淑女の意思と偽りと
落とし物の件は諦めて事務所に戻ると、テレビの接続は終わっていた。何も無かった事務所に僅かな彩りが出来たみたいで、少しだけ胸が躍る。
でも、部屋を見回しても、五和さんも川奈さんも居なかった。どこかに出かけたのかな? と思いながらソファーに腰を落とすと、ばふん、という空気が抜けるみたいな音を立てて、ソファーの骨組みが軋んだ。大丈夫なのこれ……。
そういえば、この事務所では霊磁場が強いから、このソファーに座る時とかも僕は人間らしく振舞えるけど、他の場所ではどうなのだろう。
例えば僕が目覚めた時。自分が死んでいる事にまだ気付いてなかった時は、外で物に触れる事が当たり前のように出来た。あの交番にも、その時に一度行っていたはずだ。でも記憶が曖昧で、よく思い出せなかった。あの時って、普通の扉を開けたんだっけ? それとも最初から開いてた? はたまたあの時もすり抜けてたとか?
どこの物に触る事が出来て、どこの物には触れないのか、調べておけば後々なにかの役に立つかもしれない。あと、霊磁場って時間にも関係してるのかとかもそうだ。今度調べよう。
事務所の窓から外を見る。下半分はオフィス街の壁ばかりで味気ないが、上半分には空が出ている。夜になると結構綺麗な星が見えたりして、たまに興奮しているのだけど、いかんせん昼は駄目だ。青空を綺麗だと思う事は出来るのに、あいつってば僕から気力を奪っていきやがる。自分が幽霊だと自覚してからは、尚の事それが顕著になった。
そういうわけで晴天とにらめっこしていた。暇なのだ。だから仕方ない。
でも、ものの十分程度で完敗を喫した僕は、なんの気無しにテレビを点けてようとした。でも、そのテレビにもリモコンにも触る事が出来なかった。
「あれ?」
何度か試そうとしたけれど、結果は変わらない。僕の手はそのリモコンもテレビの電源もすり抜けてしまう。もしかしたら、このテレビは瀬野探偵事務所に来て間もないから、霊磁場を持っていないのかもしれない。場に馴染んでいないという感じだ。
ともすれば今は諦めるしかない。別に、今までも娯楽無しで生活してきたからね。大差無いどころか何も変わらない。ただ人間とは現金な生き物で、娯楽が無いなら無いで割り切れるけど、目の前にあるのに出来ないという状況だと割り切れない事が多い。……これって僕だけ? 違うよね? 皆そうだよね?
「せっかくテレビがあるのに」
ひとりごちる。要するにこういうわけだ。
さて、と一息ついて、時計を確認する。昼の一時。お昼時ともなれば普通は活動真っ最中の時間か、これから活動を開始しますよ、という時間なわけだけど、食事を必要としない僕にとっては、お昼時という事になんの意味も無い。むしろ、半端な時間と言えるだろう。この時間はお客さんとかもあまり来ないし、来たとしても川奈さんが居ないと出る事が出来ない。川奈さんが居ないと何も出来ないのだ。……そうか、これがいわゆうるヒモというやつなのか。
僕に出来る事は限られている。探偵の仕事として出来る事は、尾行調査やストーキング、もしくは追跡捜査くらいだろうか。つまりひとつしか出来ない。
その依頼は一週間で五件くらいあれば多いといえる。幽霊の僕は当然ながら尾行は大得意で、殆ど見つからずにこなせる。僕こそが尾行調査のプロフェッショナル。言うなればキング・オブ・ストーキングなのだ。もはや生きてるのが恥ずかしい。いや、もう死んでるけどさ。
ともかく、今はそういう仕事も無い状態で、暇をもてあましている所だ。
暇な時こそ冗漫になるのが僕の思考で、これが結構便利だ。無駄に考え込んで結局答えは出ないのに、それで満足出来る。出来てしまう。それは中途半端だと言われようと優柔不断と笑われようと、僕はこういう人間なのだから仕方ない。笑いたければ笑えばいい。どうせ皆には僕が見えない。
そういえば、
「川奈さんはどこに行ったんだろ」
