『はい俺だ。ん、里原か……どうした』
『オッサン、ファンタズマは……どうなってる?』
『………』
『一方的に拒んだのは悪いと思ってる。一方的に電話したのも』
『………』
『でも、どうしても冬音さんに会わなきゃいけないんだよ! 冬音さんには、一緒に居てあげて欲しい子が居るんだ!』
『………』
『頼む、オッサン……!』
『……ファンタズマは、時間の問題だ』
『え?』
『既に何人も補導されている』
『補導?』
『警察は、ファンタズマを集団として消すのではなく、所属メンバー個人を補導・逮捕する方向で動いている。これなら佐久間財閥という名も意味を持たん』
『逮捕者は?』
『今のところ居ない。構成メンバーの大半が少年少女だからな。そいつらをまとめあげる人間に力量があったからこそ、集団として形を成していた。今になって思い知らされたよ』
『冬音さんは?』
『佐久間冬音はまだ姿を見せていない。彼女の存在を知っている警察側の人間は、実のところ少ない。知らざるを得ない立場の人間だけだ。言いたい事はわかるな?』
『……知ってても言えない、か。佐久間家に関わってる人間なら』
『ああ。だから下の者が他のガキ共と一緒に捕まえてくるのを待つばかりなんだ』
『あれだけ慎重に活動していたのに……手綱を締める人間が欠けると、こんなに脆いんだな』
『そんなものだ。ただ、見事なのはメンバーが誰一人として、無駄な抵抗をしなかった事だ。こちらが丁寧に扱えばおとなしく付いてくる。これも佐久間冬音の〈教育〉か?』
『よく気づいたな。ファンタズマの実体に』
『長い付き合いだからな、お前達とは』
『……。冬音さんに会わないと……』
『残念ながら居場所がわからん』
『探さないと』
『喧嘩別れしたなら逆効果だろう』
『それでも……探さないと……』
『そうか……。なら、一つだけ俺が持っている情報をくれてやる』
『え?』
『取り逃がしたが、駅東に位置する大きな橋付近でメンバーと思しき三人の目撃情報があった。路地裏が多い地域だ。三色のパーカー姿。集団の構成をよく知るお前なら意味がわかるな?』
『……ケルベロス3だ…!』
『喧嘩が滅法強い三人組として俺も記憶に残っている』
『アイツらなら常に冬音さんの傍に付いている筈だ』
『……というわけだ。巡査、あとは宜しく頼む』
『は?』
『ん? おや、俺としたことが昔の同僚に掛けていたつもりが、間違い電話をしちまってたな。今の会話は忘れてくれよ、どっかの〈ダレカサン〉』
『ケッ、へったくそ。でも……ありがとう』
◇ ◇ ◇
ナイトメアは、昨日死神の部屋に籠もってから出てこなかった。
朝も、いつもは食事の支度を手伝ってくれるのだが、やはり起きてこなかった。
死神も傍に居るだろうから、オレは一人で朝飯を作った。
一人だから、電気を付けているのはキッチンだけで、居間の方は消したままだ。
暗い部屋の中で、空しく包丁や鍋の音だけが響いた。
(二人を呼んで来ないとな……)
手を拭き、居間の電気を点ける。
カーテンを開いて、明かりをいっぱい部屋の中へ招き入れる。
清々しい気持ちで、二人が起きてこられるように。
死神の部屋の前に立つ。
なんて声を掛けようか。
いつも通りだよな、うん。
自分に頷いて、扉をノックしようとした時――
――ガチャリ。
と、内側から扉が開いた。
「あ……」
「お……」
パジャマ姿にニット帽を被ったナイトメアが顔を出した。
少し疲れた顔だ。
部屋の中は明かりが灯っているから、もう起きていたのだろう。
「おはようメアちゃん」
「あ……」
「死神はまだ寝てるのか?」
コク…と頷く。
やはり昨日の事もあって気不味いのか、ナイトメアは目を泳がせていた。
目……?
