PHASE.1
ある昼下がりのことだ。時は天正六年の初夏、場所は京都二条。
当時の日ノ本の覇者、織田信長の新邸がそこに建っていた。
この年の織田信長は我が世の春を謳歌しつつある。一月、自らが建設した王都、安土に岐阜から居を移し、畿内での地歩を盤石なものとしている。
この六月は上洛して祇園会の観覧に出た。未曾有の大雨である。賀茂川・白川・桂川と言った京の主要な川はすべて氾濫し、新たに架けた四条の橋も上京の舟橋の町も一気に押し流された。信長自身も、安土から舟での移動を余儀なくされるほどだ。
しかし元来、ことは酔狂の方を望む男である。
「津島の舟祭りを思い出すでかんわ」
どよどよと、降り続く雨を見てむしろ白皙の表に笑みを上らせる。
「天は、この信長に舟いくさをせよとてか。こは吉兆だでや」
これで十四日、小姓を連れて祭り見物に出たと言うから、織田信長と言う男の酔狂が度を越していることが分かる。しかも馬廻り衆、小姓は武器を携えることを一切許さなかった。京都の治安について、信長の自信のほどがうかがえる。
(この王都を侵し尽くす出水は、いかさま我がごときものだでや)
洪水災害にもまるで、怖じる様子はない。天変地異をも、信長は吉兆と喜ぶ破天荒な気性の持ち主だった。
お供を帰すと、そのまま鷹狩りに出かけるよう準備を命令した。小姓十人に出立の時刻を下知すると、わずかな時間に来客を迎えたようである。
「なんだ、芸者か」
奏者を務めた小姓の一人は眉をひそめた。相手はと言うと口寄せもすれば神楽舞もする、あのうさん臭い歩き巫女のようなのである。
この時代、遊芸を催す芸者は公家衆の間にあまた出入りしたが、信長がこれを好んで呼びつけた、と言う話は聞かない。どちらかと言えば、相撲見物の方が性に合っていたらしい。公家衆や商人たちとの付き合いは、茶道具が関の山である。
それが一人、供連れで旅の遊芸者を迎え入れているのだ。取次に出た小姓によれば、歳は二十歳前後、輝くばかりの瑞々しい垂髪の美しい娘らしかったが、衣装は当然、旅塵にまみれている。
「左文字を」
お返しに上がりました、とのみ、女は信長に伝えろと言うのである。
(はて左文字)
小姓はここでもう一つ、首をひねっただろう。この女性、なんとあの信長から借りものをしているのである。戸惑いつつもこれを信長に伝えると、
「よい。そのまま、すぐ通せ」
と短く言うのみだ。女は佩刀を持っていた。まさか武装のまま、通すわけにはいかない、そう思ったのだが、信長に腹立たしげに、よいからそのまま通せ、と言われれば逆らえるものはいない。
余人は入れない。完全な人払いを厳命された。
小姓の頭に残ったのは、左文字、と言う言葉と、女が返しに来たと言う佩刀の拵えだ。どこかで見たことがある。
(そうだ)
左文字と言えば信長きっての愛刀、義元左文字ではないか。
記録は、ここで途切れていた。
僕の夢想も、ここで途絶えている。それがある文献から読み取ったある日の信長の変事である。もちろんこのイメージは『信長公記』など確たる傍証記事で補強したものだが、無論、ただの空想でしかなかった。この歩き巫女の女性が何者か、物語はどこへと、進んで行ったのか。読者にそれを辿る術はない。どうしてこんな話ばかり、遺ってしまったのか、いつも僕はそれを考える。
この話を蒐めた、小泉八雲本人にも分からなかっただろう。僕はこの女性について知ることをすでに諦めていた。
九王沢慧里亜、と。
もし、僕がこのまま、彼女と出会うことがなかった、としたなら。
僕は亡き妻との約束を、果たすこともならなかっただろう。
アーニー、あなたの左目、幽世が見えるのよ。
今でも時々、亡き妻の声を思い出す。それはもう、はっきりとした声の風采をまとった鮮烈な思い出ではない。飽くまで僕の人生の記録としての点景だ。
それでもたまに、妻の声が実際聞こえてきたような気がして、はっと辺りを見回すことがある。真夜中、何の脈絡もなく夢を見たり、デッキに腰かけてぬるい午睡の中に浸っている、そのさなかである。
例えばその夢の中で、僕は彼女のために、彼女が好きな醤油とバターだけで味をつけたレタスのスパゲティを作っている。午後の陽が森の中に落ちて、妻は木漏れ日の中、飛行機で読み残した本の続きを読んでいる。
「アーニー、あなたの左目のことよ」
書物から目を上げずに、彼女は言う。
それはイラクで患った、僕の左目のことだ。命に別状はなかったが、僕の目は手術を余儀なくされて、醜く白濁してしまった。視力は一気に落ちたし、今でも裸眼で人前に出る勇気はない。お蔭で僕は、公の場ではあまり好きではないサングラスをかけることを余儀なくされた。しかし妻は気にするな、と言い続けてくれた。それは、僕たちが結婚するその前からだ。
