疲れた時、ちょっと笑いたい時に読んでいただけたら嬉しい作品達
悪いフジタと良いフジタ
僕は最近までフジタアレルギーだった。フジタという苗字を聞くだけで虫唾が走り、みるみる鼓動が早くなり、吐き気をもよおす。
食物アレルギーやラテックスアレルギーや花粉症みたいに、アレルゲンが数値で現れるわけではないから、病院で診断してもらうことはできない。
だから、僕が勝手に診断した。
フジタアレルギーになったのには原因がある。
それは以前の職場にいた悪いフジタだ。僕より二つくらい後輩の女性。髪の毛はおかっぱで、いつもピンクの服を着ていて、不機嫌そうなぶすっとした顔をしている。
そんな顔をしているから人相だけでなく、性格も悪かった。
同じ職場に嘱託職員のヨシダというおばさんがいた。コイツも人相が悪く、性格もひん曲がっていた。休憩室ではいつも独演会をしている、おばさんだった。
その横にいつも金魚の糞みたいにくっついて「えー!そうなんですかぁ!」と相槌を打っていたのがフジタだった。
僕は雑談が苦手だから、休憩室では黙々と弁当を食べる。二人と休憩が重なった時は、弁当の味はしないし、心は落ち着かないし最悪だった。
とある年度末を控えた頃だった。
その日は職員の異動発表の日だった。自分が異動対象にかからない限り、僕は人の異動に興味はない。だから、その日もみんなが事務所で異動一覧表を見て、わぁわぁきゃあきゃあ騒いでいる間に、一人その場を離れ、倉庫で仕事に必要な備品を探していた。
しばらく経った頃、するりと倉庫のドアが開き、フジタが入ってきた。やっぱりピンクの服を着ている。
「お疲れ様です」とだけ言って、僕は黙々と探し物をする。するとフジタがかつてないほど、僕の側へ寄ってきた。肩と肩が触れ合いそうな距離だ。完全にパーソナルスペースを侵されている。
「何すか」
僕は体を離しながらフジタに問う。
「今度の四月から樋口さんが課長になるじゃないですかぁ」とフジタが言った。そういえば、事務所でそんな話が出ていた。
「はぁ」
「現、課長の岡本さんって何か問題あったんですかねー」
出た! 諜報だ。こんなにわかりやすく諜報しようとする奴がいるのか! 僕は、げんなりした気持ちになった。
「さぁ……」
そう言って首を傾げる。現、課長である岡本さんは四月に全く別の部署に異動になるらしかった。しかも、管理職ではなくなるらしい。
岡本さんはきっといい人なんだと思うけれど、村上部長とソリが合わないのだと思う。はたから見ていて、岡本さんが明らかに空回りしているのを何度か目にしたことがある。それが原因で平社員からも「頼りない」「全然、周りを見ていない」と言われているのを聞いたことがある。
そういう僕も仕事でミスって、岡本さんに相談しようとしたら、うまく逃げられたことがある。だから、みんなの気持ちもわかる。
でも、フジタに自分の気持ちを話したいとは思わなかった。
コイツはダメだと思ったのか、フジタは「お疲れさまでーす」と言うと倉庫から出て行った。
毒気のある人間に近づかれるというのは、思ったよりも体力を消耗するらしい。僕はへなへなと床に座り込んだ。
その時、頭の上からカチャリと音がした。
――まさか!!
そう思って倉庫の扉を開けようとすると、開かなかった。フジタが鍵をかけたのだ。
――マジか!!
僕は「誰かー」と言って扉を内側から叩いた。仕事中はスマホを携帯できないので、外に連絡を取る手段がない。まずい……
必死で助けを呼び続け、三十分後、たまたま近くを通りかかったパートさんに気づいてもらえた。
その日から僕はフジタアレルギーになった。
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あれから五年後。僕は新しい会社に転職した。
そして、そこで尊敬できる先輩に出会った。しかし、残念なことにその先輩の苗字もフジタだった。そして女性だった。
「フジタです。よろしく!」
と初日に挨拶をされた時、アレルギー反応が出てしまい、挨拶するやいなやトイレに駆け込んだ。こんなので大丈夫か……と絶望感が襲う。
フジタさんは同じチームなので、毎日顔を合わせる。名前を呼ぶ必要のある場面がどうしても訪れる。初めのうちは「フ……フジタさん」と声が震えたり、呼びかけようとすると、お腹が痛くなったりすることがあった。
それでも、食物アレルギーの経口免疫療法のように、あえてフジタさんの名前を口にするようにした。そんな涙ぐましい努力を続けて半年。
「フジタさん、資料できました」
「ありがとう。木更君。仕事はやいねぇ」
フジタさんはにっこり笑って資料を受け取る。そう、この良いフジタさんは、太陽みたいな人だ。いつもにこにこしていて穏やか。
僕が仕事でミスっても「人間なんだもん、そんなこともあるよー!」と励ましてくれる。
良いフジタさんとの出会いが、僕のフジタアレルギーを治してくれた。
読んでいただき、ありがとうございました。