大学は今は夏休み中だ。さらに今は大光司さんの仕事以外を受けていないから、川奈さんにもそうそう用事とかは無いだろう。ともすれば、先生のところにお見舞いに行ったのだろうか。
ふと、据え置きの電話が鳴った。
浮き足立ちそうになったけどぎりぎりで留まり、少しの間腰を抜かしてから立ち上がる。
そして電話に出ると、
『もしもし。大家の香椎ですけど』
という老婆の声がした。そういえば、昨日この事務所に来てたよね。わざわざ来てたって事は用事があったのだろうけど、それをすっかり失念していた。
「はい。なんでしょうか」
用件を聞こうと思って声を出してから、昨日、僕が喋った事でどうなったのかを思い出す。
『プツ……ツー、ツー』
無言で切られた。そりゃ、幽霊は怖いからね。
正直なところ落ち込みたかったけど、こんな事で落ち込んでたらそのうち鬱になってしまう。早く慣れないと、体が無くて魂のみで構成されている僕は、きっと大変な事になる。
ソファーに座り直して、嘆息しつつ天井を仰ぎ見る。元は白かったのであろう、薄く黄ばんだ天井だ。その行動に意味は無い。が、暇潰しと気分転換を兼ねて、繋ぎ遊びをしてみようと思った。
白といえば。
昨日依頼に来た大光司さんが一番しっくり来る。あの肌と人格が、白、そのものに思えたから。
では、大光司さんといえば。
依頼だ。いや、依頼のインパクトよりも、駆け落ち、という点のほうが印象強かった。お嬢様が駆け落ちするという危険な賭けを、目の前の女性がしていたという事実は驚いた。
ならば、駆け落ちといえば。
何ものにも変えがたい、何を犠牲にしても構わないという、プラトニックラブだ。愛あればこそ駆け落ちなんて行為に走れる。
ともすれば、プラトニックラブといえば。
真実の愛。いや、客観的に見て保守的な僕からすれば、愛だけでそこに至るというのは些か安直的過ぎる。真実の愛は日常的には見つからないものだろう。では日常を生きている以上は真実の愛にはたどり着けないわけで、逆説的に言うと真実の愛とは非日常という事になる。
そして、非日常といえば。
現実的では無いものや事象。僕でいうと僕という存在。そのものが非現実と言えるだろう。大光司さんで言うなら駆け落ちだ。駆け落ちという行為も稀に見る非日常だったはずだ。
「……」
大光司さんは今、どういう気持ちで居るのだろう、という疑問が湧き出てきた。
真実の愛を見つけ、日常を捨て去ってまで手に取ろうとした彼女はしかし、事故に巻き込まれて彼を失った。その上で捨て去ったはずの日常に帰ってきたということはつまり、現実を突きつけられたという事にもなり得る。
夢を見る事さえ馬鹿らしいと思ってしまいそうな、嫌味な現実。それを、彼女は受け入れる事が出来たのだろうか。出来ているのだろうか。
彼女の依頼は「彼が私に何を見せようとしたのか知りたい」だった。ということは大光司さんはもう、彼の事は諦めているのだろう。諦めるという事はある種、認める事と同義であり、受け入れていると言い換える事も不可能じゃない。彼女は彼の死を認知したのだと、彼女は現実を鵜呑みに呑み込んだのだと、つまりはそういうことになる。
もう一度非現実に手を伸ばそうとする。それが出来ない大光司綾祢という人物に対して、僕に出来る事があるのだろうか。お馴染みストーキングしか脳が無い幽霊の僕に。川奈さんが居なければ誰にも認知すらされない存在に。
……僕はいったい、何をしてやれるのだろうか。
川奈さんが帰ってきたのは夕方になってからだった。
夕方、といっても、外はまだ青い。五時を過ぎてもこの明るさを保つ夏は、今思えば生前から嫌いだったな。そんな事を考えてしまったのは多分、さっきまでしてた考え事のせいだ。
僕は生前、人の役に立てない無力な人生を送っていた。意味の無い生誕。価値の無い人生。それが僕だった。
それでえ今は、人の役に立ちたいと思っている。
川奈姉妹に助けられて、その恩返しも兼ねて、人のために何かが出来たらな、と。