「これは、あなたに慰めで言ってるんじゃないのよ?」
その証拠に、妻は左目を損なった僕を選んでくれた。僕の左目を、妻は本気で羨ましい、とすら言ってくれたのだ。
「わたしもたまにね、見えたらいいなと思うもの。文献や想像力だけじゃなくて、本当にその目からこの世界に、漂っているものを」
だからね、一つ約束してほしいの、と妻は言う。
「わたしが死んだら、わたしをどこかで見つけて。必ずどこかにいるから。ちゃんとあなたに合図するから。忘れないで」
「あの世から合図するなんて、まるでエジソンだね」
さして上手いジョークでもなかったが、妻は笑ってくれた。彼女がエジソンとテスラの本を読んでいたのを僕が盗み見していると分かったからだろう。生前、発明王エジソンは宣言していたのだ。自分が死んだら、あの世から必ず交信する方法を考案すると。
「そんな遠いところから合図しないわ。わたしはたぶんこの世界にいる。あなたの見えるところに必ずいるから」
「分かった、任せて」
妻の苦笑に僕は片目をつむると、香ばしい匂いを放つ熱したレタスと醤油風味のパスタを皿の上へぶち上げた。よく冷えたドイツワインのボトルの華奢な鶴首を掴んで、琥珀色に煌めく中身をグラスに注ぐ。
「死んでも僕とは、別れたくないって言うことだろ?だったらまず、わざわざ死ぬ必要がないと思うけどな」
「そうね。まずは、それに越したことはない」
彼女は片頬に笑みを浮かべて、肩をすくめてみせた。
「何しろあの世は、遠すぎるもの。ねえもう二十一世紀よ。だけど、エジソンだっていまだにあの世から、ホットラインを開通したりはしていないでしょ?」
「もし実現しているなら、念のため今すぐに、契約しておきたいけどね」
くっ、くっ、と僕たちは詰まらないことで笑いあった。
「でもね」
と、その後で妻は言った。
「今の、ただこの場のジョークじゃないのよ。忘れないで。わたし必ずあなたに合図をするから」
「そうだね」
トレイに二人分の食事とペアのワイングラスを載せて運びながら、僕は言った。
「いるさ。何があっても、少なくとも、僕の近くには」
そう言うと、妻は寂しそうに苦笑した。自分の訴えの真意は、そうではないのだ、と言うことを今のやり取りで諦めた、とでも言うように。
夢想を破られてふと気がつくと、研究棟の下の広場が異常に騒がしかった。二階から見るとむさい男たちが、芋の子のように押し合い圧し合いして群れている。ここは山家の地方大学だ。甲府市内からバスではないとたどり着けない立地の周りには、ほぼ森しかない。授業のない学生は漏れなく、街へ繰り出すのだ。
僕がコーヒーを淹れて落ち着こうと応接セットの裏の給湯室に足を運ぼうとすると、封鎖されたバリケードを破るかのような勢いで、どん、とドアが開いた。目をひそめて無遠慮を窘めようとしたところで僕は、つぐ言葉を喪った。
そこにはこの世のものとは思えない美しい娘が、当然のようにして現実の風景の中に佇んでいたからだ。
彼女が、あの、九王沢慧里亜だったのだ。
「ここです。ウィンズロウ先生の研究室。先生、お客さんです」
ドアを乱暴に開けたのは、レスリング部の体格のいい生徒だ。
よほど彼女のために役に立つことが嬉しいのか、誇らしげな口調を隠さず僕を紹介する。まるで自分の家のようだ。そう言えば、僕の講座を受けている子だった。
「あ、ありがとうございます…」
九王沢慧里亜は、おずおずと言う。なにもこんなに、大勢で案内してくれなくてもいいのに、本人も面喰ったのだろう。ただ、無理もない。彼女の、今、形作られたばかりと言うような唇のあわいから洩れる澄みきった声音を聞いてしまえば大抵の男は、びっくりするほど親切な紳士になるだろう。
「あの、比較文化研究のアーネスト・ウィンズロウ先生で、いらっしゃいますよね」
「はい」
僕は急きょ、自分の分以外のカップを取り出すと言った。
「ご用事はあなたお一人で?それとも、ここにいる皆で?」
半分ジョークでなく、僕は尋ねた。僕の研究室には来客が少ない上、カップもさすがに十数人分は用意がないのだ。
「いえ、俺たちは甲府に戻ります。何か、難しい話みたいなんで」
「難しい話?」
と言う僕に、九王沢さんは小さな冊子を取り出した。
「ウィンズロウ先生と、直接、お話ししたいことがありまして」
どうやら僕も、紳士の義務を果たさなくてはいけないことになるようだ。
「改めましてわたし、九王沢慧里亜と言います。よろしくお願いします」
と、彼女は自分の経歴を話すと、紹介状をくれた。それがまあ、びっくりするような重鎮の名前だった。
