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夢章【phantasm dreamer】2

 朝ってのは実に清々しいよな。

 夢から覚めたばかりのまどろみの中、サッとカーテンを開けるんだ。

 空気を入れ替えるべくベランダの窓を開け、朝の風と音を部屋の中に迎え入れる。

 この瞬間がたまらない。

 そして風の流れと一緒に自分も向きを変え、部屋全体を眺めると――


「だから私の分まで食べるなアホロシュー!」


「ふも……!」


 ………。


 面倒くさい光景が目に入ってくるわけだ。

 身を乗り出したナイトメアが、目の前の頬を全力で引っ張っている。

 引っ張られた頬はびっくりするくらい伸びていて、死神はゴムでできているんじゃないかと思う事さえある。


 昨日からナイトメアがウチに来ている。

 冬音さんがなにやら出かけてしまったらしく、帰ってくるまで預かる事になったのだ。

 余計に騒がしくなったものの、良く働いてくれるから有難い。


「アンタまさか、今まで食事の度に毎回準くんの奪ってたんじゃないでしょうね!?」

「もふ……正解ナリー」


 正解ナリー。


「嗚呼、可哀相な準くん。私がロシュを防ぎつつ、いっぱい作ってあげますー」


 有難いナリー。


 そうだ、ナイトメアがどのくらいココに滞在するかわからないなら、揃えるものがいろいろあるな。

 って、そりゃ冬音さんの部屋から持ってくればいいのか。

 オレは居間で朝飯ほったらかしにして喧嘩する二人のところまで行く。


「メアちゃん、一回冬音さんの部屋行くか」

「え? どうしてですかー?」

「着替えとか色々、持って来なきゃいけないだろ」

「そうでした」


 忘れていたのか気にもしていなかったのか、ナイトメアは頷いた。

 頷いたのだが、直後、首を横に振る。


「じゃあ買いに行きましょう!」

「ん、なんで」

「準くん家用セットが欲しいです!」


 なんだそりゃ。


「お金、私が出しますからー」


 お金って。ナイトメアが泊まり用具等を揃えるほど持っているとは思えない。

 布団は余りがあるから大丈夫だけど。

 うーん。

 オレが……出すか。


「あの、ホントですよ! 私出せますー」

「いやいや、メアちゃんに出させるわけにはいかんよ。オレが出してやるから」

「駄目です! それじゃあ準くんアホです!」


 アホ……!


