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気を取り直して、私とヘンリックは腹ごしらえに集中した。
「どれもこれも美味しいわ!
やっぱりお城の料理人はいい腕してるわね」
「我が家の料理人も負けてないと思うけどね。
豪華さでいったら、こっちに軍配が上がるのかな」
「こういう料理にも今度挑戦してみようかしら。
うーん、メモできたらいいのに!」
私の前世はごく普通の一般人だったので、ここに並べられているような豪華なパーティ料理なんて縁がなかったのだ。
ピンチョスに使われている食材の組み合わせとか、サラダのきれいな盛り付け方とか、香ばしく焼かれた肉のスパイスと付け合わせとか、私には思いつかないものがたくさんありすぎて、とても全ては覚えられない。
「我が家の料理人も、ある程度これに近い感じのをつくれる思うよ。
相談してみたら?」
「ええ、そうね。そうしてみるわ」
美味しい料理を味わうのと同時に、私は久しぶりの夜会の会場をしっかり観察した。
もちろん、これは創作に役立てるためだ。
私は社交界から遠ざかっていたから、このような華やかな場面の描写がいまいち苦手だったのだ。
色とりどりの美しいドレスを纏った女性たちが、パートナーの手を取ってダンスホールでくるくると踊っている。
真剣な顔をして話している数人の男性たちは、仕事の関係者なのだろう。
結婚相手を探しているらしい年若い令嬢たち、火遊びの相手を探しているらしい妖艶な未亡人。
せわしなく動き回っている給仕係、壁際で目を光らせている衛兵。
前世だったらスマホのカメラで簡単に記録を残すことができたのに。
「せっかくだから、一曲くらいダンスするかい?」
それはそれで楽しそうだと思ったが、私は首を横に振った。
「やめておくわ。
あなたのダンスは、マリーのためにとっておいてあげてほしいの」
可愛いマリアンネは、いつかヘンリックと正式な場でダンスをするのを楽しみにしている。
私たちがこの夜会に参加しているのは、その願いを叶えるためでもあるのだ。
「あ、自称聖女がいるぞ」
ヘンリックの視線を追うと、背の高い細身の男性にエスコートされたカリナがいた。
ピンク色なのは先日のドレスと同じだが、デコルテを限界ギリギリまで広げたようなデザインで、豊かな胸がこぼれ出ないかハラハラしてしまう。
ヘンリックには劣るが十分に人目を惹く容姿をしたあの男性が、騎士崩れの役者なのだろう。
検証の結果、カリナと同衾した男性は腕力やら魔力やらが上昇することが証明されたのだそうだ。
現在、それがどこまで上昇するのかというのを確かめるため、検証はまだ続けられていると聞いている。
本来は増えるはずがない魔力量が増えるならと協力を申し出る人もそれなりにいるということで、検証する役目がヘンリックに回ってくることはなくなり、私たちは手を取り合って喜んだものだ。
カリナはなにをどう説明を受けているのかわからないが、美しいパートナーを見せびらかすように得意気な会場を歩き回っている。
「すごいドレスだな……」
ヘンリックは形のいい眉を寄せた。
カリナの胸の谷間に視線が吸い寄せられている男性が多数見受けられるが、ヘンリックのように眉を顰める男性も多い。
「さすがに大丈夫だと思いたいけれど、また絡まれたら面倒ね」
「そうだね。あれには近寄りたくないな」
私とヘンリックはカリナに背を向け、目立たないように壁際に移動した。
美味しい料理は十分に堪能したので、もうすぐ起きる予定の大事件に備えるためだ。
「リサ。私の傍から離れてはいけないよ」
「わかってるわ。壁際だし、ここなら大丈夫よ」
ヘンリックは油断なく周囲を見まわし、私はそんなヘンリックの背に隠れるように立った。
もしパニックが起きて大勢が一度に出口に詰めかけるようなことがあっても、この位置なら人の波にのまれるようなことにはならない。
もうすぐだ。
もうすぐ、ここで大事件が起こる。
「おい! なんだあれは⁉」
ダンスホールから誰かの声が響いだのは、私がそう思って気を引き締めた時だった。
声につられて視線を向けると、空中に黒い塊がふわふわと浮かんでいるのが見えた。
言うまでもなく、エルヴィンの魔力だ。
みるみる大きくなっていく黒い塊から着飾った人々が悲鳴を上げて遠ざかり、代わりに複数の衛兵が駆けつけて取り囲んだ。
黒い塊は大きくなりながらゆっくりと高度を下げ、床についたところで今度は小さくなり始めた。
ゆらゆらと不定形な形の黒い塊は、小さくなるにつれはっきりとした形をもつようになっていく。
「ひっ……!」
「あれは、翼か⁉」
「もしかして……魔族⁉」
大きな漆黒の翼がばさりと音をたてて広がると、周囲に魔力の残滓をまき散らした。
黒い塊の中から、先祖返りの姿になっているエルヴィンが姿を現したのだ。
漆黒の大きな翼、炯々と輝く金色の瞳、そして頭には深紅のねじれた角。
底冷えするような威圧感を放つ異形の姿。