「あれ、メアちゃん。それカラコンか?」
オレがそう尋ねると、彼女はきょとん、とした顔になる。
片方の眼が青色。
もう片方の眼が赤色。
うん、似合う。
「え……。め……?」
「イメージチェンジか! 似合ってるぞ」
ところがナイトメアは。
「あ……」
「?」
――バタン……
と、ゆっくり扉を閉めてまた中へ戻ってしまった。
オレはナイトメアの疲れながらも驚いた感じの顔を見逃さなかった。
見逃さなかったんだけど。
もうなにがなんだか。
ま、死神が連れて来てくれるだろう。
そう思い、居間へと戻る。
(いつもみたいに向かい合っての食事は……気まずく思うかなぁ)
先に食っておくか。
ということでオレだけ先に朝飯。
許せ死神。
朝寝坊なお前が悪いんだ。
今日の予定を考えよう。
といっても、冬音さん探し。ってだけなんだけど。
駅の東……。
大きな橋……。
あの辺かー。
川が流れてて。
川原もあるな。夏に花火見に行った川原だ。
あと路地裏か。
あのあたりをざっと探して回るかねー。
頑張ろう。これはオレにしかできない事だ。
しっかし冬音さんかくれんぼ弱いからなー。よく見つからなかったよ一週間も。ケルベロスのおかげだろうね。
うは。懐かしい事を思い出した。
ファンタズマのかくれんぼ。
たまにファンタズマはこういう遊びをする。冬音さんの提案で。
しかも最初に見つかった五人は、いつも酷い罰ゲームをやらされるのだからたまったもんじゃない。ま、その中に大概言いだしっぺが加わってたけどさ。
どいつもこいつも、オレも含めて、そんな幼稚な遊びに本気を出していた。
みんな、あまり経験がなかったからかもしれない。
笑顔になりたいと、一生懸命だった。必死だった。
皆、学校にもきちんと通うようになっていた。
それが冬音さんの宿題だったから。
成績が悪くたって、点数が悪くたって、先生に睨まれたって、気にしない。
冬音さんに嫌われる方が、オレ達ファンタズマにとっては何よりも怖いから。
それだけ皆、彼女の事が大好きだった。
そう。
だからオレは、彼女に嫌われてしまった子が居ると知った時、異常に反応した。
誰よりも近くに居て、誰よりも嫌われてしまった子。
そんな、ナイトメアの姿を見たとき、オレの恐怖は怒りへと変わった。
認めたくなかったんだと思う。
冬音さんが誰かを嫌いになるという事を。
「準くんおはよーう!」
「んお、おはよう」
「あー、先に食べてたの!?」
「すぐ用意する」
起きてきた死神が居間に入ってきた。
後ろにはナイトメアもちゃんと居る。
上目遣いで、オレの様子を窺っていた。
やっぱり赤と青の目。
カラーコンタクトなんて、珍しいとは思ったが。ナイトメアは道化師っぽい格好を好むからな。
ほっぺにペイント描いたり。
「メアちゃん、おはよう」
「おはようございます……準くん」
今度はちゃんと挨拶できたな。
「朝飯用意するから、死神と座ってろよ」
「あの、ごはんの支度……」
「気にしない。たまにはいいだろ?」
手早く食事を運び、ナイトメアと死神に笑顔を見せる。
二人とも、安心しきった表情で箸を手に取った。
いつも通りの朝、成功ー。
◇
オレはその場を離れ、今度は洗濯物に取りかかることにした。
洗濯機の置いてある洗面所に立ち、そこで鏡が目に留まった。
映っているのは見慣れた自分の顔なわけだが。
首を傾げてみたり、眉を寄せてみたり。
うん。オレの顔。
って、なにをやっているんだ。
「あんまり鏡って、気にしたことないよなオレ」
『だけど鏡って、実に興味深いモノなんだよ俺にしてみたら』
「そうか? 自分を映し出すだけだぞ」
『クハ、だからだよ。水面然り、金属然り。こういったモノが無かったら、自分がどんな顔かわかんねぇんだぜ?』
「言われてみれば」