「あのなあメアちゃん。オレを誰だと思ってるんだ」

「準くんです」

「うん、そうだな。準くんだ。じゃなくて、オレはコイツを養ってるスーパー社会人だぜ?」


 言いながら、満腹顔で自分の腹をぽんぽんと叩いている黒ローブ娘のフードを摘んだ。

 本人は今のやりとりを聞かずに飯を食っていたらしく、驚いた顔でオレの方を見た。

 そんな死神の姿に納得したのだろう。ナイトメアはようやく首を縦に動かしてくれた。


「わがまま言ってごめんなさいです」

「いいってことよ。閻魔さんに任されてる身だし、どんどん頼ってくれ」


「わかったぜー! 私、食後のホットコーヒーが飲みたいよ準くん」


 ……死神が高速でポカられたのは言うまでもない。




 ◇ ◇ ◇



 まあアレだ。

 一緒に買いに行くわけにはいかないよな、泊まり用具ってのは。

 ナイトメアは女の子だし、オレが付き添うべきじゃないのは当然の話だ。

 なので、ナイトメアの買い物には死神を付き添わせた。

 無論、金はナイトメアに持たせたがな。


 で、二人が地獄街へ買い物に行くのを見送ったオレは、まだ自分の部屋に居た。


 実は昨夜――つまりナイトメアがウチに来た夜から気になっていた事があった。

 二人が寝静まった頃。

 オレも風呂から上がって眠る準備をしていた時だ。



  ◇



 そんな真夜中に、携帯電話が鳴った。


 数年ぶりに見る名前と番号が画面に表示されていた。


 ファンタズマの天敵、警察だ。


 つっても、掛けてきたのは今では定年退職したオッサンであり、当時の警察の中で唯一ファンタズマという集団に関わっていた人物だ。

 佐久間財閥って名前が怖くて、このオッサン以外の連中は見て見ぬふりをしていたからな。


 オレは懐かしさと同時に、若干胃の中に重くのしかかるものを感じつつ、電話に出た。


『もしもし』

『里原準だな? 俺だ、元気にやってるか』

『うるせ……いや、おう。元気でやってる』

『そうか、いきなり掛けてすまんな』

『何言ってんだよ、昔は昼夜問わずオレを呼び出してたくせに』

『そうだったな』


 なんというか……。

 声に、昔の威厳とか威圧感が薄れているように感じた。


『で、用件は? オレは何もやってないけど』

『うむ、それはわかっている。実はファンタズマの件で』


 このオッサンは、まだファンタズマにこだわるのか。


『アンタもう退職したんだろ?』

『退職しようが殉職しようが関係ないわ馬鹿者。またファンタズマが活動を始めたなら俺も黙っちゃおれん』

『あ? んなわけないっての。ファンタズマはオレと冬音さんが活動を自粛したんだ』

『だからなんだ』

『どっちも不在なら活動を再開するわけがないってこと』


 オレの口からそんな事を聞き、オッサンは黙り込んだ。

 受話器から、ううむ、と唸る声が聞こえてくる。


『里原がそう言うのなら、そうかもしれん。しかしな、昔の部下から先ほど連絡があったんだ。ゲームセンターで暴れていた高校生を補導したと』


 ファンタズマのメンバーがそんなアホな捕まり方するかっての。


『しかし補導された時、すでにその少年は足腰が立たないくらいのダメージを受けていてな』

『……証言では何て言ってた?』

『格闘ゲームに熱くなって、対戦相手に絡んで喧嘩になったのだが、どこからともなく現れた連中にやられたそうだ。肩に《幻想の終焉》という刺繍の入ったパーカーを着ていたらしい』

『ファンタズマの旗……か』

『おうよ。俺も久々にその言葉を聞いたな。里原が何か知っているかもしれんと気になったが、そうか。どうやら知らないようだな』


 知らない。

 ファンタズマが動いている?

 スイッチを押していないのに、勝手に起動するなんてことはあり得ないんだ。

 オレと冬音さんにしか押せないスイッチを……。


 ………。


 冬音さん……?


 彼女は遠くに出掛けているんだろ?

 ファンタズマの偽者か?

 いや、偽物が出た場合はメンバーからオレと冬音さんに連絡が入る。

 そういうシステムになっている。


『オッサン』

『なんだ』

『オッサンは動かなくていい。オレがちょっと調べてみる』

『……里原にとっても、これはイレギュラーってことか』

『まーな。システムにバグが起こっただけだろ。まだオッサンが動くには早いと思う』

『……わかった。少し様子を見よう』


 こうして、真夜中の電話は終わった。



  ◇



 そんなわけで、死神とナイトメアが不在の今。ちょっくら足を運んでみようとか思ったわけだ。


 マンションを出てまず先に向かったのは、オッサンの話に出てきたゲームセンター。

 世間では夏休みということもあり、午前中から若干の混雑がみられる。

 久々に、電子音や音楽で喧しいその建物の中に入ってみた。


 ゲーム機の配置とかが昔と全然違う。

 いつも見ていた顔ぶれも、もう居ない。当然か。

 さて、と気を取り直し、喫煙コーナーで暇そうにしている人に近づく。


「あの、ちょっといいですかー」


 オレに話しかけられた男は、私服だがたぶん高校生。

 いや、別に喫煙を注意する気はない。


「え? 俺?」

「そうそう」

「なに」


 煙で顔を包みながら、吸いガラを捨ててこちらに向き直る。


「昨日ここで喧嘩があったんだって?」

「おー、あったよ。あんた見てなかったの」

「野次馬するほどじゃねえかな、って思ってたんだけど……」


 するとオレの言葉に男は目を見開いた。

 急に生気に満ちた顔になる。


「マジかよー! 昨日のはヤバかったっつの。なんせあのファンタズマが出てきたんだぜ?」


 まあコイツがどこまでファンタズマについて知っているかは知らんが……。

 とりあえず合わせておくか。


「マジかよ! ファンタズマ!? 何人来てた?」

「えーっとよ、確か三人だった」

「三人共男だったか?」

「男だったぞ。なんか三人別々の色したジャージとか着てた」


 ……三人別々の色……だと?


