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ある探偵と僕の話  作者: 根谷司
鳥篭の呪い
18/19

淑女のエンドロール

 新幹線に乗り込んだ。人は(まだ)らなその車両に、三人の人影とプラスαがある。窓際に川奈さん。その隣に凛ちゃんもとい大光司さん。そして僕は適当に開いていた席、大光司さんの隣に座った。さらに僕の後ろで蹲っている青年が一人居るわけだけど、


「なんで幽霊と同行なんで俺も一緒なんで憑依とかなんなのなんでなんでなんでなんで」


 連れて来ないほうが良かったんじゃないかな、と、思わなくもない。幽霊嫌いでお馴染みかどうか解らないけど、事務所に引きこもっている五和さんだ。つまり彼は僕と同種である。ただ、生きてるか死んでるかしか違いが無い。すごい違うね、これ。ちなみに僕がプラスα。幽霊だからね。


「落ち着けケイ。ここに居るやつらは多分害が無い」


 だから多分じゃなくて絶対に無いからね。大光司さんに至っては、凛ちゃんが自分の危険を省みずに憑依を許しちゃうような人なのだ。悪いようにはしない。


「約一名、呪いまがいの力でもって屋敷の庭園を半壊させたやつは居るがな」


「致命的じゃないか! 完全に悪霊じゃないかそれ!」


 へえ、呪いってそんな事が出来るんだ。怖いね。でも、それほどの力を使える幽霊も居るんだと思うと、確かに結構怖い。……それ僕じゃね? あれって本当に僕がやってたの? 偶然じゃなかったの? 僕ってば怖い。割と笑えない。というか呪いなんて本当は存在しなかったんじゃないの?


「あの」


 ふと、大光司さんが不安げに口を開いた。


 僕と川奈さんが見ると、大光司さんは自らの体、つまり凛ちゃんの体の胸元に手を当てながら問う。


「この子は、いったい」


「私の妹だ」


 言い切る前に川奈さんは答え、


「私達は寺の生まれでな。生まれつきで霊感が強く、訳あって霊術なるものを教え込まれている」


 まあ、術に関しては私より凛のほうが上だがな、と付け足し、乾いた笑いを浮かべた。


「そうだ、凛もとい大光司綾祢」


 そして、なんかよく解らない反論している五和さんを完全に無視して、川奈さんはスナック菓子を鞄から取り出す。


「決して短くは無い旅になる。食え」


 言いつつ袋を開けて、真っ先にそれを頬張る姿は、まんまガキ大将でした。本当にこの人は……。


 でも、大光司さんはそれを受け取ろうとせず、戸惑っていた。普段天真爛漫な凛ちゃんの姿でこういう顔をされると、なんだか違和感がある。でも、僕も凛ちゃんに憑依してた事があるからね。多分その時もこんな感じだったのだろうし、人事じゃないから言えない。


「いあいあおあ?」


 もしゃもしゃしながらもしゃもしゃ言う川奈さん。何言ってるのこの人……。


「いえ、嫌いというわけでは無いと思うのですが……」


 理解したらしい大光司さん。凛ちゃんの姿でもじもじしながら、恥じらいつつスナック菓子を見つめていた。


「食べた事が無いので、その、なんというか……。家が、そういうのは駄目だと言っていたので」


 お嬢様とかそういうのに嫉妬した事のある方、聞きましたか? お嬢様は行き過ぎるとスナック菓子も食べられないそうですよ。僕だったらそんなのは嫌だ。貧乏であれどお菓子が食べたい。……と言いつつも貧乏万歳とは言えないこの虚しさってなんなの……。そうか、体無き今となればお菓子が食べれ……やめとこう。虚しくなるだけだから。


「なら、気にする必要は無いだろう」


 川奈さんはごくりと頬張った分を飲み込み、当然のように答えた。


「お前は今は、木島優莉だからな」


 大光司綾祢は、もう次の人が引き継いでいる。大光司さんにとっては他人事ではなかろうと、少なくとも本人の問題では無くなったはずだ。


 元大光司さんの木島さんは凛ちゃんの姿でもって少し放心して……何これよくよく考えるとかなり混沌じゃね? カオス過ぎて混乱しそうだから、もう大光司さんで安定させようよ。それでいいじゃん。


「それに、凛の姿をした元大光司綾祢の現木島優莉。お前はもう、しがらみに縛られなければならない立場でもなければ、しがらみを必要とする立場でもあるまい」


 僕の思考を読んだかのようにややこしい言い回しをする川奈さん。この人本当になんなの……。


 でも、その言葉に納得すると同時に、疑問も生じた。


「しがらみを必要とするって?」


 僕が問うと、川奈さんは再び、スナック菓子を頬張った。


「んおえああ」


「ごめん、飲み込んでから喋って」


「それはな、と言ったみたいですよ」


 で、なんで大光司さんは解るの? エスパーなの? それも霊感とか呪いとか関係してるの?


