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ある探偵と僕の話  作者: 根谷司
鳥篭の呪い
8/19

行間的な僕の後日

 瀬野探偵事務所という場所が僕の職場であり、家である。


 決して大きくはない事務所で、従業員は僕を含めると三人。しかし開業者たる一番偉い人は現在入院中のため、実質二人しか居ない事務所だ。


 しかも酷いのは、その従業員の質にある。


 僕は、年齢で言うと高校生二年生くらいに当たる。そしてもう一人は、華の現役女子大学生なのだ。そんなんで事務所を回せるの? みたいな疑問はあるだろうけれど、雑用とか雑用とかその他様々な雑用をこなすことで、なんとかやりくりできている状態。つまり、上手くは行っていない。


 そんな瀬野探偵事務所で働く僕には秘密がある。というか、必然的に秘密になってしまう事があるのだ。





「――と、いうような依頼なのですが」


 ボロいソファーに腰を掛けた、細身の青年。彼は礼節を弁えているのであろう整った態度と身振りで一通り依頼の説明をすると、テーブルの上に書類を置いた。


 その書類を受け取ったのは、開業者不在の現状、この事務所で唯一決定権を持つ川奈かわなさんだ。この人が現役女子大学生兼探偵見習いの肩書きを持っている人なんだけど、威圧するみたいな瞳はお客さんをも攻撃しかねない鋭さを持っている。喪服にも使えそうな程真っ黒のブリーツスカートとブレザーが、冷たい雰囲気を助長していた。


川奈さんの後ろに立っているだけの僕にはなんの権利も権限も無い。なんなら人権も無いと言っても過言ではないから、その様子を黙って見ていた。


 川奈さんは綺麗な長い黒髪をかきあげながら書類に目を通し、浅く嘆息する。


「現状では、難しいでしょう」


 その鋭い瞳で書類を睨んだままきっぱりと言い捨てる。その返答に、依頼人の青年は身を乗り出した。


「そこをなんとか出来ないでしょうか。先生に話しを聞いてくれるだけでも構いません」


 探偵事務所に相談に来てご破算、なんて冗談にならないからね。引き下がれないのは当然だ。


 見ていていたたまれなくなった僕は、意味も無く事務所を見回した。応接用のテーブルと、それを挟んだボロいソファーは入り口付近にある。窓際にはふたつのデスクが向かい合っていて、片方は綺麗なまま。片方はジャングルみたいに物が散乱している。この青年はあのデスクを見ても食い下がるのだから、きっと藁にも縋りたい気分なのだろう。


 しかし、川奈さんは首を横に振った。


「それは出来ません。先ほども言った通り、先生は現在入院中で、目を覚ます時間も不定期です。そんな状態の先生に仕事をさせるわけにもいかないので、どうか、お引取り下さい」


 仕事としてはどうかと思うような対応かもしれないけれど、人間としては妥当な対応だ。病人に仕事をさせるわけにはいかない、なんて、常識である。自分が仕事で使うデスクをジャングルよろしくの状態にしている川奈さんにも常識があったなんて、驚きだ。


 先生は入院中。でも、だからといって川奈さんが勝手に仕事を引き受けるわけにもいかない。彼女が物を片付けられない性格だから、ではなく、彼女は現役女子大学生であり、探偵としてはまだ見習いでしかないからだ。


 といっても、


「少しくらいはいいんじゃない?」


 僕は川奈さんに耳打ちする。あの青年の心情とかを思うと、口を挟まずにはいられなかったのだ。


 すると眉をしかめさせた川奈さんは、僕のほうを見る事なく、続けた。


「責任ある仕事を勝手に引き受ける事が出来ない立場なのです。ご理解下さい」


 書類を逆さにして青年に返す川奈さん。青年は渋々とそれを受け取り、


「先生は、いつごろ回復なさるのですか?」


 すれ違うようにして、そんな事を聞いた。


「あ、それ、僕も気になってた」


 ふいに呟いてしまった。ここ、瀬野探偵事務所に来てから一ヶ月と少しが経つ僕だけど、実は一度も、先生に会った事が無い。どれくらい入院するとかも聞いていない有様だ。


 青年と同じようにして川奈さんを見たら、川奈さんは顎に手を当て、考えるポーズを取りながら、


「解りません」


 そう答えた。


 僕はずり落ちそうになるのをなんとか堪えて、なんだそれ、と、ため息交じりに文句を言う。


 青年は俯くと、そうですか、と頭を抱え、少し間を置いてから、依頼の書類をハードケースに仕舞った。そして腕時計を確認する。僕も青年を真似るようにして、事務所に立てかけてある時計を見た。


