『妖精図鑑』―妖精が見える女の子は、幼馴染の女の子が魅了の妖精の力で男の子たちを誑かしていることを知っている―
「ねえ、ダーシー? これ重いわ。持って頂戴」
私の幼馴染であるチェルシーが青紫色の少しだけ垂れた瞳で、町一番の美男子と言われているダーシーを見上げておねだりをしている。
そんなチェルシーの姿を、私は冷めた目で見つめていた。
チェルシーに可愛らしいお願いをされて鼻の下を伸ばしている姿を見れば、いくら町で一番人気の男の子といえども、永年の恋も冷めるというものだ。
チェルシーはふわふわとした愛嬌のある笑顔を振りまき、柔らかそうな白っぽい茶色の髪を靡かせて、いつも男たちの間をひらひらと蝶のように行ったり来たりを繰り返している。
それが、チェルシー・フェルメという少女だ。
けれど、チェルシーのその魅力には理由があることを、私は知っていた。
彼女は彼女本来の魅力で彼らの心を惹きつけているわけではない。
彼女には魅了の妖精がついているのだ。
今もその妖精はチェルシーの肩の辺りでヒラヒラと虹色の光を放つ透明な羽を震わせている。そしてその羽からダーシーに向けて、紫色の鱗粉を振りまいているのだ。なんだか見ているだけでくしゃみが出そう。
魅了の妖精なんてものが本当に存在していると知ったときには驚いた。そんな存在はこれまで聞いたこともなかったし、調べたけれど文献にも書かれていない。
だがそれも仕方ないのだろう。
だってほとんどの人間には妖精を見ることが出来ないのだから。
妖精とはお伽噺の中だけに語られる存在であって、色々と種類もあり系統で分けられてもいる。けれど妖精の存在を本気で信じている人間はいない。そういう人間は、それこそ「まともに相手をしてはいけない人間」に分類されてしまう。
私の両親は妖精が見えるなどと嘯く子どものことを、気味悪がることもなく想像力の豊かな子だと褒めてくれたけれど、私はといえば、次第に妖精が見えるという主張を両親にさえも言わなくなっていた。年齢が上がるにつれ、いつまでもその話をすることで、両親に心配をかけてしまうことがわかって来たからだ。
けれど、今後妖精が本当に存在することを誰にも言えずに死んでいくのかと思うと、少しだけ勿体ないという想いが湧いてきてしまう。
花の上でくるくると踊っている妖精。暖炉の火を絶やさぬよう、息を吹きかけている妖精。小さな赤ん坊の頬を、微笑みながらつついている妖精。そして美しい光を放ちながら、夜空を連なって飛んでいく妖精たち。
そんな素晴らしい世界があることを誰にも教えることが出来ないなんて、そんなのは勿体ないと。
◇
今日もチェルシー・フェルメの肩に止まっている妖精は、パタパタと羽を動かして紫色の粉を周囲に振りまいている。
私も一度チェルシーのそばにいた時にあの紫色の粉を浴びてしまったことがあるのだけれど、その時はチェルシーのことがとんでもない美少女に見えて驚いたものだ。
顔の造形は変わっていないはずなのに、あの時の私はチェルシーのことを世界一の美少女だなんて思っていたのだから、妖精の力はとても強力で、一歩間違えればとても恐ろしいものなのだ。
きっと何度もあの粉を浴び続ければ、常時チェルシーのことを美少女だと思い込んでしまうのだろう。
だから私はそれ以来、あまりチェルシーの傍に近寄っていない。どうしても傍に行かなくてはならない時には、あの紫の粉のかからない風上に立つか、漂ってきた粉を手でパタパタと扇いでいる。そんな私の様子を見たチェルシーがいつも怪訝そうに眉を顰めるのだけれど、そんなことには構っていられない。
あの紫色の粉は危険だ。
真実を捻じ曲げてしまう。
