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ある探偵と僕の話  作者: 根谷司
鳥篭の呪い
17/19

淑女の心と迷走と

「大光司さんは、それでいいの?」


 僕自身、彼女に何が聞きたいのかは解っていない。でも、この状態は、何かが違うと思った。


「良いのです」


 広げていた腕を下腹の前で合わせて、整った姿勢で大光司さんは答える。


 そして、僕を見つめるようで、僕の向こう側、つまっり屋敷に思いを馳せるような視線を投げながら、続けた。


 それは、彼女という人間の根本。


 大光司綾祢という人物の真実。






 私には、『私』という人格がありませんでした。そもそも、私とはいったいなんのために生まれ、なんのために生きるのかも解らなかったのです。それが当たり前だと思っていました。




 物心付いた時には既に、両親は居ませんでした。何故かは解りません。ああ、そういうものなのだな、とは理解していましたし、受け入れる事も出来ました。


 孤児院にて育ち、ずっとここで暮らしていくのだろうと思っていました。それで良いと思っていました。もしかしたら、同じ境遇の者達と傷を舐めあうようにして、寄り添って生きるのが、心地よかったのかもしれません。


 しかし、私が小学校中学年に上がる頃、その孤児院に存亡の危機が訪れました。孤児院に多額の寄付をしていた会社が経営危機に(おちい)り、寄付が滞ったのだそうです。


 院長は毎晩頭を抱えていました。私はそれを知りつつ、何も出来ませんでした。それは、ひとつ屋根の下で暮らす、同じ境遇の子供達も同じでした。


 高校生に上がっていた方々はアルバイトで稼いだお金を、ほぼ全て孤児院に預けるようになっていたそうです。とはいえ、高校生二人で、中学生以下の子供十人を養うのは不可能でした。


 院長は、自らもどこかで働きつつ、孤児院を援助してくれる場所を探しました。しかし、見つかりませんでした。


 大変だ、とは思うものの、私自身に危機感はありませんでした。これで孤児院が潰れたら、私は死ぬのだろう。きっと、そういう運命なのだろうと。


 でも、皆はそうではありませんでした。自分では無く、皆が大変なんだ。そう互いに言い聞かせあうようにして、働いてくれている高校生達二人と院長の負担を院内では無くそうと、三人が帰る前に家事を済ませ、節制した生活も率先して行い、時に立て札を持って、声を張り上げ、援助先を求めました。


 こうある事が正解なのだろう。とは、解っていました。しかし、仲間達と同じように声を枯らし、手を荒れさせながらも、私の心は常に、仲間達とは違う物を見ていました。すなわち、外の世界です。


 孤児院のために。それだけのために過ごす日々は、必然的に活動場所を制限していたのです。


 疲れ切った体で布団に入り、明日はどうしようかと語り合う仲間達を他所に、私が思いを寄せていたのは自由の世界でした。なんて身勝手な人間なのだろうという自責は、幼いながらもありました。しかし、それが、外の世界に焦がれるこの気持ちだけが、私の中にある確固たる自我だったように思えて、それを手放したくないという自分と、仲間達と同じ物を見なければという自分とで、二律背反(にりつはいはん)を起こしていました。


 そんなある日の事です。孤児院の経営もいよいよ危うくなってきたところで、援助先候補が上がりました。それが、大光司財閥でした。


 当時大光司財閥の当主だった大光司源二様とその付き人大江様は言いました。孤児院の援助をしよう。それと、木島優莉きじまゆうり木島華きじまはないう二人の子供を養子として頂きたい。そうすれば、経営もいくらかラクになるでしょう? と。


 木島優莉。それが、私が孤児院で与えられた名前でした。大光司優莉では語呂が悪いから、名前もそのうち新しいものを上げよう。君はこれから、財閥の一員として生きれるんだよ、と、大江様は言いました。片方だけでは不平等だから、と、華にも新しい名前を与えよう、とも言っていました。