「ん……それは、木島優莉という人間が、大光司綾祢という人物に憧れていたからこそ生じた問題だな」


「というと?」


 どうして川奈さんがそのことを知っているのだろう、とも思ったけど、そこは気にしないで、話を聞くことにした。どうせ五和さんの功績とかだろうしね。


「自我の弱い人間や、自分の感情に気付いていない人間が陥り安い、現代病と言われる物のひとつだ。他の人間と自分を当てはめることで、そうあろうとし、それが自分だと思い込む。少し昔、自殺を何件も誘発させた小説があったのだが、それの主人公も自殺をしていてな。心理描写があまりにも大衆の抱く感情に似ていたから、それに同調して自殺が起きたのだろうと言われている」


 その話は僕も聞いた事があった。


「あとは中二病と言われるものも近いか。憧れからそれになりたいと思うようになり、いつからか勘違いし、それになったと思い込む。その状態を維持するために小道具とかを揃えたりしてな」


 冗談っぽく川奈さんは言う。


 そして、


「その小道具のひとつが、しがらみだったんだよ」


 と、薄く笑いながら言った。でもそれは、嘲笑なんかじゃない。微笑ましい表情だった。


「確かに、そうだったかもしれません」


 大光司さんにも重たい感じは無かった。荷解きをした後みたいな軽やかさがそこにはあって、悪く言えば開き直ったみたいで、良く言えば明るくなっていた。


「大光司綾祢はかくあるべきだ。大光司家に従い、そのためだけに生きるべきだ。なぜなら自分は大光司綾祢なのだから。そう思っていたのだろう」


「はい。その通りです」


 小さく頷く大光司さん。


 ふと、彼女の胸元に川奈さんが持つスナック菓子が差し出される。食わず嫌いするなよ、という母親みたいな顔をして、ゆっくりとした口調でさらに言う。


「ならばもう、それは必要ないだろう」


 いくらかの沈黙。大光司さんの瞳には動揺の色が見える。


 本当にこれを受け取って良いのか。これが、大光司家との決別の証になるのではないか。そう思っている事だろう。


 自由が無かった木島優莉。外の世界に憧れると同時に、大光司綾祢という人間にも憧れ、自らの中で自家撞着していた彼女は、食べるものさえ自分で選べなかった。


 それを選ぶという事は、つまりそういう事なのだ。


 お菓子を手に取る。たったそれだけの事が、彼女にとっては、自由への一歩でもあるから。


「では、頂きます」


 言って、彼女はゆっくりと、その手にスナック菓子を取る。


 彼女は自由を選んだ。しがらみから開放された。その瞬間をこの目に見た気がして、なんとなく、嬉しかった。


 でも、大光司さんは何も言わなかった。スナック菓子を口に入れて、咀嚼(そしゃく)を隠すためか俯いてしまう。


 ふと、川奈さんが鼻で笑う。嘲笑ではない。まあ、そうなるだろうな、と、解りきっていたみたいな反応。


「席を替わろう。お前も、外の景色が見たいだろう」


 言って立ち上がる川奈さん。大光司さんは何も言わないまま横にずれて、一度も顔を上げなかったと思ったら、窓際に座った途端、外に顔を向けてしまう。


「……どうだ。初めてのスナック菓子の味は」


 川奈さんが問う。


「おいしいです」


 震えた声で大光司さんは答える。


「でも、すごくしょっぱいです」


 きっと笑おうとしたのだろう。笑おうとして、声が震えているのだ。


 甘党の川奈さんが選んだ甘口のスナック菓子の味は、笑えるくらい美味しかったという事だろう。


 そういう事に、今はしておこう。






 電車の旅はおおよそ二時間程要した。新幹線で一時間半。鈍行電車に乗り換えてから三十分して、改札口も無いような田舎の駅に辿り着く。S県A市。大光司さんが事故に巻き込まれた場所。


