土喰い令嬢は年下王子に惚れられる
あらすじにも書いてありますが、こちらにも書いておきます。
以下の短編と世界観を共有し、同じキャラクターも出て来ていますので、事前に読んでおくとより楽しめるかもしれません。( もちろん読まなくても話が通じるようになってます )
お転婆令嬢が下町の食堂でこっそり看板娘をやっていたらいつの間にか婚約者の王子が常連になっていました
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「ふんふふんふ~ん」
楽し気な鼻歌のリズムに合わせ、鍬がテンポ良く大地に突き刺さる。
地面を掘り返しては混ぜ、柔らかくする一連の作業に淀みは無く、とても慣れた手つきだ。
「ふぅ、こんなもんかな」
流れ落ちる汗を豪快に手で拭ったその人物は、筋骨隆々の偉丈夫ではなく、熟練の農技を会得しているおばちゃんでもなく、小麦色に焼けた肌が健康的に見える若くて元気溢れる可愛らしい女性だった。
「アキネさ~ん」
耕した畑を満足げに眺めていた女性、アキネの背中に向けて彼女を呼ぶ声がした。
その声はどことなく情けなく頼りなさげで幼さを感じられるものだった。
「ヴァイス君、どうしたの?」
「上手に耕すコツを教えてください……」
アキネが振り返ると、鍬を手にシュンと気落ちした様子の男の子、ヴァイスがいた。
「やっぱりまだヴァイス君には早かったんだよ。もう少し大きくなって力がついてからやろうね」
「……悔しいです」
「畑作りは他にもやることが沢山あるから、そっちを手伝ってよ」
「かしこまりました!」
気落ちした様子から一転して屈託のない笑顔に変わったヴァイスの様子を見て、アキネは微笑ましい気持ちで頬が緩んでしまう。
アキネは今年で15歳。ヴァイスは10歳と聞いているので、慕ってくれる可愛い弟が出来たような感覚だった。
「精一杯頑張ります!」
「うんうん。頑張ろうね」
「はい! ですが、カルーア公爵領の秘技を本当に教えて頂いてもよろしいのでしょうか? しかも公爵令嬢のアキトリーネ様自ら」
「こらこら、ここでは『アキネさん』って呼ぶようにって言ったでしょう。それに秘密になんてしてないよ。私達の農業技術を使って世界中の人々が豊かになるだなんて素敵なことだもの」
「ああ……なんて崇高なお言葉。ここに来て本当に良かった」
「大げさだよ~」
まるで神を崇拝するかのような視線に苦笑するしかないアキネの正体は、王国南部の大穀倉地帯を支えるカルーア公爵領の令嬢、アキトリーネ。
公爵家令嬢が畑仕事をするなど貴族社会では考えられないことなのだが、カルーア公爵家は異端中の異端であり、現当主を含めた家族全員が農作業に喜んで勤しんでいる。いわゆる農業中毒の血筋である。
そのせいなのかどうなのか、とてつもない量の安定した収穫、品種改良による味の劇的な向上、病気に強い穀物の開発など、成果を上げ続けており、王国に、ひいては世界中に無くてはならない存在として認知されている。
「それじゃあヴァイス君、畑にこれを撒いて」
「これは何でしょうか?」
「オークの骨を砕いたものだよ」
「オークの骨!? そんなものを撒いて大丈夫なのですか!?」
「あはは、それを確認するために実験するんだって」
「……そんなこと考えもつきませんでした」
「(この程度で驚くだなんて、ミノタウロスの糞を発酵させたものを土に混ぜると作物がおいしく育つなんて知ったらなんて顔するのかな)」
悪戯心がムクムクと湧いてきたけれど、純粋に学ぼうとするヴァイスに悪いと思い寸でのところで止めた。とはいえ、いずれは教えることになるので楽しみを後回しにしただけではあるが。
「それじゃあ撒いてきます!」
「うん、よろしくね。土の表面がうっすら白くなる程度に、満遍なく撒くんだよ」
「かしこまりました!」
「(それにしても、ヴァイス君ってやっぱりどこかの偉い人の関係者よね。無邪気なようでどことなく高貴な雰囲気が消しきれてないのは、やっぱりまだ子供だから演技力が足りてないってことなのかな)」
先日、公爵家当主である父親から突然ヴァイスのことを紹介され、農作業を教えるようにと指示された。その場でヴァイスの正体を教えて貰えなかったことから、軽々しく正体を明かせない存在なのだろうと推測した。例えば、他国の伯爵や公爵レベルの貴族の息子が、自国での農業技術の向上のためにこっそり学びに来たとか。
