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ある探偵と僕の話  作者: 根谷司
鳥篭の呪い
14/19

淑女の未来と束縛と

「困ったものだな」


 大光司さんとの話し合いも終わり、事務所にてぼくと二人きりになった川奈さんは小切手をひらつかせながら、メめんどくさそうに見つめていた。


「なにが?」


 問うと、返答変わりのため息がひとつ。そしてさらに無言の時間が数十秒置かれた。


「……小切手の使い方が解らん」


 うん、そんなところだと思った。


「とりあえず銀行に行けばいいんじゃない?」


「簡単に言うな。……銀行の空気は苦手なんだ」


 病院嫌いの子供かて。


「それで、明日どうするの?」


 めんどくさくなったから話を進める事にした。というより、話題を変えたというべきか。逃げたと言ったほうが正確かな? どちらにせよ、川奈さんの好き嫌いよりはこっちのほうが重要な話だ。


「とりあえず、まずは銀行だな。今日中に金を下ろして、ケイに調べさせる」


「ああ、そういえば情報屋が居たっけ」


 便利なものだ。確かに今回の依頼は事件ではなく事故でしかない。事故が大光司さんの彼氏が見せたかったものを隠してしまっただけの事故なのだから、どこでいつ起きた事故かと、その付近のそれらしきものを探れば済むだろう。こう考えると簡単そうに思えるけどしかし、僕らは大光司さんの彼氏と意思を共有しているわけじゃない。彼が何を見せたかったのかを、本当の意味で知る事は難しい。


 川奈さんはソファーから立ち上がり、自分のデスクに向かう。そして適当なファイルを摘み上げ、中身を落として、変わりに小切手を入れた。


「ケイに調べさせるのは、大光司財閥がもみ消した事故の場所と、どういった事故か。それと、それに巻き込まれた大光司綾祢の彼氏の個人情報だ。あとはそこから、情報を絞る」


 さっきのファイルを鞄の中に押し込む川奈さん。


「どんなふうに絞るの?」


 僕も着いていこうと思って立ち上がる。


「決まっているだろう。それは――」


 言葉が途中で、不自然に途切れた。でも、引き換えに訪れたのは沈黙じゃない。扉が開かれる音と、鈴を転がしたみたいな可愛らしい声だった。


「お姉ちゃん、遊びに来たよ!」


 川奈凛。川奈さんの妹だ。


「タイミングが悪いな。私は今から出かけるところなんだ」


「えーっ。解った。じゃあお兄ちゃんと遊ぶ!」


「ああ、そうしろ」


 僕の意見が全く考慮されていない件について。でも嫌じゃないから不思議だ。凛ちゃんと遊ぶのも僕の仕事。


「では、私は銀行に行った後、そのままケイの所に行く。お前は凛と遊んでいてくれ」


「ああ、うん、解った」


 どうせ、着いていっても何も出来ないしね。ケイさんのところにはむしろ、行かないほうが良いという事もある。


 そそくさと出て行く川奈さんを、僕と凛ちゃんは見送る。そして凛ちゃんと向き合うと、そういえば、大事な確認があったなと思い出す。


「修行、どうだった?」


「うんっ。びみょー!」


 楽しそうに笑顔で行ってるけど、それ全然笑えないからね? いや、冗談とかは抜きにして。


「憑依って、危険な術なんでしょ?」


 凛ちゃんが受けていたという憑依は、自分の体に他の魂を入れて、魂を同化させるものだったと思う。凛ちゃんは誰からそれを教わったのか、そんな危険な術を勝手に覚えてしまった。覚えてしまったのならちゃんと安全に使えるようにしようとしての修行だろう。