『だろう? ま、俺は鏡見たってお前の顔しか見えないんだけどよ』
「そりゃそうだ。つーか、久々だな〈惨劇〉。お前が出てくるとか」
『クハ! よく言うぜ兄弟! お前が俺を抑えていたんだろうが』
「今もその筈なんだけど?」
『出て来ちまったもんはしょうがない』
「あっそ。別にいいけど」
『おやおや? 俺を僕を私を毛嫌いしていたと思っていたのだが。だがだが?』
「嫌ってないって」
『わかってるよ』
「あのさ、ちょうどいいから惨劇に訊きたい事があるんだけど」
『うお! 愛しのオレが俺に訊ね事!?』
「おう」
『クフ、クフハハハハハ! Okey、Okey brother! 言ってみろ』
「ファンタズマに入った時の事、覚えてるか?」
『んー、佐久間冬音とかいう女とやり合った時か』
「そう。あれどこだったっけ」
『川原だな。俺達……つーかお前、投げ飛ばされて川に突っ込んだじゃん』
「あー、そうだった」
『それだけか?』
「それだけ」
『ふーん。今度もあそこの辺に居るんだろうな』
「え?」
『事態は把握してるよ。中から見てた。最近はこんな事もできるみたい』
「あ、あのさ惨劇……オレ、どうしたら――」
『頼るな』
「………」
『お前のいけないトコロだ準。すぐ俺に頼ろうとする。少しは変わったみたいだけどさ、そんなんじゃダメダメだぜ?』
「ああ。そうだな。オレは自分でやることを考えていたんだった。惨劇に相談する必要もなかったな」
『……ま、俺は引っ込むけど。お前が気付いていなくて俺が気付いたことだけ言っておくよ』
「なんだ?」
『あの夢魔の娘。〈イメチェン〉したのか? 容姿に変化が見られたならイメチェンだろうけど』
「………うん?」
『あとあの娘……って、ま、いいか。じゃあな』
相も変わらず、自分勝手な奴だ。
好きな時に出てきては好き放題やって引っ込むんだもんな。
洗濯機を回しながら、もう一度鏡を覗く。
話し相手は、もう居なかった。
ところで、惨劇の奴はなんと言っていたか。
ああ、イメチェンか。
イメチェン……イメチェン……。
――メアがもし、イメチェンしたら俺様にすぐ知らせろ。すぐにだ
あ。
閻魔さんか。閻魔さんと約束してたんだっけ。親代わりとしてチェックしておきたいとかなんとかで……。
まさかホントにナイトメアがイメージチェンジするとは思わなかった。
すぐに知らせろ。そう言っていたのなら今日にでも知らせてあげた方がいいか?
いや、今日は冬音さんを探しに行くんだ。
そっちのほうが大切だろう。
………。
ぬぅ……待てよオレ。
約束を軽んじているぞ。
やっぱり約束だから、ナイトメアを預かる時の数少ない約束だから。
今日は……閻魔さんのところに行こう。
オレと閻魔さんと、ナイトメア。
またこの三人になるのは……ちょっとキツいかな。今の状況だと。
ナイトメアを連れて行こうと思ったけど、オレ一人で行くか。
死神とナイトメアに留守を任せ、オレは一人地獄へと向かう事にした。
ナイトメアはなんとなく心配そうにオレを見ていたが、閻魔さんも嘘を吐いていた身なのだから。
安心しても大丈夫だぞ。と、目線で伝えた。
◇ ◇ ◇
【地獄旅館】
オレが地獄に現われた時、すぐさまエリート餓鬼達に囲まれた。
閻魔さんが、オレを地獄で見たらすぐ連れてくるように命令を下していたのだという。
そして閻魔さんの部屋に入ったオレを待っていたのは、当然の如く地獄の大将だった。
でも、閻魔さんはいつもと違った。
いつもは大笑いと共にオレを迎えていたのに。
今回は――
頭を下げていた。
『嘘、吐いていてすまなかった』
「……」
すぐにばれると、この人自身もわかっていたんだろうな。
ナイトメアの気持ちを汲んで、合わせていたんだと思う。