 共に指名された華と顔を見合わせ、しばし考えました。しかし、困惑している私とは裏腹、華は言いました。これで、孤児院が無事でいられるね、と。


 仲間達と率先して孤児院の再興を望んでいた華は二つ返事でした。しかししれでも私は、頷く事が出来ませんでした。


 大光司財閥は、孤児院にとって良い事ばかりを言っていましたが、物は言い様です。彼らは単に、病気を患い床に伏していた大光司綾祢の変わりが、早急に欲しかっただけなのです。


 お金持ちの家に着く。それは、世間から見ればとても良い事なのでしょう。しかし私はそれが幸せとは思えませんでした。そこに自由はあるのか、外の世界を見る事が出来るのか。それが、不安で不安で仕方ありませんでした。孤児院の経営難にも屈せず持ち続けた唯一の自我。それが可愛かったのです。愛しかったのです。


 華は怯える私の手を取り、言いました。大丈夫だよ。きっと大丈夫だよ。何度も何度も言いました。


 私は、それが余計に怖かったのです。まるで脅迫を受けているような気分になりました。


 私はそれに屈しました。孤児院で暮らす中、やっと見つけた夢を捨て、大光司の名を背負う事になりました。小学校高学年に上がる、少し前の事でした。


 そして何故か、すぐに療養を受けていた大光司綾祢と面会する事になりました。同じ小学生でありながら、彼女はとても美しく、そして優しい人でした。ベッドの上から私に手を伸ばし、怖がらなくていいんだよ、と、言い聞かせてくれました。


 いつしか私は、その大光司綾祢という人間に憧れを抱くようになりました。こういう人になれたらかっこ良いな、と、そう思うようになっていたのです。私自身が抱いた夢に蓋をするように、絵の具で上書きするように、強く、強く、そう思いました。勉学に励み、礼節を学び、自分を磨けばいつか、ああなれると思っていました。それは華も同じでした。華も私と同じように、時に支えあい、時に競い合って、努力を重ねていきました。


 中学校に上がる少し前になると、大光司綾祢の容態が悪化しました。それを機に私は義父様に呼び出されました。そこで、驚愕の事実を耳にしました。


 私はてっきり、大光司綾祢が死んだ時の変わりの跡継ぎとして、私達が用意されたと思っていたのです。しかしその実、大光司源二様はこう言いました。


 ――次からは、お前が大光司綾祢になれ。


 体格と声は元より似ておりましたが、顔は異なりました。それを手術にて整えると、一ヵ月後、冗談だと思っていた姿が鏡の向こうにありました。


 憧れていた大光司綾祢。本人は亡くなってしまいましたが、それに成れるなど、誰が思うでしょう。私の夢が叶ったのです。


 それだけではありません。大光司財閥は、私が育った孤児院を救ってくれた場所でもあったではありませんか。感謝してもしきれぬ程、私は大光司財閥に感謝しました。それで良いと思っていました。


 しかしある時、とある殿方と出会いました。青葉栄太あおばえいたという写真家の男性です。


 彼は私を美しいと言いました。当然です。私は、木島優莉ではなく大光司綾祢なのですから。美しくあるべき存在なのですから。


 それから彼は、何度も私に声を掛けては、写真を撮らせてくれとせがみました。私はそれを拒みませんでした。大光司綾祢たる者、聡明でいて優しくあれと自分に言い聞かせていたからです。


 しかし、ある時彼は言いました。外見が美しいだけの人を撮りたいなら、俺はテレビ局に勤めているよ、と。


 本来彼は風景をこよなく愛する方だったのですが、その言葉を聞いてようやく私は気付きました。この人が見ているのは、外見では無いのだ、と。


 では何を見て写真を撮りたいのかと聞きました。彼はそのうち教えるよと言ってはぐらかし、結局教えて頂けませんでした。


 だから私は自力で考えるようにしたのです。外見では無いなら、何が彼を駆り立てるのだろうか、と。


 人格でしょうか。大光司綾祢という人物を理想として作り上げたこの人格が、彼を寄せ付けたのでしょうか。


 成績でしょうか。大光司綾祢はかくあるべきだと言い聞かせ、努力を重ねてきた結果に、彼は惹かれたのでしょうか。


 家柄でしょうか。大光司綾祢という人物が過ごす、箱庭のような、一風変わった風習のある家柄に、彼は興味を抱いたのでしょうか。


 いったい彼は、『私』のどこに駆り立てられたのでしょうか。私には解りませんでした。解るはずがありませんでした。私には決して辿り着けない場所に、その答えは用意されていたのです。


