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【6/30まで】キングの怒り  作者: 皆中明
3、囚われの身
31/46

暗示1

「え、あれ……? 千夜がいる? でもなんでだ? 光彰はいないのに……」


 青白い光の下に、長い髪を靡かせて漂っている千夜が見えた。いつもは文字盤の台座の下に座っている彼女が、今夜は何故か尖塔の上に立っている。物憂げな表情はいつもと変わらないはずだが、黎にはそれが何か違う様子に見えていた。


「どうしてあんなところにいるんだろう」


 いつもはただ退屈そうにしている彼女が、今日はまるで誰か待ち人がいるかのように一点を見つめている。しかし、黎がいくらその視線の先を見つめても、そこには誰もいないようだった。


「もしかして、光彰を探してるのか?」


 黎が思わずそう呟いてみると、千夜の長い髪がゆらりと揺れた。暗い夜に揺れ動く長い銀髪の中で、その美しい顔がゆっくりとこちらへ向く。その視線が黎を捉えると、僅かに動いた口が何かを呟いた。


「なに? 来いって言ってるの?」


 空に浮かんだままの千夜は、何度も何度も呟いた言葉の後に、ゆっくりと手を伸ばした。それは黎に向かって真っ直ぐと伸びている。彼女が自分の兄であった人で、孤独に喘ぐような人ではないとわかっているはずなのに、何故かこの時、黎は千夜の孤独を埋めてあげたいと思うようになっていた。


「……わかったよ、待ってて」


 黎は虚な目をしてそう呟くと、まるで浮遊霊のようにふらりと部屋を出ていった。


「千夜も光彰がいなくて寂しいのか……」


 そう独言ている黎は、まるで夢遊病者のようにゆらゆらと揺れている。そうしながら、踊るような足取りで廊下を歩いた。すでに消灯時刻を過ぎているためか寮内はどこも暗く、非常灯の灯りだけが視界を照らしていた。黎はその中をゆらゆらと揺れながらも走り、コミュニケーションルームを突っ切っていく。そのまま外へ向かおうとして、月明かりに照らされたドアを目指していた。


 しかしそのガラス壁と扉はすでに施錠されており、そのまま突き進むと衝突して怪我をする恐れがあった。その黎の姿を、コミュニケーションルームの物陰から、八木がじっと見守っている。彼は黎の身を守るために、寮棟からの唯一の出入り口であるこのガラス扉の近くで、毎夜見張りをしていたのだ。


「光彰、俺が向かえばいいのか? お前が行くのか?」


 八木は黎を見つめたまま、独言た。彼のその言葉に答えるのは、耳元から頭蓋内へと響き渡る光彰の声だ。そこにはあの楔が埋まっている。


『俺が行く。体を借りるぞ』


「わかった。でも、どうすれば……」


 彼は入れ替わりについての説明を受けていなかった。そのため、どうすべきかを尋ねようとしていたのだが、話している間に黎は壁に激突してしまう。光彰は八木に答える前に、体を乗っ取った。


『うわ、なんか今ぬるって感じがした! 気持ちわるっ!』


 突然のことに狼狽える八木に、光彰は


「悪い、八木。あとで説明する」


 そう呟いて猛スピードで黎を追いかけた。


——小野が死んだ日と同じだな。


 光彰は彷徨う黎を眺めながらそう考えていた。黎は光彰に全く気がつく様子はないが、近づいてからは念のために足音を潜めて距離を縮めていく。彼はふらふらとおぼつかない足取りのまま、徐々にスピードだけを上げていく。周囲にある椅子やテーブルをひっくり返しながらも、ただひたすらに走り続けていた。


「黎!」


 あの日と同じように、八木は黎を後ろから抱き抱えた。違うのは、その意思を持って体を動かしているのが、今は光彰であるということだけだ。力を込めて抱きしめることで動きを封じ、先へと進めないようにする。


「や、八木くん? ごめん、離してもらえるかな。千夜が俺を待ってるんだ。時計塔の尖塔の先で俺を待ってるんだよ。光彰がいないから寂しいって泣いてるんだよ」


 そう話す黎の目には、一切の光が宿っていない。現実とは別のところへと意識が飛んでいるような、ぼんやりとした状態だった。八木(光彰)は何も答え無い。何をしてでも千夜の元へいこうとする黎は、しばらく八木(光彰)の腕の中でジタバタと暴れていた。


「黎、千夜は俺がいないからって泣いたりしない。だから、あれは千夜じゃない。今ここに呼んでやるから、お前はとにかくじっとしてろ」


 そう言って、ポケットから辰之助のネームが印字された皮のケースを取り出した。その中から細い楔を一本抜き取る。


「千夜、今度はこっちで仕事だ」


 そういうと、それを黎の耳の後ろにズブリと突き立てる。


「いたっ! 何すんだよ、八木く……」


 差し込んだ楔が奥へと押し込まれ、やがて体の中へと溶けるように消えていく。その形が見えなくなると、黎の体に千夜が入ってきた。


「……はいはい、戻りましたよ。黎はちゃんと眠ったわ」


 心から面倒くさそうな深いため息をこぼしながら、千夜は目覚めた。その憎まれ口とキツい表情を確認した八木(光彰)は、大きく口の端を上げて笑う。


「悪いな。黎のやつ、またどこかで幻覚剤を飲まされたみたいだ。ふらふら歩き回ろうとしてたから、止めるためにお前を呼んだ。お前が体に入ると、黎は眠ってしまうからな。もう大丈夫みたいだから戻っていいぞ」


