①
「うーん、やっとできた……」
私––––––クラリッサ・フューゲルは椅子に座ったままぐっと背伸びをした。
ずっと同じ姿勢のまま机に向かっていたので、すっかり肩のあたりが強張ってしまっている。
「お疲れさまでした、お姉様」
ふわふわのストロベリーブロンドを揺らしながら、私の異母妹であるマリアンネが労ってくれた。
そのアメジストのような澄んだ紫の瞳は、期待にキラキラと輝いている。
「本当に疲れたわ……じゃあマリー、最終章の誤字脱字チェックお願いね」
「はい!お任せください!」
マリアンネはたった今書きあがったばかりの小説の原稿を受け取ると、真剣な顔で読み始めた。
「お嬢、茶を淹れようか」
「ええ、お願い」
「眼精疲労に効くハーブティーにするよ」
「助かるわ」
テキパキとお茶を淹れる準備を始めた癖のある黒髪に青い瞳の青年は、私専属の侍従エルヴィンだ。
彼はマリアンネの異父兄でもあるのだが、侍従にしては立派すぎる体格と精悍な顔立ちをしており、華奢で可愛らしいマリアンネとはほとんど似ていない。
一方、私とマリアンネも、瞳の色が同じなだけで、他はあまり似ていない。
私はややきつめな顔立ちと銀色の髪をしているので、『冷たそう』もしくは『気が強そう』という印象を持たれることが多いが、マリアンネは花の妖精のように可愛らしいのだ。
マリアンネは私の異母妹で、エルヴィンとマリアンネは異父兄妹にあたる。
つまり、私とエルヴィンは赤の他人だが、マリアンネは私たち両方と血がつながっているということになる。
エルヴィンが私の前にティーカップと、クッキーをいくつか乗せた小皿を置いた。
カップを手に取ると、ハーブの爽やかな香りがする。
一口飲んで、ほっと息をついた。
「ありがとう、エル。
あなたのお茶はいつも美味しいわ」
「当然だ。お嬢のための特別ブレンドなんだから」
エルヴィンは味覚と嗅覚が鋭く、いつも私の体調にあわせてブレンドしたハーブティーを淹れてくれる。
本当に得難い侍従だ。
「おかげで、余裕で締め切りに間に合ったわ」
「そうだな。今回は早めに書きあがったな」
「ちゃんとプロットを練ってから書き始めたから。
やっぱり事前準備って大事ね。
でも、勢いでがーって書いた方が、いい出来だったりすることもあるのが悩ましいところよねぇ」
コキコキと首を動かしながらそんな話をしていると、
「お姉様! これ、すごく面白いです! 最後の最後で伏線回収バッチリです!」
キラキラを通り越してギラギラと瞳を輝かせながらマリアンネが原稿からガバッと音がしそうなくらいの勢いで顔を上げた。
「傑作です! これならミリオンセラー狙えますわ!」
マリアンネは私の小説の大ファンで、いつも全力で褒めてくれる。
多少照れくさくはあるが、私も作品を褒められるのは嬉しい。
「マリーったら、大袈裟なんだから」
「大袈裟なんかじゃありません! 本当に面白いんですから!
あ、でも、いくつか誤字脱字があったので、印をつけておきました」
「ありがとう、マリー。後で確認してみるわね」
あれだけ興奮しながらも、きっちり仕事をこなしてくれる。
マリアンネは可愛いだけでなく、とても頼りになる妹なのだ。
「はい、次はお兄様の番ですよ」
原稿を受け取ると、エルヴィンもまた真剣な顔で読み始めた。
私が書く小説は基本的に女性向けなのだが、エルヴィンは毎回きっちり読んで説明不足な点や矛盾点があれば鋭く指摘してくれる。
マリアンネもエルヴィンも、私にとっては大切な家族であり、頼りになる助手でもあるのだ。
執務室の扉がノックされた。
「はぁい、どうぞ」
返事すると扉が外から開かれ、私の夫ヘンリック・フューゲルが入ってきた。
輝く金髪と深い碧の瞳が、白を基調とした近衛騎士の制服によく映える。
彫りが深く優し気に整った顔立ちは、結婚して約三年たった今でもたまに眩しく見えることがあるくらいだ。
絵に描いたような貴公子のヘンリックは、第二王子殿下の専属護衛を務めるくらい腕の立つ騎士で、フューゲル侯爵家令息でもある。
私と彼の婚姻が発表された時は、バルテン王国だけでなく近隣諸国の令嬢たちまでもが涙で枕を濡らしたと新聞に書いてあったものだ。
「お帰りなさい、リック」
「ああ、ただいま」
彼はとろりと蕩けるような眼差を向けながら、慣れた仕草でマリアンネの腰を抱き寄せ、ストロベリーブロンドにキスを落とした。
もう一度言うが、ヘンリックは私の夫だ。
それなのに、彼は私の目の前で堂々と私の妹を抱き寄せている。
「おや、なんだかご機嫌なようだね。
もしかして、リサの原稿が仕上がったのかな?」
「そうなんです!
今回のも、すっっっごく面白いんですよ!」
私の夫に抱き寄せられたまま、私の妹は瞳を輝かせる。
「ヒーローのブルーノが、ヒロインが働いている教会を訪ねていって」
「待って待って、マリア。僕も読むのを楽しみにしてるんだから」
「あ、ごめんなさい」
興奮のままにうっかりネタばれしようとした自分の口を、マリアンネは慌てて押さえた。
「今は俺が読んでる途中だから、後でリックにまわすよ」
「まだ締め切りには余裕があるの。時間がある時にゆっくり読んだらいいわ」
「ありがとう。そうさせてもらうよ」
エルヴィンと私にも、ヘンリックは笑顔を向ける。
マリアンネに対するような甘い笑顔ではないが、信頼に満ちた穏やかな笑顔だ。
マリアンネとエルヴィンだけでなく、ヘンリックも私の小説の読者で、大切な家族なのだ。
三人とも、編集担当よりも早く私の作品が読めことを『家族の役得』だといって喜んでいる。
「じゃあ、着替えてくるよ」
「ええ、また夕食の時にね」
マリアンネの腰を抱いたまま私室へと向かうヘンリックを見送り、私とエルヴィンは顔を見合わせて笑った。
「あの二人、相変わらず仲良しね」
「兄としては、たまに目のやり場に困るんだが」
私とヘンリックは正式な夫婦。
私とマリアンネは異母姉妹。
エルヴィンとマリアンネは異父兄妹。
そして、ヘンリックと愛し合っているのは、私ではなくマリアンネだ。
奇妙なようだが、私たち四人は互いに良好な関係を築いている。
「あの二人が夫婦になれるまで、あと少しね」
「そうだな。
マリーが嫁に行ったら、俺もやっと肩の荷が降りるよ」
四人でのこの穏やかな生活も、あと少しで終わることになっている。
私とヘンリックは円満離婚し、ヘンリックはマリアンネを正式な妻として迎えるのだ。
皆がそれを心待ちにしており、そのための準備も着々とすすめられている。
私たちがこのような生活を始めるきっかけとなったのは、私とヘンリックが偶然出会ったことだった。
ものすごく悩んだのですが、恋愛要素が少ないので異世界恋愛ではなくハイファンタジーということにしました。