「(可愛いから何でも良いか)」
父親が詮索するなと暗に言っているのなら、そうするだけだ。
それに元々アキネは弟か妹が欲しかったから、純朴そうなヴァイスに大好きな農作業を教えるとなると嬉しいしかない。しかもヴァイスの農業を学ぶ意欲がとても高く教えがいがあり、彼が来てからの毎日は楽しくて仕方なかった。それこそ、ヴァイスの正体なんてどうでもよくなるくらいに。
「ヴァイス君、それが終わったら一休みしよう」
オークの骨を撒き終わりそうなタイミングを見計らい声をかけ、一緒に隣の畑へと向かった。
そちらの畑は数か月前に苗を植えており、沢山の野菜が実っていた。
アキネはその中で程良く熟れた赤くて丸い野菜をもぎ取り、ヴァイスに手渡した。
「はい、どうぞ」
「え?」
困惑するヴァイスをよそに、自分も別のをもいでそのまま齧り付いた。
「ん~おいしい!」
程よい酸味と甘みが混ざり合った果汁が口の中にぶわっと広がり、鼻腔をくすぐる野菜の新鮮な香りが心地良く、思わず頬に手を当てて堪能してしまった。
その幸せそうなアキネの姿を、ヴァイスは魅入るように見つめていた。
「ヴァイス君、食べないの?」
「え、あ、その、い、頂きます!」
ヴァイスが戸惑っているのはアキネに見惚れていたからだけではなく、貴族として野菜を生噛りすることに抵抗感があったからだ。しかし公爵令嬢がその姿を見せたのだから、自分がやらないわけにはいかない。意を決して、小さく齧った。
「おいしい!」
「でしょでしょ!」
あまりの美味しさに、先ほどの抵抗感は何処に行ったのか、勢い良く齧り付いた。
そしてそのまま一気に食べきってしまった。
「こんなに美味しい野菜を食べたのは初めてです」
「そう言ってもらえると作ったかいがあったよ」
この近辺の畑はアキネが管理していて、今食べた野菜もアキネお手製の作物だ。
自分が作った野菜が美味しいと言ってもらえて大喜びし、その様子をほんのりと頬を染めながら見つめるヴァイス。アキネはそんなヴァイスの様子に気付かなかったが、それは鈍感だからというわけではなく他のことが気になったから。
「口についてるよ」
「わわ!」
ポケットからハンカチを取り出してヴァイスの口元を拭いてあげると、彼はこれまで以上に真っ赤になって慌ててしまった。
「(ふふ、かわいい)」
アキネにとってヴァイスはまだまだ子供であり、恥ずかしがる姿を可愛らしいとしか思っていない様子だった。
「もう大丈夫ですから」
「は~い。キレイキレイしてあげるからもっと食べて良いよ」
「もう、揶揄わないでください」
「ごめんごめん」
ヴァイスは照れ臭い気持ちを誤魔化すかのように話題転換を試みた。
「それにしても、このお野菜は本当に美味しいですね。生で食べてこれだけ美味しいのなら、スープなどにしたらもっと美味しくなりそうです」
「それがそうでも無いんだよ」
「え?」
「火を通すなら少し酸っぱい方がコクが出て美味しいんだよ。ほら、あっちに生ってるのが調理用の野菜」
「へぇ~そうだったんですね。勉強になります」
ポケットからメモ帳を取り出して、教えられたことを記入する。そのメモ帳は分厚く使い込まれていて、真面目に勉強していることが一目で分かるものだった。農業好きとして、真剣に農業を学ぼうとしてくれるヴァイスの姿勢が、アキネにはとても嬉しかった。
少しの間メモを取っていたヴァイスだが、顔を上げると素朴な疑問を口にした。
「これだけ美味しいと、王国中のレストランが仕入れたがっているのではないでしょうか?」
「うん、と言っても仕入れてるのはあっちの皆が作っている方だけれどね」
アキネの視線の先には、どこまでも続く広大な畑があった。
そちらはカルーア公爵領が開発した魔道農工具を活用した大量生産用の畑だった。よく見ると魔道トラクターが所々で畑を耕している。
王国や国外に出荷しているのはそちらで育てた作物であり、アキネの手作り畑は品種改良などの実験のために作っている畑であった。
「私のは実験目的だし、量が少ないから卸せないんだよ」
「そうなんですね」
「あ、でも一か所だけ卸してるかな。と言っても、美味しいのが収穫できた時だけって感じだけど」
「それじゃあそこに行けば、美味しい料理が食べられるのですね。ちなみに何処のお店か聞いても良いですか?」