どこにでもいるような少女を、稀なる宝に変えてしまう。
けれどあの妖精がチェルシーの傍にいる限り、その歪んだ現実は続いていくのだ。
きっとそう遠くない内に、チェルシーはどこかの貴族に見初められるのだろう。そう思っていた私に予想外のことが起きたのは、暑さが厳しくなってきた、ある日のことだった。
『―――……』
店で買い物をして、家に帰る途中だった私は、ふと耳元近くで鳴るとても美しい音に気が付いた。
硬い金属同士が触れあう時ような、鳥が囀る声のような、吟遊詩人のつま弾く弦の放つ音色のような、とても魅力的な音が――。
さらに耳を澄ませば、その音は声となって私の耳に届いた。
『―――ねえ』
顔を上げれば、そこにはいつもチェルシーの肩に乗っていたはずの妖精がいた。妖精の声を聞いたことははじめてだったので、私は驚いた。もちろん、話しかけられたこともこれまで一度もない。
『ねえ、聞こえてる? 姿が見えるなら声も聞こえてるはずなんだけど……』
魅了の妖精が、私を見つめながら首を傾げている。妖精の長い、薄紫色の髪がさらりと揺れる様に、私はぼうっと見蕩れてしまった。そして一瞬後我に返ると、慌てて返事をした。
「き、聞こえてるわ」
私がそう答えれば、妖精はその細工物のように美しい顔を綻ばせた。
『あ、良かった。ねえ、あなた私と契約しない?』
「……契約?」
『そう、契約。私と契約するなら、あなたをとっても魅力的な女の子にしてあげる』
とっても魅力的な女の子。
その言葉こそが魅力的だった。
この妖精と契約すれば、チェルシーのように町の男たちからまるでお姫様のように扱ってもらえるのだろうかと、その光景を想像した私の頬がだらしなく緩んだ。けれど私はそんな自分に喝を入れ、都合の良い考えを吹き飛ばす。
「……でも、あなたはチェルシーと契約しているじゃない」
とても魅力的なお誘いだったが、この妖精はこれまでずっとチェルシーの傍にいたのだ。どうして急にチェルシーから私に乗り換える気になったのかが気になった。
『契約はしてないわ。そもそも私の声が聞こえる人間じゃないと契約なんて出来ないし。この町へ来て初めて出会った人間があの子だったから、これまで一緒にいただけよ。でもそろそろ飽きてきちゃって』
飽きてきちゃって、という妖精に私は警戒心を抱いた。
チェルシーがいきなり町の男たちにもてはやされ始めたのは、確か五年前からだったと私は記憶していた。
私はチェルシーが見たことのない妖精を連れていることにすぐに気が付いた。でも最初はそれが何の妖精かはわからなかったのだ。
だが町の男たちがそれこそ魔法にでも掛けられたかのようにチェルシーをお姫様の如く扱いだしたので、それがすぐにその人間の魅力を増幅させる――所謂魅了の力を持つ妖精なのだと気が付いたのだ。
五年という月日が短いと感じるか長いと感じるかは人それぞれだろうが、現在私は十四歳。これから最低でも五年、あるいはもっと短くともこの魅了の妖精がそばにいてくれるのなら、きっと私は私を見初めてくれる良い人の元へと嫁ぐことが出来るだろう。最初は魅了の力で相手を惹きつけたのだとしても、五年の間に真実の愛を育んでいけばいいのだ。
私が妖精の提案に頷きそうになった時、ふいに亡くなった祖母の言葉が思い出された。
物事を見極めるには、時間をかけなさい。
上手い話だからといって、すぐに飛びついてはいけないよ。
これはきっと、亡くなった祖母からの忠告だ。
そう感じた私は祖母の教えに従い、逸る心を押さえつけ、妖精に取引を持ちかけた。
「すぐには契約出来ないわ。一年、私の傍に契約せずにいて貰いたいの。チェルシーの傍にも契約しないでいられたんだから出来るでしょ? それで、一年経ったら契約するかどうか決めるわ」