「それってさ、赤と青と黒の三色?」

「そうそう! なんでわかったんだ?」


 ……こいつも浅い奴か。

 まあこのくらい訊けただけでも上出来だろ。


「いや、ただの勘」

「なんだそりゃ」

「とりあえずサンキュ、ほい煙草代やるよ」


 オレは例として硬貨を三枚ほど灰皿の縁に置いて、その場を離れた。

 あの高校生は昨日もゲーセンに居た。

 それにオレとそいつが会話している時、幾つかのゲーム機の方からこちらをチラチラと見ている連中も居た。

 大勢で来ている。

 そのうちの一人がやっている格闘ゲームを遠目に覗いてみると、スコアがなかなか高かった。

 ちなみにその格ゲー、夏休みシーズンの少し前に入荷された新台だ。

 入り浸っているってことだ。


「……で、お前ここでバイトしてどのくらいになるっけ?」


「あ、一年ちょっとくらいですかね」


 ちょうどゲーセンでバイトをしている知り合いを見つけたので、捕まえてみたり。

 仕事中なので建物の裏に行き、いろいろ訊かせて貰った。

 コイツとさっきの高校生の情報を照らし合わせてみると、昨日のオッサンの話が本当である事がわかった。


 でもってあの高校生連中、ここ一年くらい常連と化しているそうな。


「ありがとさん、バイト頑張れ」

「ハイ! えっと、ファンタズマは里原さんの指示じゃなかったんですね……」

「うーむ。それをちょっと調べてるんだ」


 一年も常連として通ってる連中が、ファンタズマの《ケルベロス3》も知らなかった。

 それはやはり、ファンタズマがずっと活動を控えていたからだ。

 昨日、突然動き出したのはこれで確実になったな。


「つーか里原さん。別に調べなくたって、佐久間の姐さんに直接訊けばいいじゃないですか」

「あー、いや。なんか用事があるとかで、どこに居るかわかんねーからさ」

「へ?」


 きょとんと首を傾げるバイト。


「いや、姐さん普通に街で見かけたんですけど……」

「いつ?」

「昨夜遅く……」


 と、バイトがそう言葉を放った瞬間――


「ぐえっ」


 オレはそいつの襟を絞めていた。


「てめえ、オレに嘘吐いてんじゃねえよ」

「い……いや、マジです……」


「つーか二年前に貸した漫画返せよ」

「それ今関係ないですよね!?」


「第八巻だけ抜けてて、我が家では一騒動あったんだぞ」

「それは素直にすんません……! でも嘘は吐いてな……い!」


 ここでバイトの襟を放してやる。

 相手は咳きこみながら、オレと目を合わせた。


「ケホッ、マジなんです。夜中、それも真夜中、コンビニへ買出しに行った帰りに見ましたよ。あの道を歩いてたって事は、集合場へ向かってたんじゃないですかね」

「……冬音さんが、この街に居るだと?」

「なんで驚いてるんですか?」

「いや、別に」

「つーか、なんか凄い威圧感出してて話し掛けられなかったですよ。あからさまにイラついてましたねーありゃあ」


 それだけ言うと、バイトは仕事へ戻って行った。

 オレはボーっとその場に残り、壁にもたれかかる。



 おかしいだろオイ。



 オレがナイトメアを預かった理由はなんだった?



 冬音さんが用事で遠くへ行ったからだ。



 でも冬音さんがこの街に残っていたのなら、ファンタズマを動かしたのは彼女だろう。

 意味がわからん。理由がわからん。

 実際、本当に冬音さんはこの街に居るのか?


 なんでナイトメアと閻魔さんに嘘を吐いた?

 なんでファンタズマを動かした?