「ウィンズロウ先生とは、比較文化研究のシンポジウムで何度か。その、わたしのことは憶えていない、とは思うのですが」
そんなことはなかった。むしろこっちの方が、彼女に認識されていたこと自体が、奇跡のようだった。彼女に会う前から僕は、目に留めていたのだ。
九王沢慧里亜、と言う一風変わった名前を。
目の前にいる非現実的なほどに美しい娘は、若干二十歳にして英国で博士課程を二つもとり、十数か国語を自由に話す才媛だ。その彼女がイギリスから日本に来て、近代明治文学を通して東西の文化研究をしているのだと言う話題はトピックスのないこの世界の話題を一気にさらった。
本邦にとっては、まるで南方熊楠を逆輸入したかのようだと大騒ぎである。実際、比較文化と宗教について書かれたいくつかの論文は、すでに俎上になっており、僕も目を通したが世評以上だった。
「で、用事と言うのはなんですか。あなたが来るからには、やはり僕の専攻のことでしょう?」
「え、えっと、それが…」
と、コーヒーに口をつけてほっとひと息した彼女は、ごそごそと手提げバッグから何かを取り出そうとする。恐らくこの山奥に来てコーヒーを飲んだら人心地がつきすぎて、要件のことをすっかり忘れてしまったのだろう。恐ろしくハイレベルな経歴に比して本人は、拍子抜けするほど邪気のない女性なのだった。
「そう慌てることはないですよ。こっちはそれほど忙しくないから、ゆっくり話してくれていいよ。午後の講義も今日はないし」
「あっ、これです!」
と、取り出されたプリントアウトを見て、僕の表情が停まった。一見してそこに、見逃すべからざる名前が書かれていたからである。
「初震姫について、お話を伺いたいのです」
「初震姫の」
僕は思わず息を呑んだ。その名前はすでに公の世界では、歴史の闇の中に埋もれて久しいものだったからだ。そして僕にとっては、妻との思い出の一部に過ぎない。まるで使っていなかった部屋の物置を一気に開け放たれた気分だった。
「五年ほど前、とある季刊誌に小話を寄稿されていましたよね。わたし、それを拝見させて頂いたのです」
と、言う彼女の言葉にも、僕は驚かされた。あの話は、怪談や妖怪好きの好事家が集まって作ったような本に、知り合いの気安さから僕が戯れに小さな説話を書いたものだ。学術的な話ではなく、本当に雑感、と言ったものなので、僕の著書には、一切採録されていない。九王沢さんは、なんとその作品を話題にしているのだ。
そしてもっと、驚いたのは。
「初震姫が、実在した、と言うことを先生はお信じになられますか?」
彼女が持ち込んできたそれを見て、僕は思わず自分の正気を疑った。
九王沢さんが持ち込んできたのは、くたびれた和紙の断片の写しだった。紙の具合から見て実物を見ていないから断言できないが、変色の具合や描かれた文字の書体から、数百年前のものであろうとは思われる。驚くべきは簡素なその書状の内容だ。
『廻国勝手差許』
としたその書状は、織田信長が自分の領内において、その責任者に対して彼女が自由な行動を取ることを保障したものだった。
仮名混じりで『はつふり姫』の名が、確かに見て取れる。
「書状は天正六年六月、織田信長が洪水の見舞いに京都を訪れたときのこと、となっています」
「驚きましたね。これは、本物ですか?」
九王沢さんは微笑して断言を避けたが、昨今ある由緒ある旧家で発見されたもので、まだこれから正式な検証が待たれているものだと言う。
「問題はこれが、織田信長の直筆ではないか、と言うことです。天正六年の安土城時代以降は、信長の書状には花押がなく、印判に完全に切り替えている、と言うのが一般的な説ですが」
なんとこれは筆の運びからしてその場で認めたものらしく、下手をすると信長と賜った本人、その二人の手しか介していない可能性が高いのだそうだ。つまり花押が手元になく、信長の祐筆(手紙の代筆役)もそこにいなかったと言うことだ。
「し、しかしこれが信長の自筆の書状となると」
思わず僕の声が震えた。こんなところに持ってきてもらっても、僕には対処のしようがない。僕は何しろ外国人であり、日本文化が好きだと言うだけで日本の地方大学でどうにか博士号をとっただけの、ただの好事家だ。しかしそれは問題にしていない、と言う風に、九王沢さんは頷くのだ。
「織田信長自筆の書状として現在確定しているのは、重要文化財ですね。永青文庫の所蔵になる若き日の細川忠興に宛てた感状と言われていますが、わたしが問題にしたいのは、信長よりむしろこの『はつふり姫』のことです」
「彼女の話を僕から聞きたい、と言うならば、叩く門を君は間違えているよ」
