第245話 黄衣の夜に①
――レティシアとエステルが、アル王子の下を訪れる少し前。
「……余は、なんと無力なのだろう」
警護の騎士に守られた王城の一室の中で、アル王子は塞ぎ込んでいた。
「エステル殿は余の妻に相応しい。けれど余の方は、本当にエステル殿の夫に相応しいだろうか……?」
アル王子は自分に自信がなくなり始めていた。
自分という存在に疑問を感じ始めていた。
遠路はるばる母国からヴァルランド王国までやって来て、まだ短い月日しか経っていない。
それなのに、アル王子はもう何度もエステルという一人の女性に助けられている。
エステルという惚れた女性に、幾度も命を救われている。
アル王子は女性という存在に敬意を払い、女性には世を変えていく力があると信じてやまない。
だが決して、「だから女性に守られてもいい」という理屈にはしていない。
アル・マッラという少年は自分が一国の王子であり、いずれは国を背負う者であるという強い自負を持っている。
だがそれ以前に自分が男であり、一方的に守られるような存在であってはならないという認識も、幼い精神の中に備えていた。
アル王子にとって、男と女の関係は〝お互いに守り合い、お互いに支え合う〟のが理想であったから。
――家父長制が根強く残り、男が強い権限を持つネワール王国を見て育ってきたアル王子は、ずっと疑問に感じていた。
「何故、男と女は対等のパートナーになれないのだろう?」
「どうして男と女が互いを尊敬し合い、人生を預けあってはいけないのだろう?」
どちらが上か下かではない。
あくまで対等の、敬意を払い合える関係。
背中を預け合い、命を預け合い、人生を預け合う――。
これは決して比喩ではない。
お互いがお互いを守り抜くと誓って、命がけで愛し合う。
お互いがお互いの人生という重荷を預け合い、その責任を背負い合う。
そう固く誓い合って、お互いの欠けた部分を補い合う者たちこそが――真の〝夫婦〟であると。
それがアル王子にとって理想の男女関係であり、夫と妻の関係であった。
男と女がお互いを尊重し合い、背中を預け合い、誇りを支え合えば、それはかけがえのない深い愛情となる。
その深い愛情は、なにものにも代えがたい〝力〟になるはずだと。
その〝力〟はいずれ、国を変えるほどの大きな希望となるはずだと。
それがアル王子の思想であり、エステルという女性に本気で惚れ込む理由だった。
彼にとって、エステル・アップルバリは人生を預けるに足る、尊敬できる人であったから。
しかし――
「エステル殿は余を守れる。守ってくれる。なのに……余の方には、エステル殿を守る力がないではないか」
――なにもできない。
一人の男として、余はエステル殿を守る責任を背負えない――。
アル王子はそんな無力感に苛まれ、悔しくて膝の上でギュッと小さな拳を握り締める。
エステルに感傷的になるなと言われても、気にするなという方がアル王子には無理であった。
ここに来てアル王子は、自分がこれまで如何に周囲に守られながら生きてきたのかを自覚し始めていた。
守られてばかりで、誰かを守ったことなど一度もないという事実に気付かされていた。
アル王子には権力はある。
だが権力とは個人の〝力〟ではない。
一人の人間として、一人の男としてパートナーを守れなければ、それは〝力〟とは呼べない。
少なくともアル王子はそう思っていた。
だからこそ「やはり自分にはエステル殿を愛する資格はないのではないだろうか?」と思い悩み始めていたのである。
「ハハ……エステル殿にとって、所詮余は無力な子供に過ぎないのかもしれんな」
ポツリと、小声で呟く。
――――その時だった。
『おや、子供であるのは悪いことではありませんよ?』
――そんな声が、アル王子がいる部屋の中に響き渡る。
「――!?」
『いやはや……子供でない者にとって、〝子供である〟という事実はそれだけで羨むべきモノなのです』
「なっ……だ、誰だ!?」
慌ててアル王子はソファから立ち上がり、部屋の中を見回す。
しかしどこにも人影はなく、不気味なほど静まり返っている。
「どこにいる!? 姿を見せろ!」
『これは失敬。では僭越ながら……』
また声が聞こえた、その刹那――黄色い影が、床の上に投影される。
ゾクリ、とアル王子は背筋に寒気を覚えた。
それはアル王子の影に覆い被さるように突然現れ、〝なにかがいる〟という存在感を確かに放っている。
それも、すぐ背後に、いる。
黄色い影が蠢き、アル王子の身体を伝う。
まるで吸血蛭が這い回るかのように、ぬめり気を帯びた冷ややかな感触が頬を撫でる。
アル王子は、自分の全身から冷や汗が噴き出るのを感じた。
両足がガクガクと震え、金縛りにあったかのように身体の自由が効かなくなるのがわかった。
ほんの少しでも油断しようものなら、惨めにも失禁してしまいそうなほど己が竦み上がっているのが、アル王子には自覚できた。
――アル王子の背後からヌルリと腕が伸び、それが彼の視界の端に映り込む。
顔のすぐ横を伸びる手には白手袋が着けられ、それは視界を覆い隠すようにアル王子の両目を覆う。
白手袋の素材に使われる、上質な綿の柔らかな感触。
けれどそれは今、アル王子には肌をこそぎ落とす感触となんら変わらないように感じられた。
――アル王子の意識が薄れゆく。
けれどその中で、確かに彼は声を聞いた。
「――我が名はアンブローズ・ガルシア。アル・マッラ王子……あなたを頂戴に参りました」
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