そっけない人達
……懐かしい音楽を鳴らすバンドの演奏がまだ続いていた。
裏口のドアから出て、いつも吸っている銘柄のタバコを取り出すと、1本吸った。大きく吸い込むと胸の端々までタバコという悪魔が行き渡るようでいっそ心地良い。
いつの間にか、女の子が出て来た。
やせっぽっちの、ショートカットの女の子。
どこか、寂しそうな横顔が胸を打つ。
「……今日の蟹座の女の子の恋愛運、最強だって」
表情を笑顔にして話し掛けてきた。
話しながらスリムなタバコを口に咥え、
「……ライター、貸して」
と、手を出してくる。
「ヲタク、未成年じゃないの?」
俺が貸し渋ると、
「ギャハハ! 真面目~」
と、何がおかしいのかその女の子は手を叩いて笑う。
「……酔ってるし」
俺が呆れながら言うと、
「多久が、テキーラ一気飲みとか始めちゃってさぁ~! 昭和かっつーのっ」
女の子の話を聞きながら、
「……しょうもねぇな」
と、半笑いになる。
「名前、なんて言うの?」
社交辞令的に聞いてみる。
「葉菜」
答える葉菜に、
「葉菜ちゃんはさぁ~、学校に彼氏とかいるの?」
なんて、下世話な話をふる。
葉菜は答えない……沈黙していたのは、数秒だろうがだいぶ長く感じた。
「……私、婚約者がいるんだよね」
そう言う葉菜の表情から何も読み取れないが、嘘ではないと感じた。
「結婚するまで、遊び倒そうって誓ってるの。でも、音楽にしか興味無いから、LIVEハウス通いしたりしてるだけなんだけどね」
立ち上る煙を見ながら、葉菜は言った。
「……遊び相手に、俺なんてどう?」
俺が言うと、隣に立っている葉菜が俺の瞳をのぞきこんできた。
しばらく見詰め合ったーー。
キスのタイミングだなと思った。
唇はフワッと重なり、また何事も無かったように離れていった。
「……名前、聞いていい?」
葉菜の優しい声がした。
「ーー海。大学生」
俺が答えると、葉菜は軽く手を繋いできた。
ーー入口の方が騒がしい。
今日のトリのバンドのメンバーが遅れて来たようだ。
裏口から入ろうとして間違えたらしい、こちらに向かってくる。
葉菜は、静かに繋いだ手を離した。
俺は男の顔を見て、strawberry coffeeの前夜だと思い出す。
前夜って本名かな? とぼんやり考えながら視線をおくる。
前夜は独特のオーラを纏った男だった、見ていると森林浴に来ているような気分になる。透き通った男だ。
地毛なのか茶色い髪に天使の輪をのせながら歩いてくる。
ーー離された手はそのままだった。
俺は、葉菜を見た。
葉菜は、前夜を見ていた。
その瞳を見て、俺は、親の敵のように恋をしていると感じた。
ーー片想いか。
……辛いな。
何故ならーー
「あっ、前夜~! 早く、早く!! 始まっちゃうっ」
そう言って、カールされた長い髪が横切っていく……その人は、前夜の彼女なのだ、真夏と呼ばれていたな……少し天然だが、明るく可愛い娘だ。
真夏の腕が前夜の腕に絡まる。
その様子を見詰める葉菜は、感情を面に出さないようにしているように見えた。
俺にはわかる、その胸中がーー嫉妬、悲しみ……様々な感情が渦巻いてることを。
気が付いたら俺の口は勝手に動いていた。
「……葉菜ちゃんに、好きな人がいてもいい、俺達、付き合わないか?」
離れてた手を引き寄せる。葉菜の手は冷たくなっていた。
恋人繋ぎにして、上に挙げる。
「……ね!」
葉菜は、恋人繋ぎを見て、俺の瞳を見て、「軽っ!」と言って少し笑った。
葉菜を気に入った理由ーー俺にも叶わない恋をした経験があるから。
人のモノだった……。
カサッ。
落ち葉を知らず踏み潰した音がした。
葉菜は、自分の部屋にエアコンが無いと言い、よく家に涼みに来た。
少しイチャイチャする時もあるし、全然そんな色気が漂わない時もある。
もぅ、半年関係は続いていた。
相変わらず、葉菜は、strawberry coffeeの前夜が好きだったし、そんな葉菜が可哀相で俺は好きだった。