『里原。お前にメアを任せたいと、頼んだのはこっちだ。なのにお前に嘘を吐いた。悪い事をしたと反省している』
「………」
意外な姿に、オレは何を言ったらよいのか迷い、言葉を詰まらせた。
すると、閻魔さんの後ろに控えていた白狐さんが一歩前に出てくる。
『許してあげて、里原君。閻魔はあれからずっと悩んでいたわ。だって里原君は何も知らない状態でいきなり預けられる身だったんだもの。もし佐久間さんに出会ったら、混乱するに違いないと、ずっと心配していたわ』
「……わかっています。オレも、もう気にしていません」
オレがそう言うと、閻魔さんはゆっくりと頭を上げた。
眉間に皺を寄せた、苦しそうな顔。
初めて見る表情だった。
『今日は、俺様に伝えることがあって……来たんだろう?』
この人には全てお見通しだ。
オレが何をしに、何を言いに来たのかも、きっとわかっている。
「メアちゃんの身体、おかしくなってきています」
『………』
閻魔さんは白狐さんに一度目線を送り、うけとった狐面の女性は着物を擦る音をたてながら、部屋を出て行った。
「目の色が、変わりました。あれはカラーコンタクトじゃない」
『………』
「閻魔さんはオレに言いましたね。ナイトメアがイメチェンしたら知らせろと」
『ああ、言った。約束した』
「それって、ナイトメアの身体に異変が起こることを知っていた。そういうことですよね」
『……認める』
オレは早足で閻魔さんに近づいた。
ツカツカと、靴の音を鳴らしながら。
閻魔さんの真正面。
閻魔さんの顔のまん前。
あと数センチで鼻と鼻が当たるくらい、オレは接近していた。
嗅ぎ慣れた香りがする。
閻魔さんの香りだ。
こんな失礼な態度、普段のオレは取らない。
これは、そう――まるで不良同士がガンを付け合っているのと同じ形なのだから。
相手の瞳の奥の奥。
そこをえぐり取るように睨みあげる。
相手は閻魔さんだというのに。
「すいませんね閻魔さん。オレぁ、アンタと対等に話をさせてもらう」
『……フハ、対等……か』
「アンタが地獄の大将だろうが、どれだけ偉かろうが。今、ナイトメアを想う存在って立場に置いて、アンタとオレは対等・平等だ。だから、ナイトメアを預かることになってからアンタがオレにとった行動は、オレを嘗めた行動だ。文句はありますか?」
正直、膝が震えそうだった。
いや、もう震えていたのかもしれない。
そんな下半身のことまで気を回していなかった。
すべて面前の瞳に意識を集中させていたから。
そしてその瞳はギンと力を込め、オレに睨み返してきた。
『おう。その通りだ里原。俺様とお前は、ナイトメアという子に関して対等の立場だ。文句はねえ』
「では、オレの質問に答えて下さい」
『メアの身体か』
「ええ。あの子はウチに来てから弱っている気がします。たまに咳き込んだり、言葉を詰まらせたり。隣で料理している時、妙にふらついていた事もありました。この一週間、たったの一週間で悪化しています」
『………』
瞳の動揺を……オレは見逃さなかった。
どちらも本気で目線を交差させているのだ。動揺があれば一発でわかる。
それがたとえ閻魔さんでもだ。
「〈やっぱり〉という動揺の仕方ですね。さっきも言いましたけど、閻魔さんは知っていましたよね? ナイトメアの身体に異変が起きるだろう事、弱っていくだろうということを」
『……く』
「何が起きているんですか。ナイトメアに。ナイトメアの両親に」
『……それは』
「このまま弱っていくのを、オレは黙って見ていくことしかできないのか!」
『里原……』
ナイトメアの姿が頭に浮かぶ。
見て見ぬふりをしてきたんだ。
ナイトメアは、ウチに来たときから既に以前とは様子が違った。
死神も気づいていた。
でも、見なかった事にしていたんだ……!