「着いたぞ」


 駅を出ながら川奈さんは伸びをする。


 凛ちゃんの姿をした大光司さんは、下腹の前あたりで両手を組んだ、接客業の人みたいに整った姿勢でその後に続く。


 その後ろで五和さんが顔を真っ青にしていた。どうやら電車に酔ったらしいけれど、電車に酔うってなかなかじゃない? 乗り物に弱いのだろうか。


 僕は最後尾だ。さっさと歩き出す川奈さんに続く二つの体と計四つの魂。


 山に囲まれた町だった。建物の数も少なく、背の高い物は少し離れた所に見える電波等くらいだ。それ以外は、電柱以上に高い物は無い。


 疎らに立ち並ぶ家々。でも、僕らが来た場所の住宅街と違って、寂しい感じとかはしなかった。のどか、と言うに相応しい空気。体の無い僕でも、そこはかとない温もりのようなものを感じた。


 十分程歩く。道はまだ平坦で、目前に山がそびえる位置まで来た。


 そこで、のどかである事は変わりないのに、どうしてか、変な感覚がする場所があった。継ぎ接ぎ合わせをしたみたいな違和感が、約数十メートルに渡って存在している。


「ここが、土砂崩れの起きた場所だな」


 川奈さんが呟くと、そうです、と、大光司さんが頷いた。つまり、ここで青葉さんと大光司さんが死んだんだ。


 僕は立ち止まって手を合わせようとしたけれど、川奈さんも五和さんもさっさと行ってしまう。


「ちょっと待ってよ。お祈りくらい」させてよ。


 そう言い切る前に、川奈さんに遮られる。


「お前には、あの場所に大光司綾祢、もしくは青葉栄太の霊が見えるのか?」


 そうだ。見えない。


 僕は幽霊だ。生前に霊感は無かったけど、それでも、今は大光司さんが見えた、きっと、同じ幽霊だからだろう。


 でもここには、青葉さんは居ない。もう成仏しているのかもしれない。だとしたら、薄情だと思わざるを得ない。大光司さんを置いて、先に行ってしまうのだから。


 でも、川奈さんだって薄情な時は薄情だ。形だけでも供養してあげれば、気持ちだけは軽くなるだろうに。今凛ちゃんの体の中に居る大光司さんだって、同じのはずだ。


 そんな事を考えたって意味は無い。川奈さんは構わず進み、山の中に入っていった。深い山。森と言ったほうが正確かもしれないけど、生憎僕には、山と森をパッと見で判断出来るような観察眼は無い。


 深緑の天井。所々に見える茶色い絨毯に、いくらか雑ではあるけれど、最近作られたのか、綺麗な階段が山道を示していた。きっと、体があれば、空気が美味しそうだな、なんていうありふれた感想が漏れていた事だろう。


 一歩一歩を踏みしめて進む。夏だからか落ち葉は少なく、直接踏む柔らかい土と、階段を形成している木材の感触がしっかりと伝わってきた。


「私が説明してやりたいところだが」


 ふと、階段を進みながら川奈さんが口を開く。


「生憎私は紹介説明とやらが苦手でな。ケイ。こいつにここの紹介をしてやれ」


 いきなり話を振られた五和さんは、幽霊に説明!? なんていう失礼な反応をしていたけど、いくらかの間を置いた後、咳払いをして語りだした。

「ここの正式名称は隠石かくし山と呼ばれる場所で、半年程前、観光地としてブームを迎えたんだ」


 営業モードに入ったのか、その口ぶりは柔らかかった。


「といっても、あくまでマニアには有名、というだけで、そこまで大々的に有名になったわけじゃないけどね」


 愛嬌です、と言外に告げるような、わざとらしい笑み。


「パワースポットでも無い。登山家に愛されているわけでも無い。ただの観光地。しかもこの上には、ただの池があるだけ。しかも四ヶ月前に崩落したせいで、観光地化に失敗してる」


 確かに、有名になるにはインパクトが足りないかな、と思った。


 木々の立ち並びも、他の山々と大差無い。少し深いかな、とは思うし、綺麗だなとも感じるけど、それだけで観光地になれるほど、日本は綺麗な場所に飢えた環境でも無いと思う。とはいえ、少なくとも僕は、この山を少し歩いただけでも、好きになりそうだったけど。


 でも、青葉栄太は、ただの池がある場所に彼女を連れてきて、何を見せようとしたのだろうか。この先にあるその池? パワースポットでもなんでも無いただの池のために、彼は命を落としたのだとしたら、それはあまりにも(むご)い。