でもいざその場面が来ると、僕の無力さが浮き彫りになる。能力も体も無い僕に出来る事。生前すら何も出来なかった僕にもやれる事を脳内で模索して、結局見つけられなかった。
「どうした、ゾンビみたいな顔をして」
川奈さんに失礼な事を言われた。
「いや、まあ幽霊ではあるけどね」
だからツッコミようが無い。
「冗談の通じないやつだ。解りやすく言い直してやろう」
川奈さんはひとつ、深いため息を吐いた。
「人を呪いそうな顔をしているぞ」
「言い直したというより悪化させられただけじゃないかな、それ」
結局どういう顔なのか解らないままだし。
これは流石に訂正を求めるべきだ、と判断した僕は、ソファーに沈めていた身を少しだけお越し、それに、と、言葉を紡いだ。
「僕に人を呪う力は無いよ。悪霊じゃないんだから」
悪霊にもあるかどうか解らないけど、少なくとも僕には無いはずだ。
しかし川奈さんは、唇を吊り上げて、嘲るように笑った。
「呪いは誰にだって出来るぞ。ただ恨めばいいだけだからな」
そもそも悪霊にだって、呪う力は無いのだと川奈さんは言う。
「怪奇現象を起こす事は出来ても、呪いとそれは別物だ。呪いは基本的にはただの自己満足だからな」
「そうなの?」
テレビとかで見た事があるけど、そんな哲学的なものじゃなかった気がする。
でも、川奈さんは事務椅子に越掛けながら、そうだ、と答えた。
「そもそも不幸不運不遇は誰にでも訪れるものだ。なんなら四六時中そこらじゅうにあると言っても過言ではない。呪いとは関係なく、人は簡単に傷付けられるのだ」
得意げな顔で、解りきっているというような口調で、ぶっちゃけ卑屈過ぎて引くような発言を、彼女は続ける。
「それを、呪った側の人間は自分の功績だと勝手に思い込む事で鬱憤を晴らすのさ。だから呪いは誰にでも出来るし、誰しもがやっている事だ」
嫌いな人とか気に食わない相手に呪詛を吐くのは確かに、多くの人がやる事だ。リア充爆発しろ、とかもその一環だよね。
でもだからって頷けない。この人をこれ以上卑屈にしてはいけない。僕がなんとかしないと。
と、口を動かそうとしたら、川奈さんに先手を取られた。
「つまり凛にも人が呪える」
「やめて、それは考えたくない」
あんな良い子が将来「リア充爆発しろ」なんて言ってるところを想像したら鳥肌が立った。僕としてはその光景そのものが呪いだ。
「昨日来た大光司綾祢も人を呪った事があるぞ」
「見てきたみたいに勝手な事を言わないでよ。初対面の人を妄想に巻き込まないであげて」
僕の精神衛生上のためにも是非。
「なんなら私とて人を呪った事があるくらいだ」
「ああ、それは確かに」
「何故ここで納得する?」
「え、だって説得力あったし」
「いや、今のは説得ではなくただの例えだぞ」
「じゃあ、やけに現実味のある例えだなーって関心したよ」
「なぜ上から目線なんだ?」
「軽蔑してるからじゃないかな。僕が、川奈さんを」
人を呪った事がある、という経験を得意げに語ってる時点で人格に問題があると思うんだ。
「お前、私はお前より年上だぞ? 敬語を使わない上で暴言まで吐くとか、ふざけてるのか?」
「まあ、三割くらい冗談だからね」
「殆ど本気じゃないか」
「関係無いんだけど、そろそろデスクの上を片付けたら?」
「はっはっは。本当に関係ないな」
いや、今のは冗談じゃなくて十割本気だったのだけど、川奈さんはわざとらしい空笑いを浮かべて、ペットボトルのカフェオレを口に含ませた。
そしてデスクの一番上にあった何かの紙切れを引っつかんで凝視した。カフェオレを何度か口の中で転がすようにして味わってから、苦しそうな表情を浮かべつつも一気に飲み込み、手に取っていた紙も、元の場所目掛けて放り投げる。
「……苦いな。カフェインも、現実も」
「まあ、うまくはないよね」
川奈さんのコメントも、逃げ方も。
「冗談はさておき」
今のやり取りのどこに冗談があったのだろうか、とも思ったけど、今更突付いても不毛だ。川奈さんがどこから冗談のつもりだったのかを測るためにも、聞きに徹する――