ーーあのヒトを好きだった報われない自分を葉菜に投影し、愛して自分が癒されている感覚だった。
strawberry coffeeは、ようやく自主でCDを出した。前夜自ら手売りしている。懐かしい音でその筋には人気を博しており、LIVEはいつも満員だった。
ーーその年の秋の頃、葉菜は傘もささずにズブ濡れになっていたり、どこの病院でもらったのか、精神薬を大量に飲むなどの奇行が目立つようになってきた。
俺はなんとなくわかっていたーー葉菜は、前夜に告白して振られたのだと。
葉菜は、sexを頻繁に要求するようになっていた。頭ではダメだとわかっていたけれど、俺に出来るのはそれだけだとも感じていた。肉欲に溺れるような関係が続いたーー。
……葉菜は、突然消えた。
不安ではあったが、俺は気になることがあり、特に捜したりなどもしなかった。
光と再会したからだーー。
光は、俺が片想いしていた相手だ。
年上で結婚していた。
光は昔から野心家だった。
すでに離婚しており、友達とよくわからない横文字の会社をたちあげていた。
光は、高校生の時、家庭教師をしてくれていた先生の奥さんだった。学生結婚で、先生と年も割と近かったせいもありすぐ仲良くなり、家へも度々お邪魔した。その時、光に出逢ったーー。
光は葉菜とは違い、ふわふわしたミステリアスなところがなく、どこまでも現実的な女性だった。
そこが馬が合ったのだろう、似たもの同士。だが、同族嫌悪という言葉もある、その関係は燃え盛りすぐ燃え尽きた。
ーー終わりを迎えたが、それでも俺は光が好きだった。初めて本気で好きになった女性だった。
ーー秋の終わり頃、葉菜から手紙が来た。
誰かから住所をきいていたんだな。
差出人の名前を見ても一瞬誰だかわからなかった……名字が変わっていたからだ。
……秋吉葉菜。
『ーー文通しませんか』
俺にはわかっていた、それは葉菜からのSOSなのだと。
閉じ込められた籠の鳥ーー。初めて会った時、あんなに寂しそうなだった横顔を思い出す。旦那とうまくいっていないのだろう、不本意な結婚だと知っていた。……寂しそうな顔で泣いていないといいが。
ゴロリと横になったベッドで、その手紙を読み返していた。
隣で寝入っていたと思った光に、手紙を取られる。取り返そうとしたが億劫になってそのまま読ませる。
「……なに、コレ? ラブレター? 葉菜って誰なの?
」
光の当然の問いに、たまには誠意を見せようと正直に話す。
「……人妻。しばらく逃避場所になってあげてた」
葉菜が前夜に片想いしていたことは、光に片想いする自分の純粋な想いと重なって言うことは出来なかった。
光は、何かを感じ取ったわけではないのかもしれないが、それ以上その話をすることはなかった。
ーー時が経ち、五年の月日が経っていた。
光は、葉菜の存在に思うところがあったのか、すぐに結婚したいと言い出した。
俺は就職を機に光と結婚し、もう三歳になる娘もいる。
日曜の公園に家族で来て、太陽のキラキラした光線を浴びる。
その眩しさが、煌めいていた青春と重なる。
ーー葉菜。
付き合ったのは短かったが、不思議と強烈な印象を残した娘だった。
前夜、葉菜、音楽ーーそんなものが全て青春で、少し前のことだというのに懐かしくもある。
葉菜は、泣いていないだろうか、泣いていないといい、葉菜の笑った顔が好きだった。
俺は、光と娘をとった。ーー冷たいだろうか? 責められるべきことだろうか? いっそ、罰せられたい、誰に? 何の罪で?
料理を作る手を止めた。思考がグルグル回り始めて、あぶないと感じたからだ。
ふと、窓の外の小鳥の囀りを聞いているうちに、みんな冷たいじゃないかと思い始めた。俺、光、前夜、葉菜だって冷たいところはあったーー。それでいいじゃないかと思う。
俺達は、同じ方向へ進んでいるのだ。それは、未来だ。
俺にとってそれは、真っ白いどこまでも真っ白いだけの輝くような世界なのだったーー。
(完)