33 領主代行
初夏の風がリーフ村を吹き抜けていた。
畑では芋の葉が青々と茂り、豆畑では収穫を控えた莢が風に揺れている。
新たに整備された水路には澄んだ水が流れ、農民たちは笑顔で作業を続けていた。
紡織工房では機織りの音が響き、木工工房では新しい住宅用の柱が切り出されている。
かつて貧困村と呼ばれた土地は、人々の営みで満ちた村へと変わっていた。
その日の昼前、一台の馬車がゆっくりと門の前で止まる。
護衛は二十人ほど。
軍勢ではない。
門番のジャイルは相手の紋章を確認すると、穏やかに声を掛けた。
「ご用件をお聞かせください。」
馬車から一人の壮年の男が降りてきた。
落ち着いた身なりで、腰には剣を帯びているものの戦う意思は感じられない。
男は深く一礼した。
「私は、この地方を預かる領主代行のアルベルトと申します。」
「本日は戦ではなく、お願いがあって参りました。」
ジャイルは頷く。
「代表へお取り次ぎします。」
しばらくして行政棟の応接室へ案内されると、エリスが静かに席へ着いた。
「遠路お疲れさまでした。」
「私はリーフ村代表のエリスです。」
領主代行アルベルトも礼を返す。
「突然の訪問をお許しください。」
「急を要する案件でした。」
エリスは穏やかな表情で応じる。
「お話を伺います。」
アルベルトは一枚の書類を机へ置いた。
今回は徴発令ではない。
正式な領主印が押され、魔力による封印も施されている。
サムとノールがすぐに鑑定を行った。
淡い光が書類を包み込む。
サムが先に頷いた。
「正式な文書です。」
ノールも続ける。
「印章も署名も本物です。」
エリスは書類へ目を通した。
そこに書かれていた内容を読み進めるにつれ、静かな驚きが広がる。
「流民と棄民の受け入れ……。」
アルベルトは静かに頭を下げた。
「領内では飢饉と病が続き、多くの村が立ち行かなくなっています。」
「行き場を失った人々が日に日に増えております。」
「食料も住む場所も足りません。」
言葉には疲労がにじんでいた。
「人数は、どのくらいでしょうか。」
エリスの問いに、アルベルトは少し間を置いて答える。
「約一万人です。」
部屋が静まり返る。
村の人口はようやく千人を超えたばかり。
その十倍近い人々を受け入れる話だった。
アルベルトは続ける。
「もちろん無償でお願いするつもりはありません。」
「領主から条件があります。」
「受け入れていただけるなら、この村に対する領税を五年間免除いたします。」
「徴税も徴発も行いません。」
「村の自治にも口を出さないことを約束します。」
エリスは書類を閉じた。
すぐには返事をしない。
村を代表する立場だからこそ、一人で決めるべきではないと考えていた。
「ありがとうございます。」
「ですが、この規模の話は私一人では判断できません。」
「村の幹部を集め、会議を開きます。」
アルベルトは深く頷いた。
「それで構いません。」
「急ぎではありますが、拙速な判断を望んではおりません。」
エリスは立ち上がり、通信魔道具へ魔力を流した。
「幹部会議を開きます。」
「サム、ノール、フェルトア、ジャイル。」
「行政棟の会議室へ集まってください。」
村中へ穏やかな声が響く。
ほどなくして幹部たちが会議室へ集まり始めた。
商業を担うサム。
教育と治癒を担うノール。
医療と孤児保護を担うフェルトア。
自警団を率いるジャイル。
それぞれが席へ着く。
エリスは書類を全員へ回し、静かに口を開いた。
「領主代行から正式な依頼です。」
「流民と棄民、一万人を受け入れてほしいそうです。」
「条件は五年間の無税。」
「今日は感情ではなく、事実を積み重ねて判断します。」
その言葉に、四人は静かに頷いた。
リーフ村では、大きな決断ほど数字と現実を見つめながら進める。
それが教育によって育まれた、新しい共同体の姿だった。
会議室には大きな地図が広げられ、その横には農地、生産量、人口推移を書き込んだ帳簿が並べられていた。
エリスは議題を書き出す。
「議題は一つです。」
「流民・棄民一万人を受け入れられるか。」
「感覚ではなく、数字で判断します。」
四人は静かに頷いた。
最初に口を開いたのはサムだった。
商業と物流を担当する彼は、荷物を運ぶ経路や備蓄量を熟知している。
鑑定スキルで帳簿を確認しながら話し始めた。
「まず食料の輸送です。」
「現在の倉庫は八割ほど埋まっています。」
「ただ、豆と芋は収穫までが早い。」
「農地もまだ拡張できます。」
地図へ印を付けながら続ける。
「収穫時期をずらして植え付ければ、食料不足は避けられます。」
「保存食も増やしています。」
「酒造房と醸造房の副産物も家畜飼料に使えます。」
「物流の面では対応できます。」
次にノールが帳簿を開いた。
治癒師であり教師でもある彼は、人口構成を細かく確認していく。
「病についてです。」
「今の治療院は二つ。」
「治癒師は二十七人。」
「教導中の見習いもいます。」
「受け入れ開始まで一か月ありますから、さらに育成できます。」
魔力操作と魔力循環を学んだ治癒師たちは、以前とは比べものにならないほど治療能力を高めていた。
「飲み水も問題ありません。」
「井戸と水路を増設しています。」
「浄化魔法も定着しました。」
「感染症の予防も続けられます。」
フェルトアも静かに資料をめくる。
「衣服について報告します。」
「紡織工房は先月から増築しました。」
「布の備蓄があります。」
「機織りを教えられる教師も育っています。」
「最初は簡素な服になりますが、一万人分でも順番に生産できます。」
さらに柔らかな笑みを浮かべた。
「毛布も増産しています。」
「子どもや高齢者を優先すれば、寒さも防げます。」
エリスは一つずつ内容を書き留めていく。
「住居はどうでしょう。」
サムが地図の南側を指差した。
「空いている土地があります。」
「木工工房では住宅用の部材を作り続けています。」
「土魔法で基礎を作り、木工班が組み立てれば建設速度はかなり上がります。」
ジャイルも口を開いた。
「自警団としては問題ありません。」
「新しく来る人たちにも防衛訓練を行います。」
「村を守る力は、一緒に育てればいい。」
エリスは静かに頷いた。
「塩はどうですか。」
サムが笑顔を見せる。
「岩塩があります。」
「精製担当も育っています。」
「ピュリフィケーションで精製できますから不足しません。」
「保存食づくりも続けられます。」
会議はさらに続いた。
薪。
井戸。
学校。
農具。
鍬。
寝具。
食器。
鍋。
一つひとつ確認し、足りないものがあれば増産計画を書き加えていく。
誰も「何とかなる」とは言わない。
「何が足りるのか。」
「何を増やすべきか。」
数字と現実を積み重ねながら判断していく。
最後にエリスは資料を閉じた。
「つまり。」
四人は自然と顔を見合わせる。
サムが最初に頷いた。
「物流は対応できます。」
ノールも続ける。
「医療も教育も間に合います。」
フェルトアは穏やかに微笑んだ。
「服も寝具も準備できます。」
ジャイルは力強く答えた。
「村も守れます。」
エリスは静かに深呼吸した。
「では結論です。」
「一万人、受け入れましょう。」
部屋の空気がゆっくりと動く。
それは無謀な挑戦ではない。
数字を積み重ね、役割を確認し、人を育ててきたからこそ導き出せた答えだった。
かつて貧困村だったリーフ村は、今では一万人の未来まで考えられる共同体へと成長していた。