 そのことに気付き、少しだけ泣きそうになりましたが、でも、なんとか堪える事が出来ました。我慢出来たという事は、それを認める事が出来たという事なのでしょう。もしくは、その程度の事だったという事でしょう。




 私には、『私』という人格がありませんでした。そもそも、私とはいったいなんのために生まれ、なんのために生きるのかも解らなかったのです。それが当たり前だと思っていました。




 そんな私は、大光司綾祢として生まれ変わる事で、ようやく全てを肯定する事が出来たのです。


 でも、少しだけ。ほんの少しだけ。滴る涙の量分だけでも構わないから、外の景色を見たいと思いました。


 だから私は、彼の手を取りました。


 つまりあの事故は、ほんの悪戯心にも敵わないような動機で起きた不祥事なのです。私のわがままが生んだ結末なのです。


 ですから――








「――ですから、これで良いのです」


 話し終えた大光司さんは、酷く儚い物に見えた。


「大光司の家に感謝こそすれ、恨むなど筋が通っていないのです。私自身が選び、私自身が招いた事故なら、受け入れなければなりません」


 彼女の言い分は、きっと正しいのだろう。家が無く、引き取られた孤児院再興に協力してくれた大光司財閥。引き換えに木島優莉は自分を売った。元々持っていなかった感情を売り、十数人の生活を守った。そうすれば、そこには、過ちを犯した人間なんて居ない。


 そこに居るのは、束縛に耐えられなかったわけでも無く、ただなんとなく、昔の自分の夢を思い出し、それを僅か一時でも叶えたいという我侭(わがまま)を持ち出した女の人だけ。