「王都の下町の食堂だよ」
「下町ですか!?」
「うん、私の友達の令嬢がそこで働いていてね、私が作ったお野菜がどうしても欲しいってお願いされてるんだ」
「ご令嬢が? 下町で働いている??」
令嬢が農作業をすることに匹敵するくらい貴族の常識にあてはまらない話に混乱するヴァイスだが、しばらく考えた結果、揶揄われているのだろうと結論付けたようだった。アキネとしても信じてもらえないと思っていたので特に気にしなかった。
そんな話をしていると、突然二人は背後から声をかけられた。
「アキネさ~ん!」
振り向くとそこには、たっぷりの野菜を持ったおばさんが立っていた。
「これうちで獲れた野菜。どうぞ持っていって」
「わぁ~美味しそう。ありがとう!」
「なんのなんの。こっちこそ、この間はおすそ分けありがとう。うちのガキ共も喜んでたよ」
「それは良かったです」
「でも問題があってねぇ」
「何かあったのですか?」
「アキネさんの野菜じゃなきゃ食べない、だなんて言い出すんだよ。全く、うちのだって十分美味しいってのに」
「あはは、それじゃあ今度は私のだって言って、ご自宅のお野菜を食べさせてみたらどうですか。きっと違いが判りませんから」
「おや、良いのかい。それじゃあそうさせてもらうよ。美味しいのしか食べたくないだなんて、贅沢な話だねぇ」
「贅沢が出来るのは平和ってことですよ」
「違いない、あっはっはっ」
豪快に笑う女性は紛れもなく平民であり、貴族社会の常識で考えれば公爵令嬢と親し気に話して良い間柄ではない。しかしアキネは全く気にせずに彼女と談笑しており、そのあまりにも異質な様子をヴァイスは茫然と眺めていた。
「ところでこの子は……おっと、これ以上はいけないね。アキネさんに迷惑をかけてしまうところだった。それじゃあアキネさん、私はもう行くね」
「迷惑だなんてそんな。私が好きでやっていることですから。でもお子さんには私達が特殊だってちゃんと教えておいてくださいね。他の貴族の人に私達と同じ対応をして不敬罪で捕まるなんてことになったら嫌ですから」
「あいよ。ちゃんと言い聞かせておくさ」
手をひらひらと振りながら、女性は彼女達の元を去って行った。
その姿を見て、ヴァイスはまだ唖然としている。
「ヴァイス君どうしたの?」
「アキネさんは正体を隠しているわけではないのですか?」
当初ヴァイスは、公爵令嬢と平民の女性が平然と会話をしているのが、アキネが身分を隠して農作業をしているからだと考えていたのだ。しかし、女性の口からアキネの正体を知っているかのような言葉が放たれ、しかもヴァイスが貴族である可能性を考えて気軽に話しかけないようにと気を使っていた。身分差を知っていてなお対等に会話していたことに驚いていたのだった。
「隠してないよ。うちは代々こんな感じなの」
「そんな馬鹿な」
「そう言われても、私にとってはこれが自然なんだよね」
「その感覚では社交界で苦労しませんか?」
「あはは……」
その苦笑いが示す通り、アキネは社交界という場所が苦手だった。
公爵令嬢という肩書のため、社交場への誘いは山ほど来るのだが、なんとか理由をつけてほとんど断っているくらいだ。
いくら公爵家で、しかも特殊な家柄だとしても社交界に全く顔を出さないのは大問題。
しかしとある理由により、アキネが社交界を避けて自由に農作業を謳歌することが出来るようになっていた。
「私には社交界より土弄りしている方が合ってるのよ」
「流石土喰い令嬢……あ! ごめんなさい!」
「あはは、やっぱり知ってたのね」
土喰い令嬢。
それが困ったように笑うアキネの蔑称だった。
この蔑称がつけられたのは、社交界に出て来ず貴族社会を蔑ろにしていることに対する憤りや、王国一の穀倉地帯の貴族ということで特別扱いされていることに対するやっかみによるものもあるが、実はアキネの『やらかし』が直接的な原因だった。
そしてこのような蔑称で呼ばれるほどの変人であれば、社交界に出て来ない非常識さも当然である、と思われるようになっていた。
「自分で蒔いた種だから気にしないで。農業好きとしては、蒔いたからには実らせないと、なんてね」
「笑えないですよ……」
「だからヴァイス君が気にする必要ないんだって。それに土喰い令嬢ってことは、食べちゃいたいくらい土が大好きってことでしょ。大体合ってるし」
