第45話 炎獄のイヴリィス
逢魔は宣戦の布告と同時に跳躍し、機体のコクピットへと転移した。
「何だ……コイツは?」
「〝炎獄のイヴリィス〟起動――」
逢魔が霊力を解放した直後に周囲に風が広がった。その熱風だけで、機体の周囲半径二〇〇メートルは焦土と化していた。外道丸に破壊された地下基地を含め、今や花房山は見る影もなく荒れ果てている。
何の面白味もない、中途半端な街だと揶揄していたこともある。それでも天真にとっては自分が生まれ育った故郷だ。この惨状を目の当たりにし、今なら祖父の想いが理解できた。そして守るべき物と、護るべき者も。
揺らめく炎の先に見える紅蓮の式神。むせ返る死の臭いが世界を覆い尽くしていく。終末が見せるその光景は、冷静さの中で静かに燃え上がる怒りに似ていた。
恨みでも後悔でもない。ただ純粋な怒りが闘争心となり、天真の心と身体を突き動かした。
イヴリィスは腕を組んだ姿勢のまま動かない。先手はくれてやると言わんばかりに、オウガの出方を窺っている。その傲慢さを正そうと、天真はオウガの出力を臨界まで上げた。
(死ぬかもしれないな。今度こそ……本当に)
天真は心の中でそう呟き、名残り惜しそうな乾いた微笑みを浮かべる。こんな状況に追い詰められ尚、笑える自分が少しだけ不思議だった。
「凛音」
「どうした?」
「……いや、何でもない」
天真は言い掛けた言葉を飲み込み、眼前の敵に意識を集中させた。
炎舞う戦場の只中で、天真は最期の戦いになることを覚悟していた。
もうおそらく此処へは戻って来られない。そんな予感があった。
粘りつくような悪寒が全身を悴ませる。頭の中にはずっと晩鐘の音が響き続けている。それでも歩みを止めることなど、今の天真に出来ようはずもなかった。
「機動術式展開!」
天真は外道丸から複写した術式を発動させた。
「へぇ、七星禹歩か」
亜音速機動を可能とする術式・七星禹歩によって、オウガの機動力は飛躍的に跳ね上がっていた。オウガがイヴリィスを翻弄するように、焼け野原を縦横無尽に疾駆する。
敵の能力が未知数である以上、真正面から突撃をかけるわけにはいかない。
そう考えながら、天真は勝つ為に策をいくつも巡らせていた。相も変わらずイヴリィスは障壁すら展開せず、微動だにしない。
(隙だらけだ。誘っているのか?)
「だったら!」
イヴリィスの背後をとったオウガが、抜いた白刃を突き出した。しかし、それは単純な死角からの攻撃ではない。切っ先に展開させた空間歪曲の陣によって、突き出した刃が敵機の正面から現出する奇襲となっていた。
「――ッ!?」
完全に敵を捉えたオウガの刀が、対象のコクピットを貫く寸前で止まっていた。
「ッ!? どうしたのじゃ天真! なぜ攻撃の手を止める!?」
「逢魔……お前ッ!」
背を向けていたイヴリィスがゆっくりとオウガの方へ向き直る。そして腹部のハッチが開き、その内側から信じられないものが目に飛び込んできた。
凛音は瞠目し、すぐさま表情を曇らせる。
イヴリィスのコクピットには、六道逢魔と共に四祈宮ハルナの姿があった。ハルナはイヴリィスに取り込まれているかのように、手足を無数のケーブルに拘束され気を失っている。
「何をそんなに驚くことがある? これが巫女の本来の使い方だろう」
逢魔はハルナの霊力を動力源としてイヴリィスを起動させている。それは同時に天真へ対する人質として成立しているものだった。
「いつの間にハルナを……兄上ッ!」
「ふふふっ、切り札たる巫女を一人で残していくのはどうかと思うけどね」
イヴリィスのコクピットハッチが閉じられ、逢魔とハルナの姿は視認できなくなった。だがオウガは立ち尽くしたまま動けずにいた。
天真は操縦桿を握ったまま歯を食いしばる。憎い敵に対し何もできない自分が悔しくて仕方がなかった。
天真は外道丸との戦いを経て、改めて戦う信念と覚悟、そして理由を手にした。その矢先に自分の力だけではどうにも出来ない事態が待ち受けていた。脳裏にチラついた凶星が再び彼の心を蝕もうとしている。
(どうする……何か手はないのか? 思考を止めるな。何処かに突破口が――)
しかし考えの纏まらない内に、イヴリィスが動き始めた。先ほどまでとは一変し、漲る霊力が攻撃色へと変化していく。そして周囲に燃え盛る炎を掌に集め始めた。
「今からでも遅くはない。無駄な足掻きはやめて此方へ来い。凛音」
「断る。妾は魔道に堕ちてまで生きたいとは思わぬッ!!」
妹から決別の言葉を突きつけられた逢魔は静かに瞼を閉じた。
「そうか、残念だよ」
イヴリィスの手に収束された焔が太陽のように輝きだす。それは全てを焼き尽くす灼熱の炎弾となり、オウガに向かって放たれた。
「オウガ!」
《障壁を最大出力で展開》
イヴリィスの攻撃を防ごうとオウガがデフレクターを展開させる。金剛装衣を装着したことにより、フルアーマー化したオウガの出力は通常時の三倍近いエネルギーゲインを誇る。それに伴い、霊子兵装の威力も跳ね上がっていた。故に天真もどれだけ敵が強大であろうと、渡り合えるものだと確信していたのだ。
しかし、その予測は大きく裏切られることとなった。
「――ッ!!」
展開したデフレクターを容易く砕いた炎弾が、オウガの頭部に直撃。爆発の衝撃で機体がよろめき、そのまま後方へと倒れこんだ。
「天真! 大丈夫か!?」
「ぐっ……だ、だいじょうぶ……だ…………っ」
返事を聞き一度は安堵した凛音だったが、前部座席にいる天真の姿に目にして絶句した。
天真の頭部は左目から上が消し飛び、顔面の四分の一が無くなっている状態であった。形代ではない生身の肉体だったなら、確実に即死していたのだ。そのダメージは魂魄にまで直接届く甚大なものだった。当然、オウガの頭部も同様に半壊している。機体の反痛制御が機能していなければ、そのまま天真の意識は消滅していただろう。
「まさか……ここまで力の差があるとはな。厄日だ」
「しゃ、しゃべるな! いま形代の修復を――」
「余計な霊力を使うな。お前はフィールドの抑制に努めるんだ。さもなきゃ本当に勝機が無くなる」
天真の言葉通り、亡念フィールドの抑制を凛音がしていたからこそ、本当の意味で致命傷には至らなかった。しかしそれは逆に力を抑え込んで尚、絶望的なまでの力量差が存在しているという事実だった。
(くそっ、考えが上手くまとまらん。頭が半分吹っ飛んだせいか)
消し飛んだ天真の頭部から光の粒子が散っていく。視界は霞み、意識が朦朧としてくる。この時すでに、彼の魂魄は形代と共に崩壊を始めていた。それは正しく、薄い紙切れに小さな亀裂が入った程度だったが、緩やかに、だが確実に死へと向かっていた。