 不可解な行動にも程があるぜ冬音さーん……。



 とりあえず……。



 会いに行ってみるか。



 ◇ ◇ ◇




 もう来ることもないだろうと、そう思っていた場所。

 街の外れは、昔のオレにとっての居場所だった。

 だけど今では来るべきでない場所になっている。


 古びた鉄の臭い。

 色褪せた建物たち。

 見離され、放ったらかしの場所。

 類は友を呼ぶとはよく言ったもんだ。


 この廃れた工業団地は、まさにそういった連中が集まるのにもってこいの場だった。


 その団地の中でも一際大きな廃工場。

 そこが、ファンタズマの集合場。


 毎晩のように集まっては、大騒ぎ。

 常に争われる、序列戦。

 ドラム缶で作られたリングの中、各部隊の精鋭が上位にのしあがるべく素手でタイマンを張った。


 頂点、《ヴァーテクス》に居たオレはとても楽しかった。

 冬音さんや、ケルベロス3と一緒に闘っている時は時間を忘れることができたから。


 禁忌、《フォビデンス》の連中には手を焼いた。

 まるで子供のような無邪気さで暴れ回るから。まるで敵を玩具としか考えていないように。いつも冬音さんに怒られていたっけ。

 怒られたら、しょんぼりと小さくなる連中の姿も、子供みたいだった。


 全部、昔の思い出。


 笑ったり、怒ったり。


 いけない事もやった。

 それが今では後悔の念となって、この地に対する拒絶感をオレに抱かせる。



 だが今は、行くべきだと思った。



 冬音さん。


 本当に、ここに居るのか?

 ナイトメアにも閻魔さんにも嘘を吐き、ファンタズマを突然動かしたというのなら。

 その真偽を確かめ、真なら理由を問わなきゃいけない。


 オレも、冬音さんも。

 ナイトメアの保護者として。



 廃工場の前に立つ。



 重い扉を、両手で横に開いた。



 昔なら、この瞬間に大歓声が溢れだしてきた。



 でも――



 中から漏れてきた音は、昔には遠く及ばない、小さな金属音。



――カァン。カァン。



 積み上げられたドラム缶の頂上に、彼女はいた。



――カァン。カァン。



 たった一人で。



――カァン。カァン。



 暇そうに、小石を投げてドラム缶にぶつけている。



「冬音さん」


――カァン。カァン。


「アンタなにやってんだよ」


――カァン。カァン。


 オレの声が聞こえているのか、いないのか。

 冬音さんはただ無言で、一人で、暗い工場の中で、石を投げていた。

 その表情は意志を投げているようにも思える。



「冬音さん!」



――カァン……。



 オレが叫ぶと、冬音さんの手が止まった。

 こっちへ振り向き、オレの姿を確認する。

 そして――パッと明るい表情に変わった。


「よう準!」


 なんともない笑顔でこちらに手を振っている。

 正直、あのバイトの話が嘘であって欲しかった。

 ファンタズマが動こうが、後でゆっくりと調べればいいから。

 でも、冬音さんがここに居るってことは、バイトの話は本当だったってことだ。

 ナイトメアと閻魔さんに嘘を吐いて、更にナイトメアをオレに預けて消えたってことだ。


「準がここに来るなんて、かなり久しぶりだよな!」

「なんでここに居るんですか」

「ん?」


 ドラム缶の山に近づきながら、上を見上げて冬音さんを見据える。

 彼女は――首を傾げていた。


「私がここに居ちゃいけないのか?」

「なんで閻魔さんとメアちゃんに嘘を吐いたんですか」

「何?」


 冬音さんは少しだけ眉間に皺を寄せた。

 軽快なステップで上から降りてくる。


 オレの目の前まで降りてくると、もう一度首を傾げた。


「嘘ってなんだ?」

「用事があって遠くに出掛けるって言ったんでしょう。メアちゃんを地獄に残したまま消えたらしいじゃないですか」

「………」


 少し黙って、オレの目をじっと見つめてくる。

 オレもその目を見返す。

 なんとなく――冬音さんの目は憂いを帯びていた。


「私は、そんなこと言ってない」


 ………。


「なにがです」

「用事だなんて一言も言ってない。嘘を吐いたのはメアと閻魔の方だ」


 正直、何を言っているのか理解できなかった。

 いや、少し動揺した。


「なら、なんでメアちゃんを一人地獄に置いて消えちゃったんですか」

「………それは」


 少し間を置き、再び彼女は口を開く。

 彼女は、とんでもないことを、言った。



「私がメアのこと、嫌いになったから」



「……は?」


「簡単な話。私がアイツ嫌いになった。だから、もう家に来るなって言った。それだけ」



 な、なにを言っているんだ?