僕は即座に言った。そもそもこの『はつふり姫』、『初震姫』の文字を充てるところまでは僕にでも分かっているが、本来は中世の神職の研究家が本道だ。説話の記録はともかく、この初震姫、その道の研究者の頭を悩ませる正体不明の巫女なのだ。
「僕は外国人だし、はっきり言って門外漢だよ。そもそも、僕が話を聞いたのは」
「八雲ですね?」
ずばり言うと、九王沢さんは謎めいた笑みを浮かべて僕を見た。
「あなたは比較文化研究で、わたしと同じ、小泉八雲の研究家のはずです」
言われて僕は返す言葉もなく、ただ悪戯にコーヒーを口に含んだ。
知らない方のために一応、書いておく。小泉八雲、一八五○年ギリシア、レフカダ島で産まれる。本名ラフカディオ・ハーン、帰化して小泉八雲を名乗る。英文科講師として明治日本に来日、まだ知られざる日本文化を紹介する作品を海外に発信した、近代稀有の作家である。
ホラーファンには『日本の妖怪』を発掘した人物として認知されている。『雪女』『のっぺらぼう』そして『耳なし芳一』はいずれも彼の著作で認知度を広めたものだ。
とまあ、ここが一般論で小泉八雲の研究にしても、僕は最先端にいる人物ではない。初震姫の話だって、自分が傍流である気楽さから、つい、書いたものだ。
「実はその件で、先生には協力して頂きたいことがあって伺ったんです」
九王沢さんは、柔らかな微笑を僕に投げかけてくる。
「先生に、わたしからぜひお願いがありまして」
その謎めいた美しさはそのまま、僕の中で初震姫の印象に重なった。
「相良七叡の名をご存知ですか?」
と、九王沢さんは、確信犯的な口調で僕に訊ねる。もちろん調べがついているからこそ、ここへ来たのだろう。僕はそう思ったが、
「ああ、中世史、民俗風土の研究でも戦前から権威だね。七叡先生は、学術的には僕の師匠のまた師匠だよ」
他に言い方もあるが、僕はそれは相手が話すまで黙っていることにした。
「失礼ですが相良澄子先生は、ご親族でいらっしゃいましたね」
「僕の妻の祖父です」
僕は隠さずに言った。自分で言うことではないが、聞かれたら答えるつもりではいた。
「相良先生ご自身も、七叡先生の活動に、強い影響を受けておられたようで」
「そうだね」
ぬるいコーヒーを口に含んで僕は、簡潔な相槌を打った。
確かに僕の妻、相良澄子が文化人類学の道を歩んだのはもちろんこの、七叡との関わりを見逃すことが出来ない。澄子は幼少期、晩年の業を終えて隠棲した、七叡の家で過ごした夏休みの思い出などを何度となく、語ってくれた。
「初震姫の話も、七叡先生からのお話のようで」
「まあ口伝、のようなものだけどね」
僕は苦笑した。妻は言っていた。七叡は晩年、この山梨に根を下ろし、彼らのような歴史に埋もれた歩き巫女たちの研究に没頭したのだ。終戦後、学会の主流を外れてから、全くの陽の目を見ない風土研究だった。
ちなみに歩き巫女、とは特定の社稷を持たない流浪の巫女たちのことである。
その出自は出雲社や熊野社など、いくつかの名山霊所に根拠を置くとは言うものの、ほとんど根なし草と言うに近い。いわば旅から旅に消えた、泡沫のような女性芸人である。
その生業も多種多様、神楽舞や剣舞を踊って道中人の耳目を集めるものもいれば、背負って歩けるほどの木箱にご神仏を背負って入れ、なまくら祈祷をしたり災厄除けの札を売ったり。怪しげな口寄せで素朴な村人を惑わしたものもいた。また乞われて戦陣で春を売るものも少なくなかったので、江戸期の遊女、花魁の祖先とも言われる。
翁が山梨でこの研究に没頭した理由は、ひとえにその地縁にあろう。
この草深い領国では、武田信玄が望月千代女に命じて集めた、信濃巫、と言う歩き巫女たちの組織があったとされるのだ。ちなみにこのシステムは中世以降も残っている。旅芸人たちのギルドのようなものだ。
抱主と言われる頭目が、見目の麗しい少女たちを買い集めて修行させ、関西辺りに派遣していたらしい。京都の置屋芸者の仕組みにも通じる。七叡はその経験者の生き残りの老婆たちから、聞き取り取材を行うのをライフワークにしていたようなのだ。
「初震姫は信濃巫の係累なのですか?」
「いや、違う。彼女たちは元々、諏訪社を寄る辺にしているんだ」
諏訪湖の龍神を信奉する諏訪社は、武田信玄が、実父を追放すると言う壮絶な家督相続の折に、はじめに狙いを定めた信濃の支配者である。かの地を制圧後、信玄はそこに諜報機関を組織した。信濃巫たちが本拠とした現在の東御市も、地理的関係から言えば甲斐山梨にほど近い南佐久郡に属する。
「つまり、初震姫はそうした諜報機関に属さない、いわゆるフリーランスの工作員だったと言うことでしょうか?」
「本地はどこかにはあるんだろうけどね。信濃巫たちが政府系諜報機関とすると、初震姫は確かに、フリーエージェントの雰囲気はあるだろうね」
