③
「契約結婚?」
「そうです!」
首を傾げる青年に、私は自信満々で大きく頷いた。
「バルテン王国では、結婚して三年間子ができなければ離婚できるという法律があるのはご存じですね」
「ええ、それはもちろん」
「その法律を利用して、三年後に離婚をするという契約を内々に結んだ上で、結婚をするのです。
もちろん、三年以内にお探しの女性が見つかったら、どうにか理由をでっち上げて私有責で離婚してくださって構いません。
どこかの修道院に送ったことにでもしてくだされば、後は自分でどうにか生きていきますから」
「いや、しかし……そんなことをして、あなたに利益があるのですか」
「ありますとも。
少なくとも、母と弟をギャフンと言わせることができます!」
「ぎゃふん……」
「私は、今夜のことでほとほと家族に愛想が尽きました。
以前から折を見て出奔でもしようかと思っていたのですが、それでは芸がないので、他の手段を探していたんです。
身持ちの悪い性悪女のはずの私が望まれて結婚するだなんて、誰にも予想できないと思いませんか?」
「それは、そうかもしれませんが……」
青年は、逡巡しているような仕草をした。
「正直なところ、あなたの提案には心惹かれるものがあります。
私も周囲からの結婚しろという圧力には、心底うんざりしていますからね。
ですが、ここは暗くてお互いの表情がよく見えない。
あの部屋に戻って、詳しい話をしませんか?」
青年は、窓があけ放されたままの二階の部屋を指さした。
「そうですわね。
大事な話ですもの、きちんとお互いの顔を見て話せるならその方がいいですわ」
「では、早速」
青年が片手をひらりと動かして、風魔法を発動させると、私たちの体はふわりと宙に浮かび上がり、そのまま窓から室内へと戻った。
「魔法がお上手ですのね」
私は水魔法が少し使えるくらいなので、ちょっと羨ましい。
「私は第二王子殿下の護衛騎士をしておりますから、これくらいはできて当然なのですよ」
「まぁ、それは」
すごいですね、と言おうとして、さすがの私も絶句した。
魔法具の放つ光のおかげ夜でも明るく照らされている室内で、真正面から見た青年の顔があまりに美しかったからだ。
エメラルドの瞳に、すっと通った鼻筋をした白皙の美青年だ。
暗闇でも輝いていた金髪は、今は本物の黄金のように輝きを放っている。
「申し遅れました。
私はヘンリック・フューゲルといいます」
フューゲル……って、フューゲル侯爵家⁉
複数ある侯爵家の中でもかなり家格が高かったはずだ。
かなりの高位貴族ではないか!
見目麗しいだけでなく、王族の護衛騎士ができるくらい腕が立つ騎士で、さらに侯爵家という属性まであるなんて、それってまるで恋愛小説のヒーローみたいじゃないか。
むしろ、そうだったとしても完璧すぎて陳腐な設定になってしまいそうだ。
「レディのお名前を伺っても?」
あまりに予想外な相手に、つい呆然としてしまった私だが、そう声をかけられて慌ててカーテシーをした。
「クラリッサ・キルステンと申します。
まさか、フューゲル侯爵家の方だとは知らず、失礼をいたしました」
「仕方ありませんよ。外は暗かったですからね。
レディは、キルステン伯爵家のご令嬢なのですね」
「はい、その通りです」
変わらず丁寧に接してくれているが、我が家は伯爵家の中でも下から数えた方が早いくらいの家格でしかないので、私はかなり格下の身分ということになる。
「お目にかかるのは初めてですが、レディの噂は聞いたことがあります」
「そうでしょうね……」
私はぎゅっと手を握りしめた。
彼も私に関する根も葉もない噂を信じて、私を蔑むのだろうか。
そうなったら、契約結婚は無理だな……
って、それ以前にこんな相手と私ではいくらなんでも釣り合わないから、そういう意味でも無理だろう。
そう思ったのに、彼はどういうわけか高い背を屈めて私の顔を覗き込んだ。
「ひえぇ⁉」
私は思わず情けない声を上げて、後ろに退いた。
こんな美しい顔を間近に見るなんて、心臓に悪すぎる。
「女性にそんな声を出されたのは初めてですよ」
それなのに、彼はエメラルドの瞳に好奇の光を宿し、私が退いてできた距離を縮めてくる。
「ひぃっ⁉ な、なにをなさるのです⁉」
私が下がると、彼が前に踏み出す。
それを避けようとさらに下がると、また彼が近づいてくる。
それが続いて、ついに私は壁際まで追い詰められてしまった。
壁に背中をぺたりとつける私の両脇に彼は手をつき、いわゆる壁ドンをされている状態になった。
怪しく光るエメラルドの瞳が、冷や汗をかく私を見下ろしている。
怖い! イケメン怖い‼
「さ、触らないでぇ! でないと、そこの男みたいにしてやるんだからぁぁ!」
私が震えながら指さしたのは、弟と共謀して私を襲おうとした男だ。
すぐ近くでこんなに騒いでいるのに目が覚める気配もなく、床にぐんにゃりと伸びている。
指一本でも私に触れたら、このイケメンも床と仲良しにさせてやる! と身構えつつ、涙目でエメラルドの瞳を睨みつけた。
「……ふふっ」
私はぷるぷる震えながら怯えているというのに、イケメンはなぜか笑い始めた。
「ふふふ……レディは面白いですね」
どうやら、怯える私が面白かったらしい。
不本意ではあるが、それはそうかもしれないとも思った。
きっとこのイケメンは、頬を染め恥じらう令嬢は見慣れていても、青ざめ怯えている令嬢は見たことがないのだろう。
「離れてくださいぃ……私は、男性が苦手なのです……」
「……失礼しました。
もう迫ったりしませんから、ご安心を」
蚊の鳴くような声で訴えると、やっと離れてくれた。
ほっと息をついた私に、彼は苦笑した。
「疑わしいとは思っていたのですが、やはり噂は嘘だったようですね」
「それは、どういう……」
「もしレディが噂通りに身持ちの悪い性悪女だったら、この状況で私を誘惑しないはずがありません」
それもそうだ。
私がアバズレだったら、こんなイケメンに迫られて怯えるはずがない。
むしろ、こちらからグイグイ迫っていくくらいでないとおかしい。
「噂など、あてにならないものです。
私は自分の目で見たものを信じます」
「あ……ありがとうございます……!」
私も過去に何度か噂の内容は真実ではないと弁明しようとしたが、誰も耳を傾けてはくれなかった。
貴族なんてそんなものだと諦めていたのに、こんな高位貴族の貴公子が私を信じてくれるなんて、単純にとても嬉しい。
やっぱり彼はいいひとなのだ。