懸命に咳きこむのを我慢していた事。
時折、ベランダに出て、隠れてうずくまっていた事。
毎朝、ベッドから降りても脚に力が入らずに壁を使って立ちあがっている事。
買い物へ行く時、さりげなく日陰の道を選んで歩いている事。
真夜中に居間にやってきて、暗い室内で溜息をつきながらひっそりと泣いていた事。
オレの部屋から……。
冬音さんの写真を持ち出して行った事も……!
オレと死神に気付かれないように……。
ひっそりと。
自分と闘っていたんだ。
見ないふりをしていた。
死神も、ナイトメアと普段どおりに接してくれていた。
オレ達は、変わりないように、日常を偽っていた。
「このままじゃ、ダメなんです」
『………』
「教えて下さいよ閻魔さん。ナイトメアはどうなっちゃうんですか。どう考えたっておかしいんですよ。冬音さんが消えてからですよ、こんな風になっちゃったの。オレに教えて下さいよ。全部」
オレの視線を真っ向から受けた地獄の大将。
死神・ナイトメア・ヴァンパイアの親代わりでもあった人。
オレの尊敬する人物の一人。
その人は、今まで見たことのないくらい、オレの気迫が一瞬にして霧散してしまうような――
笑顔を見せた。
優しい笑顔だ。
『やっぱり、お前に会えて良かった』
「え……」
『俺様も、ロシュも、メアもバンプも、此処の連中も』
茫然としてしまう。
『異界の人間。死神ロシュが、そっちの世界の人間と仲良くなったと聞いた時、大問題に発展する危険性があった。お前には関わりの無い話だが。前例があったからな。でも俺様は見守ることにした。夜叉もメアもバンプも、お前を気に入ったから。佐久間や須藤、それに例の三人組まで加わり、俺様はお前達を見定めようとした。でも、未知数すぎんだよお前ら』
「はは」
『フハハハ! そう、未知数。しかし安心してロシュ達を任せられる優しさを根底に秘めた連中だ』
「有難う御座います」
『その中で、俺様が最も慎重に見定めた人物が――佐久間冬音。彼女だ』
優しい笑顔の中に真剣な眼差し。
この顔を一目見るだけで、この人の器量がわかる。
把握しきれないほどに大きなものだと、わかる。
『佐久間には教えていない。だがこうなった以上、彼女にも知っておいてもらいたい。だからお前に託す。ナイトメアという〈夢〉の事を』
まるで――
まるでナイトメアが実体ではないような言い方を、閻魔さんはした。
しかも。
続けて口にした言葉が……。
『あの子の両親。〈インキュバス・バッドドリーム〉及び、〈サキュバス・バッドドリーム〉は……六年前に――死んでいる』
あまりにも……残酷で……。
『あの二人の子供もな』
あまりにも……唐突で……。
『だから、あまり口にしたくない事であり、支部長や幹部クラス以外に話した事もなかった』
蒙昧と鮮明の距離が無に等しく思える感覚。
移行が一瞬で。
半ばそのまぶしさに目が眩む。
『ナイトメア・バッドドリームという子は……存在しない存在なんだ』
「存在しない……存在だと?」
『インキュバス夫妻とその娘、ナイトメアは、六年前に亡くなっている。だがナイトメアは今、お前の家に居る』
「そうですよ。メアちゃんは、オレの家に居ますよ。それに今までだってオレと過ごしていましたよ。冬音さんと過ごしていましたよ彩花さんと過ごしていましたよバンプと過ごしていましたよ死神と過ごしていましたよ。美香も三笠も渡瀬もラビットさんもシャドーも白狐さんも夜叉さんもカブキさんも閻魔さんも! そして今も!」
『あの子は、夢なんだ』
「なんだ夢って!」
『死んだインキュバスとサキュバスが遺した、夢。あの二人は夢魔だ。力を夢に変えて、遺す事ができる』
「ふ……ぅざけんなぁ!」
『黙って聞けないなら話さんぞ。ガキ』
