64 ガルム村再興
朝日が山並みを照らし始める頃、青年は静かに口を開いた。
「俺の名はレイン。二十歳だ。」
短い自己紹介だった。
飾る言葉はない。
その一言だけで、この場にいた者たちは彼の覚悟を理解した。
レインの背後には二十人ほどの若者が立っている。
年齢はいずれも二十歳前後。
女性が十人、男性が十人だった。
女性は、索敵役のセリアール、ソフィア、エレノア、リリアブルー。
行政を得意とするクロエール。
物流を担うアイリール。
生産担当のフレアース。
穏やかな笑みを浮かべるルナムーン。
自警を担うカレンメタル。
そして行動力に優れたアリスランド。
男性は狩猟を担当するレイアース。
農業担当のアレンガイト。
秘書役として冷静な判断力を持つノアライト。
剣士のレオンハルト。
槍術を得意とするジークフリート。
知識豊富なカイトノベル。
屈強な体格のエルヴィン。
判断の速いシンガリル。
寡黙なルークリアス。
そして器用さに定評のあるキースライド。
誰も豪華な鎧など身につけていない。
質素な服装。
しかし、その瞳には強い意思が宿っていた。
彼らは飢えも病も知っている。
家族を失う悲しみも知っている。
だからこそ、人を救うために迷わなかった。
レインは村を一望すると静かに言った。
「散開。」
その一言だけだった。
命令というより確認だった。
二十人は一斉に走り出す。
誰一人、指示を待たない。
誰を助けるべきか。
何を優先すべきか。
すでに理解しているからだ。
セリアールたちは家々を巡り、寝込んでいる病人を探した。
ソフィアは老人を背負いながら広場へ向かう。
エレノアとリリアブルーは歩けない子供を抱き上げる。
クロエールは村人へ優しく声を掛けた。
「安心してください。広場へ集まってください。」
怯えた表情の老人が尋ねる。
「本当に治るのか……。」
クロエールは穏やかに微笑んだ。
「希望を捨てなくて大丈夫です。」
アイリールは荷車を借り、寝たきりの老人を運ぶ。
フレアースとルナムーンは泣いている子供をあやしながら歩く。
カレンメタルとアリスランドは怪我人を支え、広場まで運び続けた。
男性陣も動く。
レオンハルトとジークフリートは瓦礫をどかし、道を作る。
レイアースは足を折った青年を背負う。
アレンガイトは動けない老婆を抱きかかえる。
ノアライトは村人の人数を確認し、混乱しないよう誘導する。
カイトノベルは空き家から毛布を集めた。
エルヴィンとシンガリルは重傷者を慎重に運ぶ。
ルークリアスとキースライドは子供たちを励ましながら広場へ連れてきた。
一時間も経たないうちに、広場には二百人近い村人が集まっていた。
病人。
怪我人。
幼い子供。
歩くことも難しい老人。
誰の顔にも疲労が色濃く浮かび、長く続いた飢えと病が生活を蝕んできたことを物語っていた。
レインは静かに彼らを見回した。
慌てる様子はない。
焦る様子もない。
ただ、目の前にいる人々を救うことだけを考えていた。
「病人はこちらへ。」
五十人ほどが前へ出る。
咳を繰り返す者。
熱に苦しむ者。
立っていることすら難しい者。
続いて怪我人が集まる。
三十人ほど。
切り傷。
骨折。
魔物に襲われた傷。
古傷が化膿した者も少なくなかった。
レインは一人ずつ手を取っていく。
「魔力を感じてください。」
穏やかな声だった。
病人たちは恐る恐る目を閉じる。
その瞬間。
レインの体内で高速に循環する魔力が、相手の身体へ静かに流れ込んでいく。
魔力循環。
コウランから学んだ技術だった。
強引ではない。
相手の流れを整えるように、ゆっくりと導いていく。
魔力は身体中を巡り、滞っていた流れを整え始めた。
青白かった老人の頬に赤みが戻る。
苦しそうだった呼吸が少しずつ落ち着いていく。
「……息が、楽だ。」
老人は驚きながら胸に手を当てた。
熱で震えていた少女も汗が引き始める。
母親は娘の額に触れ、思わず涙を流した。
「熱が……下がっています。」
怪我人にも変化が現れる。
裂けた皮膚がゆっくりと閉じ始める。
腫れ上がっていた腕が元の形へ戻る。
血が止まり、激しい痛みも和らいでいく。
骨折した青年は恐る恐る腕を動かした。
「動く……。」
周囲から驚きの声が漏れる。
「あんなに腫れていたのに。」
「傷が閉じていく。」
「奇跡だ……。」
それでもレインは表情を変えなかった。
奇跡ではない。
正しい知識を学び、正しい方法で魔力を扱った結果に過ぎない。
広場の少し離れた場所では、コウランが腕を組み、静かにその様子を見守っていた。
助言はしない。
命令もしない。
弟子が自ら考え、自ら行動する姿を見届けることこそ、彼の役目だった。
その隣では吟遊詩人レックが、ノートを開き、一つひとつの出来事を書き留めていた。
治療の順番。
村人たちの表情。
レインの魔力循環。
回復していく病人と怪我人。
