3 ひと騒動ありましたが、結果オーライです。(2)
寮の玄関にある紫陽花の葉の朝露が太陽の光を反射して、きらきら輝いている。
小鳥たちがせわしなく飛び回りながら、楽しげにうたを歌う。その声に背中を押され、私は一歩、学園の門を出た。
学園からすぐそばにある乗合馬車の待合所に行き、朝一番の馬車に乗る。
幸い、学園生はほとんどおらず、好奇な視線にさらされることなく王都に着いた。
すでに開店しているカフェに入り、モーニングを食べながらゆったりと本を読む。――ああ、なんて優雅な休日だろうか。この時間が過ごせただけで、もう今日は最高の日だ。
本をきりのいいところまで読み、カフェを出る。少し日が高くなっていた。周りのお店もほとんどがオープンの看板を出している。
露店で果物を並べるおばさん。荷車を引きながら飴細工を売り歩くおじさん。劇場の前で本日の公演のチラシを配る、下っ端劇団員。この狭い視界に入る中だけでも、多種多様な人が今日を精一杯生きている。
このたくさんの中の一人になった私は、他の人々の目にはどう映っているんだろう。少なくとも、学園での評判が地に落ちているフリーチェ伯爵家の継嗣とは思われないだろうな。
きっと、ただの若くて非力な娘だ。そのことが心地よくもあり、足元が不安定な錯覚にも陥る。
治安が良い西北の商業地区は、日があるうちは私のような学生で、しかも貴族令嬢が街を歩いていても危なくはない。しかし用心するに越したことはないので、入る店は表通りにあるものだけにする。あらかじめ店の目星はつけているので、そこを目指しつつのんびりと街の喧騒を堪能した。
しばらく行くと、可愛らしい櫛の看板があった。髪の小物を中心に取り揃えてある雑貨屋だ。
戸が開いてあるのでそのまま入ると、すでに何人かの女子のグループが楽しそうに買い物をしていた。彼女たちがいない入口近くの棚から順に見ていくことにする。石鹸やヘアオイル、化粧品、アクセサリーなどもあって、見ていて飽きない。
店内の奥の方に、髪用のリボンやサークレットと並んで、バレッタが置いてあった。いくつも種類があって、どれにするか迷ってしまう。
うーん、あの金色のはシンプルでいいけど、私の金髪と同化しちゃうかなぁ。
あのピンクの、すごく可愛いけど、私にはちょっと似合わないかなぁ。
あの青緑色のガラス玉がついたの、素敵だけど、知り合いに似た目の色の人はいなかったかなぁ。
うーん。どれもいいけど、絶対これというものがないなぁ……。でも今日欲しいし……。リボンだとそのうち解けてしまって、日に何度も結うの面倒なんだよね。
ちなみに伴侶や婚約者がいる場合、その人の目の色の宝石を一つは身につけるのが好ましい。
もし片思いの相手がいるなら、その目の色を纏うと相手へのアピールになる。しかし、こちらは伴侶や婚約者の色を纏う時よりはこっそりと、また宝石より安価なものでやるのが一般的だ。
たとえば、バングルの裏にガラス玉を埋め込む、懐中時計の内側に染めたシルクの布を入れるなどだ。庶民は自分のハンカチに相手の目と同じ色の糸で刺繍をするらしい。
とてもロマンチックで、けれどカラフルな瞳を持つこの世界ならではの風習だなと思う。
日本人はだいたい焦げ茶か茶色で宝石としてはあまり映えない色だし、そもそも皆同じような瞳の色だから身に纏ったところで大して特別感がないのが寂しい。
逆に言えば、間違って知り合いの目の色の宝石を身に着けてしまうと、その人に気があるのかと勘違いされかねない。特に青系の色を瞳に持つ人は多いので、選ぶ時は慎重にしなければならない。
かくいう私も青系の目だ。……誰かいないかな、喜んで私の瞳を身に着けてくれる人。水色というよりは薄青色な父譲りのこの目、自分ではけっこう気に入ってるんだけどな。男性が見えるところにつけていても違和感ないと思うよ?……なーんて、ね。