「どうしたんだ、ゾンビみたいな顔をして」
「ああ、そこまで戻っちゃうんだ」
――つもりだったのだけど、川奈さんのボケがあまりにも傍若無人だったため口を挟んでしまった。川奈さん的には全部冗談だったんだね。つまらない冗談をありがとう。川奈さんが言うと大抵の冗談が冗談にさえなってないから困りものである。というかそこは本気だったんだ。
「ねえ、結構失礼な事を言ってるって気付いてる?」
「? 気付いてないとでも?」
確信犯ですかそうですか。
「年上に敬意を払わず、あまつさえ暴言さえ吐いてみせる貴様に対して礼節を重んじる必要があるとでも?」
まあそうだよね。無いよね。
「どうでもいいけど川奈さん。心の広い寛容な人ってかっこいいよね」
「ああ、まあそうだな。で、それがどうした」
拗ねた様子の川奈さん。もっと拗ねろ。
「話を戻すけど、川奈さんって年齢とか気にしないよね? 暴言とかも許してくれると信じてるよ」
「ああ、もちろん許すとでも言うと思ったのか? そんな簡単に釣られると思ったのか? お前は私を馬鹿にしているのか?」
「え? いや、まあ、割と」
「喧嘩を売ってるなら買うが?」
「先に喧嘩売ってきたのはどっちさ」
「……」
沈黙。
そして何かを思い出したかのように指ぱっちんして、
「どうしたんだ、顔が青いぞ」
全部を無かった事にする気だこの人。やり方が子供じみている。
でも、聞かれた事の内容が内容なだけに、これ以上ふざけるべきではないな、と自重する。
顔が青いのは多分、気分が落ち込んでいたからだ。大家さんに無言で電話を切られた事は、内心ショックだったのかもしれない。
でも、そうだとしたらそんな事をわざわざ川奈さんに言う必要も無いだろう。ならばやるべきことをやるまでだ。
僕は大丈夫だよ、とだけ答えてから、話題を切り替えた。
「そういえば、大家さんから連絡があったよ」
ふと、川奈さんの眉がピク、と釣りあがる。
「電話か?」
「電話も来たし、事務所にも来た。ここに幽霊が居るって、ばれちゃったかも」
かも、というより、確実にばれたと思うんだよね。事務所に直接来た時の大家さんからすれば、受話器が宙に浮いている場面を見てしまったのだから。
川奈さんは少し考えるような仕草をしてから、
「大丈夫だろう」
と、電話を手に取った。そして番号を押して、耳に当てる。大家さんに連絡するようだ。
「もしもし、川奈です。着信に履歴が残っていたので折り返しさせて頂きました」
さも当然のように言ってるけど、この事務所に置いてある電話に履歴は残らない。つまりこれは嘘だ。
「ええ、ええ。成る程。そんな事が……」
なんのやりとりをしているかは解らない。でも多分、大家さんの用件ではなく昨日今日で起きた、僕が原因の怪奇現象について、大家さんが語っているに違いない。
胸の内から申し訳なさがこみ上げて来る。この電話が終わったら素直に謝ろう、と意を固めていたら、
「――それは気のせいです」
なん……だと……?
一瞬川奈さんが何を言ったのか解らなくて放心しかけた。なんとか意識を繋ぎとめる事は出来たけど、その変わりに川奈さんの人格を疑う羽目に。
「私に霊感があるのはご存知とは思いますが、その私が言うのだから間違いありません。ここに幽霊など居いない。居るはずがありません」
嘘で騙し通すつもりなのだろう。その火の粉を撒いた本人の僕が言うのもなんだけど、それは流石に無理があるんじゃないかな、と、思わなくもない。
「昨日の夜には夢でも見たのかと思います。実際に着信履歴には残っていましたが、香椎さんももうお年ですし、疲れが溜まっていたのでしょう。お体を大事にしてください。それと、今日のお昼頃には着信はありませんでした。ええ、一件も、です。電話先を間違えたのではないかと」
よくそんなつらつらと嘘が出るもんだ、と、逆に関心してしまった。川奈さんてば、もしかして探偵より詐欺師に向いてるのでは?