 そうじゃないと祈る自分も確かに居る。でも、ただの池がある場所に、命を賭すだけの価値があるとは到底思えないのも確かだった。


 違うと信じたい。そうであって欲しい。


 でも、信じきる事が出来ない。


「マニアのための観光地、というより、時間を割かないとその本質を見抜けないから、あまり人気が出なかった場所」


 山道を進みながら、五和さんは続ける。疲れないようにか、歩く事に集中しているからか、喋る速度はゆっくりだった。


 そして、そこから先は、僕としてはどうでも良い情報ばかりだった。


 意味があるとは思えない説明。どんな鳥が棲んでいるかとか、猪がよく出るとか、どういう植物が生えているかとか。


 それを見つける度、川奈さんが指差して、大光司さんに報せていた。僕とは違い、色んなものを見たことが無かったらしい大光司さんは、たったそれだけで、嬉しそうな表情を浮かべている。


 そして、二十分程度だろうか、


「見えた」


 五和さんが言った。


「思ったより早かったな」


 少し開けた場所に出ると、五和さんと先頭を歩いていた川奈さんが続く。


 その後ろに続いていた大光司さんが立ち止まる。僕にはまだそれが見えない。


 そして、一歩を踏み込む。


「これが、彼が見せたかったものだ」


 円を描くように木々が無くなり、背の低い草に変わる。


 それらが(はや)し立てるのは、中心にある池だった。


 そんなに大きくはない。


 深い緑を反射した池。そのさらに中心には、木々が遮って、この山に入ってから一度も、直接浴びる事の無かった陽光が差し込んでいる。


 蒼。


 空を映し出し、反転の深緑がそれを縁取る。


 反射光はまるでステージライトのようで、さながら舞台上のシャンデリアのようだった。


 幻想的な美しさに呆気に取られる。


 でも、だけど。


 ……こんなもののために?


 そう思ってしまった。確かに綺麗だ。感動もした。感動出来れば納得出来ると思っていた。


 そうじゃなかった。僕はただ、納得したかっただけなんだ。


 綺麗な景色なんてどうでも良かった。青葉栄太が命を落とした。その事に意味を感じたかった。


 命と対等の景色なんて、本来あるはずが無いのに。そんなものを期待してしまっていた。


 隣を見ると、大光司さんが目を見開いて呆然としていた。彼女も感動しているのだろうか。それとも、その先までも僕と同じなのだろうか。


 綺麗なだけじゃなく、言ってしまえばたかだか景色に、意味を求めてしまっていたのだろうか。


「ここから先はどうするんだよ、川奈」


 五和さんが問うと、川奈さんは何を今更、みたいに鼻で笑った。


「私は紹介説明が下手だと言っただろう。美味しいところだけ頂くから、お膳立(ぜんだ)ては頼むよ」


「……はいはい」


 呆れたように、でも納得したように、五和さんが嘆息する。今ので納得出来るという二人の関係が僕には解らない。


「さて、ではこの池について」


 そして、五和さんは、演出のつもりか、両手を広げた。


「とある写真をきっかけに観光名所となるまで、この池はただの池だった」


 そんなどうでも良い前振りは要らない。そんな事は聞きたくない。


 今更何になるっていうんだ?


 川奈さんは言ったはずだ。大光司さんの物語を、バッドエンドなんかでは終わらせない、と。


 こんなもので、大光司さんの全てを肯定出来るのか?


