表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
旅人は教えるだけ。あとは人々が勝手に世界を変えていった  作者: 慈架太子


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
5/40

5 解体・調理

 森の奥に、巨大なボア系の魔物が横たわっていた。


 先ほどまでジャイルやレム、エリカたちが力を合わせて仕留めた獲物である。村では滅多に見られない大物だったが、その前に立つコウランの表情は変わらなかった。


「狩りは終わりじゃない。食材にして初めて価値になる」


 静かな一言に、その場の空気が引き締まる。


 アイリスは腕を組んだ。


「解体なんて、腹を裂いて肉を切れば終わりじゃないの?」


 レムも頷く。


「冒険者も似たようなものだ。急いで肉だけ取って終わらせる。」


 エリカは豪快に笑う。


「私は丸ごと担いで村へ持ち帰る派だ。」


 コウランは首を横に振った。


「それでは食べられる肉も素材も減る。」


 そう言うと、水魔法で透明な水膜を指先へまとわせる。


 刃ではない。


 極限まで薄く圧縮された水だった。


「水刃。」


 音もなく皮へ触れる。


 次の瞬間、皮だけが美しく切り開かれた。


「えっ……。」


 フェルトアが息を呑む。


 肉には傷一つ付いていない。


 皮だけが滑らかに剥がれていく。


 コウランは一定の速度で魔力を流し続ける。


 魔力操作。


 そして魔力循環。


 余計な力は一切使わない。


 必要な分だけ魔力を流し続けるため、消耗もほとんど見えない。


 ノールは思わず尋ねた。


「そんなに細かく魔力を動かせるんですか……。」


「誰でも練習すればできる。」


 さらりと答える。


 その一言が少年少女たちの胸を打った。


 才能ではない。


 教育で届く技術なのだ。


 コウランは皮を丸ごと取り外すと、筋膜を一枚ずつ切り離していく。


「皮は革になる。


 脂は灯りや石鹸の材料。


 骨は道具になる。


 牙も売れる。


 血も肥料になる。」


 エリスが目を見開いた。


「捨てる場所がない……。」


「そうだ。」


 コウランは頷く。


「貧困村ほど、一つの命を無駄なく使う。」


 村人たちは静まり返っていた。


 今まで自分たちは、どれほど価値を捨てていたのか。


 そんな思いが胸を満たしていく。


 続いてコウランは関節へ指を添えた。


 骨を切らない。


 関節だけを外す。


 軽く力を加えるだけで脚が分かれた。


 レムが驚く。


「力任せじゃないのか。」


「力を使うほど肉を傷める。」


 肩肉。


 ロース。


 バラ肉。


 モモ肉。


 ヒレ。


 部位ごとに切り分けられていく。


 サムの目が輝いた。


「部位で値段が変わる……。」


 コウランは微笑く。


「よく見ている。」


「高く売れる肉と、煮込み向きの肉は違う。」


「脂の多い場所も違う。」


「商売は知識から始まる。」


 サムは真剣な表情になった。


 今まで肉は肉だった。


 しかし目の前では、一頭の魔物が何十種類もの商品へ姿を変えていく。


 これが物流なのか。


 これが商売なのか。


 少年は初めて理解し始めていた。


 続いてウルフ系の魔物も解体される。


 こちらはさらに繊細だった。


 牙を傷つけない。


 毛皮を裂かない。


 爪も一本ずつ丁寧に外していく。


 フェルトアは感心した。


「きれい……。」


「食べ物を粗末にしない。」


 コウランは手を止めない。


「命をいただくなら、最後まで使う。」


 その言葉は森の静けさの中へ染み込んでいった。


 ジャイルは拳を握る。


「俺たち、今まで損してたんだな。」


「知らなかっただけだ。」


 コウランは否定もしない。


 責めもしない。


 ただ事実だけを伝える。


「教育がなかった。」


 その短い言葉に、誰も反論できなかった。


 この世界には魔力を持つ者が多い。


 それでも魔法を使えない者が大半を占める。


 解体も同じだった。


 才能がなかったわけではない。


 教わる機会がなかっただけだった。


 やがて巨大なボアは、美しく部位ごとへ並べられていた。


 肉。


 内臓。


 皮。


 脂。


 骨。


 牙。


 爪。


 どれも商品になり、食料になり、生活を支える資源になる。


 アイリスは目の前の光景を見つめ、小さく呟いた。


「狩りって……倒すことじゃなかったんだ。」


 コウランは静かに答える。


「村を生かすことだ。」


 その一言が、少年少女たちの価値観を大きく変え始めていた。


 そしてコウランは切り分けた肉を見渡しながら、次の作業へ移る。


「次は調理だ。」


 その言葉に、村人たちの視線が一斉に集まった。



 コウランは切り分けたロース肉を一枚取り上げた。


「まずは焼いてみよう。」


 そう言うと地面へ手を添える。


 淡い茶色の魔力が地中へ流れ込んだ。