「それで、ご用件というのは?」
しかも話が通ってるし。大丈夫かな大家さん、いつか詐欺に騙されたりとかしないかな。今みたいに。
「ああ、それなら下の階の五和圭吾を訪ねてみると良いでしょう。彼ならきっと力になれるはずです」
しかもなんかの頼み事を五和さんに押し付けてるみたいだし。すごい、少しの電話のやり取りだけでこんなに駄目出しすべきポイントが生まれるなんて思わなかった。でも元はといえば僕のせいでもあるから何も言えない。
そうこうして電話を切った川奈さんは、一拍置いて僕のほうを見た。
「ほらな、問題無かっただろう?」
「……うん、まあね。ありがとう」
でも後味は悪い。口の中に消しゴムでも入ってしまったんじゃないかみたいな後味だ。この感覚はなんなのだろうか。
「責任は責任者が取るというのが世の常ではあるが、私は責任を取りたくないからな。少々知略を働かせてみた」
理由が最低だった。
「知略というよりただの詐欺だけどね」
良い響きをの言葉を選択して悦に入ってるところ悪いけど、やっぱり指摘させてもらうことにした。僕のせいでこうなったとしても、さっきのはちょっとかっこ悪い。いや、まあ考えてみたらそれくらいしか打開策は無かったのかもしれないけどさ……。
「そういえば、大家さんの用件ってなんだったの?」
ふと気になっていたことを聞くと、川奈さんはその鋭い目で射抜くように僕を睨んだ。
「お前の事だよ」
「へ?」
理解できなくて聞き返すと、川奈さんは呆れたように嘆息する。
「最近この探偵事務所に新しい従業員が入ったのではないか、と疑われてな。従業員を雇ったなら雇ったで、大家に報告をしろ、との事だった。だが実のところお前は従業員じゃないし、言ってしまえば幽霊だ。報告は省きたい、というよりも極力お前の存在を公にはしたくない」
なるほど、それは確かに僕も思っていた事だ。
「それでどうして、五和さんに話しを振ったの? 情報屋さんだよね、五和さんって」
「ああ、それはな」
川奈さんはもったいぶるように間を置いて、黒髪をかきあげて気だるそうな表情を浮かべた。
「あいつがこのビルを盗撮してるからだ」
あ、川奈さんの遠い目、初めて見た。
「つまり、犯罪者?」
「すれすれだ」
「というと?」
「一応名目は防犯という事になっている。もちろん階段くらいしか撮影していないし、理にも適っているんだ。問題があるとすれば、撮影することを大家に話していないという点くらいか」
「つまりすれすれでアウトなんだね」
その唯一の問題点というのが決定打だと思う。
「でも、それがどうして、大家さんの話と繋がるの?」
監視カメラと僕のどこに共通点があるのだろうか。
川奈さんはめんどくさそうにしながらも、人差し指を立てて答えてくれた。
「ケイが使っている監視カメラには幽霊は映らないんだよ」
「監視カメラって……でも、テレビとかではカメラとかビデオとかに、よく幽霊
映りこんでたりするよね?」
心霊写真とか、そういうやつだ。
「霊磁場だ」
間髪入れずに立てた人差し指を下ろし、
「カメラにも霊磁場があってな。霊磁場の高いカメラには幽霊が映る。それか、撮影された場所や時間も関係するが……そうだな、もしこの事務所に数日カメラを置いておけば、そのカメラには一時的に、幽霊が写るようになるだろう。だが基本的には写らないからな。気が向いたら今度、ノックせずにケイの部屋に行ってみろ。普通に壁を通過出来るぞ」
探偵に犯罪を推奨されました。
「ま、まあ話は解ったから、それはやめておくよ」
それに五和さんは幽霊が嫌いみたいだったし。僕が行っても怖がらせるだけだ。それは避けたい。まあ、どうせ見えないんだろうけど。
「ああ、それと」
ふと、大家さんの用件が終わったからか、関連しているわけでも無いのに、もうひとつの事を思い出す。
「大光司さん、依頼の書類を道に落としちゃったかもしれない」
「どういうことだ?」
眉をしかめさせた川奈さんに、散歩してたら凛ちゃんと出会った事と、交番での事を話した。
