6 歓待を受けました。(1)
私は緊張していた。
一体なにを試されているんだろうか。
「あの……これはどういうことでしょう……?」
うららかな昼下がり。
目の前にはテーブルに所狭しと並べられた、色鮮やかなお菓子。しかし向かいに座っている麗人は、それら以上に美しく輝きを放っている。
「ん? 遠慮せずに、たんとお食べ」
にっこりと完璧な笑顔を向けられ、私は反対にひきつった笑いを返した。
***
入学してから初めての試験が終わり、一年のクラスは少し気の抜けた雰囲気に包まれている。
かく言う私も、試験中は封印していた小説を再び持ってきては、休み時間や放課後に思う存分読んでいる。
試験結果はわからないが、まあまあいい線はいっただろう。先日送られてきた義理姉のノートのおかげだ。
王立学園は三ヵ月毎に試験があるが、その結果公表は二回に一回だから、半年毎にしか知ることができない。だから気にしたところで、どうにもならないのだ。ならばさっさと忘れて好きなことをするに限る。
昼休みに読んでいた本がもうすぐ終わるから、図書館で続きを読んでから他の本を借りて寮に帰ろうかな。
ルンルンと帰り支度をしていたら、「やあ、ブリギッタ嬢」と横から話しかけられた。
振り向くと、伯爵家次男で生徒会庶務かつルイスの友達であるアードルフがいた。いつものように、毒にも薬にもならなそうな微妙な笑みを浮かべている。
アードルフは以前、クランツのアホ先輩たちとのいざこざの件で生徒会役員として事情聴取をしてきた。端から私が加害者だと疑ってかかっており、それを隠しもしなかった。
その態度が良くなかったとルイスに注意されたらしく、後から「あの時はごめんねー。生徒会の中では君の疑惑は晴れたよ。だから君の望み通り中立でいるね?」と言ってきた。
つまり、生徒会は私の数ある不名誉な噂に関しては不干渉を貫くということだ。放置とも言う。
言い方はムカつくが、生徒たちに影響を与える立場の者たちが中立であるなら、私にとっては御の字だ。少なくとも私を敵視する生徒の後ろ盾にはならないということだから。
だから私も言ってやったのだ。「まあ。では私も尊敬する生徒会の皆様に倣って、レポートや試験の際は中立の立場でおりますわね」と。授業の小レポートの時に私を当てにしてきたくせに、今後は協力してやんねーぞという宣言だ。案の定、アードルフは半笑いの口をピクピクさせていた。はっ、ざまぁ。
そして今度は何の用件かと訝しんでいると、アードルフは苦笑した。
「そんなに警戒されるとやりづらいんだけどなぁ」
「あら、警戒されるお心当たりが? すみませんがこの後予定がありますので、用件は早めにおっしゃっていただけると嬉しいのですが」
「悪いけど、その予定は遅くなるかも。もしくは後日にしてほしい。今から生徒会室に来てもらうから」
「なるほど。アポなしの上に先約より優先させろと。平等を謳う学園の中でも、さすが生徒会の方々はおっしゃることが天上人のようですわね」
「約束の相手に変更の相談をする時間くらいはあげられるよ。今から行って来れば? 待っててあげるよ」
口じゃ勝てないから無視しやがった。しかも無駄に偉そうなのがムカつく。
「結構ですわ。上辺だけの気遣いなどせず、さっさと強制連行したらどうです?」
「あ、予定ってブリギッタ嬢だけのものだった? そうだよね、約束をするほど親しい友人って、ルイスくらいだもんね」
鬼の首を取ったかのように振る舞うアードルフにブチギレた私は、奴の後ろに向かってにっこりと笑った。
「……と、こんなふうにいじめられてるんです。助けてくださいませんか、私の唯一の友人様?」
「……え?」と固まったアードルフの頭をガシリと掴む手があった。
「アードルフ、あれほど物言いには気をつけろと言っただろうが……!」
「や、でも、本当のことだろ! それに口撃で言えばブリギッタ嬢の方が」
「言い訳か見苦しい! ……ちょうどいい、今から騎士科の訓練場に行くところだったからな。お前の性根を叩き直してやる!」
「ま、待て! 俺は身体より頭を使うタイプで」
「入学試験でブリギッタにも俺にも勝てない奴の言うことか!」
「うっ……!」
アードルフは流石に微笑む余裕がないようで、悔しそうにしながらなぜか私を睨んできた。
ほほう、まだそんな態度をするのだね?