 この人は、いつもの冗談を言っているのか?


「冗談でしょう?」

「うんにゃ、本当」

「メアちゃんにそう言ったんですか?」

「うん」



 な……。


 なんてことを……。



「なんでそんな酷い事を言ったんだ!」


「!」


 気付けばオレは怒鳴っていた。

 廃工場に、オレの怒声が響く。

 ここ数年は出した事のないような、怒声だった。



「な、なんでそんなに怒るんだよ準」


「怒るに決まっているでしょう! メアちゃんをなんだと思ってるんですか! あの子

はアンタが勝手に自分の家に連れてったんでしょう!? それでもう来るなだなんて……ふざけるにも程がある!」


「………」


 冬音さんは黙り込んでしまった。

 反面、オレの方は息が上がっている。頭に血が昇っている。

 落ち着こう。

 こういう時、冷静にならないと。後で困ることになる。



「いきなり、嫌いだなんて。どうしてそんな事を言ったんですか」



 駄目だ。

 あまりにショックが大きすぎて……ナイトメアの顔を思い浮かべる度、歯を食い縛らなきゃいけない。


 しばらく口を閉ざし、俯いていた冬音さんは、ようやく顔を上げた。

 今までの笑顔は取り繕っていたのだろう。

 今度は苛立った表情でオレを睨んでいた。

 こんな冬音さんを見るのも、久しぶりだ。



「嫌いになって当然だから、嫌いになったんだよ」

「なにがあったんですか。よりによって、メアちゃんの両親と会ってきた日でしょう?」



 オレの言葉に、冬音さんはカチンときたのか。

 今度は彼女が怒鳴った。


「なにが両親だ!」


「!?」


「両親!? なんだそりゃ、毎年会いに行くあの両親か? 馬鹿馬鹿しいったらないわよ!」


 い、一体、何に彼女は怒っているんだ。

 両親に会いに行った時に、何かがあったのか?


「メアちゃんの両親と、何かあったんですか?」

「……はぁ!?」

「いや、凄く怒ってるから。一応会いに行ったんでしょう?」


――ギリギリ、と。冬音さんが奥歯を噛み締める音が、オレの方にまで聞こえてきた。

 めちゃめちゃ怒っている。

 この人が本気で怒るんだぞ?

 そんな事、滅多にないんだ。


「私はなぁ……準よ……」


 彼女が何故そんなに怒るのか。

 その理由は、オレも想像すらしていなかった理由だった。



「私は……メアの両親に……会ったことなんて無いんだよ……」



 彼女はとても悔しそうに――

 とても苦しそうに――

 とても――

 怒りに満ちてそう呟いた。


「は? は、はは……」


 オレは、オレには――笑う事しかできなかった。


「はは……馬鹿な。何を言ってんだか。だって冬音さん、去年も行ったじゃないですか。オレや彩花さんも一緒で。グングニル街道って駅で降りてたじゃないですか」



「そのグングニル街道って土地の駅で……丸一日を過ごしたんだよ……私は」


「な……!」


「去年も……そして今年も」


 オレと死神が、ギルさん達に会っている間。

 朝から、夜まで……。

 ずっとあの小さな、古びた駅に居たって言うのか……?