「じゃ、じゃあ本当に土を?」
「食べるわけないでしょ!」
「ですよね……」
いくら農業大好き変人貴族とはいえ、土を食べたらお腹を壊して病気になることくらい分かっている。あくまでも比喩なのだが、アキネの農業好きを間近で見ていると、本当に食べてしまうのではないかと僅かながらも思ってしまったヴァイスであった。
「もちろん食べられるくらいに良い土を作れたら良いなって思うけれどね」
「アキネさんなら実現しそうですね」
「土作りは農業の基本だからね。頑張るよ」
そう語るアキネの顔は、社交界のことを話す時とは打って変わって生き生きとしていた。
その笑顔に、ヴァイスはまたしても見惚れそうになってしまう。
「アキネさんは本当に農業が大好きなんですね」
「うん!」
そしてこの貴族らしからぬ屈託のない笑みに、心奪われて硬直してしまうのであった。
この様子を他の貴族が見ていたら、10歳の純粋な貴族男子を誑かす魔性の女とでも噂されていたに違いない。
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「はぁ……」
王都のとある公爵家の控室にて、黄色いドレスを身に纏ったアキネは鏡の前に座り深い溜息を吐いていた。
「アキトリーネ様、そのようなお顔で会場に向かわないように」
「分かってるって。今だけだよ」
そんなアキネに対して忠告をするのは、彼女御付きの侍女。侍女ではあるけれど、教育係でもあるため、アキネに対して厳しい物言いが許されている。
「招待して下さったハルシオーネ様に悪いと思わないのですか? それともハルシオーネ様のことがお嫌いですか?」
「だから違うって。ハルには会いたいしお話ししたいよ。パーティーが嫌なの」
社交界嫌いのアキネが何故、王都までやってきてドレスを纏い、社交場に参加しようとしているのか。それは友人である公爵令嬢、ハルシオーネからの招待だったからだ。
「ハルったら、私がこういうところが苦手って知っているのだから、個人的に呼んでくれれば良いのに」
「知っているからこそお呼びしたのではないでしょうか」
「ハルはそんな嫌がらせするような人じゃないよ!」
ハルシオーネとは幼い頃からの付き合いであり、貴族に良くある上辺だけの友人関係ではない。
彼女がアキネに対して嫌がらせをするなど、彼女の性格をよく知るアキネにとって考えられないことであった。
「嫌がらせではなく、『共有』の可能性はございませんか?」
「共有?」
「ハルシオーネ様もアキトリーネ様と同じく、社交場よりも好んでいる場所があると伺っておりますが」
「あ!」
ハルシオーネが王都の下町の食堂でウエイトレスの真似事をしていることをアキネは知っている。そして貴族社会よりもその下町でのお忍びお仕事の方を好んでいることも知っている。
「今日は婚約者のクラウス王子との共催パーティーだから、身代わりではなくてハル本人が参加するはず。まさかパーティーで他の貴族と話をしたくないから、話が合う私を呼んで相手してもらいたい魂胆なの!?」
なんと傍迷惑な、と思わなくもないが、大切な友人が困っているのならば手を貸すのは吝かではない。
「それならそうと言ってくれれば良いのに」
「貴族たるもの、弱みを見せる訳にはいきません」
「私達の間柄で弱みも何もないでしょう」
「どこから漏れるか分かりませんから」
「そういうものなのかな」
「そういうものです」
そう断言されてしまったら、何も言えることは無い。
「そろそろお時間です」
「は~い」
「まさかそのようなお姿で参加するつもりではありませんよね?」
「もう、分かってるよ」
アキネは目を閉じて集中し、軽く息を吐いた。
そのまま十秒程度経過した後、ゆっくりと目を開く。
そこに居たのは、農業好きの平民アキネではなく、公爵令嬢アキトリーネであった。
パーティー会場の入り口がゆっくりと開き、一人の女性が入ってくる。
その瞬間、会場内の全ての人々の視線が彼女に集まった。
そのことに彼女は全く動じることなく、ゆっくりと歩く。
貴族らしからぬ陽に焼けた褐色の肌は、侮蔑の象徴のはずだった。
しかしその肌はハリがあり、瑞々しく、酷評など出来る筈がなかった。
