結末は私が決める
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優しい人だ。
今日も、彼は笑顔で私の名前を呼ぶ。
手を差し伸べて、少しだけ肩に触れて。
こんなに誠実で、温かくて。
常に私を気遣い、優しく微笑み。
少しでも困ったことがあれば、すぐさま心配してくれる。
……ああ、笑ってしまう。
これからこの人が私を裏切ることを知っていながら、期待してしまうなんて。
午後の光が室内を柔らかく包む。
窓の外では、当家自慢の庭園で草花が揺れている。
ティーカップに添えた指先を見つめながら、私は静かに吐息を漏らす。
微かな香りが鼻腔をくすぐる。
静かな空気と心地よい温もりに包まれているのに、胸の奥には小さなざわめきがある。
庭園の片隅に目をやると、一冊の本を広げた義弟の姿が見えた。
ふと、目が合った気がする。
どこか諦めたようで、それでいて悲しげな瞳。
私は視線をそらし、意識的にティーカップの縁を撫でた。
自然と、皮肉な吐息がこぼれ落ちる。
「………こんなに穏やかな時間を過ごしていても、運命は待っているのよね」
私は、この世界ではただの公爵令嬢だ。
ただし、ひとつだけ普通でないことがあるとすれば。
私が、前世で読んだライトノベルの登場人物であり。
しかも、婚約破棄されてラスボス化する"悪役令嬢"である、という点だろう。
頭の奥底で、ライトノベルの記憶がざわめく。
婚約破棄の場面。
私の魔力が暴走し、国中を震わせるその瞬間を、忘れたことなどない。
なのに、目の前の優しい笑顔に胸を締め付けられるなんて──愚かすぎて穴を掘りたくなる。
そう思いながらも一方で、本当にこの人が浮気するようなクズになるのか?
内心、そう思わずにはいられなかった。
彼の優しさに触れる度、私は安堵とかすかな希望を抱いてしまうのだ。
もしかしたら、未来は変えられるのかもしれない。
前世の知識は、この世界の真実ではないのかもしれない、と。
そんな私の願いとは裏腹に、物語の歯車は予め決められていたかのようにゆっくりと、しかし確実に回り始める。
ある日、社交界に一人の少女が現れた。
平民出身でありながら、並外れた魔法の才能を持つという、物語の主人公であり、ヒロイン。
物語の通り、彼女は可憐で無邪気で華やかだった。
誰もが目を奪われる輝きを放っていた。
飾らない笑顔、ひたむきな努力。
そしてどんな困難にも負けない健気さに、彼が心から惹かれていくのが見てとれた。
扇を持つ手が震える。
ああ、とうとう彼女は登壇してしまった。
自然に彼の視線を奪っていく存在。
私は観察者として目を細める。
そう、ここからだ。
彼が彼女に目を向け、心を揺らす瞬間を、知っている。
そして魔力が微かに、しかし確実に乱れ始めた。
「……また、抑えが効かなくなってきたわ」
物語で読んだ通りの展開が、まるで予定調和のように進んでいく。
その度に、私の心臓がギュッと締め付けられるのを感じた。
そして、それに呼応するように、体の中の魔力が暴れ始める。
幼い頃、魔力暴走を起こした私を、腹違いの義弟が一人で鎮めてくれたことがあった。
あの時、義弟は悲しそうな瞳で言ったのだ。
「義姉上、いつかこの力が、義姉上を、そして世界を壊してしまうかもしれない」
「もしそうなったら、またおまえに助けてもらうわ」
と冗談混じりに告げた。
あれはフラグだったのだ、と笑ってしまう。
身体を蝕むように増幅する魔力をどうにか押さえ付ける。
「大丈夫か?」
彼の心配そうな声が、遠くに聞こえる。
彼の優しさは、まだ私に向けられている。
しかし、その想いの先にはすでに彼女の姿があることを、私は知っていた。
知っているからこそ、この感情を止められない。
