⑬
前世の私は、読書が好きで細々と小説を書くのが趣味の、どちらかといえば地味なOLだった。
どういうわけか営業部のエースに告白されて付き合うようになり、口約束ではあったが婚約したところで、彼の浮気が発覚した。
相手は、よりにもよって私が教育を担当していた新入社員の三沢カリナだった。
彼女は私と彼が婚約間近なのを知って、私をダシに彼を呼び出し酒を飲ませて、ホテルに連れ込み既成事実をつくった。
そして、その翌月に「妊娠したから責任をとって♪」とエコー写真を手に彼に迫り、こうなってはどうしようもないと彼は私と別れることを選んだのだった。
幸せそうに妊娠と結婚を職場で発表するかりなの隣に立った彼は、私と目が合うと気まずそうな顔をして視線を逸らした。
彼がまだ私に心を残しているのは明らかだった。
そして、それがカリナが私に殺意を向けることに繋がったのだろう。
それから数日後、両手で資料の束を抱えて階段を降りていた時、私は後ろから突き飛ばされて階段を転げ落ちたのだ。
全身を酷く打ちつけ、頭からはドクドクと出血しているのを感じた。
なんとか上を見上げ、カリナが満足気に笑って立ち去るのを見たのを最後に、私の記憶は途切れている。
思い出すと辛く悲しい記憶ではあるが、もう遠い過去のことだと思っていたのに。
まさか、私が転生したこの世界で、私から全てを奪ったカリナに再会することになるとは。
「これはきっと、運命なんでしょうね」
最後にぽつりと呟いた私に、マリアンネは涙ぐんだ。
「なんて酷いことを……お姉様、辛かったでしょう……」
「辛かったけど、過去のことだもの。
とっくに乗り越えてるから、大丈夫よ」
なにせ、前世のことなのだ。
クラリッサとして幸せに暮らしている今、小説のネタを探す時以外は前世を思い出すことすらほとんどない。
それにしても、今日見たカリナは私が知っている姿とほとんど変わりはなかった。
それなのに男漁りをしているということは、やはり妊娠は嘘だったのだろう。
元婚約者はなにを言われたのか知らないが、あのあざと可愛い顔にころっと騙されてしまったわけだ。
激しい怒りで青い瞳を燃え上がらせたエルヴィンが、ゆらりと立ち上がった。
「……ひとっ走り、あの女を殺してくる」
「待て! 早まるな! 私の話も聞いてくれ!」
部屋を飛び出して行こうとするエルヴィンを、疲れた顔をしたヘンリックが慌てて止めた。
今は、もう夜更けといえるくらいの時間だ。
私とカリナとの因縁について三人に詳しく話して聞かせるためにヘンリックの帰宅を待っていたので、こんな時間になってしまったのだ。
「落ち着いて、エル。
カリナを殺すのは最終手段よ。
あなたならいつでもそうできるんだから、今すぐじゃなくてもいいでしょう?
まずはリックの話を聞いてみて、それからまた考えるということにしない?」
「……お嬢がそう言うのなら」
ヘンリックを振り払って出て行きそうな勢いのエルヴィンだったが、私が宥めると渋々ながら聞き入れてくれた。
「リサの話も衝撃的だったが……私が今からする話は、それ以上だと思う。
覚悟して聞いてほしい」
私たちと別れた後、第二王子殿下は国王陛下に報告に走り、ヘンリックは本当にカリナを牢獄に放り込んだのだそうだ。
「口を割らなければ本当に拷問するつもりだったが、私が本気だとわかるとすぐに全部吐いた」
カリナは、またもここが本の中の世界だと言い張った。
以前も同じことを言って誰もまともに取り合わなかったが、今回のヘンリックはその本の内容について詳しく聞いてみることにしたのだそうだ。
主人公は、異世界転移してバルテン王国に降臨した聖女カリナ。
アブラッハが枯れかけて困っていたバルテン王国で、回復魔法が使えるカリナは大歓迎された。
そして、ヘンリックを含む四人の男性と懇意になり、四人全員と恋人になった。
聖女カリナの能力は、回復魔法が使えるというだけではない。
閨事をした相手の能力を高めることができるのだ。
カリナはアブラッハも魔法で回復できるのではないかと考え、試してみることにした。
枯死寸前のアブラッハに回復魔法をかけてみると、その根本から魔物が飛び出しカリナに襲い掛かってきた。
その魔物を四人の恋人たちが協力して退治し、魔物の心臓からは四つの魔石が採れる。
カリナは魔石に回復魔法と聖女の祝福を籠め、恋人たちに授けた。
魔物がいなくなったことでアブラッハは元気になり、カリナのおかげで平和が戻ったかに思えたバルテン王国だったが、すぐにまた災厄が訪れた。
アブラッハの回復を祝う式典が開かれていた王城を、突如として魔王が襲撃してきたのだ。
カリナと魔石のおかげでそれぞれ飛躍的に能力が上昇した四人の恋人たちは果敢に魔王に立ち向かい、辛くも勝利することができた。
平和になったバルテン王国で、カリナは恋人たちに愛されながら幸せに暮らす。
めでたしめでたし……
「と、いうような内容なのだそうだ……」
話しながら、ヘンリックの顔色がどんどん悪くなっていくのが気の毒だった。
漫画は漫画でも、話を聞く限りTL漫画なようだ。
ヘンリックならヒロインの恋人キャラとしての資質は十分持ち合わせているだろうが、それは闇落ちしていたらの話だ。
今のヘンリックがカリナの恋人になるなんて、どう考えても無理だ。
「カリナから聞き出したことを元に、国王陛下や第一王子殿下たちも交えて話し合った。
荒唐無稽な話ではあるが、アブラッハの魔物が存在したのは確かだから、デタラメだと切り捨てるのは危険だ。
というわけで……カリナと閨事をしたら、本当に男性側の能力がなにか高まるのかどうかというのを検証することになった」
「え……それって……」
ヘンリックに寄り添っていたマリアンネが顔色を変えた。
「違う、検証をするのは私じゃない!