 でも、


「……嘘だ」


 僕には解る。彼女はまだ、真実を隠している。


「嘘なんて、私は……っ」


「ううん、嘘だよ」


 大光司さんは何かを言いかけたけど、それさえも虚勢だ。だって、


「そうやって割り切れてるなら、その程度だって言い切れるような事しいか起きてないなら、そもそも化けて出たりしないよ」


 専門的な事は解らないけど、僕自身だってそういうのは曖昧だけど、それでも断言出来る。彼女は、大事な所で嘘を吐いている。


 いや、よくよく考えたら嘘は吐いていないのだ。さっきの彼女の話がいい例じゃないか。


 彼女の言葉は、矛盾している。


「大光司さんは一度たりとも、夢を捨てて無いじゃないか」


 その程度と言いながら、あそこまで鮮明に語っておきながら、いつ夢を忘れたのかを言っていなかった。いや、夢を忘れたなんて一言も言っいなかった。


 大光司さんはずっと焦がれていたんだ。外の景色に。美しい風景に。


 それを押し殺して、大光司綾祢として生きた。それが正解だと言い聞かせて、それしかないと言い訳して、自分を騙していたんだ。


 私には私が無いだって? それが一番の矛盾だ。


 自分で言っていたじゃないか。自分の口で意味を語っていたじゃないか。


「外の景色に憧れる。それが、大光司綾祢という人物じゃないか」


 勝手な言い分なのだろうか。でも、それで良かった。


 しかし、僕の言ってる事は所詮エゴでしかない。


「こういう言い方は、嫌がられるだろうなとは思います。でも、言わせて下さい。……あんあたに、私のなにが解るというのですか」


 微かな憤りを滲ませた口調でそう問う大光司さんに、僕は答える。


「解るさ。――僕だって同じ、死んでる人間だもん」


 馬鹿は死んでも直らないというけれど、死んだから馬鹿になることもある。


 生きてる時は出来なかった。困った人に手を差し伸べる勇気が僕には無かった。でも、今は違う。はた迷惑なお節介でも人を救える事があるのだと、あの人から教わった。


「……なら、どうしたら良いのですか」


 大光司さんの声は、震えていた。


 真っ直ぐに見据える僕の瞳。そこに僕の姿が映りそうなほど、綺麗な瞳だった。もしくは、潤んでいたからかもしれない。怒っていたのかもしれない。


「仕方ないではありませんか。どうしようも無いじゃないですか。私が私である事は許されなくて、私には確固たる私が無くて、それならそれで良いではありませんか」


 徐々に強くなる口調。そうさせている感情を隠すかのような不安定な笑みが浮かんでいる。


 その時だった。


 屋敷の向こうから、慌しい声が聞こえてくる。老人の声。執事の大江さんだ。


 庭園の惨状を見て顔を青くしながら、誰かを呼んでいる。そして出てきたのは黒沢さんだった。


 お前は鍵がちゃんと閉まっているか、確認してきてくれ。俺は警察を呼んでくる。みたいな感じの指示が聞こえてきた。結構大きい声だから、よく響いたのだ。


 黒沢さんが門に近付いてくる。相変わらず無機質な足取り。無表情の顔。

大光司さんがその様子を見守るように黙ったもんだから、僕も釣られて黙って、黒沢さんを見つめていた。


 でも、黒沢さんに僕らは見えない。霊感が無いのだから、当たり前だ。

僕らが見えない黒沢さんは、門の前に居る僕らには当然気付かないまま、門の鍵を調べる。何度か開けようとして、それでも開かない事を確認したら、そのまま鉄柵にこうべを垂れた。


 体調でも悪いのだろうか。そいういえばこの間も、大江さんが彼女は疲れてるんだと言っていた。メイドさんというのは大変な仕事なのかもしれない。


 しかし、頭を垂れた黒沢さんの表情を伺うと、いつも無愛想だったはずの黒沢さんが、笑みを浮かべていた。


「これが、お嬢様の幽霊がやった、とかだったら、傑作なのに……」


 黒沢さんは知っていたはずだ。今、屋敷に居る大光司綾祢が三人目である事を。だから出た冗談、いや、皮肉なのかもしれない。


 つまりその笑みは自嘲なのだと思った。でも、そうじゃないとすぐに解った。


「でも、そうじゃないよね……?」


 黒沢さんは天を仰ぎ見る。まるで、その先に語りかける相手が居るかのように、優しい口調で、柔らかい物腰で、昨日川奈さんに事情を説明していた時とは打って変わって、感情の篭った言葉を放つ。




