②
「……私としたことが、ぬかったわね」
私は失神して床に倒れている身形のいい男を見下ろし、ため息をついた。
さっき入ってきたばかりの扉に手をかけてみたが、案の定鍵がかかっている。
となると、残る出口は窓しかない。
窓を大きく開け放ち身を乗り出して下を覗いてみると、暗くてよく見えないがどうやら窓のすぐ下の地面は芝生のようだ。
幸いにもここは二階だから、飛び降りても大きな怪我はしないだろう。
着地してすぐ、地面をゴロゴロと転がって勢いを殺せばいいのだ。
仕立てたばかりのドレスは汚れるだろうが、背に腹は代えられない。
私はよいしょと窓枠に足をかけ、ゴロゴロするところをしっかりイメージしながら、えいやっと飛び降りた。
「あ、あれれ?」
しかし、私の体は芝生に落下することはなく、ふわりと宙に浮いた。
そのままゆっくりと降下し、私は危なげなくすとんと両足で着地することができた。
これは、風魔法だ。
誰かが魔法を使って、私を助けてくれたのだ。
「レディ、これくらいの高さでは自殺はできませんよ」
声がした方を見ると、宵闇の中でもはっきりと見える金髪の青年が木陰から出てくるところだった。
暗くて顔はよく見えないが、かなりの長身でしっかりとした体格なことから、騎士なのだろうとあたりをつけた。
「あなたが助けてくださったのですね。
ありがとうございました。
でも、自殺しようとしたわけではございませんわ」
「では、なぜ飛び降りなど?」
当然の疑問だろう。
声からして、まだ若い男性のようだ。
「恥ずかしながら、私は弟にハメられたのです」
「ハメられた?弟に?」
「少し長い話になりますけど、聞いてくださる?」
「いいでしょう。私もここで時間を潰していたところです。
付き合おうではありませんか」
男性の声には面白がるような響きがあったが、弟の行いに愚痴を言いたくて仕方がなかった私は、全部ぶちまけることにした。
私の両親は政略結婚で、互いに愛情は欠片もない。
それでも義務として母は父の子を産んだわけだが、残念ながら第一子である私が男でなかったため、母はもう一人産まなくてはならなくなった。
この時点で母の私への愛情はほぼ消滅してしまったようだが、それに拍車をかけたのが私の容姿だ。
私は父の母にあたる祖母、つまり母からしたら姑によく似ているのだ。
祖母は厳格だっただけで、嫁いびりをしていたわけではないらしいが、自分に甘いところがある母は祖母のことを恨んでいた。
父も私に無関心だから、しかたなく祖母が面倒をみてくれていたそうで、それも母が私を嫌う理由となってしまった。
そして、私の二歳下に弟ヨーゼフが生まれ、母は後継を産まなくてはいけないという重圧から解放されると、私には目もくれず弟だけをひたすら溺愛するようになった。
その頃には祖母は病に臥せっていて、父ももう母と子作りする必要はないとほとんど家に帰ってくることはなく、私はほぼ使用人たちに育てられた。
母が私を嫌うから、当然ながら弟も私を嫌うようになり、顔を合わせると罵ってきたり髪を引っ張ったりする意地の悪い性格に育った。
私が年頃になると、母と弟は二人して私が身持ちの悪い性悪女だと吹聴するようになったから、私の社交界での評判は最悪だ。
夜会でもお茶会でも、私は遠巻きにされるばかりで、誰とも親しくなれないので、普段は家に引き籠っている。
それなのに、今回の夜会はどうしても出なくてはいけないと言われ、わざわざ新しいドレスを私に仕立ててまで連れてこられたのだ。
「会場に着いてすぐ、ダンスホールではなく控室のある区画に連れてこられて、さっき飛び降りてきた部屋に押し込まれました。
そこで知らない男が待ち構えていて、私を襲ってきたのです」
「……酷いことを……」
男性の声には憐憫が滲む。
こんな暗がりで聞かされた身の上話にも同情してくれるなんて、どうやら悪い人ではないようだ。
「それで、あなたは大丈夫だったのですか」
「ええ、無事ですわ。
護身用の魔法具を持っていますから」
私の魔法具は、私が魔力を流すと私に触れている相手を即座に昏倒させるという効果がある。
一般には出回っていない、特注品の魔法具なのだ。
こんな高価なものを私が持っているなんて、弟は予想もしていなかっただろう。
「私を傷者にして、妾か後妻としてどこかに売りつけるつもりなのだと思います。
私を襲ってきた男からもお金を貰っているでしょうから、一石二鳥ですわね」
「……」
よく見えないが、かける言葉もないというような顔をしているのだろうということが伝わってくる。
「そういえば、あなたはなんでこんなところに?」
青年はきれいな金髪をしていて、着ている夜会服もかなり豪華なようだ。
きっと高位貴族だろうに、どうしてこんな人気のないところにいるのだろう。
「単純なことです。
結婚相手を探せと夜会に引っ張り出されたのですが、どうしてもそんな気になれなくて、隠れて時間を潰していたんですよ」
男性がこんなことを言うのは、まだ遊びたいとか、一人に縛られたくないとか、そういった理由であることが多いということは私もよくわかっている。
だが、私はつい願望と『小説に登場させるならこんなキャラ設定にしたい』というのが混ざって、ポロっと口にしてしまった。
「もしかして、忘れられない方がいらっしゃるとか?」
言った直後に、初対面の男性にこんな踏み込んだことを訊くのはマナー違反というか不躾すぎたと思ったが、一度口から出た言葉を飲みこむことはできない。
「その通りです。
お恥ずかしいことに、初恋の相手が忘れられないのですよ」
気を悪くした気配もなく、ただ苦笑を滲ませた穏やかな声が返ってきた。
忘れられないのが初恋の相手だなんて、私の願望のさらに上をいくではないか。
「ちっとも恥ずかしいことではありませんわ!
そんなに一途に誰かを思い続けられるなんて、素敵だと思います!」
次作のヒーローはそういう設定にしようかな、と思うくらい素敵だ。
世の中の男が皆この人みたいだったらいいのに。
そうでないから、そういうキャラがウケるのだけど。
「最後に会ったのは、もう十年以上前のことです。
いい加減に諦めろと言われるのですが、それもできなくて」
「十年以上も……」
そんなに長い間、たった一人のことを思い続けるなんて、きっと誠実な人なのだろう。
それに、中途半端な高さの窓から飛び降りる妙な女を咄嗟に助けてくれるほど優しい。
こんな状況でも、粗暴だったり傲慢だったりするような感じもない。
ここで、私はピンときた。
これは……チャンスなのでは⁉
「あなたは、初恋の女性としか結婚したくないのですよね?」
「はい、そうですね」
「それなのに、周囲の人たちに、結婚しろとせっつかれているのですね?」
「その通りですが……」
話がどこに向かっているのかわからず、困惑しているらしい青年に、私は一気に詰め寄った。
「私と契約結婚いたしませんか⁉」