「ルイス様、私は一人でも生徒会室に行けますので、そこの三番の運動不足を解消して差し上げてくださいな」
「ああ。あとで俺たちもそっちに行くから、それまで一人でやれるか?」
「ふふ、はい。いい子にしていますわ。それでは、また」
「いーやーだー! お前、容赦ないもん! なんで勉強できるのに剣も強いんだよ! しかも侯爵家でイケメンでモテモテとか滅びろ! 同じ次男なのにお前だけずるい! 一個くらいよこせー!」
颯爽と歩いていくルイスと、彼に首根っこを掴まれてずるずると引き摺られながら退場していくアードルフに手を振ると、離れて一部始終を見ていたご令嬢方も捌けていった。何人かはルイスの剣を振るう姿見たさに訓練場までついて行くのだろう。
さて。私も行きますか。
気分は戦場に向かう足軽だ。
***
なんとか迷うことなくたどり着いたのは、私たち一年の教室のある棟の隣に位置する特別棟、その最上階。一般の教室のものとは一線を画した高級感漂う生徒会室のドアに、私は早くも尻込みをしている。
この扉を開ければ、鬼が出るか蛇が出るか。
ええい、ままよ!とばかりにノックしたら、思ったより強かったらしく大きな音が出て自分で驚く。
ドアの奥から誰何する声が聞こえ、名乗るとすぐに開かれた。
「ようこそ、ブリギッタ君! こんな僻地にまで足を運ばせて悪いね!」
目に飛び込んできたのは、頭の高いところで一つに結ばれた、ミルクティーにイチゴジャムを混ぜたような淡い色の髪。それに目鼻立ちのはっきりとした美しいかんばせ。そしてスレンダーな身体を包むのは、濃紺の詰襟のジャケットにズボンといった、騎士科の制服。
目の覚めるような男装の麗人がそこにいた。
その破壊力にポカンと呆けながらも見つめてしまう。
「……おや? アードルフはどうしたんだ? 君を迎えに行くように言いつけたつもりなんだが」
「ええ、一人で参りました。アードルフ様は野暮用があるそうで」
「なんと! レディをエスコートしないなんて、生徒会役員の風上にも置けないね! 後で絞めておこう」
ぷんすか怒っている姿も麗しい彼女は、なかなかに過激な人のようだ。
ははっ!ルイスのしごきの後で存分に叱られるがいいよ!アードルフざまぁ!
「さて、つまらない男のことは忘れて、ブリギッタ君、こちらへ」
麗人はそっと私の手を掬い上げると、誰もを魅了する微笑みを浮かべながら部屋の奥へと誘う。その所作がとても自然なのに美しく、私は思わずときめいてしまった。
ふと見れば、壁に佇んでいる他の生徒会の女子たちも、彼女をうっとりと見つめている。きっと私も似たり寄ったりな顔をしているのだろう。
「実は、ブリギッタ君とは一度ゆっくり話してみたくてね。試験も終わって後は夏季休暇までイベントはないだろう? ブリギッタ君には突然で悪いが、このタイミングを逃すと次はいつ手が空くかわからないからね。君も私も注目を集めやすいから、気兼ねなくゆっくりできるように、こうして無理を言って来てもらったというわけだ。
ああ、自己紹介が遅れたね。私はディートリンデ・シュテグマン。生徒会長を務めている。君たちの入学式では壇上で挨拶をしたので、見覚えはあるかもしれないね」
ええ、もちろんありますとも。
学園の入学式の時に生徒代表で挨拶をした彼女――ディートリンデは、容姿も所作も声も美麗で一瞬にして新入生たちを虜にしていた。私も彼女に釘付けになりながら「カリスマって、こういう人のことを言うんだな……」と実感したものだ。
「このドアの先は応接室になっていてね。私が個人的に呼んだ客人を通す時に使っているんだ。今日は君のためにとっておきを用意したから、気に入ってくれると嬉しいんだが」
ディートリンデの言葉を合図に、近くにいた女子がドアを開けた。
促されて入室すると、ディートリンデと私を残してあっさりと閉まる。
さほど広くはない室内には、一対の革張りのソファにキャンディーの形をしたクッションとひざ掛け、ピカピカに磨かれたテーブル……の上には、ホテルのアフタヌーンティーよりも豪華なお菓子たちがひしめくように並べられている。
実家ならいざ知らず、学園にいたら滅多に食べられない可愛らしくも美味しそうなお菓子たちに、思わず喉が鳴る。
いやいやお菓子ばかり見ては淑女としてはしたないと思い直し周りを見回すと、アンティーク調のチェストの上には花柄のお皿やウサギの置物が飾られ、レースカーテンに覆われた大きめの窓からは日差しが柔らかく降り注いでいる。
女の子がときめかずにはいられない、夢の様に可愛らしい空間に彩られていた。
え、待って。
今気づいたんだけど、私あっさり敵――かどうかはわからないが一応の警戒対象――の奥地に踏み込んでるよね?
しかも出入口は今通って来たドアのみ。四階だから窓は使えない。
――逃げ場、ない、よね?
……どうしよう、ディートリンデの麗しい笑顔が、急に恐ろしく思えてきた。
極めつけは、部屋の窓側――上座を薦められて座ったこと。完璧なエスコートだけど、それが逃がさないと言われているようで余計に怖い。ドアはディートリンデの背後にあるし。
私、ヘンゼルにされる?それとも、お菓子全制覇するまで帰れまテンとか?
もしや何かの取り調べ?お菓子はかつ丼の代わりですか?
そんな内心ガクブルな私を余所に、ディートリンデは優雅にソファに腰かけ、私をうっそりと見つめている。
そして、冒頭に至るのだ。