「土魔法。」


 静かな声とともに、大地がゆっくりと盛り上がる。


 平らな岩が現れ、表面は磨き上げられた石板のようになった。


「これが調理台……。」


 エリスが驚く。


 さらにコウランは石板の脚を作り、かまどの形へ整えていく。


 余計な装飾はない。


 料理をするためだけに必要な形だった。


 次に指先へ火属性の魔力を集める。


 小さな炎が石板の下へ灯る。


 じわりと熱が伝わり、石板が温まっていく。


「焼き過ぎない。」


「肉は火を入れ過ぎると硬くなる。」


 その言葉にレムが首をかしげた。


「私は強火で一気に焼いていた。」


「それでも食べられる。」


 コウランは穏やかに答える。


「けれど、おいしさは残せる。」


 ロース肉を石板へ置く。


 ジュウッという音が森へ広がった。


 香ばしい匂いが風に乗る。


「いい匂い……。」


 フェルトアがお腹を押さえながら小さく笑う。


 アイリスも思わず唾を飲み込んだ。


 今まで村で食べてきた肉とは違う香りだった。


 コウランは肉を一度だけ返す。


 焼き色は美しく、肉汁が閉じ込められている。


 皿代わりの平たい石へ盛り付け、小さく切り分けた。


「食べてみるといい。」


 恐る恐る口へ運んだジャイルの目が見開かれる。


「うまい!」


 続いてレムも驚いた。


「同じボア肉とは思えない。」


 エリカは豪快に笑う。


「柔らかいぞ!」


 サムは黙って何度も頷いていた。


 素材は同じ。


 違うのは扱い方だけ。


 知識が価値を変えている。


 それを少年は肌で理解していた。


 やがて焼き上がった肉は次々と皿へ並び、村へ運ばれた。


 村人たちは恐る恐る口へ運ぶ。


 そして次の瞬間、あちこちから笑顔がこぼれた。


「こんな肉は初めてだ。」


「柔らかい。」


「子どもでも食べられる。」


 長く栄養不足だった子どもたちも夢中になって頬張る。


 その光景を見ながらフェルトアは涙ぐんだ。


「みんなが笑ってる……。」


 コウランは静かに頷いた。


「食事は人を生かす。」


「強くする。」


「心も支える。」


 しばらくしてエリスが申し訳なさそうに口を開く。


「一つ問題があります。」


「何だ。」


「塩がほとんどありません。」


「村に残っている塩では、この肉を保存できません。」


 コウランは少し考え、切り分けた肉へ視線を向けた。


「なら今日は保存できる形を作る。」


 再び水属性の魔力が広がる。


 空気が一気に冷えた。


 水蒸気が白く舞い、地面から透明な氷がせり上がる。


 ゴゴゴ……。


 巨大な氷の壁が姿を現した。


「氷……。」


 ノールが呆然と呟く。


 氷の壁は四方を囲み、やがて一つの部屋になった。


 棚まで氷で作られている。


「冷蔵庫だ。」


 さらに奥には温度を下げた部屋を作る。


 白い冷気が漂う。


「こちらは冷凍庫。」


 村人たちは言葉を失った。


 冬しか見られない氷が、真昼の森に存在している。


 しかも建物ほどの大きさだった。


 コウランは肉を棚へ並べる。


「すぐに食べない肉はここへ保管する。」


「腐敗を遅らせられる。」


 エリスが感嘆する。


「これなら狩りをした日に食べ切る必要がない。」


「保存できれば計画的に食料を使える。」


 コウランは頷いた。


「飢えを減らす方法は狩りだけじゃない。」


「保存も同じくらい重要だ。」


 その言葉を聞いたサムは氷の壁へ手を触れた。


 冷たい。


 だが、不思議と恐ろしくはない。


「水魔法って……こんなことまでできるのか。」


 ノールも氷の棚を見つめている。


「土魔法も。」


 フェルトアは石板を見ながら呟いた。


「料理も建物も作れる……。」


 カエデは目を閉じ、小さく魔力を巡らせる。


 コウランが教えた魔力循環を思い出しながら、水の流れを感じ取ろうとした。


 すると掌の上へ、小さな水滴が現れる。


「あっ……。」


 驚いた声に全員が振り向く。


 サムの掌にも細い水の糸が生まれていた。


 ノールの足元では、小さな土の塊がゆっくりと盛り上がる。


 フェルトアも震える指先で小さな石板を作り出した。


 カエデの前には、澄んだ水が静かに浮かんでいる。


 四人は顔を見合わせた。


「できた……。」


 コウランは穏やかに微笑む。


「才能が突然生まれたわけじゃない。」


「眠っていた力が目を覚ましただけだ。」


 教育がなかった世界では、才能は埋もれたままだった。


 けれど学ぶ環境があれば、人は変われる。


 村人たちは、その事実を目の前で見ていた。


 肉を解体し、調理し、保存する。


 それだけで終わらない。


 食料を守る知識が、人を育てる。


 その小さな積み重ねが、やがて貧困村を変え、未来の農業革命と紡織産業へ続く土台になっていく。


 誰もまだ、その先に広がる大きな変化を知らなかった。







評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