依代3
「千夜さん、君は光彰からの命で何度か夜に時計塔の見回りに行っているんだろう? それはニセ千夜を仕掛けている人物を探るために行ってるんだよね? それなら、君が光彰にその犯人を教えてくれれば、あとは物的証拠さえ押さえられれば事件解決になると思うんだ。でも、君はどうしてもその犯人に対峙する、と記憶を無くしてしまうらしいね。それに何か心当たりはあるのかい?」
辰之助が千夜に優しく問いかけると、千夜は視線を巡らせて記憶を探ろうとした。しかし、小さく被りを振ると「わかりません」と答えるにとどまった。
「俺も、千夜が犯人を目撃してくれていれば、その後の展開は早いと思います。それでも、どうしても意識が飛ぶというんです。ですから、もしかしたらこの事件の犯人は、千夜と関わりがあった人物なんじゃないかと俺は思っているんです」
光彰は落ち込む千夜の肩にそっと手を置いた。
千夜は、自分が彼の無実を晴らすために役に立てるのであれば、そうしたいと願っているにも関わらず、毎夜時計塔で誰かと対峙してはそのまま意識を失うということを繰り返していた。幽霊が意識を失うなどと聞いたことも無かったが、実際にそれが起きているのだから仕方がない。
「私と関わりがある人物? 私を知っている人が私のニセ者を作ってるっていうの?」
驚いた千夜は、目を大きく見開いて呆れていた。光彰はその顔を見て、
「もちろん、お前の友人知人という意味ではないよ」
と答える。それに、辰之助が神妙な面持ちで口を挟んだ。
「……千夜さんが亡くなった事件に関わっている人が、今回の事件の犯人でもある。そう考えるのが最も自然だろうね。私もそう思うよ」
光彰は表情を引き締めると、ゆっくりと大きく頷いた。
「はい」
二人のやりとりを聞いて、千夜本人は困惑の表情を浮かべている。
「でも、私が時計塔から落ちた時、誰かが突き落とした形跡とか無かったんでしょう? 関わってるって言っても、どんな風に関わるの?」
千夜が光彰に尋ねると、辰之助がテーブルの上に広げていた紙の資料から一つを選んで指し示した。
「そう言われていたね。今君が意識不明なのは、頭を強く打っているから。頭部からの出血はかなりひどかったけれど、それ以外には外傷も無く、現場にもみあった形跡も無い。実は私も光彰と同じことを結構前から考えていたんだ。だから、この資料を持って来させたんだよ」
光彰はその資料に目を通しながら、ふと思い出したことがあった。そして、それを父に尋ねてみることにした。
「父さん、『牡丹の朝露』と聞いて思い当たることってありますか? 以前千夜のことを面白がって探ろうとしていた男がいて、そいつがこぼした言葉なんです。あいつは無害そうだったんですが、探り方がおかしかったので、何かあるのかもしれないなと思いまして。俺が千夜のことは探るなと脅しをかけたら、その言葉を呟いたんです」
すると辰之助は、その問いにあっさりと答えを出した。あまりに簡単に答えられたため、光彰は自分の不勉強を恥じることになってしまう。
「それは、『獅子身中の虫』の諺に出てくる仏教の教えだろう? 仏教徒でありながら、仏の道に反抗して害をなす者のことを獅子身中の虫というんだが、その虫を追い出すために飲む薬のことを『牡丹の朝露』っていうんだ。知らないのか? お前もまだまだだねえ」
光彰は父の揶揄を受け、顔を赤た。まさかこれほど簡単に答えられてしまうとは、思いもよらなかったようだ。しかも仏教の教えというのであれば、おそらくネットで検索してもすぐに出てくるだろう。そこまで思い至らなかったことを、恥じていた。
「獅子身中の虫の意味をあの学園での出来事に当てはめると、生徒が学園に反旗を翻すようなことだと言える。つまりは、光彰のことをそういう目で見ている大人がいるということだろうな。間違っても子供の口から出てくるような言葉じゃないと私は思うよ。よほど仏教に詳しい子でもないと、普通は使わないだろう。現に君には思いもよらない言葉だったんだろう?」
「そうですね。知っていたとしても、口に出して使うことは無いと思います」
「では、ふと口をついて出てくる言葉というものはどういうものだと思うかい?」
「どういう言葉……?」
辰之助は、何やら楽しげに推理を繰り広げようとしているように見えた。その様子は、もうすでに犯人に目星がついているかのように見える。
「咄嗟に口をついて出てくる言葉といえば、使い慣れている言葉か、思い入れのある言葉。もしくは、聞き慣れている言葉、ですかね」