あごを引き、はっきりとした視線で正面をしっかりと見据え、背筋が真っすぐ伸びたまま左右に全くブレることなく進む姿は優雅と言えよう。
公爵令嬢アキトリーネ。
彼女は決して貴族社会における単なる異端児では無い。
平民のように農業に勤しむと同時に、貴族としての嗜みを徹底的に躾けられた、まさに『公爵令嬢』だった。
「(この程度で動揺するだなんて情けない)」
このパーティーはアキネと同世代の男女が集められ、将来国を背負う若者同士で親睦を深める目的で開催されている。農業の片手間に貴族流を身に着けたアキネに対して、常に貴族として振舞っているはずの彼らが見惚れてしまうなど、一体何を学んできたのかと内心で嘆息していた。
しかし彼らを責めてはならない。
カルーア公爵家は農業中毒者が集まる一方で、公爵家として舐められてはいけないと、尋常ではない程に厳しい貴族教育が行われているのだ。アキネは幼い頃から受けていたその教育が当たり前のものだと考えているが、その内容を聞いたら彼らはあまりの恐ろしさに青褪めるであろう。
社交界に中々出て来ないカルーア公爵家の子供達が、たまにこうして社交界に顔を見せた時に人々を驚かせるのは、社交界のお約束となっていたのだった。
例年ならば、このままカルーア公爵家の優雅さが場を飲み込み支配する。
しかし今年はそうはならなかった。
「あれが土喰い令嬢……」
誰かが漏らしたこの言葉に、冷静さを失いかけていた彼らの意識が、アキネを侮辱せんとする意識へと切り替わってしまった。
これまでのカルーア公爵家にはない、アキネだけが抱えている瑕のせいで。
「いくら美しくても土喰いは……」
「もったいない……」
「気味が悪い……」
ひそひそ、ひそひそ。
そこら中で、彼女に対するネガティブな感想が囁かれる。
流石にアキネに聞こえるように口にする人は居なかったが、彼らの視線が良くないものに変わったことにアキネは気付いていた。
「(やはりこうなってしまうのね)」
自業自得の蔑称であるためそのことについて言われることは仕方ないと考えているが、こうしてネガティブな反応を一身に受けるのは流石に気分が良くない。
「(そもそも貴族たるもの、公爵令嬢に向けて負の感情を表に出すのはどうなのかしら)」
そして彼らの幼く醜い部分が見えてしまうこともまた、貴族として高い教育を受けた者として苛立ちを感じさせることであった。
「(これならヴァイス君の方がよっぽど貴族らしいわ)」
感情豊かで正真正銘まだ幼いヴァイスだが、他人に対する悪感情を表に出すことは決してない。その点については彼らよりも貴族として上だろうとアキネは感じていた。
今回のパーティーでは王国四大公爵家のうち、残りの二つの公爵家の令嬢は不参加となっている。
本来であれば同じ公爵家同士で会話をすることでパーティー開始までの間をもたせるのであるが、残念ながら今回はその相手がおらず、格下の貴族は誰が話かけようかと牽制し合っている始末。本来であれば例え異端であろうが公爵家と縁を結ぶために積極的にアプローチすべきところ、それすら出来ないこともまた、アキネを苛立たせることだった。
そんな不快な場でも柔らかな笑顔で佇み続けなければならないアキネを助けたのは、友人のハルシオーネだった。アキネの現状を見かねて、というわけではなく、単に時間になったからパーティーを開始したというだけのことだが。
壇上にハルシオーネとクラウス王子が現れると、そのあまりの美男美女っぷりに会場の若者達はアキネのことなど忘れて視線が釘付けだ。
「(幸せそうな顔しちゃってまぁ)」
貴族らしく凛としながらも、婚約者の隣で幸せそうなオーラを醸し出す友人の姿を、アキネは心から祝福していた。
ハルシオーネ達の挨拶が終わると、アキネは彼女達の元に挨拶に向かった。
この場で最も位の高い公爵令嬢であるアキネから挨拶するのが通例であるからだ。
「本日はご招待頂きありがとうございます」
「こちらこそ来てくれてありがとう」
普段二人きりの時は平民モードで話すので、改めて真面目に話そうとするとアキネは何処となくむず痒かった。
そのまま余所行きモードでハルシオーネとクラウス王子と軽く話したアキネはその場を離れることにした。会場には彼らと話をしたい人が大量にいて、独り占めなど出来ないからだ。
「アキトリーネさん、また後で」
「はい」
