第42話 無明光明
『この死に損ないが。貴様のような無能力者に何ができる!!』
気持ちよく晴らしたはずの鬱憤が残りカスとしてまだ息をしている。外道丸はそんな半端な状態に苛立ちを覚えた。彼は熾鬼神化する以前から、人間を殺す瞬間に絶頂へと達する快楽殺人鬼だった。他の鬼とは違い一族の報復だとか、戦いへの矜持など持ち合わせてはいない。
人間を皆殺しにすることこそ彼の願望であり欲望。自我を失うことになる熾鬼神化に対しても一切抵抗がなかった。
『俺は貴様ら人間の死に様が見てえんだよ!! 絶望に喚いて逝くとこが見てえんだよ!! なに希望に満ちた顔してんだ!! 死ね!! 今すぐ死に直せやッ!!』
「喚くでないわ小童が」
権造が上着を破ると、左胸に刻まれた呪印が露わになった。
「儂が陰陽連の司令官を担っている真の理由を今見せてやる」
胸の呪印が蒼く輝き、その光が鎖状に変化し外道丸を拘束する。それは権造が最期の切り札として隠していた呪術だった。
「霊縛封呪か? 無駄ことを」
霊縛封呪は形代に込められた魂魄を燃焼させることで、その命と引き換えに強力な結界を発動させる陰陽術。本来なら霊力を持たない権造に行使できる術ではないが、術自体はあらかじめ玄真が形代に施したものである。
『カスが、この程度の結界が何だってんだ』
「確かに儂一人分では貴様を封じれまい。だがな!」
『――ッ!?』
気が付くと無数の光の鎖が、何処からともなく外道丸の周囲に集まってきていた。
「それは貴様に殺された者達の分だ。儂の形代を解放することで、それら全てが収束され敵を完全に封じる多重結界トラップ! 全ては貴様を倒す為に! 一命たりとも無駄にせぬ陰陽連の意地と覚悟を受け取るがいい!!」
権造の肉体が光と消え、本体となる形代から伸びる鎖が外道丸の全身を締め上げる。
鎖は死者の魂魄によって強靭さを増し、対象を引き裂かんばかりの拘束力を発揮した。それは最早、捕縛や封印などという生易しいものではない。霊力による縛殺を目的とした捨身技だった。
『チ、チクショ、てめぇ! ガアアアアアァ――――――――ッ!!』
鎖が幾重にも外道丸の全身に絡みつき、人間ならば内臓が吐き出されるほどの圧迫感に襲われる。熾鬼神となり強大な力を得た外道丸でさえ、その拘束力には度肝を抜かれていた。
『な……んだと、クソ人間共がぁ!!』
鎖を通して殺してきた人間達の情念が外道丸の中に流れ込んでくる。それは未だかつて感じたことのない恐怖だった。
外道丸が霊縛封呪に抗っている最中、時を同じくして、オウガのコクピット内では天真の絶叫が響き渡っていた。
オウガの両眼が光を取り戻し、天真と同調するかのようにフェイスガードが開かれ咆哮が轟く。それは羅刹との戦闘時と同様、暴走状態に陥る前兆だった。
『グオオオオオオオオオオオ――――――ッ!!』
外道丸に突き刺された両腕の刀剣をへし折り、オウガは再び立ち上がった。だがその操縦は天真によるものではなく、オウガ自身が自立的に行っている。そんな暴走状態のまま〈拡散霊子砲〉を放ち、辺り一面を無差別に攻撃していく。
七童子市の街は流星のように降り注ぐ光線によって、瞬く間にその景観を荒廃したものへと変えていった。
この時、天真には意識がなかった。ただ夢の中で延々と繰り返される絶望の結末を、まるで他人事のように傍観しているだけだった。
『人の子よ、ここで諦めるのか?』
夢境に現れた巨大な黒い影。その声はオウガの人工知能と同じものだった。
「もういい……結局どうしたってこうなる。もう面倒だ……疲れた」
『何も成せぬままここで終わるのか?』
「精一杯やった結果がこれだ。俺には始めから無理なことだったんだ」
『では貴様はこれまで何の為に戦ってきたのだ?』
「何の為に……? 俺は――」
広がる闇の中、一人で座り込み天真は自らを省みる。
夢の景色では、今も暴走を続けるオウガが街を破壊している。天真はそれを止めたくても、闇の中に沈んでいく身体は自由を奪われ云う事を利かなかった。
「俺は……無力だ」
全てを諦めかけ闇に飲まれていく直前、少年の手は柔らかな温もりに包まれた。
終わらない悪夢の中で、ただその温もりだけが懐かしく、そして優しかった。
「天真」
桜色の髪をした少女は光の中で微笑み、慈しむように少年の頬へとその手を伸ばす。
「本当にそっくりじゃ。不器用で誰よりも優しい。何でも一人で背負い込むところもな」
「り……んね」
「確かに御主は不運故に、数々の艱苦を強いられてきたかもしれぬ。じゃが周りをもっとよく見てみろ。これまで誰がいた? いま誰がおる?」
闇を裂いて広がっていく光の中で、天真の瞳には多くの人々が映っていた。
「翁さん……父さん……母さん、ハルナ、京子ちゃん、和馬、景虎、学校の皆――」
次々に浮かび上がってくる天真の見知った人々。去来する思い出と共に、光はさらに眩しく輝きだした。同時に暴走を続けていたオウガもその動きを止め、背部の天輪が輝きを取り戻していく。
「御主は不運ではあるが、決して不幸ではなかったはずじゃ。孤独ではないのじゃからな」
天真が中学時代に起こした野球部での事件も、他の部員達は彼を一切責めなかった。それは天道寺天真という人間が、何の理由も無くそんな事をするわけがないと知っていたからだ。人一倍努力を重ねてきた天真を仲間達は知っていた。景虎が腹を立てていたのは、何の相談も言い訳もせずに部を去ってしまったからだ。親友としてそれが許せなかっただけなのだ。
「ずっと後悔を重ねてきたのだろう。だが人はそうして生きていくしかない。今日より明日を夢見ずにいられないのは、その後悔があるからだ。誰しもが道に迷い、重ねた後悔の数だけ前に進むことができる。故に御主のしてきたことは、何一つ無駄にはならぬ」
心は幾度となく折られてきた。だが天真はその度に周囲の人々から希望を得てきた。
天真にとって他人の幸せは羨望であり、生きるための原動力だった。
折られては打ち直され、鍛え上げられる刀剣のように、強く、ただ強くあろうという想いだけが天真の中で気づかぬ内に育まれていた。
彼のそんな謹厳実直な生き様は、生まれ持った資質であり正義だった。
「現在ある世界が嘘でも構わない。皆ここで生きている。生きているんだッ!!」