「まあ、書類のほうは問題ないだろう。あれはどうせ白紙だったからな」
あそこから個人情報が漏れる事は無いから、心配は要らない、との事だ。しかし、
「凛が修行、か……」
苦虫を噛んだみたいな顔をして、川奈さんは天井を見上げる。川奈さんは実家でやらされていた修行が辛くて家出しいた人間だ。それと同じ道を妹が通るのではないかと心配しいているのかもしれない。
少なくとも僕に干渉できる事ではなさそうだ。出来る事が限られている僕にとって、他人のドメスティックな事にまで首を突っ込むというのは出来ない事に含まれる。そもそも凛ちゃん本人が大丈夫だと言ったのだから、今はそれを信じたい。凛ちゃんが修行の苦痛に耐えられなくなる事を前提にしてしまうのは、あまりに冷たいし、心配しない事よりも薄情に思えた。
「凛ちゃんなら、心配要らないんじゃない?」
全部纏めてそう言うと、川奈さんも納得して頷いた。
続いていた話が終わり、事務所に静寂が訪れる。訪れる、というには日常的過ぎる沈黙。これが客人なら常連さんという事になる。これが常連だというにはあまりにも重過ぎる気がして、脳内で変換。沈黙は客ではなく、同居人。
その同居人は随分と長い事その場に留まっていた。僕もさして話す事が無く、川奈さんは川奈さんで、何かの書類を広げながら、携帯とにらめっこしていた。
一時間程それは続いた。でも、川奈さんの作業の手に止まる気配が無いと気付き、いい加減気になり始める。
「何をしてるの?」
痺れを切らして問うと、
「仕事だ」
と、携帯から目を離さないまま川奈さんは答えた。携帯の画面に仕事があるのかしら。
「なんの仕事?」
そもそも今は大光司さんの依頼以外には無い、ともすれば大光司さんから話を聞かないと事は進まないはずだ。つまり、現状仕事なんて無い。
「探偵の仕事以外に私の仕事があるか?」
当たり前みたいに答えるもんだから、僕は曖昧な問いを止めることに。
「僕にはずっと携帯をいじっているようにしか見えないんだけど」
その言葉に、心外だ、と言いたげな鋭い視線が帰ってきた。
「ニュースを見ていたんだ。大光司綾祢が巻き込まれたという土砂崩れというのを確認しようと思ってな」
「ああ、本当に仕事してたんだ。疑ってごめん」
「どうしてこういう時だけ素直に謝るんだ。逆に気持ち悪い」
僕も大概失礼だけど、川奈さんもなかなかだよね。
「で、成果は?」
川奈さんのコメントはスルーさせて頂くとして、今は気になる事を進めようと判断した。
川奈さんはコメントを流された事に不満を感じたのか、小さく舌打ちをしながらもしかし、携帯から目を離した。
「からっきしだ」
降参する兵士みたいなお手上げをして、もう一度舌打ち。
「S県A市の土砂崩れなんてニュースには取り扱われていないし、さらに言えばここ一年は、二人の人間が巻き込まれた土砂崩れというのも発生していない」
「はい?」
若干意味が解らなかった。だって、それじゃあ大光司さんが言ってた事と矛盾する。
「一応二年前まで遡ってみたが、あったとしても男女二人組が巻き込まれた事故は無かった。本当に小さくてニュースに取り扱われていなかったのか、それとも大光司綾祢の話に間違い、もしくは虚偽があったのかだ」
「大光司さんが嘘を吐くような人には見えなかったけど……」
「大光司綾祢も人を呪うさ」
川奈さんは当たり前のようにそう言った。人は誰しもが誰かを呪っている。そんな冷たい事が、この世界の常識であり真理だとでも言いたげに。
「理由があれば嘘も吐く。人間ならば当然だ」
言いながら彼女は立ち上がった。まるで僕の反論は受け付けないとでも言うように、そそくさと歩き出す。
「ちょっと、どこに行くのさ」
聞きながら僕も立ち上がると、
「家だよ」
と、川奈さんは振り向いた。
「気になってしょうがないからな。大光司綾祢の家に行ってみようと思う」
動機が不純だな、とは、ツッコまないでおいた。