けれど、妖精の出した答えは私の想像と異なっていた。
『すぐにはしないの? だったらいいわ。他の子の所に行くから』
あっさりとそう結論を出した妖精に、私の方が慌ててしまった。
「……え? ちょ、ちょっと。どうしてそんなに契約したがるの?」
私が聞くと、妖精は何故か得意げに「ふふん」と鼻を鳴らした。
『契約するとね、生命力を今より沢山貰えるの!』
「……生命力?」
妖精のその言葉を聞いた私の胸が、大きく跳ねた。
しかもこの妖精は今より沢山と言ったのだ。
それは今までも生命力を貰っていたという意味にほかならない。
『そ。これまでもチェルシーから生命力を貰ってたんだけど……貰い過ぎて薄くなっちゃったのよ。最初は濃くて美味しかったのに、残念。もう飽きちゃった』
妖精の言葉に、私はぞっとした。
生命力を貰っているという妖精。ずっとずっと、チェルシーの生命力を奪ってきた妖精。
ならば生命力を奪われたチェルシーは一体、どうなってしまうのか。
「チェ、チェルシーはどうなっちゃうの……?」
『え? どうなっちゃうって?』
「……だって! 生命力って、命、ってことでしょ?」
『そうよ?』
「これまでずっと生命力を貰ってきたなら、チェルシーの命は今、どうなっているの……? ……あとどれくらい生きられるの?」
私の言葉に可愛らしく小首を傾げた妖精が、残酷な答えを導き出した。
『うーんと。……あと一年くらい、かな? もっと短いかも』
五年、この妖精が傍にいる代償が、残り一年の命――⁉
私は知らず手を震わせていた。目の前で美しい羽を動かしている妖精が、途端に恐ろしいモノに見えて来たのだ。
「……そ、その生命力を、チェルシーに戻せないの⁉」
震える唇で私は言ったが、妖精は実にあっけらかんと、「え? 無理よ」と答えた。
『だってもう私の魔力に変換されちゃってるもの』
妖精の言葉に私は絶望した。
確かに私はこの妖精がついてからのチェルシーの行動を鼻白んではいたが、それでも幼馴染なのだ。まだほんの赤ん坊の頃から隣に寝かされていた、女の子。
幼いころから、わずかに上向いた鼻と、アヒルのように上がった口角が愛らしかった女の子。
魅了の妖精の力などなくても、とても愛嬌のある、可愛らしい子だったのに……。
「……契約したら、私の命はもって何年くらい?」
『ええとお……。うーん、二年、くらいかな?』
私に聞かれたことをほいほいと教えてしまうのは、この妖精の性格によるところなのか。あるいは、妖精とは得てしてこういうものなのだろうかと、私は目の前の無邪気な妖精を唖然と見つめた。
正直で、残酷。そしてどうあっても人間の価値観では計れない自然に属する存在。
だが、この妖精から悪意を感じ取ることは出来ない。
きっとわざとではない。チェルシーが憎くてやったわけではない。そう直感的に思った私は、この妖精を責めることを早々に諦めた。
「……契約は、しないわ。お試しもしない」
『そうお? 残念。あなたの生命力はチェルシーの次くらいに美味しそうなのに』
「命と引き換えにしてまで、魅力的にならなくてもいいわ……」
本当は、少しだけチェルシーを嫉んでいた。あの子が男の子たちにもてはやされるのは、あの子自身の魅力じゃなくて、妖精の力なのにって。だがさすがに生命力を奪われるとわかってしまったら、チェルシーのことを羨ましいなどとは、もう思えなかった。
『……わかったわ。その代わり、ちょっとだけあなたの生命力を頂戴』
そう言われた瞬間、私は可愛らしく上目遣いで見つめて来る妖精を、握りつぶしたい衝動に駆られた。
けれどそれはほんの一瞬だけのこと。一瞬後には、その衝動も消えていた。