「………! す、すみません」
閻魔さんに叱られ、自分の小ささを反省した。
話す方だって辛いだろうに。
きっと、頭の中ではオレに話す内容の他にも、たくさんの事柄を同時に考えている筈だ。
オレには想像できないくらい多くの事を。
『……だから、三つの城のうちの一つ。メアの両親が居る筈の城は、無人なんだ。誰も居ない城がそこにはあるだけ』
「ナイトメアが、冬音さんを城に連れて行かなかったのは、そういう理由があったんですね」
『ああ。だが無人とはいえ、城には夢が宿っている。夫妻が遺した夢だ。つまり城自体に全ての魔力を憑依させたんだ。簡単に言えば〈城に夢を見させる〉ようにした。だからロシュやバンプの両親と違い、インキュバスの城だけはそれ自体が地獄全支部の魔導高炉関係を管理しているんだよ』
「成程……。じゃあ、ナイトメアは魔力によって生まれた子供ということですね」
『両親の魔力で、だ。夢であろうと、あの子が夢魔の娘であることは何の問題もない。本人は……気にしているみたいだがな』
「じゃあ、身体が弱っているのは? 城が夢を見続けているのは今も変わらないんですよね。ナイトメアは身体も心もちゃんと成長しています」
『……城は……壊された……』
「……はい?」
『壊されたんだよ……っ』
閻魔さんはギリッと歯を噛み締めて呟いた。
ナイトメアという娘を維持しているのは、城が夢を見ているから。
城には、伝説の夢魔の魔力が宿っている。
その魔力によって、ナイトメアは再び夢という形で生まれ、その魔力によって、ナイトメアは存在していられる。
でも――その城は壊された。
「壊された……?」
『そうだ。強靭な結界を破り、城をあとかたもなく壊しつくしていきやがった』
「誰が……」
『わからん。いち早く事態を察したケット・シーが駆け付けたようだが……グングニル街道の草原で……ひどい傷を負って倒れていた。奴が目を覚ますのがいつになるかもわからん』
ケット・シーっていったら、最速の猫じゃねえか。
「待ってくれよ閻魔さん。城が壊れたなら……その……魔力は?」
『消滅した』
「じゃあメアちゃんは?」
『いずれ……』
「何か方法は……!」
『今のところない……! 現在、各支部とも協力して夢魔に関する資料を探している。だが……魔導高炉の安全を確保するのが……優先なんだよ……!』
「そ、そんな」
ナイトメアが消える。
ナイトメアが消える。
ナイトメアが消える。
ナイトメア・バッドドリームが……居なくなる。
身体が弱っていたのは、あの子の身体を構成する魔力の、その根源が壊されたからだ。
消えるってのは、死ぬのと違いがあるのか?
大事な子が、居なくなるんだぞ。
「閻魔さんは平気なんですか!?」
『……俺様は』
「地獄アジア支部の支部長! そんなのはわかってる! でも親代わりとして、ナイトメアが消える事を知りながら、どうして平気で手元から放したんですか! オレに預けずに、自分の手元に――ぐっ」
凄まじい力がオレの喉元にかかり、オレの息は強制的に止められた。
地面から足が離れ、襟を絞りあげられたことで気管が圧迫された。
閻魔さんは怒りの形相で、オレの襟首を掴んでいた。
『平気なわけがあるかこの大馬鹿野郎が! 俺様にとってメアやロシュ、バンプがどれだけ大切な存在かわかってんだろ! だがメアは……〈あの子は嘘を吐き通してまで、いつも通りで居たいと望んだ〉! 最後まで日常の中に居たいと願ったんだぞ! 俺様がその願いを叶えてやらなくて、どうするってぇんだよ!』
なんて――大きいんだ。
この人は――凄い。
俺はなにをしてあげられるだろう。
消えゆくナイトメアに。
そうだ。
いつも通りだ。
いつも通りの日常を。
最後まで――素敵な夢を。