 僕には出来ない。


 大光司さんの人生を終わらせてしまう程の価値が、こんなものには無い。


 僕は、この景色を認める事が出来ない。


 唇を噛む。


 冗談めかして考え事をしようにも、大光司さんの名前が脳裏に過ぎる度、虫唾(むしず)が走る。


「想像してみてくれ」


 五和さんは続ける。


「夏はこの場所は緑になる。深い緑が縁取る青。ライトアップするかのような陽光」


 それは、今見ている景色だ。


 見れば解るような事だ。


 綺麗だ。ああ綺麗さ。


 でも、だからどうしたって言うんだ。


「秋はこの場所が赤になる。紅葉が縁取る夕暮れのオレンジ。赤とオレンジが混じり合いコントラストを描く」


 きっと幻想的な事だろう。現実味を奪うという点においては目の前の景色よりももっと効果的かもしれない。


 でも今は夏だ。そんな景色、絵空事にしか思えない。


「冬はこの場所白になる。木々の上にまで雪が積もり、それを凍った池が映し出す。光が無くとも輝く地面。星空を写した氷の池を、積もった雪が彩る」


 それはきっと、祝福にも似た景色なのだろう。


 いや、それは、景色なんかじゃない。


 そうだ。彼が見せたかったのは、景色じゃない。


 彼は、見せたい景色がある、なんて言っていない。


「春はこの場所が色とりどりになる。華が咲き乱れ、柔らかい木漏れ日が優しく照らし出す」


 それはきっと、大光司さんのような景色なのだろう。


 なんとなく解った。


 多分もう、大光司さんにも伝わっている。


 今日だけで何回目だろうか。その肩が震える様を見るのは。


 ただの景色。ただが景色。


 でも、彼女にとっては違うのだ。


「この場所を見つけ出し、有名にした写真家は、必ず光が寄り添うこの場所に名前を着けた」


 僅かな間を置き、五和さんは続ける。




「――光の在りありか




 この場所が有名になったのは、去年頃からだったという。


 つまり、その写真家がこの場所を発表したのはその時期だという事だ。




「『移ろいゆくからこそ美しい。まるで人の心のようだ』この場所を写真に収める事でデビューした写真家、――青葉栄太が言った言葉だ」




 ただの景色と僕は思った。たかが景色だと僕は決め付けた。


 でも、その景色に思いを寄せる人が居るということは、つまりそういう事なのだ。


 青葉栄太は、この景色に、意味を見出した。


 すなわち、ここが光の在り処だ、と。


 季節により姿を変えるその様を、移ろいゆくからこそ美しいのだと。


 孤児院で周りに合わせようとして、そこから抜け出せば家柄に縛られ、自らの夢さえ付和雷同させた大光司綾祢にこの場所を見せようとした。


 その名前にも、意味がある。


「解るか、大光司綾祢」


 川奈さんが口を開く。つまり、五和さんの説明は終わったという事だ。


 大光司さんは答えない。


 解っているのだろうけど、その問いに返答は無かった。


 大光司。大きな光を司る、で、大光司。


 その名を背負った事で縛られた彼女に見せたかったもの。それは、彼女の在り処だったのだと。


「解って、くれてたんですね……」


 両手で顔を覆い、彼女は呟く。


「私が『私』でない事を、彼は本当に解ってくれていた。……私自身の願いさえも願えないようなちっぽけな私を、それでも認めてくれていた……。私の勝手な妄想だと思ってたのに……」


 それはもう、声になっていなかった。


 震えて、掠れて、それでも嬉しそうに言うもんだから、言葉がちゃんと聞き取れなくても、感情が伝わってしまう。


「ちゃんと見ておけ」


 川奈さんはその池を見つめながら言った。


 僕もその視線を辿り、目前の景色を眺める。


 青葉栄太が思いを寄せ、大光司綾祢を映し出したもの。




「――ここが、お前が辿り着いた場所だよ」




 その人生をもって。その足をもって。その生き様をもって。やっとこさ辿り着いた場所。


 外の景色に憧れ続けて得た、彼女のための情景。


 彼女自身の目で見つめて、呼び起こしたのは彼女自身なのだから、それはきっと彼女以外の人には解らない事だろう。


 大光司さんは、その池に向かって手を伸ばした。まるでその先い青葉栄太が居るかのように。


 でも、もちろんそこには誰も居ない。誰の魂もそこには無い。


 そして、その小さな体が、微かな光を伴った。凛ちゃんの憑依が解けようとしているのだ、と、なんとなく解った。


 そのまま数秒。数十秒が経過する。


「凛」


 その様子を見守っていた川奈さんが、小さな肩に手を乗せる。


「……離してやれ。そいつはもう、逝く」


 やっぱり、そうなるのか、と、自分の無力さが嫌になった。


 大光司さんの心残りは無くなった。だから消える。当然だ。


 納得したのか、はたまた渋々か、その小さな体の主からの抵抗が消えた。


 瞬間、飛散するように光が舞う。


 凛ちゃんの体から放たれた粒子達が、池に向かって真っ直ぐ進む。


 そして、その粒子舞う景色が何かを訴えてきたような気がした。だけど僕には聞き取れなかった。


 ただ、川奈さんが鼻で笑う。何を今更、と、かっこつけた笑みだ。


「私じゃないよ。お前が掴み取った自由だろ」


 その言葉に応えるように、光の粒子は、自らの在り処へと旅立った。


 それでなんとなく、大光司さんが最後になんて言ったのか、解った気がした。




 ――自由をくれて、ありがとう。




 成るほど確かに、これは、大光司さんの人生が作り出したものだ。

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