人間の生命力を奪う妖精など、恐ろしくて堪らない。それに、たとえそれが幼馴染の命を奪い続けて来た存在だとしても、やはり自分の命は惜しいのだ。
『ねえ、駄目?』
一向に返事をしない私を、妖精がせっついてきた。
この妖精に私の生命力をくれてやる義理もないけれど、今はその勝手な要求を断ることさえ恐ろしい。
仕方なしに、私は妖精に与える生命力に関し妥協できる範囲を提示した。さすがにこれ以上の提供は、いくら恐怖を覚えていたとしても、断るつもりだった。
「……一日寿命が減るくらいなら」
『ええ? ほんのちょっとじゃない!』
「いやなら駄目」
『うう~、わかった……』
妖精が私に近づき、その小さな指先で私の唇に触れた。
一瞬後、妖精が指を離した途端に身体全体がどっと重くなった。それでも立っていられない程ではない。
「これ……一日分でも結構疲れるわ」
『本当は少しずつ、少しずつ貰うのよ? 今のは一気に貰ったから』
「……ねえ。もう一度聞くけど、あなたがこれまで貰った生命力を、チェルシーに返すことは出来ないのよね?」
『うん。無理』
「……だったら。……私の生命力をチェルシーに渡すことは出来る?」
『……無理。出来る人もいるかもしれないけど……私じゃ無理よ』
「……そう」
『……悲しいの?』
妖精に悲しいの、と聞かれた私の目から、涙が溢れて来た。その顔を妖精に見られたくなくて、私は咄嗟に顔を俯けた。
昔はチェルシーとも仲が良かった。でもそれはチェルシーがこの魅了の妖精につかれる以前のことだ。むしろ最近では妖精の粉の事がなくても、男たちにちやほやされるチェルシーを見ているのが面白くなくて、距離を置いていたのに。
元々、チェルシーのことは特別に好きだったわけではない。ただ、気付いた時からずっとそばにいた存在だったから、二度と会えなくなることなど、これまで一度も考えたことがなかったのだ。
いつも、チェルシーがいるのが当たり前だった。
どこかにお嫁にいったって、きっと時々は会うのだろうなと思っていた。
「人間は……死んだらもう会えないのよ。妖精とは違うの」
『妖精だって、死んだらもう会えないよ?』
妖精のその言葉に、私は驚いて顔を上げた。
「……妖精も死ぬの?」
『そうよ? 私は人間から生命力を貰えなくなったら、死んじゃうわ』
妖精にそう言われた私は、どうしようもなく悲しくなってしまった。
やはりこの妖精に悪気はないのだ。ただ生きる為に人間の生命力が必要だっただけ。
たまたま、チェルシーが選ばれてしまっただけ。
私は自分を落ち着けるように一度大きく息を吐きだしてから、妖精に話を持ちかけた。
「……ねえ。あなたにはこの町から出て、もっと大きな町へ行くことをお勧めするわ」
『ここから?』
キョトリとした表情の妖精は、とても可愛らしい。人の生命力を奪う魔物のような生き物とは思えなかった。
「ええそう。この町は人口が少ないでしょ? もっと大きな町へ行けば、もっと美味しそうな生命力を持つ人間に会える機会は増えると思うの」
私がそう言えば、妖精の顔が輝いた。嬉しそうに羽をパタパタとさせている。もっと美味しそうな生命力を持つ人間のことを、想像しているのだろう。
狡いやり方だということは自覚していたが、このほぼ全員が顔見知りという小さな町で、これからもこの妖精に命を奪われる者たちを見続ける覚悟は、私にはなかった。
けれど、ただ脅威を押し付けるつもりもない。
「――でもね。どれだけ美味しくても一人の人間からはせいぜい一ヵ月くらいで離れた方がいいわよ」
『どうして?』