怒りでも、悲しみでもない。
ただ、漠然とした"絶望"が、私の中で渦巻いている。
身体から微かな熱を感じる。
目の前の幸福そうな光景と、頭の中の未来が交錯する。
どうしてこんなにも胸が痛むのか。
期待をしてしまった私が、世界の皮肉を味わう愚か者に思える。
彼の視線が彼女へと移る。
淑女らしからぬ仕草に微笑み、隣にいる私の心にも気づかず笑うその顔。
「……ふふ、皮肉なものね。知っていたのに、どうしてこんなにも心を乱されるのかしら」
思わず、零れた弱音も。
彼の耳には、もう届かない。
信じたかった。
でも、やはり運命は変わらなかった。
魔力がさらに波打つ。
黒い影が、血管の奥で蠢き始めた。
義弟が、私のほうへ向かってくる。
一歩、また一歩。
その足音が、どれほど私を安心させ、そして同時にどれほど私を苦しめるか。
「大丈夫よ」
微笑みながら、扇で顔を隠す。
そうしなければ、きっと恐怖にが気づかれてしまうから。
義弟が私に触れようと手を伸ばすのが分かった。
きっと、この微かな魔力の乱れに気づいたのだろう。
その鋭敏な感覚は、私のどんな小さな変化も見逃さない。
だからこそ、私は義弟を遠ざける。
しかし、私はその手をそっと押し留める。
「大丈夫。おまえは戻りなさい」
本当は、誰かに助けてほしかった。
この魔力の暴走を、このどうしようもない絶望を。
受け止めてほしかった。
けれど、そんなことはできない。
義弟はこの物語の登場人物ではない。
私だけの物語に、この子を巻き込むわけにはいかないのだ。
この子だけは、この物語の呪いから守らなければ。
けれどもし。
義弟が、約束を覚えていてくれるなら。
この子しか、いない。
傍から離れることを躊躇する義弟を送り出して、細く長く息を吐く。
体の奥底から、運命に引きずられる感覚。
抗えない。
でも──まだ、観察者としての冷静さは保てている。
微笑みながら、胸の奥で涙とともに恐怖を抱く。
「……ほら、見なさい。期待してしまった愚か者に、世界は容赦なく現実を叩きつけるのよ」
彼の視線、微笑み、指先の動き──あらゆるものが胸を刺す。
彼と彼女との距離が縮まる度に、魔力は増幅を続ける。
心の奥底では、このまま予定通り、私はラスボスになると悟っていた。
胸の前で手をぎゅっと握りしめ、魔力の高まりを少しでも鎮めようと呼吸に意識を向けた。
瞳が二重に光り、影が背中から伸びる。
運命の糸に引かれるように、私の身体は自らを魔王と同調し続けるのだ。
──そして、婚約破棄の宣告が告げられる。
彼の強い眼差し、朗々とした声音。
優しい人だった。
今も、そしてこれからも。
けれど、私は知っていた。
この優しさは、私を破滅させる先導にすぎないことを。
黒い影が私を覆い尽くし、全身の血が逆流するような感覚。
まるで、顔にヒビが入っているような気がする。
周囲の貴族たちが悲鳴を上げ、後ずさるのを横目に。
ゆっくりと、傍に立つ義弟を振り返る。
腹違いだからこそ、距離のあった存在。
彼だけが、私を託せる相手だった。
運命は変えられなかった。
でも、私の最期だけは。
私が選ぶ。
「さあ、私を殺しましょう」
「できるか!何を言うんだ、義姉上!」
「そうは言ってもね?ようくご覧なさいな…同化が終えそうだってことぐらいわかるでしょう?」
ざわめくホールを背に、義弟はじっと私を見据えた。
この時が来ることは、薄々察していたのだろう。
影が闇へと変貌する。
私自身の感情を、塗り潰し、霞ませていく。
口角を持ち上げろ。
わらえ。わらえ。
「 終わりは、おまえに任せるわ 」
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