「――ちゃんと、見たい景色は見れたわよね? 優莉」




 呼吸が出来なくなった。いや、多分、呼吸さえもしたくなかったんだ。


 今少しでも息をしてしまったら、この空気が壊れてしまうような気がして。


 壊したくないと思うほど、祈るように空を見上げる黒沢さんの姿が、美しかったから。


「……はな」


 隣で、大光司さんが呟いていた。今にも割れそうな程、掠れて震えた声だった。


 そうだ、黒沢さん。大光司さんはここに居るよ。そっちじゃない。空じゃなくて、ここに居るんだ。


 だから、そんな遠くじゃなくて、今、目の前に向かってそれを言ってよ。


 そう伝えたいのに、伝わらない。伝える手段を僕らは持たない。


 見たい景色は見れなかったよ。そんなくそったれな真実を告げるのでは無く、大光司さんはここに居るよと言って、安心させてあげたかった。


 だって、その顔が、その柔らかい表情が、本当の黒沢さんなんでしょう? だったら、それを隠したりしないでよ。


 すぐに陰鬱な面持ちに戻った黒沢さんは、結局僕らには気付かず、踵を返して屋敷に戻っていった。庭園を掃除するための道具を取りに行ったのかもしれない。


 違う。違うんだ。そうじゃない。黒沢さん。君が木島華なら、君の言葉さえあれば、大光司さんを閉じ込めていた鳥籠の扉が開くかもしれないんだ。


 でも、その願いは届かなかった。


 一度も振り向く事なく屋敷に戻っていった黒沢さん。彼女は今、どんな心境なのだろう。


「大光司さん……。義務がどうとか言うんなら、どうするべきか、解るよね」


 鉄柵の向こうを見つめながら、僕は言った。


 解るはずだ。大光司さんなら、いや、木島優莉なら、木島華の心境を理解してやれるはずだ。


 なのに、


「でも、それは出来ないんです……。私は外には出られない。世界の理がそういうふうになっているという事がその証拠です……。私の願いは、間違えていると」


 涙を流しながら、自分と、そしてずっと傍に居たのであろう黒沢さんの想いを、世界がどうたらとかいうたった一言で済ませようとする大光司さん。


 その選択が、我慢が、正しかろうと関係無い。


 ――間違えてるのは世界のほうだ。


 だから、君だって間違えていいんだ。


 それなのに、彼女はそれを否定する。


 世界に美しくあって欲しいから。恨みたくないから。だから自分のせいにする。


 これのどこが正しいんだ?


「私の我侭は、間違っています。だから、許されていいはずが――」


 刹那。


「――良いに決まっているだろう!」


 怒号の声が響き渡る。


 間違いとか、正論とか、そういうものの一切を無視して、張り上げられた声。それは僕の物なんかでは無い。僕は、ここまでかっこよくなれない。


 川奈レイ子。


 瀬野探偵事務所の見習い探偵であり、今回の大光司さんが出した依頼の請負人。


 僕の後ろから、大光司さんを睨みながら、真っ直ぐ、こちらに向かって歩く。


「確かに、間違えてはいけない理由はある」


 堂々とした立ち姿はまるで騎士のようで、


「間違えたくない理由も誰にだってあるさ。だがっ」


 邪魔する者は切って捨てると豪語するような力をその瞳に宿して、彼女は近付く。


「間違えたい理由だって同等にあるはずだ。それら全てを否定した窮屈な世界では、なんの情景も見えなかろうに」


 そして川奈さんは、僕の横を通り過ぎる。


「お前はどうしたいんだ、大光司綾祢」


 詰め寄りながら、川奈さんは大光司さんの肩を掴む。実質、川奈さんだけが触れる事の出来る肩。川奈さんだけが知りうる感覚。


「何が正しくて、何が間違えているかとか、そんなものに囚われて、見えなくなっているものはなんだ! お前の本音は、どこにあるんだ!」


 善悪さえも関係なく、全てを肯定する言葉。


 正しいんじゃない。間違えてるんじゃない。


 正解不正解なんて今は聞いていない。


 聞いているのは模範解答なんかではない、ただの陳腐な感情だ。


 それだけの事なのに、大光司さんは答えない。


 ただ、口元を覆ったその掌が、小さく震えるだけだった。


「家柄に縛られ、世界に捉えられ、自分自身でも締め付けた。そんな状態で何が見える?」


 掴んだ肩を離さない。


 大光司さんの本当の感情が見たいが故に、川奈さんは本音をさらけ出す。


 世間からは軽蔑され、嘲笑されるかもしれないような邪論を、ただ必死に解き放つ。


「お前が愛した人間が、青葉栄太が見せたがっていたものは、善悪なんかで判断して、諦めて良いものなのか!? 間違えているからと、否定されても良いものなのか!?」


 聞いていたのか、と、一瞬思った。でも、川奈さんは昨日の時点で、大光司さんの真相に迫っていた。きっと、その時にはもう、青葉栄太という名前を知っていたのだろう。


「どうなんだよ、大光司綾祢!」


 これで最後だ、と言わんばかりに、川奈さんは全身から搾り出した声と感情でもって全てを告げた。


 あとは、大光司さんにそれが届いたと祈るだけだ。


 大光司さんは答えない。


 まだ、その手は震えていた。


 ふと、その華奢な首が横に振られた。違う、違うんです、と、言外に告げるように、弱々しくも確かな抵抗。


「否定なんてしたくない」


 ようやく、彼女の口が動いた。


「栄太さんが私に見せてくれると言ったものを、否定なんてしたくない。間違えてるなんて思いたくない……当たり前です!」


 口元の手がどかされる。隠されていた涙があふれ出す。


「私が大光司綾祢の仮面を付けて取り繕った姿に気付いてくれたのは彼だけでした! 本当の私を、私さえも知りえなかった『私自身』に、彼は気付いてくれたんです! 大好きに決まってます! 大事に決まってます!」