そもそも遊行の神職、と言うのは、ただの放浪人なのだが、戦国乱世ではその意味合いを持たない。例えば時宗の遊行僧である『阿弥』号を持った男性の僧が、いつの間にかかの地に居座って大名になってしまうことだってあり得るのだ。ちなみにそう言った起源は、かの徳川家はじめ戦国以来の大名家には多々散見出来るものだ。
「初震姫が織田信長から、領国で遊行の許しを得ていた、と言う今回の史料は、知られざる初震姫の活動を裏付けるものですね」
「まあ、色々と想像する材料にはなりそうではありますが」
僕は苦笑したが、九王沢さんの目は新しい玩具を見つけた子供のようにきらきら輝いていた。果心居士や飛び加藤などの例を挙げるまでもなく、中世の諜報活動に従事した人材たちは説話や怪異譚の主人公でしかない。ほぼ架空の人物だ。
「この書状にしても初震姫は信長に会った、と言うけど、それを裏付けるような一次資料はいくら探っても出てこないだろうね。例えば八雲も、信長に謁見した果心居士を描いているけど、もちろん『信長公記』等にそれらしい記述はない」
「それでも八雲は初震姫を書いたのですよね?」
「七叡に拠ると、ね」
七叡自身も地方の口伝や古記録などで、『はつふり姫』の名前を知っていたが発表の段階には至らず、それを裏付ける八雲の草稿もその実在が把握できぬまま、現在に至っている。
「では」
と、なんの前置きもなく、九王沢さんは言う。
「七叡の蔵書に、興味がありませんか?」
コーヒーを噴きそうになった。しかし九王沢さんは、完璧な天使の笑みで、僕の反応をうかがうのだった。
七叡の大量の蔵書が眠る寓居が、長野県諏訪郡原村にあると言う。正直、青天の霹靂だった。七叡の死後、財産分与が行われた後、それでも遺ったものは財団の管理を経て、ほとんどが地方自治体への寄付受け入れでことを収めたと思っていたのだが、まさかまだ不動産があったとは。
「昨年、財団が解散して財産の整理が行われたようなんです」
亡妻によると、相良家の長兄が財産の理事で、七叡の所有していた不動産及び美術品、蔵書を整理して一括管理していたそうだ。その兄が昨年末、卒中で急死し、財団は一気に解散の途をたどることになったらしい。その資産整理の段階でこの原村にあった、小さな別邸がその整理の対象に挙がったのだと言う。
「もしかしたら八雲の草稿が、七叡の手元に遺っているかも知れないんです」
要は僕にその、鑑定人及び立会人をお願いしたい、と言う依頼なのだった。
妻がいたらな。
前途の期待より、まず持ったのはそんな感情だった。九王沢さんが持ち込んできてくれた話は僕にとっては願ってもないことだったが、そのオファーに対して、もっとも相応しいのはやはり、妻にしかなかったからだ。
「八雲もあなたと同じ。見なくていいものが、見えなくなって、見たいものが見えるようになったんだから」
小泉八雲はまだ、パトリック・ハーンだった十三歳のとき、綱遊びで怪我をして左目を失明、その後も残った右眼の眼疾に悩まされたと言う。本人もそれを気にしてか、八雲の肖像や写真は、ほぼ目蓋を閉じたり、伏し目がちにしたものになっている。八雲にとっての自分の目は、堪えがたい西欧近代社会から脱出してきたコンプレックスの象徴に他ならなかったのだ。
でもそんな八雲の目に、ケルトの妖精や日本の妖怪の姿が見えたのは、その弱視のお蔭だったのだと、妻は、中東の砂漠で怪我をして、幻覚に悩まされていた僕を慰めてくれた。
「あなたはおかしくなったんじゃない。むしろ、幸運なのよ」
妻は、八雲の人生の良き面だけを使ってそれを僕に信じ込ませてくれた。それもただの一度じゃない。自分の一生、残されたすべての時間を懸けてだ。その言葉が幻覚に悩まされて除隊になった僕へのただのその場限りの慰めでなかったことは、僕の人生で唯一得た、得難い救いに他ならなかった。
翌日、僕は運転手を引き受けた。甲府市内に宿泊しているだろう彼女を迎えに行こうと駅まで行くと、スーツケースを持った九王沢さんがロータリーでこちらへ向かって手を振っているのをすぐに発見できた。
本当に絵になる女の子だ。遠目にもたった今、山清水に晒したような光沢の黒い髪が朝靄覚めやらぬ盆地の陽に輝いている。その姿にまず見とれてしまった。まるで映画のワンシーンだ。立っているだけでファッションモデルですらも霞むほど美しいフォルムだった。バスに乗る学生たちが振り返って、二度見、三度見していた。九王沢さんはブリティッシュのクォーターなのだ。白人の社会にいたたまれず、こっそり来日したと言うような事情を抱えた八雲と僕とは色々な意味でまさに好対照だ。
「今日も暑くなりそうですね」