「その方が、あなたのためだから。だって、一ヵ月くらいならその人間の生命力をあなたが貰っても、きっとまた回復することが出来るでしょ?」
『うーん。……多分』
「ね? だったら、人が大勢いる所に行って、一人一ヵ月程度、あるいはもっと短くてもいいわ。そうすればあなたはまたいつでも美味しい生命力を貰うことが出来るのよ? 生命力を奪いつくしちゃったら、もう二度とその美味しい生命力を、あなたは貰うことが出来なくなるのよ? あと、契約を持ちかける時は、さっきみたいに正直に言うこと。絶対よ」
『なんだか、面倒そう……』
色々と条件を付けられた妖精がむくれている。けれどこちらとしても妥協するわけにはいかなかった。私が一日分の生命力を奪われたように、少しずつ、少しずつ色んな人間から生命力を貰うようにすれば、チェルシーのように死ぬ人はいなくなるはずなのだ。
「そうした方があなたのためでもあるし、人間のためでもあるの」
私が説得すると、妖精はむくれつつも、それでも一応は納得してくれた。
『……わかったわ。しょうがないわよね。……人間は自分以外の誰かが死んでも、悲しむのだものね』
妖精のその言葉に、私はまた泣いた。
人と妖精は分かり合えないわけではないのだ。こちらの気持ちを汲み取ってくれる存在だっている。それをこの魅了の妖精が教えてくれた。
妖精は泣き続ける私の周囲を飛び回っていたかと思えば、私が泣き止んだ頃を見計らって、声をかけてきた。
『ねえ。あなたにほんの少しだけ、私の力を分けてあげる』
「え? ……い、いらないわ!」
『生命力を貰ったりしないわ。それにあなたにあげるのは人間に好かれる力じゃないわ。妖精に好かれる力よ。あなたは私に人間のことを教えてくれた。そのお礼よ』
「妖精に、好かれる……?」
『普通の人間は、妖精が見えないの。私があなたに話しかけたのも、私の姿が見えているらしいと分かったからよ。でも妖精の中には人間を嫌う者もいるのよね。そんな妖精から理不尽に呪いを掛けられることだってあるのよ? でも私のこの力があれば、みんなあなたに好意的になるわ』
「呪いを……掛ける妖精がいるの?」
『いるわよ? でも人間にはあまり知られていないのよね』
私の顔から血の気が引いた。悪戯をする妖精の話は聞いたことがあるけれど、呪い、などという恐ろしいことを仕掛ける妖精がいるとは思っていなかったのだ。
私が一人茫然としていると、目の前にいた妖精が急に空へと向かって飛び立った。
急にいなくなってしまった妖精に一瞬私は慌てたが、しかしすぐにパタパタという羽音が頭上から聞こえてきた。妖精が私の頭上で羽を動かしているのだろう。
そして私の全身に銀色の粉が降りそそいだと思ったら、服や肌に当たると、その粉はまるで淡雪のように溶けて消えてしまった。
『じゃあ、私はもう行くわね』
頭上からまた私の目の前まで降りて来た妖精が別れの挨拶をしてくれた。けれどもう行くと言ったにもかかわらず、彼女はしばらくその場に留まり、小刻みに羽を震わせながら、私の顔をじっと見つめてきた。
そして、ぽつりと、小さな鈴が振れるような声で言ったのだ。
『あのね……チェルシーのこと、ごめんね』
妖精のその言葉に、私はハッとして目を見開いた。
この妖精はきっと本心からそう思っているのだろう。けれど「いいよ」と口に出して赦しの言葉を渡すことは出来なかった。
それをしてはあまりにも、チェルシーに対して申し訳が立たなかった。
だから私はただ、もういいの、という意味を込めて首を振っただけ。言葉には出来ない。けれど、私は目の前のこの妖精を憎むことも出来なかったから。
それでも、私のその様子を見た妖精は、満足気に微笑んだ。