 それはもう、まさに化けて出る程好きだったのだろう。


 それが間違えてると思い込む事で、自分以外の全てを正当化しようとしていたのだ。恨まないように。呪わないように。


 でも、川奈さんが言った通りだったのだ。


 大光司綾祢も人を呪う。


 それは、悲観とか、冗談とか、卑屈とか、そんなものじゃないんだ。


 間違えてるからこそ人間らしくあれる。


 これもまた、その形のひとつなのだ。


「でも、だったらどうしたらいいんですか!? 外に出られないんです! 外の景色が見えないんです! この街の外が真っ白に塗りつぶされてて、歩く事さえ出来ないんです!」


 そうだ、彼女は、外に出ようとして、消えてしまった。限りなく残酷な世界がシステムという力をもって、彼女を閉じ込めた。それに抗う手段を、彼女は持っていない。


 そしてそれについては、川奈さんもそうだった。私の力ではどうしようも無いと言っていた。


 でも、それさえも、ただの非難じゃなかったんだ。


 それを、川奈さんが現れた方角から走ってきた小さな姿が告げていた。


「私だって、本当は見たい……彼が見せてくれるはずだったものを、この目で……」


 必死に本音を叫んだ大光司さんは、自分で自分に留めを刺してしまったみたいに俯いた。


 どうしてそこで俯くんだよ、と、僕は思う。


 彼女の本音は、今まで言っていたどの奇麗事よりも、綺麗なものに見えたから。


「だったら、その可能性を、私達が示してやる」


 川奈さんがそう言って、来た道を振り返る。そこまで来てようやく、僕は思い至った。


 この現状を唯一打破しうる方法。


 大光司さんがこうやって苦しむような人だったからこそ、そしてようやく本音を明かしてくれたからこそ選択出来る、無二の一手。


「……聞こえたか? 凛」


「うん、ばっちり!」


 やっと追いついた、と、無邪気に笑う少女。川奈凛。その右手には木彫りのブレスレット。


「頼めるか?」


「悪い人じゃないから大丈夫!」


 そして凛ちゃんは、大光司さんに右手を向けて、左手はそのブレスレットに添えて、何かを唱え始めた。


「少しばかり不思議な感覚がするかもしれんが、悪い感覚では無いはずだ。我慢しろよ、大光司綾祢」


「え、……あの?」


 混乱している大光司さんを他所に、事態は進む。時間は刻まれていく。


 そして、詠唱を終えた凛ちゃんの体から真っ白い光が放たれた僕らを包んだ。


 思わず目を閉ざしてしまう程の光。でも、これは現実の光じゃない。


 世界は純白に染まる。美しい光の世界は、凛ちゃんの心をそのまま映し出しているみたいだった。


 光が収束していく。不快感とか、フラッシュによる暗影とかは無い。


 目を開けるとそこには、さっきまでと同じように川奈さんが居て、凛ちゃんが居て、そして、大光司さんが居なかった。


「さて、簡潔に言うぞ、大光司綾祢」


 凛ちゃんのほうを見ながら川奈さんが言うと、凛ちゃんは困惑気味に首を傾げる。




「――お前は今、凛に憑依している」




 凛ちゃんの憑依は、魂ごと結びつく。


 そうなれば、凛ちゃんと同化する事で、大光司さんは外に出られる。


 望んだ景色を、見に行く事が出来る。


「さて、では行こう」


 川奈さんが歩き出す。


 少しだけ傾いた太陽はまだ明るさを保っている。その輝きを受けて、大きくなった背中に僕と凛ちゃん、その魂と同化した大光司さんは続く。


「大光司綾祢。お前の物語のエンドロールを、悲劇なんかで終わらせやしない」


 川奈さんと凛ちゃんは、その血筋故か、馬鹿みたいにお節介だ。

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