「ということは、誰かがその子の前でその言葉を多用していて、彼は凄んだ君に向かって牡丹の朝露を飲んでイライラの虫を下せばいいと思った、ということじゃ無いだろうか」
「……それは、かんの虫ということですか? 流石に発想が古い……というか、学生の考えることじゃ無いような気がするのですが」
そこで光彰はハッとした。発想が古く、自分を忌み嫌っている人物に思い当たる節があったからだ。そして今まさに、その人物によって自分は学園から排除されようとしている。
学園という檻に守られている学生の分際で、それに楯突くような行動をとっていると思われているのなら、光彰はまさに清水田学園の中の虫ということになるのだろう。そして、その宿主となる学校を統べる人物といえば……。
「父さん、まさか恵那校長が生徒殺しの犯人だと思っているんですか?」
光彰が辰之助に訊ねると、彼はゆったりと被りを振ってそれを否定した。するとそこに、それまで黙って話を聞いていた千夜が、刺々しい口調で割って入ってきた。
「あの男は自分の手は汚さないでしょ。そのあたりは徹底してるわよ。指示も命令もしないの。ただ、うまく誘導するだけよ。でも、おそらく今年度の事件には全く関与してないと思うわ。恵那が得をするようなことが、今のところ全く無いのよ。現時点ではむしろ損しかして無いでしょう? 次の理事長選だって、光彰がここまで嫌われてなかったら、おじさまが圧倒的に優勢でしょうからね」
「……悪かったな。お前、そんなに俺に突っかかるなら、犯人探しに協力するの止めるぞ。そのために三年間友人も作らずに調査してるんだぞ、俺は」
光彰がむくれてそういうと、千夜は慌てて「ごめん、ごめん」と揶揄うように笑った。その二人のやりとりを見て、辰之助は目を細めている。
光彰がこうして自分らしく話が出来るのは、この二人の時だけだった。黎を相手にしている時ですら、どこか遠慮していた時期があった。それを打破したのは生前の千夜、つまり、柳野千晃だった。
三年前に千夜が亡くなる直前……正確には意識不明の重体になる前、光彰は千夜と別れたことを辰之助に報告している。珍しく緊張した面持ちで話しかけてきた彼は、その時自らが同性愛者であることも父にカミングアウトしている。そもそも、千夜自身もまだその当時は男性として生きていたため、その告白自体は意外なものではなかった。
二人が望まない好意を受けることから逃れるために恋人関係を装っていたという説明を受けており、その相手が千夜であったことに辰之助は心から納得していた。その彼女と別れることになった理由が、千夜に好きな人が出来たからだという話までしてもらっていた。
ただ、別れた後も二人は仲の良い者同士としての付き合いは続けると言って笑っていた。そして、その笑顔に嘘は無かった。辰之助もそのことを喜んでいた。
だが、その矢先に千夜は亡くなった。彼女が時計塔から転落して亡くなったと聞いた光彰は、千夜が自殺などする訳がないと言い、その謎を解明するために清水田学園に入った。それは彼の人生を左右する選択であったため、辰之助は反対していた。
しかし、光彰の意志は堅かった。それほどのことをしても、光彰は千夜のために犯人を見つけたいと思っていた。どうやらそれは今でも変わっていないらしい。
「恵那くんは確かに犯人では無いだろうね。ただ、千夜さんの言うとおり、誰かをうまく使っていらないと思った人間を排除している可能性はある。だから、犯人を探すなら、恵那くんよりも社会的地位の低い人間だろうと私は思ってるよ」
「校長よりも社会的地位が低い人間……校内ではほぼ全ての職員がそうなりますね。そして、一番利用しやすいとしたら、市岡じゃないでしょうか。教務主任の市岡直樹です。彼は本来ならクビになってもおかしくないタイプの人間です。でも、恵那が彼を残したがったらしく、今も平然と教務主任という立場に残っています。市岡は校長の下僕だというのは、公然の秘密ですね」
市岡は恵那に恩があるため、頼まれたことはほぼ断らないということで有名だ。どれほど急な用事でも、どれほど面倒なことであっても、校長からの頼みであれば喜んで引き受けるという。
「それはそうだろうけれど、温田見くんが落ちるのを目撃していたのは、市岡くんなんだろう? それなら彼には犯行は無理だと言うことになるよ」
「ああ、そうでしたね。市岡が幻覚でも見てない限り……」
「……じゃあ、幻覚を見せられてたとしたら?」
千夜は突然、ぽつりとそう零した。