第40話 惨劇・壱
「動け! オウガ! 頼むから動いてくれ!!」
静寂に包まれたコクピットの中で天真は足掻いていた。必死に操縦桿を引き起こし、起動させるための手順をゼロから何度も繰り返していた。だが何をどう操作しても反応することはなく、絶望と焦燥だけが募っていく。
『一つ教えておくとよぉ、ここは故郷なんかじゃねえ。貴様ら陰陽師が俺ら鬼族を畏れ、封じ込めた謂わば牢獄だ』
現在より遡ること九七〇年前、当代の大陰陽師であった七人の男達は、その命と引き換えにして鬼を忘念卿へと封じ込めることに成功した。
鬼は元より日本に存在した亜人の一族であり、妖魔や悪霊とは一線を画す存在だった。その起源は定かではないものの、人類よりも太古から影で国を支えた神性者。半神半人の一族であったと伝えられている。霊力とは言い換えれば神通力。読んで字の如く、神に通じる力を持つ者であり、鬼が半神半人である証明だった。
「御門司令、敵の言っていることは本当なんですか?」
「伝承が真実ならば、先住の民である鬼族をこのワールドに追いやったのは儂らの先祖じゃ。それが原因の一つで、彼らは人間、陰陽師に恨みを持っておる」
その事は京子も知らされていない事実だった。自分達の戦う理由は人類を救うためであり、そこに正義があるのだと漠然と思っていた。
そして天真は毘沙門の言っていた逆恨みという言葉の意味を今になって理解した。
「こんな卑怯な真似をしてまで勝ちたいか!」
『……卑怯? ははっ! 卑怯、卑怯ね!! 結構結構!! 俺は人外魔道に堕ちし外道丸! 人間に対して怒りは覚えても、情など塵一つもないぞぉ!!』
外道丸は機能不全に陥っているオウガを踏みつけ、二本の刀で機体の両腕を串刺しにした。
「ぐあぁ――ッ!!」
『ひゃはははっ! 解剖前のネズミが喚くんじゃねえよ!!』
オウガが機能停止したことで、反痛中和制御による天真へのダメージ軽減が一切ない。そんな状態で両腕を貫かれる激痛は想像を絶していた。
「四祈宮さん! 亡念フィールドの浸食が広がっていきます!」
「この状況じゃ天真にフィールドを抑え込む余裕なんて……」
亡念フィールドの影響で空がモノクロに染まっていく。街が完全に浸食されてしまえば、鬼本来の力を封じることができず陰陽連の勝機は失われてしまう。それどころか、この街そのものが消滅してしまう危険があった。
『どれ、先にこそこそ隠れている陰陽連の奴らから皆殺しにしてやるか』
外道丸はオウガを置き去りにし、花房山への侵攻を再開する。
「くっそ、動け動け動けぇ!! 何で動かないんだ!! ――ッ!!」
天真がふと見上げた先に見えたのは、瞬く紅き星だった。
「――また俺は……何も出来ないのか」
もう逃げ出すことも、諦めることもしたくないと思っていた。しかし紅い星と過去の数々のトラウマが、天真の心に大きく影を落としていく。次こそは、今度こそは成し遂げたいと願っても、何かに足を引っ張られるように全てが無為に帰する。その所為で傷つく誰かがいることが、天真にとってはこの上なく我慢ならなかった。
『ここがネズミ共の巣だな。オン・アラタンナウ・サンバンバ・タラク・ソワカ……爆ぜろぉ――ッ!!』
花房山に光の柱が穿たれ、爆発と共に縦穴が現れた。その穴はオウガを射出する為のリニアレーンであり、地底にある陰陽連基地まで通じているものだった。
「コードSが基地直上から降下してきます!」
「くっ、ここまでか……。総員退避!! 全部署への勧告を急いで!!」
京子は悔しさに震えながらも、これ以上の被害を出さないための決断をした。しかし司令である権造は席から動かず、座したまま瞑目している。
「司令も退避してください!」
「いや、儂はここに残る。まだ見終わっていない海外ドラマがあるのでな」
権造はデスクの引き出しから煙草の箱を取り出した。
「四祈宮くん、知っての通り陰陽師の家系でありながら儂には霊力がない。儂がこの椅子に座っているのも年功序列みたいなものだ。作戦指揮は君の方が長けておるし、式神技術に関しては冷泉局長がいる」
「司令……」
「ここで儂が残らなければ、あの世で玄さんに合わせる顔がない。最後ぐらいこの老骨に格好つけさせてくれ」
御門権造は今年で六二歳になる。御門家の当主として、古くから陰陽連の役目に従事してきた。若かりし頃は陰日向橙矢と同じく、自身が霊力を持っていないことに劣等感を覚え、逆に陰陽師としての才能に恵まれていた玄真を一方的にライバル視していた。今でこそ温厚な人物に見えるが、ほんの一〇年前まではまだ血の気の多い男だった。
そう、権造が変わったのは一〇年前に鬼が現れた時だった。
あの時、玄真はオウガの次元跳躍能力の範囲を七童子市全域に広げるため、自身の生命力を燃やすことで霊力を補った。その事実を凛音から聞かされた時に悟ったのだ。
自らの命を懸けることは口で言うほど容易くはない。そこには必ず尋常でないほどの勇気が要る。例え霊力が宿っていたとしても、きっと自分には玄真のような真似はできなかった。そう思えたからこそ、権造は玄真を友人として誇りに思い、そして尊敬するようになった。
「さぁ、行きたまえ。君にはまだするべき事があるだろう」
権造は煙草を咥えたまま京子に向かって優しく微笑む。その微笑は忘れもしない、一〇年前に玄真が見せたものと同じだった。
「御門司令……心遣い感謝します。もしあの人に会えたら伝えてください。私は今でもあなたを愛している、と」
「わかった」