そんなことをぼんやり考えながら商品を見ていたら、横から視線が刺さった。
ふと顔を上げると、学園の同じクラスで見たことのある顔が二つ。
ばっちり目が合ってしまったので、気まずい思いを隠しつつ、笑顔を取り繕って「ごきげんよう」と挨拶する。
二人は顔を見合わせると、「そちらのバレッタをお買いになるの?」と聞いてきた。
おい、そこはまず挨拶を返すところだろう、と思うが、変に波風立たせたくはないので苦笑しつつも正直に答える。
「迷っているんです。例えばこちらは、学園に同じ色の瞳を持つ方がいらっしゃったら誤解させてしまうでしょう? ですから、素敵ですが慎重に選ぼうと思いまして……」
最後に見ていた青緑のガラス玉のついたバレッタを指差しながら言うと、二人は再度顔を見合わせた。そして無言でニッコリと笑顔を浮かべると、こちらに向き直った。
「わたくしは、その色に見覚えなくてよ。とても美しいバレッタではありませんか。あなたによくお似合いよ」
「ええ、ええ。きっと学園にはいらっしゃらないはずよ。気にせず買われたらいかが?」
「そうですか……」
「でも、こちらも良くて……」と他のバレッタを取ろうとしたら「いいえ! あなたにはこれが一番よ!」と先程のバレッタを強く推してきた。
もう少し悩みたかったのでどうしようと思いふと周囲を見回すと、彼女たちの後ろには侍女が控えており、さっきまで楽しげに商品を吟味していた平民の子たちは、少し怯えながら私たちを遠巻きにしていた。
おそらくこの二人の煌びやかな衣装や侍女の存在、私たちの口調から貴族だと判断し、失礼があってはならないと距離を取ったのだろう。みんなの自由な時間を奪ってしまって申し訳ない。こういうのが嫌だから、できるだけ地味で目立たない服装にしたのに。
二人は外にそれぞれの実家で雇っている護衛を待機させているだろう。そのせいで店に入りたいと思っても入れない子もいるかもしれない。
ならば、せめて私の買い物は早く終わらせよう。
二人になかば押される形で青緑のガラス玉がついたバレッタの購入を決意する。会計が終わると、二人はさらにニコニコして「ぜひ明日の学園に付けていらしてね!」と声を揃えて言っていた。
「はい。そうしますね。選ぶのを手伝っていただき、ありがとうございました。では、また明日。ごきげんよう」
「絶対よ! わたくしたち、楽しみにしていますからね!」
最後まで挨拶を返してもらえなかったことにモヤモヤするが、笑顔で会釈をして店を出る。出入り口のすぐそばに、いかめしい顔をした護衛が二人、周囲を威圧していた。可愛らしい店の外観からかなり浮いている。おそらく、家紋のついた馬車も近くにあるのだろう。
学園に通う貴族の子女は、休みは王都にあるタウンハウスに外泊して、ゆっくり過ごすことが多い。彼女たちも昨日は実家に帰り、待ち合わせて買い物に来たのだろう。
うちもタウンハウスはあるが、入学して以降帰っていない私のほうが少数派だ。だって一人って楽なんだもーん。両親への手紙はこまめに書いているので、心配させてはいないと思うしね。
なんとなく腑に落ちないところはあるが、当初の目的は達成できたし、なによりクラスの女子と普通に話せたことは嬉しい。学園の外という開放的な場所なら、案外みんな私と会話してくれるのかも。
他に文房具の店とお菓子屋さんも回り、昼過ぎにまたのんびりランチをして存分にリフレッシュしてから学園寮への帰路についた。
久しぶりの外出や、同級生と話せたことが嬉しくて、私は浮かれていた。
だから、彼女たちの嘘に、ことが起こるまで気づかなかったのだ。