と、言う割には、汗一つ掻いていない。黒いリボンのついたボーダーのサマードレスはシンプルでいて高価そうで、まさに避暑地のお嬢様だ。近づくと、ふわりとシャンプーに混じって円い、えもいわれぬ芳香がして息が詰まる。しかもよく見ればはち切れそうなバストは目のやり場に困る。
わたしはさぞ、あとのお楽しみの多い優雅なバカンスを楽しんでいるように見えたに違いない。つくづく損な役回りだ。
向かう原村は、諏訪ICの近くだ。高級リゾート地としても知られる八ヶ岳が見える絶景で、やはり現在も別荘地として愛されていると言うが、となると七叡の別荘もそう悪くない物件なのではないか。
「あ、あと、これはお話していなかったのですが、わたしたちの他にお客様が三名ほど、いらっしゃいまして。待ち合わせの段取りを取ったのですが、現地集合にしたい、との希望で」
「弁護士さんとかかな?」
察して僕は聞いた。どうも一人は、そうらしい。と、なるともう二人は、潰れてしまった財団の関係者だろうか。
「東京から美術商さんがいらっしゃるんです。確か銀座玉隴堂堂の、香村さん」
僕は声を上げそうになった。銀座玉隴堂と言えば、美術品鑑定では僕でも名前を知っている最大手だ。墨跡、陶器、中世から近代の日本画、日本刀など、手広い守備範囲に、二十名以上の専門家がいる。だが古書の取引まで取り扱っているとは思わなかった。
「実は昨日、お目にかけた信長自筆の許可証は、この銀座玉隴堂に持ち込まれたものらしくて」
正確な情報ソースは公開されるはずはないが、やはりさる旧家の遺品の中から出たと言う。
「書状が出たのが九州だと言うので、早速行ってきました。ウィンズロウ先生は先ごろ、熊本である画期的な発見があったのをご存知ですか?」
僕は頷いた。一応、八雲関連のトピックスは余さずチェックしている。初震姫の存在が確認できる逸話が、旧い記録から発見されたと言うのだ。
「取り沙汰されたのは、ある古い地元医家の聞き書き、とされていますね。ここにある戦場で斬殺された陣僧の亡霊の、不思議な独白が描かれている、とのことですが」
その陣僧は耳川の戦いに参加した、と言われている。
これは天正六年(一五七八年)の秋、豊後大分の英雄、大友宗麟が薩摩島津勢に大敗を喫した大いくさで九州戦国史でも最大のトピックスになった大乱である。
陣僧は青年の美僧で、ある茶器を持ち込んで主君の宗麟に取り入ったのだとされる。しかしその茶器は盗品で、西国から来た刺客によって、僧はいくさの最中に秘蔵の茶器を奪われ殺された、と言うのだ。
「そのうちの一人は、出雲の『小野桐峰』と言う御師、とされています。これは、別の記録から確認されました。耳川合戦の大敗を事前に予想し、宗麟に派兵中止を求めた軍師・角隈石宗の元に、寄寓していたとされますが」
当日まで出陣中止を進言した角隈石宗。
その不吉の原因の一つに、中国地方から来たこの妖しい陣僧を挙げていたと書く野史があるそうな。記録を読むにその出雲の御師は確かに陣僧の暗殺に成功したのだろうが、結局、石宗の想いは実らなかったのだろう。石宗は大敗の渦中に巻き込まれ、最後は自ら秘蔵の軍法伝書を残らず焼き捨てて、一兵卒として玉砕した、と『大友興廃記』にある。
まあこの記録では反対に陣僧は、石宗に謂れなき陰謀を疑われ、暗殺されたのだ、と亡霊の怨念を掻き口説いたのだそうだが。
「この故事が、いくさから四年の天正十年の夏のことだったとされています。話はその陣僧が毎夜、奪われた茶器を求めて戦場跡を徘徊するようになってから、のことなのですが」
ほどなくして謎の歩き巫女が、災いを祓いに土地を訪れたと言う。
「あはれなり。いまだ、おはせられしか」
話を聞くと、巫女は訳知り顔で頷き、三日も真夜中の戦場を往来し、ついにはその陣僧の亡霊を追い払ったそうだ。
女は、初震、と自分の名を名乗った。そして皆を集めて剣舞の祭祀を伝え、毎年同じ時期にこうして陣僧の霊を慰めるよう、言い伝えたのだと言う。
「記録には、若い女の姿と剣舞に使った奇妙な刀の特徴が記されていました」
切り揃えた黒い垂髪に、無地の巫女衣装を着た、見目麗しい娘。持っていた剣は刃の部分まで黒光りしており、物打ち辺りから腹に点々と、流れ星に似た不思議な光芒が浮き上がっていたと言う。
「そは星震の太刀とこそ、言ひけれ」
そこで同所ではその祭祀を星震舞、と名付けて催すこととしたそうだ。
ちなみにその特異な太刀を持った女が、耳川の戦いに参陣していたのを証言した村人が結びに登場している。その村人こそ、角隈石宗の陣に徴用された、足軽の生き残りだと言う。
「八雲は恐らく、今回発見されたその記録を読んだのかも知れません」