なかなか上出来な魔王コスプレだ。
角は私の手作りカチューシャなのだが、あれがあることにより魔王っぽい迫力が増していると思う。
「おまえ、何者だ!」
果敢にも誰何の声を上げた衛兵を無視し、エルヴィンはすたすたと歩き始めた。
その向かう先には王族専用の席があり、国王陛下と王妃様がいる。
「止まれ! 斬られたいのか!」
構わず歩き続けるエルヴィンに衛兵の一人が斬りかかったが、翼にあっさりと弾き飛ばされてしまった。
撫でると手触りのいい羽毛は実はかなり頑丈で、斬撃を受けても傷一つついていない。
これはまずいと顔色を変えて複数同時に斬りかかった衛兵たちは、全員が同時に翼とエルヴィンの手に現れた鞭のように動く黒い霞に叩き伏せられ、彼の歩みの妨げにもならなかった。
「陛下をお守りしろ! 全員でかかれ!」
護衛騎士の一人が魔法で氷の礫を放ったが、彼は片手でそれを払い落した。
素手で攻撃魔法に触れて無傷なんて、改めて見ると信じられない。
ヘンリックも目を丸くしている。
王族の護衛騎士は精鋭揃いなはずなのに、攻その撃魔法も斬撃も彼に到達することはなく、全員があっさりと床に伏せてしまった。
とはいえ、死者も重傷者もいない。
せいぜい打ち身くらいで、気絶させられただけだ。
そうして彼は一度も歩む速度を緩めることなく、国王陛下の目前にたどり着いた。
「おまえは……魔王なのか」
こんな状況だが、さすがは国王陛下。
王妃様を背中に庇いながら、眼光鋭くエルヴィンを睨みつけた。
『そうだ』
エルヴィンの声は、魔法具で大きな魔物の唸り声のような響きになっている。
とても魔王っぽい仕上がりに、私はひっそりと満足した。
「我がバルテン王国を滅ぼすつもりか」
そう問うたのは、カリナの証言では魔王が国を滅ぼそうとして襲ってくるからなのだが、当然ながらそんなつもりはないエルヴィンは首を横に振った。
『そんな無意味なことはしない』
「では、なにが目的だ」
『バルテン王国の聖女を我が花嫁とする』
「は、花嫁⁉」
陛下だけでなく、私とヘンリック以外の会場にいる全員が目を剥いた。
「我が国の聖女というのは、称号でしかないのだが」
『来月の三回目の水の日、今と同じ時間に聖女をこの場に迎えに来る』
「しかし」
『大人しく聖女を差し出せ』
エルヴィンがばさりと翼を広げると、ぶわっと魔力が混ざった突風が会場を吹き抜けて、あちこちで悲鳴が上がった。
ヘンリックが額に冷や汗をかいている。
騎士である彼は、エルヴィンがその身に秘める力の強大さを肌で感じているのだろう。
「わ、わかった。聖女を差し出すと約束しよう」
国王陛下がそう言うと、エルヴィンの体がふわりと宙に浮いた。
右手をかざすと、掌から黒い靄が飛び出して塊になり、彼はその中に飛び込んだ。
しばらく空中に留まっていた黒い塊は、ふわふわと解けて溶けるように跡形もなく消え去った。
それを見届けてから、私とヘンリックは無言で顔を見合わせた。
上手くいった。
打合せ通り、エルヴィンは見事に魔王を演じきったのだ。
皆が呆然と黒い塊があった宙を見上げている中、金切声が響いた。
「なんなのよこれ! こんなのシナリオになかったわ!
私はヒロインなのよ!
皆に愛されて逆ハーレムになるはずなのにぃぃぃ!」
それは、自分を聖女だと言い張っていたカリナの声だった。
「嫌よ! 魔王の花嫁なんて、絶対にいやぁぁ!」
癇癪を起こして地団太を踏むカリナを、さっきエスコートしていた男性がおろおろしながら宥めようとしている。
そこから人々は呆然自失状態から覚め、夜会の会場は一気に騒めきに満たされた。
国王陛下の号令で夜会はそこでお開きということになり、私とヘンリックも馬車に乗って帰宅した。
「エルのやつ、すごかったなぁ。
正体を知っている私でも、冷や汗がでたよ」
「そうね。完璧な魔王だったわね」
「きみの演出も、すごく効果的だったよ。
本当に魔王かなんて疑うひとは誰もいないだろう。
まぁ、疑われたところで、真実を確かめる術なんてないんだけどね。
正直、バルテン王国の全兵力をもってしても、エルには敵うかどうか微妙なところだと思うよ」
「まぁ! エルったら、そんなに強いのね!
さすがだわ!」
手を叩いて喜ぶ私に、ヘンリックは少し複雑な顔をした。
「とんでもない義兄だってことが、改めてよくわかったよ。
まったく、エルが味方でよかった。
敵に回ってたらと思うと、ぞっとするよ。
これも、リサのおかげなんだろうね」
「ふふふ、私の前世の記憶のおかげだと思うわよ」
カリナが読んだという漫画の中にも私は存在しているのだろうが、おそらく今の私のように前世の記憶を持っていないのだと思う。
もしこの記憶がなかったら、私は母と弟にいいように虐げられ、どうなっていたかわからない。
とりあえず、計画の第一段階は無事終了することができた。
帰ったらエルヴィンをたくさん労ってあげようと思いながら、私はとてもいい気分で馬車に揺られていた。