「わたしは危険じゃないよ? 楽しいよ、憑依」


「その考え方が一番危険だと思うんだ」


 いつ誰に体が乗っ取られるか解ったもんじゃないからね。


 でも、凛ちゃんはめげない。


「わたしはゆうしゅうだから大丈夫なのですっ。……多分」


 ここは是非ともめげて欲しいものだ。


「今小さく多分って言ったよね? 危険かもしれないっていう自覚はしてるんだね?」


「凛はゆうしゅうだから、危険かもしれない事は解っているのです」


 得意げに言う凛ちゃん。さっきと言ってる事が違う……。


「じゃあ自重しようね、自分のためにならないからね」


「じちょー? かちょー?」


「課長は要らないかな。自重……えっと、自分を大切にしよう、みたいな意味かな?」


「じゃあ大丈夫!」


 にっかりと満面の笑みを浮かべ、小さな手足をいそいそと動かす凛ちゃん。戦隊ヒーロー者の登場シーンみたいな動きだ。


「凛はゆうしゃだから、自分を、えっと、ないがしろ? ……ナイアガラにするのです!」


「意味が解らない言葉を使うのはやめようね」


 僕もたまにやるけどさ。しかも言ってる事は全然僕の言葉を理解してないし。滝になってるし。優秀が勇者になってるし。


「とにかく、自分を大事にしないと駄目だよ? ちゃんと習得できるまでは、憑依は禁止ね」


「うんっ」笑顔で頷いて「ところでお兄ちゃん、憑依して遊ぼー」


 なんも理解してないよこの子……。


「だから、それは駄目なんだって。危ないでしょ?」


「体が乗っ取られなければ大丈夫だよ?」


「それが危ないんだけど……」


「お兄ちゃんは凛の体を乗っ取るの?」


 キョトンと小首を傾げる凛ちゃん。


「そんなわけないじゃないか。絶対にしないよ」


 僕だって弁えるし、それに凛ちゃんには恩がある。恩を仇で返すような事は絶対にしたくない。


「凛の体が目当てだったの?」


「乗っ取らないって言ったよね? あと、その言い方もやめようね」


「うん! ――嫌だ!」


 満面の笑顔で拒絶された。……凛ちゃんはこんなに物分りの悪い事じゃないはずなのに……。


 全てのやりとりが冗談でしたと言外に告げるように、二ヒヒと笑う凛ちゃん。それだけで全部を許してしまいそうになるけれど、凛ちゃんに危ない事はさせたくないというのも本音だ。尊重したい意思と止めさせたいという思いが二律背反(にりつはいはん)を起こす。


 もどかしくて黙ってしまった僕の肩に、小さな手が置かれそうになって、でも、それは架空の体をすり抜けた。


「ありゃ?」


 首を傾げる凛ちゃん。僕は幽霊なのだから、普通なら触れない。僕に触れる川奈さんは特別なのだ。


 なんとなく気まずくなって、さらに黙り込む。でも、凛ちゃんはそんな空気お構いなしに笑う。ただ笑う。


「慰めてあげようとしたのになー」


 まるで僕に残念がって欲しそうな物言いだった。


「あー、それはすごく残念だなー」


 わざとらしく言ってはみたけど、実際結構ショックだった。小学生に慰められる事が出来なかったからじゃない。願わくば、触れて欲しかったのかもしれない。いや、触れたかったのだ。ロリコンと言われようと、犯罪者だと思われようと、笑顔を貫く凛ちゃんの頭を撫でて、偉いね、と言ってあげたい。


 でも、それは出来ない。僕には体が無いから。体が無いというだけで、これほどまでに行動が制限されてしまう。


 逆に言えば、体があるからこそ出来る事は沢山あるのだ。体があるだけで出来る事も山ほどある。


「ねえ凛ちゃん。今、好きな人って居る?」


 恋とかも多分、その一例だろう。


 問うと、凛ちゃんは何故かくるりと一回転して、


「居ないよ!」


 と、両手を広げた。その行動になんの意味があるのだろう。


 でも、


「そっか」


 ここは彼女に合わせるべきだと思い、くるりと一回転する。


「僕も居ないんだ!」


 恋をしたことが無いからね。生きてる時は、生きる事にいっぱいいっぱいで、そういう暇というか、気持ち的な余裕が無かったから。


「……お兄ちゃん、どうして回ったの?」


「あれ? 同じ事をしたはずなのに引かれた?」


「うん、引いた!」


 言いながら、デスクの向こうに隠れる凛ちゃん。楽しそうにそういう事をするのは止めようね、結構傷付くんだよ? とさえ言えない不甲斐無い僕。


「今の回転は、小さいからこそ許される可愛さアピールなのです! だからお兄ちゃんがやっても寒いんだよ!」


「すごい現実的な意見だ! しかも打算だったんだ!?」


 小学生い常識を教わる僕。惨め過ぎる。


「ださんー?」


 凛ちゃんの頭の上にクエスチョンマークが浮かぶ様を幻視した。それを見て、また自分が不用意に難しい言葉を使ってしまった事を後悔する。


 しかし凛ちゃんは、その小さな体をさらに屈めて、


「破産だあああ!」


「知らなくてもいい言葉は知ってるんだね」


 体を大きく開いて、意味の繋がらない発言をしていた。どこで教わるのさ、そういう言葉。


「ねえお兄ちゃん、破産とご破算て同じ意味だよね?」


「ううん、違うと思うよ」


 そして会話の繋ぎ方も間違えてると思うよ。脈絡を下さい。なんらかの関連性を下さい。


「破産っていうのは破格の財産を得る事の略だって先生が言ってたんだっ」


「どこの先生かな、それ。ちょっと苦情の電話するね?」


「やめてお兄ちゃん! 先生は悪くないの! 先生はわたしに夢を持たせてくれたの! だから、怒るならわたしを怒って!」


 なんかすごくかっこいい言い方をしていた。でも、そこにツッコムつもりは無い。今の言葉の中に、もっと気になる言葉があったからだ。


「夢? 夢って?」


 凛ちゃんの夢。小学生の夢と言えばある程度相場が決まっている。でも、こういう子がどういう物になりたいのか気になった。


 凛ちゃんは堂々と胸を張り、もはやそれに成る事が当たり前かのような自慢げな口調で、


「わたしの夢は、将来破産する事だよ!」


 とんでもない事をほざいた。


「うん、ちょっと学校に苦情の電話するね?」


「だめー!」


 受話器を取ろうとしたら凛ちゃんにうよって遮られた。といっても立ちはだかれただけだから、僕に触れない凛ちゃんでは意味が無いのだけど。


 まあ、僕とて冗談だったから良いんえだけど、凛ちゃんに破産の意味を教えるのは気が引けて、放置する事にした。その内解るよね? 卒業文集とかに将来の夢は破産する事! なんて書いたら、黒歴史確定だ。