 しかも……今年も。


「それは……なんでですか?」


 あまりに、ショックが大きい。

 さっきから。

 胃が痛い。


「メアちゃんも、ずっと?」


 冬音さんは首肯した。


「ああ、メアも。ずっと二人で、荷物抱えて、土産抱えて、ベンチに座ってた。メアは何も言ってくれなかった。両親に会いに行かないのか、と訊いても、返ってくるのは『ごめんなさい』ばかり」


 チッ、と舌を打つ。

 思い出してまた腹を立てたのだろう。


「それでメアちゃ――」

「もういいだろ!」


「え……」

「お前もいちいちメア、メア、って。うっさいんだよ! 地獄だの異界だのはもうどうでもいい! 関係ない! お前もファンタズマ抜けたんだろ!?」


 もうそんな話はしたくない。

 そんな気持ちがひしひしと伝わってくる。

 懸命に、声を張り上げている。


「ちょっと、冬音さ――」

「お前もハッキリしない奴だよ! 準、せっかく元リーダーのよしみでケジメ付けを黙ってやってるのに。ノコノコとこんな場所までやって来て。戻る気があると思ったらくだらん話をしにきただけだ」


「そんな。メアちゃんは大事で――」

「だからいちいちうっさいっての! 戻る気がないなら失せろ! ファンタズマは再始動する。そこにお前なんか必要じゃない。帰っていつも通りに飯でも作ってろ!」



 言わせておけば……。

 人の話ぐらい最後まで聞けよ……。


「そろそろ集会の時間だ。メンバーが来る前に出てけ」

「この……!」


 ギュ、と拳を握り締める。

 が、一度ゆっくりと深呼吸をして、ゆっくりと拳をほどいた。


 ……もういい。


 この人は……もういい。


 一日無駄に過ごして怒るのはわかるが、ナイトメアにむかって、あんなことは言ってはいけない。

 挙句、憂さ晴らしにファンタズマを再始動だと。


 もういい。


 この人は、この程度だ。

 姉妹みたいだと思っていたけど、やっぱりそれは『みたい』に過ぎなかったんだ。



「冬音さん、どうかしてる」



 そう言い捨てて、オレは廃工場から出て行った。

 ここはオレの居るべき場所じゃなかった。

 そして、やっぱりここから出て良かった。



――ふう。と、気持ちを整えるために溜息。



 空を見上げて、その明るさで苛立ちを洗い流す。


 よし。



「帰ろう」




 ◇ ◇ ◇




「ただいまー」



 部屋に戻ると、中からは騒がしい声。



「アハハハハ! メアいいよそれー!」


「私こんなの買ってないー!」



 もう帰ってきてたみたい。

 なんとなく、死神とナイトメアの二人の明るい声を聞いたオレは無意識のうちに笑みを零していた。



「おーい、買物はできたかー?」


「あ! おかえり準くん!」

「準くんおかえりなさいですー!」



 満面の笑みで出迎えてくれる二人。

 ナイトメアの笑顔が見られて、オレはどこかホッとした。



「見てよ準くん、メアったら超可愛いんだよー」


 死神に引っ張られ、ナイトメアの方に顔を向ける。

 うん、なんか違うなとは思っていたが……。


「んー?」


 じっくりと、夢魔娘を眺めてみる。


 おー。


「似合う! 似合うぞメアちゃん! ナイスなヘアピンだ!」


 そう。

 ナイトメアは前髪の一部分を、ヘアピンで留めていた。

 これがまた似合う。

 印象がさらに明るくなった感じだ。


「ホントですかー?」


「おう、いいぞそれ」


「私が見つけてきたのー!」


「でかしたぞ死神!」


 三人で、テーブルの上に置いた買い物袋から中身を取り出しては、笑い合っていた。

 もー、死神はやっぱり余計なモンばっかり買いやがったなー。


 なんだよこれー。

 入浴剤か?


 ………。


 《爆弾の湯》



「死ぬわー!」

「なによコレー!」

「なんじゃこりゃー!」


「テメーが買ったんだろ!?」

「なんじゃこりゃ、じゃないわよ!」

「爆弾の湯ー!」


 こうして三人の叫び声が部屋の中に溢れ、笑い声に変わったりする。

 うん。

 これでいい。


 ナイトメアは、ウチに居ればいい。


 ここにはオレが居る。

 死神も居る。


 笑顔がある。

 楽しさがある。


 だから、ウチに居ればいいんだよ。


「よっしゃー! 飯食ったら爆弾の湯だな今夜は!」


「一緒に入ろうぜ準くん!」

「許すわけないでしょー!」

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