試してみるかと言われたが、絶対無理だと断った!
マリア以外とそんなこと……吐き気がする」
本当に具合が悪そうな顔色で、ヘンリックはマリアンネの手を握りしめた。
「かといって、第一王子殿下にそんな怪しげなことをさせるわけにはいかない。
総騎士団長の令息は、現在西の国境にある砦で武者修行中で、急いで呼び寄せても王城に到着するまで一月以上はかかる。
頼みの綱のアンゼルム大公も、カリナは全く好みでないということで私と同じように絶対無理なんだそうだ」
カリナの容姿は、バルテン王国でもかなり可愛らしい部類にはいる。
それなのに、あのふるまいのせいで男性からの人気は低いのだそうだ。
日本で私の後輩だった時は、仕事はきちんととこなしていたし、TPOもわきまえていたのに。
ヘンリックたちを篭絡するのに必死で、ああなってしまったのだろうか。
「カリナの恋人とされる四人は、女に好まれる容姿をしているという事以外に共通点がない。
本来ならその四人のなかに含まれていないルーカス様とエルをほしがったことからも、男なら誰でもいいのではないかと推測される。
それで……整った顔をした騎士崩れの役者を、騎士と偽ってカリナにあてがって、様子を見るということになった。
その役者の魔力かなにかが上がったのが認められたら、独身の騎士の中から希望者を募ることになる。
カリナは中身はアレだが容姿は整っているし、回復魔法の使い手でもあるから妻に望むものも少なくないはずだ。
だが……」
ヘンリックは苦しげな顔で口ごもった。
「だが……もし、役者ではダメだということになったら……
その時は……その時は、私が……その役目を負うことになる」
私は息をのんだ。
ヘンリックが、カリナと……?
「私はバルテン王国に忠誠を誓った騎士だ。
そうなったら、媚薬を飲んででも役目を全うしなくてはならない。
魔王襲来に備えるためには、そうするしかないんだ……」
「リック……」
「マリア……こんなことになって、すまない……」
あまりの理不尽さに、私は怒りに震えた。
マリアンネは可愛い妹で、ヘンリックは大切な友人だ。
その二人を苦しめるなんて、許せない。
やっと夫婦になれるところだったのに、こんな横槍が入るなんて!
「リック、その魔王というのはどういったものなのかわかるか」
険しい顔でエルヴィンが問うた。
場合によっては、魔王討伐に協力するつもりなのだろう。
「カリナが言うには……褐色の肌、黒髪、金色の瞳で、背中に黒い翼がある若い男の姿をしているそうだ」
え? それって……
「……その魔王が、王城を襲うのか」
「そうらしい。
とんでもなく強力な魔法を操って、王城だけでなくバルテン王国全体を滅ぼそうとする、と言っていた」
「魔王には、そうする目的があるのか?」
「いや、そんなことは言っていなかったな。
とにかく、突然襲ってきたから、それを迎え撃ったと本に書いてあったそうだ」
「そうか……」
エルヴィンは神妙な顔で俯いた。
私はそんなエルヴィンをじっと見つめ、マリアンネの涙がひっこんだ顔でエルヴィンを見ている。
「どうした?」
ヘンリックは私たちの変化に気が付き、怪訝な顔をした。
「お嬢」
「ええ、そうね。こうなったら、もう打ち明けたほうがいいわ」
「打ち明けるって、なにを?」
エルヴィンは、申し訳なさそうな顔をしながらヘンリックを見た。
「その魔王というのは……おそらく、俺のことだ」