「それでお兄ちゃん、恋がどうしたの? 凛に恋したの?」


 話を戻しつつとんでもない発言をする凛ちゃん。それは犯罪だ。


「そうじゃなくて、なんていうか、今やってるお仕事が、ちょっとそういう感情が関係してる仕事なんだ」


「?」


 頑張って簡単な言葉を選んで話そうとしたけれど、どうやら失敗だったらしい。細い首が斜めに倒ている。


 どう説明したら良いものかと考えて、


「凛ちゃんは、駆け落ちって知ってる?」


「かけっこしてたら落とし穴に落ちちゃう事の略!」


 なんで落とし穴があるのさ。


「うん、まあ、知らないんだね」


 それもそうかと自責する。


「好きになった人同士で、しがらみ……えっと、二人が一緒になる事を反対してる人たちから逃げて、一緒になるっていう事なんだけど」


 口下手なのが嫌になる。でも、こればっかりは仕方ない。馬鹿は死ななきゃ直らないというけど、それは生まれ変わった時限定なのだ。死んだとしても、そのまま幽霊になってしまえば馬鹿のまま。何も変わらない。


 でも、なんとか伝わったらしい。凛ちゃんは憧れの感情を顕わにして、目を輝かせた。


「かっくいい!」


 かわいい、とか素敵、じゃなくて、かっこいい(かっくいい?)、とコメントするところが、ああ、川奈さんの妹なんだな、と思い起こさせる。川奈さんは重度のかっこつけたがりだからね。


「それでさ、恋ってなんなんだろ、って思って、凛ちゃんに聞いてみようと思ったんだ」


 体が無ければ恋は出来ないはずだ。


 冷たい感性のようにな気もするけど、恋というのは人の生存本能から生じるものだと思うのだ。遺伝子的な、もしくは、子孫的な意味で。


 だから、体が無くて、子孫遺伝子云々の無い僕が勝手に想像するよりも、生きている人に聞いたほうが良いと思った。それは悲観でもなんでも無い、自分なりの冷静な判断というやつだ。


 でも凛ちゃんにも恋の経験が無いのなら仕方ない。というか、小学生になんて事聞いてるんだ、僕は、と、今更自分の質問がおかしい事に気付いた。

答えは出ないな、そう気付いた僕は、次の話を模索し始める。


 しかし、


「恋は解らないけど、一緒に居たいって気持ちは解るよっ」


 明るい口調で言う凛ちゃんは、そのまま楽しそうに続ける。


「ずっと前に居なくなっちゃったお母様とか、家出てっちゃったお姉ちゃんとか、もっとずっと一緒に居たいな、って思うもん。でも、良い子にしてないと神様に怒られちゃうから我慢して、たまにこうやって遊びに来てるんだよ! もちろんお兄ちゃんにも会いたいよ!」


 良い子過ぎて泣きそうだった。ここで泣けない辺り、僕は捻くれているんだろうなと思いました。


「会いたい気持ちも、合えない時間も大事なんだって、お姉ちゃんなら言うと思う。お父様だったら、会えない分だけ思いが強くなるって言うかな? だからわたしはこう思うのです! 会えない時間も楽しもーって」


 小学生にして小学生らしからぬ思考。それでもって小学生然として振舞う凛ちゃんは、天真爛漫でありながら実のところ裏があって、でも、その裏さえも隠さずさらけ出すからこそ、彼女は強い。


 川奈さんが耐え切れなくなった修行にも耐えられる事だろう。川奈さんのお父さんも、川奈さんの時の二の舞にしないよう手加減するだろうしね。


「そっか」


 僕は微笑んで、偉いね、と、言葉だけで賛美する。


 会えない時間も楽しもうと彼女は言った。


 それはすごく正しい事で、すごく偉い事で、すごく難しい事で、それ故に、出来たのならば何よりも素晴らしい事なのだろう。それを惜しみなく言ってのける事もまた、実行するのと同じくらい難しい。少なくとも、心の綺麗な人じゃないと出来ない。


 人は必ず誰かを呪うと川奈さんは言った。


 恨み恨まれ、妬み妬まれ、色んな感情を溜め込んで、事故に遭えだの失敗しろだの別れろだのリア充爆発しろだの、そうやって不幸を願ったりして人を呪うのだと。それもまた正しいのかもしれない。人は本来、そんなに強くないはずだから。その弱さが呪いになるのだろう。


 でも、凛ちゃんは人を呪ったりしないよ。


 他愛の無い話を二人で続けながら、誰に言うわけでもなく、心の中で呟いた。


 呪わない。それは、とても素晴らしい事だと。

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