 夏という日の長さのせいで時間感覚が狂っていたけれど、もう夜の七時。そろそろ、川奈さんが帰ってもおかしくない時間だ。


「では、失礼します」


 立ち上がる青年。川奈さんも同じように立ち上がりながら、一枚の紙切れを青年に渡した。


「……これは?」


 首を傾げる青年。僕も覗き込むと、それには瀬野探偵事務所の印と、川奈さんのサインが書かれていた。


「紹介状です。この下の階を訪ねて頂ければ、力になるかもしれません」


 とのこと。どうでもいいけれど、自分のところに来たはずのお客さんを他のところに回すって、正気とは思えないよね。


「そうですか……ありがとうございます。行ってみます」


「はい。お力になれず申し訳ありません」


 そして、川奈さんは青年を玄関まで送っていった。


 しかし扉を閉めて数秒、不自然な沈黙と硬直が訪れる。


「?」


 首を傾げて、硬直する川奈さんを見守る。ドアノブを掴んだまま、一向に動く気配が無い。


「どうかしたの? 川奈さん」


 問うと、錆付いたロボットみたいな挙動で、川奈さんはゆっくりとこっちを向いた。


「客が来ている時は喋るな、と、言っていたはずだが……?」


「あれ、そうだっけ」


 僕の記憶には無いけれど、少なくとも川奈さんの視線に殺気が込められているという事だけはしっかり把握出来た。まあ、僕に殺気は通用しないんだけど。そういうの、気にしないからね。


 川奈さんは呆れたように嘆息して、ドアノブから手を離す。


「……もしかしたら、言っていなかったかもしれない」


「僕もそう思うよ」


 だって川奈さんは、接客中は態度を切り替えているけれど、基本的にはずぼらな人間だから。自分の行動さえちゃんと把握しきれないような人が、僕にどんな事をどういうふうに注意したか、なんて、正確に覚えているはずが無い。


「だとしても、次からは止めてくれ。気が散る」


「うん。まあ、解ったよ」


 基本的に僕に人権は無いからね。川奈さんには恩もあるから、大人しく頷いておいた。


 するとそれを確認した川奈さんは、自分のデスクの上へ雑に積み上げられた私物の、一番上にある鞄を手に取った。そしてその体制のまま時計を一瞥すると、首を鳴らして言う。


「私はもう帰る」


 浅い息を吐いて仕事したアピールをしているけど、そんなに大した事はしていないはずだ。繁盛していないこの事務所で、疲れる程仕事があるとは思えない。まあ、今の僕には疲れとかってよく解らないけど。


「うん。それはいいけど、今帰ると、さっきの依頼人とばったり出くわしちゃうかもしれないよ?」


 僕は気にしないのだけど、川奈さんは気にするはずだ。


 川奈さんは自然な動作で荷物をデスクに置きなおし、


「帰宅中に断った依頼人と出くわすなど、気まず過ぎてかっこわるい」


 まあ、そうなるよね、川奈さんなら。判断基準がとっても川奈さんらしい。


 彼女はそのまま事務椅子に腰を掛け、舌打ちをした。


「事務所に居てもやる事が無いようでは意味が無いな」


 この事務所に娯楽は無い。テレビやラジオも無いという有様だ。時代から取り残されている感は否めない。あるのは、先述した通りの物と、隅っこにあるガラクタだけだ。よくいえば質素。悪く言っても質素。どちらにせよ質素。短所であり長所でもある。どうでも良いけど、質素でありながら散らかっている状況ってなんなんだろうね。


「今度、テレビでも持ってくるか」


 ふと、川奈さんが呟いた。ひとりごちるような言口調ではあったけど、はっきり聞こえたから答えたくなり、口を挟む。


「そんなものをどこから持ってくるのさ」


「自分の家からに決まっているだろう」


 当然のように言う川奈さん。でも、川奈さんは今、一人暮らしをしている。事務所には住み込みで僕がずっと居るから良いとして、家では正真正銘一人になるはずだ。それなのにそこからテレビまで持ち出して、大丈夫なのだろうか。


「大変じゃない? 運ぶのも、家からテレビが無くなるのも」


 正直に聞くと、なにを今更、と、鼻で笑われた。


「貧乏学生の家にあるテレビがそんなに大きいわけがないだろう。女の私にも運べる程度のサイズさ」


 ああ、問題はそこなんだ。胸を張ってキメ顔で答えてはいたけれど、その言葉のほうが割りと全てを台無しにしている。


 つまりは安物ってことでしょ? と突っ込もうかと思ったけど、僕は自分の冗談がつまらないということをよくよく自覚している。だから自重していたら、川奈さんは、それに、と、話を続けた。


「どうせ家では、勉強と睡眠しかしない。テレビを見ている時間は無いからな」


 そもそもテレビが必要無いのだ、との事。見習いとはいえ探偵たる人が、ニュースとかも見ないのだろうか。それはそれで問題な気がするけれど、川奈さんは家でやることの中に家事全般が含まれていない通り適当な人間だし、それもそうか、と納得も出来る。


「……今、失礼な事を考えていなかったか?」


 じっとりと纏わりつくような視線を僕に向ける川奈さん。どうやら見破られたようだ。


「一応探偵をやってる人が、世間に無関心で大丈夫なのかな、っていう事は考えてた」


 正直に答えると、川奈さんはしかめっ面をして、スマートフォンを取り出した。


「ニュースならこれでいつでも見れる。ある程度なら、世間に関心は向けているぞ」


「それでもある程度なんだね」


 大丈夫じゃない気がしてきた。この人、本当にちゃんとした探偵になる気があるのだろうか。無いよね。デスクの上に散乱している書類だのなんだのがそれを物語っている気がするもの。