「可能性は高いですね。小泉八雲は明治二十四年(一八九一年)、持病だった目の療養のため、日本柔道の祖、嘉納治五郎が校長を務める第五高等中学校に英文科講師として九州熊本に赴任していますからね」
僕は記憶をたぐりながら答えた。
当時熊本に作られた第五高等中学校は、帝大エリートを排出するまさに最先端の官学校だ。学生たちは九州全土のみならず、四国、中国からも足を運んだと言う。相良七叡も多分に漏れず、日向(宮崎県)の貧乏士族の出だった。名講義として評判だった八雲の薫陶を、彼はここで受けたのだ。
八雲の文章家としての目的はまさに、旧き日本の精神の在り方を描く物語の執筆だった。熊本はエリートが集まる官学校だったが、各地から学生が集まったために取材には事欠かなかったはずだ。
相良七叡は、日向伊東氏に連なる士族の出だったとされる。相良氏と伊東氏の関わりは深い。この二家こそは耳川の戦いで運命を翻弄された地方の小豪族なのだ。
ちなみに九州の地における相良氏は鎌倉以来の名家であり、この時期、存亡の憂き目にあったが、宗麟の命運とともに何とか生き残っている。
江戸期は熊本人吉藩の藩主だ。七叡はその傍流末裔を称する。もちろん家禄から言えば相良を名乗るだけで、系図に載るかどうかも怪しい血流だが、七叡なりにその自負心は持っていただろう。
八雲の話はそんな相良氏の傍流の少年が生まれ在所の、困った話を語ったところに出てくる。七叡の近在ではいまだに、霊験あらたかな巫女や遊行僧を騙るものがたまに現れると言うのだ。旧家の主を語らっては、その家の由緒ある財宝を持ち逃げしようと図る詐欺まがいの祈祷師が横行していた。
八雲はその話を興味深げに聞いてくれたと言うのだが、あるとき七叡がその話をすると、彼は即座に瞳を輝かせてこう応えた、と言う。
「それは、はつふり姫だったかも知れませんね」
八雲の話では、そのはつふり姫とは、古い歴史ある品物に憑く、悪縁を祓う巫女らしい。八雲の日本語はもちろん、今の来日外国人が流暢に話せるようになるほどに上達しなかった。いわゆる、
「ヘルンさん言葉」
と言われる独特の口調であり、この時も何がしか聞き覚えの古い民話を材にそのはつふり姫の話をしてくれた、と言うのだが、七叡はその意をほとんど汲めなかった、と書いている。
しかしこの八雲の解釈が、相良七叡の頭の中にずっと残っていたのだろう。七叡は帝大に入り、歴史学に歩を進めたところで、折に触れて各地に似たような事件が起きていたのを知る。追跡調査によると野史ながら名物の穢れを洗い落とす、初震姫は、確かに存在したのだ。
「ここを真っ直ぐ、たぶん標識が出ていると思います」
「そこを右だったかな?」
九王沢さんは、はっきりと頷いた。初めて来たと言うが、彼女の案内はGPSでも搭載されているんじゃないかと思うくらい、精確だった。
畑の傍に置かれた道祖神の向こうに八ヶ岳の連山が青々とそびえていた。この辺りは見晴らしがいいがその代りに目印となるようなものがない。道は碁盤目に引いたように真っ直ぐどこまでも続いていくので角一つ曲がり損ねただけで、大きく引き返さなくてはならなくなるのだ。
「次はどっちだったかな?」
そう言ったときだった。九王沢さんは手元のスマホを見て声を上げた。
「ああっ、失礼します!」
と、なぜか九王沢さんはいそいそと電話を取る。急な連絡だろうか。そんなことで慌てるとは、綿密な段取りを組んできた彼女には似つかわしくなかった。
「那智さんですか?おはようございます。はい、十時です。ちゃんと起きられましたか?原稿の方は…良かったです!飲みすぎたりしてませんか?…はいっ、またお昼にお電話しますね」
二、三分ほど話すと九王沢さんは、気を遣って黙っている僕に誇らしげに言った。
「彼氏です」
やっぱりか。別に聞きたくはなかったのだが、衝撃的だ。どこの幸運な男かは知らないが、これほどの才媛を射止めた不届き者がいるのだ。しかもその彼女に、モーニングコールまでさせるとは、これはかなりのつわものだ。
「僕といることは、話さなくても良かったのかな?」
「はい、調査の内容や計画については、もう話してありますから」
九王沢さんはさらりと言う。現代っ子と言うのか、あっさりしたものだ。僕と妻の間柄のことでは、考えられない。
「あ、そうだ。ウィンズロウ先生に替わってもらえば良かったのでしょうか。…那智さん、嫉妬、してくれたかもですか?」
「するだろうね」
僕は断固として言った。実際、僕が彼氏だったとしたら、どんな事情があろうと、こんなに人目に立つ恋人を一人で歩かせたりはしない。
「あ、もしかして。これが束縛、と言うものでしょうか?」
新しい言語を獲得したと言うように、九王沢さんは瞳を輝かせた。