つまりパーティーの後に二人で話をする機会を設けてくれるということなのだろう。
その楽しみがあれば、これから先の針の筵のような時間も耐えられる。
そう思って振り返ろうとした時。
「パーティーを楽しんでいって下さいね」
「はい」
ハルシオーネはアキネがこの場を苦手としていることを知っている上で、敢えてパーティーを楽しめと伝えてきた。
その理由についてアキネが知ったのは、ハルシオーネ達が一通り参加者達と会話を終わらせ、ダンスの時間が始まる直前のことだった。
「ここで皆様にゲストを紹介致します」
そうハルシオーネが会場全体に向けて発言すると、壇上に一人の男の子が登場した。
「(ああ、そういうことだったのね)」
アキネは少しの驚きと共に、先ほどハルシオーネが意味深なことを伝えてきた理由を理解した。
そこに居たのはアキネが見知った人物、ヴァイスだったのだから。
ヴァイスは留守番の予定のはずだったのだが、ここにいるということはハルシオーネがアキネのために、このパーティーを楽しめるようにと呼び寄せておいたのだろう。確かにヴァイスと話をしていれば時間などあっという間に過ぎるだろう。
「こちらはランドクルーネ王国の第三王子、ヴァルシュビッツ・メッツ・ラディウス・テン・ランドクルーネ様です」
「(ランドクルーネの王子!?)」
ヴァイスがどこかの国の伯爵以上の貴族の関係者だろうと想定していたアキネだったが、流石に王子が身分を隠して農業を勉強しに来ているとは思ってもいなかった。しかも、数年前までは自国と険悪な仲だったランドクルーネ王国の王子ともなれば驚くしかない。
だが驚くと同時に納得も出来た。
ランドクルーネ王国との関係が改善されたのは、彼の国が飢饉によって苦しんでいる時に食糧支援をしたことがきっかけだったからだ。その経験から、ランドクルーネ王国が食糧改善に本腰を入れ始め、世界屈指の大穀倉地帯であるカルーア公爵領に勉強に来たのだろう。とはいえ、いくらなんでも王子が単身でやってくるのはやはり驚きではあるが。
「ご紹介にあずかりました、ヴァルシュビッツ・メッツ・ラディウス・テン・ランドクルーネです。勉学のためにしばらく貴国に滞在させて頂いております」
唐突な展開に会場内がざわつく中、ヴァイスが10歳とは思えぬほど堂々とした姿で自己紹介をする。その姿をアキネはどことなく誇らしく感じた。
ヴァイスの自己紹介は簡単なもので終わり、ハルシオーネが目配せすると会場がやや暗くなる。ダンスタイムの始まりだ。
土喰い令嬢と揶揄されているアキネに積極的に声をかける者は居ない。
とはいえ、美少女令嬢のアキネに声をかけたい男子は実は山ほどいた。しかし、アプローチすることで、物好きな奴として自分までもが侮蔑の対象とされることを恐れていたのだ。
押し出されるように仕方なくといった感じで、伯爵家あたりの誰かが声をかけてくるのだろう。
本来ならばそれまで待つしかなかったはずのアキネだが、今日は別の選択肢がある。
ハルシオーネが用意してくれたヴァイスという話し相手と時間を過ごせば、国賓と話をしているのならば仕方ない、などと妥協して誰も近寄って来なくなるだろう。
そう期待してヴァイスの方を見ると、彼はまっすぐとアキネの方に向かって歩いてきた。
そしてアキネの前まで到達すると、跪いて手を差し出す。
「私と踊ってくださいませんか?」
「え?」
まさか10歳の男の子にダンスパートナーとして誘われるとは思っておらず、流石のアキネも驚きが外に出てしまった。ヴァイスの様子がいつもの無邪気な感じではなく、れっきとした貴族男子風であったのも驚きを強めた要因だろう。
喜んで。
そう言おうとしてアキネはギリギリのところで踏みとどまった。
もしここで自分がヴァイスとダンスをしてしまったら、彼は土喰い令嬢にアプローチした変人だと噂されてしまう。それこそ国際問題にもなりかねない。そう考えるとこの場で話をすることすらも危険なことだったと今になって思い至った。あまりにもこの場が嫌であり、ヴァイスの存在に救いを求めてしまったがゆえに気付けなかったのだろう。
だが気付いてしまったからには、差し出された手を取るわけにはいかない。
「お誘いありがとうございます。ですがわたくしのような汚れた女性の手を取らせるわけにはまいりません。どうか、もっと相応しい方をお選びくださいませ」
