第246話 黄衣の夜に②
《レティシア・バロウ視点》
エステルがドアを蹴り破る。
そして中へ踏み込むと――そこには気絶したアル王子と、その傍らに佇む片眼鏡をかけた執事風の男の姿があった。
「おやおや、ようやくお見えになられましたか。待ちくたびれましたよ」
微笑を浮かべながらも、ため息交じりにそんなことを言う執事風の男。
その出で立ちは小綺麗で如何にも紳士然としていて、この王城に勤める本物の執事だと言われても納得してしまうかもしれない。
けれどソファの上に寝かせられたまま気絶するアル王子の姿――そしてドアの前で立ったまま死亡していた騎士たちの存在が――この男を異質な侵入者であると物語っている。
「あなた……いったい何者!? アル王子になにをしたの!」
「お初お目にかかれて光栄でございます、レティシア・オードラン様。どうかご安心くださいませ、彼はただ眠っているだけでございます」
執事風の男は余裕そうな態度を崩すことなく、アル王子へと視線を落とす。
「ご覧ください、この宝石のように美しい幼子の寝顔を。どうして人間というには、こう美しいモノほど壊してしまいたくなるのでしょうね」
白手袋に包まれた彼の手が、アル王子の顔へと触れそうになる。
その光景を見せられて、エステルの足が床を踏み砕く。
「手前――アル王子に触んじゃねぇッ、ですわッ!!!」
瞬きするよりも早いスピードで間合いを詰め、握り締められた拳を振り被るエステル。
その勢いはまるで放たれた弓矢――いいえ、撃ち放たれた砲弾のよう。
一切の容赦も手抜きもない、文字通り〝全力〟の、明確な怒りが込められた一撃。
その剛腕の周囲だけ重力が歪んでいるのではと錯覚してしまうほど、圧倒的な破壊力が込められている。
あんな華奢な優男が彼女の拳を受けたら、身体が木端微塵に弾けてしまうのではないか――そうとすら思ったのに、
「ふむ」
執事風の男は片手を挙げ――あまりにも軽々と、エステルの拳を受け止める。
彼女の剛腕から放たれた一撃を、まるで丸められた紙屑をキャッチするみたいに、フワリと掴んだのだ。
「なッ……!?」
「失敬、あなた様では格不足かと」
執事風の男は、グッとエステルの拳を押し返す。
その刹那――エステルの身体は、なにか強大な力によって吹き飛ばされる。
そして頑強に築かれたはずの壁を勢いよく突き破って、砕け散った瓦礫や灰煙を巻き上げながら私の前から姿を消した。
「エ……エステルッ!!!」
「申し遅れました。私、アンブローズ・ガルシアと申します」
何事もなかったかのように、執事風の男は私に向かって名前を名乗る。
そしてソファの上で眠っていたアル王子を優しく抱きかかえ、窓際へと歩いていく。
「この王子の身柄は頂いて参ります。返してほしくば、あなた様の夫……〝アルバン・オードラン男爵〟をお連れくださいませ」
「……!? どうしてアルバンを……!?」
「私の居場所なら、アルベール国王が存じ上げていらっしゃるはずですよ。それでは――今宵が〝黄衣の夜〟とならんことを」
執事風の男がそう言い残すと、部屋の窓ガラスが一斉に割れて砕け散る。
そして彼はアル王子を抱きかかえたまま外へと跳躍し――月夜の暗闇の中に姿を消していった。
私は自分の中で困惑と焦燥がせめぎ合うのを感じながら、
「なん、てこと……! すぐにアルベール国王に伝えなきゃ……ッ!」
今からどうすべきか、どうしたらいいか、冷や汗が額を伝う感覚を覚えながら必死に考える。
――なに?
一体なにがどうなってるの?
どうして彼はアルバンを知っていたの?
いえ、そもそもどうしてアルバンを連れてこいだなんて言ったの?
……〝罠〟だ。
確実に罠に決まっている。
なにが目的かはわからない。
ただ間違いなく、あのアンブローズとかいう男は只者じゃない。
唯一ハッキリとしているのは、アルバンを罠に嵌めようとしているということ。
でなければ、わざわざ私たちを待ってからアル王子を誘拐したりするものか。
アルバンにこのことを伝えるべき……?
でももたもたしていたら、アル王子の命が危ない。
どうしたら――
私がそんなことを考えていると――
「……よくも、コケにしてくださいましたわねぇ」
そんな声が、破壊された壁の方から聞こえてくる。
さっき彼女が吹き飛ばされて突き破り、ぽっかりと空いた瓦礫の穴の方から。
「! エステル……!」
「よろしくてよ……。この私を格不足扱いするだなんて、クッッッソお上等じゃありませんの」
ユラリと、ゆっくりと、グルグルの金髪縦ロールが立ち上がる。
その姿は勇ましい。
けれど同時に、噴火するような禍々しい怒りの覇気が、彼女の全身から立ち昇っている。
「売られた〝対よろ〟は買わなきゃ……お嬢様が廃るってモンですわよね」
私は人の覇気なんて見えないけれど、今だけはわかる。
今この瞬間――エステル・アップルバリは、本気でキレているということが。
これほど純粋に憤怒するエステルを――私はこれまで、見たことがない。
「このエステル・アップルバリをブチおギレさせたこと……後悔させてやらぁ――ですわッ!!!」
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