『私の名前はリリーティアよ。あなたは人間ではじめて出来た私の友達だわ。もし、今度また会うことがあったら……声掛けてもいい?』
おずおずと、窺うように聞いてきたリリーティアに、私は今度こそ笑顔で頷いた。
◇
リリーティアの言っていた通り、その後チェルシーは一年経たずに亡くなった。
最期は見る影もなくやつれてしまい、これまでチェルシーをもてはやしていた男の子たちは誰一人、チェルシーの傍に寄りつかなくなっていた。
私は花で埋め尽くされたチェルシーの墓の前に立ち、チェルシーに語り掛けた。
「……チェルシー。ごめんね。私がもっと早くに気付いていたら……」
――五年もあったのに。
羨ましがってなどいないで、もっとチェルシーの様子に目を配るべきだった。そしたら、生命力を奪われていることだって、わかったかもしれないのだ。
「………ごめんね」
チェルシーを救えなかった。
幼馴染の女の子を救えなかった。
その後悔は、きっと、生涯私の心から消えることはない。
チェルシーに別れを告げた私が家に帰り着く頃には、すでに日は暮れていた。
薄暗くなった部屋のランプに明かりをつけ、私は机に向かった。机の上には一冊のノート。そこには細かな文字がビッシリと書き込まれている。そしてその文字の下には詳細な絵。
薄紫の髪を靡かせ、虹色の光を放つ透明な羽。可愛らしい容姿と、ちょっと悪戯そうな、だが愛嬌のあるキラキラとした、紫色の大きな瞳。
魅了の妖精と書かれたその絵姿を、私はじっと見つめた。
私は今図鑑を制作しているのだ。
私の目で見て直接話した、彼らから聞いた彼らの話。
美しくも残酷な妖精の生態を記した、これまでになかった妖精図鑑。
――花の上でくるくると踊っている妖精。暖炉の火を絶やさぬよう、息を吹きかけている妖精。小さな赤ん坊の頬を、微笑みながらつついている妖精。
あるいは――嫌いな人間に呪いを掛ける妖精や、生命力を貰う代わりに、普通の女の子をとても魅力的な女の子に魅せてくれる、そんな妖精の話を――。
『妖精図鑑』(エラミア王国暦1563年花の月第一刷)出版に寄せて
「私には妖精が見えるの。彼らはとても美しく、そして恐ろしい。ほら、あなたのそばにもいるのよ」
――これは私が彼女をはじめて取材した時に言われた言葉だ。
エルマ・フランセンス(エラミア王国暦1558年没)がこの『妖精図鑑』を制作しようと思いついたのは、彼女の幼馴染の死に直面したことが切欠らしい。
エルマは生前よくこのわずか十四歳で亡くなった幼馴染のことを、「私の幼馴染はとても愛らしく、皆を虜にする魅力的な女の子だった」と語っていたようだ。しかし、その幼馴染の最期はまるで老人のようにやつれ、生前の面影は一切無くなっていたらしい。
そのため、二人が住んでいた町の人々の間では、この幼馴染の死は呪いによるものだと噂されていたようだ。
さて、ここで注目すべきはエルマの『妖精図鑑』の「妖精の生態」という項目の中で、妖精の中には人間の生命力を糧にして生きている妖精がいると記されていることである。しかもエルマがこの『妖精図鑑』を作る切欠となったのが、その幼馴染の死に拠るものだった。
それを指摘する者たちは多くいたようだが、エルマは生涯、幼馴染の死に関与した妖精に関しては口を閉ざし続けた。だが『妖精図鑑』の一頁目に記されている妖精が魅了の妖精であることに加え、彼女の幼馴染が「とても愛らしく、皆を虜にする魅力的な女の子」だったことを考えれば、エルマの幼馴染の命を奪った妖精は、その魅了の妖精であるという見方が、諸研究者たちの間では一般的である――。
―――トリシオン・マクエル/エルマ・フランセンス研究における第一人者。1546年からティオールズ大学講師を務める。