 川奈さんは、うるさいな、と悪態を吐きながら、自分の肩を自分で揉み解す。さっきの応接で凝ったようだ。


 ふと、シャツが捲れた手首に巻かれた包帯が見えた。あの傷は僕が負わせてしまったみたいな傷なのだけど、それを思い出した途端にいたたまれなくなって、これ以上のツッコミが出来なくなった。


 川奈さんはそれを察したのか、浅いため息を吐く。


「手に包帯……名誉の負傷みたいでかっこいいだろう?」


 かっこ悪いとは言えないけれど、それを自分で言うのはどうかと思う。


 それを見せびらかして満足したのか、川奈さんは時計を見て、立ち上がった。


「さて、もう大丈夫だろう。私は帰る」


 確かに、さっき出て行ったお客さんと出くわす事は、多分もう無いだろう。それくらいの時間は経っていた。


 事務所から出て行った川奈さんを見送って電気を消すと、心地よい夜の静寂が耳に触れる。


 自分の家が無い僕は、大学生兼ねて探偵見習いをしている川奈さんが帰った後も、ここでボーっとしている。それしかやることがないのだ。


 目を閉じているのではなかろかと錯覚してしまうほど濁りなく黒い空を、事務所の窓から眺めてみる。やはり夜は落ち着く。僕は夜になると元気になるのです。


 そうして数十分程意識を泳がせていたら、ふと、玄関の呼び鈴が鳴った。誰か来たようだ。


 今は夜の八時。普段でも川奈さんが居るか居ないか微妙な時間だから、常連さんとかでは無いと思う。僕はただのお留守番だから、四回続いた呼び鈴を無視しようと試みる。しかし、次いで据え置きの電話まで鳴り始めた。


 どうしたものかと考える。呼び鈴はもう鳴っていない。帰ったのだろうか。そもそもこんな時間に事務所に来るというのがおかしいのだ。非常識な時間に来たほうが悪い。僕は悪くない。


 でも、電話くらいはいいかな、と思って、受話器を取った。


「もしもし、瀬野探偵事務所です」


 常識的な対応を心がける。


 しかし、返答は常識的とは言いがたいものだった。


『居るじゃないか……』


 掠れた老婆の声だ。


「へ……」


 思わず呆けると、玄関のほうから再び呼び鈴が鳴った。


『大家の香椎かしいよ。瀬野さんはいらっしゃいます? 話しがあるから、とりあえず上がっても良いかしら』


「え、いえ、えっと、今は僕しか居ないです」


 この事務所は四階建ての古い雑居ビルの中にある。賃貸ビルだから、その管理人的な人だろう。ちなみに、瀬野探偵事務所があるのは三階だ。


『構わないわ。とりあえず、上がるわね』


 玄関のほうで、何かが外れる音がした。鍵が開けられてしまったのだろう。そういえば、管理人さんなのだから合鍵を持っているのは当然だ。


 でも、まずい、と思った。しかし、僕が行動に出る前に、事務所の扉は開け放たれる。


 事務所は電気も点いていない。真っ暗だ。僕が暗いほうが好きというのもある。でもなにより、僕がここに居る事を、誰かに知られるわけにはいかない理由があった。


 事務所に入ってきた老婆。キョロキョロと辺りを見回し、怪訝そうな表情を浮かべつつ電気を点ける。


 そして、その視線が僕のほうへ向くと、一気に青ざめていった。


「……」


 沈黙が場を支配する。今この事務所にあるものは、ガラクタと、二つのデスクと接客用のテーブルにボロいソファー。そして、重量を伴った静寂だけである。老婆のほうは、受話器を耳に当てたまま硬直していた。


「え、えっと……」


 どうしよう、と途方に暮れてから、このままじゃ意味が無いな、と気付く。


 そして僕は、自分の耳に受話器を当て直した。


「その……こんばんわ」


「……」


 挨拶は人間として当然の礼儀だ。ただし、それは相手を視認出来る時だけに限られる。見えない相手に挨拶なんて、普通はしない。


 ――だから、老婆の反応は、とっても自然な事であり、


「ぎょ、ぎょええええええ!」


 その悲鳴もまた、当然の流れだった。あの老婆から見れば、今、受話器が宙に浮いているようにしか見えないだろうから。


 子供に負われる鳩のように、一目散に逃げていく大家さん。僕は受話器を置いて、玄関を閉めた。ちゃんと、鍵のほうもしっかりと。


 そして、その工程を取った自分の掌を見つめ、ふと、首を傾げる。


 そういえば――


「僕は死んでいるのに、どうして物に触れるんだろう」


 ――幽霊である僕が物理干渉出来るっていうのは、なかなかにおかしな事だと思うんだ。


 明日、霊感持ちでその手の知識も結構持っている川奈さんに聞いてみよう。

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