悲しいけれど断るしかない。
これが最善の判断だ。
ヴァイスはまだ幼いけれど聡明な人物だ。
汚れた女性、と表現することで『土喰い令嬢』のことを思い出し、ここでダンスをしてしまうことの危険性にも気付いてくれるはず。
しかし、ヴァイスはアキネが想像だにしない行動に出たのだった。
「あなたは美しい」
「え?」
「決して汚れてなどいません。この場の誰よりも美しいと、断言致しましょう」
それは女として心から喜ばしい言葉であったが、問題なのは見た目では無いのだ。
どれだけ見た目を褒めても意味は無いのだが、まだ幼いヴァイスにはそのことが分からなかったのかもしれないとアキネは頭を悩ませる。
だがヴァイスは、アキネの言葉の意味をしっかりと理解していた。
それどころか、アキネが断ることも予期していて準備をしてきたのだ。
ヴァイスはポケットから小さな袋を取り出し、中身を手のひらに置いた。
「それは……」
黒い粉のようなもの。
アキネが慣れ親しみ毎日のように触れていた物。
土。
社交場に全く相応しくないソレを、どうしてヴァイスは持ち込んだのだろうか。
これが他の貴族であれば嫌がらせだと思うが、ヴァイスがそのようなことをするはずがない。
困惑するアキネの様子を見たヴァイスは、優しく微笑み、それを一気に口に含んだ。
「うっ……」
「ヴァイス君!?」
「けほっ、けほっ」
「誰か彼に水を!」
土を口にするなど、正気の沙汰ではない。
これでは『土喰い王子』ではないか。
会場内が騒然とし、ヴァイスが奇異の目で見られるようになる。
水を飲み一息ついたヴァイスに向けて、アキネは困惑のままに問い質した。
「どうしてこのようなことを」
それはアキネだけでなく、この場の誰もが思ったことだろう。
土喰い令嬢の前で土を食べるだなど、嫌味と思われても仕方ない。
「これであなたと同じですね」
そうヴァイスは笑ったのだった。
なんてことはない。
ヴァイスはただ、アキネの汚名を自分も被ることで、彼女と同じであろうとしたかっただけのこと。
心の負担を軽くしてあげたかった。苦しみを分かち合いたかった。
それほどまでに、アキネのことが好きだったのだ。
「あなたが汚れているのならば、これで私も汚れました」
「…………」
「改めてお願いします。私と踊っていただけませんか?」
「…………ばか」
相手は10歳の子供だ。
だがその純粋な想いがアキネの胸に届き、思わず照れて少しだけ素が出てしまった。
ほんのりと頬を赤くしたアキネはヴァイスの手を取った。
するとタイミングを合わせたかのように曲が流れ始め、二人はステップを踏み始める。
好きな人のために汚名を被る覚悟でアプローチをした十歳の男の子。
その姿はこの場の誰よりも勇敢で格好良く、アキネを侮辱していた者達は人としての格の違いを見せつけられて敗北感に苛まれるのであった。
尤も、肝心の二人は周囲のことなど全く気にせずに、二人だけの世界を堪能しているのだが。
ーーーーーーーー
「見てたわよ。アキネったら真っ赤になっちゃって、ヴァイス君のこと好きになっちゃったんじゃないの?」
「そんなんじゃないって」
「ええ、違うのですか?」
「ぜんっぜん違うから。まだ五年は早いよ」
パーティーが終わり、これからは友人同士の語らいの時間。
ハルシオーネ、アキトリーネ、ヴァイス、クラウス。
部屋にはこの四人だけしかいないが、クラウスは隅の方で静かにしていて会話に参加する気が無さそうなため、実質三人のようなものだ。
「それにしても、あんなパフォーマンスの準備をしていただなんて、ハルの入れ知恵?」
「違うわよ。彼が自分で考えたのよ。ここに来るのだって、彼が言い出したことなんだから」
「そうなの?」
「はい、アキネさんがパーティーで苦しんでいる姿を想像したら、いてもたってもいられなくて……」
「うっ」
「うふふ、愛されてるわね」
ここに至って、アキネは自分がどれほどヴァイスから好かれているのかを自覚させられることになった。元々察してはいたが、まさかここまでだとは思っていなかったのだ。
「こんな短期間でどうして」
「一目惚れです!」
「えぇ……」
そういえばヴァイスと初めて会った時、すぐに慕ってくれたなと当時のことを思い出した。
まさかあの時から好かれていただなんて、と驚きを隠せない。
「私は普通にあり得ると思うわよ」