未来へ残すべき歴史として、一行たりとも漏らすことなく記録し続けていた。
病人と怪我人の治療がひと段落すると、広場の空気は先ほどまでとは明らかに変わっていた。
苦しそうにうつむいていた人々が顔を上げ、互いの無事を確かめ合っている。
しかし、コウランは表情を変えなかった。
病を癒すだけでは村は立ち直らない。
飢えを満たしてこそ、人は明日を考えられる。
その考えを理解していたのは、レインたちも同じだった。
「炊き出しを始めよう。」
レインが静かに告げると、六人の女性がすぐに動き始めた。
セリアールとソフィアは大鍋を火に掛ける。
鍋には澄んだ水が注がれ、ほどなく湯気が立ち始めた。
エレノアとリリアブルーは解体された巨大なボア肉を手際よく切り分けていく。
赤身と脂身のバランスを見極めながら、煮込みに適した大きさへ揃えていく様子には無駄がない。
クロエールとアイリールは周囲の村人へ声を掛けた。
「器を持ってきてください。」
「子供とお年寄りを先にお願いします。」
誰も大声を出さない。
誰も威張らない。
自然と役割が分かれ、村人もそれに従って動き始める。
これも教導の成果だった。
鍋へ大量のボア肉が入れられる。
さらに野草や山菜、森で採れた香草も加えられた。
やがて脂が溶け出し、食欲を誘う香りが広場いっぱいへ広がっていく。
ぐぅ……
子供の腹が鳴った。
その音に周囲から小さな笑いが起こる。
笑ったのは久しぶりだった。
母親は照れ笑いしながら子供の頭を撫でる。
「もう少し待とうね。」
子供は力強くうなずいた。
やがて鍋いっぱいに煮込まれたボアスープが完成する。
セリアールが木のおたまで丁寧によそぐ。
ソフィアが器を受け取り、一人ずつ手渡していく。
「熱いので気を付けてください。」
「ゆっくり召し上がってくださいね。」
病み上がりの老人には少し冷ましてから渡す。
小さな子供には飲みやすいよう肉を細かくほぐす。
誰一人取り残さない。
そんな優しさが自然に表れていた。
器が空になる頃には、大鍋の中身も少なくなっていた。
するとエレノアとリリアブルーがすぐに動く。
残っていた肉を切り分け、新しい鍋へ入れる。
クロエールとアイリールも水を足し、再び火力を調整した。
湯が沸く。
肉が煮える。
香りが立ち上る。
二杯目のスープが出来上がるまで、それほど時間は掛からなかった。
「こちらにもどうぞ。」
「まだありますよ。」
村人たちは遠慮しながらも器を差し出す。
長い飢えの生活では、おかわりなど考えられなかった。
しかし今日は違う。
鍋は何度作り直しても、まだ材料が残っていた。
三百キログラムもの巨大なボア。
その恵みは想像以上だった。
それでも肉は大量に残っている。
その様子を見たレオンハルトが笑った。
「焼こう。」
ジークフリートも力強くうなずく。
二人は大きな鉄板を据え付け、火力を調整した。
ジュウッ。
分厚いボア肉が鉄板へ並べられる。
脂が弾け、香ばしい匂いが一気に広場を包んだ。
焼き色が付いたところで裏返し、岩塩を軽く振る。
余計な味付けはしない。
素材そのものの旨味を生かす。
「こちらへどうぞ。」
焼き上がった肉が皿へ並べられる。
子供たちは目を輝かせた。
「お肉だ……。」
老人も目を細める。
「こんな厚い肉を見るのは何年ぶりだろう。」
恐る恐る口へ運ぶ。
噛んだ瞬間、肉汁があふれ出した。
「うまい……。」
その一言だけだった。
別の老人は涙を流しながら肉を味わう。
「温かい……。」
「こんな食事を、また食べられるなんて。」
母親は子供へ肉を小さく切って渡す。
子供は夢中で頬張った。
頬いっぱいに肉を入れながら笑う姿を見て、母親も思わず笑顔になる。
広場には少しずつ活気が戻っていった。
食事とは、生きる力そのものだった。
空腹が満たされるだけではない。
人の心にも温もりを与えていく。
その光景を少し離れた場所から、コウランは静かに見つめていた。
指示はしない。
賞賛もしない。
弟子たちは、自ら考え、自ら役割を見つけ、自ら人を救っている。
それで十分だった。
隣ではレックがノートを開き、丁寧に筆を走らせていた。
『レインたちは治療だけで終わらせなかった。食事を与え、人々の心を立ち直らせた。飢えた者に温かい料理を振る舞うこともまた、教育であり救済である。』
さらに彼は、六人の女性が息を合わせて鍋を作り続けた様子、レオンハルトとジークフリートが鉄板焼きを担当したこと、三百キログラムのボア肉が約二百人の命を支え、それでも十分な量が残っていたことまで細かく記録していく。
レックは静かに顔を上げた。
広場では、先ほどまで絶望に沈んでいた村人たちが笑い合い、温かな湯気の立つ器を手に語り合っている。
その光景を胸に刻みながら、彼は一文を書き加えた。
「人は、希望を語られるだけでは立ち上がれない。温かな食事と、差し伸べられた手があって初めて、未来へ歩き始める。」




