4 態度が軟化しました。(1)
「ブリギッタ!!」
「はい!!」
教室に入った途端、いきなり怒鳴るように呼ばれて、反射的にこちらも大声で返事をしてしまった。
名前を呼んできた出所を探すと、部屋の真ん中あたりで取り巻きに囲まれたルイスが血相を変えている。
教室中の視線が集まる中、ルイスはずんずんとこちらに歩いてきた。
「先ほどのことを聞いたぞ。どういうことだ。一から説明しろ」
「え? でもルイス様には関係な」
「いいから言え!」
言葉を被せるように怒られ、ちょっとたじろぎがらも一応主張する。
「あの、私と話したらあなたにもご迷惑がかかると思います。もうこんなに注目を集めてしまっていますし、授業も始まるのでまた別の機会に」
「……確かに授業を無断欠席すれば先生から君への心証が悪くなるだけか。ならば中休みにしよう。わかったな、逃げるなよ」
「……はあ」
なんでそんなに聞きたがるのかわからないが、とにかくこの場は引いてもらえた。
ほっと安堵し、周りに人がいない机を探して、そこの席に着いた。
2限目の授業終了の鐘が鳴るとほぼ同時に、ルイスが目の前に来て仁王立ちする。威圧感がすごい。
「えっと……本当にルイス様に聞かせるほどのことではありませんよ?」
「それは聞いてから俺が決める。教室で触りがあるなら移動すればいいだろう。ついて来い」
「……はぁ」
私はため息をこぼすと、ルイスの背中を追った。
一度これと決めたら梃子でも動かない頑固者。子どもの頃は何度も喧嘩したなぁ……。けど、今回は事の次第を聞いて気が済むのならその通りにしてやるか。
ルイスの隣には、いつも引き連れている取り巻きの一人がいた。こげ茶色の髪に柔和な顔立ちの、たしか代々官吏を輩出している伯爵家の次男だった気がする。
中庭に続くアーチ状の意匠が美しい廊下を黙々と進み連れてこられたのは、私が普段昼ごはんを食べる場所にほど近い庭の隅だった。見慣れた景色に、少し緊張がほぐれる。
ルイスが隣にいる少年を指差した。
「こいつはアードルフ。俺の友人で、生徒会の庶務でもある。今朝のことで当事者に話を聞きたいそうだ。同席して構わないか?」
「はい」
「よろしく、ブリギッタ嬢」
「よろしくお願いいたします、アードルフ様」
なるほど、事情聴取のようなものか。なかなかの騒ぎになってしまったので、生徒会が出てきたのか。
学園には前世の高校のような生徒会が存在し、生徒たちの要望を取りまとめて学園側に伝えたり、生徒間の諍いを調停したりする役目を負っている。また年に一度の学園舞踏会や卒園パーティーの主催などもしている。
去年はバカ兄たちのやらかしのせいで生徒会もてんてこ舞いになり、その影響で今年は生徒会役員のなり手が少なく人手不足らしい。私のせいではないが、申し訳なさが募る。
ルイスは私たちどちらとも面識があるので、聞き取り調査のための仲介役といったところか。ほぼ初対面の男女が二人でいるのはいつ醜聞になるかわからないので避けたいし、学園での立場が弱い私が他者とトラブルにならないためにも第三者がいてくれると助かる。
アードルフが書類に書き込みをしながら、私に問いかけた。
「じゃあ、君が知っていることを教えてくれるかな?」
「わかりました。できるだけ時系列に沿ってお話しします」
私はまず前提として、以前からアホ先輩に言い寄られて迷惑していたこと、男爵令嬢コンビを含めた女子たちから遠巻きにされ悪口を言われたりしていたことを話した。
そして昨日バレッタを買いに店に行った時、偶然会った彼女たちから青緑色の宝石のついたものを強く薦められ、言われるがままに買った。それを今日つけたところ、バレッタの宝石とアホ先輩の瞳の色がよく似ているので、私がアホ先輩ことを好きだと勘違いされた。
――ここまで、店で偶然会ったこと以外はすべて彼女たちが仕組んだことらしい。
そこで誤解を解こうとしたが言っても聞いてもらえなかったので、見せた方がわかりやすいと思い、宝石を踏み潰しバレッタを素手で壊した。……と言ったところで、ルイスとアードルフの二人はドン引きしていた。――え、なんで?一番手っ取り早いじゃん。
「な、なるほど……。他の人からの話と矛盾はなさそうだけど、君がその後クランツ先輩に言ったことは、彼からは聞き出せなくてね。なんて言ったか聞いていいかな?」
「あなたのことは好きではないから、もう付き纏わないでくださいと申し上げました」
「彼、なんでかすごく怖がってたんだけど、本当にそれだけしか言ってない?」
「ええ、それだけですわ。目の前でバレッタを壊したことが衝撃的だったのでしょう」
「ふーん?」
アードルフが不審そうに見てくるが、嘘は言っていない。口調が多少違うだけだ。
「それから、メイヤー男爵令嬢とホフマン男爵令嬢から、君との仲を取り持ってほしいと泣いて懇願されたんだけど」
「従う必要性を感じませんわ」
「権力を笠に梯子を外すのは、どうかと思うけどなぁ」
「堂々と嘘をついて嵌めようとしてきた彼女たちのことは信頼できませんもの。取引は信頼が大切でしょう?」
「へーえ、君がそれを言うんだ」
「私は至って信頼に足る人間ですわよ。今回のようなことがなければ、このまま黙って彼女たちの所業に耐えていただけでしょうし」
それより、と私は言葉を区切った。
「私がどれだけいじめを受けても一切を黙認していた生徒会は、他の生徒からはさぞ信頼されているのでしょうね?」
小首を傾げて満面の笑みを浮かべた。
裏には「私が被害者の時は我関せずを貫いていたくせに、加害者の可能性があったらこんなに早く動き出すんだな? それはそれは、なんとも心強いですなぁ、私以外の生徒にとって」という盛大な嫌味も含まれている。
ひくり、と口端を上げたアードルフは、私から視線を逸らせた。
「……この件に関しては、双方の言い分に齟齬はないから、これで収束すると思うよ」
「そうですか。それはようございました。これからも生徒会が中立の立場で生徒たちを平等に見ていただけることを期待しますわ」
「……善処しよう。じゃあ、俺はこれから調書を提出しに行くから」
「ああ、あとでな」
あ、そういやいたのか。
ずっと黙って成り行きを見ていたルイスが声を発したことで、奴の存在を思い出した。
アードルフは軽く手を上げると、足早に校舎の方へ行ってしまった。
後にはぽかぽかの陽気に照らされている常緑樹と、その木陰で佇むルイスと私だけが残る。