「じゃ、じゃあっもう一度お電話をしましょうか」
「わざわざ遠くにいる彼を、心配させることはないよ」
僕は苦笑して言った。僕も、かなりいい年齢だ。学内でもそうだが、若い子たちの恋愛は、端で見ているだけでお腹いっぱいである。
「生まれて初めての彼氏です」
「まさか」
とは思ったが、まるで今、この世に誕生したばかりの初々しい彼女を見ていると、それもあながち一笑に付せなくも思えてくる。
「大学生?」
九王沢さんは頷く。年上らしいが、並みの大学生では、この才媛の相手は務まらないだろう。
「小説を書いているんです。とても個性的な言葉を使う方なんですよ」
と、九王沢さんはまるで子供が自分だけの宝物を自慢するように言う。困ったことにツーショット写真の画像を見せつけてくるが、運転中だ。まったく、色恋の沙汰は不思議なものだ。どこに出会いが待ち構えているかなど分かったものじゃない。僕の亡妻だってこうして、自分の世界とはほとんど接点がなさそうな僕を見つけたのかと思うと、人の縁の微妙さがつくづく不可思議に思えてくる。
標識に従って山間に入ると、白樺の林の中にリゾート地帯が見えてくる。この辺りは最近開発された場所だ。九王沢さんはさらにそこを外れて、旧道らしき狭い道を行くように指示する。
「財団管理の資料ですと、この外れの山一帯の土地が敷地だと言うのですが」
草が生えかけて舗装がめくれ上がった急な坂道を下ると、新緑の下に沢の気配が感じられてきた。まさに今、迷い込んだ、と言う形だ。
「あそこです」
渓谷の入口のような場所だ。舗装が絶えてその向こうに、真新しい車が一台、停まっているのが見える。鄙にも稀な黒のレクサスだ。ボディはよく手入れされて、この山奥に停車されるのは心外だと言うように、夏の陽射しに照り輝いていた。
乗ってきた男たちは図面を片手に、入口辺りまで行っていたようだ。僕たちの車を見て、四十前後ほどのがっしりとしたスーツの男がぱたぱた駆けてきた。
「あの方はたぶん弁護士さんですね」
九王沢さんの勘は当たった。髪を短く刈り上げている。巣ごもりの熊のような体型をしたこの男は、財団が雇った弁護士だったのだ。手早く僕たちに名刺を配ったが名前は達崎、と言うらしい。
「もう、他の方は中へいらっしゃってます」
目の前に大谷石を積んだ立派な門柱が立っていたが、錆びた鉄格子の閂の上に頑丈そうな和錠が引っかかっているのが見える。普段は合鍵を財団の関係者が管理しているのだろう。手入れの足りない柘植のような天然パーマの肥った男が、ふうふう言いながら、車に近寄ってきた。
「財団の管財担当の富田と申します。遠くから、お越しありがとうございます」
と、富田はぼそぼそとした口調でそれだけ、吐き捨てるように言ったが、僕や九王沢さんからはすぐに目線を逸らした。
「どうぞ、車は外に停めていらっしゃって下さい」
そうして、僕たちは待ち合わせの三人のうち、最後の一人に顔を合わせた。
九王沢さんが話していた、例の香村と言う美術商だ。
年齢は三十代後半、と言ったところだろう。短く刈り上げた髪に、銀縁眼鏡、シャネルのオーデコロンの匂いを青系のスーツをまとわりつかせ、時計はブルガリ、この山奥には一見して似つかわしくない感じだった。
「九王沢家の皆様には、いつもお世話になっております。まさか、こんな山奥くんだりまで来て、お手を煩わせることになるとは、思いもかけず。ご足労、申し訳ありません。いやあ途中、大変だったでしょう?迷ったりなさいませんでしたか」
香村は僕たちを見ると口だけは甲斐甲斐しいことを言ったが、それは九王沢さんにだけで、僕にはやけに色のない視線で一瞥をくれただけだった。それからこちらが挨拶するまで、僕は無視だ。
「先生が地の方なので助かりました。こちらが電話でお話しした、甲陽大学比較文化研究室のアーネスト・ウィンズロウ先生です」
「ああ、あなたが例の八雲の専門家」
詰まらなそうに香村は言うと、名刺を交換した。
「ウィンズロウ先生ね、聞いたことないなあ」
「先生の奥様は、相良七叡先生のお孫さんだったんです」
「相良…ふうん、それでね。道理で。まあ日本語に不自由はないみたいですね」
香村は納得したように漏らすと、急に威儀を正したような口調になった。
「では今日は先生、ぜひご案内よろしくお願いしますね」
私語から突然、建前になるタイプの人だ。慣例上の社交辞令は守っているものの、あまりいい気はしない。この男の醒めた目に、僕は一見してあまりいい印象を持たなかった。
「さあ、じゃあ面子も揃ったことだし、早速中を開けましょうか。すみません諏訪原さん、お二人にも敷地の概略をお話ししてもらえますか」