 無愛想にそう吐き捨てるう八木(光彰)の様子に、(千夜)は僅かに腹を立てた。そして、八木(光彰)の襟首を掴むと思い切り引き寄せ、黎の唇に八木(光彰)のそれが触れそうな位置でピタリと止める。


「あんたねえ、そんな言い方ばっかりだと私も怒るわよ。このままこの二人にキスさせちゃおっかなー。黎の体と八木くんの体でそんなことされたら、あんた立ち直れないんじゃないの?」


 底意地の悪そうな顔でニヤニヤと笑う(千夜)は、光彰と張り合うことなど簡単だと言わんばかりに黎の体を軽々しく扱う。光彰はそれをされるのを特に嫌うということを、彼女はよく分かっていた。その性悪な性格を熟知している光彰は、まるで汚いものを見るような目で(千夜)を睨みつけている。


「お前本当に性格悪いな。なんで学校の連中は、お前を儚い幽霊だと思ってるんだ。俺には全く理解出来ない」


 すると(千夜)は、八木(光彰)の体を突き飛ばしながらふんと鼻を鳴らした。


「うるさいわよ。性格が悪いのはお互い様でしょう? 三つ年下な分だけ、あんたの方がタチが悪いと思うんだけど」


 (千夜)はそう言って、楽しそうに笑った。月の光を受けて、黎の体の中で笑う千夜を、八木(光彰)は楽しそうに眺めている。そして、ガラス壁の向こう側には、時計塔にいたはずのニセ千夜が立っていた。


 彼女は、生垣とガラス壁の隙間から、ぼんやりとコミュニケーションルームの二人のやり取りを眺めていた。しばらくそのままでいた後、ふと何かに気がついたように視線を時計塔の方へと動かした。


「……ふっ」


 しばらく一定の場所を眺め続けて物憂げな表情を浮かべていたが、その後に現れた表情は、悍ましいまでの楽しげな笑みだった。体を揺らしてくつくつと笑うその視線の先には、ふらりと倒れ込む男の影が見えていた。

 あの男がどうなるのか、ニセ千夜は知っている。それがわかる音が聞こえるのを、耳をそばだてて待っていた。そしてやがて聞こえたものに、体をぞくぞくと震わせて喜んでいる。


「はあ、やっぱりいいなあ。あの音、大好きだ。やめらんないよ」


 彼女はそう呟くと、自らを両手で抱きしめるように両手を体に回し、ぶるぶると歓喜に震えた。その姿を、今度は逆にコミュニケーションルームにいる(千夜)に見られていたのだが、それに気がつくことが出来なかった。


「ねえ光彰、校庭に誰かいない? あんなところで何をして……」


 (千夜)は校庭に誰かがいることに気がついた。こんな時間に校庭に人がいること自体に違和感を抱いたのだが、よく見てみるとそれがあの自分そっくりな紛い物であることがわかった。そして、いつものようにうんざりとした様子で長いため息を吐いた。


「ああ、またあいつだ。月夜に時計塔の千夜……あれ? あいつなんであんなところにいるの? それに、なんだか今までと違うような気がするんだけど」


 そう言って、ニセ千夜の様子をもっとしっかりと見ようとして目を凝らした。自分と同じような長い銀髪、レモンイエローのサマードレス。

 その姿に変化が現れた。

 春の夜風が彼女のスカートを揺らした。ふわりと揺れた裾が僅かに持ち上がる。その中にある長くすらりとした足を見ると、千夜は突然目を剥いて悲鳴を上げた。


「ヒッ」


 と小さく口にすると、表情を強張らせた。そして、それと同時に体をカタカタと震わせる。


「ねえ。あ、あれ……どうして? どういうこと?」


 そういって苦しそうに呻くと、ふらりと八木(光彰)の体に倒れるようにしてしがみついた。八木(光彰)の来ているTシャツが千切れそうなくらいに強い力でその裾を掴み、いつの間にか震えはガタガタと激しいものへと変わっていった。


「千夜? どうした?」


 あまりに酷く怯えているため、八木(光彰)は困惑した。黎も千夜も、何かにここまで怯える姿を見せることはあまり無い。八木(光彰)(千夜)が何かを見た後に身を固くしたことに気がつき、彼女が見ていた方へと視線を動かした。


「あれ……ニセ千夜か? アレがどうかしたのか?」


 そこにいたニセ千夜を見て若干の違和感を持ったものの、彼女がこれほどに恐る理由が光彰には分からない。光彰はもう一度(千夜)へ声をかけようとした。すると、それよりも早く(千夜)が「せん、せん、ぱい……が……」と消え入りそうな声で呟いた。


「千夜? 先輩って誰だよ。 おい、どうしたんだ?」


 八木(光彰)がいくら声をかけても、千夜の耳には届かない。ただ怯えの色をどんどん濃くしていくばかりだった。


「い、いやだ、やだ、やめて……っ!」


「千夜? おいっ!」


 (千夜)はそのまま絶句して、八木(光彰)の腕の中で頽れてしまった。


「千夜!」


 腕の中で気を失った千夜を強く抱きしめてそう問いかけるも、彼女は深い眠りに落ちてしまい、答えは返ってこなかった。


「ニセ千夜に遭遇すると記憶がなくなるって言ってたのは、あいつを見ると死んだ時を思い出すからか……?」


 何度声をかけても、命令しても彼女は微動だにしなかった。そして、そのまま翌朝まで千夜が目を覚ますことはなかった。

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