だがハルシオーネにとっては驚きでは無かったらしい。
「だってアキネ、というかカルーア公爵領の美容技術っておかしいじゃない。何よその肌のハリ。炎天下で毎日作業しているだなんて信じられないわ」
「あははは、先人達の執念というかなんというか、実は私も信じられなかったりして」
女性の美容にかける熱意はすさまじく、それはカルーア公爵領でも変わらない。
農業従事者が非常に多いカルーア公爵領の女性達は、炎天下で農業をしながらも美しくあることを追い求めた。その結果、外で作業をしていても若くて瑞々しい肌をキープできる驚異の美容技術を編み出したのだった。
しかも、毎日の農作業が適度な運動になり、程よく引き締まった体つきになっている。野菜を中心とした体に良い料理を毎日食べることで、常に体調万全で血行が良い。
カルーア公爵領は大穀倉地帯であることに加え、美男美女が多い領だったのである。
「アキネさんはカルーア公爵領の中でも特にお美しいです!」
「あはは、ありがとう」
先日までは褒められても軽く受け止められていたのに、今はどういうわけか照れてしまいまともにヴァイスの顔を見ることが出来ない。
そんなアキネの様子をハルシオーネはニヤニヤと眺めていた。
その空気がむず痒くなったアキネは唐突に話題転換をした。
「そうだ。ヴァイス君。もう土なんか食べちゃダメだよ」
いくらアキネのためとはいえ、それでヴァイスが体を壊してしまったら大問題だ。
パーティーでは格好良い姿だと感じていたけれど、しっかりと注意しておかなければと思っていた。
「申し訳ありません……」
ヴァイスはシュンとして素直に謝罪した。
非を認めて反省できるところも、ヴァイスの良いところだろう。
「いくら綺麗に洗っても、お腹壊す可能性が高いからね」
「それは経験談でしょうか?」
「えっ!?」
「くすくすくすくす」
まさかの質問にアキネは驚き、ハルシオーネは笑いをこらえられないといった風にお腹を抱えていた。
以前は否定されたが、土喰い令嬢と呼ばれているからには、もしかしたら本当に土を食べたのかもしれない。
ヴァイスはそう考えていたのだろう。
「アキネさんは、どうして『土喰い令嬢』だなんて呼ばれているのでしょうか」
話の流れ上、聞くなら今しかないと思い、ヴァイスは意を決して聞いてみた。
「それは……秘密!」
「そんなぁ」
がっかりするヴァイスだけれど、仕方のないことだ。
これは彼女達のトップシークレットに関わること。
ヴァイスがその内容を聞いて悪用するとは思えないが、国に帰ってポロっと漏らしてしまう可能性を考えると迂闊には言えないのだ。
「ヴァイス君がアキネと家族になれば教えてくれるかもしれないわよ」
「家族ですか?」
「アキネに嫁ぐとか」
「ハル!」
「私がアキネさんと!?」
「そこ、顔を赤くしないの!」
「アキネだって真っ赤じゃない」
「うるさ~い!」
なんて二人を弄るハルシオーネだが、アキネが『土喰い令嬢』と呼ばれる原因の一旦は、実はハルシオーネにあった。
ハルシオーネはドッペルゲンガーの魔法を使い、公務をそちらに任せて下町の食堂でウエイトレスをしている。そのことを聞いたアキネもドッペルゲンガーの魔法を教えて貰い、社交界にドッペルを送り込み自分は農作業をしようと試みたことがあったのだ。
しかしアキネにはハルシオーネ程の魔法適性が無く、アキネのドッペルゲンガーは見た目や言動がそっくりなものの、異常を抱えていたのだった。
それはある日、農業が好きというアキネに対し、とある貴族が質の良い土をプレゼントしてくれた時のこと。
バグっていたアキネのドッペルが誤ってその土を食べて美味しいと言ってしまったのだった。
これこそが『土喰い令嬢』の真実で、アキネが言っている通り、自らが撒いた種なのであった。
「農業ラブなアキネが、まさか年下好きだったなんてね」
「だ~か~ら~、違うんだって」
「違うんですか……」
「ああもう、そこで気落ちしないの。ヴァイス君のことは好きだよ」
「ええええ!」
「やっぱりそうなのね!」
「だからそういう意味じゃ、ああもうハルったらワザと弄るんだから。この先どうしたら良いのよ!」
真っ赤になりながら揶揄われるアキノの様子からすると、近い未来に『土喰い令嬢』の真実をヴァイスが知ることになるのかもしれない。